ノート:キエフ大公国

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カテゴリについて[編集]

Alex Kさんへ

確かに、ウクライナにおいて「ウクライナとロシアは違うものであり、無関係だ」という考え方がある事は理解出来ます。しかしながら百科事典において、便宜が図られるべきは特定の考え方の持ち主ではありません。ロシア正教会はキエフルーシの988年の洗礼から始まったというのは通説的見解であり、だからこそ1988年には洗礼1000年祭が行われました。

勿論、繰り返しになりますが、ウクライナの少なく無い人々が「ロシアと我々は違う」と考えている事は理解出来ます。それはそれとして、「ロシアとキエフルーシの歴史が極めて大きな関わりを持っている」と考える人々が沢山居る事も事実なのです。

また、関連カテゴリに入っているからといって、ウクライナ正教会がロシア正教会の一部であるという事が意味されるものでは勿論御座いません。なぜカテゴリへのリンク「ロシア正教会」を「無関係だ」として削除されたのか、説明を求めたく思います。Kliment A.K. 2007年10月24日 (水) 17:47 (UTC)[返信]

この記事は国家についてのものであり、教会についての記事ではありません。この場合は「ウクライナとロシアは違う」といテーマと無関係です。「ロシア正教会」の縄張りをそれほど「ひろく」さだめる必要はありません。-- Alex K 2007年10月24日 (水) 17:54 (UTC)[返信]

どうして「カテゴリ」を「縄張り」とお考えになるのかが皆目見当がつきません。あくまで「調査に資する」為のものであって、まさか一百科事典の「幾つもあるカテゴライズ」の中の一つで「所有関係」を推測される方は絶無だと考えます。それから、「国家」と「宗教」が分かれていない時代もあったのですから、厳密に分けようとするのはナンセンスです。Kliment A.K. 2007年10月24日 (水) 17:57 (UTC)[返信]

たしかに、「国家」と「宗教」が分かれていない時代でした。しかし、当時は「ロシア正教会」というものは存在しておりません。また、この記事は今の時代に生きている人々が読むために作成されているので、当時の感覚で物事を説明するのは聊か無理があるとおもいます。日本という記事を日本正教会のカテゴリに入れてみてください。たぶん、反対する人は多くでてくると思います。なざなら、国家の記事は国家にカテゴライズされるのにたいし、教会の記事は教会にカテゴライズされるべきわけです。-- Alex K 2007年10月24日 (水) 18:13 (UTC)[返信]

>「ロシア正教会」というものは存在しておりません。

当該項目を書きましたのは私ですから、それは存じております。ですから記事中にも16世紀位の記述まで、「ロシア正教会」という言葉は一切、使っておりません。あくまで「関連するもの」としてのカテゴリを入れていったまでです。Kliment A.K. 2007年10月24日 (水) 18:17 (UTC)[返信]

Alex Kさんの仰る当時のことを現代の感覚で語るというのは、ウクライナのことを日本の感覚で語るようなものですねえ……。
それはそうとして、国家については宗教カテゴリーへのカテゴライズはやめておいた方が無難だということは私も思います。というのは、他のページを見ると、例えば日本には神道仏教もその他日本に存在するすべての宗教関係のカテゴリーは一切付与されていません。単純に他の「国」のページと比べてキエフ大公国だけ宗教カテゴライズされているとちょっとアンバランスかな、と。
もちろんロシア正教とキエフ・ルーシは関係のあることですから、カテゴライズ以外の方法で関連付けるやり方を考えたらどうでしょう。--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 18:19 (UTC)[返信]

だって、関連してないといってますよ。キエフ大公国は16世紀のずっと前に滅んだわけです。時代が違います。教会が違います。国家が違います。かってな「関連性」を創らないでいただきたいです。-- Alex K 2007年10月24日 (水) 18:24 (UTC)[返信]

ПРУСАКИНさん

別に私はロシア贔屓でもウクライナ贔屓でも何でもありません。知人にも「親ロシアのウクライナ人」「ロシア大嫌いのウクライナ人」の両方が居ますからその事情は若干は存じているつもりです。ただ「百科事典の便を良くする為」に「通説・反対説を併記」し、「カテゴリをつくる」だけです。

キエフ大公国については、むしろ「ロシア正教会研究者の便宜を図って」カテゴリからキエフルーシの秀逸な記事に来る方が多くなるように設定させて頂いたのですが、当該ページに主に関わっていらした方々が外しても良しとされるのでしたら、こちらに関しては私はカテゴリに関して残念ながら今回の主張を取り下げます。

Alex Kさん

国家史に教会史を置き換えないで頂けませんか。正教会にあっては「人の繋がり」が「歴史」です。領土の位置ではありません。そこにヒエラルキーの連続性があれば、「関係がある」のです。Kliment A.K. 2007年10月24日 (水) 18:30 (UTC)[返信]

