ノート:セクシャルハラスメント

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二次被害の項[編集]

二次被害の項にPTSDと精神障害が併記されていますが、これは冗長でしょう。PTSDとして挙げられている事例も不適切です。Diogenesis 2004年11月28日 (日) 07:49 (UTC)[返信]

『職場におけるセクシャルハラスメントへの対策』削除の提案[編集]

Wikipediaはhow-toものを記述する場ではないと思いますので、削除を提案致します。中立的な観点からも問題があります。
Famsis 2005年5月15日 (日) 04:43 (UTC)[返信]

性的な嫌がらせとは[編集]

タイプ 環境型セクハラに挙げられた

  • 職場の男性総出で風俗産業に遊びに行く。また、上司が職場での立場を利用してこれに付き合うことを強要したり、拒否した男性に嫌がらせを行った場合、対価型セクハラとなる。
  • 後続者が自然な形で歩いていても中が見えるほど短いスカートを穿いて、階段やエスカレーターを昇る振る舞い。また、これを手で押さえて歩いてみせる振る舞い。周囲への気遣いというマナーの意味でそうする人と、女性としての欲求を満たそうとして周囲の気持ちにかまわずそうする人がいる。

に出典が求められたのはいい判断ですね。「嫌がらせ」を「他人への気遣いに欠ける行為」とすると納得できるような気もするけど、これらを「セクハラ」であると書いた本がいまあるのかどうか、知りたいところですね。59.159.65.58 2006年10月6日 (金) 09:16 (UTC)[返信]

1番目のほうはまったく知らない。2番目は、学術的・評論家的にはまだ把握されていないような気がします(自分は知らない)。巷の声としてはあると思うので(たとえば自分の周囲。ネット上では、たとえば1)、やがて整理・解釈されていく事柄なのかもしれませんね。220.221.135.160 2006年10月10日 (火) 10:49 (UTC)[返信]
性に由来する欲求を満たすためには相手の気持ちなど無視するという意味では、2例目は男性の痴漢と等価と感じる。211.129.111.85 2006年10月12日 (木) 09:37 (UTC)[返信]

少なくとも風俗が当たり前という会社の雰囲気に悩んでいる女性は多いです。(男性もいるかも)--59.157.7.162 2006年10月21日 (土) 01:49 (UTC)[返信]

片方だけ消すのはやめましょう。58.93.128.129 2006年10月26日 (木) 11:32 (UTC)[返信]
2006年12月6日 (水) 16:22の編集。世の中では、いまこれが争点のようです。古い時代を超えて、つい最近まで、男性の女性に対する理不尽な性意識が問われましたが、今でも問われ続けていますが、これからは、新しく、女性の男性に対する理不尽な性意識が問われ始めているのかもしれません。58.93.113.253 2006年12月28日 (木) 22:43 (UTC)[返信]
女性が自分の意思で前に入ってきたうえでスカートを押さえる行為を見せられたときに男性が感じるムッとする感じ、屈辱感は、痴漢・強姦をした挙句に「でも女性も喜んでいる」という言葉を男性が吐いたときに女性が感じる屈辱感と、種類として同じだと思う。強姦は、被害の度合いが、比べものにならないけれど。121.113.149.5 2007年2月17日 (土) 18:22 (UTC)[返信]
女性が自制心を失くしたら、周りの気持ちを顧みないで 見て・触って(見た・触った)と振る舞い、男性が自制心を失ったら、相手の気持ちを無視して 見る・触るという行為をする のでしょう。欲(求)を満たすことは喜びだけど、そこには一抹の節度が必要、ということでしょうね。自制心 については、『なぜ日本人は劣化したか』 ISBN 978-4-06-149889-1 参照。210.172.24.239 2007年7月11日 (水) 11:50 (UTC)[返信]
無理強いされたり強制されたりしたわけではなく、自分の意思でものすごく短いスカートをはいているのに、公の場で階段やエスカレーターでたまたま居合わせただけの後続者がまるで何かをしたような、後続者が悪者であるかのように、スカートを押さえてみせたり、同行者が隠してみせたりするのは、「後続者の人格を無視するのも甚だしい身勝手極まりないふるまい」じゃないだろうか?迷惑防止条例違反にはならないのか?と思う。自分の都合で周囲に困惑を与えてしまってすいません、という態度で押さえるのならわかるのだけど。211.129.111.87 2007年10月18日 (木) 02:33 (UTC)[返信]

