スウィート (富田靖子の曲)

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スウィート
富田靖子シングル
初出アルバム『男友達』
A面 スウィート
B面 嫌いキラキラ愛してる
リリース
規格 シングルレコード
ジャンル J-POP
レーベル 日本コロムビア
作詞 三浦徳子
作曲 鈴木キサブロー
チャート最高順位
富田靖子 シングル 年表
さびしんぼう
(1985年)
スウィート
1985年
君はシンデレラ
(1985年)
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スウィート」は1985年7月1日日本コロムビアから発売された富田靖子の4枚目のシングル

解説[編集]

前作「さびしんぼう」から約5か月ぶりのシングル。

収録曲[編集]

  1. スウィート
    作詞:三浦徳子/作曲:鈴木キサブロー/編曲:奥慶一
  2. 嫌いキラキラ愛してる
    作詞・作曲:奥野敦子/編曲:柴矢俊彦

備考[編集]

エピソード[編集]

夜のヒットスタジオDELUXEへの出演
  • 同番組(1985年8月7日放送)へゲスト出演した際、井上順が「小学校の時から面白いんですよ」と語り、富田が通っていた小学校の卒業アルバムに書かれた寄せ書きを読んだ[注釈 4]。その話を聞いた芳村真理は「スポットライト当たってますよ」と褒めた。その後、富田は小学校の卒業時に書いた作文の話をし、「将来は歌手になりたくて、中学校2年でスカウトされて、中学校3年生で(以降略)」と未来の自分への予定を立てていたことを明かすと、井上は「その通りに大体なっちゃったね」と語り、芳村は「本当に?」と驚いた。この反応に対し、富田は「信じられなかったですよ」と語った(富田は1983年(当時14歳)に映画アイコ十六歳』のオーディションに合格し、芸能界入りを果たしている)。
  • 井上は「(富田は)オーディションを受けるとき、友達と一緒に受けた」という話をした後、富田が通った小学校の友達(同級生2人)をスタジオに招くと富田は博多弁で驚いたが、その後しゃべらなくなってしまったため、芳村は(博多弁で話したことを)「いいのよいいのよ」とフォローした後、(富田がしゃべらないことに対して)「いいからいいからしゃべりなさい」と注意した[注釈 5]
  • 富田の友達は井上に促されて自己紹介[注釈 6]をした後、司会(井上と芳村)は「(富田が)子供だった頃の印象」や「富田がオーディションで歌った曲」を富田の友達に質問した。それらのトークの後、富田は『スウィート』を歌った(同級生はステージ内に設けられたベンチ[注釈 7]で観覧し、手拍子でエールを送った)。
備考

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 富田のシングル曲は13枚(12インチ盤とコラボレーション盤の各1枚を含む)あるが、そのうち8枚は「21日発売」だった。
  2. ^ 富田は同番組に3回ゲスト出演し、1985年4月4日に「さびしんぼう」、同年8月12日に「スウィート」、同年11月18日に「君はシンデレラ」を歌った(「君はシンデレラ」はテレビ初公開)。
  3. ^ 富田の曲が同チャートに5回登場したのは『君はシンデレラ』・『なんて素敵にジャパネスク』・『私だけのアンカー』の3曲[1]
  4. ^ 富田はこの寄せ書きに「スポットライトを浴びるシンガーになりたい」と書いていた(当時、富田は英語を習っていたため、「やたら英語を使いたかったんです」と話した)。
  5. ^ 芳村は小学校の同級生と再会して興奮した富田を落ち着かせるため、背中を軽く叩きながら注意した。
  6. ^ この時に富田が通った小学校の校名と、友達のフルネームがテロップに出た。
  7. ^ 街路樹のたもとにあるベンチ」という設定であるが、ベンチそのものはとても簡素なものだった。なお、この曲の歌詞には「街路樹」という語がある[3]
  8. ^ 同コーナー時は、富田の真後ろに薬師丸が居た。

出典[編集]

  1. ^ a b c d シングル売上TOP7作品 - 富田靖子”. オリコンニュース. オリコン. 2023年9月15日閲覧。
  2. ^ 富田靖子* – 男友達 (あいつ)”. Discogs. Zink Media, Inc.. 2023年9月15日閲覧。
  3. ^ スウィート/富田靖子”. JOYSOUND. エクシング. 2023年9月15日閲覧。 “(※「“スウィート”の歌詞」を参照)”

関連項目[編集]