ブリストル

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ブリストル

City and County of Bristol
イングランドの旗
Location of ブリストル
ブリストルの位置(ブリストル内)
ブリストル
ブリストル
ブリストルの位置(サマセット内)
ブリストル
ブリストル
ブリストルの位置(グロスタシャー内)
ブリストル
ブリストル
ブリストルの位置(イングランド内)
ブリストル
ブリストル
北緯51度27分0秒 西経2度35分0秒 / 北緯51.45000度 西経2.58333度 / 51.45000; -2.58333
イギリスの旗 イギリス
構成国家 イングランドの旗 イングランド
地域 サウス・ウェスト・イングランド South West England
Royal Charter 1155年
County status 1373年
政府
 • 種別 単一自治体 (Unitary Authority), シティ, 典礼カウンティ
 • 立法府 Bristol City Council
 • 指導 市長 & 閣議
 • 行政府 自民党
 • 選出下院議員 Roger Berry (L)
Kerry McCarthy (L)
Doug Naysmith (L)/(Co-op)
Dawn Primarolo (L)
Stephen Williams (LD)
面積
 • 都市 110 km2 (40 mi2)
標高 11 m (36 ft)
人口
(2017年)
 • 都市 463,400人
 • 都市部
724,000人
等時帯 UTC+0 (グリニッジ標準時)
Postcode
BS
市外局番 0117
ISO 3166-2 GB-BST
ONS code 00HB
OS grid reference ST5946972550
NUTS 3 UKK11
民族 [1] 白人 88.8% (イギリス系 83.5%)
アジア系 4.2%
黒人 2.9%
混血 2.2%
その他 1.9%
ウェブサイト www.bristol.gov.uk/
地図
市庁舎(Bristol City Hall)位置

ブリストルen-uk-Bristol.ogg Bristol[ヘルプ/ファイル]; [ˈbrɪstəl])は、イギリス西部の港湾都市サウス・ウェスト・イングランドにある単一自治体であり、シティ・ステータスを持つとともに単体で典礼カウンティを構成する。ロンドンから西に169キロ、カーディフから東に71キロの位置に所在する。

人口46万人、隣接地域も併せると約72万人と推定される。これはイギリス全体で8番目に人口が多く、サウス・ウェスト・イングランドで最も人口の多い都市である。サマセット(南西及び南)とグロスタシャー(北東及び東)の両カウンティに接し、南東には歴史的な都市バース(サマセット)があり、北にはグロスター(グロスタシャー)が位置する。エイボン川に沿って形成されており、それが流入するブリストル海峡に北側で接している。

歴史[編集]

紀元40年ごろ、現在のブリストルの西側に古代ローマ人が築いたアボナという港がブリストルの基礎となった[2]。アボナは温泉地バースとの物資取引に使用されていた。 5世紀以降のアングロ・サクソン時代にブリストルは都市として形成されていった。もともとはエイボン川の河口から最も近い架橋可能な位置だったことから、「橋のある場所」を意味するブリグストウ(古英語: Brycgstow)と呼ばれていた[2]

10世紀にブリストルは商業港として栄え、11世紀初頭にはアイルランドとの羊毛貿易の中心地となった。 11世紀後半のノルマンコンクエストの時代には、グロスター伯ロバートによってブリストル城英語版が築かれている。

13世紀には交易量の増大によって船舶の停泊に不足を来すようになったため、1240年代にフロム川の合流点の付け替えを含む当時国内で類を見ない大規模な港湾拡張工事が行われた。工事によって港の容量は2倍に増加し、ブリストルの発展の基盤となった。

13世紀から18世紀の後半に産業革命リヴァプールバーミンガムマンチェスターの急成長が始まるまで、ロンドンに次ぐ都市、ヨークノリッジと並ぶトップ3の都市であった。ブリストルは1155年にロイヤル憲章を送られ、1373年に典礼カウンティに格上げされた。

14世紀には造船業や毛織物工業が盛んになり、ヨーロッパや近東に輸出された。 1497年、イングランド王ヘンリー7世の命でイタリアの航海者カボット親子がブリストルの港から新大陸探検に出発した。

1600年代後半、ブリストル出身のエドワード・コルストン王立アフリカ会社に参加、アフリカの奴隷貿易で大きな財を成し、教会や救貧院、学校などに寄付をした。このことから市内の通りや建物の多くに彼の名前がつけられ、1800年代には市内の中心地に銅像が建立された。しかし、次第に奴隷貿易への批判から銅像の設置に異議が出されるようになり、2020年人種差別批判の高まりの中でコルストン像は引き倒され海へ投げ込まれた(詳細はエドワード・コルストンの像を参照のこと)[3]

18世紀頃には毛織物貿易は衰退したが、西インド諸島との貿易、金属工業などの新産業、そして黒人奴隷などを扱った大西洋三角貿易の拠点の一つとして栄えた。18世紀に頂点に宝飾にも用いられる品質のガラス(特に青色ガラス)を生産していた。1700年には2万人だった人口は1801年には68,000人に拡大し、クリフトンなど郊外の宅地化が進んだ[4]

