あゝ海軍

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あゝ海軍
Gateway to Glory [1]
監督 村山三男
脚本 菊島隆三石松愛弘
製作 永田雅一
出演者 中村吉右衛門
成田三樹夫
本郷功次郎
峰岸隆之介
露口茂
島田正吾
藤巻潤
宇津井健
森雅之
音楽 大森盛太郎
撮影 上原明
編集 鈴木東陽
製作会社 大映東京撮影所
配給 大映
公開 日本の旗 1969年7月12日
上映時間 121分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 あゝ零戦
次作 あゝ陸軍隼戦闘隊
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あゝ海軍』(ああかいぐん)は、1969年7月12日に公開された、村山三男監督の戦争映画[2]。主演は中村吉右衛門[1][3][4][5]。本来は市川雷蔵が主演を務めるはずであり、撮影に向けたディスカッションもされていたが、市川が入院したことで撮影が開始出来ず、やむなく中村吉右衛門を代役に立てた[6]

海軍兵学校に入学した若者が、逞しく海軍士官に育つ有様をタテ糸に、太平洋戦争の悲惨な様相をヨコ糸に昭和9年(1934年)から太平洋戦争末期までの約10年間を描く[5][7]

あらすじ[編集]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

製作[編集]

製作費2億5000万円[5]

撮影[編集]

1969年5月22日から5月30日まで、スタッフ一同と、中村吉右衛門宇津井健森雅之長谷川明男ら俳優が参加し、総勢100人で現地入りし、広島県安芸郡江田島町(現江田島市)の旧海軍兵学校海上自衛隊幹部候補生学校海上自衛隊第1術科学校)とその周辺で、ロケが行われた[5]。当地は旧大日本帝国海軍聖地[5]。戦後は25年が経過していたが、海軍兵学校は戦時の建物がそのまま残っていた[5]。島に数軒ある旅館は大映のロケ隊に占拠された[5]。若い役者が軍服を着て町を歩いたため、住民は懐かしそうにそれを眺めた。海上自衛隊がロケに全面協力。自衛隊の生徒500人が自由時間と休暇を利用してエキストラとして撮影に参加してくれた。役者は全員頭にバリカンを入れ、坊主頭で撮影に参加した[5]。江田島ロケは映画全体の4分の1を占めるため、早朝から日没まで精力的に撮影が行われた[5]。監督の村山三男は元大日本帝国陸軍軍人[5]。10年前の『あゝ江田島』以来の江田島ロケで勝手知ったるところ。"中隊長"の異名を持ち、エネルギッシュに号令をかけ、撮影を急ピッチで進めた。兵学校の卒業式シーンの撮影は、幹部候補生学校の大講堂を借りて、海上シーンの撮影は海上自衛隊からカッターを借りて兵学校の訓練シーンの撮影を行った。兵学校内での撮影はムードを盛り上げるため「軍艦マーチ」を流した。主演の中村吉右衛門は永田雅一大映社長からたっての頼みに感激し[5]、現代劇に初出演した[5]

併映作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b あゝ海軍”. 日本映画情報システム 文化庁. 2022年7月15日閲覧。
  2. ^ 村山三男 略歴”. 映画DB. 2022年7月14日閲覧。
  3. ^ キネマ旬報1969年8月上旬号 p.79
  4. ^ あゝ海軍”. UNI Japan. 2022年7月15日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l “堂に入る敬礼… "士官候補生" 吉右衛門キビキビ 大映『あゝ海軍』 順風満帆の江田島ロケ”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 12. (1969年5月26日) “『江田島』にひびく村山"中尉"の号令 大映『あゝ海軍』ロケ 『軍艦マーチ』にのって 吉右衛門ら"直立不動"の苦行”. スポーツ報知 (報知新聞社): p. 15. (1969年5月26日) “ゆかりの江田島で 大映『あゝ海軍』ロケも快進撃 35年前と同じ背景 直立不動の吉右衛門”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 15. (1969年5月26日) 
  6. ^ 夫・市川雷蔵へ四十年目の恋文 文藝春秋 2009年5月特別号、文藝春秋 p.362
  7. ^ あゝ海軍”. 映画COM. 2022年7月15日閲覧。

外部リンク[編集]