ノート:クラウ・ソラス

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

クラウ・ソラスの記事について[編集]

わたしの利用者‐会話:Kiyoweapにあったものです:--Kiyoweap会話2016年7月4日 (月) 21:14 (UTC)[返信]

ノート「クラウ・ソラスの記事について」のアーカイブ

失礼かとは思ったのですが独自研究テンプレートを貼らせていただきました。あまり厳密にルールを適用するのは本意ではないのですが、「ある情報によれば、」等流石にちょっと見逃せないレベルでの独自研究だと感じました。私が書き換えても良いのですがもし私がやると多分2/3は削除することになりそうなので念の為にお声をかけておきます。後、オグマとオガム文字の関係は確か俗説ですよね?--雲霞会話2015年11月9日 (月) 18:03 (UTC)[返信]

クラウ・ソラスは、まだ駆け出しの頃に作成したものなので、独自研究の域にあるようなものもあります。ただ、部分的には擁護できると思います。
ですがこれに今のタイミングで相当な時間を割いてというのは私には不都合なので、編集したくば、してください。一般にマナーとしては、インラインで「独自研究」とタグを貼って、それをノートに挙げてつぶしていくのが私としては親切なメソッドなので、そちらを要望しますが。
「ある情報によれば、」の部分は、調べて最有力の手がかりと思っていることなので、気になるなら削除して、ノートで取り上げてもかまいません。
ただ、私の考えでは、建部(Truth in Fantasy)系統の大衆本は怪しいことがいくつか書かれています。原典や学術論文でウラが取れない事実はすべてWP:RSを満たしないものと考えるので、..それで工夫してこういう記載のしかたをしたのです。
コアとしては、「クラウ・ソラス」が登場するアイルランドとスコットランドの民話をリストアップしたものです。つまり「リスト」の要素があります。
このリストにある民話の一個一個について独自のページを立項するのは大変なので、いくつかの民話のサビの部分を記述したり、共通点を書いています。
ざっくり擁護論ですが..
まず「クラウ・ソラス」が登場する民話群を1つのグループとしてみなすこと自体が「独自研究」か「当然」のものか、という問題があります。
グループとみなせるなら、民話の「異本」ととらえます。
物語系統の「異本」を扱う場合、いくつかの「異本」を一次資料として読んでいる人間が共通点・相違点を見出しながらまとめることは許容範囲と認識します。
そのようなことは一般にウィキ記事でおこなわれていて、それにいちいち「独自研究」タグを貼って回る人は少ないのではないでしょうか。
なぜかというと、ここを「2次資料」通りではなくてはダメというルールにすると、たとえば、そういう分析が載った編本が1冊しかない場合、まるきりその流用・盗作みたいになってしまうからです。
オガム文字を考えたのは、そりゃ実際は人間でしょうが、アイルランドの伝統の中ではオグマが発明したことになっています。"Ogma.. fabled inventor of the Ogham alphabet" (Mackillop, Oxford Dict of Celtic Mythology)。これってすべて「ファンタジー・神話」の枠組みのなかの話でしょ?--Kiyoweap会話2015年11月9日 (月) 19:23 (UTC)[返信]
御返事有難うございます。まず最初に、この記事については私はあまり極端な方法を取らず、できるかぎりKiyoweapさんの意向を尊重しながら軟着陸できるといいなと考えています。時間についても即時対応などは要求しません。気が向いた時に対応していただければと考えています。もちろん私も口を出したのですからお邪魔にならない程度には手を動かそうと思っています。
大衆本の扱いについては全く同感で、苦心して書かれただろう事も想像できます。どういう訳か、特にケルトはこうした本の影響力が大きいですしね。基本的には、「独自研究は載せない」という姿勢を厳密に守ろうとするなら、大衆本を批判的に扱った信頼できる文献が存在しない以上この手の本は黙殺するしかないというのが私見です。一方で黙殺しても誰かが追記するだけでしょうし、何らかの形で触れておいたほうが予防にはなるのかもしれません。正直に言って自分でも執筆態度を決めかねている部分で、記事によっては触れることもあります。--雲霞会話2015年11月10日 (火) 16:12 (UTC)[返信]
大衆本が出典に使われていても、その情報の8割がたは、もっと手堅い文献でウラがとれると思います。そのときは、なんなら学術書や論文の出典を追加すればよろしいわけです。ですが、いろいろ探したが、大衆本にしか出ところが判明していないという類のものが厄介なわけです。Truth in Fantasy シリーズが広く読まれている以上、そこに記載されている内容は、削除しても、そのうちAさんやらIPさんやらどなたかが入れると思いますので、入れて置いたうえで、みたいな発想です。「古典にはないという」ことは、多分正しいが典拠がなければ控えるべきでしたね、今ならそう考えます。-Kiyoweap会話2015年11月10日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