「下位にある女性を「さん」付けで呼びながら男性を「君」付けで呼ぶこともセクハラと考えられる場合もある。 」という記述について

「君」は同輩か目下に対して使用され、それに対して「さん」は年長者に対しても使えるため、「さん」と「君」とは質が違うため、これで男女を区別するのにはどうも納得いきません。これは私の意見です。男性の「君」付けに対して女性に「ちゃん」付けすることや、女性の「さん」付けに対して男性に「氏」付けすることは賛成ですが、「さん」付けにたいする「君」付けには反対です。これがセクハラ扱いになってほしいという願いから書きました。上司の愚痴ではなく日本語に対する愚痴です。--Grimm 2007年4月11日 (水) 12:32 (UTC)[返信]
感じ方は私も同じです。私は管理職ですが、新入社員であっても男女分け隔て無く「さん」で呼びます。ただし、願いを実現するために利用する場ではない、ということだけご理解いただければ幸いです。Album 2007年4月11日 (水) 13:04 (UTC)[返信]
自分の持っている信条を宣伝したい衝動が出てすみませんでした。反省します。--Grimm 2007年4月12日 (木) 10:22 (UTC)[返信]
いや、そんな謝っていただかなくとも。。。数十年前、イガグリ頭の中学生三年生だった頃、昼食時の校内放送で「後輩に対しても男女分け隔てなく『さん』で呼ぶべし」と主張して物議をかもした頃を思い出しました(笑)。ありがとう。--Album 2007年4月12日 (木) 10:41 (UTC)[返信]

公式な方針の遵守について[編集]

ウィキペディアには、Wikipedia:言葉を濁さないといった考慮すべきガイドラインや、Wikipedia:検証可能性 という公式な方針があります。抵触するものは削除されても文句は言えませんので、内容をご確認下さい。--Album 2006年10月27日 (金) 03:41 (UTC)[返信]

「Album様の削除箇所について」―Aubrey 2006/11/26(日)13:56

人が相手のことを考えずに自分の性的欲求を満足させようとするのは「迷惑行為」もしくは「強制わいせつ」に当たると思います。嫌がらせをするつもりがないのであれば「嫌がらせ」ではないといえます。 わざわざ「性的嫌がらせ」と呼ぶのは、 「セクシュアルハラスメント」が本来、労働環境における利害と密接に結びついたものであり、手段として用いられる行為であるからだというのが一般的な見解であると私は理解していました。 ただのイジメ的「嫌がらせ」や「性的迷惑行為」と同一視してはいけない問題がそこにあると思うのですが。 出典を明記せよと言われると困ってしまうのですが、現社民党党首の福島みずほさんがかつて弁護士としてこの問題に取り組んでおられた頃、TVで盛んにこの見解を述べておられました。

現在は広く「性的迷惑行為」全般にセクハラという言葉が用いられているという記述も入れてあるのですが……

出版物がすべて公正中立であるとは思えませんが、仕方ないでしょうね。 ですから、Wikipediaの方針についてはよくわかります。私はこれ以上この箇所には手を加えないことにします。

誠に残念ながら、「思う」「聞いた」では上記の検証可能性を満たしません。また、英語版の同項目でも広い意味でとらえています。コメントアウトさせていただきました。Album 2006年11月26日 (日) 08:43 (UTC)[返信]

西北大学での日本人留学生の寸劇は、セクシャルハラスメントに該当しない[編集]

2003年10月29日に、中国の西安の西北大学の文化祭において、共産主義青年団主催の演芸会「文芸の夕べ」という晩餐会(パーティー)で、3人の日本人留学生が寸劇をしました。私が見聞きしたところでは、この日本人留学生の寸劇は全くわいせつなものではありません。この西北大学の日本人留学生の寸劇は、セクシャルハラスメントが意味するものにはあたらないと私は考えます。詳しくは、文芸春秋の「 2004年1月号」(2003年12月10日)の水谷尚子さん(中央大学非常勤講師)が書いた文章などを読んでください。次のアドレスで、水谷尚子さんの書いたものを読むことができるようです(ただし、読んでみると誤字があります)。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9896/j_mag.html

