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[[1989年]]の[[東京優駿]](日本ダービー、GI)優勝馬であり、同年の[[JRA賞最優秀3歳牡馬|JRA賞最優秀4歳牡馬]]に選出された。史上初そして2022年現在唯一の[[茨城県]]産馬、そして[[芦毛]]の東京優駿優勝馬である。半兄に[[ダイオライト記念]]を勝ったクリノサンフォードがいる
1989年の[[JRA賞最優秀3歳牡馬|JRA賞最優秀4歳牡馬]]、[[東京優駿]](日本ダービー)(GI)の優勝馬。

史上初めてとなる茨城県産のダービー馬、芦毛の日本ダービー馬である。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== 誕生からデビューまで ===
1986年([[昭和61年]])4月10日、茨城県稲敷郡江戸崎町(現、[[稲敷市]])の栗山牧場(現、ユタカファーム)で生まれる。当初、母のクリノアイバーにはクリノサンフォードと同じくサンフォードラッドが種付される予定だったが、種付予定日を前にしてサンフォードラッドが急死。新たな父馬を探す過程で、父の[[松山吉三郎]]のころから栗山牧場を[[競走馬#育成|育成牧場]]として利用していた縁のある調教師の[[松山康久]]から「[[シーホーク (競走馬)|シーホーク]]を付けてみたら」というアドバイスを受けてシーホークと交配させ、生まれたのがウィナーズサークルである。栗山牧場では、過去の種付は全て千葉県または茨城県で行っており(種付予定だったサンフォードラッドも[[成田市]]の新田牧場所有の種牡馬である)、北海道の種牡馬との種付はこれが初めてのことだった。シーホークは当時22歳と種牡馬としてはキャリアの晩年に差し掛かっていたが、松山は父の吉三郎が管理していたシーホーク産駒の[[モンテプリンス]]・[[モンテファスト]]の兄弟を間近で見ており、「種牡馬として潜在的に持っていた可能性を感じた」ことを薦めた理由として語っている<ref>和田2019、p.91 - 92</ref>。シーホークから受け継いだ芦毛の馬体を見て、松山は「生まれた最初から真っ白で、珍しいのもあるけど、特別な何かを持った馬なんじゃないかと思った」と語っている<ref>和田2019、p.96</ref>。結果として配合から関わることになった松山はこの馬に非常に強い思い入れを持っており、馬名の『ウィナーズサークル』の命名も松山によるものである<ref>和田2019、p.104</ref>。


=== デビューまで ===
デビューは[[1988年]][[7月]]の[[福島競馬場|福島]]における新馬戦で、距離の適性が合わなかったこともあり4着に敗れた。その後[[競走馬#競走馬の疾病・負傷|ソエ]]が出たために慎重に調教を進め、12月の[[中山競馬場|中山]]の未勝利戦では初戦の竹原啓二から[[郷原洋行]]に鞍上も交代して臨むが2戦連続して2着に終わり、結局3歳時は未勝利に終わった。


=== クラシック戦線へ ===
==== 誕生までの経緯 ====
クリノアイバ―は、北海道浦河町の三浦武男牧場で生産された父グレートオンワードの牝馬である。1968年の[[有馬記念]]で[[リュウズキ]]に次ぐ2着、[[アメリカジョッキークラブカップ]]や[[ステイヤーズステークス]]を制したニウオンワードの妹だった<ref name="優駿-1989-7-135">『優駿』1989年7月号 135頁</ref>。競走馬として10戦1勝の成績を残して引退。[[茨城県]][[稲敷郡]][[江戸崎町]]にあり、[[農地解放]]で拓かれた栗山牧場で繁殖牝馬となった<ref name="優駿-1989-7-58">『優駿』1989年7月号 58頁</ref><ref name="優駿-1989-7-135" />。初年度となる1981年は、{{仮リンク|サンフォードラッド|en|Sandford Lad}}と交配し、1982年に初仔となる牡馬を産む<ref name="優駿-1989-7-135" />。初仔は、クリノサンフォードという名で競走馬となり、中央競馬で2勝、[[南関東地方競馬]]では1988年の[[ダイオライト記念]]を制するなど3勝を挙げていた<ref name="優駿-1989-7-135" />。
年が明けた[[1989年]]1月、4戦目の中山のダート未勝利戦でようやく初勝利をあげ、カトレア賞、400万下条件戦とダート路線で連続して2着入線した後、7戦目となった3月のダート400万下条件戦で2着に7馬身差をつけて勝利する。この時点で[[皐月賞]]の優先出走権はなく、賞金額も足りなかったために出走の可否は抽選に頼る他なかったが、[[マイネルブレーブ]]や[[レインボーアンバー]]、タマモベイジュといった有力馬の出走回避もあって、抽選により第49回[[皐月賞]]に出走する。事前の人気は[[重賞]]競走の出走経験もなく、ダートでの勝ち鞍しかなかった事などもあり7番人気だった。朝まで降っていた雨の影響で不良馬場で開催されたレースは3番人気の[[ドクタースパート]]が制するが、ウィナーズサークルは出走馬最速となる上り37.6<ref>和田2019、p.048</ref>という末脚でドクタースパートから1/2馬身差の2着に入り、第56回東京優駿の優先出走権を獲得することに成功する。


初仔を送り出したクリノアイバーだったが、2年目3年目共に流産し、後を続けられなかった<ref name="優駿-1989-7-135" />。それでも4年目、1985年に「父モバリッズの2番仔」を授かる<ref name="優駿-1989-7-135" />。そして続く5年目、牧場はクリノサンフォードの再来願って、再びサンフォードラッドとの交配を計画していた。しかし目前にしてサンフォードラッドが急死する。牧場は、父子二代に渡って付き合いのある[[美浦トレーニングセンター]]の[[調教師]][[松山康久]]に、新たな交配相手のアドバイスを求めた<ref name="和田2019-9192" />。そこで松山は、[[シーホーク (競走馬)|シーホーク]]を推薦した<ref name="和田2019-9192" />。
=== 第56回東京優駿 ===
松山は「皐月賞でダービーの出走権を確保したことで使う必要がなくなったし、[[ミスターシービー]]のころから皐月賞から中5週くらいの間隔が理想的だと思っていた<ref>和田2019、p.154</ref>」と、[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]を使うことなく直接ダービーへ向かうことを決定する。松山は自身の決定に自信を持っていたが、[[東京競馬場|東京]]の芝コースでのレースを一度も経験したことがない馬、また芝コースのレースで勝利したことのない馬がダービーを制した事例はなく、さらに2勝馬がダービーを制覇した事例も[[1949年]]の[[タチカゼ]]まで遡らなくてはならなかった<ref>和田2019、p.152</ref>。


1963年生まれ芦毛のシーホークは、フランスで競走馬として走り、1966年の[[サンクルー大賞]]を制した<ref name="優駿-1989-7-135" />。競走馬引退後は、アイルランドで種牡馬としてしばらく供用され、1974年に、日本の北海道日高地方にもたらされていた<ref name="優駿-1989-7-110">『優駿』1989年7月号 110頁</ref>。ヨーロッパでの交配では、1975年[[セントレジャーステークス]]を制した{{仮リンク|ブルーニ (競走馬)|en|Bruni (horse)|label=ブルーニ}}、同年[[パリ大賞典]]を制したマタホークなど、ステイヤー産駒を輩出<ref name="優駿-1989-7-110" />。日本でも、1982年及び1984年天皇賞(春)を制した[[モンテプリンス]]、[[モンテファスト]]兄弟。1985年[[菊花賞]]にて[[ミホシンザン]]に次ぐ2着に加え、重賞複数優勝した[[スダホーク]]など、ステイヤーの活躍産駒を輩出していた<ref name="優駿-1989-7-110" />。このように産駒が活躍する間に、シーホークは年を取って20代に突入、種牡馬としては晩期に差し掛かっていた<ref name="優駿-1989-7-110" />。モンテプリンス、モンテファスト兄弟を管理したのは、松山の父である[[松山吉三郎]]だった。そのため、身近にいた松山は「種牡馬として潜在的に持っていた可能性を感じた<ref name="和田2019-9192">和田(2019)91-92頁</ref>」として高く買っており、牧場に推薦するに至った<ref name="和田2019-9192" />。
そして迎えた第56回東京優駿。この年の[[牡馬]][[クラシック (競馬)|クラシック]]戦線は非常に混戦模様であり、中心馬不在のレースとなった。1番人気は前走の若草ステークスを勝利して3連勝中の[[ロングシンホニー]]、2番人気は[[クライムカイザー]]を父に持ち、父子2代の東京優駿制覇を狙うマイネルブレーブ、ウィナーズサークルは3番人気であった。4番人気は皐月賞馬ドクタースパート、[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]]を制した3歳王者の[[サクラホクトオー]]が5番人気でここまでが単勝倍率1桁であり、1番人気のロングシンホニーの単勝でも6.0倍と人気が割れていた。


