ジム・ポラード

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ジム・ポラード
Jim Pollard
故人
ポジション SF
基本情報
愛称 The Kangaroo Kid
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1922年7月9日
没年月日 (1993-01-22) 1993年1月22日(70歳没)
出身地 カリフォルニア州オークランド
身長(現役時) 193cm (6 ft 4 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
キャリア情報
出身 スタンフォード大学
ドラフト 1947年 7巡目
選手経歴
1947-1955 ミネアポリス・レイカーズ
指導者経歴
1955-1958
1960
1961-1962
1967-1969
ラ・サール大学
ミネアポリス・レイカーズ
シカゴ・パッカーズ
ミネソタ・マスキーズ/マイアミ・フロリディアンズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ジェームズ・クリフォード・ポラード (James Clifford Pollard, 1922年7月9日 - 1993年1月22日) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元プロバスケットボール選手、指導者。身長193cm、体重83kg。ポジションはスモールフォワード。プロキャリア8年をミネアポリス・レイカーズ一筋でプレーした。ジョージ・マイカンヴァーン・ミッケルセン、そしてポラードのトリオはしばしばNBA史上最高のフロントラインと評され、彼らを擁したレイカーズは3連覇を含む5回の優勝を果たした。1978年に殿堂入りを果たしている。

選手キャリア[編集]

ジム・ポラードことジェームス・クリフォード・ポラードは、スタンフォード大学バスケットボールチームの主力選手の一人であり、1942年のNCAAトーナメントで同校は優勝を果たすも、ポラードは決勝では病気のためにプレイすることができなかった。

ポラードはBAA(NBAの前身)最初のドラフトである1947年のBAAドラフトで1巡目外でシカゴ・スタッグズから指名を受けるが、ポラードはスタッグズには入団せず、NBL所属のミネアポリス・レイカーズでプレイした。ポラードはこのレイカーズで数々の栄光を勝ち取ると共に、当時最高のフォワードの一人として活躍することになる。レイカーズにはジョージ・マイカンという当時バスケット界最高峰のセンターが在籍しており、彼とポラードが形勢するフロントラインは他チームの脅威となった。レイカーズは1947年のNBLチャンピオンシップ優勝を果たした。

1948年にレイカーズはNBLからBAA(NBAの前身)に籍を移し、ポラードは平均14.8得点の成績を記録し、オールBAA1stチームに選出される。チームもプレーオフを勝ち上がり、ファイナルではワシントン・キャピトルズを破ってBAA加盟1年目にして優勝を果たした。BAAがNBAと名を変えた翌シーズンにはフォワードのヴァーン・ミッケルセンが加わり、レイカーズのフロントラインは益々充実して、レイカーズはファイナルを制し、レイカーズはNBA史上初めて連覇を達成したチームとなった。翌1950-51シーズンにポラードは11.6得点9.0リバウンドを記録し、オールスターに初出場するが、チームはプレーオフでロチェスター・ロイヤルズの前に破れ、三連覇はならなかった。

マイカンを中心に据えたレイカーズのフロントラインがあまりにも強力過ぎるため、リーグは1951年に制限区域(ペイントエリア)拡大に踏み切った。レイカーズにとっては最大の強みであるインサイドでの優位性を損なわせるルール変更だったが、レイカーズはものともせず、このシーズンのファイナルを制し、さらに翌年も、その翌年のファイナルも制して、NBA初の三連覇を達成し、ポラードはレイカーズで5つのチャンピオンリングを手に入れることになった。マイカン、ミッケルセン、ポラードのトリオに支えられたレイカーズは、NBA初の"王朝"と呼ばれる存在だった。しかしレイカーズ王朝もマイカンの引退により、終焉の時を迎えた。トリオの中では最年長だったポラードも、マイカンが引退して最初のシーズンとなった1954-55シーズンに、彼が担っていた役割を他のチームメイトに譲るようになっていた。そしてフォートウェイン・ピストンズに、彼らにとっては4年ぶりとなるプレーオフ途中敗退を味わった後、ポラードは現役から引退した。

BAA/NBA計7シーズンのプレイでの通算成績は、通算5762得点2487リバウンド、平均13.2得点7.8リバウンドだった(リバウンドは1950-51シーズンからの計測)。

プレースタイルと業績[編集]

ポラードは高い身体能力を持ったフォワードで、彼は練習でしばしばフリースローラインからジャンプしてダンクを決めたと言われており、そのずば抜けた跳躍力から"カンガルー・キッド"の異名をとった。またジャンプショットも得意としており、コーナーからのシュートを高確率で決めることができた。

コーチキャリア[編集]

ポラードは1955年から3シーズンラサール大学の男子バスケットボールチームを指揮し、48勝23敗の成績を残した。

1959-60シーズンからは古巣ミネアポリス・レイカーズのヘッドコーチに就き、以後シカゴ・パッカーズABAミネソタ・マスキーズ(マイアミ・フロリディアンズ)のヘッドコーチを歴任した。プロチームでの通算成績は295試合130勝165敗だった。

個人成績[編集]

* リーグ1位
太字 キャリアハイ
NBAチャンピオン

レギュラーシーズン[編集]

Season Team GP MPG FG% FT% RPG APG PPG
1948–49 MNL 53 .396 .687 2.7 14.8
1949–50 66 .346 .764 3.8 14.7
1950–51 54 .352 .750 9.0 3.4 11.6
1951–52 65 39.2 .356 .704 9.1 3.6 15.5
1952–53 66 36.4 .357 .769 6.8 3.5 13.0
1953–54 71 35.0 .370 .778 7.0 3.0 11.7
1954–55 63 31.1 .354 .812 7.3 2.5 10.8
Career 438 35.4 .360 .750 7.8 3.2 13.2
All-Star 4 24.3 .304 .750 5.5 3.3 12.0

プレーオフ[編集]

Year Team GP MPG FG% FT% RPG APG PPG
1949 MNL 10 .293 .710 3.9* 13.0
1950 12 .286 .710 4.7 12.0
1951 7 .324 .833 8.9 3.9 13.6
1952 11 42.6* .405 .740 6.3 3.0 16.1
1953 12 37.9 .371 .774 7.2 4.1 14.3
1954 13 41.8 .361 .800 8.5 3.2 12.3
1955 7 36.7 .317 .717 11.1 2.0 14.1
Career 72 40.1 .339 .750 8.1 3.6 13.6

コーチ戦績[編集]

NBA/ABA[編集]

Team Season Regular season Playoffs
G W L W-L% G W L W-L% Results
MNL 1959–60 39 14 25 .359 9 5 4 .556 ディビジョン決勝敗退
CHP 1961–62 80 18 62 .225
MNM
MMF
1967–68 78 50 28 .641 10 4 6 .400 ディビジョン決勝敗退
1968–69 78 43 35 .551 12 5 7 .417 ディビジョン決勝敗退
1969–70 20 5 15 .250
Career 295 130 165 .441 31 14 17 .452

外部リンク[編集]