スイート・バナナ

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Sweet Banana
楽曲
発祥1942
作曲者Rhodesian African Rifles

スイート・バナナ」(英:"Sweet Banana")はローデシアの楽曲であり、軍歌である。1942年に作曲され、ローデシア・アフリカ人小銃連隊(RAR)で連隊の行進曲として使用された。のちに、一般のローデシア市民の間でも人気を獲得した。

歴史[編集]

「スイート・バナナ」の作曲者や作詞者は不明だが、作曲時期が第二次世界大戦中の1942年頃であることは知られている。伝えられているところによれば、RARの兵士たちがイタリア人捕虜たちを南アフリカ連邦ナタール州ダーバンから船に乗せて護送するときに生まれたとされる。[1] ダーバンでは大量のバナナが販売されており、兵士たちはその一部を購入し、それについての行進曲を作った。[2] 戦争末期にかけて、RARはエジプトに配属されていたが、彼らの司令官がスエズ運河を経由して帰国すると知らされたとき、RAR隊員たちは運河の護岸に整列し、彼に敬礼してこの曲を斉唱した。[2] そして、1946年のロンドンでの戦勝パレードにおいて、南ローデシアを代表して出席したRARが閲兵台に近づいたとき、この曲が演奏された。[3]

第二次世界大戦以来、この曲が演奏されるとき、兵士たちは行進しながら歌うのが慣例になっていた。[4] 1981年にジンバブエの成立に伴いRARが解散したとき、ブラワヨの連隊旗の返納式の会場までのRARの行進で最後の「スイート・バナナ」が演奏された。[4] RARは当初は無言で行進していたが、ある小さな男児が彼の父に「なぜRARは歌っていないのか。」と訊ねたのを聞いて、それへの応答として歌われたのである。[4]

民間への影響[編集]

軍隊の行進曲として作られた「スイート・バナナ」であったが、一般のローデシア市民の間でも人気を誇っていた。歌手ジョン・エドモンドはこの曲を商業化し人気のものにした。[2] この曲は世界に離散したローデシア人の間でも人気だった。[5]

脚注[編集]

  1. ^ Badcock, Peter (1980). Faces of War. Sygma. p. 8. ISBN 9780868760070 
  2. ^ a b c Hartwell, Sheila (2018). My Zimbabwean Odyssey - The Sequel. ShieldCrest Publishing. p. 22. ISBN 9781912505418 
  3. ^ Binda, Alexandre (2007). Masodja: The History of the Rhodesian African Rifles and Its Forerunner the Rhodesia Native Regiment.. 30° South Publishers.. pp. 77–89. ISBN 9781920143039 
  4. ^ a b c Hemming, Eve. Scatterlings- a Tapestry of Afri-Expat Tales. Xilbris. pp. 131–132. ISBN 9781483642291 
  5. ^ Grobbelaar, Bruce (2018). “26”. Life in a Jungle. deCoubertin Books. ISBN 978-1909245570