クロイドン空港

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クロイドン空港
Croydon Airport
旧空港ビル
IATA: なし - ICAO: EGCR[注釈 1]
概要
国・地域 イギリスの旗 イギリス
所在地 ロンドンクロイドン
種類 廃止
開港 1920年
閉鎖 1959年
座標 北緯51度21分23秒 西経00度07分02秒 / 北緯51.35639度 西経0.11722度 / 51.35639; -0.11722座標: 北緯51度21分23秒 西経00度07分02秒 / 北緯51.35639度 西経0.11722度 / 51.35639; -0.11722
公式サイト www.croydonairport.org.uk
地図
空港の位置
空港の位置
EGCR
空港の位置
空港の位置
EGCR
空港の位置
滑走路
方向 長さ (m) 表面
NW/SE 1,200 -
E/W 1,100 -
NE/SW 1,000 -
滑走路詳細: [1]
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空港の一覧
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クロイドン空港(クロイドンくうこう、Croydon Airport)は、かつてイギリスロンドン南郊のクロイドンにあった空港空港コードEGCR (ICAO) [注釈 1]。 

概要[編集]

1920年開設当時、クロイドン飛行場(Croydon Airdrome、ICAOコード: EGCR[注釈 1])はロンドンの主な空港であり、戦間期には1932年にインペリアル航空が世界最長の空輸ルートを開きクロイドン − ケープタウンデリーを結ぶ。商用旅客便は機体トラブルの不安をぬぐい切れず1938年まで見合わせたものの[2]、イギリス唯一の国際空港[3][4]として運営された。イギリス国内最多の航空貨物と郵便、旅客を扱ったこと[4]、航空産業において世界初の航空管制を敷き、また新古典主義様式[5]のターミナルビルは初めて旅客専用に設けられた建築物という特徴を備える。1939年のナチスによるプラハ侵攻直前の3月7日、親善特使としてベルリンから着陸したのは第三帝国ドイツ婦人事業団配下の全国社会主義女性連盟代表ガードルート・シュロルツ・クリンク Gertrud Scholtz-Klink である[6]

第二次世界大戦中、当地はイギリス空軍 RAFクロイドン空港と改称、イギリス空中戦において用空港として活用される。1943年にイギリス空軍空輸部隊(英語版)設立に伴い、この空港からイギリス軍部隊をヨーロッパ圏ならびに世界の戦線へ送り出した[4]

ふたたび民生用空港に戻った戦後はインペリアル航空などのハブ空港として機能していたものの、ジェット旅客機の就航などを受けて設備の旧態化が進んだことから、1959年に閉鎖された。営業中に空港名を7回改称している[4]

閉鎖後ロンドンの空の玄関としての役割は、ヒースロー空港ガトウィック空港など、設備が更新された国際空港に受け継がれた。現在跡地には記念公園などが置かれている。

空港ターミナルビルならびにゲートロッジ(英: Gate Lodge)は1978年、指定建築物の2級(Grade II)指定を受け[7]イングランド歴史的建造物・記念物委員会)が見直した結果2017年5月にGrade II*に格上げされた[4]。なおこのとき、長年にわたり補修が行き届かなかったゲートロッジは危機にある歴史遺産(Heritage at Risk)に指定された[8]

1960年代以降[編集]

旧ターミナルビルとデハビランド社製ヘロン(Heron
イギリス空軍戦争記念碑(イギリス空中戦)

空港の敷地は大部分が転用され、複数の旧空港建物はその特徴的な外観をパーリー通り(Purley Way、国道A23号ロンドン–ブライトン線)から眺めることができる。旧ターミナルビルは「エアポートハウス」と呼ばれ[9]、旧管制塔は見学者センターに転用された[9]

エアポートハウス正面広場には、台座に据え付けた1950年代のプロペラ旅客機デ・ハビランドヘロンを陳列し、塗装はモートン航空 Morton Air Services の外装と機体記号「G-AOXL」を採用した。1959年9月30日に当地最後の旅客を乗せて飛び立った運行便を記念している。またイギリス空中戦の戦没者記念碑はターミナルビルの南にたたずむ。

かつて空港の開設によって分断された街路「プラウ・レーン」は空港廃止後もその形状を保ち1本につながっていない。空港用地は公園に作り変え、また住宅地のラウンドショー住区(英語版)を開設し、域内の生活道路には飛行士や航空関連の名前を冠した。かつての西北西-東南東方向の滑走路の跡は旧管制塔の南側に残り、前述の#パーリー通りの西側のラウンドショー公園にある。東西それぞれ 400フィート (120 m) を占め、地理座標は北緯51度21分04秒 西経0度07分03秒 / 北緯51.351067度 西経0.117449度 / 51.351067; -0.117449。B 格納庫に続く誘導路跡が「腕」のように見える[10]。旧滑走路は散歩道として、模型飛行機愛好家、地元のサッカーチーム、あるいは野球チームの「クロイドン・パイレーツ」( 英語版)が利用する。

