ガリー・アブレット

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ガリー・アブレット
名前
本名 ガレス・イアン・アブレット
愛称 ガリー・アブレット
ラテン文字 Gary Ablett
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス (イングランドの旗 イングランド)
生年月日 1965年11月19日
出身地 リヴァプール
没年月日 (2012-01-01) 2012年1月1日(46歳没)
選手情報
ポジション DF / MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1992 イングランドの旗 リヴァプール 109 (1)
1985 イングランドの旗 ダービー (loan) 6 (0)
1986 イングランドの旗 ハル・シティ (loan) 5 (0)
1992-1996 イングランドの旗 エヴァートン 128 (8)
1996 イングランドの旗 シェフィールド・U (Loan) 12 (0)
1996-1999 イングランドの旗 バーミンガム・シティ 104 (1)
1999 イングランドの旗 ウィコム・W (Loan) 4 (0)
2000 イングランドの旗 ブラックプール 10 (1)
2000-2001 アメリカ合衆国の旗 ラフ・ライダーズ 21 (2)
通算 399 (13)
代表歴
1988 イングランドの旗 イングランド U-21 1 (0)
1990 イングランドの旗 イングランド B 1 (0)
監督歴
2002-2006 イングランドの旗 エヴァートン U-17
2006-2009 イングランドの旗 リヴァプール U-21
2009-2010 イングランドの旗 ストックポート
2010 イングランドの旗 イプスウィッチ (コーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ガリー・アブレット(Gary Ablett)ことガレス・イアン・アブレット(Gareth Ian Ablett、1965年11月19日 - 2012年1月1日)は、イングランドリヴァプール出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック、センターバック)、ミッドフィールダー(センターハーフ)。

リヴァプールの両クラブ(リヴァプールFCエヴァートンFC)でタイトルを獲得したことで知られている。息子のフレーザー・アブレット(Frazer Ablett)もサッカー選手であり、チェスター・シティFCなどでプレーしている。

経歴[編集]

選手時代[編集]

リヴァプールFC[編集]

リヴァプールに生まれ、1982年に学校を離れてリヴァプールFCの練習生となった。レギュラーのバリー・ヴェニソンマーク・ローレンソンが負傷していた1986年12月20日、チャールトン・アスレティックFC戦(0-0)でトップチームデビューした[1]。1985年にはダービー・カウンティFCにレンタル移籍し、1986年にはハル・シティAFCにレンタル移籍している。1987年4月18日のノッティンガム・フォレストFC戦(3-0)でリヴァプールFC在籍期間中唯一となる得点を挙げ、1986-87シーズンは計6試合に出場した[2]ガリー・ギレスピースティーヴ・ニコールアラン・ハンセンなどのベテラン選手と守備陣を形成し、1987-88シーズンにはファースト・ディビジョンで優勝した。FAカップでは決勝に進出したが、ウィンブルドンFCに0-1で敗れて準優勝に終わった[3]。1988-89シーズンには2シーズン連続でFAカップの決勝に進出し、ライバルのエヴァートンFCを3-2で下して優勝した。リーグ戦でも優勝を争ったが、最終節でアーセナルFCに0-2で敗れて優勝を逃した。このシーズンには左サイドバックのレギュラーとしての地位を確立し、リーグ戦では3試合に欠場しただけであった。グレン・ヒーセンの加入、スティーヴ・ストーントンデヴィッド・バロウズの成長などがあり、1989-90シーズン以降は控えに降格した。センターバックのA・ハンセンが負傷がちになると、左サイドバックよりもセンターバックとして起用されることが増えたが、同シーズンには再びリーグ優勝を果たした。リヴァプールFCでは147試合に出場した。

エヴァートンFC[編集]

1991年2月22日にケニー・ダルグリッシュ監督が辞任し、後任にはグレアム・スーネス監督が就任すると、1992年1月、移籍金75万ポンドでライバルのエヴァートンFCに移籍した。皮肉にも、出場機会が増加した矢先の放出であった。1992年1月19日、グディソン・パークで行われたノッティンガム・フォレスト戦(1-1)でデビューした。1994-95シーズンにはFAカップで優勝し、リヴァプールに本拠地を置く2クラブの両方でFAカップを獲得した初めての選手(唯一の選手でもある)となった[4]。1995-96シーズンはアンディ・ヒンチクリフにポジションを奪われ、1996年にはシェフィールド・ユナイテッドFCに短期間レンタル移籍した。エヴァートンFCではリーグ戦128試合に出場して5得点した。

選手生活の晩年[編集]

1996年夏、バーミンガム・シティFCに完全移籍した。移籍金は39万ポンド。バーミンガム・シティFCでは計2得点を決めているが、1997年2月のスウィンドン・タウンFC戦(リーグ戦、3-1)での得点と[5]リーズ・ユナイテッドAFC戦(FAカップ) での得点である[6]