しかし、産業革命が進展する中で、工業都市マンチェスターと鉄道で連結されたリヴァプールとの競争に敗れたほか、19世紀初頭に奴隷貿易が禁止されたこともあり、19世紀初頭にはかつてのような繁栄は失われていった。1809年閘門を備えた新港シティ・ドッグが完成し、1841年にロンドンと結ぶグレート・ウェスタン鉄道が開通して以降は貿易の絶対量は回復した[4]

第二次世界大戦に際しては、ドイツ空軍の激しい爆撃を受けている。

川港としての不利を補う目的で、1908年に付属港としてエイボン川河口にロイヤル・エドワード・ドッグが作られた。しばらくは市内に近いシティ・ドッグが利便性の強さから主として利用されていたが、大型コンテナ船の普及や道路網の整備によって1960年代から急速に主従が逆転してしまい、1975年にはシティ・ドッグの商業船対応は完全に停止した[4]1978年には新たな外洋港ロイヤル・ポートベリー・ドッグが完成し、港湾都市ブリストルの地位を維持している。1980年代末から、使用されず荒廃したハーバーサイド地域では、プレジャー目的のマリーナ整備など、都市のアメニティを向上させる再開発が行われた。

地理[編集]

ブリストルはブリストル海峡の奥、セバーン川の河口入江に注ぐエイボン川を河口から約10キロ遡った内陸に立地する[2]。周辺はダウンズと総称される丘陵地であり、コッツウォルズを水源とするフロム川との合流点となっている。

近隣の都市としては、市内ブリスリントン地区を抜けて約20キロ南東にバース、約50キロ北東にグロスター、海を越えて対岸約40キロ西にウェールズカーディフが位置している。

経済[編集]

産業革命の進展により製造業が盛んとなった。ブリストル・エアロプレイン社やブリストル・カーズ社が郊外に工場を構えた。近年もとりわけロールス・ロイス・ホールディングス航空機用エンジンの生産で知られる。郊外のフィルトンでは超音速旅客機コンコルドが生産されて、現役を終えた16機中の1機が工場で眠っている。金融機関も多く進出している。近くにウェールズイングランドを結ぶセヴァーン橋があり、またフォードホンダの車の輸出港として物流産業でも栄えている。

文化[編集]

ブリストル大学西イングランド大学英語版 (U.W.E) の二つの大学があり、多くの学生が集まる。限界効用学説で知られる経済学者アルフレッド・マーシャルなどがブリストル大学で教授を務めた。

博物館にはブリストル市立博物館・美術館ブリストル動物園(en:Bristol Zoo)がある。 ハーバーサイドには1845年にブリストルで進水した世界初の実用鋼鉄スクリュー船グレート・ブリテン号英語版が展示されている[5]

交通[編集]

近郊にブリストル空港が所在する。鉄道駅としては、ブリストル・テンプル・ミーズ駅とブリストル・パークウェイ駅の2つのターミナル駅がある。テンプル・ミーズ駅は1840年開業以来の歴史ある駅で、イギリス指定建造物1級の史跡に指定されており、それを建設したグレート・ウェスタン鉄道とともに世界遺産の候補にも挙げられている。

スポーツ[編集]

ブリストル・シティFC (Bristol City F.C.) と地元ライバルのブリストル・ローヴァーズFC (Bristol Rovers F.C) が、ブリストルを拠点とするサッカークラブチームである。 ラグビークラブブリストル・ベアーズ (Bristol Bears) は2020年の欧州チャレンジカップ (European Rugby Challenge Cup) にて初優勝を遂げた。

その他[編集]

コーンストリートにある4個のネイルのうちの2個

ブリストル訛り[編集]

かつては"a"で終わる単語のほとんどでうしろに"l"を続けて発音していた。現在ではほとんど聞かれなくなったが、いまなおイギリス人には、ブリストルは、"idea"(観念)を"ideal"(理想)に変えることのできる唯一の街として知られている。

即金[編集]

18世紀を通じて、ブリストルはイギリス第二の貿易港として繁栄した。取り引きは、コーン・ストリート英語版にあるネイルと呼ばれるブロンズ製のテーブルで行われた。英語の慣用句 "cash on the nail"(即金)あるいは "pay on the nail"(即金で払う)はこれに由来する。

関係者[編集]

著名な出身者等[編集]

居住者・ゆかりある人物[編集]

姉妹都市[編集]

出典[編集]

  1. ^ Historical Weather for Bristol, England, United Kingdom”. Weatherbase. 2007年8月3日閲覧。
  2. ^ a b c 石神 2014, pp. 30–40.
  3. ^ 人種差別抗議デモ、奴隷商人の銅像を港に投げ込む「私たちはこうなることを待ち望んでいた」”. huffingtonpost (2020年6月18日). 2020年7月15日閲覧。
  4. ^ a b c 石神 2014, pp. 67–81.
  5. ^ 石神 2014, pp. 24–27.

参考文献[編集]

  • 石神隆『水都ブリストル:輝き続けるイギリス栄光の港町』法政大学出版局〈水と<まち>の物語〉、2014年。ISBN 9784588780066 

外部リンク[編集]

政府

観光