エドゥアルド・フレイ・ルイスタグレ

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エドゥアルド・フレイ・ルイス=タグレ
Eduardo Frei Ruiz-Tagle


任期 1994年3月11日2000年3月11日

出生 (1942-06-24) 1942年6月24日(81歳)
 チリサンティアゴ・デ・チレ
政党 キリスト教民主党PDC
署名

エドゥアルド・フレイ・ルイス=タグレ(Eduardo Frei Ruiz-Tagle, 1942年6月24日 - )は、チリ共和国大統領(第32代)。

経歴[編集]

1942年6月24日サンティアゴ・デ・チレに生まれる。父は、弁護士で後にチリ大統領に選出されるエドゥアルド・フレイ・モンタルバである。

青年時代の1958年より、キリスト教民主党の党員となる。 チリ大学工学部を卒業する。1964年に、父エドゥアルド・フレイ・モンタルバの大統領選挙活動に参加する。1969年から1988年までは、政治家としてではなく、シグド・コッペルス社(Sigdo Koppers)の経営に参画する。1982年1月、父の死去後、エドゥアルド・フレイ・モンタルバ財団を立ち上げる。

1988年10月に行われたピノチェト政権信任投票(Plebiscito nacional de 1988)に反対票を投じる運動である『ノーを目指す運動本部』(Concertación de Partidos por el No )に参加する。1989年に、上院議員に選出される。予算委員会の議長となる。1992年コンセルタシオン・デモクラシアでの大統領候補を選出する予備選挙に勝利する。1993年12月11日のチリ大統領選挙で、57.98%の得票を得て第32代チリ共和国大統領に選出される。

大統領任期中は、チリ社会党ら革新勢力との合意に基づき、福祉政策の充実がなされる。インフレを抑制しつつ経済発展を図る経済政策も軌道に乗る。任期中、アウグスト・ピノチェトが終身上院議員になることを阻止しなかった。1998年10月16日に、アウグスト・ピノチェトイギリスで逮捕される。帰国を認められ帰国するのが、2000年3月2日で、大統領任期終了間際のことである。2000年3月11日、任期満了にともない大統領職を辞任する。チリ社会党リカルド・ラゴスが次期大統領になる。

大統領辞職後も、2006年5月11日より2008年5月11日まで、チリ上院議長を務める。

外部リンク[編集]

公職
先代
パトリシオ・エイルウィン
チリの旗 チリ共和国大統領
第32代:1994 - 2000
次代
リカルド・ラゴス