「いくつかの『異本』を一次資料として読んでいる人間が共通点・相違点を見出しながらまとめることは許容範囲と認識します。そのようなことは一般にウィキ記事でおこなわれていて、それにいちいち『独自研究』タグを貼って回る人は少ないのではないでしょうか。」
例えば「『光の剣(クレイヴ・ソリッシュ)』が登場する民話の大多数は冒険譚で」という表現は、本当にそれが大多数であるかどうかは信頼できる文献による判断を仰ぐ必要があると思います。私もこの文章は正しいだろうと思いますが(剣ですし……)、それとはまた別の話です。--雲霞会話2015年11月10日 (火) 16:12 (UTC)[返信]
その点は、おっしゃる通りかと思います。私のリストが全部を網羅しているということは確立できていませんから。ただ、リストに上がったうちの大半がそうである、と言い換えられることは、異論もあるでしょうが、許容内かと思います。物語が冒険譚か否かは、あえて専門家オピニオンを必要とするわけではないので。でなければ、どう作りこむか、もすこし熟考しなくては--Kiyoweap会話2015年11月10日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
「なぜかというと、ここを『2次資料』通りではなくてはダメというルールにすると、たとえば、そういう分析が載った編本が1冊しかない場合、まるきりその流用・盗作みたいになってしまうからです。」
はい。そういう場合は執筆は推奨されていないと自分は認識しています。Template:単一の出典などもありますし。--雲霞会話2015年11月10日 (火) 16:12 (UTC)[返信]
ですが1次資料を使ってはいけないという規則はありません。1次資料を使って、A本ではここはガチョウだがB本ではカモだ、などと自明の理なところを記載する場合、2次資料で裏をとらなければならない必要はないと思います。そういう部分まで「独自研究」タグ張りして指摘することはないというのが私の認識です。
ただ、この場合、「魔法の剣(光る剣)」というのは、「民話モチーフ」であって、「民話タイプ」ではない(両者がかぶる場合もありますが)。ゆえに、「光る剣」が登場する民話グループを語るには、それらをグループなり、比較論なりしている2次資料を本当は見つける必要があります。JSTOR権利1年間をウィキ財団からもらえたので、合間にもしかすると調べます。--Kiyoweap会話2015年11月10日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
オガム文字については創元社の『ケルト事典』(ただし原著の発行は1997年でかなり古い本です)から引用すると「幾つかの中世文献によればオグマはアイルランド最古の文字オガム文字の創案者とされる。しかし、この伝承は、おそらく中世になってオガムとオグマの類似から成立したと思われる。」だそうです。「オグマがオガム文字を考案した」と言い切ってしまうと、それは神話の中にとどまらず、暗に「オガム文字の『オガム』と『オグマ』の名には関係がある」と仄めかすことになってしまいます。私はこれを危惧しています(一方で白水社の『神の文化史事典』は神の「オグマ」の由来が「オガム文字」であると言い切っています。そうだとすると、単純に考えればオグマの名が成立したのが4世紀以降という事になりますがこれを受け入れてしまっていいのかどうか)。--雲霞会話2015年11月10日 (火) 16:12 (UTC)[返信]
「俗説」とおっしゃったので、それだと18-20世紀に民間で信じられるようになったものを私が正真正銘の神話と思い込んでいると聞こえました。私の引いたMackillopはあまり鮮明でなくて悪かったですが、要するにオグマがオガムの発明者であるという言及は中世の神話のテキストにあるということが言いたかったのです。たしか「マ・トゥラの戦い」にあったと思います。「侵略の書」にもあったか、ちょっと記憶が薄いです。で、「オガム文字の神オグマ」とは、たしかに<オグマという神サマがオガム文字を発明した>ということですが、ここにあえて「神話の中では」と断り書きをいれなければ本当のことだと信じてしまう人は、おりますでしょうか?まずおりますまい。私はそんな危惧をする必要はないと感じますが。--Kiyoweap会話2015年11月10日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
それでは一旦失礼します。--雲霞会話2015年11月10日 (火) 16:12 (UTC)[返信]
話が記事について具体的な指摘になっているので、トピックごとに振り分けて、記事のトークに場所を移したほうがよいかも。--Kiyoweap会話2015年11月10日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
おっしゃる通りですね。目の前にある文献を処理しながらなので今日明日という訳にはいきませんが近いうちにノートの方に書き込ませていただきます。あと、ついでの形になって恐縮ですがフェニアンサイクルフィン物語群へ移動するということで合意が取れていると判断して移動させていただきましたが問題ありませんでしたか?ノートを当時見ておらず確信が持てなかったのでおうかがいしました。--雲霞会話2015年11月17日 (火) 11:43 (UTC)[返信]