私たちは、西北大学の文化祭のパーティーで行なわれた日本人留学生の寸劇を、わいせつな事件としてとらえるのではなく、2003年10月29日に何が起こったのかをもう少し調べて、真実に近づく必要があると思います。なぜなら、事件直後の各国政府筋の発表やマスコミの報道は、2003年10月29日に、中国の西安の西北大学の文化祭の晩餐会(パーティー)で、3人の日本人留学生の寸劇が行なわれた現場にいた人の話と大きく食い違うからです。 インターネットで見つけたといわれる、西北大学の文化祭を見ていた日本人留学生の意見を次に紹介します。 以下は、2005年9月7日に

http://kazankai.searchina.ne.jp/db/disp.cgi?y=2003&d=1201&f=tacp_1201_001.shtml

のアドレスにアクセスして得られたページの文章からの抜粋です。2006年12月の時点では、このアドレスではアクセスできません。誤字がありますが、そのまま引用します。

「西北大学の留学生です。 諸事情で帰国しています。 二十九日の発表会を観劇して、 三十日朝飛行機に乗ったので私個人には被害はありませんでしたが。 友人が起こした事件がここまで大きくなってきているのに心が痛いです。 それにたくさんの報道がでていますが、 間違った部分もあります。 まず 『これが中国人だ!!』 なんて叫んでもないし、 紙を掲げてもいません。 わいせつ寸劇とありますが、 実際はTシャツの上に赤い下着を身につけただけです。 言動も踊りもたいしたものではなく、 舞台で音楽にあわせてリズムをとる程度でした。 顔にダンボールで作ったロボットのような箱をかぶっていましたが、 それは彼らが顔をだしたくなかったからだと思います。 実は彼らは自らすすんで参加したのではありません。 中国人の学生に半強制的に参加させられたのです。 リハーサルもきちんと参加していましたので、 発表内では何も問題はありませんでした。 ただ下着を身に着けたこと、 日本では盛り上げる時に観衆に向かって何か物を投げたりすると思うのですが、 彼らは紙をまるめたものを下着の中からだして観衆に投げました。 それも別に悪気があったわけではないですし、 教師も参加とありますが、 彼は以前は西北大学の留学生でした。 私とも友人です。 飛び入り参加した彼は発表の内容も知らず只舞台の上に一緒に居ただけです。 服装も違います。 中国の学生や教師に不快感を与えたのは事実です。 実際私も観劇していて 『ちょっとサムイなぁ』と思ったくらいです。 しかし、 謝罪を求める人は実際は何人いたのでしょう? 噂が噂を呼んで起こった (起こっている) 今回の暴動。 現在では全く関係のない街中の日本料理店まで荒らされていると聞きます。 黒い歴史線上で生活している中国と日本。 少しの不快感もこんなに大きくなってしまうとは。 街の人は 『西北大学日本人留学生』 に怒っているのではなく 『日本人』 ということで暴動しているみたいです。 負傷したのも友人です。 日本に住んでいる皆さんには今回の件で 『日本の恥だ』 とお思いでしょう。 本当に申し訳なく思っています。 でも私たちは只西安に住んでいるだけで辛い思いをたくさんしています。 タクシーに乗ったら 『日本人ってわかっていたら乗せなかった』 といわれたこともありますし 『原爆が落とされて当然だ』 ともいわれたこともあります。 友好がある現在でもかなり罵られます。」

Teasateagigale 2006年12月17日 (日) 15:05 (UTC)[返信]

単位を人質に取った愛人契約の強要[編集]

覚えの悪い子を覚えさせるためにセクハラとさけぶのって福祉事務所的な都合を押し付けすぎていませんか?218.219.247.145 2007年6月13日 (水) 09:22 (UTC)そんなにモテナイ人が強姦できる要素が実在するのでしょうか?護身術で撃退できたり、そもそも、女より弱い男はモテナイし、ある意味ハメられて加害者になる要素もあります。218.219.247.145 2007年6月19日 (火) 09:17 (UTC)[返信]

師弟関係とハメるための集団行動[編集]

一方的にそういう関係にあると多数派が主張しているだけの間柄ってどうなんでしょうか?性行動にしても本当に強姦だったら護身術を覚えているかどうかに関わらず悲鳴等が出るはずですし、そういったものがないと言うことはハメようとしていると言うことです。意図的に袖にするという意味で。そもそも、普通の男性は告白等の手段で平和的に性的な問題を解決しようとしていることでしょう。それができていないということは何らかの意図があるとしか言いようがないんです218.219.247.145 2007年6月19日 (火) 09:17 (UTC)[返信]

環境型セクハラの「性的魅力をアピールするような服装やふるまいを要求すること」について[編集]