Alex Kさん
いや、ロシア正教会が自己のアイデンティティーをルーシ時代に求めているので「関連していない」と断言するのは個人の意見の範疇を出ないでしょう。ウクライナだってルーシにルーツを求めているでしょう? 20世紀末にウクライナという国家が成立する以前にキエフ・ルーシは滅んでいるわけです。時代も政府も民族も国境も違いますが、しかし私は現代のウクライナはキエフルーシの子孫だと思います。同様に、ロシア正教会がルーシにルーツを求めたとしても否定することはできませんよう(個人的にそれはうそだと考えるのはもちろん自由ですが)。--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 18:48(履歴付加--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 19:35 (UTC)[返信]
Kliment A.K.さん
ロシア正教会が自己のアイデンティティーをルーシ時代に求めているかもしれませんが、ルーシという国家ではなく、ルーシ教会(キエフ大司教区)に求めているのです。あなたの論の筋道が外れています。このルーシ国家についての記事をロシア正教会にカテゴライズする必要性はまったくないです-- Alex K 2007年10月24日 (水) 19:29 (UTC)[返信]
私も、他のウクライナ人もルーシの子孫だと思っておりません。ルーシという国家もウクライナの国家だと思っておりません。ただ、日本で言われるような古代ロシアでもないです。-- Alex K 2007年10月24日 (水) 18:52 (UTC)[返信]

Alex Kさん

履歴をよく御覧になって頂きたいのですが、ご指摘の部分は、私の記述ではありません^^;ПРУСАКИНさんの書かれた内容です。Kliment A.K. 2007年10月24日 (水) 19:00 (UTC)[返信]
Kliment A.K.さん
取敢えず、こちらは「他の国家のページに宗教カテゴライズがなされていない」を理由に「ロシア正教会にカテゴライズしない」でだめでしょうか? ご好意はよくわかりますが、今回は単純に「他のページでそうだから」を理由に問題解決を図れるとすれば、安直ですが安全です。--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 18:33 (UTC)[返信]

ПРУСАКИНさん

私としましては、「ルーシ」の名称について考えさせられるのは、ウクライナとの歴史的連続性の曖昧さに気付かされるカテゴライズなのであり、「ロシア正教会」から「ルーシ」の項目に導くというのは、現在のウクライナの独自性を主張する人にこそ有利なカテゴライズなのだと思ったのですが。正直今回の件、聖ソフィア大聖堂について「カテゴリは所有関係を表す」と書かれてしまった事と合わせ、正直驚いています…
いずれにしましても、カテゴライズ要求を取り下げる事については了解です。聖ソフィア大聖堂についても、「東方正教会」のカテゴライズが存続するのであれば妥協します。Kliment A.K. 2007年10月24日 (水) 18:42 (UTC)[返信]
私は(地域名として捉えるならば)ルーシにCategory:ロシア正教会を加えるのは妥当なのではないかと思います。ただ、あのページは曖昧さ回避なのか単語説明なのか地名なのか今ひとつよくわかんないんですが。
国家についてはご了解の通り大事をとってやめておきましょう。確かに関連はありますし便利は便利なのですが、同様のご好意を持った方が日本を神道にカテゴライズする可能性があり、多分それは何らかの編集合戦を生むだけになると思いますので、やはり「問題を生む可能性の高いカテゴライズ」は避けて通った方が無難かと。まあ、極論すると、当時キエフ大公国に存在したすべての宗教をカテゴライズしないと「中立性」に反することになるわけですし。
聖ソフィア大聖堂は妥協する必要はないと思いますが、どうでしょう。--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 18:48 (UTC)[返信]

ПРУСАКИНさん

ルーシ、及びキエフ大公国についてはその極論面の御指摘も含めて了解です。
「聖ソフィア大聖堂」については、当該ページに移ります。ちょっと考えてみます。Kliment A.K. 2007年10月24日 (水) 18:51 (UTC)[返信]
あ、書名忘れていたんですねえ。気付かずたいへん失礼しました(^_^;;(返事を書いてもまだ気付いていなかった……。)
まあ、いちおう自分のコメントに対する単なる補足なので書いておきますが、私が言いたかったのはつまりウクライナ人がルーシの歴史を大事にするのは、そこに自分たちのアイデンティティーを求めているからだということです。アイデンティティーの源を「父祖」に見立て、ルーシに「父祖」を求めているウクライナ人を「子孫」と表現したのです。
もしウクライナ人が自分たちとキエフ大公国がまったく無関係だと思っているのであればこの発言は間違えになりますので、撤回させて下さい。--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 19:07 (UTC)[返信]

