モンティ・ウィリアムズ

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モンティ・ウィリアムズ
Monty Williams
NBAオールスターゲームでのウィリアムズ
(2022年)
デトロイト・ピストンズ HC
役職 ヘッドコーチ
所属リーグ NBA
基本情報
愛称 Monty
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1971-10-08) 1971年10月8日(52歳)
出身地 バージニア州フレデリックスバーグ
身長(現役時) 203cm (6 ft 8 in)
体重(現役時) 102kg (225 lb)
キャリア情報
高校 ポトマック高等学校英語版
大学 ノートルダム大学
NBAドラフト 1994年 / 1巡目 / 全体24位[1]
プロ選手期間 1994年–2003年
ポジション SF
背番号歴 2, 41, 3, 5
指導者期間 2005年–現在
経歴
選手時代:
19941996ニューヨーク・ニックス
19961998サンアントニオ・スパーズ
1999デンバー・ナゲッツ
19992002オーランド・マジック
2002–2003フィラデルフィア・76ers
コーチ時代:
20052010ポートランド・トレイルブレイザーズ (アシスタント)
20102015ニューオーリンズ・ホーネッツ / ペリカンズ
2015–2016オクラホマシティ・サンダー (アソシエイト)
2018–2019フィラデルフィア・76ers (アシスタント)
20192023フェニックス・サンズ
2023デトロイト・ピストンズ
受賞歴

コーチ時代

NBA通算成績
得点数 2,884 (6.3 ppg)
リバウンド数 1,296 (2.8 rpg)
アシスト数 544 (1.2 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
FIBA U-21世界選手権
金メダル - 1位 1993 バリャドリッド
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国代表アシスタントコーチ
ワールドカップ
金メダル - 1位 2014 スペイン チーム
オリンピック
金メダル - 1位 2016 リオデジャネイロ チーム

モンティ・ウィリアムズMonty Williams)ことタバレス・モンゴメリー・ウィリアムズTavares Montgomery Williams, 1971年10月8日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州フレデリックスバーグ出身の元プロバスケットボール選手であり、現在は指導者。NBAデトロイト・ピストンズでヘッドコーチを務めている。

経歴[編集]

ノートルダム大学卒業後、1994年のドラフトでNBAニューヨーク・ニックスに1巡目24位で指名されプロキャリアをスタートした。

2年後、サンアントニオ・スパーズグレッグ・ポポヴィッチのもと2シーズンをプレーし、NBAヘッドコーチのなかでも数の多いポポビッチ門下生の一人である。その後、4シーズンをプレーし、キャリアの実績は、2,884得点(6.3ppg)、1,296リバウンド(2.8rpg)、544アシスト(1.2apg)。

2005年よりポートランド・トレイルブレイザーズのアシスタントを5シーズン務めた後、ニューオーリンズ・ホーネッツのヘッドコーチに就任[1]。2011-12シーズン以降は苦しんだものの、2014-15シーズンは45勝37敗の成績で4年振りのプレーオフ出場に導いたが、ゴールデンステート・ウォリアーズに4戦全敗を喫し、2015年5月12日に解任された[2]

2015年6月1日、2015-16シーズンは、オクラホマシティ・サンダーの第1アシスタントコーチとしてビリー・ドノバンを支えていた[3]が、シーズン途中に夫人が交通事故で他界するという悲劇に遭遇。以降ウィリアムズは残された家族との時間を優先するために残りシーズンを休養。シーズン終了後に退任となった。

2016年9月16日、サンアントニオ・スパーズのバスケットボール関連部門の副社長に就任したことが発表された[4]

2018年6月4日、 フィラデルフィア・76ersヘッドコーチのブレット・ブラウンはウィリアムズがアシスタントコーチとしてチームに加わることを発表した[5]

2019年5月3日、フェニックス・サンズのヘッドコーチに就任[6][7]。2020-21シーズンはチームを28年振りにNBAファイナルに導いたものの、ファイナルではミルウォーキー・バックスに2勝4敗で敗れた。

2023年5月14日、ウェスタンカンファレンス・セミファイナルでデンバー・ナゲッツに2勝4敗で敗れた直後、フェニックス・サンズのヘッドコーチから解任されたが、同年6月2日、デトロイト・ピストンズのヘッドコーチに就任した[8]

ヘッドコーチ成績[編集]

NBAヘッドコーチ実績表略号説明
レギュラーシーズン G 試合数 W 勝利数 L 敗戦数 W–L % レギュラーシーズン勝率
ポストシーズン PG 試合数 PW 勝利数 PL 敗戦数 PW–L % プレイオフ勝率
チーム シーズン G W L W–L% シーズン結果 PG PW PL PW–L% 最終結果
ニューオーリンズ・ホーネッツ 2010–11 82 46 36 .561 3rd in Southwest 6 2 4 .333 1st.ラウンド敗退
ニューオーリンズ・ホーネッツ 2011–12 66 21 45 .318 5th in Southwest 不出場
ニューオーリンズ・ホーネッツ 2012–13 82 27 55 .329 5th in Southwest 不出場
ニューオーリンズ・ペリカンズ 2013–14 82 34 48 .415 5th in Southwest 不出場
ニューオーリンズ・ペリカンズ 2014–15 82 45 37 .549 5th in Southwest 4 0 4 .000 1st.ラウンド敗退
フェニックス・サンズ 2019–20 73 34 39 .466 パシフィック3位 不出場
フェニックス・サンズ 2020–21 72 51 21 .708 パシフィック1位 22 14 8 .636 NBAファイナル敗退
通算 539 258 281 .479   32 16 16 .500  

その他[編集]

選手の能力を引き出すことに定評があり、マイク・シャシェフスキーの下で、USAナショナルチームのアシスタントコーチを務めている。

脚注[編集]

外部リンク[編集]