日本とパラグアイの関係

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日本とパラグアイの関係
JapanとParaguayの位置を示した地図

日本

パラグアイ

日本とパラグアイの関係(にほんとパラグアイのかんけい、スペイン語: Relaciones entre Japón y Paraguay英語: Japan–Paraguay relations)は、日本パラグアイとの間における国際関係である。

日本とパラグアイ両国ともに、国連世界貿易機関(WTO)の正規加盟国である。

歴史[編集]

日本とパラグアイの関係は1912年、日本からの永住者として初めてパラグアイに渡った佐幸田兼蔵がプエルト・カサードのタンニン工場に勤務したことに始まる[1]

1919年11月17日、両国間の貿易協定が調印されたことにより、両国の外交関係が開設された[2]

この二国間関係は第二次世界大戦中に断交された。すなわち、1942年1月28日にパラグアイが日との外交関係を破棄して、遂に1945年2月7日、パラグアイが日独に対して宣戦布告したのである[3]

1951年9月8日、サンフランシスコにおいて日本国との最終的な平和条約が、日本、パラグアイ、アメリカ合衆国ならびに共産主義国を除く46ヶ国の連合国により署名された[4]1951年11月28日に日本が、1953年1月15日にパラグアイが同条約を批准したことにより[5]、二国間関係が再開された。両国の国交再樹立後、日本はアスンシオン大使館を構えている[6]。また、パラグアイは東京に大使館を構えている[7]

1936年から1959年にかけてパラグアイにやって来た祖先を持つ日系パラグアイ人は、およそ10,000人いる。1953年に日芭拓殖組合は日本人がパラグアイ南部のフェデリコチャベスラパス、フジに定住するのを援助した[1]。また日本海外移住振興会社は1959年からイタプア市に農業移住地を開拓した[1]。これらの移住地は地元の農業発展に大きな成功を収めたことから、パラグアイ政府と日本政府は移民協定を結び、1959年から1989年までの間に85,000人の農夫を日本からパラグアイに移民することで合意したが、日本経済1960年代に回復したため、その30年間にパラグアイに移民したのは7000人にすぎなかった[1]。1959年に締結された移民協定は1989年に効力無期限延長改定され、85,000人の日本人が受け入れ可能となっている。

1954年5月4日、アルフレド・ストロエスネルはクーデターを起こし時のフェデリコ・チャベス政権を打倒。同8月、自らパラグアイの大統領に就任した。ストロエスネル大統領の政治全体には賛否両論があるものの、ことパラグアイ国内の日系社会に対しては、非常に友好的な態度が取られていた。特に日本の明治維新及び戦後復興における発展に興味を持ち、1972年4月にはその発展を目の当たりにするために日本を訪問している。その親日ぶりは、誕生日が明治天皇と同じことから自らを「明治天皇の生まれ変わり」と呼んだという逸話があるほどである[8]

2011年3月11日東日本大震災後に日系パラグアイ人農家を中心に「100万丁豆腐プロジェクト」として100万丁分の原料の大豆、製造加工費を日本へ支援した[9]。また東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を理由にパラグアイに移住する日本人が増えている[10][11]

2016年9月10日、パラグアイで日本人移住80周年式典が開かれ、日本からは眞子内親王が出席した[12]

2018年12月3日、安倍晋三が日本の総理大臣として初めてパラグアイ(とウルグアイ)を訪問し、マリオ・アブド・ベニテス大統領と会談、日本が医療機器を供与することなどで合意し、インフラ協力に関する文書の署名式に出席した[13][14]。その後、現地の日系パラグアイ人と懇談をおこない、安倍晋三総理大臣は「日本とパラグアイは地理的な距離は遠く離れているが、心は近くに感じることができる。日本は常に皆さんと共にあることを忘れないでほしい」と呼びかけた[13][14]。これについてMBSBSNTBSは「両国(パラグアイとウルグアイ)とも日本からの移民の多い国で、このうち、ウルグアイのバスケス大統領との会談では、牛肉の相互輸出を解禁することなどを確認しました」と報じた[15][16][17]