Alex Kさん

誰の発言だか混乱が生じています。まずはっきりさせておきたいのですが
>::いや、ロシア正教会が自己のアイデンティティーをルーシ時代に求めているので「関連していない」と断言するのは(中略)(個人的にそれはうそだと考えるのはもちろん自由ですが)。
の発言は、私のものではありません。ПРУСАКИНさんの御発言です。履歴をご確認下さい。Kliment A.K. 2007年10月24日 (水) 19:36 (UTC)[返信]
確か以前7月26日辺りにAlex Kさんはルーシは「之は曖昧さ回避のためのページです。」と仰っていましたが、今では「このルーシ国家についての記事」になったんですか?--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 19:39 (UTC)[返信]
それはそれでページの目的がはっきりしていいんですが、結局あのページはなんなんでしょう?確かに曖昧さ回避にしては充実しているし、結局私もよくわかりません。--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 19:42 (UTC)[返信]

ルーシ国家はキエフ大公国のことです。ルーシは曖昧さ回避のためのページで、ルーシという単語が入っていない記事はないはずです。これで失礼します-- Alex K 2007年10月24日 (水) 19:44 (UTC)[返信]

あ、わかりました(^_^;; 私がリンクつきでルーシと書いていたのは曖昧さ回避のページ方でキエフ大公国(ルーシ)の方のことではなかったんですよ。従ってAlex Kさんとその点のお話は食い違ってなかったようですね。私は「ロシア正教会」から「ルーシ」の項目に導くという話を文字通りロシア正教会からルーシ(曖昧さ回避)へ導くという意味かと思い、キエフ大公国(ルーシ)と曖昧さ回避ルーシをごっちゃにして話を勘違いしたようです。失礼しました。--ПРУСАКИН 2007年10月24日 (水) 19:48 (UTC)[返信]

国章の画像について[編集]

国章の画像について、File:Yarthewise.pngからFile:Alex K Kievan Rus..svgに変えられた方がいらっしゃいます。File:Alex K Kievan Rus..svgには黄色と青色の着色がなされておりますが、File:Yarthewise.pngは無着色(デザインは当時のコインのデザインのまま)でより中立性が高いと思いFile:Yarthewise.pngに差し戻しさせていただきました。もし再度File:Alex K Kievan Rus..svgに変更されたい方がいらっしゃいましたら、ウィキペディア日本語版の方針に照らしその理由と根拠を明示していただくようお願いします。--ぽん吉 2011年4月13日 (水) 07:49 (UTC)[返信]

