アマベル・ヒューム=キャンベル (初代ド・グレイ女伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アマベル・ヒューム=キャンベルと妹メアリー・ジェマイマ、ジョシュア・レノルズ作、1760年。

初代ド・グレイ女伯爵アマベル・ヒューム=キャンベル英語: Amabel Hume-Campbell, 1st Countess de Grey、旧姓ヨークYorke)、1751年1月23日 - 1833年3月4日)は、イギリスの日記作者、政治作家。政治ではホイッグ党を支持しており、フランス革命に関する著作を残した。

生涯[編集]

1751年1月22日、第2代ハードウィック伯爵フィリップ・ヨークジェマイマ・キャンベルの長女として生まれ[1]、家庭(ベッドフォードシャーのレスト・パーク英語版か、ロンドンのセント・ジェームズ・スクエア英語版にある邸宅とされる)で教育を受けた。5歳より本を好み、日記作者になった。ジョシュア・レノルズは1760年にアマベルの肖像画を描いており、この肖像画に基づく版画がロンドンの国立肖像画美術館に現存する[2]ジェームズ・バジア英語版アレクサンダー・コゼンス英語版から芸術の手ほどきを受け、ジェームズ・ブレサートン(James Bretherton)より銅版画を学んだ[3](アマベルの絵画は大英博物館に現存する[4])。政治作家としても作品を残しており、ホイッグ党を支持したほか主にフランス革命について著述した[5]

1797年1月10日に母ジェマイマが死去するとルーカス女男爵の爵位を継承、1816年10月5日にはド・グレイ女伯爵に叙された(妹メアリー・ジェマイマとその男系男子への残余権英語版つき)[1]

1833年、ウェストミンスターで死去した[6]。死後、4千以上の銅版画を大英博物館に寄贈、その多くが彼女自身によって集められたものとされる[3]

家族[編集]

1772年7月16日、初代ベリックのヒューム男爵英語版アレクサンダー・ヒューム=キャンベル(1750年 – 1781年、第3代マーチモント伯爵ヒュー・ヒューム=キャンベルの息子)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。妹のメアリー・ジェマイマ(1757年 – 1830年)は第2代グランサム男爵トマス・ロビンソンと結婚しており、2人の間の長男トマスド・グレイ伯爵を継承した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d John, Debrett (1836). Debrett's Peerage of England, Scotland, and Ireland. [Another] (英語). pp. 158–.
  2. ^ "Mary Jemima Robinson (née Yorke), Lady Grantham". National Portrait Gallery (英語). 2019年7月4日閲覧
  3. ^ a b "Term details". British Museum (英語). 2018年8月26日閲覧
  4. ^ "Collection search: You searched for Campbell, Amabel Hume". British Museum (英語). 2018年8月26日閲覧
  5. ^ "Amabel Hume-Campbell (Yorke)" (英語). University of Warwick. 2018年8月26日閲覧
  6. ^ Gerhold, Dorian (23 September 2004). "Campbell, Amabel Hume- [née Lady Amabel Yorke], suo jure Countess De Grey (1751–1833), political writer". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/68352 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
イギリスの爵位
爵位創設 ド・グレイ女伯爵
1816年 – 1833年
次代
トマス・ド・グレイ
先代
ジェマイマ・ヨーク
ルーカス女男爵
1797年 – 1833年