栗山牧場代表の栗山博は、江戸崎町議会議員であり、美浦トレーニングセンター誘致に尽力した一人であった<ref name="優駿-1989-7-59">『優駿』1989年7月号 59頁</ref>。そのトレーニングセンターから車で10分<ref name="優駿-1989-7-58" />、茨城にある栗山牧場は、それまで関東の種牡馬としか交配していなかった<ref name="和田2019-9192" />。しかし牧場は、松山の助言を聞き入れて、初めて繁殖牝馬を北海道に送り込む。そうしてクリノアイバーとシーホークは結ばれていた<ref name="和田2019-9192" />。
レースがスタートすると1枠2番と絶好の枠順に入ったマイネルムートが逃げ、NHK杯優勝馬の[[トーワトリプル]]が2番手につけるという展開となる。1枠3番からスタートしたウィナーズサークルは1コーナーで無理なく4番手につけてその後は中段に位置取ると、早目に仕掛けたロングシンホニーやタマモベイジュ、[[オースミシャダイ]]らを横目に見ながら足を溜め、最終コーナーを抜けて直線に入ると先団へ向かって加速。早めに抜け出した6番人気の[[リアルバースデー]]に残り200メートルで並びかけると、大外から強襲してきたサーペンアップも交えた叩き合いを制し、2着のリアルバースデーに1/2馬身差をつけてゴール。茨城県産馬として、また芦毛馬として史上初めて東京優駿を制覇した。鞍上の郷原は、[[1980年]]の第47回東京優駿の[[オペックホース]]以来となる同レース2勝目となった。調教師の松山にとっても、[[1983年]]の第50回東京優駿のミスターシービー以来、2回目となるダービー制覇であった。


==== 幼駒時代 ====
=== ダービー以後、そして引退 ===
夏は栗山牧場で放牧・休養し、8月下旬に美浦に帰厩。松山は復帰レースとして「ミスターシービーと同じイメージでいた<ref>和田2019、p.206</ref>」と、菊花賞トライアルとして[[京都新聞杯]]を選択。当日は1番人気の[[オサイチジョージ]]に次ぐ2番人気に支持される。レースでは最終コーナーから直線入り口で一旦は先頭に出るが、大外から[[バンブービギン]]の強襲を受け、オサイチジョージ、リアルバースデーにもかわされての4着。第50回[[菊花賞]]でもバンブービギンに次ぐ2番人気に推されるが、道中見せ場なくバンブービギンの10着に敗れた。レースから4日後、レース中に右橈骨手根骨及び右橈骨遠位端を骨折していたことが判明<ref>和田2019、p.218</ref>、長期の療養に入る。松山は5歳秋の[[毎日王冠]]での復帰を目指していたが、左前肢に[[屈腱炎]]を発症したことで復帰を断念。1990年9月6日に競走馬登録を抹消し、引退となった。


1986年4月10日、茨城県稲敷郡江戸崎町の栗山牧場にて、クリノアイバーの3番仔である芦毛の牡馬(後のウィナーズサークル)が誕生する。この年、茨城で産まれたサラブレッドは34頭であり、その1頭だった<ref name="優駿-1989-7-59" />。父と同じく芦毛であり、栗山は「生まれた頃から白くて、姿かたちが父親にそっくり。これは兄たちより走るぞって、みんな期待してた馬でした<ref name="優駿-1989-7-59" />」松山は「生まれた最初から真っ白で、珍しいのもあるけど、特別な何かを持った馬なんじゃないかと思った<ref>和田(2019)96頁</ref>」「生まれた頃からシーホークそのもの<ref name="優駿-1989-7-60">『優駿』1989年7月号 60頁</ref>」と回顧している。

3番仔の一つ上の兄「父モバリッズの2番仔」は「クリノテイオー」として、先にデビューを果たしている。クリノテイオーは、夏の新潟でデビューし、2戦目で勝ち上がり、暮れに2勝目、3歳4月の若草賞で3勝目を挙げて、東京優駿(日本ダービー)出走を果たしていた。茨城県産馬によるダービーは珍しく、話題となったが、優勝叶わず14着だった<ref name="優駿-1989-7-132" />。その弟である3番仔は、栗山道郎によれば「いままで生産した馬のなかで文句なしにトップ<ref>『競馬名馬読本』30頁</ref>」の出来で期待が大きかったという。

3番仔は、このまま栗山牧場で育成が施された。牧場は、かつてはハードトレーニング一辺倒で有名だったが、松山の調べで、強さと丈夫さの両立を目指すようになっていた<ref>『優駿』1989年8月号 46頁</ref><ref name="優駿-1989-8-47">『優駿』1989年8月号 47頁</ref>。3番仔の育成には、完成したばかりの新馬場が用いられた。新馬場は砂厚が深く、高低差のあるコースであり、3番仔がこの馬場の一期生だった<ref name="優駿-1989-8-47" />。同じく一期生には、北海道新冠町で生産され、育成段階で牧場に来た父ミルジョージの牝馬がいた<ref name="優駿-1989-8-47" />。その牝馬は、後の[[ロジータ]]と命名されて、南関東地方競馬で活躍し、牝馬ながら[[東京ダービー]]まで制することとなる<ref>『優駿』2002年9月号 62頁</ref>。

3番仔は、そのまま栗山博が所有し、配合から携わった松山に託された<ref name="和田2019-104" />。さらに松山は、命名まで託され、「あの中に入れるような馬になってほしい<ref name="優駿-1989-7-132" />」という願いから「中央競馬の競馬場の賞典台」を意味する「'''ウィナーズサークル'''」という競走馬名を与えている<ref name="和田2019-104">和田(2019)104頁</ref><ref name="優駿-1989-7-132" />。松山は、ウィナーズサークルに高い潜在能力を感じており、早くから東京優駿(日本ダービー)を目標に定め、1984年にクラシック三冠を果たした[[シンボリルドルフ]]の成り上がり方を参考にローテーションを計画していた<ref name="優駿-1989-7-60" />。シンボリルドルフは、3歳夏の[[新潟競馬場]]でデビュー勝ちを収めて秋まで休養、暮れで復帰、翌年に三冠を果たしていた。同じように松山は、ウィナーズサークルを3歳夏の[[福島競馬場]]でデビューさせ、当然勝利した後、秋まで休養し、暮れで出世して、翌4歳のクラシックを見据えようと企んでいた<ref name="優駿-1989-7-60" />。

=== 競走馬時代 ===

==== クラシックまでの道程 ====
1988年7月23日、福島競馬場の[[新馬戦]](芝1200メートル)にて、竹原啓二を鞍上にデビューしたが4着<ref name="優駿-1989-7-60" />。その後は、笹針を伴う放牧休養となる<ref>『競馬名馬読本』31頁</ref>。12月4日、[[中山競馬場]]の未勝利戦(芝2000メートル)で復帰。「ここ一番に強い彼が、なんか大きな仕事をしてくれそうな予感があったから<ref name="優駿-1989-7-132" />」(松山)[[郷原洋行]]を起用して臨み、2着だった。以後、引退まで郷原が騎乗し続けることとなる。続いて暮れ、同条件の2戦目も2着だった。連続2着は、先頭に立ってから、騎手に反抗する悪癖を見せて、かわされるという内容だった<ref name="優駿-1989-7-61">『優駿』1989年7月号 61頁</ref>。

未勝利のままで年をまたぎ1989年、4歳となる。クラシックに間に合わないと感じた松山は、得意としていたダートでの成り上がりを企てた<ref name="優駿-1989-7-61" />。転向初戦、中山の1800メートル戦で5馬身差をつけて、初勝利を挙げた。しかし続く400万円以下では、ダートも、再び連続2着でまたも足踏みをしていた<ref name="優駿-1989-7-61" />。松山によれば「ものすごくダートの巧い馬に当った<ref name="優駿-1989-7-61" />」ゆえの敗戦だったという。それでも400万円以下3戦目、3月18日の中山ダート1800メートルで7馬身差をつけて2勝目を挙げる。2勝して直前でクラシック戦線に到達していた。続いてクラシック三冠競走の第一弾である[[皐月賞]]を目指した。2勝馬ゆえに出走を直ちに確定させられなかったが、有力馬の回避を後押しに、抽選を突破して出走を叶えた<ref>{{Cite web |title=史上唯一“芦毛のダービー馬”ウィナーズサークルは引退後に…? “東大”で過ごした幸せな晩年「学生さんにとってもありがたい馬でした」(石田敏徳) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/853350 |website=Number Web |access-date=2022-12-11 |language=ja}}</ref>。