環境型セクハラの

  • 性的魅力をアピールするような服装やふるまいを要求すること。

は出典がほしい。

市場原理を導入したら女子高の制服のスカートがどんどん短くなったり、仕事場で完全に私服OKにしたら女性の服の露出度がどんどん高くなっていくのでガイドラインは作らなければならなくなったり、性的魅力をアピールするような服装やふるまいがエスカレートするのは女性の欲求だという例は知っているけど、男性が要求する話は、エロ小説やアダルトビデオのなかでしか知らないので。もっとも、「セクハラ」が意識されるようになったから、現在は見聞きしないようになった、ということなのかな。218.45.215.130 2007年10月10日 (水) 03:56 (UTC)[返信]

要約欄に書き忘れ[編集]

2007年12月27日 (木) 00:51の編集について、「タイプ」で出典欲しい事例を2件削除、「概念の起源と普及」で1件コメントアウトしました。書きたい方は出典をお願いします。上のノート見て思い出した。「女性の胸のあいた服装注意したいんだけどセクハラって言われそうで怖くてどうすればよいのかって記事があったなぁ」--Etoa 2007年12月27日 (木) 00:57 (UTC)[返信]

セクハラと執念[編集]

女性の恐ろしいところは、自分を「女」として見なかった者に永遠の復讐を誓う場合だ。一方、誰かが「俺を男として見なかったな」と抗議でもしようものなら、その者はセクハラとして血祭りにあげられるだろう。実に女の執念は恐ろしい。
男性の恐ろしいところは、見たい、見せて、なぜ見せてくれない!と執念を燃やす場合だ。実に男の執念は恐ろしい。
ともに、相手に自分に関心を持って欲しい/異性として見て欲しい場合に生じる執念だ。219.114.60.27 2008年3月8日 (土) 00:39 (UTC)[返信]
この男は私を見たがっている。という女性の思い込みは、しばしば男性を困惑させ、辟易させる。でもこの思い込みは増長すると、しばしば相手を社会的に抹殺する。実に女性の思い込みは恐ろしい。
この女は私に見られたがっている。という男性の思い込みは、しばしば女性を困惑させ、辟易させる。でもこの思い込みは増長すると、しばしば相手を物理的に傷つける。それも深刻に。実に男性の思い込みは恐ろしい。122.212.221.82 2008年3月15日 (土) 03:01 (UTC)[返信]
街で、女性は自分を見て欲しいと思ったとき、近くを歩いていればふいに相手の視界に入り込む。離れていれば、突然奇声を上げたり、大きく咳払いをしたり、拍手や手拍子の要領で大きく手を打ち鳴らす。標的になった男性は、動物が異音に反射的に振り向くのといっしょで、音の鳴るほうを見るが、それで女性は、女としての私を見た、と満足する。最近は、相手の体に触れてでも振り向かせようとする女性もいる。これって、痴漢にならないか?相手が嫌がっている場合は。
一般に男性は女性に触れられて喜ばない者はいないと思われているが、オネエマンもその逆もいるし、男性と女性の間の気持ちの有り様は連続的に繋がっていて、肉体的な反応よりも気持ちを害されることのほうがウエイトが大きいという男性は、かなりの割合でいると思われる。というか、実は、女性も男性もその割合は同じかも。
飢えた女性は恐ろしい。飢えた男性も恐ろしい。122.212.221.82 2008年3月15日 (土) 04:21 (UTC)[返信]
女性の欲望は暴走すると、なんでもして振り向かせようと狂気に走る。相手が振り向きさえすればいいので、否定的なきもちであってもかまわない。男性の欲望は暴走すると、力ずくでやってしまおうと暴力に走る。やれさえすればいいので、相手が嫌悪していてもかまわない。
一方受け手は、その気がない相手に執拗に見られ続けた女性が感じるのは、ウザイと感じたり、そんなに私を見たいの?と悦に入ったりする。その気がないときに執拗な見て見てアピールを受けた男性が感じるのは、メンドクセエと感じたり、そうまでして俺に見られたいのか?と悦に入ったりする。不快感と優越感と、どこか相手を見下した感情が湧いてくるのでしょう。
相手の気持ちを測りながら動けば、暴走も軽蔑も起こらないのに。-113.32.180.154 2009年5月29日 (金) 03:11 (UTC)[返信]
それはしまいには相手に不快を感じさせても自分を見たいと言わせないではいられない渇望に陥ったときの女性、ついには誰かを恐怖に陥れてでも見ないではいられなくなるほど欲望があふれた場合の男性、ということですよね。男性が、やれそうもないからといって腕力に訴えるのは、女性が、振り向いてくれそうもないからといって悪口に訴えるのは「暴力」ではありませんか?やらせて欲しい、振り向いて欲しいという欲望は人間の前向きな欲望ですが、やらせてくれないから、振り向いてくれないからといって暴力をふるうのが/は、「セクハラ」ですよね。現実の処世術としては、うまくやれ、ということはあるでしょうけれども。人間誰でも、常に満たされているっていうことはないでしょうが、渇いたり満ちたりでしょうけれど、渇望/執着というのは、怖いですね。--118.22.44.163

