ノート:アダド・ニラリ3世

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真実は?[編集]

戯れ言みたいなものですが、独り言のように書きます。

現在、プロジェクト:新アッシリア帝国関係記事の導入部分の校正作業を進めていますが、アダド・ニラリ3世の記事を改めて読んで、違和感を抱きました。この時期、アッシリアの君主の権力は低下して地方総督などの勢力が増し、帝国は衰退期に入ったとされていますが、それにもかかわらず、リンム年代記によれば、毎年のように遠征していたとされています。

  • 仮説1:王の権力低下を記録するのが忍びなくて、書記官は、王が毎年遠征を繰り返したという嘘の記録を残したのでしょうか?

あるいは、彼の4代後の王、ティグラト・ピレセル3世は王位簒奪者とされており、自分に都合の悪い記録(彼の直前の数代の王の記録)を消した疑いがあります。

  • 仮説2:実は王の権力はそれほど低下していなかったのだけれども、ティグラト・ピレセル3世が、アダド・ニラリ3世時代の記録を大量廃棄したために、よくわからなくなっているだけ

どっちなんだろうな・・・と思いました。メモとして残します。--つちくら会話2021年7月29日 (木) 10:16 (UTC)[返信]