おふう
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おふう(於フウ、1558年頃 - 1573年10月16日(天正元年9月21日))は、奥平貞昌の妻。 奥平貞友の娘。
元亀(1570年)13歳のとき、貞昌の弟・仙千代丸10歳、奥平周防守勝次の息子・虎之介13歳とともに武田勝頼へ人質に出された。貞昌が徳川へ寝返ったため天正元年(1573年)9月21日、16歳で見せしめとして山県昌景により磔にされる。
おふうの処刑地はコオリ坂(愛知県新城市玖老勢地造入)という場所で、鳳来寺小学校から南側に旧道を通り旧田口鉄道をくぐった左側。「於フウ処刑の地」の碑があり、坂の上には墓も建てられている。仙千代丸(鋸引)と虎之介(磔)も同日別々の場所で処刑されている。
処刑された3人の首は鳳来寺山麗にさらされたが、おふうの祖母の貞子姫により奪還され、生まれ故郷の日近城(広祥院)に貞子姫、仙千代と並んで埋葬されている。
登場作品[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『戦国 人質物語』鳳来町立長篠城趾史跡保存館/編集