4月16日、皐月賞(GI)に臨む。20頭立てとなり、[[朝日杯3歳ステークス]]優勝の[[サクラホクトオー]]、[[トライアル競走]]3着のアンシストリーや[[ドクタースパート]]が人気を集める中、ウィナーズサークルは7番人気に留まっていた。昼前までの降雨のため、不良馬場での競走となった<ref name="優駿-1989-6-136">『優駿』1989年6月号 136頁</ref>。これまでは先行押し切りの戦法を取っていたウィナーズサークルだったが、初めて中団追走を選択した<ref name="優駿-1989-7-132">『優駿』1989年7月号 132頁</ref>。直線では馬場の中央から追い込み、鋭い末脚を利かせた。先に抜け出していたドクタースパートに迫ったが、半馬身だけ及ばず2着だった<ref name="優駿-1989-6-136" /><ref>『優駿』1989年6月号 136頁</ref>。

{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=JIYuBJDX2NE&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1989年 皐月賞(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}5着以内となったことで、第二弾の[[東京優駿]](日本ダービー)の優先出走権確保に成功する<ref name="優駿-1989-6-136" />。続く第二弾へは、トライアルである[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]への参戦を見送り、中5週での直行となった。松山は、1983年に[[ミスターシービー]]をクラシック三冠に導いていたが、ミスターシービーの一冠目と二冠目も直行しており、松山によればこのくらいの直行が「理想的<ref>和田2019、154頁</ref>」と考えていた。

==== 東京優駿 ====
5月28日、東京優駿(GI)に臨む。この年のクラシック戦線は、本命不在の混戦となる。1番人気に推されたのは、若草ステークスを優勝するなど3連勝中、皐月賞不出走のロングシンホニーだったが、単勝オッズ6.0倍、支持率は東京優駿史上最低{{Efn|1988年の1番人気[[サッカーボーイ]]の支持率12.8パーセント(優勝:[[サクラチヨノオー]](3番人気)を上回った。}}となる12.3パーセントだった。そして2番人気も、皐月賞不出走、NHK杯3着のマイネルブレーブだった<ref name="優駿-1989-7-134">『優駿』1989年7月号 134頁</ref>。3番人気から皐月賞出走組となったが、最上位は優勝のドクタースパートではなく、2着ウィナーズサークル、7.3倍だった<ref name="優駿-1989-7-134" />。以下ドクタースパート、サクラホクトオーまでがオッズ一桁台だった。東京優駿史上2番目となる16万3千人が見守る中、良馬場での開催となった<ref name="優駿-1989-7-132" />。

{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=AB9tjegrJpI&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1989年 東京優駿(日本ダービー)(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}1枠3番のスタートから好位の内側を確保、やがて控えて中団に位置する。マイネルムートが逃げ、前半1000メートルを62.2秒で引っ張る平均ペースを、折り合いをつけて追走していた<ref name="優駿-1989-7-6">『優駿』1989年7月号 6頁</ref>。先行勢に接近しながら最終コーナーを通過し、直線では、馬場の中央に持ち出して、坂を上り切ってから末脚を発揮した<ref>『優駿』1989年7月号 9頁</ref>。先に抜け出していたトーワトリプルやリアルバースデーを外から差し切ったうえに、外から追い込んだロングシンホニー、サクラホクトオー、サーペンアップとの差を広げて、単独先頭となった<ref name="優駿-1989-7-6" />。以後、リアルバースデーの抵抗や、サーペンアップの追い上げがあったが、先頭は脅かされなかった。リアルバースデーやサーペンアップに半馬身差をつけて、先頭で決勝線を通過する<ref name="優駿-1989-7-134" />。郷原によれば、悪癖の数々が解消された「初めて100パーセントの力を出し切った、といってもいい<ref name="優駿-1989-7-62">『優駿』1989年7月号 62頁</ref>」レースぶりだったという。

東京優駿、ダービーを戴冠する。史上14頭目となる重賞未勝利馬による戴冠だった'''<ref name="優駿-1989-7-130">『優駿』1989年7月号 130頁</ref>'''。郷原は、1980年に[[オペックホース]]で制して以来{{Efn|オペックホースが東京優駿で下したのは、[[松山吉三郎]]厩舎で[[シーホーク (競走馬)|シーホーク]]産駒の[[モンテプリンス]]だった<ref name="優駿-1989-7-62" />。}}、松山はミスターシービー以来となる、ダービー2勝目だった<ref name="優駿-1989-7-6" /><ref name="優駿-1989-7-132" />。松山の父吉三郎が、1962年[[フエアーウイン]]、1986年[[ダイナガリバー]]で制していることから、親子でダービー4勝を成し遂げた<ref name="優駿-1989-7-132" />。それから栗山牧場は、中央競馬の初重賞勝利がダービーだった<ref name="優駿-1989-8-43" />。

さらに1967年ヤマニンカップ(優勝:[[アサデンコウ]])、1985年[[スダホーク]](優勝:[[シリウスシンボリ]])の2着を上回り、'''史上初めてとなる芦毛による東京優駿優勝'''だった'''<ref name="優駿-1989-7-130" />'''。1977年菊花賞にて、郷原騎乗の[[プレストウコウ]]が、中央競馬史上初めてとなる芦毛のクラシック制覇を果たしており、またも郷原が芦毛を導いていた<ref name="優駿-1989-7-132" />。それから'''史上初めてとなる茨城県産馬による東京優駿優勝'''、1978年[[サクラショウリ]]以来となる本州生産馬による優勝だった<ref name="優駿-1989-7-130" />。また史上初めてとなる東京芝初出走馬による東京優駿優勝、史上初めてとなる芝未勝利馬による優勝だった<ref name="和田2019-152">和田(2019)152頁</ref>。加えて'''中央競馬史上初めてとなる2勝馬による東京優駿優勝'''、3歳競馬が行われた第二次世界大戦後では、1949年[[タチカゼ]]以来2例目となる2勝馬による東京優駿優勝だった<ref name="和田2019-152" /><ref name="優駿-1989-7-130" />。

茨城県産馬による優勝は、スポーツ新聞だけでなく、一般新聞の取材されるほどの話題となった<ref name="優駿-1989-7-132" />。また当日は、地元江戸崎町役場の人間がバス2台の大所帯で応援に駆けつけていた<ref name="優駿-1989-7-132" />。牧場の栗山道郎によれば彼らは、酒を飲んでは馬券も当てて「ドンチャン騒ぎ<ref name="優駿-1989-7-132" />」だったという。

==== 引退 ====

東京優駿以後は、栗山牧場にて放牧となり、8月下旬に帰厩する<ref>『優駿』1989年9月号 101頁</ref><ref name="優駿-1989-9-100">『優駿』1989年9月号 100頁</ref>。秋は、クラシック三冠競走の最終戦である菊花賞を目指した<ref name="優駿-1989-9-100" />。松山は、東京優駿の時と同じように、ミスターシービーと「同じイメージ<ref name="和田2019-206">和田(2019)206頁</ref>」を持ち、トライアル競走からの始動となった<ref name="和田2019-206" />。10月15日、トライアル競走である[[京都新聞杯]](GII)で始動する。重賞2連勝中の[[オサイチジョージ]]とともに単枠指定制度の対象となったが、こちらが2番人気だった<ref name="優駿-1989-12-136">『優駿』1989年12月号 136頁</ref>。好位を追走し、最終コーナーから抜け出し先頭となった<ref name="優駿-1989-12-136" />。しかし直線で伸びを欠き、追い込んだ[[バンブービギン]]や[[オサイチジョージ]]、リアルバースデーにかわされる4着だった<ref name="優駿-1989-12-136" /><ref>『優駿』1989年12月号 137頁</ref>。

