ノート:インド大反乱

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

セポイの乱への移動を提案します。らりた 2004年10月6日 (水) 13:56 (UTC)[返信]

あまり詳しく無いのですが、- 叛乱あるいは - の乱と言う言い方は鎮圧する側からのPOVではないでしょうか。インドだとセポイが英雄だったりはしないでしょうか?。そういった意味では - 戦争あるいは - の戦いといった表現のほうがどちらから見てもフェアかと思われますがいかがでしょう。--Suisui 2004年10月6日 (水) 14:22 (UTC)[返信]
私も詳しくないのですが、インド側からは「第一次インド独立戦争」と呼ぶようですね。→[1][2]。参考までにgoogleでそれぞれ「インドの大反乱」が27件、「セポイの乱」が276件、「インド独立戦争」が44件、「第一次インド独立戦争」は1件です。「第一次インド独立戦争」に移動して、セポイ・大反乱をリダイレクトですか。あと「スィパーヒーの乱」と言う言い方もあるようで、これが4件です。らりた 2004年10月6日 (水) 14:38 (UTC)[返信]

第一次インド独立戦争へ移動しました。らりた 2004年10月26日 (火) 15:50 (UTC)[返信]

スィパーヒーはカーストの一つでしょう。傭兵にそのカーストから多くが志願しただけで。 --Ypacaraí 2005年4月17日 (日) 01:27 (UTC)[返信]


一年も前に終わった話題の様なので恐縮ですが、「第一次インド独立戦争」というのは適切な項目名なのでしょうか。「シパーヒー(セポイ)の乱」が不正確なので「インド大反乱」という語を用いる様になった、という認識なのですが。「第一次インド独立戦争」という用語は寡聞にして、この記事の他では目にした事がありません。「第一次」というからには「第二次独立戦争」もあるのでしょうか。インドの独立は「非暴力・不服従」の旗の下に行われたものだと思っておりました。インド側からの呼び方との事ですが、ホブズボウム言う所の「作られた伝統」ではないのでしょうか。一定のコンセンサスの出来上がった用語を捨ててまで、オーソライズされていない言葉を用いる事は適当でしょうか。インド史は専門外なので、何方か有識者の方にお尋ねしたいのですが、①インドの国民意識は英領インド帝国成立後から形成に向かい始めたと言われるが、インド大反乱では本当に独立を企図していたのか、②失敗に終わった独立戦争はただの反乱ではないのか、③国内外の研究者たちの間ではどの用語が一般的に用いられているのか、以上三点につきまして、何方かご存じの方はいらっしゃいますでしょうか。 コータ 2005年9月25日 (日) 18:55 (UTC)[返信]

項目名について[編集]

インド大反乱が適当ではないでしょうか。

理由① 第一次インド独立戦争という言葉は基本的に国内の研究および歴史教育にて使われていない。

理由② シパーヒーのみが反乱に参加した訳ではないため不適切であり、最近ではインド大反乱という用語が使われる事が多い。

インド独立戦争に統一された際のノートを読んでも、インド側の呼称という以外に合理的な理由が示されていない上にそもそもの理解に疑問があります。 コータ 2005年10月16日 (日) 16:58 (UTC)[返信]

特に反対も無いようですので、もう暫く様子を見た後、「インド大反乱」に移動しようと思います。 コータ 2005年11月6日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
移動しました。「インド大反乱」とした理由は上記の様に、①「第一次インド独立戦争」は基本的に国内の歴史学研究・教育では使われていない。②「シパーヒーの乱」は古い用語で反乱参加者の構成を反映していない為、現在では不適切とされる。以上、二点です。コータ 2005年12月4日 (日) 09:47 (UTC)[返信]

