モルディブ国防軍

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モルディブ国防軍
ދިވެހިރާއްޖޭގެ ޤައުމީ ދިފާއީ ބާރު
Maldives National Defence Force
創設 1972年(国家保安隊)
2006年(国防軍)
派生組織 沿岸警備隊
海兵隊
後方支援隊
本部 バンダーラ・コシー (Bandaara Koshi)
指揮官
最高司令官 モハメド・ムイズ大統領
司令官 アブドゥッラー・シャマール英語版少将
国防大臣 マリヤ・アーメド・ディディ英語版
総人員
現総人員 約4,000人
財政
予算 51.8億ドル(2009年予算)
軍費/GDP 5.5% [1](世界13位)
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モルディブ国防軍(モルディブこくぼうぐん、ディベヒ語: ދިވެހިރާއްޖޭގެ ޤައުމީ ދިފާއީ ބާރު‎、英語: Maldives National Defence Force, MNDF)は、モルディブ共和国軍隊

歴史[編集]

モルディブ諸島に人々が住み始めた頃から軍隊が形作られていたことが、歴史的に証明されている。1573年には、ムハンマド・タクルファーヌ・アル=アウザムディベヒ語版英語版に率いられた抵抗軍ポルトガル占領軍を撃退した。しかし現代につながる近代軍の創設は、イギリス領モルディブ体制下の1892年のことであった[1]

1932年、最初の憲法が起草されて選挙君主制に移行するのとあわせて、軍政部門として平和・安全保障室(Office of Peace and Security)が設置された。そして1968年共和制に移行するのとあわせて、軍政部門は公安省(Ministry of Public Safety)に、そして5年後には司令部機構も国家保安隊本部(National Security Guard's Central Depot)に改称された。なお1940年代からは警察機能を兼任するようになっており、一部の要員が捜査室(Investigation Office)に配属されて警察任務にあたっていた[1]

1979年1月10日、部隊名はNSS(National Security Service)に改称された[1]1980年代の時点で、NSSはモルディブ政府が保有する唯一の実力組織であり[2]、軍隊というよりは準軍事組織としての色彩が強かった。しかし1988年に発生した外患誘致事件[注 1]は、近代モルディブにとって初体験の脅威であり、爾後、国家保安隊の軍隊としての性格を強めるため、全面的な増強改編が着手された[1]

2004年には国家保安隊から警察機能を切り離し、文民警察 (Maldives Police Serviceが創設された。そして2006年4月21日、近代軍として114回目の創設記念日に、国家保安隊は国防軍(MNDF)と改称された[3]

編制[編集]

MNDFの主な軍種は下記の3つである[4]

軍令面では統合運用体制を採用しており、参謀長 (Chief of the Defence Forceの補佐のもとで、4個の地域別部隊が設置されている。また地域別部隊以外の戦略級部隊として特殊部隊 (Special Forcesと工兵部隊 (Corps of Engineersがあり[5]、特殊部隊は最高司令官の、また工兵部隊は参謀長の、それぞれ直轄指揮下にある[6]

沿岸警備隊[編集]

哨戒艇「フラヴィ」

モルディブのような海洋国家にとって海洋保安は重要な関心事であり、MNDFにおいてこれを所掌するのが沿岸警備隊 (Maldivian Coast Guardである[1]。1976年、ガン島に所在していたイギリス空軍基地 (RAF Ganから、21メートル級標的曳航艇1隻、19メートル級港内艇1隻、上陸用舟艇4隻の譲渡を受けて、近代海軍として発足した[7]

その後も、沿岸警備隊の運用舟艇は、最大で25メートル級程度の小型艇に限られてきた。しかし2004年のスマトラ島沖地震による津波はモルディブにとっても大きな衝撃となり、これに関連して、沿岸警備隊が外洋で救難活動を展開する能力が欠如していることが問題となった。2006年4月、インド海軍は満載排水量260トン・全長46メートルのトリンカット級哨戒艇英語版1隻を供与し、これは「フラヴィ」として就役した。またこれと並行して、スリランカのコロンボ造船所 (Colombo Dockyardに発注して35メートル級哨戒艇1隻が建造され、2008年に「シャヒード・アリ」として就役した[8]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1988年11月3日、モルディブ人実業家であったアブドラ・ルスフィ (Abdullah Luthufi) は、スリランカのタミル人武装組織、タミル・イーラム人民解放機構(略称:PLOTE。タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)とは別の組織)の傭兵400人を投入してクーデターを試みた。しかし国家保安隊の抵抗を受けてクーデター部隊はマウムーン・アブドル・ガユーム大統領の身柄の早期確保に失敗し、マレを脱出した大統領は、イギリス、アメリカ合衆国インドに対して支援を要請した。これに応じて、同日中に緊急展開したインド軍空挺部隊によってPLOTEの戦闘部隊は制圧され、事態は収拾された。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e Ministry of Defence and National Security 2012, pp. 18–22.
  2. ^ GlobalSecurity.org 2015.
  3. ^ Maldives National Defense Force. “History - Maldives National Defense Force”. 2007年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月28日閲覧。
  4. ^ Ministry of Defence and National Security 2012, pp. 35–38.
  5. ^ Ministry of Defence and National Security 2012, pp. 39–42.
  6. ^ Ministry of Defence and National Security 2012, pp. 26–28.
  7. ^ Gardiner 1996, p. 261.
  8. ^ Wertheim 2013, pp. 441–443.

参考文献[編集]

  • Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325 
  • GlobalSecurity.org (2015年). “Maldives National Defence Force”. 2018年9月25日閲覧。
  • Maldives National Defence Force: “A GLIMPSE OF THE PAST” (英語) (2007年). 2007年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月6日閲覧。
  • Wertheim, Eric (2013). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 16th Edition. Naval Institute Press. ISBN 978-1591149545 
  • 外務省: モルディブ共和国” (2012年6月). 2012年11月13日閲覧。
  • Ministry of Defence and National Security, ed (2012). Defence White Paper 2012. http://defence.gov.mv/files/25.pdf 

外部リンク[編集]