{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=niS_VSx_t5Y&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1989年 菊花賞(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}続いて11月5日、本番の菊花賞(GI)に臨む。バンブービギンに次ぐ2番人気に推されたが、他に後れる追走で末脚なく失速し10着敗退だった<ref>『優駿』1990年1月号 127-128頁</ref>。この4日後、レース中に右橈骨手根骨及び右橈骨遠位端を骨折していたことが判明していた<ref>和田(2019)218頁</ref>。この年のJRA賞では、全172票中103票{{Efn|[[菊花賞]]を制した[[バンブービギン]]が59票で次点。以下[[サクラホクトオー]]4票、該当馬なし6票<ref name="優駿-1990-2-55">『優駿』1990年2月号 55頁</ref>。}}を集めて、[[JRA賞最優秀3歳牡馬|最優秀4歳牡馬]]に選出されている<ref name="優駿-1990-2-55" />。骨折発覚後は、栗山牧場に戻って長期休養となり<ref>『優駿』1990年2月号 104頁</ref>、復帰を目指したが、叶わないまま翌1990年秋に競走馬を引退した<ref name="number-石田2" />。

=== 種牡馬時代 ===
競走馬引退後は、北海道の本桐牧場で種牡馬となる。同じシーホーク産駒、1歳下の[[アイネスフウジン]]と同時の供用開始となったこともあり、種付け頭数を十分に集められなかった<ref>和田(2019)223頁</ref>。初年度の交配数は61頭だったが、以後右肩下がりだった<ref name="JBIS-競走成績" />。6年目の1996年にはシンジケートが解散<ref name="number-石田2">{{Cite web |title=史上唯一“芦毛のダービー馬”ウィナーズサークルは引退後に…? “東大”で過ごした幸せな晩年「学生さんにとってもありがたい馬でした」(石田敏徳) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/853350?page=2 |website=Number Web |access-date=2022-12-09 |language=ja}}</ref>。7年目の1997年には一桁台に突入した<ref name="JBIS-競走成績" />。2000年11月からは、茨城県笠間市の東京大学大学院農学生命科学研究科附属牧場に移動<ref>和田(2019)226頁</ref>。2007年には種牡馬を引退し、以降は[[当て馬]]として活躍した<ref name="Number-石田3">{{Cite web |title=史上唯一“芦毛のダービー馬”ウィナーズサークルは引退後に…? “東大”で過ごした幸せな晩年「学生さんにとってもありがたい馬でした」(石田敏徳) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/853350?page=3 |website=Number Web |access-date=2022-12-09 |language=ja}}</ref>。2011年に東京大学大学院は、競走馬生産を終えたが、牧場に繋養され続け、採血や装蹄の実習相手として利用された<ref name="Number-石田3" />。[[功労馬繋養展示事業]]の助成を受けながら余生を過ごし<ref>[https://www.meiba.jp/horses/view/1986105210/news/2#news 引退名馬 - ウィナーズサークル]2015年4月5日閲覧</ref>、2016年8月27日未明に[[老衰]]のため、30歳で死亡する<ref>{{Cite web |title=ウィナーズサークル死す、30歳 89年ダービー馬|極ウマ・プレミアム |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1702065&year=2016&month=08&day=29 |website=p.nikkansports.com |access-date=2022-12-09 |language=ja}}</ref>。
== 競走成績 ==
== 競走成績 ==
以下の内容は、netkeiba.com<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/1986105210/ |title=ウィナーズサークルの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2019-08-21}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000191120/record/ |title=ウィナーズサークル 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-21}}</ref>に基づく。
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/1986105210/ |title=ウィナーズサークルの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2019-08-21}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000191120/record/ |title=ウィナーズサークル 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-21}}</ref>に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 75%; text-align: center; white-space: nowrap;"
!競走日
! nowrap="" |競馬場
!競走名
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!距離<br/>(馬場)
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!馬<br/>番
!オッズ<br/>(人気)
!着順
!タイム<br/>(上り3F/''4F'')
!着差<br/>
!騎手
!斤量<br/>[kg]
!1着馬<br/>(2着馬)
!馬体重<br/>[kg]
|-
|[[1988年|1988.]][[7月23日|{{0}}7.23]]
|[[福島競馬場|福島]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
| nowrap="" |芝1200m(重)
|10
|7
|8
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|{{0}}4着
| nowrap="" |1:15.0(38.8)
| nowrap="" |{{0|-}}2.1
|竹原啓二
|53
|ビフォアドーン<br />ミョウジントップ
|478
|-
|{{0|0000.}}[[12月4日|12.{{0}}4]]
|[[中山競馬場|中山]]
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|
|芝2000m(良)
|15
|5
|10
|{{0}}3.0(1人)
|{{0}}{{Color|darkblue|2着}}
|2:03.1(38.7)
|{{0|-}}0.0
|[[郷原洋行]]
|54
|ハセアンビション
|482
|-
|{{0|0000.}}[[12月24日|12.24]]
|中山
|3歳未勝利
|
|芝2000m(良)
|19
|6
|11
|{{0}}1.2(1人)
|{{0}}{{Color|darkblue|2着}}
|2:04.0(40.0)
|{{0|-}}0.9
|郷原洋行
|54
|マイファイブスター
|486
|-
|[[1989年|1989.]][[1月22日|{{0}}1.22]]
|中山
|4歳未勝利
|
|ダ1800m(稍)
|9
|8
|8
|{{0}}1.2(1人)
|{{color|darkred|{{0}}1着}}
|1:55.5(39.4)
|{{Nowiki|-}}0.8
|郷原洋行
|55
|(シカゴシチー)
|486
|-
|{{0|0000.}}[[2月5日|{{0}}2.{{0}}5]]
|[[東京競馬場|東京]]
|カトレア賞
|4下
|ダ1600m(良)
|6
|6
|6
|{{0}}1.7(1人)
|{{0}}{{Color|darkblue|2着}}
|1:40.9(''48.9'')
|{{0|-}}0.1
|郷原洋行
|55
|ドースクダイオー
|480
|-
|{{0|0000.}}[[3月5日|{{0}}3.{{0}}5]]
|中山
|4歳400万下
|
|ダ1800m(不)
|11
|7
|8
|{{0}}1.5(1人)
|{{0}}{{Color|darkblue|2着}}
|1:52.7(37.7)
|{{0|-}}0.2
|郷原洋行
|55
|リアルサファイヤ
|484
|-
|{{0|0000.}}[[3月18日|{{0}}3.18]]
|中山
|4歳400万下
|
|ダ1800m(良)
|6
|1
|1
|{{0}}1.2(1人)
|{{color|darkred|{{0}}1着}}
|1:54.1(38.9)
|{{Nowiki|-}}1.2
|郷原洋行
|55
|(ロータリーショウリ)
|484
|-
|{{0|0000.}}[[4月16日|{{0}}4.16]]
|中山
|[[皐月賞]]
|{{JRAGI}}
|芝2000m(不)
|20
|5
|11
|16.2(7人)
|{{0}}{{Color|darkblue|2着}}
|2:05.3(37.7)
|{{0|-}}0.1
|郷原洋行
|57
|[[ドクタースパート]]
|482
|-
|{{0|0000.}}[[5月28日|{{0}}5.28]]
|東京
|[[東京優駿]]
|{{JRAGI}}
|芝2400m(良)
|24
|1
|3
|{{0}}7.3(3人)
|{{color|darkred|{{0}}1着}}
|2:28.8(''48.8'')
|{{Nowiki|-}}0.1
|郷原洋行
|57
|(リアルバースデー)
|478
|-
|{{0|0000.}}[[10月15日|10.15]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都新聞杯]]
|{{JRAGII}}
|芝2200m(良)
|15
|'''8'''
|'''15'''
|{{0}}4.8(2人)
|{{0}}4着
|2:13.8(''47.9'')
|{{0|-}}0.4
|郷原洋行
|57
|[[バンブービギン]]
|480
|-
|{{0|0000.}}[[11月5日|11.{{0}}5]]
|京都
|[[菊花賞]]
|{{JRAGI}}
|芝3000m(良)
|18
|7
|14
|{{0}}4.1(2人)
|10着
|3:08.7(''47.2'')
|{{0|-}}1.0
|郷原洋行
|57
|バンブービギン
|496
|}
*枠番号と馬番号の'''太字強調'''は、[[単枠指定]]を示す。