クラウソラスの記事について その2[編集]

先日、偶然アイルランドのケルト学者がヌアザの剣をクラウ・ソラスと呼んでいるのをインターネットで見かけまして、その方に質問してみたのですが、どうもアイルランドでもヌアザの剣とクラウ・ソラスの同一視は(オラヒリーのような一部の学者が行っているだけでなく)普通に行われているようです。その方の返答によればどうも遅くともゲール語連盟の機関紙『光の剣』の時点ではヌアザの剣との同一視が行われていたようです。

自分でも用例を探してみて、『フィネガンズ・ウェイク』においてヌアザの剣とクラウ・ソラスが同一視されているのに気が付きました。作者のジョイスの死後70年が経っており、著作権の問題は一切ないと思うのでgoogle booksを貼り付けます[1]。ここに登場するクライヴ・ソリス(Clive Sollis)はクラウ・ソラスその物ではなくそれをもじって作った人物名です。彼を含めた4名の僧侶は、全員が剣、釜、槍、石、と四秘宝と同じ組み合わせをモチーフにした名前が付けられています。彼らの前にはフィンディアス(これも『フィネガンズ・ウェイク』においては人名です)等の四都市の名前が挙げられていますから、四僧侶が四秘宝をモチーフとしており、さらにジョイスが四秘宝の剣とクラウ・ソラスを同一視していたことはほぼ疑いがありません(もちろん、wikipediaの記事として書く場合には二次資料が必要となります。『抄訳 フィネガンズウェイク』のP.262-263の脚注が使えそうです)。

現在の「ジム・フィッツパトリックの小説内の設定に大きく影響を受け日本で同一視が広がった」と言外に匂わせる記述は問題を抱えており、可及的速やかな修正が必要です。とりあえず今晩辺り安全側に倒して大幅な削除を行うと思いますが、無礼をお許しください。またKiyoweapさんが執筆されたクラウ・ソラスの英語版の記事を大いに援用した英語の本The-Esoteric-Codex-Magic-Objectsが既に出てしまったようで、これ以上の拡散を避けるためには英語版の方も放置できない状況にあると思います。 --雲霞会話2016年4月23日 (土) 23:07 (UTC)[返信]

