紅毛
紅毛(こうもう)、または紅毛人は、主に17世紀から19世紀にかけ(日本では江戸時代)、日本、福建・台湾、東南アジア華僑・華人社会などで使われた、白人(あるいはその一部・特定の国民)に対する呼称である。
閩南語(福建語)読み[1][2]を音写した ang mo / ang moh(アンモ、アンモー)は、現代では侮蔑語・差別語とみなされることがある[1]。中国語では侮蔑の意味を強めた「紅毛屎」「紅毛鬼」「紅毛猴」「紅気鬼子」という表現もある。
日本[編集]
江戸時代に、オランダ人やイギリス人など淡い髪色の形質を持った人の多い北ヨーロッパ系民族(YハプログループR1bに相当)を総称した。
濃い髪色の形質を持った人の多い南ヨーロッパ系(スペイン人・ポルトガル人、YハプログループE1b1bに相当)の南蛮と対比して使われた。「南蛮」と同様、のちには西洋の文物を単に紅毛と呼ぶこともあった。
鎖国以後は、ほとんどの場合オランダ人を意味した。また南蛮同様、西洋一般に意味が広がることもあったが、オランダ由来の物品も南蛮と呼ばれることが多く、それに比しては「紅毛」はあまり広まらなかった。
台湾[編集]
台湾では、17世紀にスペイン人の次に台湾の植民地支配に乗り出したオランダ人が、紅毛と呼ばれた。スペイン人が建てた要塞をオランダ人が改築した「紅毛城」(Âng-mn̂g-siâⁿ)に名が残っている。
福建[編集]
19世紀の辞書[3]によると、「紅毛 âng mô」はイギリス人のことである。
シンガポール[編集]
シングリッシュ(シンガポール英語)で「ang moh, ang mo, angmoh, ang-moh」は、白人のことである[1]。ただし、侮蔑語・差別語と考える者もいる[1]。
シンガポールの地名「アンモキオ (宏茂橋, Ang Mo Kio)」は、古くは「紅毛橋」とも書き、カラン川(現存しない)に架かっていた橋の名だった。伝承によると、この「紅毛」とは、イギリス人豪商の妻ジェニファー・ウィンザーのことであるという。1923年にジェニファーの娘アンジェラが行方不明になった後、この橋の上で、女の子の声が聞こえるようになった。それを聞くとジェニファーは、1963年に死去するまで、この橋の上ですごしたという[4]。ただし異説によると、「紅毛」とは橋を設計したイギリス人建築家 John Turnbull Thomson(実際に赤毛だった)のことだともいう[4]。
出典[編集]
- ^ a b c d A Dictionary of Singlish and Singapore English: ang mo
- ^ 中国語方言字音データベース、潮州語「ang5mo5」、台湾語「ang5mo・5」(数字は声調)。
- ^ ウォルター・ヘンリー・メドハースト (1832)『福建方言字典』(A Dictionary of the Hok-Këèn Dialect of the Chinese Language)481, col. 1 紅毛 âng mô, red haired, generally applied to the English people.
- ^ a b 幻の紅毛橋 Ang Mo Kio|シンガポール生活情報|AsiaX Life