カート・アボット

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カート・アボット
Kurt Abbott
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州ザネスビル
生年月日 (1969-06-02) 1969年6月2日(54歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手
プロ入り 1989年 ドラフト15巡目
初出場 1993年9月8日
最終出場 2001年4月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

カート・アボットKurt Thomas Abbott, 1969年6月2日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身の元プロ野球選手遊撃手二塁手)。右投右打。

経歴[編集]

プロ入りからアスレチックス時代[編集]

1989年にドラフト15巡目でオークランド・アスレチックスに入団。

しかしアスレチックスではメジャー初出場を果たした1993年に20試合に出場しただけで、シーズン終了後の12月20日にフロリダ・マーリンズへとトレードされた。

マーリンズ時代[編集]

移籍1年目の1994年MLBストライキの影響もあって101試合の出場にとどまったが、ショートのレギュラーに定着。

1995年も120試合に出場し、17本塁打を記録した。

1996年5月、後にオールスター選手となるエドガー・レンテリアがマーリンズに加入。これによりショートの定位置はアボットからレンテリアへと移ることとなった。するとアボットはショートだけでなくセカンド、サードも務めるなどユーティリティープレイヤーとして存在感を発揮し、シーズンでは109試合に出場した。

1997年には前年に守った3ポジションに加え、メジャー1年目以来となるレフトも守るなど更に活躍の場を広げ、打撃でもメジャーでは自己最高となる打率.274を記録した。この年チームはワールドシリーズへ進出。自身初となるワールドシリーズの舞台で3試合に出場を果たし、マーリンズ史上初のワールドチャンピオンのメンバーとなった。

こうしてマーリンズで安定した働きを見せていたアボットだったが、1997年のシーズン終了後に古巣のアスレチックスへとトレードされる。

アスレチックス復帰[編集]

しかし迎えた1998年は、アスレチックスでは35試合にしか出場出来ず、6月にトレードで今度はコロラド・ロッキーズへと移籍。

ロッキーズ時代[編集]

しかしロッキーズでも出場機会には決して恵まれなかった。結局この年もアスレチックスで4つのポジション、ロッキーズで5つのポジションを守るなど、やはりユーティリティープレイヤーとしての働きが中心となった。

続く1999年は、前年にロッキーズでセカンドのレギュラーを務めたマイク・ランシングが戦線を離脱。この年打撃好調だったテリー・シャンパートと出場機会を分けあったが、セカンドではチーム最多の66試合に起用された。またこの年はその他にショートとライト、加えてメジャーでは自身初となるファーストとセンターも守ってみせた。

メッツ時代[編集]

1999年のシーズンオフにフリーエージェントとなったアボットは、年が明けた2000年1月26日にニューヨーク・メッツと契約した。メッツでもショートとセカンドを中心に控えの内野手としてプレイ。シーズンでは79試合に出場し、また自身2度目となるワールドシリーズでも5試合に出場を果たした(この年はワールドチャンピオンには輝いていない)。

ブレーブス時代以降[編集]

シーズン終了後に再びフリーエージェントとなったアボットは、2001年1月8日にアトランタ・ブレーブスに入団。しかしブレーブスでは6試合にしか出場出来ず、マイナーリーグでも6試合にしか出場出来なかった。その後2002年2003年もチームを代えてマイナーリーグでプレイしたが、試合に出ることさえままならない状態が続き、2003年限りで現役を引退した。

選手としての特徴[編集]

前述の通り、実に多くのポジションをこなしたユーティリティープレイヤーである。主なポジションはメジャー通算で349試合に出場したショートと、同じく173試合に出場したセカンドだが、9年間のメジャー生活ではピッチャーとキャッチャー以外の全ポジションを守っている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1993 OAK 20 67 61 11 15 1 0 3 25 9 2 0 3 0 3 0 0 20 3 .246 .281 .410 .691
1994 FLA 101 371 345 41 86 17 3 9 136 33 3 0 3 2 16 1 5 98 5 .249 .291 .394 .685
1995 120 468 420 60 107 18 7 17 190 60 4 3 2 5 36 4 5 110 6 .255 .318 .452 .770
1996 109 349 320 37 81 18 7 8 137 33 3 3 4 0 22 1 3 99 7 .253 .307 .428 .735
1997 94 273 252 35 69 18 2 6 109 30 3 1 6 0 14 3 1 68 5 .274 .315 .433 .747
1998 OAK 35 136 123 17 33 7 1 2 48 9 2 1 1 1 10 0 1 34 3 .268 .326 .390 .716
COL 42 76 71 9 18 6 0 3 33 15 0 0 0 2 2 0 1 19 2 .254 .276 .465 .741
'98計 77 212 194 26 51 13 1 5 81 24 2 1 1 3 12 0 2 53 5 .263 .308 .418 .726
1999 96 305 286 41 78 17 2 8 123 41 3 2 2 1 16 0 0 69 4 .273 .310 .430 .740
2000 NYM 79 173 157 22 34 7 1 6 61 12 1 1 0 1 14 2 1 51 2 .217 .283 .389 .672
2001 ATL 6 9 9 0 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 0 0 0 3 0 .222 .222 .222 .444
MLB:9年 702 2227 2044 273 523 109 23 62 864 242 22 11 21 12 133 11 17 571 37 .256 .305 .423 .728

年度別守備成績[編集]



一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS) 中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)




















































































1993 OAK - 2 0 0 0 0 ---- - 6 3 12 1 2 .938 - 13 33 1 1 0 .971 -
1994 FLA - - - 99 162 260 15 61 .966 - - -
1995 - - - 115 149 290 19 66 .959 - - -
1996 - 20 35 39 0 6 1.000 33 22 43 6 3 .915 44 66 123 6 34 .969 - - -
1997 - 54 101 116 7 21 .969 4 2 1 1 0 .750 7 10 19 0 6 1.000 - 10 13 0 0 0 1.000 -
1998 OAK - - 1 0 0 0 0 ---- 28 40 70 11 16 .909 - 5 6 0 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
COL - 7 13 17 0 3 1.000 3 2 1 0 0 1.000 7 4 6 0 2 1.000 - 4 7 0 0 0 1.000 5 6 0 1 0 .857
'98計 - 7 13 17 0 3 1.000 4 2 1 0 0 1.000 35 44 76 11 18 .916 - 9 13 0 0 0 1.000 6 6 0 1 0 .857
1999 8 57 3 0 6 1.000 66 124 145 3 34 .989 - 3 3 3 1 2 .857 2 3 0 0 0 1.000 - 2 1 0 0 0 1.000
2000 NYM - 23 23 29 1 3 .981 2 4 1 0 0 1.000 39 47 75 6 10 .953 2 0 0 0 0 ---- - -
2001 ATL - 1 1 6 0 0 1.000 - 1 1 2 0 0 1.000 - - -
MLB 8 57 3 0 6 1.000 173 297 352 11 67 .983 43 30 46 7 3 .916 349 485 860 59 199 .958 4 3 0 0 0 1.000 32 59 1 1 0 .984 8 7 0 1 0 .875

関連項目[編集]

外部リンク[編集]