私が見つけられた学者のなかではオラヒリーの著書(1946年)にそのような解釈があったわけですが、民間においては、その出版年をさかのぼってパトリック・ピアース(1916年没)の『光の剣』誌、ジョイスの小説(1939年)のなかで同一視が行われていたことを、雲霞さんが発見されたということですね?
しかし解釈としてもヌアザの剣と「光の剣」が「同一視」というのはおっしゃるほど通説ではないように思われますが、どうでしょうか。
『侵攻の書』などの中世の文献でヌアザの剣が「光の剣/光る剣」と呼ばれているわけではありませんよね。そのところははっきりさせるべきかと思います。
オラヒリーの論旨も、神も英雄も同じ文化英雄の権化とみなし、それらの武器も同じ<光系の武器>とみなす解釈です。その枠組みのなかでは、ヌアザの剣もルーの槍もクーフーリンの剣も光の剣と漠然と「同一視」する話です。
もしとりわけヌアザの剣と「光の剣」の「同一視」がそれほど定説であるなら、Mackillop事典で、≪「光の剣」はクーフーリンとの関連が口承伝統される≫と書かれることもないでしょう。
Truth in Fantasy シリーズは学術書でないことは重々承知ですが、たとえ<「クラウ・ソラス」について日本で広めた>とうたうことは控えても、何らかのかたちで言及することが、多くの利用者からは求められるように感じます。
Truthに言及するならば、Truth の参考文献のリストの中にFitzpatrickがあることと、Fitzpatrickの小説でクラウ・ソラスがヌアザの剣となっていることの併記は、私はあながち不可とは考えません。「匂わせ」となじられましたが、合成(WP:SYN)そのものではありませんし。
たとえば、書き方によっては、建部がつかった情報源が、ジョイスの『フィネガンス・ウェイク』(別に神話関連でもなんでもない本)であった可能性が、Fitzpatrickと同等くらいにある、と「匂わせ」ることだってミスリードの点では問題かと思います。
ただ Fitzpatrick の小説自体がマイナーなこと(絶版状態で図書館蔵書も少なく本人サイト以外にプレビューなども無いような状態)なことと、Truth in Fantasy への言及のウェイトをある程度大きく取るという同意がないと難しいかな、という感はあります。--Kiyoweap会話2016年4月25日 (月) 13:40 (UTC)[返信]
私達の間で意見がどの点で一致しているかについて先に確認するべきでした。
  • 『来寇の書』のような中世の写本の内容では「クラウ・ソラス」という名について触れられていないこと
  • どういう訳か、いつの間にかヌアザの剣が「クラウ・ソラス」と同一視されるようになったこと
  • それがおそらくはFitzpatrickの小説の影響で日本に広がったと推測できること
この3点については私とKiyoweapさんはおそらく意見を同じくしていると思います(より正確に言えばKiyoweapさんの記事に教わった面が多々あり、感謝しています)。しかし、「Fitzpatrickの小説の影響で日本に広がったと推測できること」については同意はするものの、やはり独自研究であると言わざるを得ません。「…その情報源によって直接的かつ明示的に支持されない観点を推し進めようとした場合には、あなたは独自研究を行っていることになります」(WP:OR#信頼できる資料)「情報源は記事にて執筆された内容を直接的に裏付けるものであり」(WP:SOURCES)とあり、出典内で直接的に示されている事が重要なのです。
繰り返しになりますが、私個人は「Fitzpatrickの小説の影響で日本に広がったと推測できること」その物については同意していますし、そこに辿り着いたKiyoweapさんの調査力には正直に言って感服しています。ただしwikipediaに載せるべき内容であるかどうか、という点については疑問を差し挟まざるを得ません。
私はこの箇所については常々独自研究であろうと思ってきたのですが、一種黙認の形を取ってきました。それは「ヌアザの剣をクラウ・ソラスと同一視する『日本特有の不正確な情報』は何らかの形で訂正されるべきだ」と考えていたからです。しかしアイルランドにおいてもヌアザの剣とクラウ・ソラスの同一視が行われているのであれば、つまり「日本特有の不正確な情報」ではないのなら話は別で、問題の箇所は(私にとって)記事の中で重要性を失い単なる独自研究になってしまいます。つまり先日の私の発言は「独自研究であるかどうか」を問題にしたわけではなく、「アイルランド内でヌアザの剣とクラウ・ソラスが同一視されているかどうか」を問題にしていました。
振り返ってみれば先日の私の書き込みからこうした意図がKiyoweapさんに伝わる、と考えていた私の側に問題がありました。まずはそこを謝罪させてください。
さて、個別の内容に移ります。
まず、機関紙『光の剣』についてですが、編集者の一人であったオアン・マクニールが著書においてこの二つの剣を同一視した発言をした、と先に述べた方に教えていただきました。その方に教えていただいた同一視に関する直接の情報としてはこれが最古の物となりますが、その方もご自身の仕事の傍ら手を割いて調べてくれたのでしょうから、これ以前にも同一視されている文献があってもおかしくはありません。タイトルについては教えて頂けなかったので、追って(私が)調査する必要があります。
『フィネガンズ・ウェイク』における用法についてはその方とは関係なく、教えていただいた後に私が自力で発見した情報になります(というと大袈裟ですが、関係ありそうな単語でgoogle検索しただけです)。
>建部がつかった情報源が、ジョイスの『フィネガンス・ウェイク』(別に神話関連でもなんでもない本)であった可能性が、Fitzpatrickと同等くらいにある、と「匂わせ」ることだってミスリードの点では問題かと思います。
繰り返しになりますが、私の書き方が悪かったです。失礼しました。私が『フィネガンズ・ウェイク』を持ちだしたのは、Fitzpatrick以前からアイルランドにおいて二つの剣の同一視が行われていたのではないか、ということを示す傍証の一つとしてです。『フィネガンス・ウェイク』が日本における二つの剣の同一視に繋がったとは私も全く考えていません。そもそも『フィネガンズ・ウェイク』においてクライヴ・ソリスは一度しか名前が登場しない、全く重要性のない登場人物ですしね。
また、これは余談になりますが、別に神話関連でもなんでもない本、というご意見について。これは確かに仰る通りなのですが、しかし当時のアイルランド文学は自国の神話や説話を題材とすることが大変流行していました(en:Irish Literary Revivalで説明されるべき内容なのですが、あまり良い記事とは言えませんね)。ジョイスからすれば学者による神話や説話を題材とした専門書は当時の流行もあり容易に入手できる環境であったはずですし、文壇においても最も重要な話題の一つであったと思います。またジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』の他にも『ダ・デルガの館の崩壊』をモチーフとした『死者たち』を書き上げています。『フィネガンズ・ウェイク』やその他のアイルランド文芸復興期の文学作品は、神話その物についての信頼できる情報源とはまったく見なせないが、当時のアイルランドにおける神話や説話の受容を示す材料として執筆者は気に留めておいたほうがよい程度には考えています。--雲霞会話2016年4月25日 (月) 16:29 (UTC)[返信]