File:Alex K Kievan Rus..svg が適切であるか、また着色の色の選択が妥当であるか(どのような史料に基づく選択か)についてはコメント致しかねますが(単純に、知識がありません)、「国章」として File:Yarthewise.png は妥当なのでしょうか?これ、国章と言うよりは単純に「ヤロスラフ賢公の紋章」ではないかと思うのですが。なお、 File:Alex K Kievan Rus..svg はヴォロディーメル1世の紋章のように見えます(詳細未検証)。
ロシア語版にほかの紋章がアップロードされていますし(ru:Файл:Знаки рюриковичей.jpg)、コモンズにも File:Ruriks crests1.png がありますが、数ある大公の紋章の中で一人の大公のものを特に「国章」として選択するのはなぜでしょうか?
もしくは、ロシア語版のようにあえて「国章」を掲載しない、というのは誤った選択でしょうか?(今日的意味での国章が制定されていたかどうかはともかく、当代の大公の個人的紋章を事実上の「国章」的扱いで用いられていたとは思いますが、大公がたくさんいるのでどれかだけを選出すると NPOV が)。--PRUSAKiN 2011年4月13日 (水) 10:14 (UTC)[返信]
こんにちは。コメントありがとうございます。まず、2点ほど整理します。
続きまして、PRUSAKiNさんのご質問「「国章」として File:Yarthewise.png は妥当なのでしょうか?」につきまして、私はFile:Alex K Kievan Rus..svgを掲載するのであればFile:Yarthewise.pngを掲載した方がより妥当と考えます。「数ある大公の紋章の中で~」とのことですが、他に適切な画像・代案があればもちろん検討します。「あえて「国章」を掲載しない」も、選択肢のひとつですね。ただこれまで議論なくFile:Alex K Kievan Rus..svgが掲載され続けてきたようですので、「掲載しない」に賛成の方がいらっしゃるのかな?とおもいます。PRUSAKiNさんは「国章」掲載した方がよいと思いますか?File:Alex K Kievan Rus..svgのままの方がよいですか?
ちょっと補足しますと、英語版のページのテンプレートにはFile:Yarthewise.pngがcoat of arms(紋章)として掲載されてます。(ご参考まで、向こうでも過去議論があったようです。)
なお、File:Alex K Kievan Rus..svg2007年8月にAlex Kさんによって記載されており、PRUSAKiNさんもその当時から編集にかかわっていらっしゃいますのでご存知と思いますが、「数ある大公の紋章の中で一人の大公のものを特に「国章」として選択するのはなぜでしょうか?」という質問はAlex Kさんにもされてますか?履歴で見つかりませんでしたので、もし過去にそうした議論があったのであればご教示ください。(補足:無ければいいです。該当部分の私のコメントは無視して下さい。「国章」にどんな画像がいいか、あるいはいらないかだけご意見いただけるとありがたいです。)--ぽん吉 2011年4月14日 (木) 02:05 (UTC)(補足)--ぽん吉 2011年4月15日 (金) 06:37 (UTC)(修正。敬称抜けてました。大変失礼いたしました。)--ぽん吉 2011年4月18日 (月) 09:30 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。
File:Alex K Kievan Rus..svgについて - 画像の原典の項には…… そうでした。見落としました。
その英語版の議論は、優れて感情的な、非科学的なトーンを伴っているためたいへん「判読」しづらいのですが、批判的な装飾が多く、相対的に内容は少ないように見えます。
私の関心(重視する点)はふたつあります。ひとつは、「なぜ数ある大公からその人が選ばれるのか」、もうひとつは「色合いは何を論拠に決定されているのか」です。
後者については、英語版の議論で Alex Kov 氏が「別の色に変えてもよろしい」と提案しているように、何か史料に基づく絶対的な必要があってその色になっているわけではないようです。前者については、その会話ページをざっと見た限りは選択根拠を見つけられておりませんが、見落としているかもしれないので書かれていれば具体的箇所を引用するか、箇所がわかる形で教えて下さい。
問題の本質が見落とされがちですが、それはファイルがウクライナっぽい色で作成されていることではありません。仮に、ウクライナ的でもベラルーシ的でもロシア的でもない色、例えば「紫とピンク」とかいう選択がされていれば、問題がないのでしょうか?ありますね。なんでその色なのでしょう。重要なのは、なぜその色を選択するのかという史料的出典の問題です。その点が明示されなければ、どんな色を選択しても「作者による恣意的な選択」の域を出ないでしょう。
「数ある大公の紋章の中で一人の大公のものを特に「国章」として選択するのはなぜでしょうか?」という質問はAlex Kさんにもされてますか? につきましては、今こうしてここで質問しています(ただし、彼が活動していません)。なんで2007年8月にしなかったの?と問われれば、「そのとき問題に気付かなかった」か「気にしなかった」かだろう(正直、記憶にない)としかお答えできません。単純に「今気付いたから今質問してる」だけです。
当時仮にそうだとして、なぜそうだったのかを推測しますと(覚えてないので推測しますが)、それはひとえにファイル名の問題だと思います。 File:Alex K Kievan Rus..svg はファイル名に「Kievan Rus」と入っており、パッと見「キエフ・ルーシの紋章」であるかのようなファイル名になっています。なので、紋章の知識がなく、専門的に興味もない私が容易にそのファイル名に(いわば)騙されて、何も疑いを抱かなかったというのは推測に難くありません。逆に今回問題に気付いたのは、変更後のファイル名が「ヤロスラフ賢公」を意味する File:Yarthewise.png であったためです。
さて、私は上記二点の疑問点が解決されない限り、ロシア語版のページのように紋章を掲載しないという選択がベターだと考えています。色は出典次第ですが、少なくとも大公の恣意的な選出の点で POV を犯してますから。(あるいは注釈等の何らかの工夫をして、掲載する紋章が一大公の紋章を代表的に取り上げているに過ぎないということをわかるようにすればよいかもしれませんが、それでも、厳密には一大公を取り上げる時点で POV を回避できません。)