2021年10月5日パラグアイ政府英語版から秋篠宮文仁親王眞子内親王国家功労勲章英語版が授与された[18]。授与理由は、秋篠宮文仁親王2006年眞子内親王2016年にパラグアイを公式訪問し、2021年は日本人のパラグアイ移住85周年に当たり、友好関係に寄与したことである[18]

両国の比較[編集]

パラグアイの旗 パラグアイ 日本の旗 日本 両国の差
人口 685万人(2016年)[19] 1億2711万人(2015年)[20] 日本はパラグアイの約18.6倍
国土面積 40万6752 km²[19] 37万7972 km²[21] パラグアイは日本の約1.1倍
首都 アスンシオン[22] 東京
最大都市 アスンシオン 東京
政体 大統領制 議院内閣制[23]
公用語 スペイン語グアラニー語[24] 日本語事実上
国教 なし なし
GDP(名目) 290億6500万米ドル(2015年)[25] 4兆1162億4200万米ドル(2015年)[25] 日本はパラグアイの約141.6倍
防衛費 4億6200万米ドル(2015年)[26] 409億米ドル(2015年)[26] 日本はパラグアイの約88.5倍

外交使節[編集]

駐パラグアイ日本大使・公使[編集]

駐日パラグアイ大使・公使[編集]

駐日パラグアイ公使[編集]

  1. ニコラス・デ・バリ・フレチャ・トレス(1959~1962年)[27]

駐日パラグアイ大使[編集]

  1. ニコラス・デ・バリ・フレチャ・トレス(公使より昇格、1962年~)[27][28][29]
  2. デシデリオ・メラニオ・エンシソ(1972~1976年、信任状捧呈は4月4日[30]
  3. マルコス・マルティネス・メンディエタ(1977~1984年)
  4. フアン・カルロス・フラセ・ボン・バルヘン[31](1984~1989年)
  5. フェルナンド・B・コンスタンティニ[32](1990~1993年、信任状捧呈は1月31日[33]
  6. フェデリコ・マンデルブルヘル(1993~1997年、信任状捧呈は5月27日[34]
  7. ミゲル・アンヘル・ソラノ・ロペス・カスコ(1997~2004年、信任状捧呈は4月28日[35]
  8. イサオ・タオカ(田岡功[36]、2004~2009年、信任状捧呈は9月14日[37]
  9. ナオユキ・トヨトシ(豊歳直之[38]、2009~2017年、信任状捧呈は12月8日[39]
  10. ラウル・アルベルト・フロレンティン・アントラ(2017年~、信任状捧呈は2018年2月16日[40]

出典[編集]

