ダスティ・ベイカー

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ダスティ・ベイカー
Dusty Baker
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州リバーサイド郡リバーサイド
生年月日 (1949-06-15) 1949年6月15日(74歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
183 lb =約83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1967年 MLBドラフト26巡目
初出場 1968年9月7日
最終出場 1986年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョニー・B・ベイカー・ジュニア(Johnnie B. Baker, Jr.、1949年6月15日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州リバーサイド郡リバーサイド出身の元プロ野球選手外野手)、元プロ野球監督。右投右打。

現在はサンフランシスコ・ジャイアンツの特別アシスタントを務めている。

1993年よりサンフランシスコ・ジャイアンツシカゴ・カブスシンシナティ・レッズワシントン・ナショナルズヒューストン・アストロズで監督を務め、いずれも地区優勝、ポストシーズン進出を果たしている。監督として異なる5球団を地区優勝に導いたのは史上最多である[1]2022年には監督として史上最高齢となる73歳でワールドシリーズ優勝を達成した。

経歴[編集]

現役時代[編集]

1967年MLBドラフト26巡目(全体503位)でアトランタ・ブレーブスに入団。マイナーでのプレー後、1972年には139試合に出場し、打率.321・17本塁打・76打点の好成績を収めてメジャーに定着する。

1976年ロサンゼルス・ドジャースに移籍。

1977年には30本塁打を記録し、一塁手のスティーブ・ガービー(33本塁打)、三塁手のロン・セイ(30本塁打)、外野手のレジー・スミス(32本塁打)と共に30本塁打カルテットの一員となり、ワールドシリーズ進出に貢献する。

1978年ワールドシリーズに進出するが、いずれもニューヨーク・ヤンキースに敗れている。

1981年にヤンキースを下しドジャースのワールドシリーズ優勝に貢献する。

1984年サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。

1985年オークランド・アスレチックスへ移籍。アスレチックス移籍後は一塁手、指名打者での出場も増える。1986年に引退した。

監督時代[編集]

1988年から5年間スプリットフィンガード・ファストボールの生みの親としても知られるロジャー・クレイグ英語版の下で一塁コーチや打撃コーチを歴任し、クレイグが退任した1993年にジャイアンツの監督に就任。ウィル・クラークマット・ウィリアムズバリー・ボンズを擁する強力打線と2人の20勝投手、ジョン・バーケットビル・スウィフト英語版に支えられ、106勝59敗の好成績を収める(ナショナルリーグ西地区2位)。

1997年2000年には地区優勝を果たすがリーグチャンピオンシップシリーズに勝つことは出来なかった。 2002年には、ワイルドカードからナショナルリーグを制するが、ワールドシリーズでは3勝4敗でアナハイム・エンゼルスに敗れた。第5戦ではバット・ボーイを務めていた3歳の息子ダレンが、本塁上で選手と交錯しそうになったが、機転をきかせたJ.T.スノーが拾い上げ難を逃れた。大変危険なプレーであったため、翌2003年のシーズンから年齢制限を設け、14歳以下の子供がバットボーイとしてベンチ入りすることは禁止された。

シカゴ・カブスでの監督時代(2006)

2003年にはシカゴ・カブスの監督に就任。1年目は地区優勝を果たすが、またしてもリーグチャンピオンシップシリーズに勝つことは出来なかった。年々成績が低下し、最下位になった2006年ついに解任される。

シンシナティ・レッズでの監督時代(2009)

2007年10月13日、前任の監督であるジェリー・ナロンの解任に伴い、シンシナティ・レッズの新監督に就任。球団史上初の黒人監督となった[2]

2010年はレッズを15年ぶりの地区優勝に導く。オフに2年間の契約延長を行った。

2012年にも地区優勝を決めたが、その優勝決定試合には姿を見せることができなかった。これは直前に不整脈で入院していた為であった[3]

ワシントン・ナショナルズでの監督時代
(2017年)

2015年11月3日、ジャイアンツ監督就任当初の主力選手であり、成績不振で解任されたマット・ウィリアムズの後任として、ワシントン・ナショナルズの新監督に就任することが発表された[4]

2016年の就任1年目は最多勝最多奪三振の2冠を獲得したマックス・シャーザーらの活躍で2年ぶりの地区優勝を果たす。しかし、西地区を制したドジャースとのディビジョンシリーズでは、2勝1敗と先にチャンピオンシップシリーズ進出に王手をかけながら連敗し、2勝3敗で敗退。

2017年も2位に20ゲーム差をつける独走で2年連続の地区優勝を果たしたものの、ディビジョンシリーズで、かつて自身が2006年まで指揮した古巣カブスに2勝3敗で敗退となり、両年ともリーグチャンピオンシップシリーズ進出を果たすことはできなかった。オフの10月20日に2018年シーズンの監督契約を更新しないことが通告された[5]

