セシル・ウーセ

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セシル・ウーセ
生誕 (1936-01-23) 1936年1月23日
出身地 フランスの旗 フランスタルブ
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ
活動期間 1941年 - 2006年

セシル・ウーセ(Cécile Ousset, 1936年1月23日 タルブ - )は、フランスピアニスト

経歴[編集]

5歳で最初のリサイタルを開き、その後10歳でパリ音楽院に入学し[1]、(ヘプシバ・メニューインの恩師)マルセル・シャンピに師事し、14歳で首席で卒業する。数々のコンクールに参加し、受賞した(ロン=ティボー国際コンクール入賞、エリザベート王妃国際音楽コンクール4位入賞、ボルツァーノブゾーニ国際ピアノコンクール入賞、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝)。

世界中で演奏活動を続ける傍ら、録音にも熱心に取り組んできた。鮮やかな技巧と節度ある音楽性の融合した明晰な演奏はいずれもすばらしいもので、モーツァルトメンデルスゾーンショパンシューマンリストグリーグチャイコフスキードビュッシーラフマニノフラヴェルプロコフィエフガーシュウィンプーランクなどレパートリーの広さでも知られる。また、クルト・マズアネヴィル・マリナーサイモン・ラトルなどの著名な指揮者と共演した。ブラームスの《ピアノ協奏曲 第2番》の録音は、グランプリ・デュ・ディスク賞に輝いた。

若い才能の指導と発掘に大きな興味を寄せており、アメリカ合衆国カナダヨーロッパ諸国、オーストラリア極東におけるマスタークラスの開催へとつながった。フランス南西部の美しい中世風の村、ピュイセルシにおいて例年マスタークラスを開催している。また、リーズ国際ピアノコンクールやルービンシュタイン国際ピアノコンクール、ブレーメン国際音楽コンクールの審査員を務めた。

2006年背骨に関係する健康不安を理由に演奏活動から引退した。

脚注[編集]

  1. ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、128ページ、ISBN 4-7872-7208-X

外部リンク[編集]