これだけでは、意味がわかりません。>インド大反乱 最初の部分に「第一次インド独立戦争」の言があるから始めて意味が通るようなもので、他の項目からも主に←の単語でリンクされています。「インド大反乱」は知名度もなく(セポイの乱なら正確ではなくても意味は通ります)、一見しただけでは時期や内容がさっぱりわかりません。 多少詳しい人間が学術的に用いられている単語を使う、正確に、という場所ではないように思います。 セポイの乱(通称)、もしくは第一次インド独立戦争のどちらかを本項目にすることを提案します。 正直に言えばイギリスサイドからの呼称は不快です(長年の関係ならまだ仕方がありませんが)。--紅玉石 2006年8月23日 (水) 12:16 (UTC)[返信]

ようやく編集終了です[編集]

細かいテニヲハの修正はまだ必要かもしれませんが、基本的な構成はこれで完了です。 後はREF系の充実や事実関係の追記など、必要に応じてご協力いただければ幸いです。 --119.150.19.108 2008年11月17日 (月) 12:11 (UTC)[返信]

フリービット可変IPによる編集[編集]

去年から今年にかけて、フリービット可変IPにより記事の内容が大幅に変更されています[3]。この利用者は独自研究の恐れがある記述、自身の価値観に基づく記述を大量に投稿しており、注意が必要です。この記事でもざっと見ただけでも、ヒンドゥー教徒側への出典なき批判記述が目立ちます。--ポコポコ 2009年2月24日 (火) 10:35 (UTC)[返信]

この記事の本格的な改造にむけて[編集]

ムガル帝国イギリス東インド会社イギリス領インド帝国のインド近代史3部作を加筆したのはこの私ですが、これを抜本的に中立的な記事に仕立て上げるには相当な困難が予想されます。その上で、抜本的な記事の改良に向けて、何をすべきかをまず検討しませんか?

第一段階として、参考文献を複数(日本語、英語、ヒンディー語を問わず)用意する必要があります。幸いなことにWikipedia:ウィキプロジェクト_南アジアが機能していることから、そこから、文献をいくつか渉猟しましょう。

第二段階として、脚注の機能が現在損なわれていますので、スクロール化を解除し、独自研究と思われるものを皆さんでピックアップしていただき、独自研究を排除していくという形になるかと思います。

ここまで無法図に育った記事を整理していくので、一人では困難なので、ご協力よろしくお願いします。--Tantal 2009年4月5日 (日) 06:27 (UTC)[返信]

第一段階[編集]

いかにおおよそ入手できる参考文献は列記してください。

  • 藤井毅 著「第7章_イギリス東インド会社における植民地化」、小谷汪之編 編『南アジア史_2』山川出版社、2007年。ISBN 978-4-634-46209-0 
  • 水島司 著「第8章_イギリス東インド会社のインド支配」、小谷汪之 編『南アジア史_2』山川出版社、2007年。ISBN 978-4-634-46209-0 
  • Barbara D. Metcalf, Thomas R. Metcalf 著、河野肇 訳『ケンブリッジ版世界各国史_インドの歴史』創土社、2006年。ISBN 4-7893-0048-X 

CiNiiの検索結果もあわせて([4])提示しておきます。--Tantal 2009年4月5日 (日) 06:27 (UTC)[返信]

  • 長崎暢子『インド大反乱一八五七年』中央公論社、1981年。ISBN 978-4121006066 
一応挙げさせていただきます。ただ実際に利用可能になるのは少し後となります。(月をまたぐかも知れません。)また、英語版を翻訳すべきかにつきましては、Tantalさんにご判断を仰ぎたいと思います。(その際も、出来ることがあれば協力はさせていただきたいと思います。)ともかく、私の方は文献へのアクセスがまだ遅れますので、もし急ぐべきとお考えならTantalさんのご判断で検討を始めていただいても構いません。--ポコポコ 2009年4月14日 (火) 10:11 (UTC)[返信]
    • レス遅れてすみません。私も本業のほかに、オランダ関連記事の執筆を優先したいので、GW明けにでもゆっくりと取り掛かればいいのでは、皆様の意見を待ちましょう。--Tantal 2009年4月15日 (水) 12:17 (UTC)[返信]
      • 上記の『インド大反乱一八五七年』が利用可能となりました。GW明け以降ということですので、まだ時間はあるということですね。その間に少しご相談があるのですが、実は可変IP氏による過去の編集から、履歴継承に問題がありそうな記事間転記がいくつか見つかっています。(詳しくはWikipedia:コメント依頼/フリービット可変IPをご覧ください。)今のところ、インド大反乱へ転記したケースは見つかっていませんが、もし今度の改稿の結果、改稿前から記事が大幅に変わるようでしたら、念のために一旦、可変IP氏の編集が始まる前まで記事を差し戻した方がいいでしょうか。--ポコポコ 2009年5月2日 (土) 06:01 (UTC)[返信]

