グランドア伯爵

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グランドア伯爵(グランドアはくしゃく、: Earl of Glandore)は、アイルランド貴族の爵位。1776年に創設され、1815年に廃絶した。従属爵位のブランデン男爵Baron Branden、1758年創設、1832年廃絶)についても本項で述べる。

歴史[編集]

サー・トマス・クロスビー英語版(?–1694)の孫モーリス・クロスビー(c.1688–1762)ケリー県選挙区英語版選出アイルランド庶民院議員を45年間務めたのち、1758年9月16日にアイルランド貴族であるケリー県ブランデン男爵に叙された[1]。その息子である2代男爵ウィリアム・クロスビー(1716–1781)アルドフェルト選挙区英語版選出アイルランド庶民院議員を27年間務め、爵位を継承したのち1771年11月30日にケリー県アルドフェルトにおけるクロスビー子爵に、1776年7月22日にコーク県におけるグランドア伯爵に叙された[2]

2代伯爵ジョン・クロスビー(1752–1815)はアイルランド庶民院議員、アイルランド貴族代表議員を務めたが、妻との間で息子をもうけず、その死をもってグランドア伯爵位とクロスビー子爵位が廃絶した[3]。ブランデン男爵位は初代伯爵の弟モーリス・クロスビー英語版(1733–1809)の息子ウィリアム・クロスビー(1771–1832)が継承して4代男爵となった[4]

4代男爵はアイルランド国教会の聖職者だった[4]。妻エリザベスが第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラムと不倫したため、1829年に離婚裁判を起こしたが、証拠不足で敗訴した[4]。妻との間の息子が夭折したため、4代男爵の死をもってブランデン男爵位も廃絶した[4]

ブランデン男爵(1758年)[編集]

グランドア伯爵(1776年)[編集]

ブランデン男爵(1758年、復帰)[編集]

  • 第4代ブランデン男爵ウィリアム・クロスビー(1771年 – 1832年)
    • モーリス・クロスビー閣下(1815年/1816年 – 1816年)

出典[編集]

参考文献[編集]

  • Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 279–280.
  • Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 659–660.