アルバニア共和国 (1925年-1928年)

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アルバニア共和国
Republika Shqiptare (アルバニア語)
アルバニア公国 1925年 - 1928年 アルバニア王国 (近代)
アルバニアの国旗 アルバニアの国章
国旗国章
国の標語: Atdheu mbi te gjitha(アルバニア語)
何よりも祖国
国歌: Himni i Flamurit(アルバニア語)
旗への賛歌
アルバニアの位置
アルバニア共和国の位置(1928年)
公用語 アルバニア語
宗教 イスラム教スンナ派ベクタシュ教団カトリック東方正教
首都 ティラナ
大統領
1925年 - 1928年 アフメト・ゾグ
変遷
成立 1925年1月31日
君主制に移行1928年9月1日
通貨銀フラン
アルバニア・レク
現在アルバニアの旗 アルバニア
アルバニアの歴史
アルバニア国章
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アルバニア ポータル

アルバニア共和国(アルバニアきょうわこく、アルバニア語: Republika Shqiptare)は、1925年アルバニア公国が共和制に移行して誕生したバルカン半島の国家である。

歴史[編集]

列強の思惑により、ヴィルヘルムに据えられて成立したアルバニア公国は周辺国の圧力に常に晒されていた。第一次世界大戦が勃発すると、国内は内戦状態となり、1914年9月にヴィルヘルムはドイツへ亡命した。

戦後、彼が公位に復帰することは叶わず、アルバニアは公国としての政体のまま、首相を臨時元首として国政を運営した。しかし、政情は一向に安定せず、ユーゴスラビアの援助を受けて政権を奪取したアフメト・ベイ・ゾグ1925年にアルバニアの共和制移行を宣言。ヴィルヘルムの治世は完全に終わりを告げた。

しかし、アルバニアの共和国時代は長くは続かなかった。 ファシストが大きな力を行使するイタリア王国からの影響力は強まり、1927年11月24日にはイタリアとの間に攻守同盟を結んだ[1]

1928年、大統領のゾグは憲法改正を行い、自身は国王に戴冠。アルバニアは再び君主国となった。

脚注[編集]

  1. ^ アルバニアと攻守同盟が成立『大阪毎日新聞』昭和2年11月27日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p12 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

関連項目[編集]