ノート:オソン1世

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名前について[編集]

この項目はオソン1世となっていますが、どのような資料に基いてオソン1世としたのでしょうか?以下、私の所有する、もしくは参考できる文献では以下のようになっています。

オトン1世とする資料

  • リチャード・クロッグ著・高久暁訳『ギリシャの歴史』創土社、2004年。ISBN 4-789-30021-8 
  • ニコス・スボロノス著、西村六郎訳『近代ギリシア史』白水社、1988年。ISBN 4-560-05691-9 
  • C.M.ウッドハウス著、西村六郎訳『近代ギリシァ史』みすず書房、1997年。ISBN 4-622-03374-7 
  • 桜井万里子編『ギリシア史』山川出版社、2005年。ISBN 4-634-41470-8 
  • ジョルジュ・カステラン著 山口俊章訳『バルカン歴史と現在』サイマル出版社、1994年。ISBN 4-377-11015-2 

オソン1世とする資料

  • C&B・ジェラヴィチ著、野原美代子訳、木戸蓊監修『バルカン史』恒文社、1982年。ISBN 4-7704-0463-8 

オットーとする資料

資料的にはオトン1世が多いのですが、ギリシャ語の「Όθων」の「θ」は現代ギリシャ語では「シータ」ですが、古典ギリシャ語では「テータ」と呼ばれていたことからギリシャ語的にはどちらも間違いとは言い切れない部分が多々、あります。ただ、日本語文献を重視したいという気持ちもあることから「オトン1世」への改名を考えたいという気持ちもあります。ただ、焦る必要もないと思うので、この項目に興味をお持ちの方が居られましたらご意見を戴きたいと思います。また、資料をお持ちの方が居られましたら、是非、ご紹介いただければと思います。--Hideokun 2010年1月21日 (木) 15:47 (UTC)[返信]

カテゴリについて[編集]

可変IPさんはカテゴリ編集されたいようですが、ヴィッテルスバッハ家というカテゴリをどう活用されるつもりなのでしょうか?そのカテゴリの元記事となるところにギリシャ王家について記載されているわけで、ヴィッテルスバッハ家というカテゴリを外す必要はないと思います。色んなギリシャの歴史に関する資料にもヴィッテルスバッハ家と記載されているのですから、ヴィッテルスバッハ家というカテゴリを外さずに追加されるならまだしもということです。--Hideokun 2011年4月10日 (日) 03:14 (UTC)[返信]