ただ、キエフ・ルーシが一貫して三叉の矛を紋章としていたことは間違いないようなので、三叉の矛の大公の紋章を外すことにより、その点が曖昧化してしまうのは残念な気がしています。
あるいは、歴代の紋章を見られる File:Ruriks crests1.png か類似のファイルを掲載するのも選択肢かもしれません。
そもそも、当時の「国章」についての出典が(日本語版には)明示されておりませんので、そこから話を始めなければならないと思うんですが、ちょっと荷が重いです。--PRUSAKiN 2011年4月16日 (土) 14:55 (UTC)[返信]
こんばんは。ご意見と過去の経緯のご説明、ありがとうございます。
  • なぜ数ある大公からその人が選ばれるのかについての英語版の議論 - 私の見た限り、こちらのAnswer to Irpen, Alex Kov 13:50, 26 August 2007 (UTC)にてAlex Kov氏がIrpen氏への回答として、(ざっと翻訳すると)「色がお気に召さないようですので変えました。(説明文も)COA(国章)ではなくヤロスラフの三叉の矛としております。三叉の矛はリューリク朝のシンボルでした。」といった趣旨のご説明がなされてますね。これに対するIrpen氏他からの反論も特に無いようで、英語版の履歴をみるとだいたいこのころ(2007年8月ころ)からFile:Yarthewise.pngをテンプレートに掲載していたようです。また、説明文もいつのまにかcoat of armsと変わったようですが、最新版ではa coin struck by Yaroslav the Wise(ヤロスラフ賢公の下で鋳造されたコイン)となってました。
  • なぜ数ある大公からその人が選ばれるのか」 - PRUSAKiNさんのおっしゃるように、ヤロスラフのものを「国章」として私が恣意的にテンプレートに掲載するのは、ウィキペディアの方針に照らして誤った編集でした。すみません。前のコメントでも触れました通りFile:Alex K Kievan Rus..svgよりもFile:Yarthewise.pngの方がよいと安易に考えておりました。「三叉の矛の紋章」はシンボルマークとして外したくないと思ってましたが、POVに抵触するのであれば仕方ないですね。なお当該部分は前日コメントアウトして表示されない形となるよう編集しましたことご報告します。
  • 色合いは何を論拠に決定されているのか」 - File:Alex K Kievan Rus..svgFile:Yarthewise.pngもコイン(銀貨?)の意匠ですので、そもそもは着いてないと考えます。出典が明示されない以上はWikipedia:独自研究は載せないに反するものと考えます。なお、File:Ruriks crests1.pngも青と黄色で着色されてます。出典も明確ではないようですので、これを掲載するのは同じ理由から独自研究にあたり、適当ではないと考えます。--ぽん吉 2011年4月18日 (月) 10:47 (UTC)[返信]
順にお答えします。
  • ウラジーミルにせよヤロスラフにせよどちらでもいいのですが、つまり、なぜその人を選ぶのかの論拠が何も示されていません。またほかのユーザーもその点について気にしていないように、彼ら(英語版の反対者たち)はウクライナっぽく見える色を排除することを目標としており、根本的に色彩の史料の問題だとか、大公の選出の問題とか、総体的な紋章の問題とかについて、見識を持って問題提起しているのではありません。
  • コメントアウトについては確認しております。問題は最終的にどうするかですが、ご指摘の英語版のように「ヤロスラフの紋章ですよ」と書けば問題解決になるのか、それでもやはり POV 問題を根本的に解決するわけではなくダメなのか、という点でしょうか。
  • File:Ruriks crests1.png の色も疑問は持てますが、 File:Alex K Kievan Rus..svg と異なり、明らかに装飾的に「背景」の色が青になっておりますから、 File:Alex K Kievan Rus..svg ほどには問題がないと思います(あくまでファイルの「背景」がデザインとして青なのだと解釈しないと、紋章のあいだに区切りがありませんので、全部の紋章が切れ目なく繋がってしまいますよ)。 File:Alex K Kievan Rus..svg の方は、断定的にああいう色彩であったかのように見える点が問題です。そう断定するのであれば出典が必要ですが、装飾的色彩については問題が別でしょう(史料的出典の問題ではなく、装飾の要不要の問題、純粋に選色の問題。まあはっきり言って、装飾はない方が望ましいかもしれませんが)。
ウィキペディアで提示されている史料はコインなので色がないのは当たり前ですが、しかしそのことが当時オリジナルの紋章が無彩色であったということを意味することはありません。オリジナルの紋章に何らかの彩色があったものと考えるのは自然ですし(いや、彩色としてあえて白黒が選ばれている可能性はありますが)、コインはその性格上彩色が省略されているだけと考えるべきでしょう(そもそも、コインは『凹凸』であって白黒ですらない)。(コインはオリジナルの紋章をなぞっているのであり、コインが紋章のオリジナルであるはずはありません。)
従って私は当時のオリジナルの紋章の彩色を知りたいわけですが、やはりわかっていないんでしょうか。--PRUSAKiN 2011年4月18日 (月) 12:36 (UTC)[返信]
こんばんは。オリジナルの紋章ですか、、、ふつう「紋章」は装飾品、衣類、旗、盾また建築物の飾り、手紙、年代記、絵画などに残り今日に伝わるものですが、キエフ・ルーシの大公の紋章はコインと一部教会の壁などにしか残っておらず、着色されたもの(「オリジナルの紋章」)は残っていない(あるいはまだ見つかってない)と理解してました。もちろん私が知らないだけかもしれませんが、現状はコインに残された意匠ぐらいしか紋章を知る手掛かりはないのではと考えます。--ぽん吉 2011年4月19日 (火) 10:05 (UTC)[返信]
前回少し不正確な書き方をしてしまいましたが、コインなどのレリーフは物理的な凹凸で表現しているため原則として彩色がありません(特に着色されている場合を除く)。彩色というものは、日本の一部の家紋に見られるように白地に黒で紋章を描く場合があります。前回、その見方と、もうひとつ「白黒なら彩色がないとみなす」考え方を混同気味に書いてしまいました。白黒でファイルを作成しても、じゃあ白黒で彩色されていたとする出典は?という話になりますので、ほかの色で着色した場合と同じ話になります。
