ノート:「彼の法」集団

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チベットにおけるタントラの解釈について[編集]

219.127.83.189氏によって、「チベット密教においてもタントラ経典を輸入する過程において、経典に記述される文言をそのままに鵜呑みにして実践に結びつけようとする人々もいたが、(…)タントラ経典に見られる性的な記述は、密教における象徴を伴う深い仏教上の別の意味があることが理解されている。」(『西蔵曼荼羅集成』(講談社)、「無上瑜伽タントラ」、pp.17-19。)との記述がなされていますが、ゲルク派以外でも「性的ヨーガが鵜呑みにして実践」することが禁止されているかのように読めます。このような記述は本筋と直接関係がなく、記述が曖昧なので削除することを提案します。--Ryo 625会話2016年8月19日 (金) 09:25 (UTC)[返信]

賛成 ご提案に賛成します。--Doomreaper会話2016年8月30日 (火) 01:09 (UTC)[返信]
チェック 一週間以上、反対がなかったので削除いたしました。議論に参加してくださったDoomreaperさんに感謝いたします。--Ryo 625会話2016年9月14日 (水) 12:48 (UTC)[返信]

「教義」節の冗長な導入について[編集]

教義」節における「本来仏教では、正式な僧侶の」から「立川流を除く中国密教の「唐密」や日本の密教では、性交による成道[19]は否定している。」までを、教義の記述として直接関係がないので削除することを提案します--Ryo 625会話2016年8月20日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

賛成 ご提案に賛成します。--Doomreaper会話2016年8月30日 (火) 01:09 (UTC)[返信]
チェック 一週間以上、反対がなかったので削除いたしました。--Ryo 625会話2016年9月14日 (水) 12:48 (UTC)[返信]

参考文献について[編集]

Wikipedia:信頼できる情報源には、

それらの情報源はほかの編集者が確認する際にも利用可能ですか?わたしたちは読者のために情報源を提供しているのですから、原則としてそれらの情報源は入手できなければなりません。そうでない場合、その情報をウィキペディアに記載することはおそらく適切ではありません。
自己公表された情報源とは、いかなる形式の独立した事実の確認を受けてはいないか、著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物を指します。この中には〔……〕自費出版によって出版された本が含まれます。〔……〕自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません。

と書かれています。

この記事では蓮華堂出版部の『愛染法大全』という文献が使われていますが、非売品とあります。蓮華堂という団体の私家出版物でしょうか。この団体の出版物は阿闍梨准胝観音不動明王愛染明王豪潮九字護身法ゾクチェン密教三昧耶戒にもみえます。これらの文献が上記の条件に当てはまるかそれに準じるような性格の出版物であれば、Wikipediaの参考文献としてはあまり適切でないということになりますが、いかがでしょうか。--Doomreaper会話2016年8月30日 (火) 01:09 (UTC)[返信]

賛成 同意します。非売品の書籍に部外者がアクセスする方法は普通考えられません。この部類の書籍はすべて出典として不適切と見做してよいのではないでしょうか。一部の仏教系大学にしか置いていない奇観本の類はどうなるか分かりませんが、ノートで追々議論が深まっていくことを期待します--Ryo 625会話2016年8月30日 (火) 09:11 (UTC)[返信]
返信 賛同ありがとうございます。一部の図書館にしかなくて申し込まないと閲覧できないような稀覯書は微妙ですが、どの図書館にあるか調べることができて、なんとかアクセス可能なものであれば、一応は出典に使えるものと思います(Wikipedia:検証可能性#アクセシビリティ)。しかしここで問題にしている資料は、国立国会図書館サーチでもCiNii Books 検索でも引っかからず、一般頒布されていないだけでなく、公共図書館や大学図書館に置いてあるとも考えにくい。このような文献を出典に使われても、読者はその記述が独自研究ではなくほんとうに典拠のあることなのか検証することができない。Wikipediaの大方針である検証可能性とはそういうことだと理解しております。--Doomreaper会話2016年8月30日 (火) 11:58 (UTC)[返信]

中立性について[編集]

本項についての批判的な研究の出典は大部分が彌永信美氏の論文に依っており、記述も推測をそのまま記述した部分が多く問題が多いと思われます。慎重で冷静な執筆をお願いいたします。--Ryo 625会話2019年12月10日 (火) 16:34 (UTC)[返信]

こちらこそつい記述に力が入ってしまい申し訳ありません。現状、本項について概観を示したものが少なく、サーベイ的な論文として便利なので甘えてしまいました。ウィキペディアとしてより優れた記事に修正して下さって、ありがとうざいます。いずれ文観の方もある程度修正したいと考えているので、もしその過程で本項に関連して中立性を担保できるような内容があれば、追加したいと考えております。--Senu会話2019年12月10日 (火) 16:44 (UTC)[返信]
Ryo 625さん、遅くなりましたが、中立性に問題があると思われる部分について、別の説を併記いたしました。『宝鏡鈔』のテキスト分析そのものは実証的研究の範疇ですが、研究者による主観が特に入ると考えられる部分は、1. 髑髏本尊を崇拝する教団に対する「「彼の法」集団」という名称は適切か否か、2. 宥快の意図は何であったか、という2点でしょう。1.については、醍醐派の柴田賢龍氏による「内三部経流」という名称を併記いたしました。柴田説の方が提案の時期は早いようですが、発表媒体がブログという弱点があり、学術論文で発表された彌永説の方がページ名としては若干妥当性は高いかと思います。2.については、ガエタン・ラポー氏による説を併記いたしました。ただ、この他に、教義節についても中立的な記述が必要かと思いますので、そちらの節に「観点」の問題テンプレートを移しました。その部分は私は特に興味がないので、どなたか詳しい方が今後執筆してくだされば、と思います。--Senu会話2020年7月7日 (火) 14:15 (UTC)[返信]