キャロン・ウィーラー

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キャロン・ウィーラー
Caron Wheeler
1990年グラミー賞授賞式にて
基本情報
生誕 (1963-01-19) 1963年1月19日(61歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドンアクトン
ジャンル R&Bソウルポップスレゲエ
職業 歌手ソングライター音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカル
活動期間 1989年 -
レーベル キャピトルRCAEMI
共同作業者 ブラウン・シュガーアフロディジアックソウル・II・ソウル

キャロン・ウィーラーCaron Wheeler1963年1月19日 - )は、イギリスR&B女性歌手。一時、ソウル・II・ソウルにも在籍し、その後、ソロ活動に転じた。

経歴[編集]

1963年1月19日ロンドンアクトン生まれ。家族はジャマイカ系イギリス人であり、父親はジャマイカ出身のベース奏者、母親も同じくジャマイカ出身のシンガーだった。

12歳のとき、ブリティッシュ・レゲエの女性トリオ、ブラウン・シュガーで音楽活動を始める。1980年代に入ると、クラウディア・フォンティン、ナオミ・トンプソンとともにアフロディジアック (Afrodiziak) というグループを結成、この頃から、エルヴィス・コステロフィル・コリンズアスワドデヴィッド・ボウイなどのバッキング・コーラスをつとめる。

1980年代末にジャジー・B (Jazzie B) 率いるソウル・II・ソウルに参加。そのファースト・アルバム『Club Classics Vol.One』収録の「Keep on movin'」、「Back to life」でリード・ヴォーカルをつとめた。このアルバムのヒットによりグループはグラミー賞(最優秀R&Bグループ賞)などの各賞を受賞したが、その後、キャロンはグループを離れ(その後のグループのライブにもアルバム制作にも参加せず)、ソロ活動に転じた。

1990年にソロとしてファースト・アルバム『UKブラック』を発表。その後、アメリカに渡り、1993年にはセカンド・アルバム『戦いの女神の海辺』を発表した。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 『UKブラック』 - UK Blak (1990年、EMI)
  • 『戦いの女神の海辺』 - Beach of the War Goddess (1993年、EMI)

ライブ・アルバム[編集]

  • 『キャロン・ウィラーLive!』 - Live at Duo Music Exchange (2006年、Universal / Soft Exchange)

コンピレーション・アルバム[編集]

  • 『リミックス・オンリー・ジャパン』 - Remix Only for Japan (1991年、EMI)

シングル[編集]

  • 「リヴィン・イン・ザ・ライト」 - "Livin' in the Light" (1990年)
  • 「UKブラック」 - "UK Blak" (1990年)
  • 「ブルー」 - "Blue (Is the Colour of Pain)" (1991年)
  • "Don't Quit" (1991年)
  • "I Adore You" (1992年)
  • "In Our Love" (1993年)
  • "Soul Street" (1993年)
  • "Beach of the War Goddess" (1993年)
  • "Star" (1999年)
  • "A New Day" (featuring Louie Vega and Jazzie B) (2016年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]