  1. ^ a b c d アケミ・キクムラ・ヤノ (2014年4月18日). “日系パラグアイ移民略史”. ディスカバー・ニッケイ. オリジナルの2021年5月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210521093325/http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2014/4/18/paraguay/ 
  2. ^ Diplomatic Relations with Japan | Embassy of the Republic of Paraguay in Japan (英語)
  3. ^ The World at War - Diplomatic Timeline 1939-1945 (英語)
  4. ^ San Francisco Peace Treaty | Taiwan Documents Project (英語)
  5. ^ Treaty of Peace with Japan | Treaty Database (英語)
  6. ^ 在パラグアイ日本国大使館
  7. ^ 在日パラグアイ共和国大使館
  8. ^ “20世紀後半の「親日大統領」”. 日系移住デジタル史料館. (2020年8月20日). https://museojapones-lacolmena.jimdofree.com/パラグアイ社会との関係/アルフレド-ストロエスネル/ 
  9. ^ “豆腐100万丁を東日本被災地に=パラグアイ=イグアスの大豆から製造=すでに30万丁配布済み=包装に「心はひとつ」”. ニッケイ新聞. (2011年9月2日). オリジナルの2014年9月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140919140736/https://www.nikkeyshimbun.jp/2011/110902-71colonia.html 
  10. ^ 朴鐘珠 (2015年11月26日). “原発移民 日本からパラグアイへ 「息苦しさ」逃れ 3カ月で永住権、魅力”. 毎日新聞. オリジナルの2016年1月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160103101440/http://mainichi.jp/articles/20151126/dde/007/030/047000c 
  11. ^ 朴鐘珠 (2015年11月27日). “原発移民 日本からパラグアイへ 無農薬で活路 収入源確保のレタス栽培”. 毎日新聞. オリジナルの2016年1月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160131171826/http://mainichi.jp/articles/20151127/dde/007/030/055000c 
  12. ^ “眞子さま、パラグアイ日本人移住80周年式典に出席”. AFP. (2016年9月10日). オリジナルの2016年9月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160914151828/https://www.afpbb.com/articles/-/3100453 
  13. ^ a b “安倍首相、ウルグアイを訪問 次はパラグアイへ”. 産経新聞. (2018年12月2日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181203055901/https://www.sankei.com/politics/news/181202/plt1812020013-n1.html 
  14. ^ a b “パラグアイへ医療機材供与…首脳会談で合意”. 読売新聞. (2018年12月4日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181204162024/https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20181204-OYTET50007/ 
  15. ^ “安倍首相、ウルグアイとパラグアイを訪問”. MBS. (2018年12月3日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181203163916/https://www.mbs.jp/news/zenkokunews/20181203/3539503.shtml 
  16. ^ “安倍首相、ウルグアイとパラグアイを訪問”. BSN. (2018年12月3日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181203164041/https://www.ohbsn.com/news/detail/jnnzenkoku20181203_3539503.php 
  17. ^ “安倍首相、ウルグアイとパラグアイを訪問”. TBS. (2018年12月3日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181203164350/https://news.myjcom.jp/video/story/3539503.html 
  18. ^ a b “眞子さま、パラグアイから勲章 外国から初めて”. 日本経済新聞. (2021年10月5日). オリジナルの2021年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211005090712/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0533E0V01C21A0000000/ 
  19. ^ a b パラグアイ基礎データ | 外務省
  20. ^ 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要 - 2016年2月26日
  21. ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局
  22. ^ パラグアイ憲法スペイン語版英語版第157条で明確に定められている。
  23. ^ 日本国憲法で明確に定められている。
  24. ^ パラグアイ憲法スペイン語版英語版第140条で明確に定められている。
  25. ^ a b Report for Selected Countries and Subjects | International Monetary Fund (英語)
  26. ^ a b SIPRI Fact Sheet, April 2016 Archived 2016年4月20日, at the Wayback Machine. (英語) - 2016年4月
  27. ^ a b 鹿島守之助『日本外交史 別巻3』(鹿島研究所出版会、1974年)、p.706
  28. ^ El quincuagésimo - ABC Revista - ABC Color (スペイン語)
  29. ^ Ministerio de Educación y Cultura - Paraguay » Fechas Especiales » Nicolás de Bari Flecha Torres asume la intendencia municipal de Asunción, en 1956 (スペイン語)
  30. ^ 外務省情報文化局外務省公表集(昭和四十七年)』「六、儀典関係」「11 新任駐日パラグァイ大使の信任状捧呈について」
  31. ^ List of Official Mourners Representing Foreign Countries and International Organizations at the Funeral Ceremony of Emperor Showa | Diplomatic Bluebook 1989 (英語)
  32. ^ Foreign Representatives, Heads of Missions and Accompanying Persons at the Ceremony of the Enthronement of the Emperor at the Seiden | Diplomatic Bluebook 1991 (英語)
  33. ^ 信任状捧呈式(平成2年) - 宮内庁
  34. ^ 信任状捧呈式(平成5年) - 宮内庁
  35. ^ 信任状捧呈式(平成9年) - 宮内庁
  36. ^ 日本生まれの日系パラグアイ人一世パラグアイの日系人大使として選ばれた経緯とその喜び | Real People | ディスカバー・ニッケイを参照。
  37. ^ 新任駐日パラグアイ共和国大使の信任状捧呈について | 外務省 - 2004年9月13日
  38. ^ 日本生まれの日系パラグアイ人一世第二世紀へのメッセージ:キャンパスナウ:教育×WASEDA ONLINEを参照。
  39. ^ 外務省: 新任駐日パラグアイ大使の信任状捧呈 - 2009年12月7日
  40. ^ 駐日パラグアイ大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2018年2月16日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]