白黒といえば、 File:VladimirsTrident.svg もありますので参考まで。
私も「オリジナルの紋章」は残っていないと解釈しています(従って、どういう着色でファイルを作成すればよいのかは問題ですね)。 一部教会の壁など に残っているとのことですが、その写真がネット上で見られればリンクを教えて下さい。
本題に戻りますと、今回の措置については以下の疑問点を解決しないと先に進めません。
  1. 大公の個人的紋章は、ここで提示することが想定されている「国章」に該当するのか。
  2. 各大公で紋章が異なるが、どれかひとつ選ぶのは選出の時点で POV (選択の恣意性)が生じている。
    1. この POV は、ウィキペディアにおける POV として問題視すべきか、許容範囲に収まるか。収まるとしたら、それはどのような論理で許容される(正当化される) POV なのか。
    2. コインの画像の下に「ヤロスラフ賢公の下で鋳造されたコイン」などと記載するように(ほかの大公のファイルを選択しても同じ)、「国章でなく個人の紋章」と書けば問題が解決されるのか。
  3. File:Ruriks crests1.png または File:Volodymer crest.png は、「黄・青」のイメージが出ており Ukrainian POV に当たる可能性があるのか。
1. と 2. はともなく、 3. について申しますと、「黄」は実はそれほど「黄」に見えないのではないかと思います。ブラウザやモニターによるかもしれませんが、私のモニターではウクライナ系の黄色と全然別の、多分金色を表す黄土色っぽい色が使われているように見えます。黄色だと思ってみれば黄色に見えるのかもしれませんが、それは、「先入観をもって見ればそのように見える」という類の話です。
また、注意してみてもらいたいのですが、それらのファイルでは File:Alex K Kievan Rus..svg などのように紋章そのものの色が「黄・青」になっているわけではなく、あくまでファイルの背景が青になっております。背景は無色透明でよかったんじゃないかと思いますが、それは単純にファイルデザインの問題であり、別に青でも赤でも黒でも同じことです。(なお、この話は「だからこれらのファイルを掲載すべきだ」という主張とは別の話です。このファイルがこのページ以外でも試用される可能性があるためのコメントです。)--PRUSAKiN 2011年4月20日 (水) 04:16 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。「白黒で彩色されていたとする出典」の件ですが、確かに、仮に私が白黒で新たなファイルを作成したらその着色の根拠を求められてしかるべきでしょうね。逆にいうと、コインの白黒画像は、コインには着色がないという前提のもと、凹凸を白黒に変換したものであり、デザインもそのままですから中立性が高いと思います。
一部教会の壁などについては、実は記憶がおぼろげでしてen:Church of the Tithesのレンガか何かに三叉の矛が描かれていたというのが頭にあって書いたものです。ネット上でみれるかどうかは分かりません。(あやふやですみません。)
次に、ПРУСАКИНさんの示された疑問点につきまして、私の考えを太字で書きます。
  1. 大公の個人的紋章は、ここで提示することが想定されている「国章」に該当するのか。- 該当しないと思います。
  2. 各大公で紋章が異なるが、どれかひとつ選ぶのは選出の時点で POV (選択の恣意性)が生じている。
    1. この POV は、ウィキペディアにおける POV として問題視すべきか、許容範囲に収まるか。収まるとしたら、それはどのような論理で許容される(正当化される) POV なのか。- 大公を選んだ時点で一定の観点に立つことになり、さらにその大公の紋章を国章として紹介した場合は、中立的な観点ではなくなるでしょう。
    2. コインの画像の下に「ヤロスラフ賢公の下で鋳造されたコイン」などと記載するように(ほかの大公のファイルを選択しても同じ)、「国章でなく個人の紋章」と書けば問題が解決されるのか。- 「国章」ではないことを明記し、また本文中でも記述を補えれば、テンプレートに記載してもかまわないと思います。
  3. File:Ruriks crests1.png または File:Volodymer crest.png は、「黄・青」のイメージが出ており Ukrainian POV に当たる可能性があるのか。- ウクライナPOVに当たると考えます。また、前にも述べたかもしれませんが、独自研究検証可能性の点でも疑問があります。
まとめますと、「国章として一大公の紋章を紹介するのは不適切だが、大公個人の紋章として説明をつければテンプレートに記載してもよい。」といったところでしょうか。もちろん他の方(といっても今のところПРУСАКИНさんだけですが,,,)と合意が形成された上でのことです。ただし、前にも申し上げたかと思いますが、どうしてもテンプレートにヤロスラフの紋章を記載したいわけではありません。現状のまま、記載しなくても結構です。--ぽん吉 2011年4月20日 (水) 07:27 (UTC)[返信]
以下、順に書きます。
コインの白黒画像は、(中略)、デザインもそのままですから中立性が高いと思います。: そうですね。
レンガか何かに三叉の矛が描かれていた: それだと、色まではわからなそうですね。
  1. 該当しないのであれば掲載すべきでないと思いますが、私が考えているのは次のような点です。(なお、「ここで提示することが想定されている」というのは、学術的にどうかとか、国際政治的にどうかといった問題はともなく、ウィキペディアにおいて、という意味です。)
    1. 日本をご覧いただきますと書かれておりますように、「国章に準じる紋章」などといった解釈が成り立つか。
    2. そもそもこのような古代・中世の国家において、今日考えるような「国章」の概念が成立していたのかどうか。成立していない場合、ではこのテンプレートは一体何を記載することを想定しているのか。
      1. つまり、大公が「個人的に」統治しているのだから、大公の個人的紋章が「国章」扱いされていた、と解釈できるかどうか。とりわけルーシは大公や公が「個人的に」国家を所有していたわけですから、大公個人と国家を切り離して考えるべきではないのではないか、と思われます(例: 中世の日本で、天皇=国家)が、しかし当時そもそも「国家が紋章を持つ」という考えすらなくて、「これは大公の紋章だ」、すんでいたのかもしれません。つまり、例えば戦で紋章の描かれた旗を掲げる場合、別にキエフ大公の旗として掲げるわけではなく(そういう発想すらなく)、キエフ大公個人の所有する軍隊だから大公個人の旗を掲げるのは当然、なんて思ってやしないか(多分、思ってる)。
