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}}'''スイープトウショウ'''(欧字名:{{Lang|en|Sweep Tosho}}、[[2001年]][[5月9日]] - [[2020年]][[12月5日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]<ref name="jbis" />。
}}

2005年に、[[エイトクラウン]]以来39年ぶり史上2頭目となる[[牝馬]]の[[宝塚記念]]優勝を成し遂げた。同年の[[JRA賞最優秀4歳以上牝馬]]である。

2004年の[[秋華賞]]、2005年の[[エリザベス女王杯]]も制して、{{GI}}通算3勝を挙げた。その他の勝ち鞍に、2003年の[[ファンタジーステークス]]({{GIII}})、2004年の[[チューリップ賞]]({{GIII}})、2006年の[[京都大賞典]]({{GII}})がある。

== デビュー前 ==

=== 誕生までの経緯 ===

==== トウショウ牧場の低迷 ====
[[トウショウ牧場|トウショウ産業株式会社トウショウ牧場]]{{Efn|旧称・藤正牧場(トウショウ)。}}は、[[フジタ工業]]の副社長や[[参議院議員]]を歴任した[[藤田正明]]が1965年に開いた、[[北海道]][[日高地方]][[静内町]]の競走馬生産牧場である<ref name="優駿-2015-11-65">『優駿』2015年11月号 65頁</ref>{{Efn|1968年とも。}}。藤田は1962年から馬主活動を行っていたが、トウショウ産業株式会社の名義でも馬主登録を行い、牧場生産馬を自ら所有して競馬場で走らせる[[オーナーブリーダー]]となった<ref name="優駿-2015-11-65" />。トウショウ産業や藤田は「トウショウ」の冠名を用いていた。

1965年には、アメリカの[[繁殖牝馬]][[ソシアルバターフライ]]を牧場に導入する<ref name="優駿-2015-11-65" />。ソシアルバターフライは、1976年の[[皐月賞]]、[[有馬記念]]を優勝した「[[TTG]]」の一角・[[トウショウボーイ]]を始め、トウショウピット、ソシアルトウショウなど、活躍馬を多く輩出。加えて孫以降の世代にも活躍馬が続出し、ソシアルバターフライ系と呼ばれる大牝系を構築した<ref name="優駿-2015-11-65" />。牧場は、名声を高めるきっかけとなったトウショウボーイの種牡馬生活を後押しするために、交配相手の繁殖牝馬を外国から輸入<ref name="優駿-2005-3-69">『優駿』2005年3月号 69頁</ref>。調達した繁殖牝馬や、ソシアルバターフライ系以外の系統の繁殖牝馬に積極的にトウショウボーイをあてがっていた<ref name="優駿-2005-3-69" /><ref name="優駿-1991-8-22">『優駿』1991年8月号 22頁</ref>。それと同時に牧場は、ソシアルバターフライ系の更なる発展を狙って、その牝系の繁殖牝馬を重用するようになる<ref name="優駿-2005-3-69" /><ref name="優駿-2015-11-66">『優駿』2015年11月号 66頁</ref>。牧場繁殖牝馬の半数をソシアルバターフライ系にしては、好成績が期待できる大物種牡馬を優先的に割り当てていた<ref name="優駿-2005-3-69" />。当時の牧場には他に、[[シラオキ系]]、チャイナトウショウ系、ビバドンナ系などの牝系が揃っていた<ref name="優駿-2015-11-66" />。しかしそれらの多くは、トウショウボーイ産駒の後押し、ソシアルバターフライ系の発展のために切り捨てられ、他の牧場に放出されていた<ref name="優駿-1991-8-22" />。

トウショウボーイとソシアルバターフライ系に重きを置く牧場だったが、そのどちらも奮わなかった<ref name="優駿-2010-7-155">『優駿』2010年7月号 155頁</ref>。ソシアルバターフライ系は次第に時代遅れの牝系となり、牧場はトウショウボーイの次になかなか出会えずに低迷していった<ref name="優駿-2010-7-155" /><ref name="優駿-2005-3-68">『優駿』2005年3月号 68頁</ref>。トウショウボーイ産駒は、[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠馬]][[ミスターシービー]]などを出すも、活躍馬は他の牧場生産馬が中心だった。そんな中、1991年に、トウショウボーイ以来の大レース優勝を、[[シスタートウショウ]]が成し遂げた。[[桜花賞]]を優勝したシスタートウショウは、牧場で唯一残されたシラオキ系繁殖牝馬コーニストウショウにトウショウボーイを配合し、産まれた牝馬だった<ref name="優駿-1991-8-22" />。同じ年、牧場としてはトウショウボーイ現役時を上回る最高成績を残していた<ref name="優駿-2015-11-67">『優駿』2015年11月号 67頁</ref>。その要因は、ソシアルバターフライ系以外の仔が活躍したためだった<ref name="優駿-2015-11-67" />。それでも牧場は、ソシアルバターフライ系の復興を願って止まずに執着し続け、併せてシラオキ系シスタートウショウからの大物誕生にもすがっていた<ref name="優駿-2015-11-67" />。しかし、ソシアルバターフライ系は衰退の一途を辿り、シスタートウショウの産駒も今一つ<ref name="優駿-2015-11-67" />。逆に放出したシラオキ系繁殖牝馬から{{JRAGI}}優勝馬[[マチカネフクキタル]]{{Efn|母アテナトウショウ、母父トウショウボーイ。北海道[[浦河町]]の信成牧場の生産。1997年の[[菊花賞]]({{JRA}})を勝利した。}}{{Efn|後に[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]も誕生する。ウオッカの母母は、エナジートウショウ。母母父は[[トウショウボーイ]]、母母母はコーニストウショウ。}}が誕生してしまっていた<ref name="優駿-2015-11-67" />。牧場は再び低迷期に突入、1980年代から1990年代前半にかけて、毎年のように重賞勝利を記録していたが、1994年からの4年間は重賞未勝利だった<ref name="優駿-2005-3-68" />。

