かりゆし おきなわ

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かりゆし おきなわ
基本情報
船種 RORO貨客船
船籍 日本の旗 日本(1988-2001)
パナマの旗 パナマ(2001-2012)
所有者 琉球海運(1988-2001)
威東航運(2001-2005)
キャリム・マリタイム
運用者 琉球海運(1988-2001)
威東航運(2001-2005)
キャリム・エンジニアリング
建造所 尾道造船(第326番船)
航行区域 近海(非国際)
船級 JG(第二種船)
IMO番号 8700486
改名 かりゆし おきなわ(1988-2001)
NEW GOLDEN BRIDGE II(2001-2005)
ASIANA ACE(2005-2007)
ASIA ACE(2007-2012)
経歴
起工 1987年6月18日[1]
進水 1987年9月26日[1]
竣工 1988年1月6日[1]
就航 1988年1月14日
運航終了 2001年11月
最後 2012年1月、中国で解体
要目
総トン数 6,613 トン[1]
載貨重量 4,780 トン[1]
全長 145.78 m[1]
垂線間長 135.00 m[1]
型幅 22.40 m[1]
型深さ 8.10 m[1]
満載喫水 6.25 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 三菱-MAN 8L58/64 1基[1]
推進器 4翼可変ピッチプロペラ 1軸[1]
バウスラスタ 1基
スタンスラスタ 1基
最大出力 14,400 PS(連続)[1]
定格出力 12,240 PS(常用)[1]
最大速力 23.61ノット[1]
航海速力 21.0ノット[1]
航続距離 4,400海里[1]
旅客定員 150名[1]
乗組員 29名[1]
積載能力 10ftコンテナ178個[1]ルーズカーゴ400トン
車両搭載数 40ftコンテナ・トレーラシャーシ25台、乗用車160台[1]
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かりゆし おきなわは、琉球海運が運航していたRORO貨客船

概要[編集]

さんしゃいん おきなわの代船として尾道造船で建造され、1988年1月14日に就航した[2]。船名の「かりゆし」は沖縄方言で「めでたい」「縁起が良い」を意味し、また海への愛と信頼を込めた「海やかりゆし」の言葉に通ずるものとされた[2]。本船の就航で東京-那覇間の航行時間が4時間短縮された[2]

2001年11月、RORO貨物船「かりゆし」の就航により引退した。

その後、韓国威東航運に売却され、NEW GOLDEN BRIDGE IIとなった。

2005年ASIANA ACEに船名を変更、2007年ASIA ACEに船名を変更した。

2012年1月、中国で解体された。

就航航路[編集]

  • 東京港 - 那覇港

設計[編集]

船首船橋船尾機関室型の旅客船兼自動車渡船である。長距離の航行や台風時・冬季における荒天時の耐航性や居住性に十分対応する配慮を行い、主機は省エネ・省メンテナンスを考慮し1期1軸とした[2]。ランプウェイは右舷側船首尾の2箇所に装備していた。並列煙突となっているが、左舷のファンネルはダミーであった。

船内[編集]

船室[編集]

船室タイプの一覧[2]
クラス 部屋数 定員 設備
特別一等室 2名 2室 バス・トイレ付きダブルベッドルーム
一等室 2名 23室 ダブルベッドルーム
二等寝台 8名 6室 二段ベッド
二等室 26名 2室 カーペット敷き和室

設備[編集]

  • レストラン・ビュッフェ - 都会的センスとモダンなイメージで現代的な装飾を施した[2]
  • サロン - モダンなイメージかつ落ち着いた雰囲気とした[2]
  • 売店
  • 自動販売機
  • シャワー室
  • ゲームコーナー

事故・インシデント[編集]

漁船との衝突[編集]

1993年8月1日、7時25分ごろ、東京港から那覇港へ航行中だった本船は、潮岬南方の海上、北緯32度26分東経136度24分の地点でまぐろはえ縄漁船第12松丸と衝突した。松丸の船首が、本船の左舷後部に前方から約87度の角度で衝突、本船は左舷後部の外板に擦過傷を生じ、松丸は船首部が圧壊した。本船は衝突に気付かず続航し、海上保安庁からの連絡により衝突の事実を知った。事故原因は、両船が互いに進路を横切り衝突の恐れがある態勢で接近中、第12松丸が見張り不十分で、前路を左方に横切る本船の進路を避けなかったことで発生したが、本船が見張り不十分で警告信号を行わず、衝突回避の動作をとらなかったこと一因とされた[3]

貨物船との衝突[編集]

1998年8月14日、21時0分ごろ、博多港から那覇港へ向かっていた本船は、那覇港新港ふ頭へ入港する際、那覇港新港第1防波堤南灯台の南南西約280メートルの地点で、出港しようとしていたRORO貨物船フェリー東京と衝突した。本船の船首がフェリー東京の右舷船首部に前方から50度の角度で衝突、本船は船首部を圧壊、フェリー東京は右舷船首部を長さ15メートルにわたって損傷した。事故原因は、本船が防波堤入口に向けて入航中、見張り不十分で、防波堤外へ出航するフェリー東京の進路を避けなかったことで発生したが、フェリー東京が本船と防波堤入口で行き会う恐れがあったにもかかわらず、動静監視不十分で警告信号を行わず、衝突回避措置をとらなかったことも一因とされた[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 船の科学(1988年4月号,p6)
  2. ^ a b c d e f g 東京~那覇を結ぶ6,600総トン型高速ロールオンオフ貨客船"かりゆしおきなわ"の概要 - 船の科学1988年4月号
  3. ^ 横浜地方海難審判庁 (14 December 1994). 平成6年横審第83号 旅客船かりゆしおきなわ漁船第12松丸衝突事件 (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. {{cite report}}: |access-date=を指定する場合、|url=も指定してください。 (説明)
  4. ^ 門司地方海難審判庁那覇支部 (24 March 1999). 平成10年那審第56号 旅客船かりゆしおきなわ貨物船フェリー東京衝突事故 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年7月9日閲覧

参考文献[編集]

  • 「新造船写真集(No.474)」『船の科学』第41巻第4号、船舶技術協会、1988年4月10日、6頁、ISSN 0387-0863NDLJP:32319102016年12月18日閲覧 

外部リンク[編集]