== 種牡馬成績 ==
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく<ref name="JBIS-競走成績">{{Cite web |title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|ウィナーズサークル|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000191120/sire/generation/thorough_s/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-11-16}}</ref>。
! 競走日 !! nowrap="nowrap" | 競馬場 !! 競走名 !! 格 !! 距離(馬場) !! 頭<br />数 !! 枠<br />番 !! 馬<br />番 !! オッズ<br />(人気) !! 着順 !! タイム<br />(上り3F) !! 着差 !! 騎手 !! 斤量 !! 1着馬(2着馬)
{| class="wikitable"
!種付年度
!種付頭数
!生産頭数
!血統登録頭数
!出走頭数
!勝馬頭数
!重賞勝馬頭数
![[アーニングインデックス|AEI]]
![[コンパラブルインデックス|CPI]]
|-
|-
!1991
| [[1988年|1988.]][[7月23日|{{0}}7.23]]
|61
| [[福島競馬場|福島]]
|47
| [[新馬|3歳新馬]]
|
|45
|38
| 芝1200m(重)
| 10
|23
| 7
|0
|0.48
| 8
|
| {{0|00}}1.4{{0}}(1人)
| {{0}}4着
| {{0}}1:15.0(38.8)
| {{0|-}}2.1
| 竹原啓二
| 53kg
| ビフォアドーン<br />ミョウジントップ
|-
|-
!1992
| {{0|0000.}}[[12月4日|12.{{0}}4]]
|59
| [[中山競馬場|中山]]
|43
| [[未勝利戦|3歳未勝利]]
|
|41
|33
| 芝2000m(良)
| 15
|18
| 5
|0
|0.46
| 10
|
| {{0|00}}3.0{{0}}(1人)
| {{0}}{{Color|darkblue|2着}}
| {{0}}2:03.1(38.7)
| {{0|-}}0.0
| [[郷原洋行]]
| 54kg
| ハセアンビション
|-
|-
!1993
| {{0|0000.}}[[12月24日|12.24]]
|53
| 中山
|40
| 3歳未勝利
|37
|29
|17
|0
|0.30
|
|
| 芝2000m(良)
| 19
| 6
| 11
| {{0|00}}1.2{{0}}(1人)
| {{0}}{{Color|darkblue|2着}}
| {{0}}2:04.0(40.0)
| {{0|-}}0.9
| 郷原洋行
| 54kg
| マイファイブスター
|-
|-
!1994
| [[1989年|1989.]][[1月22日|{{0}}1.22]]
|47
| 中山
|29
| 4歳未勝利
|
|28
|21
| ダ1800m(稍)
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|15
| 8
|0
|0.26
| 8
|
| {{0|00}}1.2{{0}}(1人)
| {{color|darkred|{{0}}1着}}
| {{0}}1:55.5(39.4)
| {{Nowiki|-}}0.8
| 郷原洋行
| 55kg
|(シカゴシチー)
|-
|-
!1995
| {{0|0000.}}[[2月5日|{{0}}2.{{0}}5]]
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| [[東京競馬場|東京]]
|22
| カトレア賞
|20
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|17
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| 6
|12
| 6
|1
|0.36
| 6
|
| {{0|00}}1.7{{0}}(1人)
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| {{0|-}}0.1
| 郷原洋行
| 55kg
| ドースクダイオー
|-
|-
!1996
| {{0|0000.}}[[3月5日|{{0}}3.{{0}}5]]
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| 中山
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| 4歳400万下
|
|8
|8
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|6
| 7
|
|0.41
| 8
|
| {{0|00}}1.5{{0}}(1人)
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| 郷原洋行
| 55kg
| リアルサファイヤ
|-
|-
!1997
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| 4歳400万下
|
|3
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|0
|0.43
| 1
|
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| {{Nowiki|-}}1.2
| 郷原洋行
| 55kg
| (ロータリーショウリ)
|-
|-
!1998
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| 中山
|3
| [[皐月賞]]
|3
| {{JRAGI}}
|3
| 芝2000m(不)
| 20
|3
| 5
|
|0.47
| 11
|
| {{0}}16.2{{0}}(7人)
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| {{0}}2:05.3(37.7)
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| 郷原洋行
| 57kg
| [[ドクタースパート]]
|-
|-
!1999
| {{0|0000.}}[[5月28日|{{0}}5.28]]
|
| 東京
|
| [[東京優駿]]
|
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| 1
|
| 3
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|
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| 郷原洋行
| 57kg
| (リアルバースデー)
|-
|-
!2000
| {{0|0000.}}[[10月15日|10.15]]
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| [[京都競馬場|京都]]
|1
| [[京都新聞杯]]
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!2001
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| [[菊花賞]]
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|
|
|
|
|
|
|-
!2004
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
!2005
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*枠番・馬番の太字は単枠指定を示す。内容はnetkeiba.comおよびJBISサーチに基づく。

== 種牡馬時代 ==
引退後は[[北海道]]の本桐牧場で[[種牡馬]]になったものの、[[競走馬#ステイヤー|ステイヤー]]血統の[[シーホーク (競走馬)|シーホーク]]産駒、しかも同じシーホーク産駒で翌年の[[第57回東京優駿]]をレースレコードで勝った[[アイネスフウジン]]と供用開始が重なったこともあり、種付頭数は伸び悩んだ<ref>和田2019、p.223</ref>。種牡馬成績も芳しくなく、産駒には地方重賞勝ち馬が1頭いるのみである。


* 出走頭数、勝馬頭数、重賞勝馬頭数、[[アーニングインデックス]]、[[コンパラブルインデックス]]は、[[平地競走]]に限る。
2000年11月<ref>和田2019、p.226</ref>からは茨城県[[笠間市]]の[[東京大学]]農学部附属牧場に移動。[[2007年]]に種牡馬を引退し<ref>{{Cite web|publisher=netkeiba.com|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=26621|title=【ダービー特別企画】89年の勝ち馬ウィナーズサークルと松山康久元調教師が再会|accessdate=2022-03-12}}</ref>、[[功労馬繋養展示事業]]の助成を受けて繋養されていた<ref>[https://www.meiba.jp/horses/view/1986105210/news/2#news 引退名馬 - ウィナーズサークル]2015年4月5日閲覧</ref>が、2016年8月27日の未明に老衰のため同牧場で死亡した<ref>{{Cite news |title=ウィナーズサークル死す、30歳 89年ダービー馬 |newspaper=日刊スポーツ |date= 2016-08-29 |url=http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1702065&year=2016&month=8&day=29 |accessdate=2016-08-29}}[https://web.archive.org/web/20160829060140/http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1702065&year=2016&month=8&day=29 Web Archive]</ref>。
=== 重賞優勝産駒 ===


=== 主な産駒 ===
* 1996年産
* 1996年産
** ウィナーズキシュウ(牝、母父:[[タイテエム]](1999年*高崎ダービー)<ref>{{Cite web |title=ウィナーズキシュウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000307833/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-11-16}}</ref>
** ウィナーズキシュウ(高崎ダービー、[[マイネルレコルト]]の半姉)


== 血統表 ==
== 血統表 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
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<references group="注" />
=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist}}
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* 和田章郎『吹けっ!白い風 - 茨城に舞い降りた平成のダービー馬』([[主婦の友社]]、2019年)ISBN 978-4-07-340836-9
* 和田章郎『吹けっ!白い風 - 茨城に舞い降りた平成のダービー馬』([[主婦の友社]]、2019年)ISBN 978-4-07-340836-9
* 渡辺久和([[スポーツニッポン]])「茨城出身のダービー馬 ウィナーズサークル」『競馬名馬読本』〈別冊宝島143号〉(宝島社、1996年)
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1989年6月号
*** 橋本千春([[内外タイムス|内外タイムズ]])「【今月の記録室】第49回皐月賞(GI)ドクタースパート」
** 1989年7月号
*** 「【第56回日本ダービー】白い馬体が輝いて、栄光の勝者の指定席、ウィナーズサークル」
*** 「【人物クローズアップ】白いダービー馬 ウィナーズサークルを育てた人々」
*** 「【わかりやすい血統学 種牡馬の系譜(1)】シーホーク」
*** 瀬上保男([[読売新聞]])「【今月の記録室】芦毛のダービー馬誕生、茨城産も初」
*** 石井誠([[スポーツ報知|報知新聞]])「【今月の記録室】第56回日本ダービー(GI)ウィナーズサークル」
** 1989年8月号
*** 高井克敏「中央と地方のダービー馬を育成した 栗山牧場の秘密」
** 1989年9月号
*** 「【秋をめざす有力馬たち】4歳牡馬有力馬の近況 ドクタースパートは、短・中距離路線へ」
*** 紺野真([[東京スポーツ]])「【秋をめざす有力馬たち】菊花賞戦線は、ウィナーズサークルに"鋭""鈍""爽"の三頭が挑むぞ。」
** 1990年1月号
*** 寺田文雄([[デイリースポーツ]])「【今月の記録室】第50回菊花賞(GI)バンブービギン」
** 1990年2月号
*** 「【1989年度JRA賞 年度代表馬、各部門最優秀馬決定】年度代表馬はGI3勝のイナリワン」
*** 「【今月のトピックス】故郷でリハビリ中のウィナーズサークル 復帰に向けて経過良好」
**2002年9月号
***[[井口民樹]]「【サラブレッド・ヒロイン列伝 20世紀を駆けた名馬たち(16)】ロジータ 今もなお輝く"公営最強の牝馬"」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=1986105210|yahoo=1986105210|jbis=0000191120|racingpost=}}
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2022年12月11日 (日) 14:08時点における版

