ジョージ・オズボーン

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ジョージ・オズボーン
George Osborne
生年月日 (1971-05-23) 1971年5月23日(52歳)
出生地 イギリスの旗 イギリス
ロンドン パディントン
出身校 オックスフォード大学モードリン・カレッジ
所属政党 保守党
配偶者 フランシーズ・ハウエル
(1998年4月 - 2019年7月)
シーア・ロジャース
(2021年4月 - )
子女 2人
1人
公式サイト [Official website
Constituency website ]

在任期間 2015年5月8日 - 2016年7月13日
首相 デーヴィッド・キャメロン

在任期間 2010年5月11日 - 2016年7月13日
首相 デーヴィッド・キャメロン

在任期間 2005年5月5日 - 2010年5月11日
首相 トニー・ブレア
ゴードン・ブラウン

在任期間 2004年6月14日 - 2005年5月5日
2001年6月7日 - 2017年5月3日
首相 トニー・ブレア
ゴードン・ブラウン
デーヴィッド・キャメロン
テリーザ・メイ
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ジョージ・オズボーン
George Osborne
イギリスの旗 イギリス
タットン選挙区選出
庶民院議員
任期
2001年6月7日 – 2017年5月3日
前任者マーティン・ベル
後任者エスター・マクヴェイ
得票差18,241 (40パーセント)
個人情報
宗教アングリカン

ジョージ・ギデオン・オリバー・オズボーン英語: George Gideon Oliver Osborne1971年5月23日 - )は、イギリスの政治家。2010年5月から2016年7月まで同国の第70代財務大臣であった。

概要[編集]

1971年5月23日にロンドンパディントンにて、オズボーン準男爵家の長男として誕生する[1]オックスフォード大学モードリン・カレッジを卒業後にデイリー・テレグラフに勤務し、その後保守党調査部に入って政治部部長を務めた。オズボーンはダグラス・ホッグ農漁食糧相の特別補佐官を務め、敗北に終わった1997年5月の総選挙ではジョン・メージャー首相のキャンペーンチームの一員として働き、その後メージャーの後任のウィリアム・ヘイグ党首のスピーチライター及び政治秘書を務めた。

2001年6月の総選挙でオズボーンはタットン選挙区から選出され、庶民院で当時最も若い議員となった。オズボーンは2004年9月に保守党のマイケル・ハワード党首から影の財務省首席政務官に任命され、2005年10月の党首選挙ではデーヴィッド・キャメロンを支援した。キャメロンは2010年5月の総選挙の後にオズボーンを財務大臣に任命した。

財務大臣としてオズボーンは国債の削減を目的とする緊縮財政政策を進めた。保守党が2015年5月の総選挙で絶対多数を獲得した後にオズボーンは財務大臣に再任され、筆頭国務大臣にも任命された。しかしながらイギリスのヨーロッパ連合離脱の国民投票と、それに伴うキャメロンの辞任に従ってオズボーンは閣僚から外れてバックベンチに戻ることとなり、2017年6月の総選挙で出馬せずに政界を引退した。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1971年5月23日にロンドンパディントンにて、第17代準男爵サー・ピーター・オズボーンとフェリシティ・アレクサンドラ・オズボーン(旧姓ロクストン=ピーコック)の長男として誕生した[1][2]

出生名はギデオン・オリバー・オズボーンだったが[3]、13歳の時にファーストネームとしてジョージの名を追加した。彼は4人兄弟の最年長であったため、バリンタイラーのオズボーン準男爵家の法定推定相続人となった。父親のピーター・オズボーン準男爵はオズボーン&リトル社の共同設立者で[4]、母は芸術家のクラリース・ロクストン=ピーコックの娘である[3][5]

ノーランド・プレイス校コレット・コート及びセント・ポール校を経て[6]、1993年にオックスフォード大学モードリン・カレッジを卒業した[4][7]。なお学生時代はブリンドン・クラブ英語版に所属していた[8]。また、アメリカノースカロライナ州デイビッドソン大学ディーン・ラスク奨学生として1学期学んだ[9]

大学卒業後は新聞記者を志望したが、タイムズ紙とエコノミスト紙に落ち[10]、フリーランスの記者としてデイリー・テレグラフのコラムを担当した[11]。しばらくして、オックスフォード時代の友人でジャーナリストのジョージ・ブリッジズから保守党本部の求人を紹介された[11]

初期の政治活動[編集]

1994年に保守党調査部に加わり、政治部部長となった。最初の仕事の一つはブラックプールで1994年10月の労働党大会を観察することであった[12]

1995年から1997年にかけて(牛海綿状脳症危機の間)オズボーンはダグラス・ホッグ農漁食糧相の特別補佐官としてダウニング街10番地で勤務した。1997年にオズボーンはジョン・メージャー首相のキャンペーンチームで働き、この年の総選挙に直面した。選挙後にオズボーンは再びジャーナリズムへの転職を考えてタイムズ紙にアプローチしたが、何も生じなかった。

