天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会

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サッカー天皇杯から転送)
天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会
開始年 1921年
主催 #主催・主管団体を参照
参加チーム数 88(2022,23年度)
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 川崎フロンターレ(2回目、2023年度)
最多優勝 浦和レッズ
慶應BRB(ともに8回)
サイト 公式ウェブサイト
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天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会(てんのうはい ジェイエフエイ ぜんにほん[1] サッカーせんしゅけんたいかい、: Emperor's Cup JFA Japan Football Championship, The Emperor's Cup)は、日本のサッカーカップ戦の1つである。第97回大会(2017年度)までは天皇杯全日本サッカー選手権大会(てんのうはい ぜんにほんサッカーせんしゅけんたいかい)と称していた。略称・通称は天皇杯で、他の競技の天皇杯と区別してサッカー天皇杯とも呼ばれる。

優勝チームにAFCチャンピオンズリーグ2への出場権が与えられる。J1リーグJリーグYBCルヴァンカップと合わせて日本の国内三大タイトルの1つとされる(スーパーカップは除く)[2]

概要[編集]

1921年に開始されたサッカーの日本選手権大会で、日本サッカー協会チーム登録種別で第1種登録のチームが予選に参加可能なオープントーナメントである。

第93回(2013年度)までは、元日1月1日)に国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で決勝戦が開催され、サンケイスポーツなどが「正月風物詩」と称した[3]。競技場の改修に伴い一時期開催時期や会場を変更したが、第99回(2019年度)以降は、改修後の国立競技場で開催されている。ただし日程については第99回、第100回は元日開催であったが、後述するように第101回以降、国際大会の日程との関係で元日以外の開催が続いている。

第89回大会から第93回大会までは、ベストメンバー規定が適用されていた。

沿革[編集]

1921年 - 1940年 大会創設から戦前[編集]

フットボール・アソシエーションから贈られた銀製トロフィー。

第1回大会は、大日本蹴球協會創設と同じ1921年に「ア式蹴球全國優勝競技會」の大会名で開催された[4] 。全日本選手権開催とJFA創設の契機は、1919年にイングランドフットボール・アソシエーション (FA) から日本に贈られた銀杯のFAカップであった。銀製トロフィーは全日本選手権の大会ごとチャンピオンに贈られていたが、第二次世界大戦末期の1945年に金属不足で強制供出されて現存しない[5]。2011年に日本サッカー協会が創設90周年を記念してFA銀杯復刻を計画する。FAに復元の許諾を求めると「FA自ら制作して再度寄贈したい」との返答で、66年ぶりにFA銀杯が復活して天皇杯優勝チームに贈られた[6]

全国優勝競技会の概要は、1921年9月10日に今村次吉の私邸で行われた大日本蹴球協會の第1回理事会で決められて16日に発表された[7]。第1回大会の予選は1921年9月から11月にかけて開催され、関東、中部、関西、西部の4地域から20チームが参加した。11月後半に日比谷公園の芝生運動場で行われた全国決勝大会は、棄権した1チームを除いた3チームが参加、東京蹴球団が初代優勝チームとなった[8]

第4回(1924年)から、全日本選手権は主催者が内務省となり、当年から始まった総合スポーツ大会である明治神宮競技大会(明治神宮大会)のア式蹴球の部を兼ねる。大会の運営はJFAが担当した[9]

第6回(1926年)は、内務省主催による明治神宮大会に学生の参加は認められないとする文部省の意向により、全日本選手権と明治神宮大会はそれぞれ個別の大会として開催される予定が、大正天皇崩御のために中止された[10][11]

第7回(1927年)は再び学生の参加が許され、明治神宮大会を兼ねた[11]。この年から明治神宮大会の開催が毎年から隔年へ変更され、明治神宮大会が開催されない年は独立して全日本選手権を行う[10]

当時全日本選手権の覇権を争った多くは大学チームだった。大学リーグ戦や東西対抗王座決定戦などの大会が始まり活況を呈するにつれ、全国から参集する全日本選手権よりも有力選手を輩出する大学リーグ戦が着目された[11][12]。第11回(1931年)に優勝した東京帝大LBは2軍チームで、1軍はリーグ戦の開幕に向けた準備に専念していた[12]。第11回大会から、明治神宮大会のほかに全国地方対抗選手権も兼ねる[10]

1935年から、明治神宮大会に加えて新たな大会として全日本総合選手権大会が始まった。当年以降は全日本総合選手権の優勝チームが全日本選手権の歴代優勝チームと公式に記録される[13]。FAカップは、第17回大会(1937年)まで明治神宮大会の優勝チームに贈られ[5]、全日本総合選手権の優勝チームは日本蹴球協会杯が贈られた[14]

1946年 - 1971年 天皇杯授与、実業団時代へ移行[編集]

戦後最初の全日本選手権となった第26回(1946年)は、「復興第1回全日本選手権大会」として開催され、関東と関西の予選を勝ち進んだ2チームが5月5日の決勝大会に参加した[15]

1947年4月3日の「東西対抗試合」[16]昭和天皇が観覧して天覧試合となり、1948年7月にJFAが宮内庁から天皇杯を拝受した。当初天皇杯は東西対抗試合の勝者に贈られたが、第31回(1951年)から全日本選手権の優勝チームに贈られ、大会名は「天皇杯全日本サッカー選手権大会」となる。

第40回(1960年)は、古河電工が実業団チームとして初めて優勝した。大学チームの優勝は第46回(1966年度)の早稲田大学が最後となり、以降は実業団およびプロクラブが占めている。

第44回(1964年度)は、AリーグとBリーグそれぞれ5チームの1位同士による決勝戦が実施された。八幡製鉄と古河電工の試合は延長を経ても決着せず、両チーム優勝となった。大会史上でリーグ戦導入と複数チーム優勝は、この回のみである。

第47回(1967年度)までは開催時期と決勝開催地は一定しなかった[17]藤枝東高校国泰寺高校など高校のグラウンドで開催された年度もある[17]

元日の明治神宮参拝する初詣客250万人の1パーセントでも、帰路に来てもらえないか、と当時の長沼健サッカー協会の幹部が思案し[18][19][20]、第48回(1968年度)から年末開催として決勝戦を元日国立霞ヶ丘陸上競技場で開催に変更[18][19] した。以降、元日に国立競技場で決勝戦開催が定着した[17][21]。1968年元旦はNHK杯サッカーが開催された(後述)。

1972年 - 現在 天皇杯のオープン化[編集]

1965年の日本サッカーリーグ (JSL) の発足以降、天皇杯はJSLと全日本大学選手権のそれぞれ上位4チームが出場資格を得ていたが、大会がモデルとしたイングランドFAカップのようなオープンカップを求める声の高まりもあり[22]、第52回(1972年度)からオープン化された。オープン化実現の要因は、第48回(1968年度)から実施した元日決勝の興行的成功による財政面の安定があった[22][23]。参加チーム数は第52回が75チームであったが、第53回(1973年度)は807チーム、第54回(1974年度)は1105チームと爆発的に増えた[23]

Jリーグ発足以後はプロチームとアマチュアチームが競う大会となった。第76回(1996年度)から第94回(2014年)まで第2種登録チームの高校生年代も出場資格が与えられた。第76回から、従来の9地区代表が各都道府県代表に改められたことにより、本大会参加チームが80チーム以上に増加した。

第83回(2003年度)までは主に12月から元日に開催されたが、第84回(2004年度)から大会開始を9月下旬に前倒し、寒冷地で開催しづらかった北海道東北北信越[24] 地域でも多くの試合が開催可能となった。従来J1のチームは3回戦からシードかつホームゲーム主催権獲得もあったが、第84回は原則3回戦勝ち抜きチームのホーム開催となり、J1チームは4回戦のアウェーゲームで天皇杯開幕を迎えた。スポーツ振興くじ (toto) を実施するため、第85回(2005年度)からJリーグも主催団体に加わった。

第84回から第91回(2011年度)までは、元日の天皇杯決勝のアンダーカードとして、全日本女子サッカー選手権大会決勝戦を開催した[25]

第100回(2020年度)は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行により、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の中断や日本サッカー協会 (JFA) の活動休止、特別措置法に基づく緊急事態宣言に伴う催事の制限などを受け、日程やレギュレーションが複数回にわたり変更される事態となった。天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会に詳述がある。

第104回(2024年)は、浦和レッズのサポーターが前年の対名古屋グランパス戦で暴動を犯したため、出場資格が剥奪された。このため、アマチュアシードチームが2チームに増えることとなった。

中止大会[編集]

以下の回は開催前に大会自体が中止となっている。各種資料は中止大会も通算回数に含む。

第6回大会(1926年)
大正天皇1926年12月25日に崩御され、自粛して中止[26]
第14回大会(1934年)
極東選手権競技大会のため中止[26]。他の競技大会のために中止になった唯一の例。
第21回大会/第22回大会/第23回大会/第24回大会/第25回大会(1941年 - 1945年)
第二次世界大戦のため諸行事中止[26]
第27回大会/第28回大会(1947年 - 1948年)
世情不安のため中止[26]

大会名変遷[編集]

  • 第1 - 14回:ア式蹴球全国優勝競技会[27]
  • 第15 - 20回:全日本蹴球選手権大会[14]
  • 第26回:復興全日本蹴球選手権大会[15]
  • 第29 - 30回:全日本サッカー選手権大会[28]
  • 第31 - 51回:天皇杯全日本サッカー選手権大会[29]
  • 第52 - 54回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(中央大会)[30]
  • 第55 - 97回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(決勝大会)[31]
  • 第98回 - :天皇杯 JFA 第◯回全日本サッカー選手権大会[32][注釈 1]

開催方式[編集]

主催・主管団体[編集]

大会日程[編集]