ウィナーズサークル
欧字表記 Winner's Circle[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 芦毛[1]
生誕 1986年4月10日[1]
死没 2016年8月27日(30歳没)[2]
シーホーク[1]
クリノアイバー[1]
母の父 グレートオンワード[1]
生国 日本の旗 日本茨城県稲敷郡江戸崎町[1]
生産者 栗山牧場[3]
生産牧場 栗山牧場[1]
育成 栗山牧場[4]
馬主 栗山博[1]
調教師 松山康久美浦[1]
厩務員 村井正芳[5]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀4歳牡馬(1989年)[1][5]
生涯成績 11戦3勝[1]
獲得賞金 1億6068万円[1]
勝ち鞍
GI 東京優駿 1989年
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ウィナーズサークル(欧字名:Winner's Circle1986年4月10日 - 2016年8月27日)は、日本競走馬種牡馬[1]

1989年のJRA賞最優秀4歳牡馬東京優駿(日本ダービー)(GI)の優勝馬。

史上初めてとなる茨城県産のダービー馬、芦毛の日本ダービー馬である。

経歴

デビューまで

誕生までの経緯

クリノアイバ―は、北海道浦河町の三浦武男牧場で生産された父グレートオンワードの牝馬である。1968年の有馬記念リュウズキに次ぐ2着、アメリカジョッキークラブカップステイヤーズステークスを制したニウオンワードの妹だった[6]。競走馬として10戦1勝の成績を残して引退。茨城県稲敷郡江戸崎町にあり、農地解放で拓かれた栗山牧場で繁殖牝馬となった[7][6]。初年度となる1981年は、サンフォードラッド英語版と交配し、1982年に初仔となる牡馬を産む[6]。初仔は、クリノサンフォードという名で競走馬となり、中央競馬で2勝、南関東地方競馬では1988年のダイオライト記念を制するなど3勝を挙げていた[6]

初仔を送り出したクリノアイバーだったが、2年目3年目共に流産し、後を続けられなかった[6]。それでも4年目、1985年に「父モバリッズの2番仔」を授かる[6]。そして続く5年目、牧場はクリノサンフォードの再来願って、再びサンフォードラッドとの交配を計画していた。しかし目前にしてサンフォードラッドが急死する。牧場は、父子二代に渡って付き合いのある美浦トレーニングセンター調教師松山康久に、新たな交配相手のアドバイスを求めた[8]。そこで松山は、シーホークを推薦した[8]

1963年生まれ芦毛のシーホークは、フランスで競走馬として走り、1966年のサンクルー大賞を制した[6]。競走馬引退後は、アイルランドで種牡馬としてしばらく供用され、1974年に、日本の北海道日高地方にもたらされていた[9]。ヨーロッパでの交配では、1975年セントレジャーステークスを制したブルーニ英語版、同年パリ大賞典を制したマタホークなど、ステイヤー産駒を輩出[9]。日本でも、1982年及び1984年天皇賞(春)を制したモンテプリンスモンテファスト兄弟。1985年菊花賞にてミホシンザンに次ぐ2着に加え、重賞複数優勝したスダホークなど、ステイヤーの活躍産駒を輩出していた[9]。このように産駒が活躍する間に、シーホークは年を取って20代に突入、種牡馬としては晩期に差し掛かっていた[9]。モンテプリンス、モンテファスト兄弟を管理したのは、松山の父である松山吉三郎だった。そのため、身近にいた松山は「種牡馬として潜在的に持っていた可能性を感じた[8]」として高く買っており、牧場に推薦するに至った[8]

栗山牧場代表の栗山博は、江戸崎町議会議員であり、美浦トレーニングセンター誘致に尽力した一人であった[10]。そのトレーニングセンターから車で10分[7]、茨城にある栗山牧場は、それまで関東の種牡馬としか交配していなかった[8]。しかし牧場は、松山の助言を聞き入れて、初めて繁殖牝馬を北海道に送り込む。そうしてクリノアイバーとシーホークは結ばれていた[8]

幼駒時代

1986年4月10日、茨城県稲敷郡江戸崎町の栗山牧場にて、クリノアイバーの3番仔である芦毛の牡馬(後のウィナーズサークル)が誕生する。この年、茨城で産まれたサラブレッドは34頭であり、その1頭だった[10]。父と同じく芦毛であり、栗山は「生まれた頃から白くて、姿かたちが父親にそっくり。これは兄たちより走るぞって、みんな期待してた馬でした[10]」松山は「生まれた最初から真っ白で、珍しいのもあるけど、特別な何かを持った馬なんじゃないかと思った[11]」「生まれた頃からシーホークそのもの[12]」と回顧している。

3番仔の一つ上の兄「父モバリッズの2番仔」は「クリノテイオー」として、先にデビューを果たしている。クリノテイオーは、夏の新潟でデビューし、2戦目で勝ち上がり、暮れに2勝目、3歳4月の若草賞で3勝目を挙げて、東京優駿(日本ダービー)出走を果たしていた。茨城県産馬によるダービーは珍しく、話題となったが、優勝叶わず14着だった[13]。その弟である3番仔は、栗山道郎によれば「いままで生産した馬のなかで文句なしにトップ[14]」の出来で期待が大きかったという。

3番仔は、このまま栗山牧場で育成が施された。牧場は、かつてはハードトレーニング一辺倒で有名だったが、松山の調べで、強さと丈夫さの両立を目指すようになっていた[15][16]。3番仔の育成には、完成したばかりの新馬場が用いられた。新馬場は砂厚が深く、高低差のあるコースであり、3番仔がこの馬場の一期生だった[16]。同じく一期生には、北海道新冠町で生産され、育成段階で牧場に来た父ミルジョージの牝馬がいた[16]。その牝馬は、後のロジータと命名されて、南関東地方競馬で活躍し、牝馬ながら東京ダービーまで制することとなる[17]

3番仔は、そのまま栗山博が所有し、配合から携わった松山に託された[18]。さらに松山は、命名まで託され、「あの中に入れるような馬になってほしい[13]」という願いから「中央競馬の競馬場の賞典台」を意味する「ウィナーズサークル」という競走馬名を与えている[18][13]。松山は、ウィナーズサークルに高い潜在能力を感じており、早くから東京優駿(日本ダービー)を目標に定め、1984年にクラシック三冠を果たしたシンボリルドルフの成り上がり方を参考にローテーションを計画していた[12]。シンボリルドルフは、3歳夏の新潟競馬場でデビュー勝ちを収めて秋まで休養、暮れで復帰、翌年に三冠を果たしていた。同じように松山は、ウィナーズサークルを3歳夏の福島競馬場でデビューさせ、当然勝利した後、秋まで休養し、暮れで出世して、翌4歳のクラシックを見据えようと企んでいた[12]

競走馬時代

クラシックまでの道程

1988年7月23日、福島競馬場の新馬戦(芝1200メートル)にて、竹原啓二を鞍上にデビューしたが4着[12]。その後は、笹針を伴う放牧休養となる[19]。12月4日、中山競馬場の未勝利戦(芝2000メートル)で復帰。「ここ一番に強い彼が、なんか大きな仕事をしてくれそうな予感があったから[13]」(松山)郷原洋行を起用して臨み、2着だった。以後、引退まで郷原が騎乗し続けることとなる。続いて暮れ、同条件の2戦目も2着だった。連続2着は、先頭に立ってから、騎手に反抗する悪癖を見せて、かわされるという内容だった[20]

未勝利のままで年をまたぎ1989年、4歳となる。クラシックに間に合わないと感じた松山は、得意としていたダートでの成り上がりを企てた[20]。転向初戦、中山の1800メートル戦で5馬身差をつけて、初勝利を挙げた。しかし続く400万円以下では、ダートも、再び連続2着でまたも足踏みをしていた[20]。松山によれば「ものすごくダートの巧い馬に当った[20]」ゆえの敗戦だったという。それでも400万円以下3戦目、3月18日の中山ダート1800メートルで7馬身差をつけて2勝目を挙げる。2勝して直前でクラシック戦線に到達していた。続いてクラシック三冠競走の第一弾である皐月賞を目指した。2勝馬ゆえに出走を直ちに確定させられなかったが、有力馬の回避を後押しに、抽選を突破して出走を叶えた[21]