Category:ヴィッテルスバッハ家の下位構造が大きく変更されていることを認識されていないのでしょうか? よくご確認下さい。それと、十把一絡げで差し戻されるような編集は、誰一人としてしていません。差し戻しの乱用はお止め下さい。--119.241.231.90 2011年4月10日 (日) 09:33 (UTC)[返信]
下位構造を変更されたのはどなたですか?まさか、貴殿が一人が変更したのを言ってるだけじゃないですよね?ドイツ関係はどうもカテゴリをいじられる可変IPさんがおられるのでいつも困ってるんですよね。それとその構造を変化させたのはWikipediaの総意ですか?わたしには貴殿が自分の好きなように構造を変更させているようにしかみえません。カテゴリを変更したければヴィッテルスバッハ家がふさわしくないという出典を示してください。追加ならば別に文句もいいませんが。
それと出典無きものは削除されても仕方がないというWikipediaのルールはご存知ですよね?十把一絡げで差し戻されても文句は言えませんよ。ギリシャ関連は私が出典付で手を入れています。そこへ出典の無い記述をされると困ります。キチンと出典を貼りつけていただければ削除いたしません。--Hideokun 2011年4月10日 (日) 21:46 (UTC)[返信]
下位構造の変更に何人が関わっているのかはわかりませんが、少なくとも最初のここのカテゴリを付け替えた人と2回目に付け替えた私とは別人です。Wikipedia:カテゴリの方針#分割として機能するカテゴリによれば、Category:ヴィッテルスバッハ家の下位カテゴリのどれかが付いていれば、親カテゴリは付ける必要がないことになります。もっとも、現状だとカテゴリ階層が深すぎて問題があるので、ショートカットの必要性は認めます。追加で文句がないならそれでも私は構いません(最初の人がどう思うかはわかりません)。ただ、最初から差し戻しじゃなくてそう編集すれば良かったのに、と思います。あと、差し戻された編集の中に「トルコ」→「オスマン帝国」という修正が含まれていましたが、これにも出典が必要なんでしょうか?--119.243.245.242 2011年4月13日 (水) 11:53 (UTC)[返信]
ヴィッテルスバッハ家の下位構造のカテゴリを変更したのは私です。上記の方とIPは似ていますが、その方が仰る通り別人です。ヴィッテルスバッハ家は13世紀以来、一族間で分裂を繰り返しており、しかも分家を多数輩出しているので下位カテゴリを整理する必要があると思っていました。そして最近、本家のドイツ語版でヴィッテルスバッハ家のカテゴリの大幅な整理が行われたので、それに合わせて整理しました。
なお、ヴィッテルスバッハ家に限ったことではないのですが、ドイツ諸侯の家系では古代ゲルマン以来の分割相続に加えて歴代の当主が子沢山であったためか、一族間の分裂を頻繁に繰り返しています。従って下位カテゴリが変更するのは或る意味必然だと思います。参考までにブルガリア王を出したヴェッティン家、ギリシア王を出したオルデンブルク家の各カテゴリをご覧下さい。
話は戻りますが、ヴィッテルスバッハ家は最初に下バイエルン系と上バイエルン系に分裂し、後者が更にバイエルン系とプファルツ系に分裂します。オソン1世を出した近代バイエルン王家はプファルツ家のビルケンフェルト=ビシュヴァイラー系に属します。そのため、最初は近代バイエルン王家の人物をCategory:プファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー家に納めました。ただ、ご指摘の通り、カテゴリ名称としては、やはり不適切な気がします。そのためCategory:プファルツ家をCategory:ヴィッテルスバッハ家プファルツ系に置き換えて、そこに近代バイエルン王家の人物を納めようと考えていたのですが・・・。--114.51.232.95 2011年4月13日 (水) 14:42 (UTC)[返信]
建設的なお話ができそうでよかったです。まず、オソン1世についてはすでに加筆についての準備稿を作成しております。現在、細部をつめている状況で正直言えば、細かい変更とかはして欲しくないです。トルコ→オスマン帝国の変更云々、ありますけど、そこには私が望んでいないヴィッテルスバッハ家のカテゴリ外しが同時に行われています。ですので十把一絡げでリバートしても問題ないと思います。カテゴリ外しがなければ戻しませんでしたけどね。トルコ→オスマン帝国の変更よりもカテゴリ外しのほうが大きな問題だと私は考えている上で話し合いを呼びかけているのに「不当な差し戻しを拒否」とか書かれたらかないません。が、私の言う事をご理解いただけるのならば私の行動にも問題があったことを認め、陳謝させていただきます。
ヴィッテルスバッハ家のカテゴリを外す必要がないというのは様々な分家が存在するヴィッテルスバッハ家の中でもギリシャ王家となったのはオソン1世だけであり、ヴィッテルスバッハ家の単独項目にもギリシャ王家としてオソン1世が紹介されています。ドイツ語版に準じたということですが、英語版では「House of Wittelsbach」のカテゴリは付いているという例もあります。ですので、ギリシャ王家としてはヴィッテルスバッハ家のカテゴリが、バイエルン王家として別のカテゴリを付けるのが一番、いい方法だと思うのですけど。なんども言うようで申し訳ないのですが、カテゴリ変更は様々な文献に「ヴィッテルスバッハ家のオットー」という記述がある以上、認めれませんが、追加ならば文句は言いません。