元日決勝となった第48回以降、12月または11月下旬に開幕し元日に決勝を迎える日程が定着していたが、北海道・東北・北陸など寒冷地の開催を考慮して第84回以降は9月開幕が定着し、第93回(2013年度)以降は8月末の開幕となった。第84回から第89回(2009年度)の日程は、下記に固定された。第90回(2010年度)以降は、JリーグやJFLなどの試合日程を勘案して1回戦から4回戦の日程は毎年異なる。準々決勝以降の日程は従来の日程をほぼ踏襲する。

  • 1回戦 - 敬老の日である9月第3月曜日を含む週末(都道府県代表チーム、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝チームの出場)
  • 2回戦 - 体育の日である10月第2月曜日を含む週末(J1/J2チーム、JFLシードチームの出場)
  • 3回戦 - 文化の日である11月3日に至近の週末
  • 4回戦 (ラウンド16) - 11月の第3土曜日あるいは12月の第1土曜日
  • 5回戦(準々決勝) - 12月23日前後
  • 6回戦(準決勝) - 12月29日
  • 7回戦(決勝) - 次年1月1日

過密日程を緩和するため、第97回(2017年度)は4月開幕、第98回(2018年)以降は5月開幕で、概ね下記日程が組まれる[33]。リーグ戦、AFCチャンピオンズリーグFIFAクラブワールドカップなどと日程が重複または近接する場合は、当該試合に関わるチームの天皇杯の試合は予備日[35] に開催される。

  • 1回戦 - 5月下旬の土曜日・日曜日(都道府県代表チーム、アマチュアシードチームの出場)
  • 2回戦 - 6月-7月上旬の水曜日(J1/J2チームの出場)
  • 3回戦 - 7月-8月上旬の水曜日
  • 4回戦 - 8月-9月中旬の水曜日
  • 5回戦 - 10月下旬の水曜日
  • 6回戦(準決勝) - 12月中旬の水曜日または12月下旬の土曜日
  • 7回戦(決勝) - 12月下旬の土曜日または翌年1月1日

日程配分は、日本サッカー協会の天皇杯開催規程第9条[36] で「本大会の開催期日については、原則として開催前年度の実施委員会で決定する。ただし決勝は1月1日とする」と規定されていたが、2014年度以降、サッカー日本代表が出場する国際大会の日程を考慮して決勝が12月中に開催されることが5回あり、天皇杯開催規程第9条の「決勝は1月1日とする」の箇所は削除されている。

スポーツ振興くじ (toto) の発売は、2回戦から準決勝までJリーグ同士の対戦があった場合に限り発売される。試合により発売されない券種や発売方式が変更になる券種もある。

試合会場[編集]

それぞれの試合は都道府県サッカー協会が主管することもあり、都道府県サッカー協会の意向を踏まえて決定される。Jリーグクラブがホーム側となる試合は、各Jリーグクラブのホームスタジアムまたは準ホームスタジアムで開催されることが多いが、広島県協会など初戦はホームスタジアムで開催を避ける事例[注釈 2] もある。2017年の第97回大会から、3回戦以降準々決勝までは原則として下位カテゴリのチームが所属する都道府県の会場を優先して開催する[42] が、以前はホームタウンに関係なく施設要件を満たす会場が選定され、対戦チームのいずれのホームタウンからも遠く離れた場所の開催もある。2008年 第88回大会の5回戦(ラウンド16)は、浦和対横浜FMが香川県で、新潟対FC東京が鳥取県で、柏対京都が富山県で、川崎対広島が長崎県で、それぞれ開催されている。また第99回 2019年Honda FC(JFL)はJリーグ勢を相手に準々決勝まで勝ち進んだがすべて相手のホーム開催[注釈 3] だったように会場が確保できない場合などは上位カテゴリの会場となることもある。

決勝戦は、第48回大会から第93回大会までは国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で開催が固定されていたが、国立競技場の施設建て替え工事に伴い旧競技場は2015年に解体され[43]、以降は希望する都道府県協会の立候補を受け付け、日本サッカー協会が理事会で審議する。経緯は第94回大会に詳述がある。第94回大会以降の決勝戦を下記する。

第99回大会の決勝は、(新)国立競技場開場後初のスポーツイベントとして開催された[48]。第102回大会の決勝は、第94回大会以来8年ぶりに日産スタジアムで開催された。

出場資格[編集]

本大会はシード出場チームと各都道府県代表47チームが出場する。第89回(2009年度)以降は全88チームが出場する。

シード出場チーム[編集]

シード枠の選考基準はJリーグが2部制となった第79回(1999年度)以降基本的に同じであるが、Jリーグ加盟クラブ数の増加に伴ってチーム数ならびに登場試合の異動が発生している。JリーグのJ1とJ2チームが40チームとなった第92回以降、ほぼ毎年シード枠対象に異動が生じている。

  • J1リーグに所属する全チーム
    第94回までと第97回以降は2回戦から、第95回・第96回は前年成績により4回戦(ACL出場チーム)・2回戦(ACL不出場の前年J1チーム及び前年J2優勝チーム)・1回戦(前年J2・2位以下)から出場
  • J2リーグに所属する全チーム
    第94回までと第97回以降は2回戦から、第95回・第96回は1回戦から出場
  • 以下のいずれかに該当する「アマチュアシードチーム」1チーム(第95回大会以降、1回戦から出場)

第93回大会までは以下の種別ごとに独自にシード枠が設けられていた。

第94回大会は、「前回大会のアマチュアカテゴリー(J1・J2以外)における最優秀成績チーム」1チームにシード権が与えられた(1回戦から出場)。この要件でシード権が与えられたのは同年限りである。

都道府県代表チーム[編集]

都道府県予選を兼ねる地方大会(都道府県サッカー選手権)の優勝チームまたは代表決定戦の勝利チームが本大会への出場権を得る。優勝チームが上記シード枠で本大会出場となる場合は、準優勝チームが繰り上がる(第81回の長崎大学など)。第94回までは高校・ユース世代である第2種登録チームの参加も認められていたが、規約の改正に伴い第95回大会以降は参加が認められない[47]J3リーグに参加するチームはシード権が与えられず、アマチュアシード枠に入る資格もなく、全て都道府県予選を制して都道府県代表として出場する必要がある。第52回から第75回までの地区予選は地域リーグのブロックごとに開催されたが、JFA登録チーム数の増加などから、第76回以降は都道府県単位で代表を選出する。

各都道府県予選を兼ねる地方大会を記す。「チーム数」欄は2013年時点のJFA登録チーム数[49]で、上述の理由からこの全チームが各都道府県予選の参加資格を有するものではない。

都道府県 大会 チーム数
(2013年)
備考
北海道 HKFA北海道サッカー選手権大会 1,666 99
青森県 AOFA青森県サッカー選手権大会 317
岩手県 岩手県サッカー選手権大会 327
宮城県 河北杯争奪宮城県サッカー選手権大会 590 77
秋田県 秋田県総合サッカー選手権大会 209
山形県 山形県サッカー総合選手権大会 316 77
福島県 福島民報杯・NHK杯福島県サッカー選手権大会 440 76
茨城県 茨城県サッカー選手権大会 743 78
栃木県 NEZASカップ栃木県サッカー選手権大会 574 76
群馬県 群馬県サッカー協会長杯サッカー大会 541 76
埼玉県 彩の国カップ埼玉県サッカー選手権大会 1,712 76
千葉県 千葉県サッカー選手権大会 1,104 76
東京都 東京都サッカートーナメント 2,174 76
神奈川県 神奈川県サッカー選手権大会 1,412 76
山梨県 山梨県社会人サッカー選手権春季大会 245 76
長野県 長野県サッカー選手権大会 573 76
新潟県 新潟日報杯・共同通信杯新潟県サッカー選手権大会 491 76
富山県 富山県サッカー選手権大会 294 76
石川県 石川県サッカー選手権大会 283
福井県 福井県サッカー選手権大会 232 76
静岡県 静岡県サッカー選手権大会 1,180 76
愛知県 AIFA愛知県サッカー選手権大会 1,110 76
三重県 三重県サッカー選手権大会 426 76
岐阜県 岐阜県サッカー選手権大会 478 76
滋賀県 滋賀県サッカー選手権大会(SHIGA FA CUP) 353 76
京都府 京都FAカップ京都サッカー選手権大会 627 76
大阪府 大阪サッカー選手権大会 1,185 76
兵庫県 兵庫県サッカー選手権大会 1,317 78
奈良県 奈良県サッカー選手権大会 276 76
和歌山県 中田食品杯和歌山県サッカー選手権大会 228 76
鳥取県 鳥取県サッカー選手権大会 215
島根県 島根県サッカー選手権大会 218 76
岡山県 岡山県サッカー選手権大会 479
広島県 MIKASA CUP全広島サッカー選手権大会決勝大会 624
山口県 山口県サッカー選手権大会 356 76
香川県 香川県サッカー選手権大会 253 76
徳島県 徳島県サッカー選手権大会 267 76
愛媛県 愛媛県サッカー選手権大会 386 76
高知県 高知県サッカー選手権大会 229 76
福岡県 福岡県サッカー選手権大会 925 77
佐賀県 SFA佐賀県サッカー選手権大会 309 76
長崎県 長崎県サッカー選手権大会 433
熊本県 KFA熊本県サッカー選手権大会 581 77
大分県 大分県サッカー選手権大会 397 76
宮崎県 MFA宮日旗MRT杯宮崎県サッカー選手権大会 341 77
鹿児島県 「西原商会Presents」KFAサッカー選手権大会 626
沖縄県 タイムス杯争奪OFA沖縄県サッカー選手権大会 459 76
  • 備考が空欄の大会は、都道府県代表制が採用される前から開催されており、天皇杯予選を兼ねている大会。
  • 備考に数字が記載されている大会は、都道府県代表制導入後に新設された大会であり、数字は新設時の天皇杯の回次を示す。都道府県代表制は第76回に導入された。

