アントニン・ヴラニツキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントニン・ヴラニツキー

アントニン・ヴラニツキーAntonin Vranický、ドイツ語名はアントン・ヴラニツキー Anton Wranitzky1761年6月13日、ノヴァージーシェ - 1820年8月6日、ウィーン)は、18世紀チェコ出身の著名なバイオリニストウィーン古典派作曲家で、ウィーンで活躍した。やはり作曲家であったパヴェル・ヴラニツキーの弟。兄パヴェルが音楽出版社アンドレに宛てた手紙によれば、モーツァルトハイドンアルブレヒツベルガーに師事している。

生涯[編集]

1761年、チェコ南部モラヴィア西部ノヴァージーシェの宿屋の息子として生まれた。初め地元ノヴァージーシェの修道院附属学校に通い、1778年から1782年にかけてモラビアの中心地ブルノイエズス会学院で法学音楽を学んだ。1783年以降、モーツァルト、ハイドン、アルブレヒツベルガーに師事した。1797年にはベートーベンのパトロンとして有名なロプコヴィッツ侯爵家の楽長[1](亡くなる1820年まで)、1807年にはウィーン帝室管弦楽団の指揮者1814年には、アン・デア・ウィーン劇場の楽長など、ウィーンで活躍後、1820年、ウィーンに没している。

息子のフリードリヒ・ヴラニツキーはチェリストとなり、2人の娘アンナ・クラウス・ヴラニツキーとカロリーネ・ザイトラー・ヴラニツキー[2]は著名なオペラ歌手となった。

作品[編集]

  • 弦楽四重奏曲 3曲 Op.1
  • 弦楽四重奏曲 3曲 ハ長調、ヘ長調、変ロ長調 Op.2
  • 弦楽四重奏曲 3曲 Op.4
  • 弦楽四重奏曲 6曲 Op.5
  • ヴァイオリンと低音のためのソナタ Op.6
  • ヴァイオリン二重奏のための変奏曲 Op.7
  • 弦楽五重奏曲 Op.8 (ヴァイオリン、2ヴィオラ、2チェロ、No.2 ト短調、No.3 変ホ長調)
  • ヴァイオリン二重奏曲 Op.9
  • 弦楽五重奏曲 《大五重奏曲》 Op.10
  • ヴァイオリン協奏曲 ハ長調 Op.11
  • ヴァイオリン二重奏曲 Op.20
  • ヴァイオリンと低音のためのソナタ 2曲 Op.56
  • 弦楽六重奏曲 ト長調 Op番号なし (2ヴァイオリン、2ヴィオラ、2チェロ)
  • 2つのヴィオラのための協奏曲 ハ長調

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 十数人の規模だったと言われるので、実質はコンサートマスター。ベートーベンの交響曲第3番の非公開初演は1804年にロプコヴィッツ伯爵家で行われたが、当時アントニン・ヴラニツキーが楽長だった。彼が指揮した可能性が高い。
  2. ^ ウェーバーのオペラ『魔弾の射手』のアガーテ役を初演している。