2020年シーズンからはヒューストン・アストロズの監督を務める[6]

2022年5月4日のシアトル・マリナーズ戦で本拠地ミニッツメイドパークで、監督通算2000勝を達成した。同年は監督として自身3度目のワールドシリーズに進出すると共に、監督就任25年目で初のワールドシリーズ優勝を達成した。なお、73歳でのワールドシリーズ優勝達成はMLB歴代最年長記録である。 オフの11月15日に全米野球記者協会(BBWAA)から1位票が3、2位票が3、3位票が7、計31ポイントで最優秀監督賞4位となった[7]

2023年はチームを3年連続の地区優勝に導いたが、リーグチャンピオンシップシリーズでは3勝4敗で敗退した。10月26日に今季限りでの監督引退を発表した[8]

監督引退後[編集]

2024年1月16日に、サンフランシスコ・ジャイアンツの特別アシスタントに就任した[9]

人物[編集]

指揮官としては、ジャイアンツ時代に3度の最優秀監督に選出され、2002年にはリーグ制覇した実績がある。選手から慕われるプレーヤーズ・マネージャーである反面、出塁率を軽視したり、先発投手に球数を投げさせ過ぎるなど、旧来の野球観に囚われている一面もある。「一番打者は出塁率よりスピード」と硬く信じるベイカーは、レッズの監督就任に際してカブス時代から目をかけていたコーリー・パターソン獲得を上層部に強く要請し、実際に入団してからは一番打者として起用していたが、期待を大きく裏切る惨憺たる成績で、完全に的外れな補強との酷評を受けた。また、若手を信頼せず、ベテランの起用を好む傾向にある。それ故レッズ就任時には、ホーマー・ベイリージョニー・クエト両投手やジョーイ・ボット一塁手、ジェイ・ブルース外野手ら新星がひしめくチームには不向きではないか、と疑問視する声も上がった。一発頼みの大味なスタイルから脱却したいとの狙いから細かく手堅い作戦を多用するが、結局空回りに終わることが多く、そのような戦法は本塁打の出易い本拠地球場にふさわしくない、そもそも指揮官としてチームの特徴を把握出来ていない、など批判も多かった[2][10][11][12]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1968 ATL 6 5 5 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .400 .400 .400 .800
1969 3 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1970 13 27 24 3 7 0 0 0 7 4 0 0 0 1 2 0 0 4 1 .292 .333 .292 .625
1971 29 64 62 2 14 2 0 0 16 4 0 1 1 0 1 1 0 14 1 .226 .238 .258 .496
1972 127 503 446 62 143 27 2 17 225 76 4 7 2 6 45 2 4 68 9 .321 .383 .504 .887
1973 159 686 604 101 174 29 4 21 274 99 24 3 1 9 67 8 5 72 14 .288 .359 .454 .813
1974 149 656 574 80 147 35 0 20 242 69 18 7 3 7 71 9 1 87 12 .256 .335 .422 .757
1975 142 567 494 63 129 18 2 19 208 72 12 7 1 5 67 7 0 57 10 .261 .346 .421 .767
1976 LAD 112 421 384 36 93 13 0 4 118 39 2 4 1 4 31 3 1 54 15 .242 .298 .307 .605
1977 153 604 533 86 155 26 1 30 273 86 2 6 2 5 58 6 6 89 9 .291 .364 .512 .876
1978 149 579 522 62 137 24 1 11 196 66 12 3 4 3 47 2 3 66 10 .262 .325 .375 .700
1979 151 616 554 86 152 29 1 23 252 88 11 4 2 3 56 0 1 70 16 .274 .340 .455 .795
1980 153 638 579 80 170 26 4 29 291 97 12 10 1 12 43 4 3 66 11 .294 .339 .503 .842
1981 103 438 400 48 128 17 3 9 178 49 10 7 3 5 29 1 1 43 9 .320 .363 .445 .808
1982 147 640 570 80 171 19 1 23 261 88 17 10 2 9 56 5 3 62 7 .300 .361 .458 .819
1983 149 616 531 71 138 25 1 15 210 73 7 1 4 7 72 2 2 59 9 .260 .346 .395 .741
1984 SF 100 287 243 31 71 7 2 3 91 32 4 1 0 4 40 1 0 27 5 .292 .387 .374 .761
1985 OAK 111 396 343 48 92 15 1 14 151 52 2 1 0 3 50 0 0 47 12 .268 .359 .440 .799
1986 83 271 242 25 58 8 0 4 78 19 0 1 0 2 27 1 0 37 8 .240 .314 .322 .636
MLB:19年 2039 8021 7117 964 1981 320 23 242 3073 1013 137 73 27 85 762 52 30 926 158 .278 .347 .432 .779