4月16日、皐月賞(GI)に臨む。20頭立てとなり、朝日杯3歳ステークス優勝のサクラホクトオートライアル競走3着のアンシストリーやドクタースパートが人気を集める中、ウィナーズサークルは7番人気に留まっていた。昼前までの降雨のため、不良馬場での競走となった[22]。これまでは先行押し切りの戦法を取っていたウィナーズサークルだったが、初めて中団追走を選択した[13]。直線では馬場の中央から追い込み、鋭い末脚を利かせた。先に抜け出していたドクタースパートに迫ったが、半馬身だけ及ばず2着だった[22][23]

映像外部リンク
1989年 皐月賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

5着以内となったことで、第二弾の東京優駿(日本ダービー)の優先出走権確保に成功する[22]。続く第二弾へは、トライアルであるNHK杯への参戦を見送り、中5週での直行となった。松山は、1983年にミスターシービーをクラシック三冠に導いていたが、ミスターシービーの一冠目と二冠目も直行しており、松山によればこのくらいの直行が「理想的[24]」と考えていた。

東京優駿

5月28日、東京優駿(GI)に臨む。この年のクラシック戦線は、本命不在の混戦となる。1番人気に推されたのは、若草ステークスを優勝するなど3連勝中、皐月賞不出走のロングシンホニーだったが、単勝オッズ6.0倍、支持率は東京優駿史上最低[注釈 1]となる12.3パーセントだった。そして2番人気も、皐月賞不出走、NHK杯3着のマイネルブレーブだった[25]。3番人気から皐月賞出走組となったが、最上位は優勝のドクタースパートではなく、2着ウィナーズサークル、7.3倍だった[25]。以下ドクタースパート、サクラホクトオーまでがオッズ一桁台だった。東京優駿史上2番目となる16万3千人が見守る中、良馬場での開催となった[13]

映像外部リンク
1989年 東京優駿(日本ダービー)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

1枠3番のスタートから好位の内側を確保、やがて控えて中団に位置する。マイネルムートが逃げ、前半1000メートルを62.2秒で引っ張る平均ペースを、折り合いをつけて追走していた[26]。先行勢に接近しながら最終コーナーを通過し、直線では、馬場の中央に持ち出して、坂を上り切ってから末脚を発揮した[27]。先に抜け出していたトーワトリプルやリアルバースデーを外から差し切ったうえに、外から追い込んだロングシンホニー、サクラホクトオー、サーペンアップとの差を広げて、単独先頭となった[26]。以後、リアルバースデーの抵抗や、サーペンアップの追い上げがあったが、先頭は脅かされなかった。リアルバースデーやサーペンアップに半馬身差をつけて、先頭で決勝線を通過する[25]。郷原によれば、悪癖の数々が解消された「初めて100パーセントの力を出し切った、といってもいい[28]」レースぶりだったという。

東京優駿、ダービーを戴冠する。史上14頭目となる重賞未勝利馬による戴冠だった[29]。郷原は、1980年にオペックホースで制して以来[注釈 2]、松山はミスターシービー以来となる、ダービー2勝目だった[26][13]。松山の父吉三郎が、1962年フエアーウイン、1986年ダイナガリバーで制していることから、親子でダービー4勝を成し遂げた[13]。それから栗山牧場は、中央競馬の初重賞勝利がダービーだった[4]

さらに1967年ヤマニンカップ(優勝:アサデンコウ)、1985年スダホーク(優勝:シリウスシンボリ)の2着を上回り、史上初めてとなる芦毛による東京優駿優勝だった[29]。1977年菊花賞にて、郷原騎乗のプレストウコウが、中央競馬史上初めてとなる芦毛のクラシック制覇を果たしており、またも郷原が芦毛を導いていた[13]。それから史上初めてとなる茨城県産馬による東京優駿優勝、1978年サクラショウリ以来となる本州生産馬による優勝だった[29]。また史上初めてとなる東京芝初出走馬による東京優駿優勝、史上初めてとなる芝未勝利馬による優勝だった[30]。加えて中央競馬史上初めてとなる2勝馬による東京優駿優勝、3歳競馬が行われた第二次世界大戦後では、1949年タチカゼ以来2例目となる2勝馬による東京優駿優勝だった[30][29]

茨城県産馬による優勝は、スポーツ新聞だけでなく、一般新聞の取材されるほどの話題となった[13]。また当日は、地元江戸崎町役場の人間がバス2台の大所帯で応援に駆けつけていた[13]。牧場の栗山道郎によれば彼らは、酒を飲んでは馬券も当てて「ドンチャン騒ぎ[13]」だったという。

引退

東京優駿以後は、栗山牧場にて放牧となり、8月下旬に帰厩する[31][32]。秋は、クラシック三冠競走の最終戦である菊花賞を目指した[32]。松山は、東京優駿の時と同じように、ミスターシービーと「同じイメージ[33]」を持ち、トライアル競走からの始動となった[33]。10月15日、トライアル競走である京都新聞杯(GII)で始動する。重賞2連勝中のオサイチジョージとともに単枠指定制度の対象となったが、こちらが2番人気だった[34]。好位を追走し、最終コーナーから抜け出し先頭となった[34]。しかし直線で伸びを欠き、追い込んだバンブービギンオサイチジョージ、リアルバースデーにかわされる4着だった[34][35]

映像外部リンク
1989年 菊花賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

続いて11月5日、本番の菊花賞(GI)に臨む。バンブービギンに次ぐ2番人気に推されたが、他に後れる追走で末脚なく失速し10着敗退だった[36]。この4日後、レース中に右橈骨手根骨及び右橈骨遠位端を骨折していたことが判明していた[37]。この年のJRA賞では、全172票中103票[注釈 3]を集めて、最優秀4歳牡馬に選出されている[38]。骨折発覚後は、栗山牧場に戻って長期休養となり[39]、復帰を目指したが、叶わないまま翌1990年秋に競走馬を引退した[40]

種牡馬時代

競走馬引退後は、北海道の本桐牧場で種牡馬となる。同じシーホーク産駒、1歳下のアイネスフウジンと同時の供用開始となったこともあり、種付け頭数を十分に集められなかった[41]。初年度の交配数は61頭だったが、以後右肩下がりだった[42]。6年目の1996年にはシンジケートが解散[40]。7年目の1997年には一桁台に突入した[42]。2000年11月からは、茨城県笠間市の東京大学大学院農学生命科学研究科附属牧場に移動[43]。2007年には種牡馬を引退し、以降は当て馬として活躍した[44]。2011年に東京大学大学院は、競走馬生産を終えたが、牧場に繋養され続け、採血や装蹄の実習相手として利用された[44]功労馬繋養展示事業の助成を受けながら余生を過ごし[45]、2016年8月27日未明に老衰のため、30歳で死亡する[46]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[47]およびJBISサーチ[48]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F/4F
着差
騎手 斤量
[kg]
1着馬
(2着馬)
馬体重
[kg]
1988.07.23 福島 3歳新馬 芝1200m(重) 10 7 8 01.4(1人) 04着 1:15.0(38.8) -2.1 竹原啓二 53 ビフォアドーン
ミョウジントップ
478
0000.12.04 中山 3歳未勝利 芝2000m(良) 15 5 10 03.0(1人) 02着 2:03.1(38.7) -0.0 郷原洋行 54 ハセアンビション 482
0000.12.24 中山 3歳未勝利 芝2000m(良) 19 6 11 01.2(1人) 02着 2:04.0(40.0) -0.9 郷原洋行 54 マイファイブスター 486
1989.01.22 中山 4歳未勝利 ダ1800m(稍) 9 8 8 01.2(1人) 01着 1:55.5(39.4) -0.8 郷原洋行 55 (シカゴシチー) 486
0000.02.05 東京 カトレア賞 4下 ダ1600m(良) 6 6 6 01.7(1人) 02着 1:40.9(48.9 -0.1 郷原洋行 55 ドースクダイオー 480
0000.03.05 中山 4歳400万下 ダ1800m(不) 11 7 8 01.5(1人) 02着 1:52.7(37.7) -0.2 郷原洋行 55 リアルサファイヤ 484
0000.03.18 中山 4歳400万下 ダ1800m(良) 6 1 1 01.2(1人) 01着 1:54.1(38.9) -1.2 郷原洋行 55 (ロータリーショウリ) 484
0000.04.16 中山 皐月賞 GI 芝2000m(不) 20 5 11 16.2(7人) 02着 2:05.3(37.7) -0.1 郷原洋行 57 ドクタースパート 482
0000.05.28 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 24 1 3 07.3(3人) 01着 2:28.8(48.8 -0.1 郷原洋行 57 (リアルバースデー) 478
0000.10.15 京都 京都新聞杯 GII 芝2200m(良) 15 8 15 04.8(2人) 04着 2:13.8(47.9 -0.4 郷原洋行 57 バンブービギン 480
0000.11.05 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 7 14 04.1(2人) 10着 3:08.7(47.2 -1.0 郷原洋行 57 バンブービギン 496
  • 枠番号と馬番号の太字強調は、単枠指定を示す。

