コルネリウス氏族

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コルネリウス氏族(コルネリウスしぞく、ラテン語: gens Cornelia)は、古代ローマ氏族の一つ。パトリキ系の氏族で、共和政期ローマにおいて多くの有力者を輩出した。女性形はコルネリアでコルネリウス氏族の娘はこの名で呼ばれた。

スキピオ・アフリカヌスの刻まれたデナリウス銀貨

概要[編集]

コルネリウス氏族は有力な氏族であり多くの枝族を持っていた。共和政樹立直後の紀元前5世紀から家族こそ入れ替わるものの連綿と続いており、特に共和政中期から末期にかけてはスキピオキンナ、傍系に過ぎなかったスッラといういずれもコルネリウスの氏族名を持つ家族がローマの政治の中心を担っていた。

コルネリウス氏族は他の氏族同様解放奴隷クリエンテスにも自らの氏族名を与えており、帝政期の歴史家コルネリウス・タキトゥスもこうした傍流に属したと考えられる。

一門[編集]

マルギネンシス家[編集]

コッスス家[編集]

スキピオ家[編集]

ルフィヌス家[編集]

レントゥルス家[編集]

紀元前303年の執政官の子孫に関してはW. Drumannに基づく

アルウィナ家[編集]

ドラベッラ家[編集]

メレンダ家[編集]

ブラシオ家[編集]

スッラ家[編集]

マンムラ家[編集]

  • アウルス・コルネリウス・マンムラ, 紀元前217年のプラエトル。サルディニア担当
  • アウルス・コルネリウス・マンムラ, 紀元前191年のプラエトル
  • プブリウス・コルネリウス・マンムラ, 紀元前180年のプラエトル。シキリア担当
  • マルクス・コルネリウス・マンムラ, 紀元前173年のレガトゥス

ケテグス家[編集]

メルラ家[編集]

シセンナ家[編集]

  • プブリウス・コルネリウス・シセンナ, 紀元前183年の首都プラエトル
  • ガイウス・コルネリウス・シセンナ, 紀元前119年のプラエトル。マケドニア担当

キンナ家[編集]

その他[編集]

  • アウルス・コルネリウス, 紀元前459年のクァエストル
  • プブリウス・コルネリウス, 紀元前389年の執政武官
  • ルキウス・コルネリウス, 紀元前387年の執政武官
  • プブリウス・コルネリウス, 紀元前234年のプラエトル
  • グナエウス・コルネリウス, 紀元前174年のフラメン・ディアリス

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Fasti.
  2. ^ a b Broughton Vol.1, p.214.
  3. ^ Broughton Vol.1, p.268.
  4. ^ Broughton Vol.1, p.271.
  5. ^ Broughton Vol.1, p.371.
  6. ^ 砂田(2018), p. 55.
  7. ^ Broughton Vol.1, p.402.

参考文献[編集]

  • Attilio Degrassi (1954). Fasti Capitolini 
  • T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association 
  • 砂田徹『共和政ローマの内乱とイタリア統合 退役兵植民への地方都市の対応』北海道大学出版会、2018年。ISBN 9784832968431