年度別監督成績[編集]





















ポストシーズン
勝敗
1993 SF NL 西 44 162 103 59 .636 2 / 7  
1994 45 115 55 60 .478 2 / 4  
1995 46 144 67 77 .465 4 / 4  
1996 47 162 68 94 .420 4 / 4  
1997 48 162 90 72 .556 1 / 4 NLDS敗退 00勝03敗
1998 49 163 89 74 .546 2 / 5  
1999 50 162 86 76 .531 2 / 5  
2000 51 162 97 65 .599 1 / 5 NLDS敗退 01勝03敗
2001 52 162 90 72 .556 2 / 5  
2002 53 162 95 66 .590 2 / 5 WS敗退 10勝07敗
2003 CHC NL 中 54 162 88 74 .543 1 / 6 NLCS敗退 06勝06敗
2004 55 162 89 73 .549 3 / 6  
2005 56 162 79 83 .488 4 / 6  
2006 57 162 66 96 .407 6 / 6  
2008 CIN 59 162 74 88 .457 5 / 6  
2009 60 162 78 84 .481 4 / 6  
2010 61 162 91 71 .562 1 / 6 NLDS敗退 00勝03敗
2011 62 162 79 83 .488 3 / 6  
2012 63 162 97 65 .599 1 / 6 NLDS敗退 02勝03敗
2013 64 162 90 72 .556 3 / 5 NLWC敗退 00勝01敗
2016 WSH NL 東 67 162 95 67 .586 1 / 5 NLDS敗退 02勝03敗
2017 68 162 97 65 .599 1 / 5 NLDS敗退 02勝03敗
2020 HOU AL 西 71 60 29 31 .483 2 / 5 ALCS敗退 08勝05敗
2021 72 162 95 67 .586 1 / 5 WS敗退 09勝07敗
2022 73 162 106 56 .654 1 / 5 WS優勝 11勝02敗
2023 74 162 90 72 .556 1 / 5 ALCS敗退 6勝05敗
MLB:26年 4028 2169 1858 .539 - 57勝51敗
  • 年度の太字は最優秀監督賞受賞。
  • 順位の太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)。
  • WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ、WC…ワイルドカードゲーム(ワイルドカードシリーズ)。

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 12 (1968年 - 1986年、1988年 - 2006年、2008年 - 2013年、2016年 - 2017年、2020年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 従来の記録はビリー・マーチン (1969年-1988年)とデービー・ジョンソン (1984年-2013年)の4球団。
  2. ^ a b 『ウェルカム・メジャーリーグ 2008』白夜書房〈白夜ムック 315〉、194頁頁。ISBN 978-4861913983 
  3. ^ レッズ 2年ぶり地区V 名将は入院中 主力選手「監督に会いたいよ」 - スポーツニッポン、2012年9月23日
  4. ^ Friedrich, Howard (2015年11月3日). “Washington Nationals hire Dusty Baker as manager”. Associated Press. Toronto Star. http://www.thestar.com/sports/baseball/2015/11/03/washington-nationals-hire-dusty-baker-as-manager.html 2015年11月4日閲覧。 
  5. ^ Steve Adams (2017年10月20日). “Dusty Baker Will Not Return As Nationals’ Manager In 2018” (英語). MLB Trade Rumors. 2017年10月21日閲覧。
  6. ^ Rhett Bollinger (2020年1月30日). “Astros hire Dusty Baker to short-term deal as new manager” (英語). ESPN. 2020年2月8日閲覧。
  7. ^ Guardians’ Terry Francona wins Manager of the Year for the third time” (英語). BBWAA – Baseball Writers' Association of America (2022年11月15日). 2022年11月16日閲覧。
  8. ^ MLBベイカー監督が引退へ 選手、指揮官の両方で長年活躍 報道”. www.afpbb.com (2023年10月26日). 2024年1月26日閲覧。
  9. ^ ダスティ・ベイカーが古巣ジャイアンツの特別アシスタントに就任”. au Webポータル (2024年1月16日). 2024年1月29日閲覧。
  10. ^ Dusty Baker and Pitch Counts”. 2006年5月26日閲覧。
  11. ^ 出野哲也「レッズの進むべき道を探る 迷走の先にあるものは」『月刊スラッガー No.124 , 2008年8月号』日本スポーツ企画出版社、39 - 41頁頁。 
  12. ^ 出野哲也「2008後半戦チーム別総点検ナショナル・リーグ編」『月刊スラッガー No.125 , 2008年9月号』日本スポーツ企画出版社、48頁頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]