相手をモノとして扱うということについて[編集]

セクハラというと、相手を人間として見ないということをよく聞きますが、そのことについて書いてある本があったら教えてください。

電車のなかで発作かなにかで倒れミニスカートがまくれた女性に、性的な意味合いの視線を男性たちが送っている様子を見たことがあります。一方、マスクをした風邪をひいたようなサラリーマンが、ラッシュアワーのわずかに空いた席にヨロヨロと腰を落としたところ、隣に座っていた女子高生たちが私の隣だから座ったの!?とキャーキャー騒ぎ始めた様子を見たことがあります(病院の待合室でも見たことがある)。自分の欲望(見たい・私には見られたがられる価値がある)のためには相手の人格なんか無視する・相手を物として見るとき、ハラスメントは起こるのではないでしょうか。相手をモノとして見る欲望は、おとなしそうな、分別がありそうな、または社会的な立場から、わめいたり殴ったりして反撃してこなさそうな人にぶつけられることが多そうなのも女男同じ。

女性は、私は女よっ!見て見て!モードのときも、今日は朝からすっぴんですごしたいなぁ~モードのときもある。男性は、うわぁ女!見てえ!触りてえ!ギラギラモードのときも、どこか遠い南の島へ行って何もかもから開放されたいなぁ~お疲れモードのときもある。元気なときも病気のときもある。互いに察することが出来れば、軽い言葉で表現されるところのハラスメント(嫌がらせ)は無くなるのじゃないでしょうか。犯罪に属するようなものは、また別でしょうけれど。--61.214.130.213 2009年2月16日 (月) 02:27 (UTC)[返信]

仕事とセクハラ[編集]

女性に向かって、「俺の男性としての欲望を受け入れないなら仕事上の邪魔をしてやる」というのはセクハラですよね?男性に向かって「私を女性として扱わないなら仕事上の邪魔をしてやる」というのはセクハラですよね?男性はやりたい、女性は女性として扱ってほしいに決まっているけど、それが理由で仕事上の障害が起こったり、採用基準にしたりするのはいけないというのが男女平等ということですよね?仕事とセクハラについて書いてある本があったら教えてください。-113.32.180.154 2009年5月29日 (金) 03:12 (UTC)[返信]

セクハラを受けている時/人は、(とくにそれがセクハラだと認知されていない行為を受けているときは、)異性からは要求に応じないお前が悪いと言われ、同性からはやっかみにあい、第三者からは奇異の目で見られたりそのくらい我慢しろと思われたりで、声を上げられない。だからとても苦しい。ですよね?--61.199.34.119 2009年7月21日 (火) 01:26 (UTC)[返信]
怖いですよ。
  1. サンデー毎日 2004.7.11 ミセス通信
  2. ナース裏物語 ISBN 9784167773311 62ページ 逆セクハラは日常茶飯事?
--61.214.130.213 2010年1月8日 (金) 10:02 (UTC)[返信]
  1. 男性に対するセクシャルハラスメント
--61.214.130.213 2010年1月8日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
その「ナース裏物語」読みました。執着されたり執心されたりするのは間違いなく「被嫌がらせ」ですよね。女性自ら「逆セクハラ」だと認識している人がいる(著者)わけです。豊富な話題のたまたま一節ですが、「執着」それ自体が男性に対する「女性によるセクハラ」であると自己吐露しています。女性によるセクハラの核心を表現していると思います。
興味を持たれなかった人が平和で羨ましい。それがどんなに嫌なことか、わからないでしょうね。「セクハラという認識」が広まる前にセクハラを受けた女性は、自分が誘っているんじゃないか、自分は女性なんだから、男性のこのぐらいの要求は受け入れなきゃいけないんじゃないかとか、苦しんだんでしょうね。嫌なものは嫌だと表明していいんですよね?--210.172.24.239 2010年1月27日 (水) 10:18 (UTC)[返信]