1997年から2001年まで保守党のウィリアム・ヘイグ党首(当時)のスピーチライターと秘書を担当し、首相質問チームに加わる。続いて、ハワード党首、キャメロン党首の時もオズボーンは首相質問チームに加わった。

国会議員[編集]

2001年6月にタットン選挙区から立候補して初当選し、当時庶民院で最も若い保守党議員となる。2003年10月にはイラク侵攻を強力に支持した[13]。また2005年5月2010年5月の総選挙でも再選を果たした。

財務大臣[編集]

2014年12月には財務大臣としていわゆるグーグル税新設の方針を発表した[14]。また実質的な外相とされ[15]、「黄金時代」とも言われた英中蜜月の仕掛け人である[16]

2016年7月13日にテリーザ・メイ新首相によってフィリップ・ハモンドが財務大臣に任命され、オズボーンは退任となった。オズボーンはメイ内閣の支援を表明して祝意を伝えた[17]

参照[編集]

  1. ^ a b Lundy, Darryl. “George Gideon Oliver Osborne” (英語). thepeerage.com. 2017年12月9日閲覧。
  2. ^ George Gideon Oliver Osborne”. 2014年11月3日閲覧。
  3. ^ a b Charles Mosley, Burke's Peerage and Baronetage, 107th edition, volume 2, page 3030.
  4. ^ a b White, Michael; Boles, Nick (2009年10月8日). “Britain's Top 10 Tories”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/politics/gallery/2009/oct/08/conservatives-toryconference-top-10?picture=353948131 2010年2月23日閲覧。 
  5. ^ Charles Mosley, editor, Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes (Wilmington, Delaware, U.S. A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003), volume 2, page 1989.
  6. ^ Ross, Tim (2008年11月7日). “St Paul's School in £150m rebuild”. London Evening Standard. http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23583566-st-pauls-school-in-150m-rebuild.do 2010年1月10日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ George Osborne Visits Magdalen - Magdalen College Oxford”. 2013年4月30日閲覧。
  8. ^ Day, Elizabeth (2011年10月1日). “George Osborne and the Bullingdon club: what the chancellor saw”. The Guardian. http://www.theguardian.com/politics/2011/oct/01/george-osborne-bullingdon-club-chancellor 2015年10月25日閲覧。 
  9. ^ Jeopardy! and Other Breaking News”. Daybook Davidson - Davidson College. 2014年11月3日閲覧。
  10. ^ Kuper, Simon (2016年7月7日). “Brexit: a coup by one set of public schoolboys against another”. ft.com. 2016年7月8日閲覧。
  11. ^ a b The real George Osborne”. theguardian.com (2011年11月28日). 2016年7月8日閲覧。
  12. ^ The real George Osborne. Andy Beckett. The Guardian. 28 November 2011.
  13. ^ Mr. George Osborne (Tatton) (2003年10月22日). “Debate: Iraq (Judicial Inquiry)”. Hansard. 2013年4月22日閲覧。
  14. ^ http://www.theguardian.com/business/2014/dec/03/autumn-statement-2014-osborne-to-introduce-google-tax
  15. ^ “英メイ政権、対EU難航も 交渉役に強硬派ずらり”. (2016年7月15日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM14HAK_U6A710C1EA2000/ 2016年7月19日閲覧。 
  16. ^ “英中蜜月の仕掛け人 “次の首相”オズボーンの正体”. (2015年11月26日). http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5637 2016年7月16日閲覧。 
  17. ^ George Osborne sacked as Chancellor and replaced by Philip Hammond as Theresa May forms her new Cabinet C. Hope, The Daily Telegraph, 13 Jul 2016

参考文献[編集]

  • Ganesh, Janan (2012). George Osborne: The Austerity Chancellor. Biteback. ISBN 978-1849542142 

外部リンク[編集]

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
マーティン・ベル
イギリスの旗 タットン選挙区
選出庶民院議員

2001年6月7日 - 2017年5月3日
次代
エスター・マクヴェイ
公職
先代
ハワード・フライト
イギリスの旗 影の財務省首席政務官
2004年6月14日 - 2005年5月5日
次代
フィリップ・ハモンド
先代
オリヴァー・レットウィン
イギリスの旗 影の財務大臣
2005年5月5日 - 2010年5月11日
次代
アリスター・ダーリング
先代
アリスター・ダーリング
イギリスの旗 財務大臣
第70代:2010年5月11日 - 2016年7月13日
次代
フィリップ・ハモンド
イギリスの旗 第二大蔵卿
2010年 - 2016年
先代
ウィリアム・ヘイグ
イギリスの旗 筆頭国務大臣
2015年5月8日 - 2016年7月13日
次代
ダミアン・グリーン