種牡馬成績

以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[42]

種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI
1991 61 47 45 38 23 0 0.48
1992 59 43 41 33 18 0 0.46
1993 53 40 37 29 17 0 0.30
1994 47 29 28 21 15 0 0.26
1995 32 22 20 17 12 1 0.36
1996 14 8 8 8 6 0.41
1997 6 3 3 2 1 0 0.43
1998 4 3 3 3 3 0.47
1999
2000 1 1 1 1 0 0.00
2001 1 1 1 1 0 0.00
2002 1 0 0 0
2003
2004
2005 2 2 2 1 0 0.00
2006
2007 2 2 2 1 0 0.01
合計 191 155 95 1 0.37 0.76

重賞優勝産駒

  • 1996年産

血統表

ウィナーズサークル血統エルバジェ系/Firdaussi 5×5=6.25%(父内)) (血統表の出典)[§ 1]
父系 エルバジェ系

*シーホーク
Sea Hawk
1963 芦毛
父の父
Herbager
1956 鹿毛
Vandale Plassy
Vanille
Flagette Escamillo
Fidgette
父の母
Sea Nymph
1957 芦毛
Free Man Norseman
Fantine
Sea Spray Ocean Swell
Pontoon

クリノアイバー
1977 栗毛
*グレートオンワード
Great Onward
1971 鹿毛
Sir Ivor Sir Gaylord
Attica
Princesse Isabelle Prince Chevalier
Isabelle Brand
母の母
*クロシエツト
Clochette
1958 鹿毛
Mossborough Nearco
All Moonshine
La Cloche Le Lavandou
Angelus F-No.21-a
母系(F-No.) クロシエツト(IRE)系(FN:21-a) [§ 2]
5代内の近親交配 Firdaussi S5×S5 [§ 3]
出典
  1. ^ 血統情報:5代血統表|ウィナーズサークル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年5月28日閲覧。
  2. ^ 血統情報:5代血統表|ウィナーズサークル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年5月28日閲覧。
  3. ^ 血統情報:5代血統表|ウィナーズサークル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2017年5月28日閲覧。


脚注

注釈

  1. ^ 1988年の1番人気サッカーボーイの支持率12.8パーセント(優勝:サクラチヨノオー(3番人気)を上回った。
  2. ^ オペックホースが東京優駿で下したのは、松山吉三郎厩舎でシーホーク産駒のモンテプリンスだった[28]
  3. ^ 菊花賞を制したバンブービギンが59票で次点。以下サクラホクトオー4票、該当馬なし6票[38]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ウィナーズサークル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月21日閲覧。
  2. ^ 芦毛の馬で初のダービー制覇したウィナーズサークル死亡/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2022年12月11日閲覧。
  3. ^ ウィナーズサークル(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。
  4. ^ a b 『優駿』1989年8月号 43頁
  5. ^ a b 『優駿』1990年2月号 52頁
  6. ^ a b c d e f g 『優駿』1989年7月号 135頁
  7. ^ a b 『優駿』1989年7月号 58頁
  8. ^ a b c d e f 和田(2019)91-92頁
  9. ^ a b c d 『優駿』1989年7月号 110頁
  10. ^ a b c 『優駿』1989年7月号 59頁
  11. ^ 和田(2019)96頁
  12. ^ a b c d 『優駿』1989年7月号 60頁
  13. ^ a b c d e f g h i j k l 『優駿』1989年7月号 132頁
  14. ^ 『競馬名馬読本』30頁
  15. ^ 『優駿』1989年8月号 46頁
  16. ^ a b c 『優駿』1989年8月号 47頁
  17. ^ 『優駿』2002年9月号 62頁
  18. ^ a b 和田(2019)104頁
  19. ^ 『競馬名馬読本』31頁
  20. ^ a b c d 『優駿』1989年7月号 61頁
  21. ^ 史上唯一“芦毛のダービー馬”ウィナーズサークルは引退後に…? “東大”で過ごした幸せな晩年「学生さんにとってもありがたい馬でした」(石田敏徳)”. Number Web. 2022年12月11日閲覧。
  22. ^ a b c 『優駿』1989年6月号 136頁
  23. ^ 『優駿』1989年6月号 136頁
  24. ^ 和田2019、154頁
  25. ^ a b c 『優駿』1989年7月号 134頁
  26. ^ a b c 『優駿』1989年7月号 6頁
  27. ^ 『優駿』1989年7月号 9頁
  28. ^ a b 『優駿』1989年7月号 62頁
  29. ^ a b c d 『優駿』1989年7月号 130頁
  30. ^ a b 和田(2019)152頁
  31. ^ 『優駿』1989年9月号 101頁
  32. ^ a b 『優駿』1989年9月号 100頁
  33. ^ a b 和田(2019)206頁
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  35. ^ 『優駿』1989年12月号 137頁
  36. ^ 『優駿』1990年1月号 127-128頁
  37. ^ 和田(2019)218頁
  38. ^ a b 『優駿』1990年2月号 55頁
  39. ^ 『優駿』1990年2月号 104頁
  40. ^ a b 史上唯一“芦毛のダービー馬”ウィナーズサークルは引退後に…? “東大”で過ごした幸せな晩年「学生さんにとってもありがたい馬でした」(石田敏徳)”. Number Web. 2022年12月9日閲覧。
  41. ^ 和田(2019)223頁
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  43. ^ 和田(2019)226頁
  44. ^ a b 史上唯一“芦毛のダービー馬”ウィナーズサークルは引退後に…? “東大”で過ごした幸せな晩年「学生さんにとってもありがたい馬でした」(石田敏徳)”. Number Web. 2022年12月9日閲覧。
  45. ^ 引退名馬 - ウィナーズサークル2015年4月5日閲覧
  46. ^ ウィナーズサークル死す、30歳 89年ダービー馬|極ウマ・プレミアム”. p.nikkansports.com. 2022年12月9日閲覧。
  47. ^ ウィナーズサークルの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月21日閲覧。
  48. ^ ウィナーズサークル 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月21日閲覧。
  49. ^ ウィナーズキシュウ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年11月16日閲覧。

参考文献

  • 和田章郎『吹けっ!白い風 - 茨城に舞い降りた平成のダービー馬』(主婦の友社、2019年)ISBN 978-4-07-340836-9
  • 渡辺久和(スポーツニッポン)「茨城出身のダービー馬 ウィナーズサークル」『競馬名馬読本』〈別冊宝島143号〉(宝島社、1996年)
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1989年6月号
      • 橋本千春(内外タイムズ)「【今月の記録室】第49回皐月賞(GI)ドクタースパート」
    • 1989年7月号
      • 「【第56回日本ダービー】白い馬体が輝いて、栄光の勝者の指定席、ウィナーズサークル」
      • 「【人物クローズアップ】白いダービー馬 ウィナーズサークルを育てた人々」
      • 「【わかりやすい血統学 種牡馬の系譜(1)】シーホーク」
      • 瀬上保男(読売新聞)「【今月の記録室】芦毛のダービー馬誕生、茨城産も初」
      • 石井誠(報知新聞)「【今月の記録室】第56回日本ダービー(GI)ウィナーズサークル」
    • 1989年8月号
      • 高井克敏「中央と地方のダービー馬を育成した 栗山牧場の秘密」
    • 1989年9月号
      • 「【秋をめざす有力馬たち】4歳牡馬有力馬の近況 ドクタースパートは、短・中距離路線へ」
      • 紺野真(東京スポーツ)「【秋をめざす有力馬たち】菊花賞戦線は、ウィナーズサークルに"鋭""鈍""爽"の三頭が挑むぞ。」
    • 1990年1月号
    • 1990年2月号
      • 「【1989年度JRA賞 年度代表馬、各部門最優秀馬決定】年度代表馬はGI3勝のイナリワン」
      • 「【今月のトピックス】故郷でリハビリ中のウィナーズサークル 復帰に向けて経過良好」
    • 2002年9月号
      • 井口民樹「【サラブレッド・ヒロイン列伝 20世紀を駆けた名馬たち(16)】ロジータ 今もなお輝く"公営最強の牝馬"」

外部リンク