ラウンドショー住区の教会が外壁にかかげる十字架は、かつて第二次大戦中にクロイドンを母港としたスピットファイアのプロペラを加工したという。

現在も「クロイドン空港」という名前でタクシーに行き先を告げたり道案内をし、またクロイドン地区の大型商業施設誘致計画や1990年代末に遊園地(Croydon Water Palace)が営業した場所でもある。空港町であったことを重んじ、近隣の小中学校2校(Waddon Infants School、Duppas Junior School)は2010年9月をもって「空港学校」The Aerodrome School として合併した[11][12]

小説[編集]

クロイドン空港を舞台にした探偵小説には、アガサ・クリスティ作「雲をつかむ死Death in the Clouds(1935年)[13]に加え、F・W・クロフツ 作「クロイドン発12時30分The 12.30 from Croydon(1934年)がある。また作中に空港名を登場させた作品には イーヴリン・ウォーLabels: A Mediterranean Journey(1930年)、エリザベス・ボウエンTo the North(1932年)のほか、ウィンストン・チャーチルも著書 Thoughts and Adventures(1932年)[14]で言及した。

作中で「現代のドンファン」をこの空港に向かわせるのは詩人W・H・オーデンである(1937年発表Letter to Lord Byron[15]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b c ICAO コードは再付与。

出典[編集]

  1. ^ Air fields[リンク切れ]
  2. ^ Seller, Merlin (2015年). “Walter Sickert’s Miss Earhart’s Arrival : Collapsing Paint and Flight in a Topical Painting”. tandfonline-com.wikipedialibrary.idm.oclc.org ; ウィキペディア図書館. Visual Culture in Britain. pp. 1-24. 2020年12月12日閲覧。図7. エンパイア航空便サービスの宣伝ポスター(1938年頃)。図8. インペリアル航空の宣伝ポスター(1932年)。図9. クロイドン空港に駐機するインペリアル航空「ヘラクレス」号(撮影者不明、1933年)。
  3. ^ Council, Sutton. “Croydon Airport” (英語). www.sutton.gov.uk. 2019年2月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e Basing, Tavis. “Historic Airport | Historic Croydon Airport” (英語). Croydonairport.org.uk. 2017年11月23日閲覧。
  5. ^ Airport House (Croydon)” (英語). historicengland. 2020年9月16日閲覧。
  6. ^ Gertrud Scholtz-Klink 特使の所属のドイツ語表記(NSF—Nationalsozialistische Frauenschaft、DFW—Deutsches Frauenwerk)Gottlieb, Julie V.; Stibbe, Matthew (2017年). “Peace at any Price: the Visit of Nazi Women's Leader Gertrud Scholtz-Klink to London in March 1939 and the Response of British Women Activists” (英語). meta.wikimedia.org. Women's History Review. tandfonline-com.wikipedialibrary.idm.oclc.org ; ウィキペディア図書館. pp. 173-194. doi:10.1080/09612025.2016.1181333. 2020年12月12日閲覧。
  7. ^ Historic England. "Former Lodge To Croydon Airport Terminal (1079299)". National Heritage List for England (英語). 2010年5月30日閲覧
  8. ^ England, Historic. “Heritage at Risk 2017 | Historic England” (英語). historicengland.org.uk. 2017年12月26日閲覧。
  9. ^ a b Austen, Ian (2009年10月7日). “Airport milestone marked by flypast”. The Croydon Post (Croydon, UK: ノースクリフメディア社) 
  10. ^ Thursday 15th August 1940 – Battle of Britain” (英語). War and peace and the price of cat-fish (2010年8月22日). 2020年9月16日閲覧。
  11. ^ Charlton, Jo (2009年8月7日). “Work begins on new primary school in Waddon” (英語). クロイドン・アドバタイザー (Croydon, UK: ノースクリフメディア社). オリジナルの2012年9月12日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20120912090420/http://www.thisiscroydontoday.co.uk/news/Work-begins-new-primary-school-Waddon/article-1234258-detail/article.html 2009年10月8日閲覧。 
  12. ^ Schools amalgamation means lift off for Aerodrome School” (英語). ロンドン市クロイドン区 (2009年8月6日). 2011年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月8日閲覧。
  13. ^ Wagstaff, Vanessa; Poole, Stephen (2004). Agatha Christie: a reader's companion (2nd ed.). London: Aurum Press. ISBN 978-1845130152. https://archive.org/details/agathachristiere00wags 
  14. ^ ウィンストン・チャーチル『Thoughts and adventures』、ロンドン:マクミラン、1942年。国立国会図書館書誌ID:00000615566LCCN 48-36476、英語。
  15. ^ Auden, W H (1968). Collected longer poems. Faber. p. 35. ISBN 978-0-5711-0605-9. https://archive.org/details/collectedlongerp0000aude_m8g9/page/35. "
    I see his face in every magazine.
    'Don Juan at lunch with one of Cochran’s ladies.'
    'Don Juan with his red setter May MacQueen.'
    'Don Juan, who’s just been wintering in Cadiz,
    Caught at the wheel of his maroon Mercedes.'
    'Don Juan at Croydon Aerodrome.'
    'Don Juan
    Snapped in the paddock with the Aga Khan.
    (太字指定を追加)"
     

関連項目[編集]

関連文献[編集]

洋書
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外部リンク[編集]