出場資格の変遷[編集]

  • 第1回(1921年)- :東部/中部/近畿・四国/中国・九州の各代表4チームに出場権。
  • 第5回(1925年)- :東京と九州代表が初参加し6チームに出場権。以後、予選の変更や大会の拡大と縮小をくり返し3~8チームに出場権。
  • 第26回(1946年):終戦後の混乱の中、関東代表と関西代表による2チームに出場権。
  • 第29回(1949年):関東/中部/関西/中国/九州の各代表5チームに出場権。
  • 第30回(1950年):北海道から九州まで各地区代表と開催地代表の全16チームに出場権。ただし北海道と東北代表チームは辞退した。
  • 第31回(1951年):北海道から九州まで各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全14チームに出場権。
  • 第32回(1952年)- :北海道から九州まで各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全16チームに出場権。
  • 第43回(1963年):協会推薦を含む7チームに出場権。
  • 第44回(1964年):実業団および学生(前回優勝を含む)上位各5チームに出場権。唯一、ノックアウトトーナメントを採用しなかった。
  • 第45回(1965年)- :日本サッカーリーグ(JSL)および全日本大学サッカー選手権大会の上位各4チームに出場権。
  • 第52回(1972年):オープン化し、JSL1部所属チームおよび9地域代表の全24チームに出場権。
  • 第53回(1973年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全26チームに拡大。予選が都道府県大会からになる。
  • 第57回(1977年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全28チームに拡大(後述する第60回記念大会を除く)。
  • 第60回(1980年):記念大会としてJSL2部の首位チームと総理大臣杯大学サッカー優勝チームを加え30チームに拡大。
  • 第64回(1984年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全32チームに拡大。
  • 第72回(1992年)- :日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)所属チームおよび9地域代表の全32チームに出場権。出場チーム数は変わらず。
  • 第76回(1996年):Jリーグ所属チーム(16チーム)、ジャパンフットボールリーグ上位11チームと関東大学連盟上位4チーム、関西学生連盟上位2チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。第2種チームの都道府県予選への出場が可能になる。
  • 第77回(1997年):Jリーグ所属チーム1増(17チーム)につき全81チームに拡大。
  • 第78回(1998年):Jリーグ所属チーム1増(18チーム)につき全82チームに拡大。
  • 第79回(1999年):Jリーグ所属チーム(J1/J2全26チーム)、日本フットボールリーグ(JFL)上位3チームと総理大臣杯大学サッカー上位3チーム、高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。
  • 第80回(2000年):Jリーグ所属チーム1増(27チーム)に伴い総理大臣杯大学サッカー代表枠を上位2チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
  • 第81回(2001年)- :Jリーグ所属チーム1増(28チーム)に伴いJFL代表枠を上位2チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
  • 第84回(2004年):高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームの代わりにJFL代表枠を上位3チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
  • 第85回(2005年):Jリーグ所属チーム2増(30チーム)に伴いJFL代表枠を上位2チーム、総理大臣杯大学サッカー代表枠を上位1チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。Jリーグ同士の試合に限りスポーツ振興くじの販売を開始した。
  • 第86回(2006年)- :Jリーグ所属チーム1増(31チーム)に伴いJFL代表枠を上位1チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
  • 第88回(2008年):Jリーグ所属チーム2増(33チーム)につき全82チームに拡大。
  • 第89回(2009年):Jリーグ所属チーム3増(36チーム)およびJFL代表枠を上位4チームに変更につき全88チームに拡大(以後総枠に変更なし)。
  • 第90回(2010年):Jリーグ所属チーム1増(37チーム)につきJFL代表枠を上位3チームに変更。
  • 第91回(2011年):Jリーグ所属チーム1増(38チーム)につきJFL代表枠を上位2チームに変更。東日本大震災の影響で宮城県は代表決定戦を行なわず、宮城県協会推薦チームが出場。
  • 第92回(2012年):Jリーグ所属チーム2増(40チーム)に伴いJFL代表枠を上位1チームに変更。総理大臣杯大学サッカー代表枠が廃止。
  • 第94回(2014年): JFL代表枠を「アマチュアシード枠」に変更。この年は「前回大会 アマチュアカテゴリー最優秀成績チーム」とする。
  • 第95回(2015年): 参加要件を第1種登録チームに限定。

試合方式[編集]

試合は45分ハーフの計90分で行い決着がつかない場合は当初抽選によって勝ち上がりチームを決定していたが、その後PK戦を導入。第74回(1994年度)までは延長戦を行わずにPK戦で勝ち上がりチームを決定する方式(決勝戦のみ15分ハーフの延長戦を行い、その後PK戦)となる。第75回(1995年度)からは全ての試合においてVゴール方式の延長戦を行い、その後PK戦を行う方式に変更された。第85回(2005年度)からVゴール方式を廃止し延長戦の前後半15分ずつを必ず最後まで行う方式に変更され、現在に至っている。

現在の試合球はモルテン製でロゴマークと同様に白地に赤いの花びらを散らした専用デザインのもの。


結果[編集]

年度 優勝 結果 準優勝 チーム数 備考
1 1921年 東京蹴球団 1 - 0 御影蹴球団 4
2 1922年 名古屋蹴球団 1 - 0 広島高師
3 1923年 アストラ・クラブ 2 - 1 名古屋蹴球団 大正関東地震関東大震災)の影響で1924年2月に開催。
4 1924年 広島一中鯉城クラブ 1 - 0 全御影師範クラブ 第1回明治神宮大会を兼ねる。
5 1925年 鯉城蹴球団 3 - 0 東京帝国大学 6 第2回明治神宮大会を兼ねる。
6 1926年 大正天皇崩御のため中止[26]
7 1927年 神戸一中クラブ 2 - 0 鯉城クラブ 8 第4回明治神宮大会を兼ねる。
8 1928年 早大WMW 6 - 1 京都帝国大学 7
9 1929年 関学クラブ 3 - 0 法政大学 8 第5回明治神宮大会を兼ねる。
10 1930年 関学クラブ 3 - 0 慶應BRB 4 1931年5月に開催。
11 1931年 東京帝大LB 5 - 1 興文中学 7 第6回明治神宮大会、第1回全国地方対抗を兼ねる。
12 1932年 慶應クラブ 5 - 1 芳野クラブ 3 第2回全国地方対抗を兼ねる。
13 1933年 東京OBクラブ 4 - 1 仙台サッカークラブ 8 第7回明治神宮大会、第3回全国地方大会を兼ねる。
14 1934年 極東選手権への準備のため中止[26]
15 1935年 全京城蹴球団英語版 6 - 1 東京文理科大学 6 第1回全日本総合選手権を兼ねて開催される。
16 1936年 慶應BRB 3 - 2 普成専門 5 第2回全日本総合選手権を兼ねて開催される。
17 1937年 慶應義塾大学 3 - 0 神戸商業大学 4 第3回全日本総合選手権を兼ねて開催される。
18 1938年 早稲田大学 4 - 1 慶應義塾大学 5 第4回全日本総合選手権を兼ねて開催される。
19 1939年 慶應BRB 3 - 2 aet 早稲田大学 8 第5回全日本総合選手権を兼ねて開催される。
20 1940年 慶應BRB 1 - 0 早大WMW 第6回全日本総合選手権を兼ねて開催される。
21 1941年 太平洋戦争のため諸行事中止[26]
22 1942年
23 1943年
24 1944年
25 1945年
26 1946年 東大LB 6 - 2 神経大クラブ 2
27 1947年 世情不安のため中止[26]
28 1948年
29 1949年 東大LB 5 - 2 関大クラブ 5
30 1950年 全関学 6 - 1 慶應義塾大学 15
31 1951年 慶應BRB 3 - 2 aet 大阪クラブ 14 この回から天皇杯が授与。
32 1952年 全慶應 6 - 2 大阪クラブ 15
33 1953年 全関学 5 - 4 aet 大阪クラブ 16
34 1954年 慶應BRB 5 - 3 aet 東洋工業
35 1955年 全関学 4 - 3 中大クラブ
36 1956年 慶應BRB 4 - 2 八幡製鉄
37 1957年 中大クラブ 2 - 1 東洋工業
38 1958年 関学クラブ 2 - 1 八幡製鉄
39 1959年 関学クラブ 1 - 0 中央大学
40 1960年 古河電工 4 - 0 慶應BRB
41 1961年 古河電工 3 - 2 中央大学
42 1962年 中央大学 2 - 1 古河電工
43 1963年 早稲田大学 3 - 0 日立製作所 7 第22回朝日招待サッカーを兼ねる。
44 1964年 八幡製鉄
古河電工
0 - 0 aet 10 両チーム優勝。
第23回朝日招待サッカーを兼ねる。
45 1965年 東洋工業 3 - 2 八幡製鉄 8
46 1966年 早稲田大学 3 - 2 aet 東洋工業
47 1967年 東洋工業 1 - 0 三菱重工
48 1968年 ヤンマー 1 - 0 三菱重工 この回から決勝戦が1月1日に設定。
49 1969年 東洋工業 4 - 1 立教大学
50 1970年 ヤンマー 2 - 1 aet 東洋工業
51 1971年 三菱重工 3 - 1 ヤンマー
52 1972年 日立製作所 2 - 1 ヤンマー 24 大会のオープン化。
53 1973年 三菱重工 2 - 1 日立製作所 26
54 1974年 ヤンマー 2 - 1 永大産業
55 1975年 日立製作所 2 - 0 フジタ工業
56 1976年 古河電工 4 - 1 ヤンマー
57 1977年 フジタ工業 4 - 1 ヤンマー 28
58 1978年 三菱重工 1 - 0 東洋工業
59 1979年 フジタ工業 2 - 1 三菱重工
60 1980年 三菱重工 1 - 0 田辺製薬 30
61 1981年 日本鋼管 2 - 0 読売クラブ 28 2部リーグチームとして初優勝。
62 1982年 ヤマハ発動機 1 - 0 aet フジタ工業 2年連続2部リーグチームが優勝。
63 1983年 日産自動車 2 - 0 ヤンマー
64 1984年 読売クラブ 2 - 0 古河電工 32
65 1985年 日産自動車 2 - 0 フジタ工業
66 1986年 読売クラブ 2 - 1 日本鋼管
67 1987年 読売クラブ 2 - 0 マツダSC
68 1988年 日産自動車 3 - 1 aet フジタ工業
69 1989年 日産自動車 3 - 2 ヤマハ発動機
70 1990年 松下電器 0 - 0 aet
(PK 4 - 3)
日産自動車 初めてPK戦にもつれ込む。
71 1991年 日産自動車 4 - 1 aet 読売クラブ
72 1992年 日産FC横浜マリノス 2 - 1 aet 読売ヴェルディ Jリーグチーム初参加。
73 1993年 横浜フリューゲルス 6 - 2 aet 鹿島アントラーズ Jリーグ発足後初開催。
74 1994年 ベルマーレ平塚 2 - 0 セレッソ大阪
75 1995年 名古屋グランパスエイト 3 - 0 サンフレッチェ広島
76 1996年 ヴェルディ川崎 3 - 0 サンフレッチェ広島 80
77 1997年 鹿島アントラーズ 3 - 0 横浜フリューゲルス 81
78 1998年 横浜フリューゲルス 2 - 1 清水エスパルス 82 横浜Fは1998年で横浜Mへ吸収合併、同大会決勝がクラブ最終試合。
79 1999年 名古屋グランパスエイト 2 - 0 サンフレッチェ広島 80
80 2000年 鹿島アントラーズ 3 - 2 VG 清水エスパルス
81 2001年 清水エスパルス 3 - 2 VG セレッソ大阪
82 2002年 京都パープルサンガ 2 - 1 鹿島アントラーズ
83 2003年 ジュビロ磐田 1 - 0 セレッソ大阪
84 2004年 東京ヴェルディ1969 2 - 1 ジュビロ磐田
85 2005年 浦和レッズ 2 - 1 清水エスパルス
86 2006年 浦和レッズ 1 - 0 ガンバ大阪
87 2007年 鹿島アントラーズ 2 - 0 サンフレッチェ広島
88 2008年 ガンバ大阪 1 - 0 aet 柏レイソル 82
89 2009年 ガンバ大阪 4 - 1 名古屋グランパス 88
90 2010年 鹿島アントラーズ 2 - 1 清水エスパルス
91 2011年 FC東京 4 - 2 京都サンガF.C. J2チーム同士の決勝およびJ2チームの優勝は初。
92 2012年 柏レイソル 1 - 0 ガンバ大阪
93 2013年 横浜F・マリノス 2 - 0 サンフレッチェ広島 旧国立競技場で最後の決勝戦。
94 2014年 ガンバ大阪 3 - 1 モンテディオ山形 47大会ぶりに元日以外の決勝開催。
95 2015年 ガンバ大阪 2 - 1 浦和レッズ
96 2016年 鹿島アントラーズ 2 - 1 aet 川崎フロンターレ 56大会ぶりに大阪で決勝開催。
97 2017年 セレッソ大阪 2 - 1 aet 横浜F・マリノス 61大会ぶりに埼玉で決勝開催。
98 2018年 浦和レッズ 1 - 0 ベガルタ仙台
99 2019年 ヴィッセル神戸 2 - 0 鹿島アントラーズ 新国立競技場で初の決勝開催。
100 2020年 川崎フロンターレ 1 - 0 ガンバ大阪 52
101 2021年 浦和レッズ 2 - 1 大分トリニータ 90
102 2022年 ヴァンフォーレ甲府 1 - 1 aet
(PK 5 - 4)
サンフレッチェ広島 88 33年ぶりのPK戦決着。
J2チームが決勝でJ1チームに勝利は初。
103 2023年 川崎フロンターレ 0 - 0 aet
(PK 8 - 7)
柏レイソル