草食性と肉食性[編集]

女性二人組に、駅の端から端まで、途中トイレに入ったのに待ち伏せされてまで付き纏われたことがあります。電車で通勤中寝ていたとき、誰かが足をスーッとなぞるので目が覚めたら、高校生くらいの女性がじーっとこちらを見ていたことがあります。女性が腕を引っ張るカップルに、乗り換えも挟んだのにそこで乗り換えをしてまで駅3つついてこられたことがあります(このときはさすがに怖くなって、駅を出たら人気のあるスーパーに入ってやりすごしました)。女子高生や女子大生の集団の前を通るとき、浴びせられる視線に、文字通り狼の前を通ったら羊はこんな気持ちになるだろうな、と感じることがよくあります。電車に乗るとき後ろから追いかけてきた後輩とおぼしき男性を連れた20歳前後のスーツを着た社会人女性が、腰を下ろした自分の前に込んでいる人込みをかきわけてわざわざ来て、目の前でスカートをたくし上げ始めたことがあります。なぜ来ないんだ?と困惑する男性を尻目に、後から来る自分を待つように歩みが遅くなるカップルの女性に出遭うことがあります。相棒と一緒にいるとき、自分達が右に行ったら右に、左へ曲がったら左へと、どうにかして前へ来ようとして、結果、自分達の前を右往左往する・周囲をうろちょろすることになる女性に遭うことがあります。単独の女性でも、男性の腕を引っ張るカップルの女性でも、女性何人か組でも。

通りすがりに男性が女性に目が行ったり、女性が男性の前へさっと入り込んだりするのは日常の男女間のやりとりだと思うし、見て見てという欲望はわかるけれど、追いかけて付き纏ってまでとか行く道を遮ってまでとなると、欲望が暴走しているというか、欲望の表出の仕方が偏執的ではないでしょうか。今年草食性男子・肉食性女子ということがいわれましたが、男性が草食性になってきたというよりは、性的な目でジロジロ見られたら不快に感じることがあるのは女性だけでなく男性にもあるということ、性的な欲望から異性(他人)に付き纏う人は男性だけでなく女性にもいることがいま明らかになりつつあるということではないでしょうか。または、昔から女性は偏執的な男性に身の危険を感じてきたわけですが、いま、場合によって男性が駅員室や交番を頭に思い浮かべることがあるほど、欲望を暴走もしくは欲望を偏執的に表現する女性が増えてきたということではないでしょうか。または、女男・性に関することにかかわらず、他人に対する偏執的な振る舞いがいま増えてきているということではないでしょうか。

こういう状況を掴まえた本が既にあったら教えてください。あったとして、記事に加筆するとしたらセクハラではなくて痴漢かもしれませんが。--61.199.34.119 2009年7月13日 (月) 03:23 (UTC)追記--61.199.34.119 2009年7月21日 (火) 01:23 (UTC)[返信]

