猿投ダンプ事故

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猿投ダンプ事故
日付 1966年12月15日 (1966-12-15)
時間 午前8時50分頃
場所 愛知県西加茂郡猿投町大字越戸(のちの豊田市越戸町
座標 北緯35度6分28.8秒 東経137度11分4.1秒 / 北緯35.108000度 東経137.184472度 / 35.108000; 137.184472座標: 北緯35度6分28.8秒 東経137度11分4.1秒 / 北緯35.108000度 東経137.184472度 / 35.108000; 137.184472
原因 ダンプ運転手の居眠り運転による衝突事故
死者 11人(園児10人と女性保育士1人)
損害 重軽傷者22人
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猿投ダンプ事故(さなげダンプじこ)は、愛知県西加茂郡猿投町(現・豊田市)で起きたダンプカーによる死亡事故。

概要[編集]

愛知県西加茂郡猿投町大字越戸(現・豊田市越戸町)において1966年昭和41年)に発生した自動車事故。

12月15日午前8時50分頃、猿投町大字越戸字松葉地内の国道153号を豊田方面へ向けて走っていた建設土砂等運搬会社のダンプカー(8トン車)が居眠り運転で、横断歩道手前で停車していた豆腐製造販売業者のライトバンにノーブレーキで激突、2台ともが横断歩道を渡っていた越戸保育園(現・越戸こども園)の女性保育士と園児約50人の列に突っ込んで次々と跳ね飛ばした。ただちに豊田市消防署[注釈 1]より救急車2台が出動すると共に地元住民の自動車などの協力も得て、園児らを豊田市内の4ヶ所の病院へ搬送したが、保育士1名を含む合計11名が死亡、22名が重軽傷を負った。

ダンプカーの運転手(当時29歳)は同年4月より現場近くの矢作川にある採掘場より砂利を愛知県や岐阜県の建設現場へ搬送していた。事故当日は午前5時に起床、一旦、瀬戸市まで砂利を運んだのち砂利採掘場へ戻り、今度は豊田市内の現場まで砂利を運ぶ途中に事故を起こした。警察の取調べに対して「ドスンという音とショックで、慌ててブレーキとアクセルを踏み間違えた。疲労が蓄積し、また久しぶりに早起きしたため、居眠り運転してしまった。」と供述している。

当時、国道153号は矢作川の砂利を運び出すダンプカーが多数走っており、地元住民からは「ダンプ街道」と呼ばれていた。事故前の愛知県警の調査でも現場の1日のダンプカーの通行台数は500台を超えていたという。

なお、この事故は第一次交通戦争の代表的事故として当時の国会でも取り上げられ[1]土砂等を運搬する大型自動車による交通事故の防止等に関する特別措置法(通称・ダンプ規制法、昭和42年法律第131号)制定の要因となった。

事故現場は越戸こども園前の横断歩道であり、事故後には歩道や歩道橋も設置された。こども園内に慰霊碑が設置されている[2][3]

保安基準の改正[編集]

この事故を教訓に、巻き込み防止等ダンプカーの保安基準も改正された。

運転免許制度の改正[編集]

それまで大型自動車運転免許は18歳以上であれば、普通自動車・軽自動車の運転免許を受けていた期間にかかわらず、さらに、無免許状態からも直接受験することができたが、この事故を契機に、受験資格が20歳以上で、普通自動車運転免許、または、大型特殊自動車運転免許のいずれかを受けていた期間(ただし、免許の効力が停止していた期間を除く)が通算して2年以上の者に引き上げられた(ただし、特例で19歳以上の自衛官が自衛隊の施設内に設置された指定自動車教習所に於いて所定の教習を受けた場合を除く。また後の改正で通算期間が3年以上に、さらに、「受験資格特例教習」を受け修了した者は通算期間が1年以上に改められている)。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 豊田市消防署は1970年に移転している。現在の豊田市中消防署である。

出典[編集]

  1. ^ 衆議院会議録情報 第55回国会 交通安全対策特別委員会 第8号 昭和42年6月6日
  2. ^ 越戸保育園”. JA2EHL. 2010年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月24日閲覧。
  3. ^ 越戸保育園-門”. 豊田市. 2017年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]