クイックマッチ (駆逐艦)

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対潜フリゲート改装後
艦歴
発注
起工 1941年2月6日
進水 1942年4月11日
就役 1942年9月14日
退役 1963年4月26日
その後 1972年2月15日にスクラップとして売却
除籍
性能諸元
排水量 1,705トン(駆逐艦時)
2,020トン(フリゲート時)
全長 359 ft 9 in (109.65 m)
全幅 65 ft 9 in (20.04 m)
吃水 9 ft 6 in (2.90 m)
機関
最大速 31ノット (57 km/h)
乗員 220名
兵装

クイックマッチ (HMAS Quickmatch, G92/D21/D292/F04) はオーストラリア海軍駆逐艦Q級。後に対潜フリゲートに改装された。1942年就役だが、第二次世界大戦中はイギリス海軍によって運用された。

艦歴[編集]

1941年2月6日起工。1942年4月11日進水。同年9月14日就役。

就役後、大西洋インド洋で船団護衛に従事した。

1942年12月1日、フィニステレ岬西方およそ500浬で、イギリスから北アフリカへ向かうKMF4船団を護衛していた「クイックマッチ」は駆逐艦「リダウト」とともに船団前方に発見された船の調査を命じられた[1]。その船はスウェーデン船「Nanking」であると主張し、調査のための書類を持ってこい、または総員退船せよとの命令には天候が不適であると回答した[2]。「クイックマッチ」のRhoades少佐が拡声器で「Get on with it(さっさとやれ)」と言い、「リダウト」が4.7インチ砲を発射すると、イタリアの封鎖突破船「Cortelazzo」であったその船は白旗を揚げ、船長は総員退船と自沈を命じた[3]。「Cortelazzo」は「リダウト」が沈めた[4]

1944年には東洋艦隊所属となり、日本軍支配地域への攻撃をおこなう空母の護衛などに従事した。1944年7月のクリムズン作戦ではオランダ軽巡洋艦「トロンプ」などと共にサバン港の攻撃をおこなった。

1944年11月から12月にかけてシドニーで修理を行う。その後は日本周辺海域で作戦に従事した。

1950年5月15日、退役。対潜フリゲートへの改装工事が行われ、1955年9月23日に再就役。

1963年4月26日に退役。1972年2月15日にスクラップとして売却。

脚注[編集]

  1. ^ Royal Australian Navy, 1942–1945, p. 198
  2. ^ Royal Australian Navy, 1942–1945, p. 198, Axis Blockade Runners of World War II, p. 114
  3. ^ Royal Australian Navy, 1942–1945, p. 199, Axis Blockade Runners of World War II, p. 114
  4. ^ Royal Australian Navy, 1942–1945, p. 199

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]