だいぶ時間がたっております。とりあえず、問題がありそうな冒頭概要部だけでも書き直した方がいいかもしれません。概要部の問題を指摘すると、

  1. インド大反乱の定義を無秩序な「暴動」「ヘイトクライム」とし、あまつさえ「反乱」や「独立戦争」と表現することを否定しています。しかし実際はムガル皇帝を頂点とした「反イギリス軍」が組織されており、ラクシュミー・バーイーといった指導者もいます。
  2. 「ヒンドゥー教徒特有」とされていますが、反乱にはムスリム兵士も参加し、活躍しています(『インド大反乱一八五七年』126ページ)。そもそも反乱の神輿となったムガル皇帝自体がムスリムです。
  3. イギリスから交戦団体と認められないから反乱兵士が犯罪者として処刑された、というくだりですが、戦争捕虜を扱う戦時国際法がいつ出来たのか、またそれが世界中に受容されたのはいつなのか、という問題があります。戦争捕虜を扱う戦時国際法が未成立、もしくは成立していても当時は欧米国家間でしか運用されていない、という状況なら、上記の記述はあまり意味がありません。
  4. 最後の段落については、そもそもインド大反乱と関連づけられるのでしょうか?ヒンドゥー教徒側だけを強調するのも問題でしょうけど。--ポコポコ 2009年6月28日 (日) 02:22 (UTC)[返信]
コメントレスが遅れてしまってすみません。言いだしっぺのほうが意外と資料収集が進んでいません。さて、改訂の方針ですが、まず、2008年9月30日 (火) 04:45; SieBot版にリバートしてしまったほうがいいと思います。その上で、背景→発生→拡大→収束→意義とまとめてしまったほうがすっきりすると思います。途中経過はともかくとして、背景と意義は意外と簡単にまとめられそうな気がするんですよ。というわけで、前述の版にリバートしておきます。--Tantal 2009年6月28日 (日) 03:38 (UTC)[返信]
お忙しい中お手数をおかけしました。私も実質一冊しか書籍を見ていませんから、余計な口出しになっているかもしれません。私も今後どれだけ参加できるか、という問題がありますが、よろしくお願いします。--ポコポコ 2009年6月28日 (日) 04:31 (UTC)[返信]

ユーザポコポコによる迷惑行為[編集]

同ユーザは、他者の編集部分を勝手にリバートしたり、信頼性の希薄な文献を持ち出したりと、あたかも自分が記事編集の権限を独占するが如き態度を、各記事上で展開するため、非常に迷惑を蒙っています。
本人に反省の色が全く見られませんので、IDの停止措置が必要ではないかと思われます。--220.150.129.110 2009年6月3日 (水) 10:28 (UTC)[返信]

この記事の検証可能性独自研究を解決するための議論をお願いします。このような荒らしを繰り返されるなら、ノートの半保護依頼などの対応を取ります。--ポコポコ 2009年6月3日 (水) 11:36 (UTC)[返信]

ユーザによる迷惑行為について[編集]

同ユーザによって、本ページで表示がおかしくなってしまった部分などを修正した部分を勝手にリバートされてしまいました。
同ユーザは、ノートでの議論も無しに、このように一方的な操作を繰り返しており、大変迷惑を蒙っています。
追記された部分の再修正を求めると同時に、今後も反省が見られない場合には、IDの停止措置が必要ではないかと思われます。--220.150.139.64 2009年6月3日 (水) 10:51 (UTC)[返信]