黙ってても男性が視線を釘付けにされてしまう女性もいれば、自分を見て欲しいあまり「空中ブランコ」の広見みたいな執拗な感じになる女性もいます。凄い美人ではないのになぜか男性の目を奪う女性もいれば、凄い美男ではないのになぜか女性を引きつける男性もいます。振り向く男性個人にとってはそのときだけだから相手の事情はわからないけど、次々に振り向かれるのでうんざりして冷たくなっていく女性もいれば、見て!と振る舞う女性個人はそのときだけだから相手の事情はわからないけど、次々に見て!と振る舞われるのでうんざりして迷惑を感じるようになっていく男性もいます。--126.112.53.14 2009年8月25日 (火) 02:31 (UTC)[返信]
公の場で、片方に、あの女を触りたいという衝動が湧いたとき、その女性の事情や気持ちを顧みずに触ることを実行に移す、痴漢や強姦を働く男性、あの人にカワイイ女性として見て欲しいという衝動が湧いたとき、その男性の事情や気持ちを顧みずに割り込むように前に入り込んだり執拗に付き纏う女性、煙を恋しいという衝動が湧いたとき、周囲の人の気持ちや状況を顧みずに、真後ろに人がいても煙を吐き出し始める喫煙家がいます。
もう片方に、あの娘かわいい!きれいだと思っても、相手はその時々の事情や感情を持った、自分と同じ人格を持つ1個の人間だということがわかっているので、口説いて成功したりしない限り突然触ったりはしない男性、その人に私女よ!と見て欲しくなっても、相手はその時々の事情や感情を持った、自分と同じ人格を持つ1個の人間だということがわかっているので、相手にブレーキを踏ませるような割り込みや、進路をわかったうえで立ち塞がる、行く道を遮るような行為はしない女性、吸いたいと欲しても、時と場所をわきまえて煙草を吸う愛煙家がいます。--126.112.53.14 2009年9月7日 (月) 03:21 (UTC)[返信]
かわされても避けられても嫌がられてもまとわりつくとなれば、それはストーカーですよね。インターネットで、ニューヨークではカラッと明るく「女性」を主張して歩いている、女の私が見てもまぶしいほどだうらやましい、それに比べて日本ではねちねちと陰湿に(?)からみついていく(ことになる場合が多い)、と女性が書いているサイトを見たことがあります。テレビで、どこかの国の人が、自分の国には「痴漢」はない、いきなり本番、レイプですね、と言っているのを観たことがあります。--118.22.44.163
異性に関することは自分にとってとても大きなことだけど、生きて生活していれば、24時間365日のなかには、「それどころではない」瞬間はたくさんあるでしょ、というのは、20数年前は、男性が女性に言われた言葉だったと思うけど、いつの間にか、男女の立場は逆転してしまったような感じは世の中ありますよね。「自意識過剰!」 ISBN 9784087463514 65ページ --118.103.7.2 2010年10月2日 (土) 01:23 (UTC)[返信]
女が放っとかない男がいるって話ですよ。--221.252.247.226 2011年2月24日 (木) 02:19 (UTC)[返信]

京都教育大学の節の記述について[編集]

メルビルさんの以下のご発言は、利用者‐会話:Janpaulにおける2012年6月24日 (日) 14:29 (UTC)の版から、ご本人の同意も得て転記したものです。--Janpaul会話2012年6月25日 (月) 04:24 (UTC)[返信]

こんばんは。ちょっとお話をさせてください。Wikipedia:削除依頼/セクシャルハラスメント 20120623の件ですが、2012年6月21日 (木) 08:45‎ (UTC) の版および2012年6月23日 (土) 06:07‎‎ (UTC) の版での加筆、2012年6月23日 (土) 06:11‎‎‎ (UTC) の版の要約欄の記述には問題がある記載なのは同意しますし、削除するのが適当と思います。しかし、控訴中とはいえ地裁で「強姦の事実は無かったと判決が出たこと」は事実です。将来的に仮に高裁~最高裁で学生側敗訴となるとしても、現在の時点においては、あの項に一筆地裁判決の件を記載すべきではないでしょうか?女性にも名誉があるのは同意しますが、男性達にも名誉はある訳で、出典が得られている範囲で現状の中立的な記載をするのは問題はないと思うのですが、いかが思われるでしょうか?確かにセクシャルハラスメントの京都教育大学の部分は、事件後のセカンドレイプに関した記載ではあるのですが、それだけを抜き出して記載してしまうと、それを読んだ人はまだこの話が継続中の話と知りえず、女性側の立場のみの一方的な記載となってしまうと危惧します。--メルビル会話2012年6月23日 (土) 10:52 (UTC)[返信]