      2. 一方、例えば、(ルーシに限らず)○○族の紋章とか、○○王家の紋章とか、貴族の誰それの紋章だとかが、その人物らが統治する領域(国家等)の紋章(国章等)と同一視できるのか、という問題。
  2. POV について。
    1. わかりました。
    2. 「国章」ではないことを明記してまで、その、国章でない何らかの図像をその欄に掲載している例はほかにあるのでしょうか?
  3. 私にはまったく黄色に見えませんのでウクライナ POV には当たらないと考えていますが、黄色であるならば POV であると思います。いずれにせよ、背景の青は余計な装飾だと思いますが。また、これは純粋にデザイン上の問題ですので(あ、それが余計な装飾だと思うんですが)、独自研究とか検証可能性とかの問題は余り関係がないと思います(それが関係するのは、紋章そのものを青と黄に着色した File:Alex K Kievan Rus..svg その他の例です)。
どうしてもテンプレートにヤロスラフの紋章を記載したいわけではありません: それはわかります、大丈夫です(^^;。歴史的遺物の実物(この場合コイン)にしようと思ったら、それがたまたまヤロスラフのだった、というだけだと解釈しています。
最も大事なのは 1. の点で、この点につき、もしいかなる解釈をしても国章といえないのであれば、国章の欄には何も記載すべきでないと思います。
しかし、少なくとも日本語の文献では、私はキエフ・ルーシの「国章」について何も見たことがないので、よくわかんないのですが。私がごちゃごちゃ題目を並べて、なんだか話が袋小路に入ってきてしまいましたね。--PRUSAKiN 2011年4月20日 (水) 08:16 (UTC)[返信]
こんにちは。こちらこそ、もともと私がFile:Yarthewise.pngを貼り付けて始まった話ですので何だか申し訳なく思います。
まず、2-2の「ほかの例」ですが、3つほど挙げてみます。
  1. マケドニア王国。国章の欄には「(ヴェルギナの太陽)」としてFile:Vergiasun.svgが貼付されてます。ヴェルギナの太陽とは、英語版ページ(en:Vergina Sun)を見ると1977年にヴェルギナで発掘されたマケドニア王ピリッポス2世と推定される墓から出土した納骨器に装飾されていたものだそうで、同時期の壺や石柱に描かれた兵士の肩にも似たような紋章(印)が認められるようです。ただ墓自体ピリッポス2世の墓かどうか議論があるようです。
  2. 西ローマ帝国のページではラバルム(ローマ帝国正規軍の紋章のひとつ)がテンプレートの国章の欄に記載されてます。(なおマケドニア王国も西ローマ帝国も英語版では国章の欄は空欄でした。)
  3. 東ローマ帝国の国章の欄にある双頭の鷲File:Palaiologos-Dynasty-Eagle.svgは東ローマ帝国最後の王朝(1261年 - 1453年)であるパレオロゴス王朝のものだそうです。(1-2-2の○○王家の紋章に当たりますかね?)説明書きの部分には(国章)としか書いてません。これも、ご参考まで、英語版では「パレオロゴス王朝の紋章」と書いています。
要するに、妥当かどうかは別として、ウィキペディアでは執筆者間で反対意見なく合意が形成されればこの例にあるような範囲の紋章をテンプレートの国章の欄に記載することは可能なのでしょう。
なお、ほかの古代・中世の国をざっと見た限りでは、国章・国旗などは記載されてないケースが多いようでした。
とりあえず、例(ご期待されたものとズレていたらすみません)挙げてみました。なお1-2-1について、そもそもこのような古代・中世の国家において、今日考えるような「国章」の概念が成立していたのかどうか。 - 当時そもそも「国家が紋章を持つ」という考えすらなく、、、のご意見に同意します。--ぽん吉 2011年4月21日 (木) 02:12 (UTC)[返信]
例について: たしかにそのような例がいくつかあるのはわかりました(同様に、何も記載がないページが多数あるのもわかります)。そこから導き出される解答は、(少なくとも日本語版)ウィキペディアではその部分をあまり深く考えずにやっている、ということでしょう。
従って、今回もそこまで深刻に考える必要がそもそもなかったのだというのが、結局のところ結論らしい結論なのかもしれません。だとすれば、今回このページについても、(上記提案されたような補足をした上で)ファイルを掲載するのは、実際掲載があるページが存在することを考えれば、現時点では実質的に問題はないと考えてよいでしょう。逆に、多くのページで記載がないのだから、このページでもことさら記載する必要もない、と考えてもよいでしょう。
つまり、「国章」の意味を厳密に考えるのなら掲載すべきでないが、実際掲載されているページが複数存在する以上このページに限って掲載してはならないことはないし、どちらにしてもメリットとデメリットはあろう、という解釈です。
いずれの場合も、将来問題が顕在化してきたら、そのときにはきっとこちらもまとめて処理されることになると思います。真面目に考えた結果(←これは本当です)、無責任なような結論ですが、現時点ではどちらでもよいと思います。どうしましょうか?--PRUSAKiN 2011年4月24日 (日) 05:45 (UTC)[返信]
了解しました。なお本件はRutheniaさんの編集を私が差し戻したのが発端のようですので、ご意見も伺いたいと思い、会話ページにご案内してきました。GW明けぐらいまで待って見たいと思います。特にご意見ないようであれば、国章欄には何も記載しない方向で行きたいと思います。ヤロスラフの紋章などは本文に加筆する形で示したいと思います。--ぽん吉 2011年4月26日 (火) 03:58 (UTC)[返信]
わかりました。お願いします。--PRUSAKiN 2011年4月29日 (金) 07:37 (UTC)[返信]
報告Rutheniaさんからは特にご返答なかったので、ウラジーミル聖公とヤロスラフ賢公の節にとりあえず加筆しました。--ぽん吉 2011年5月17日 (火) 07:59 (UTC)[返信]
ありがとうございました。確認しました。--PRUSAKiN 2011年5月18日 (水) 05:35 (UTC)[返信]