統計[編集]

出場回数[編集]

通算出場回数 [注釈 5] [注釈 6]
順位 回数 チーム 最後に出場した大会 備考
1 72回 サンフレッチェ広島 104回
2 59回 ジェフユナイテッド千葉 104回
3 58回 浦和レッズ 103回
4 56回 柏レイソル 104回
5 55回 セレッソ大阪 104回
6 52回 湘南ベルマーレ 104回
7 49回 東京ヴェルディ 104回
8 47回 ジュビロ磐田 104回
名古屋グランパス 104回
10 46回 横浜F・マリノス 104回
11 44回 ガンバ大阪 104回
Honda FC 104回
13 43回 北海道コンサドーレ札幌 104回
14 41回 川崎フロンターレ 104回
京都サンガF.C. 104回
16 40回 鹿島アントラーズ 104回
17 38回 ヴィッセル神戸 104回
18 36回 徳島ヴォルティス 104回
19 35回 新日鐵八幡 72回
20 34回 福岡大学 101回
21 33回 筑波大学 104回
22 32回 モンテディオ山形 104回
ヴァンフォーレ甲府 104回
アルビレックス新潟 104回
清水エスパルス 104回
アビスパ福岡 104回
サガン鳥栖 104回
31回 ブラウブリッツ秋田 104回
30回 ベガルタ仙台 104回
FC東京 104回
29回 大宮アルディージャ 104回
28回 水戸ホーリーホック 104回
大分トリニータ 104回
関西学院大学 101回
26回 ガイナーレ鳥取 104回
25回 横浜FC 104回
札幌大学 102回
ソニー仙台FC 104回
24回 栃木SC 104回
カマタマーレ讃岐 104回
ロアッソ熊本 104回
23回 愛媛FC 104回
21回 ザスパクサツ群馬 104回
20回 ツエーゲン金沢 104回
レノファ山口 104回
19回 関西大学 104回
18回 FC岐阜 104回
17回 いわてグルージャ盛岡 104回
V・ファーレン長崎 104回
16回 松本山雅FC 102回
ファジアーノ岡山 104回
FC琉球 103回
順天堂大学 101回
韮崎アストロス 101回
福井ユナイテッドFC 104回
FC刈谷 101回
アルテリーヴォ和歌山 104回
三菱水島FC 104回
15回 カターレ富山 104回
奈良クラブ 104回
ギラヴァンツ北九州 104回
明治大学 104回
ミネベアミツミFC 102回
14回 FC今治 104回
栃木シティFC 104回
駒澤大学 101回
JAPANサッカーカレッジ 104回
13回 横浜フリューゲルス 78回
ヴェルスパ大分 103回
鹿屋体育大学 104回
12回 ヴァンラーレ八戸 104回
福島ユナイテッドFC 104回
FC町田ゼルビア 104回
AC長野パルセイロ 104回
周南公立大学 102回
11回 流通経済大学 101回
Cento Cuore HARIMA 103回
Brew KASHIMA 103回
三菱重工長崎SC 104回
10回 鹿児島ユナイテッド 104回
レイラック滋賀 103回
同志社大学 102回
9回 Y.S.C.C.横浜 101回
FC神楽しまね 102回
FC徳島 104回
高知ユナイテッドSC 104回
8回 アトレチコ鈴鹿 102回
tonan前橋 104回
中京大学 104回
7回 いわきFC 104回
東京国際大学 100回
ブリオベッカ浦安 104回
新潟医療福祉大学 103回
富山新庄クラブ 100回
びわこ成蹊スポーツ大学 104回
SRC広島 103回
6回 藤枝MYFC 104回
FC大阪 101回
横河武蔵野FC 104回
山梨学院大学PEGASUS 104回
北陸大学 103回
京都産業大学 104回
MD長崎 102回
日本文理大学 101回
5回 桐蔭横浜大学 102回
FCマルヤス岡崎 103回
おこしやす京都AC 101回
東海大学熊本 104回
沖縄SV 104回
4回 テゲバジャーロ宮崎 104回
山形大学医学部 103回
常葉大学 100回
ヴィアティン三重 104回
福山シティFC 104回
FCバレイン下関 104回
川副クラブ 104回
熊本県教員蹴友団 100回
3回 SC相模原 104回
アスルクラロ沼津 104回
ラインメール青森 100回
富士大学 102回
猿田興業 104回
大山サッカークラブ 104回
ヴェルフェ矢板 102回
東京国際大学FC 103回
VONDS市原FC 100回
ベルガロッソいわみ 104回
環太平洋大学 102回
松山大学 100回
2回 北海道十勝スカイアース 104回
ノースアジア大学 103回
金沢星稜大学 100回
甲南大学 104回
高松大学 102回
FC.TOSU 100回
1回 BTOP北海道 103回
長井クラブ 102回
上武大学 102回
アヴェントゥーラ川口 101回
立正大学 102回
クリアソン新宿 103回
アルティスタ浅間 100回
新潟医療福祉大学FC 101回
FC北陸 101回
長良クラブ 100回
AS.Laranja Kyoto 103回
FC TIAMO 枚方 100回
飛鳥FC 101回
Yonago Genki SC 100回
ジェイリースFC 104回
マリーゴールド熊本 102回
連続出場回数[注釈 7]
順位 回数 チーム 期間 備考
1 54回 浦和レッズ 1966-2019
2 48回 湘南ベルマーレ 1972-2019
サンフレッチェ広島 1972-2019
4 44回 東京ヴェルディ 1976-2019
ガンバ大阪 1981-
6 41回 横浜F・マリノス 1979-2019
7 40回 ジュビロ磐田 1980-2019
8 38回 北海道コンサドーレ札幌 1982-2019
9 33回 ジェフユナイテッド千葉 1987-2019
徳島ヴォルティス 1992-
11 30回 川崎フロンターレ 1995-
12 29回 名古屋グランパス 1991-2019
ヴィッセル神戸 1991-2019
14 28回 鹿島アントラーズ 1992-2019
清水エスパルス 1992-2019
16 26回 FC東京 1994-2019
セレッソ大阪 1994-2019
サガン鳥栖 1994-2019
京都サンガF.C. 1994-2019
アビスパ福岡 1994-2019
歴代初出場チーム
年度 チーム 備考
1 1921年 東京蹴球団名古屋蹴球団御影蹴球団山口高校
2 1922年 アストラ倶楽部大阪サッカークラブ広島高師
3 1923年 神戸高商広島一中[注釈 8]
4 1924年 全豊島蹴球団 全御影師範クラブ広島一中鯉城クラブ(後の鯉城蹴球団)
5 1925年 水戸高校東京帝国大学(現:東京大学)、鹿児島師範
6 1926年 大正天皇崩御のため中止[26]
7 1927年 北海道帝国大学(現:北海道大学)仙台クラブ法政大学早稲田高等学院芳野クラブ [注釈 9]関西大学神戸一中クラブ [注釈 10]
8 1928年 東北帝国大学(現:東北大学)、早大WMW慶應BRB神通中学名古屋高工京都帝国大学(現:京都大学)
9 1929年 蜂章クラブ(後の二高クラブ)、慶應義塾大学富山師範静岡高校関学クラブ広島文理大学[注釈 11]
10 1930年 両洋クラブ
11 1931年 函館蹴球団東京帝大LB富山師範クラブ興文中学関西学院大学
12 1932年 慶應クラブ堺中クラブ
13 1933年 東京OBクラブ静岡高校クラブ広島教員熊本師範蹴球団
14 1934年 極東選手権への準備のため中止[26]
15 1935年 東京文理科大学(現:筑波大学)、名古屋高商(後の名古屋経済専門学校)、関大クラブ全京城蹴球団英語版
16 1936年 東北学院大学(東北学院倶楽部)[注釈 12]名古屋薬学専門学校(現:名古屋薬科大学)、普成専門(現:高麗大学校)
17 1937年 全普成
18 1938年 早稲田大学名古屋高専[注釈 13]全延禧
19 1939年 神戸高商[注釈 14]延禧専門(現:延世大学校)
20 1940年 なし
21 1941年 太平洋戦争のため諸行事中止[26]
22 1942年
23 1943年
24 1944年
25 1945年
26 1946年 神経大クラブ
27 1947年 世情不安のため中止[26]
28 1948年
29 1949年 愛商クラブ東洋工業サンフレッチェ広島の前身)、日鉄二瀬
30 1950年 刈谷サッカー札幌クラブ[注釈 15]浦和クラブ富山大クラブ名古屋クラブ志太サッカー大垣サッカー京都クラブ全関大全関学紫雲クラブ広島クラブ
31 1951年 札幌クラブ盛岡サッカー全立教韮葉クラブ(現:韮崎アストロス)、富山サッカー大阪クラブ[注釈 16]岡山大学松山商大学
32 1952年 全慶應明治大学六甲クラブ松山クラブ島原クラブ
33 1953年 全同志社大学室蘭クラブ[注釈 17]中央大学全山梨松山MUC[注釈 18]
34 1954年 中大クラブ日本軽金属京都学芸大学(現:京都教育大学)、高松商クラブ鹿児島大学
35 1955年 室蘭蹴連八幡製鉄(後の新日鐵八幡)
36 1956年 全室蘭上田クラブ浜松サッカー京都紫光京都サンガF.C.の前身)、富岡サッカー
37 1957年 全北海道全早大茗友クラブ広島専売
38 1958年 函館市役所南部蹴球団富山蹴球団愛媛クラブ
39 1959年 全北海クラブ全東北学院大学古河電工ジェフユナイテッド千葉の前身)、全大阪経済大学全松山商大学
40 1960年 藻友クラブ日立本社(後の日立製作所で柏レイソルの前身)、ドッドウェル名古屋相互銀行帝人松山(後の帝人)
41 1961年 北海学園大学仙台育英クラブ立教大学名古屋相互銀行日本ダンロップ(後の住友ゴム)
42 1962年 北洋木材クラブ全三菱[注釈 19]
43 1963年 なし
46 1964年 三菱重工(後の三菱自動車で浦和レッズの前身)、日本大学
45 1965年 なし
46 1966年 なし
47 1967年 ヤンマーセレッソ大阪の前身)、日本鋼管(後のNKK)
48 1968年 なし
49 1969年 なし
50 1970年 大阪商業大学大阪経済大学福岡大学
51 1971年 なし
52 1972年 藤和不動産湘南ベルマーレの前身)、新日鐵室蘭(現:日本製鉄室蘭)、新日鐵釜石(現:日本製鉄釜石)、甲府クラブヴァンフォーレ甲府の前身)、トヨタ自工名古屋グランパスの前身)、田辺製薬(現:田辺三菱製薬)、電電近畿(後のNTT西日本京都)、大日日本電線(後の三菱電線工業)、永大産業(後の永大)
