訓練自衛官小銃乱射事件

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訓練自衛官小銃乱射事件(くんれんじえいかんしょうじゅうらんしゃじけん)とは、1984年昭和59年)2月27日陸上自衛隊山口駐屯地射撃場において、訓練中の自衛官が同僚に向けて小銃を乱射した事件[1][2][3][4][5]

事件の概要[編集]

1984年(昭和59年)2月27日昼ごろ、陸上自衛隊山口駐屯地近傍にある山口射撃場で、射撃訓練を受けていた第17普通科連隊所属の60人の隊員のうち、左端にいた二等陸士A(当時21歳)が振り向きざまに、持っていた64式小銃を居並ぶ自衛官に向けて乱射した。結果、4人が重軽傷を負い、そのうち1人(当時18歳)は翌日死亡した[1][2][3]

Aは小銃を携帯したまま、ジープで逃走した[2]。ただちに、自衛隊や山口県警察は厳戒態勢をとり、午後4時40分に山口市内で身柄を拘束した[6]

犯人の背景[編集]

Aは、「日頃から馬鹿にされて鬱屈が溜まっていた。『どうにでもなれ』と思って射った」と証言動機を語ったが[7]、重度のうつ病による心神喪失状態にあったとして起訴されず、精神病院に入院することとなった[8]。Aは1983年(昭和58年)6月に入隊したが、当初自衛隊は入隊時の知能テストの成績も優秀であり、採用には問題なかったと主張した。

Aは大阪府内の私立大学中退後、1981年(昭和56年)9月に滋賀県大津市の第109教育大隊に入隊し、その後姫路に配属されていた。しかし、1982年(昭和57年)7月に無断欠勤し、関西方面を遊び歩いたとして6日間の停職処分を受け、依願退職した前歴があった。

この事件で、Aは懲戒免職処分を受けたほか、夏目晴雄防衛事務次官が訓戒処分となったのをはじめ、自衛隊上層部24人が減給から注意までの処分を受けた。

備考[編集]

Aの直属の上官の二等陸曹(当時36歳)は、前年暮れからAの奇妙な行動に気づいており、中隊、小隊に早くなじめるよう激励していたが、自衛隊上層部とともに訓戒処分を受けた。この二等陸曹は、処分を受けた4か月後の7月3日に自殺した。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『朝日新聞』1984年2月27日夕刊1頁「自衛官発砲し逃走・山口駐屯地」
  2. ^ a b c 福島徳「40年前にも山口の駐屯地で自衛官が銃乱射」『産経ニュース株式会社産業経済新聞社、2023年6月14日。2023年6月14日閲覧。
  3. ^ a b tysテレビ山口自衛官による銃乱射・40年前に山口でも・・・64式小銃乱射 4人を死傷させ山中に逃走」『TBS NEWS DIGTBS・JNN NEWS DIG合同会社、2023年6月14日。2023年6月14日閲覧。
  4. ^ 牧野愛博「40年前にも山口の駐屯地で自衛官が銃乱射」『朝日新聞デジタル株式会社朝日新聞社、2023年6月14日。2023年6月14日閲覧。
  5. ^ 自衛隊員の同僚銃撃、39年前にも…4人撃たれ1人死亡」『読売新聞オンライン株式会社読売新聞東京本社、2023年6月14日。2023年6月14日閲覧。
  6. ^ 『朝日新聞』1984年2月28日朝刊1頁「乱射の自衛官逮捕・逃走5時間・銃も押収」
  7. ^ 『朝日新聞』1984年3月1日朝刊23頁「悪口言われヤケに・動機を自供」
  8. ^ 『朝日新聞』1984年5月14日夕刊13頁「自衛隊乱射事件・重度のうつ病・不起訴処分に」
  9. ^ 陸自射撃場で銃発砲 2人死亡 18歳自衛官候補生逮捕」『NHK NEWS WEB日本放送協会、2023年6月14日。2023年6月14日閲覧。オリジナルの2023年6月14日時点におけるアーカイブ。

参考資料[編集]

外部リンク[編集]