カテゴリに関してですが、私はカテゴリとは親記事があってそこから派生すべきと考えています。ですので、私は親記事をまず作成、そこからカテゴリを作成して色々な項目を振り分けています。簡単にいえばカテゴリとしてプファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー家があっても、プファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー家という記事が無いのならそのカテゴリはあまり意味が無いと思うということです。カテゴリはあるけどプファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー家って一体何?ということになるおそれもあります。日本で言えば徳川家とその分家である松平家のカテゴリが似たような例になると思いますけど、そこまで細分化されてませんよね?例えば越前松平家ならば越前松平家のカテゴリと松平家のカテゴリに所属しており、その分家、および分家の分家は全部越前松平家のカテゴリに入ってます。その他のマイナーな松平家(例えば鵜殿とか大給とか)は全て松平のカテゴリに収まっています。Wikipediaは専門家だけではなく門外漢な人も見るわけで、そこら辺も考慮いただいて変更していただければ幸いです。長文失礼しました。--Hideokun 2011年4月13日 (水) 22:25 (UTC)[返信]
Help:以前の版にページを戻す方法をよくお読み下さい。貴方の差し戻しは「推奨される行為ではありません」。十把一絡げでリバートするのではなく、「大きな問題」のある箇所のみ修正すればすんだはずです。それでもなお、あの差し戻しが「問題ない」と言い張るのであれば、貴方に話し合いを呼びかける資格があったのか疑問視せざるを得ません。
>正直言えば、細かい変更とかはして欲しくないです。
この記事は貴方の私物ですか?--119.241.233.238 2011年4月15日 (金) 11:04 (UTC)[返信]
問題意識の違いと説明したにもかかわらず、どーでもいいことにこだわりますね、まとまりそうな話をダメにしたいのならいいですけど。それとも貴殿は全く悪くないというのですか?じゃんけんで後出し先出しにこだわるようなものでオソン1世の記事に関係ないことなんでこれ以上、ここでのコメントは要らないです。どうしても続けたいのなら私の会話ページへどうぞ。--Hideokun 2011年4月15日 (金) 13:51 (UTC)[返信]
あ、そうそう私物とかそういう事を言われるならば私の加筆は必要ないと言う事なのでしょうから、貴殿が出展を伴った大幅な加筆してくださいね。それぐらいの意識をもって私に対して上から目線で言われているのでしょうから。--Hideokun 2011年4月15日 (金) 13:53 (UTC)[返信]
プファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー家のカテゴリーに関してですが、プファルツ=ビルケンフェルト家やカテゴリー:プファルツ家の領邦にそれに該当するページが存在していますのでご参考までに(後者は領邦ですが内容としてはヴィッテルスバッハ家の分家も兼ねています)。
個人的にはオソン1世以下バイエルン王家の人物はカテゴリー:ヴィッテルスバッハ家プファルツ系に納めるのが一番良いと思います。カテゴリー:バイエルン王家もバイエルン王室に変更したら良いと思います。
なお松平家のカテゴリーに関してですが、私は必要だと思う日本の氏族の細分化もしており、松平家に関しても将来しようと思っています。何時になるか分かりませんが。--114.51.20.20 2011年4月17日 (日) 12:41 (UTC)[返信]
うーん、かなり危うさを感じますね。多分IP氏はIP氏自身で理想的な形というのをお持ちなのでしょうか、それがまだまだ具現化されていないように見えます。バイエルン王家を王室に変更するとかはどうもIP氏の中ではいいように感じられているのかもしれませんが、なんかすごい危うさを感じます。IP氏が素晴らしいと思っても他の目から見たら不具合だらけと思われることもあることを念頭においていただきたいなぁと思います。ちょっとちがう例ですけど、テンプレート関係をいじられてる方がおられて、その方が触ったことで見栄え良くなったものもあるのですが、独善が過ぎたことや合意を無視して変更されたために現在、ブロック依頼が提出されてます。記憶に間違いがなければ松平氏関係はどこかで合意があったような気がします。IP氏がその轍を踏まれませぬことを願うばかりです。ちなみにグリュックスブルク家系のギリシャ王家に関しては『Category:グリュックスブルク家ギリシャ系』というカテゴリが適用されています。私は『カテゴリー:ヴィッテルスバッハ家プファルツ系』というカテゴリよりかは『カテゴリ:ヴィッテルスバッハ家ギリシャ系』の方がふさわしいように感じますね。ま、一代限りなので無理してカテゴリを作るのも問題でしょうから、『カテゴリ:ヴィッテルスバッハ家』を外さなければ私は文句は言いません。ですので、『ヴィッテルスバッハ家』と『ヴィッテルスバッハ家プファルツ系』のダブルでいいんじゃないですか?そこらへんが落とし所のように感じます。--Hideokun 2011年4月18日 (月) 02:49 (UTC)[返信]