53 1973年 札幌大学日本体育大学テイヘンズFC本田技研(現:Honda FC)、名城大学大塚製薬徳島ヴォルティスの前身)、九州産業大学
54 1974年 岩手教員団読売クラブ東京ヴェルディ1969の前身)、同志社大学三井造船(後の三井E&Sホールディングス)
55 1975年 函館サッカー日精樹脂工業(リベルタス千曲FCの元となったチーム)、中京大学ヤマハ発動機ジュビロ磐田の前身)、大阪体育大学三菱石油(現:ENEOS水島)
56 1976年 五戸町役場(アステール青森FCの元になったチーム)、新潟イレブン(現:アルビレックス新潟)、ヤンマークラブ山口教員団(現:レノファ山口FC)
57 1977年 富士通川崎フロンターレの前身)、住友金属工業鹿島アントラーズの前身)、東京農業大学日産自動車横浜F・マリノスの前身)、福井銀行
58 1978年 国士舘大学埼玉教員(現:さいたまSC)、マツダオート広島(後のアンフィニ広島)
59 1979年 順天堂大学東邦チタニウム大商大クラブ(現:アイン食品)、北摂けまり団
60 1980年 松島クラブ(後のマリソル松島)、駒澤大学東芝北海道コンサドーレ札幌の前身)、古河千葉藤枝市役所兵庫教員団(Cento Cuore HARIMAの元となったクラブ)
61 1981年 YKK(後のYKK AP)愛知学院大学松下電器ガンバ大阪の前身)、川崎製鉄水島
62 1982年 盛岡ゼブラ大協石油(後のコスモ四日市)、京都産業大学
64 1984年 福島FC
64 1984年 TDKブラウブリッツ秋田の前身)、西濃運輸
65 1985年 全日空横浜(後の全日空サッカークラブで横浜フリューゲルスの前身)、三菱化成黒崎
66 1986年 秋田市役所(後の秋田FCカンビアーレ)、上田ジェンシャン大阪ガス高知大学
67 1987年 函館マツダNTT関東大宮アルディージャの前身)、東海大学JATCO(後のジヤトコ)、NTT四国(後のFun Field V 松山)
68 1988年 青山学院大学中央防犯アビスパ福岡の前身)
69 1989年 札幌マツダ(後のアンフィニ北海道)、読売ジュニア(後の読売ジュニオール)、PJMフューチャーズ(後の鳥栖フューチャーズでサガン鳥栖の前身)
70 1990年 山形日本電気モンテディオ山形の前身)、鹿屋体育大学
71 1991年 日本電装(現:FC刈谷)、三重教員(現:TSV1973四日市)
72 1992年 清水エスパルス金沢クラブ(現:ツエーゲン金沢)、三菱自工水島(現:三菱自動車水島FC)
73 1993年 ほくでん(現:ノルブリッツ北海道FC)、東北電力(後のブランメル仙台でベガルタ仙台の前身)、北陸電力(後のアローズ北陸)、三洋電機洲本(後のパナソニックエナジー洲本)
74 1994年 東京ガスFC東京の前身)、専修大学阪南大学立命館大学東亜建設工業(後のブレイズ熊本)
75 1995年 なし
76 1996年 大分FC(現:大分トリニータ)、北海道教育大函館校ソニー仙台山形FCプリマハムFC土浦(現:水戸ホーリーホック)、ワールドブリッツ小山三洋電機丸岡高校日立空調清水FCルネス学園甲賀SC(現:ルネス学園SC)、セントラル神戸(現:Cento Cuore HARIMA)、天理大学(後のアイゴッソ高知)、和歌山大学米子東高校FC松江広島教員 [注釈 20](現:SRC広島)、東亜大学香川紫雲クラブ(現:カマタマーレ讃岐)、徳島商業高校松山大学川副クラブ国見FC日本文理大学宮崎教員(後のプロフェソール宮崎FC)、ヴォルカ鹿児島海邦クラブ(現:海邦銀行SC)
77 1997年 桃山学院大学アステール青森FCプリメーロ真岡高校前橋商業高校ルミノッソ狭山市立船橋高校神奈川大学山雅サッカークラブ(現:松本山雅FC)、福井教員(現:福井KSC)、草津東高校教育研究社(後のFC京都BAMB1993)、奈良産業大学(現:奈良学園大学)、初芝橋本高校SC鳥取ガイナーレ鳥取の前身)、石見FC多々良学園高校(現:高川学園高校)、愛媛FCユース(現:愛媛FCU-18)、佐賀商業高校三菱重工長崎新日鐵大分(現:日本製鉄大分)、鵬翔高校鹿児島実業高校沖縄国際大学
78 1998年 道都大学(現:星槎道都大学)、日本大学山形高校栃木SC前橋育英高校新潟蹴友会(現:グランセナ新潟FC)、静岡産業大学松下電工伊賀上野(現:KMEW伊賀FC)、岐阜工業高校甲賀クラブ福山大学徳山大学(現:周南公立大学)、徳島市立高校ひまわり牛乳南国SC(後のアイゴッソ高知)、大津高校三和クラブ
79 1999年 ジュビロ磐田ユース(現:ジュビロ磐田U-18)、八戸学院大学岩手大学城西大学横浜FC新潟大学各務原高校甲南大学境高校愛媛FC九州INAX、(現:Brew KASHIMA)、国見高校ホンダロック(現:ミネベアミツミFC)、鹿屋体育大学クラブ
80 2000年 清水市立商業高校(後の清水商業高校)、山形中央高校群馬FCフォルトナ(後のアルテ高崎)、横河電機(現:横河武蔵野FC)、神奈川教員アップルスポーツカレッジFC(現:JAPANサッカーカレッジ)、吉備国際大学サンフレッチェ広島ユース佐賀北高校NTT熊本
81 2001年 佐川急便SC(後の佐川急便東京SC)、秋田商業高校流通経済大学大原学園JaSRA福井工業大学マッチーズFC(後のSHIGA CITY FC)、海南FC佐賀楠葉クラブ長崎大学沖縄かりゆしFC
82 2002年 福島大学国際武道大学東京学芸大学Y.S.C.C.(現:Y.S.C.C.横浜)、浜松大学(現:常葉大学)、CENTRO DE FUTEBOL EDU佐川印刷FC(後のSP京都FC)、佐川急便大阪高田FC(現:ディアブロッサ高田FC)、紀北蹴球団(現:和歌山紀北蹴球団)、アレックスSC(後の徳島コンプリールサッカークラブ)、香川西高校福岡教育大学大分トリニータU-18
83 2003年 青森山田高校鶴岡東高校ノーザンピークス郡山(現:ビアンコーネ福島)、ザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)、松商学園高校マルヤス工業(現:FCマルヤス岡崎)、松阪大学(現:三重中京大学)、野洲高校尽誠学園高校三洋電機徳島(後のパナソニックエナジー徳島)
84 2004年 富士大学羽黒高校湯本高校ジェユナイテッド市原アマチュア(後のジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ)、帝京第三高校長野エルザ(現:AC長野パルセイロ)、松任FC(後のゴールズFC)、静岡FC四日市大学中京高校FCセントラル中国(後のデッツォーラ島根E.C)、広島経済大学高松北高校佐賀大学FC琉球
85 2005年 グルージャ盛岡(現:いわてグルージャ盛岡)、仙台大学日立栃木(現:栃木シティFC)、柏レイソルU-18FCアンテロープ(現:FCアンテロープ塩尻)、びわこ成蹊スポーツ大学佐川急便中国(現:佐川急便広島)
86 2006年 山形大学尚美学園大学FC岐阜徳島ヴォルティス・アマチュア(後の徳島ヴォルティス・セカンド)、V・ファーレン長崎宮崎産業経営大学
87 2007年 佐川急便SC(後のSAGAWA SHIGA FC)、ベアフット北海道FCガンジュ岩手図南SC群馬(現:tonan前橋)、丸岡フェニックスサッカークラブ(現:坂井フェニックスサッカークラブ)、FC Mi-O びわこ Kusatsu(現:レイラック滋賀FC)、近大附属和歌山高校広島修道大学久枝FC
88 2008年 福島ユナイテッドFC玉穂FC新潟経営大学カターレ富山サウルコス福井福井ユナイテッドFCの前身)、FC岐阜SECONDファジアーノ岡山日立笠戸愛媛大学ニューウェーブ北九州(現:ギラヴァンツ北九州)
89 2009年 FCパラフレンチ米沢ヴェルフェたかはら那須(現:ヴェルフェ矢板)、FC甲運ヴァリエンテ富山奈良クラブアルテリーヴォ和歌山SC鳥取ドリームス浜田FCコスモス(現:ベルガロッソいわみ)、愛媛FCしまなみ(現:FC今治)、佐賀東高校熊本学園大学
90 2010年 FC町田ゼルビアヴァンラーレ八戸東京国際大学東京ヴェルディユース富山新庄クラブ米子北高校環太平洋大学熊本学園大学付属高校HOYO Atletico ELAN(現:ヴェルスパ大分)
91 2011年 北海道教育大学岩見沢校山形大学医学部平成国際大学山梨学院大学附属高校FC鈴鹿ランポーレファジアーノ岡山ネクスト熊本教員蹴友団FC KAGOSHIMA
92 2012年 山梨学院大学オリオンズ(現:山梨学院大学ORIONS)、アミティエSC(現:おこしやす京都AC)、松江シティFC(後のFC神楽しまね)、長崎総合科学大学附属高校
93 2013年 ザスパ草津チャレンジャーズ浦安SC(現:ブリオベッカ浦安)、桐蔭横浜大学山梨学院大学ペガサス(現:山梨学院大学PEGASUS)、藤枝MYFCトヨタ蹴球団高松商業高校鳴門高校
94 2014年 モンテディオ山形ユースtonan前橋サテライトヴィアティン桑名(現:ヴィアティン三重)、岐阜経済大学(現:岐阜協立大学)、FC大阪多度津FC鹿児島ユナイテッドFC
95 2015年 ラインメール青森FC北陸大学徳島大学ヒポクラテス東海大学熊本ヴェロスクロノス都農(現:ヴェロスクロノス都農)
96 2016年 VONDS市原FC新潟医療福祉大学東海学園大学アルヴェリオ高松FC徳島セレステ(現:FC徳島)、高知ユナイテッドSCFC.TOSUMD長崎
97 2017年 いわきFCアスルクラロ沼津
98 2018年 流通経済大学ドラゴンズ龍ヶ崎作新学院大学東京国際大学FC金沢星稜大学NK可児長崎総合科学大学テゲバジャーロ宮崎
99 2019年 沖縄SV
100 2020年 猿田興業大山サッカークラブアルティスタ浅間長良クラブFC TIAMO 枚方Yonago Genki SC福山シティFCFCバレイン下関高松大学
101 2021年 SC相模原北海道十勝スカイアースアヴェントゥーラ川口新潟医療福祉大学FCFC北陸ポルベニル飛鳥(現:飛鳥FC)
102 2022年 ノースアジア大学長井クラブ上武大学立正大学マリーゴールド熊本
103 2023年 BTOP北海道クリアソン新宿AS.Laranja Kyoto
104 2024年 ジェイリースFC

