ジエゴ・カルロス・サントス・シウヴァ

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ジエゴ・カルロス
名前
本名 ジエゴ・カルロス・サントス・シウヴァ
Diego Carlos Santos Silva
愛称 グランデ・ジエゴ[1]
ラテン文字 DIEGO CARLOS
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1993-03-15) 1993年3月15日(31歳)
出身地 バーハ・ボニータ
身長 186cm[1]
体重 79㎏[1]
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 アストン・ヴィラFC
ポジション DF
背番号 3
ユース
2012-2014 ブラジルの旗 アメリカSP
2010-2013 ブラジルの旗 デスポルチーヴォ
2012-2013 ブラジルの旗 サンパウロ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012-2014 ブラジルの旗 デスポルチーヴォ 0 (0)
2013 ブラジルの旗 サンパウロ (loan) 0 (0)
2014 ブラジルの旗 パウリスタ (loan) 0 (0)
2014 ブラジルの旗 マドゥレイラ (loan) 2 (0)
2014-2016 ポルトガルの旗 エストリル 31 (2)
2014-2015 ポルトガルの旗 ポルトB (loan) 19 (0)
2016-2019 フランスの旗 ナント 97 (4)
2019-2022 スペインの旗 セビージャ 102 (6)
2022- イングランドの旗 アストン・ヴィラFC 3 (0)
代表歴
2021  ブラジル U-23 (OA) 7 (1)
獲得メダル
サッカー
オリンピック
2020 東京 男子
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジエゴ・カルロス(Diego Carlos)ことジエゴ・カルロス・サントス・シウヴァ(Diego Carlos Santos Silva、1993年3月15日 - )はブラジル出身のサッカー選手。ポジションはDF(センターバック)[1][2]アストン・ヴィラFC所属。

経歴[編集]

サンパウロ州バーハ・ボニータポルトガル語版出身で、アメリカFCでサッカーを始めた[1]。2012-13シーズンはデスポルチーヴォ・ブラジルに所属。2013年1月1日にサンパウロFCに、翌シーズンはパウリスタFCにそれぞれ期限付き移籍をした。

2014年7月2日、ポルトガルのGDエストリル・プライアに加入。自身初の国外挑戦となったが[1]、その直後の同年9月1日にプリメイラ・リーガFCポルトに期限付き移籍し、トップチームではなくBチームを主戦場とした。2015-16シーズンはエストリルに復帰しリーグ戦32試合に出場し2得点を記録したほか、イエローカードを9回、レッドカードを3回掲示された[2]

2016年6月9日、リーグ・アンFCナントへの加入が発表された[1]。契約期間は5年で[1]、移籍金は200万ユーロと推定される[2]。ナントへの加入以来、高いパフォーマンスを見せており、チームの中心またはリーグ屈指のディフェンダーとも評されている[3]

2019年5月31日、リーガ・エスパニョーラセビージャFCFCナントとクラブ間の合意に至ったことを発表した[4]。6月3日、本人と正式に5年契約を締結した[5][6]。同シーズンはチームの好成績を支え、UEFAが選出したラ・リーガベストイレブンに選出された[7]

2020年8月22日、UEFAヨーロッパリーグ 2019-20決勝のインテル戦で5分にロメル・ルカクペナルティーエリア内で倒してしまいPKを献上。だが74分に放ったバイシクルシュートがルカクのオウンゴールを誘い、優勝に大きく貢献した[8][9]

2022年5月26日、プレミアリーグアストン・ヴィラFCセビージャFCと移籍金非公表でクラブ間、合意に至ったことを発表した[10]。  

2022年7月27日、加入初年度ながら監督であるスティーブン・ジェラードの信頼を勝ち取り、エミリアーノ・マルティネスと共に副キャプテンを務める事がクラブより発表された[11]

シーズン開幕から2試合続けて出場していたが、第2節のエバートン戦で試合中に負傷。アキレス腱断裂の重傷を負ってしまう。守備の要として期待していた中での長期離脱となり、チームはその後3連敗と失速。CBの補強が急務となってしまい、サウサンプトンからヤン・ベドナレクをレンタルで獲得するに至った[12][13]

エピソード[編集]