「社会」の説の「要出典」について[編集]

文献による根拠はないのですが、住人隊長(десяцький)は、десяの部分が10という意味なのと、文脈的にみて、十人隊長の誤字とみて修正しました。また、この節の中のキリル文字表記は(дружинаなど、ロシア語と同じつづりのものもあるようですが)ウクライナ語だと思います。よって、『ウクライナ語-日本語辞典』とか、「ウクライナで出版されたキエフ大公国に関する文献の日本語訳本」みたいなのがないと永遠に要出典タグが取れないと思うのですが、削除されることになるのでしょうか。--ノフノフ会話2013年7月11日 (木) 00:14 (UTC)[返信]

(遅まきながら)ガイドライン「Wikipedia:出典を明記する#出典なき記載の扱い」に「十分な期間を経ても出典が見つからない記述は除去してください」とありますので、現状では当該部分を削除してもしょうがないかなと思います。またこの節では、例えば日本語で書かれた本で通常「従士団」や「親衛隊」などと訳される дружина を「友隊」とするなど、訳語・言葉の選び方に独自研究が疑われます。なお上のご指摘に近いものとして山川出版 『ロシア史〈1〉9~17世紀 (世界歴史大系)』p.86 には、「千人長(トゥイシャツキー)」との表記もありますので、これに倣えば「十人長」の表記がより自然ではないかと思います。他の本でもキエフ・ルーシの社会について日本語で触れたものがありますので、現在のように箇条書き+微妙な訳語で書かれた「社会」節は、ちゃんとした日本語での文献等を用いて書きなおされるのが理想とは思います。--ぽん吉会話2013年7月26日 (金) 05:35 (UTC)[返信]
そうですか…。訳はともかく、これらの役職があったことはきっと事実(そして日本では資料が手に入らない・入りにくい)だと思うので、個人的には惜しいのですが、削除されても仕方ないですね…。コメントありがとうございました。--ノフノフ会話2013年7月27日 (土) 23:28 (UTC)[返信]