優勝回数[編集]

  • 現存するクラブは現在のクラブ名を表記し、廃部したクラブは廃部当時のクラブ名を表記する。
  • 大学関連クラブの成績は、2021年の各報道[50][51] に基づき、現役学生のみで構成されたクラブ(部活動)の成績と、学生・OB混成クラブの成績を分けて表記する(但し、学生・OB混成クラブの成績は全て一連で数える)。
  • 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に所属するクラブの成績は、前身組織の成績も含める。
クラブ名 優勝年度 準優勝年度
浦和レッズ三菱重工 8 4 1971,1973,1978,1980,2005,2006,2018,2021 1967,1968,1979,2015
慶應BRB慶應クラブ, 全慶應 8 2 1932,1936,1939,1940,1951,1952,1954,1956 1930,1960
横浜F・マリノス日産自動車 7 2 1983,1985,1988,1989,1991,1992,2013 1990,2017
関学クラブ全関学 7 0 1929,1930,1950,1953,1955,1958,1959
東京ヴェルディ読売クラブ 5 3 1984,1986,1987,1996,2004 1981,1991,1992
ガンバ大阪松下電器 5 3 1990,2008,2009,2014,2015 2006,2012,2020
鹿島アントラーズ住友金属工業 5 3 1997,2000,2007,2010,2016 1993,2002,2019
セレッソ大阪ヤンマー 4 8 1968,1970,1974,2017 1971,1972,1976,1977,1983,1994,2001,2003
ジェフユナイテッド千葉古河電工 4 2 1960,1961,1964,1976 1962,1984
サンフレッチェ広島東洋工業 3 12 1965,1967,1969 1954,1957,1966,1970,1978,1987,1995,1996,1999,2007,2013,2022
柏レイソル日立製作所 3 4 1972,1975,2012 1963,1973,2008,2023
湘南ベルマーレフジタ 3 4 1977,1979,1994 1975,1982,1985,1988
東大LB東京帝大LB 3 1 1931,1946,1949 1925
早稲田大学 3 1 1938,1963,1966 1939
ジュビロ磐田ヤマハ発動機 2 2 1982,2003 1989,2004
鯉城蹴球団 2 1 1924,1925 1927
横浜フリューゲルス 2 1 1993,1998 1997
名古屋グランパス 2 1 1995,1999 2009
川崎フロンターレ 2 1 2020,2023 2016
清水エスパルス 1 4 2001 1998,2000,2005,2010
新日鐵八幡 1 3 1964 1956,1958,1965
慶應義塾大学 1 2 1937 1938,1950
中央大学 1 2 1962 1959,1961
早大WMW 1 1 1928 1940
中大クラブ 1 1 1957 1955
名古屋蹴球団 1 1 1922 1923
NKK 1 1 1981 1986
京都サンガF.C. 1 1 2002 2011
東京蹴球団 1 0 1921
アストラ・クラブ 1 0 1923
神戸一中クラブ 1 0 1927
東京OBクラブ 1 0 1933
全京城蹴球団英語版 1 0 1935
FC東京 1 0 2011
ヴィッセル神戸 1 0 2019
ヴァンフォーレ甲府 1 0 2022
大阪クラブ 0 3 1951,1952,1953
神戸経済大学 0 2 1937,1946
御影蹴球団 0 1 1921
広島高師 0 1 1922
全御影師範クラブ 0 1 1924
京都大学 0 1 1928
法政大学 0 1 1929
興文中学 0 1 1931
芳野クラブ 0 1 1932
仙台サッカークラブ 0 1 1933
筑波大学 0 1 1935
高麗大学校 0 1 1936
関西大学 0 1 1949
立教大学 0 1 1969
永大産業 0 1 1974
田辺三菱製薬 0 1 1980
モンテディオ山形 0 1 2014
ベガルタ仙台 0 1 2018
大分トリニータ 0 1 2021
Jリーグクラブ別成績
  • 1992年(第72回大会)以降の成績[52]
クラブ名 優勝年度 準優勝年度
鹿島アントラーズ 5 3 1997,2000,2007,2010,2016 1993,2002,2019
ガンバ大阪 4 3 2008,2009,2014,2015 2006,2012,2020
浦和レッズ 4 1 2005,2006,2018,2021 2015
横浜F・マリノス 2 1 1992,2013 2017
横浜フリューゲルス 2 1 1993,1998 1997
名古屋グランパス 2 1 1995,1999 2009
東京ヴェルディ 2 1 1996,2004 1992
川崎フロンターレ 2 1 2020,2023 2016
清水エスパルス 1 4 2001 1998,2000,2005,2010
セレッソ大阪 1 3 2017 1994,2001,2003
柏レイソル 1 2 2012 2008,2023
京都サンガF.C. 1 1 2002 2011
ジュビロ磐田 1 1 2003 2004
湘南ベルマーレ 1 0 1994
FC東京 1 0 2011
ヴィッセル神戸 1 0 2019
ヴァンフォーレ甲府 1 0 2022
サンフレッチェ広島 0 6 1995,1996,1999,2007,2013,2022
モンテディオ山形 0 1 2014
ベガルタ仙台 0 1 2018
大分トリニータ 0 1 2021