1999年、バーミンガム・シティFCのトレヴァー・フランシス監督はアブレットを放出した。リヴァプールFC時代のチームメイトであるスティーヴ・マクラーレンが監督を務めるブラックプールFCで短期間プレーし、ルートン・タウンFC戦で在籍期間中唯一となる得点を挙げた[7]。ウィコム・ワンダラーズFCでも短期間プレーし、2000年6月にアメリカ・Aリーグのロング・アイランド・ラフ・ライダーズと契約した。36歳となった2002年2月、グリムスビー・タウンFCのトライアルを受けたが、契約には至らなかった。

指導者時代[編集]

リザーブチーム監督時代[編集]

2002年夏、エヴァートンFCのU-17チームの監督に就任して指導者としての道を歩み始めた。2006年、1986年5月のFAカップ決勝(リヴァプールFC対エヴァートンFC)を再現したチャリティマッチに出場した。アブレットがリヴァプールFCからデビューしたのは1986年12月のことであり、アブレットの出場は奇妙なことであったが、アブレットの貢献によってリヴァプールFCが1-0で勝利した。2006年までエヴァートンFCのユースアカデミーで仕事をしたが、リザーブチームではアンディ・ホールデン監督が確固たる地位を築いていたため、パコ・エレーラ監督の後任としてリヴァプールFCのリザーブチームの監督に就任した[8]。2008年4月にはプレミア・リザーブリーグ・ノースで優勝し、その数カ月後に行われたプレーオフ決勝ではアストン・ヴィラFCのリザーブチームを破って全国優勝を果たした。2008年7月、欧州サッカー連盟(UEFA)の指導者養成プログラムを完了し、UEFAプロライセンスを取得した[9]。2009年5月28日、リヴァプールFCのリザーブチーム監督のポジションを離れた[10]

トップチームでの指導者経歴[編集]

2009年7月8日、ストックポート・カウンティFCの監督に就任した[11]。クラブは財政難に苦しみ、2009-10シーズンはシーズン丸々財産管理下に置かれた。連続敗戦記録を更新し、アブレットは2010年6月17日に退任した。2010年7月、イプスウィッチ・タウンFCと1年契約を結んでコーチングスタッフに加わった[12]

死去[編集]

2010年夏にグラウンドで倒れ、血液がんの一種である非ホジキンリンパ腫との診断を下された[13][4]。2012年1月1日、16ヶ月の闘病の末に死去した[14]。46歳だった。

タイトル[編集]

いずれも選手時代
  • リヴァプールFC
ファースト・ディビジョン : 1987-1988, 1989-1990
FAカップ : 1988-1989
FAコミュニティ・シールド : 1988, 1989, 1990
  • エヴァートンFC
FAカップ : 1994-1995
FAコミュニティ・シールド : 1995

脚注[編集]

  1. ^ Charlton Athletic 0 – 0 Liverpool”. LFC History. 2009年7月8日閲覧。
  2. ^ Liverpool 3 – 0 Nottingham Forest”. LFC History. 2009年7月8日閲覧。
  3. ^ Liverpool 0 – 1 Wimbledon”. LFC History. 2009年7月8日閲覧。
  4. ^ a b マージーサイドの名選手、アブレット氏が死去”. UEFA.com (2012年1月2日). 2012年1月8日閲覧。
  5. ^ “Swindon Town 3 – 1 Birmingham City”. Swindon Town FC.co.uk. (1997年2月26日). http://www.swindon-town-fc.co.uk/MatchCentre.asp?MatchID=19970134 2010年12月22日閲覧。 
  6. ^ “FA Cup – History and Hasselbaink favour Graham once again”. The Independent. (1998年2月16日). http://www.independent.co.uk/sport/football-fa-cup--history-and-hasselbaink-favour-graham-once-again-1145087.html 2010年12月22日閲覧。 
  7. ^ “Fixtures & Results – Saturday, 15 January 2000”. Sky Sports. (2000年1月15日). http://skysports.stats.football365.com/cgi-bin/results.pl?lang=english&year=2000&month=01&date=15 2010年12月22日閲覧。 
  8. ^ Watch now: Ablett's first interview”. liverpoolfc.tv. 2006年12月14日閲覧。
  9. ^ Ablett gains final UEFA licence”. liverpoolfc.tv. 2008年7月9日閲覧。
  10. ^ Liverpool and Ablett part company”. BBC Sport (2009年5月28日). 2009年5月28日閲覧。
  11. ^ Stockport confirm Ablett as boss”. BBC Sport (2009年7月8日). 2009年7月8日閲覧。
  12. ^ Assistant Not A Priority”. イプスウィッチ・タウンFC公式サイト (2010年7月26日). 2010年8月2日閲覧。
  13. ^ Henderson, Mel (2010年8月2日). “Ex-Liverpool and Everton defender Gary Ablett is diagnosed with cancer”. Mail Online. http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-1299653/Ex-Liverpool-Everton-defender-Gary-Ablett-diagnosed-cancer.html 2010年8月2日閲覧。 
  14. ^ “Former Liverpool & Everton defender Gary Ablett dies”. BBC Sport (BBC). (2012年1月2日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/16383027.stm 2012年1月2日閲覧。 

外部リンク[編集]