2018年1月14日に行われたリーグ・アン第20節、パリ・サンジェルマンFC戦において、主審のトニー・シャプロン英語版と交錯した際、故意によるものと受け取ったシャプロンから報復のキックを受けた[14]。ジエゴはこれに抗議するためシャプロンに詰め寄ったが、さらにイエローカードが掲示され累積で退場処分となった[14]。この事態を重く見たフランスサッカー連盟はシャプロンに対し、半年間の職務停止処分を課した[14]

アストン・ヴィラへの移籍に際して、セビージャは退団セレモニーを実施。「自分をフットボーラーとして、そして人間として成長させてくれたセビージャに感謝する。セビージャは僕の人生の物語を変えたんだ。彼らが自分のためにしてくれたことに感謝したい。このクラブやファンに対して、SNSを通じて別れを告げるには十分ではないと思っていたんだ。ヨーロッパリーグで優勝したことは、ブラジルでのオリンピック(東京五輪)の金メダルよりも価値がある。僕はプレーヤーとしてここを去るけど、セビジスタとしてここに残る。この街で息子が生まれたことも、とても嬉しかったよ。とにかく、僕はここですべてを学んだんだ。僕はフットボール面の理由でここを離れる。セビージャはいつでも自分の家だけど、僕は新しい挑戦に臨むことが好きなんだ」と時おり涙を浮かべ声を詰まらせながら、3年を過ごした古巣への熱い思いを語った[15]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

セビージャFC

代表[編集]

U-23ブラジル代表

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h DIEGO CARLOS”. FC Nantes - Site officiel. 2019年3月9日閲覧。
  2. ^ a b c Le défenseur brésilien Diego Carlos signe à Nantes”. lequipe.fr (2016年6月6日). 2019年3月9日閲覧。
  3. ^ FC Nantes : Ménès justifie le choix de Ranieri dans son équipe-type”. foot-sur7.fr (2017年12月26日). 2019年3月9日閲覧。
  4. ^ Principio de acuerdo con el fc nantes por diego carlos”. Web Oficial Sevilla FC (2019年5月31日). 2019年6月9日閲覧。
  5. ^ Central brasileno diego carlos firma cinco temporadas sevilla fc”. Web Oficial Sevilla FC (2019年6月3日). 2019年6月9日閲覧。
  6. ^ ジエゴ・カルロス:「キャリアにおいて非常に嬉しい、大きな一歩。」”. セビージャFC (2019年6月3日). 2019年7月9日閲覧。
  7. ^ スペインリーグのベスト11にレアルから5選手 ”. www.nikkansports.com (2020年7月23日). 2020年7月23日閲覧。
  8. ^ 壮絶な撃ち合いを制したセビージャが4年ぶり史上最多6度目の戴冠!鮮やかなバイシクル弾でインテルを沈める【EL】”. サッカーダイジェストWeb (2020年8月22日). 2020年8月22日閲覧。
  9. ^ 優勝導くバイシクルのセビージャD・カルロス「タイトルとゴールは妊娠中の妻へ」”. ゲキサカ (2020年8月22日). 2020年8月22日閲覧。
  10. ^ Villa agree Diego Carlos deal”. Aston Villa Football Club (2022年5月26日). 2022年5月26日閲覧。
  11. ^ アストン・ヴィラ、主将交代を発表…ジェラード監督が理由を説明” (2022年7月28日). 2022年7月28日閲覧。
  12. ^ ジエゴ・カルロスが開幕2戦目でアキレス腱断裂の重傷で手術…今夏セビージャからアストン・ビラ加入” (2022年8月15日). 2022年8月15日閲覧。
  13. ^ CB補強に動いたアストン・ビラがサウサンプトンのDFベドナレクをレンタルで獲得” (2022年9月1日). 2022年9月1日閲覧。
  14. ^ a b c 選手に“報復キック”で厳罰の元主審、10カ月越しの釈明 「蹴り飛ばしたいわけでは…」”. football-zone (2018年11月12日). 2019年3月9日閲覧。
  15. ^ D・カルロスがセビージャお別れ会見で涙…「SNSでの別れは十分ではなかった…」”. ultra-soccer. (2022年7月8日). 2022年7月8日閲覧。