メルビルさん、ご意見ありがとうございます。
「男性達にも名誉はある」のは当然ですから、「女性側の立場のみの一方的な記載」とならないよう「現状の中立的な記載をするのは問題はない」とのお考えに賛同します。この項目における京都教育大学の節では「事件後のセカンドレイプ」の話がメインですが、必要最小限ならば事件のその後を書くことは読者にとっても利益になるでしょう。
ただし、逮捕された男性たちも「行為そのもの」があったことは認め、判決でも「行為そのもの」はあったが「女性側の同意があった」と認定しているようです。「犯罪の事実はなかった」などと書くと「行為そのもの」もなかったように誤解されるおそれもありますので、その点はご留意くださるよう念のためお願いいたします。--Janpaul会話2012年6月25日 (月) 04:32 (UTC)[返信]
お手を煩わせて恐縮です。とりあえずは先の京都地裁での判決と、現在控訴審中であるということのみ記載するのが適当かと思います。暫く様子をみて追記させて頂きたいと思います。--メルビル会話2012年6月25日 (月) 06:49 (UTC)[返信]
大阪高裁での判決が2012年7月にありました。集団での性行為はあったが、同意の元であり強姦ではなかったとされております。また男子学生らについての処分は、女性学生の軽率な行動を戒めるべき立場でありながら、それに釣られて性行為に及んでおり、教育学部の学生としては不適切という意味での大学側の停学処分は妥当としながらも、大学側が強姦行為があったかのように連想させる表現で男子学生を非難したことについては非を指摘して慰謝料の支払いを命じたという結果のようです。その部分について追記しました。--メルビル会話2013年6月9日 (日) 15:43 (UTC)[返信]
メルビルさん、こんにちは。追記にお礼申しあげます。どのような裁判であるか(刑事事件としては不起訴で、民事訴訟で犯罪の事実が争われたこと)を説明する文章を加えさせていただきました。また、出典として「京都地裁判決文(2011年7月15日)および京都高裁判決文(2012年7月20日)」と記されていましたが、裁判所ウェブサイトの判例検索では見つけることができず、法律雑誌における判例紹介が存在するのかも分からなかったため、現時点で閲覧可能な日本経済新聞電子版の報道を代わりの出典としています。どうぞご了承ください。--Janpaul会話2013年6月9日 (日) 17:36 (UTC)[返信]
おはようございます。詳細に拘るつもりはありません。あと判決文については京都地裁のものはアカデミックハラスメントの判例となって出版されており判決文の全文が入手可能で、当方も取得しております。大阪高裁の判決文については出版には至っていない(昨年のことなので?)ようで、WEBや新聞上での報道で部分的に知りえるのみの状態であります。--メルビル会話2013年6月11日 (火) 01:35 (UTC)[返信]

セクシュアルハラスメントは性差別であって人種差別のようなものである[編集]

国連がセクシュアルハラスメントと言っているのは、言葉と音による暴力だけでなく、接触を伴う暴力も入るという点で、皆さんの議論と少し変わっています。CEDAWでは1979年に女性に対するあらゆる差別の根絶を採択し、日本でも1989年にこれを批准しています。このGeneral recommendationという文書の中に(12と19)セクシュアルハラスメントという言葉は出てきており、これが原型となるものだと理解しています。つまり、接触を伴う性的嫌がらせが中心となって議論されています。Sexual Exploitationという類似語も出てきており、これも一緒に検討する必要があるのではないでしょうか。 http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CEDAW/Pages/Recommendations.aspx 宜しかったら確認してみてください。Chika Ishii会話2017年9月10日 (日) 12:57 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

セクシャルハラスメント」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月13日 (水) 23:45 (UTC)[返信]

事例[編集]

セクシャルハラスメント#事例の部分が無差別な収集になっているように思います。報道されるセクシャルハラスメントを何でも取り入れるのは適切ではないように思います。--Tiyoringo会話2018年12月24日 (月) 11:51 (UTC)[返信]

事例分割の提案[編集]

2022年9月9日、パワハラの記事から日本のパワーハラスメント事例が分割されました。セクハラに関しても、事例が多く集積されていることから、事例を分割して新規記事を作成することを提案いたします。具体的には、パワハラに倣って「日本のセクシャルハラスメント事例」をイメージしています。ただ、日本国内に限定するべきかどうか分からないので、可能であればそこについてもご意見をいただけると幸いです。--106.154.145.185 2022年9月9日 (金) 13:56 (UTC)[返信]

  • コメント 日本のパワーハラスメント事例は分割提案への告知なしでの分割であり、用例として適切でないと思います。事例を分割すると、見境無く事例が追加されてしまうおそれがあると思います。私としてはこのような事例の一覧を作るのであれば、Wikipedia:カテゴリを利用したほうが良いと思いますが、どうでしょうか。--ねこざめ会話2022年9月13日 (火) 17:42 (UTC)[返信]
  • コメント それぞれの事例自体が単独で記事にする特筆性が見られないのがほとんどですが、全体的にニュースの内容そのままですのでウィキニュースの方にそれぞれの事例を単独記事で公開して、加えてウィキニュースにセクハラのカテゴリーを新設、そのカテゴリーで記事が一覧できる形でまとめるのが適切であるように思われます。そのうえでこちらのセクシャルハラスメントの事例一覧の節にはウィキニュースのセクハラカテゴリーへのリンクを貼り付ければ「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」といった問題にも対処できるのではないかと思います。--冷床系会話2022年9月30日 (金) 01:19 (UTC)[返信]