表彰[編集]

優勝チームへの特典[編集]

優勝チームには表彰状[注釈 21]、優勝メダル、チーム強化費、天皇杯(第31回以降)の他にNHK杯(第48回以降)、共同通信杯、JOC杯、ドイツ杯(第85回以降)、FAシルバーカップ(第91回以降)[53]、JFA杯(第95回以降) が試合終了後に行う表彰式で贈られる。

Jリーグ発足後の第72回から全日本選手権チーム(チャンピオンチーム)の証として天皇杯優勝チームマーク(天皇杯チャンピオンマーク)が授与され、次シーズンのユニフォームに付けることができる[54]。このマークは第88回大会までは日本サッカー協会のシンボルマークであるヤタガラスをモチーフに、上部に天皇杯の英名である「Emperor's Cup」の頭文字である「E」の文字をあしらったオリジナルデザインのエンブレムが使用されていたが、第89回大会より桜の花弁をあしらった天皇杯シンボルマークの下部に「Emperor's Cup WINNERS」の文字をくわえたデザインに改められた[54][55]

2008年まではJリーグのリーグ戦ユニフォームに天皇杯優勝チームマークをつける規定があった[56] が、2009年以降はこの規定がなくなっている[57]。2012年の第92回大会では、前年度優勝のFC東京が天皇杯用ユニフォームのみ天皇杯優勝チームマークをつけた[58]

当大会の優勝により出場権を得られる大会[編集]

優勝チームは全日本選手権チームとして、次シーズンのFUJIFILM SUPER CUPAFCチャンピオンズリーグ2 (ACL2)の出場資格を得る。2024/25シーズンからAFCクラブ競技会が再編される(3大会になり上位大会から順にAFCチャンピオンズリーグエリート (ACLE)、AFCチャンピオンズリーグ2AFCチャレンジリーグとなる)ことに伴い、第103回大会(2023年度)優勝チームはACLEの、第104回大会(2024年度)以降の優勝チームはACL2の出場資格を得る[59]。第81回(2001年度)から第102回(2022年度)までの優勝チームはAFCチャンピオンズリーグの出場権を、AFCチャンピオンズリーグ創設前の第69回(1989年度)から第80回(2000年度)までは、優勝チームはアジアカップウィナーズカップの出場権を得るものとされていた(AFCチャンピオンズリーグにおける日本のサッカークラブも参照)。

優勝チームが同シーズンのJ1リーグも優勝している場合には、スーパーカップには同シーズンJ1リーグ2位チームが繰り上がり、出場権が与えられる。同シーズンJ1リーグ3位までのチームが優勝チームだった場合はACL2には同シーズンJ1リーグ4位チームが繰り上がり出場権が与えられる。第87回(2007年度)までは、スーパーカップは天皇杯の準優勝チームが繰り上がっていた。ACLは第86回(2006年度)までの優勝チームが次々シーズンの出場権を得ることになっており、優勝チームが次シーズンのJ1リーグで優勝した場合には同シーズンJ1リーグ2位チームが繰り上がっていた(2008年までの日本からのACL出場枠は2チーム)。

この以前の方式では優勝チームが次年にJ2へ降格した場合はACL出場権が剥奪されることになっていたが、この規定が適用されたことはなかった。第82回(2002年度)の天皇杯を制した京都パープルサンガ(2003年にJ2降格)は当時のACLの日程変更上の過渡期でもあったため元々出場権がなく、第84回(2004年度)優勝の東京ヴェルディ1969(2005年にJ2降格)は、クラブが「J2に降格した場合でも出場したい」との意向により出場が認められた。第87回(2007年度)の優勝チームである鹿島アントラーズは、当大会からの出場権授与の変更により、天皇杯優勝によるACL出場資格を得られなかった(前年までのレギュレーションであれば2009年のACL出場資格を得ていたはずだった。ただし2008年のJ1リーグ優勝で同大会への出場資格を得ている)。

現在はAFCクラブライセンス制度により、Jリーグクラブライセンス制度によるJ1ライセンスを持つクラブにはACL出場権が与えられる。もし同ライセンスを持たないクラブが天皇杯で優勝した場合は、クラブライセンスの特別発給を申請することができる(Jリーグクラブライセンス交付規則[60] 第30条、AFCクラブ間大会参加規定[61] 第11.4-11.7節)。これによりライセンスが得られなかった場合、もしくはライセンスを申請しなかった場合は、ライセンス保持クラブの中で次点のクラブ(すなわち、J1リーグで次点の順位のクラブ)が繰り上げで出場権を得る(AFCクラブ間大会参加規定[61] 第12.5節)。

1980年代前半にはジャパンカップへの出場権が与えられていた。

NHK杯[編集]

1968年元日に社会人と学生それぞれのチャンピオンチームを招待した「NHK杯元日サッカー」が開催され、前年の日本リーグ優勝の東洋工業とインカレ優勝の関西大学が東京の国立霞ヶ丘陸上競技場で対戦した。

わずか10日後に両チームとも第47回の初戦を控えておりその前哨戦としての意味合いが強かったが[62]、本大会が滞りなく運営されたこともあり次年度の第48回から天皇杯決勝を元日開催とし、NHK杯サッカーはこの1回で廃止された。この試合は東洋工業が1-0で関大を降し、その勢いのまま天皇杯も制した。試合直前には関大サッカー部の選手が交通事故で他界したために喪章をつけて練習した[63]

現在、優勝チームに天皇杯と共にNHK杯が授与されるのはこの名残りで、日本放送協会会長が訪れて、直接優勝チームのキャプテンにNHK杯のトロフィーを贈る。

SURUGA I DREAM Award[編集]

特別協賛スポンサーとなっているスルガ銀行の協賛で2009年大会から制定された。大会全試合のゴールの中から、ジャイアント・キリングを起こし、大会を盛り上げた「天皇杯を象徴するゴール」に対する表彰である。発表・表彰式は決勝戦のハーフタイムに行なわれる。2018年はスルガ銀行の協賛がなくなり「I DREAM Award」として表彰された。

SURUGA I DREAM Award 受賞者[64][65]
回数 年度 受賞者・ゴール(当時所属チーム) 対象試合・ゴール
89 2009年 山本紘之明治大学60分にゴール 60分 3回戦【69】・vsモンテディオ山形
90 2010年 桐田英樹ソニー仙台FC106分にゴール 106分 2回戦【27】・vsベガルタ仙台
91 2011年 多々良敦斗松本山雅FC5分にゴール 5分 3回戦【60】・vsアルビレックス新潟
92 2012年 益子義浩福島ユナイテッドFC63分にゴール 63分 3回戦【70】・vsアルビレックス新潟
93 2013年 有永一生AC長野パルセイロ41分にゴール 41分 2回戦【45】・vs名古屋グランパス
94 2014年 岡山一成奈良クラブ86分にゴール 86分 2回戦【35】・vsベガルタ仙台
95 2015年 鈴木孝司FC町田ゼルビア90+3分にゴール 90+3分 2回戦【53】・vs名古屋グランパス
96 2016年 中川裕平Honda FC90+4分にゴール 90+4分 3回戦【70】・vsグルージャ盛岡
97 2017年 三笘薫筑波大学6分にゴール 6分
中野誠也(筑波大学)65分にゴール 65分
2回戦【39】・vsベガルタ仙台
98 2018年 山見大登関西学院大学92分にゴール 92分 2回戦【47】・vsガンバ大阪

その他[編集]

入場曲[編集]

第78回(1998年度)から、決勝戦のみならずすべてのスタジアムで入場曲に「日本サッカーの歌」(坂本龍一作曲、伊藤康英編曲)が使われている。決勝戦終了直後の表彰式においても、優勝チーム表彰の際に「日本サッカーの歌」がBGMで流される。第77回大会(1997年度)に限り、国立競技場で準決勝・決勝戦の入場曲に「FIFA ANTHEM」が使われたことがある。

