栃尾鉄道ホハ20形客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栃尾鉄道ホハ20形客車
栃尾電鉄ホハ20形客車
越後交通ホハ20形客車
栃尾電鉄モハ211形電車
越後交通モハ211形電車
基本情報
運用者 栃尾鉄道→栃尾電鉄→越後交通
製造所 栃尾鉄道自社工場
製造年 ホハ20形 1950年7月
製造数 ホハ20形 2両(ホハ20・21)
改造所 栃尾電鉄自社工場
改造年 モハ211形 1957年4月
改造数 モハ211形 1両(モハ211)
廃車 ホハ20形 1972年(ホハ20)
モハ211形 1973年
投入先 栃尾線
主要諸元
軌間 762 mm
電気方式 モハ211形 直流600 V→750 V
架空電車線方式
最高速度 モハ211形 50.0 km/h
車両定員 ホハ20形 76人(着席38人)
モハ211形 80人(着席42人)
車両重量 ホハ20形 7.2 t
モハ211形 17.4 t
全長 ホハ20形 10,600 mm
モハ211形 13,600 mm
全幅 ホハ20形 2,130 mm
モハ211形 2,130 mm
全高 ホハ20形 3,110 mm
モハ211形 3,810 mm
台車 モハ211形 ボールドウィン L形(都電 D4形)
車輪径 ホハ20形 559 mm
モハ211形 710 mm
主電動機 モハ211形 TBY-25A
主電動機出力 モハ211形 55.95 kw
駆動方式 モハ211形 垂直カルダン駆動方式
歯車比 モハ211形 5.83
出力 モハ211形 111.9 kw
定格速度 モハ211形 31.3 km/h
制御方式 モハ211形 HL制御方式
制動装置 ホハ20形 手ブレーキ
モハ211形 空気ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6][7][8]に基づく。
テンプレートを表示

栃尾鉄道ホハ20形客車(とちおてつどうホハ20がたきゃくしゃ)は、かつて日本新潟県に存在した鉄道路線(軽便鉄道)での栃尾鉄道(→栃尾電鉄→越後交通栃尾線で使用されていた客車である。この項目では、そのうち1両を改造して作られたモハ211形電車についても解説する[2][3][5][6]

ホハ20形[編集]

第二次世界大戦後の電化から始まった近代化により利用客が増加した事に併せ、輸送力増強用として1950年7月に栃尾鉄道の自社工場で2両(20・21)が製造された客車。「カマボコ」とも称される丸みを帯びた厚みのある屋根を有し、床面高さも760 mmと他の客車と比べ低かった。製造後は電車電気機関車に牽引されていたが、1955年に21が運転台を設置した制御車に改造され、「クハ30」と言う車両番号への変更も実施された。しかし認可が下りなかった事から「クハ101」→「ホハ30」と2度の形式変更を経た後、1957年に実施された改造により電動車のモハ211となった。残ったホハ20については以降も原形のまま使用され、1972年に廃車された[2][9][4][5][6]

モハ211形[編集]

1957年4月に、ホハ30(旧:ホハ21)に対して新造と同様の大改造を施す形で作られた電動車。台枠を延長する事で全長は13,600 mm、窓4つ分延長され、屋根の高さも削られた。両端に運転台を有する両運転台車両であり、前面中央には貫通扉も設けられた。制御装置には、速度制御用の回線を独自に設けスムーズな加減速を可能とした間接制御方式(HL制御方式[注釈 1]が栃尾鉄道改め栃尾電鉄[注釈 2]の車両で初めて採用され、以降導入・改造される電動車の標準仕様となった。台車についても江ノ島鎌倉観光100形電車(115)[注釈 3]で用いられていた都電D4形台車を狭軌(762 mm)への対応などの改造を施した上で導入し、駆動方式は神鋼電機が開発した垂直カルダン駆動方式が用いられた[3][4][6][7][13][14]

1960年に栃尾電鉄が近隣の公共交通事業者と合併し越後交通栃尾線になった後、1966年から本格的な運用が開始された総括制御への対応工事も検討されていたが、最後まで実現することはなく路線の大部分が廃止となった1973年に他の総括制御未対応車両と共に廃車された[15]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ウェスチングハウス・エレクトリックが開発した制御器の略称。手動進段・架線電圧動作を意味する[10]
  2. ^ 1956年11月20日に社名の変更を実施した[11]
  3. ^ 1957年に栃尾電鉄へ譲渡され、幾度かの改造を経て最終的に制御車(クハ111)として使用された[12]

出典[編集]

  1. ^ 朝日新聞社「日本の地下鉄・私鉄電車車両諸元表(1965年3月調べ)」『世界の鉄道' 66』1965年9月30日、168-169頁。 
  2. ^ a b c 鉄道ピクトリアル 1969, p. 42.
  3. ^ a b c 鉄道ピクトリアル 1969, p. 46.
  4. ^ a b c 鉄道ピクトリアル 1969, p. 49.
  5. ^ a b c 寺田祐一 2005, p. 59.
  6. ^ a b c d 寺田祐一 2005, p. 62.
  7. ^ a b 寺田祐一 2005, p. 63.
  8. ^ 川垣恭三 & 反町忠夫 1963, p. 45.
  9. ^ 鉄道ピクトリアル 1969, p. 47.
  10. ^ 徳田耕一『名鉄電車昭和ノスタルジー』JTBパブリッシング〈キャンブックス〉、2013年5月17日、78頁。ISBN 978-4533091667 
  11. ^ 鉄道ピクトリアル 1969, p. 37.
  12. ^ 鉄道ピクトリアル 1969, p. 43.
  13. ^ 川垣恭三 & 反町忠夫 1963, p. 43.
  14. ^ 吉川文夫『路面電車の技術と歩み』グランプリ出版、2003年9月、182-183頁。ISBN 9784876872503 
  15. ^ 瀬古龍雄「半分の長さになってしまった越後交通栃尾線近況」『鉄道ファン』第13巻第8号、交友社 、1973年8月1日、59頁。 

参考資料[編集]

  • 川垣恭三、反町忠夫「越後交通栃尾線の車両」『鉄道ファン』第4巻第2号、交友社、1963年11月20日、42-45頁。 
  • 瀬古龍雄、川垣恭三、反町忠夫、吉田豊「越後交通栃尾線」『鉄道ピクトリアル 1969年12月 臨時増刊号』第19巻第12号、鉄道図書刊行会、1969年12月10日、36-49頁。 
  • 寺田祐一『消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 2 東北・関東』ネコ・パブリッシング〈Neko mook〉、2005年8月1日。ISBN 978-4777003778