タイーバ・ハニーフ

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タイーバ・ハニーフ=パーク
Tayyiba Haneef-Park
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1979-03-23) 1979年3月23日(45歳)
ラテン文字 Tayyiba Haneef-Park
身長 201cm
体重 82kg
選手情報
ポジション WS
利き手
スパイク 328cm
ブロック 312cm 
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
2008 女子バレーボール
2012 女子バレーボール
世界選手権
2002 女子バレーボール
ワールドカップ
2003 女子バレーボール
2007 女子バレーボール
2011 女子バレーボール
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タイーバ・ハニーフ=パーク(Tayyiba Haneef-Park、1979年3月23日 - )は、アメリカ合衆国の元女子バレーボール選手、現指導者。元アメリカ合衆国代表。バスケットボール選手のタリ・フィリップスは従姉。

来歴[編集]

7歳から陸上、バスケットボールを始め、陸上では2000年全米陸上選手権(シドニー五輪代表選考会)の走り高跳び10位(1メートル80、自己ベストは1メートル90)の結果を残した。バレーボールは17歳から始め、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校を卒業後、バレーボールに専念するようになった。

2001年米国代表に初選出され、2002年にドイツで開催された世界選手権に出場し銀メダル、2003年ワールドカップでは銅メダルを獲得した。

2004年にはアテネオリンピックに出場。同年、日本の武富士バンブーへ入団し、2シーズンプレーした。第12回Vリーグは3位と好成績を残す原動力となった。

2005年北中米選手権ではチームを優勝へ導き、自身もベストスコアラー賞を受賞。同年11月のグラチャンでは銀メダル獲得に大きく貢献した。その後2006年世界選手権2007年ワールドカップに出場し、エースアタッカーとしてチームを牽引。2008年北京オリンピックではローガン・トムとともに大車輪の活躍で銀メダルを獲得する。

2008-2009年シーズンにVプレミアリーグパイオニアレッドウィングスでプレーした後は、産休から代表を外れていたが、2010-11年シーズンよりアゼルバイジャンのイトゥサチ・バクーでプレーし、佐野優子とチームメイトだった。

2011年に米国代表へ復帰し、同年のワールドカップ2012年ロンドンオリンピックで銀メダルを獲得した。

2024年に開幕するプロバレーボール連盟(PVF)英語版サンディエゴ・モジョ英語版初代監督に就任[1][2]

球歴[編集]

受賞歴[編集]

所属クラブ[編集]

選手

指導者

脚注[編集]

  1. ^ Editor (2023年6月9日). “San Diego Pro Volleyball Team Names First Coach, Olympian Tayyiba Haneef-Park” (英語). Times of San Diego. 2024年2月15日閲覧。
  2. ^ アメリカ、女子バレーのプロリーグPro Volleyball Federationプロバレーボールフェデレーションとは”. バレーボールマガジン. 2024年4月22日閲覧。