ノート:アレクサンドル・ネフスキー

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 いくつか注意点を。

 1220年 ネヴァ河畔の戦いについては、ロシア国内の歴史学者の多くが支持する、この内容通りに盛大な戦いがあったとする説とは全く反対に、ロシア国外のロシア研究者の多くはスウェーデンやドイツ騎士修道会の年代記にこの戦いに関する記述が「一文も無い」ことからネヴァ河畔の戦いそのものの存在を疑問視し、また例え戦いがあったとしてもごく小規模な戦いであり、アレクサンドル・ネフスキーやノヴゴロドの功績など大したものではないというのが通説となっていた。

 また、「ネフスキー」という異名(尊称?)はネヴァ河畔の戦い直後から付けられたものではなく、二・三百年を経てから浸透した言葉のようです。同時代の人が彼のことを「ネフスキー」と呼んでいたのでは決してありません。。以上の署名の無いコメントは、219.107.177.127会話履歴)氏が[2005年6月25日 (土) 14:27]に投稿したものです。