会場[編集]

かつては、レギュレーション・トーナメント表の発表時点ですべての組み合わせと試合会場が決定していたが、第92回大会以降は4回戦以降の組み合わせ・会場は3回戦終了後に決定することになった。

天皇杯への指摘[編集]

本大会は第1回から棄権チームが出る[66]など、その権威づけや他の各種大会との兼ね合いなどによる諸問題[67]を抱えていた。戦前の明治神宮競技大会との統合や日本サッカーリーグ設立に伴う日本チャンピオンの位置付け(現状では日本リーグ1部・Jリーグ1部優勝をチャンピオンとしているが、全日本選手権=Championshipは天皇杯である)[68] などがある。1968年(第47回)大会では過密日程や準備不足を理由とした自己都合による3チームの辞退[69]が出たほか、1986年(第66回)大会ではアジアクラブ選手権出場を優先させるため日本サッカー協会の指示で古河電工が出場を辞退(予定されていた兵庫教員戦は壮行試合となった)させられた[要出典]

21世紀以降では、サッカー日本代表の活動やAFCチャンピオンズリーグの開催による日程の過密化、Jリーグの春秋制導入議論の中で天皇杯の日程見直しを求める声が上がっていた際に[70]日本サッカー協会も決勝を元日から11月~12月に前倒しする方針を示していたことがある[71]

テレビ・ラジオ放送[編集]

日本放送協会(NHK)が共催することや過去の経緯もあって、地上波・BSのテレビ放送はNHKが放送(ごくまれに地元民放局による放送例もある)している。ラジオ放送は準決勝までNHK一局、決勝はNHKに加えて文化放送が中継を行う(第94回・第98回・第101回・第102回大会を除く)。RFラジオ日本は2009年度まで、TBSラジオニューイヤー駅伝優先のため試合途中から中継)は2015年度まで、ニッポン放送は2019年度まで中継を行っていた。

NHKによるテレビ放送は、第76回(1996年度)以降はJリーグ勢の登場以降の中継が基本となっている。

  • 2回戦:J1チーム出場カードのうち2試合をBS1で放送(原則として生中継)。
  • 3回戦、4回戦:J1チーム出場カードのうち試合日(予備日含む)ごとに1-2試合をBS1で放送(原則として生中継、一部試合は録画中継)。
    • 第86回(2006年度)の4回戦は試合日が2日間にわたって行われ、更に予備日にも2試合が行われたため、計6試合で中継が行われた。
    • 第90回(2010年度)の4回戦は8試合とも同日同時刻に行われた上、BS1で主要競技の中継を行っている2010年アジア競技大会との調整もあったため、全国放送はダイジェスト番組のみとなった。
    • 第91回(2011年度)の3回戦は全試合同時キックオフだったが、同年3月までBS2が使用していたBS102chをBS1の臨時放送用のチャンネルとして使用することとなったため、101chと102chで2試合同時生放送を行なった。この年の中継より、BS1で放送の試合が延長戦になった場合は、メインチャンネルの101chは通常放送を優先し、102chで続きを放送するようになった。
  • 準々決勝:全試合をBS1で放送(生中継2試合+録画中継2試合)。原則ノーカット放送だが、録画放送となる試合で延長戦PK戦となった試合は120分(NHK BSニュースによる中断時間を含む)の放送時間に収めるようにするため、一部抜粋で放送することがある。
  • 準決勝、決勝:全試合を総合テレビラジオ第1および海外向けのNHKワールド・プレミアムで生中継(ただし準決勝の13時キックオフの試合が延長戦となった場合は、15時キックオフの試合は途中飛び乗りで中継)。BS1で録画中継。第87回(2007年度)の決勝まではBSハイビジョン、第99回(2019年度)の決勝はBS4K[73] でも生中継で放送されていた。
    • 2014年は2015年1月のアジアカップの開催に伴う会期の前倒しのため、例外として準決勝は地上波ではテレビ・ラジオとも放送せず(11月26日にナイターで同時開催)、BS1のマルチチャンネルで生中継を行った。決勝戦については平年同様総合テレビとラジオ第1で中継を行った(BS1非放送)[72]。2018年も鹿島アントラーズのFIFAクラブワールドカップへの出場に伴う会期前倒しにより、準決勝・決勝とも地上波の放送は編成の都合上放送できず、BS1で放送された[74]。2022年も2022 FIFAワールドカップの開催に伴う会期の前倒しのため、準決勝はBS1で生中継で放送された。広島県は総合テレビでも放送された(19時30分~20時44分 メインチャンネル、20時44分~ サブチャンネル)[75]。決勝戦については平年同様総合テレビとラジオ第1で中継を行った(BS1非放送)[76]

1回戦は、原則都道府県代表同士の対戦であったことから放送されなかったが、第95回(2015年度)はJ1・J2勢が1回戦から登場することから、1試合をBS1で生放送した[77]

このほか、都道府県サッカー選手権大会の決勝が天皇杯の都道府県代表の決定戦を兼ねる関係でNHK各局でのローカル中継で放送される他[注釈 22]、本大会の2 - 4回戦および準々決勝の試合日には深夜にBS1でダイジェスト番組が放送されている(Jリーグタイムと同様の放送体制)。全試合生中継する準決勝以降はダイジェストが放送されないが、2009年度・2010年度は決勝終了後の夜にもBS1でダイジェスト番組が放送された。BS1の録画中継は決勝翌日の1月2日深夜に放送された。

第91回(2011年度)からCS放送のスカチャンで中継が行われる(4回戦以降の全試合を録画中継(一部生中継)。2012年は2回戦・3回戦のうちNHKが中継しない試合も数試合セレクトして放送)。過去にはJ SPORTSでも放送されたことがある。

元日開催ではなかった第94回(2014年度)第98回(2018年度)第101回(2021年度)第102回(2022年度)の決勝は、民放ラジオでの中継は行われなかった。

第95回(2015年度)の決勝は、NHK総合テレビの中継をインターネットによる同時配信の検証実験を実施した[78]。TBSラジオが同大会を持って中継を取りやめた。

大阪開催となった第96回(2016年度)の決勝は、文化放送とニッポン放送は自社製作で中継を継続で埼玉開催の第97回(2017年度)も同様の対応を取る。

第102回(2022年度)からV・ファーレン長崎が関わる試合に関しては同クラブの運営会社であるジャパネットホールディングスの系列BSテレビ局であるBSJapanextでも生中継を行う[79]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ロゴ等で用いられている表記は「天皇杯 JFA CHAMPIONSHIP」または「天皇杯
  2. ^ 第92回 2012年から第99回 2019年まではサンフレッチェ広島の初戦を福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場で開催した。以前も1996年以後は本拠地登録を抹消されているコカコーラウェスト広島スタジアムの試合もあった。
  3. ^ 3回戦は鳴門大塚(J2・徳島)、4回戦は埼玉(J1・浦和)、準々決勝はカシマ(J1・鹿島)。事前に決まっていた1回戦の福井(北信越1部・福井)、2回戦の厚別(J1・札幌)も含めすべてアウェイだった。
  4. ^ 第91回大会のみ、東日本大震災の影響により「同年のJFLの前期リーグ戦第7節から各チームの11試合終了時の上位チーム」とされた。
  5. ^ 第104回大会時点
  6. ^ 22位以降はJリーグクラブと第100回大会以降に出場したチームを記載
  7. ^ 第104回大会時点
  8. ^ 棄権した
  9. ^ 「兵庫県サッカー協会70年史」におけるチーム名は「茅野クラブ」
  10. ^ 「兵庫県サッカー協会70年史」におけるチーム名は「神中倶楽部」
  11. ^ 棄権した
  12. ^ 『天皇杯六十五年史』および第94回天皇杯パンフレット(p.55)では「東北学院大学」の表記だが、『蹴球』第四巻 第三号と『サッカーマガジン』1968年6月号では「東北学院倶楽部」「東北学ク」となっており、翌年度に出版された『運動年鑑 昭和12年度 朝日新聞社出版』においても「東北學院倶」と表記 (※国立国会図書館デジタルコレクションの原本、146コマ目245頁参照 ) されている
  13. ^ 名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)、名古屋高等理工科学校/名古屋専門学校(現・名城大学)等が考えられるが、前者は第8回大会に出場しているため今回が初出場ではなく、後者は第53回大会において初出場となっているため、いずれにせよ矛盾が生じる。尚、名古屋高等工業学校が名古屋工業専門学校(名古屋工専)と名乗っていたのは1944-1948年で、名城大学の前身である名古屋専門学校が設置されたのは1947年である。"高専"を高等専門学校の意と解釈すれば、名古屋高等工業学校に加え、名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)も候補に含まれるが、こちらも第15回大会に出場していることから今回が初出場ではない。
  14. ^ 第3回大会に出場の官立神戸高商とは別の学校
  15. ^ 出場辞退したので出場回数には含まれない
  16. ^ 第2回大会に出場の大阪サッカークラブ第17回大会/第19回大会に出場の大阪クラブとは別クラブ
  17. ^ 棄権した。
  18. ^ 松山商科大学と松山クラブの混成チーム
  19. ^ 新三菱重工業の選手を中心に、千代田化工建設、東京海上火災などの混成チーム
  20. ^ 第13回大会に出場した広島教員とは異なる。
  21. ^ 表彰状の文言読み上げはない。
  22. ^ ほぼ全ての決勝戦が該当し、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県のサッカー選手権大会はNHK放送センターが担当するため、同日に実施されることはまずない。主に日曜日の午後に実施されており、大半の都道府県が同じ日に開催される時は、同じ時間帯に編成されていて、かつ再放送されていないNHKアーカイブスの再放送が特例で全国ネットで放送されている。

出典[編集]

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参考資料・文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]