アントニオ・ボルハ・ウォン・パット

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アントニオ・ボルハ・ウォン・パット
Antonio Borja Won Pat
生年月日 (1908-12-10) 1908年12月10日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
グアム、スマイ(現サンタ・リタ)
没年月日 (1987-05-01) 1987年5月1日(78歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
メリーランド州シルバースプリング
所属政党 民主党
配偶者 アンナ・サラス・ペレス
(1932年結婚)
子女 8人

選挙区 グアム準州全州選挙区
当選回数 6回
在任期間 1973年1月3日 - 1985年1月3日
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アントニオ・ボルハ・ウォン・パット英語: Antonio Borja Won Pat、 1908年12月10日 - 1987年5月1日)は、グアムから初めて選出された、アメリカ合衆国下院代議員(6期)。

経歴・人物[編集]

1908年12月10日、ウォン・パットはグアムのスマイ(現サンタ・リタ村)で生まれた。地元の学校を卒業後、1926年から教師や校長として働いていた[1][2]1936年にグアム顧問議会に初めて選出され、1948年にはグアム議会の議長となった。グアムは首都ワシントンD.C.に常駐の代表(ワシントン代表)を置くことが決まり、ウォン・パットは1965年に行われた選挙に民主党から出馬して当選し、初代ワシントン代表に就任。1968年選挙でも再選され、1970年までグアムのワシントン代表を務めた。その後、グアムに下院代議員議席が与えられるようになり、1972年の選挙でウォン・パットはグアム初の下院代議員に選出され、後に1984年の選挙で共和党のベン・ブラズに再選を阻まれるまで、代議員を6期務めた[1]

ウォン・パットはグアムのシナハニャで引退したが、晩年も議会周辺への働きかけを続け、最期はワシントンD.C.に近いメリーランド州シルバースプリングで心臓発作のため死去した[2]。ウォン・パットはグアムのピティにある退役軍人墓地に埋葬された。

ウォン・パットが亡くなった翌年の1988年グアム国際空港は正式名称をアントニオ・B・ウォン・パット国際空港に改められた[3]

関連項目[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b WON PAT, Antonio Borja, (1908 - 1987)”. United States Congress. 2011年1月21日閲覧。
  2. ^ a b Antonio Borja Won Pat”. Find A Grave. 2011年1月21日閲覧。
  3. ^ Timeline - 1988”. A.B. Won Pat International Airport Authority. 2011年1月21日閲覧。

外部リンク[編集]

  • United States Congress. "アントニオ・ボルハ・ウォン・パット (id: W000686)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • NYTimes obituary
  • Congressman Antonio B. Won Pat Biography at Guampedia, Guam's Online Encyclopedia
アメリカ合衆国下院
新設 アメリカ合衆国の旗 グアム準州全州選挙区
選出議員

初代: 1973年1月3日 - 1985年1月3日
次代
ベン・ブラズ