そんな状況下で代替わりが発生。藤田の三男衛成が二代目オーナー、志村吉男が三代目牧場長となった<ref name="優駿-2015-11-66" />。衛成は低迷からの脱却を目指した。牧場の土壌や水質など環境改善に取り組み<ref name="優駿-2005-3-70">『優駿』2005年3月号 70頁</ref>、併せて繁殖牝馬を整理して血統の更新に努めた<ref name="優駿-2005-3-69" />。時代遅れとなったソシアルバターフライ系への偏りを解消し、シラオキ系、チャイナトウショウ系、ビバドンナ系の軽視を見直した<ref name="優駿-2005-3-70" />。さらに外国から繁殖牝馬を輸入し、新しい牝系の構築を目指していた<ref name="優駿-2005-9-54">『優駿』2005年9月号 54頁</ref>。これまで好成績が期待できる大物種牡馬の相手は、おのずとソシアルバターフライ系だったが、他の牝系にもその機会が与えられるようになった<ref name="優駿-2010-7-155" />。

==== セヴァイン、チャイナトウショウ系 ====
トウショウ牧場における牝系の一つ、チャイナトウショウ系は、二代目牧場長の成田勝四郎が[[新冠町]]の中本隆太郎から購入した牝馬の仔、チャイナトウショウ(スイープトウショウの母母母母、高祖母)に始まった<ref name="優駿-2005-3-70" /><ref name="優駿-1990-8-149">『優駿』1990年8月号 149頁</ref>。日本では、アメリカ産牝馬セヴァインを1928年に輸入したことに始まる牝系<ref name="優駿-2006-1-85">『優駿』2006年1月号 85頁</ref>であり<ref>{{Cite web |title=セヴアイン(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000375760/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-23}}</ref>、かつては牧場でもセヴァイン系と認識されていた<ref name="優駿-1991-8-22" /><ref name="優駿-1990-8-149" />。セヴァイン系は、有力馬が現れずに衰退し、数々の枝葉が断たれたが、セヴァインの孫トミユキ(父:[[セントライト]]、スイープトウショウの六代母)だけが生き永らえていた<ref name="優駿-2006-1-85">『優駿』2006年1月号 85頁</ref>。

チャイナトウショウは、父が[[チャイナロック]]である<ref>『優駿』1990年8月号 149頁</ref>。チャイナロック産駒は、身体が大きくなり「ごつすぎる<ref name="優駿-2005-3-70" />」(三代目牧場長志村吉男)ことで有名だった。チャイナトウショウも例に洩れず「ひと目でチャイナロックの産駒とわかる大きな牝馬<ref name="優駿-2005-3-70" />」(志村)であり、牧場スタッフから導入を反対する声もあったが、藤田正明の一声で導入が決定する<ref name="優駿-2005-3-70" />。

未出走のまま繁殖牝馬となったチャイナトウショウは、藤田正明がフランスから導入した種牡馬[[ダンディルート]]と交配した<ref name="優駿-2015-11-66" /><ref name="JBIS-牝系-チャイナトウショウ">{{Cite web |title=繁殖牝馬情報:牝系情報|チヤイナトウシヨウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000051221/broodmare/info/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-23}}</ref>。1978年に産んだ牝馬マーブルトウショウ(スイープトウショウの母母母、曾祖母)は、[[栗東トレーニングセンター]]の[[戸山為夫]]厩舎のもと、1980年[[阪神3歳ステークス]]3着、1981年[[紅梅ステークス|紅梅賞]]を優勝、[[桜花賞]]では3着<ref name="優駿-1990-8-149" />。牝馬ながら[[東京優駿]](日本ダービー)に出走し25着<ref name="優駿-2015-11-66" />、16戦4勝で引退した<ref>{{Cite web |title=マーブルトウシヨウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000108334/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-23}}</ref>。増えるソシアルバターフライ系に負けず、牧場の繁殖牝馬となった。トウショウボーイ応援という牧場の方針に則り、トウショウボーイと交配<ref name="優駿-1990-8-149" />。1985年に産んだ牝馬サマンサトウショウ(スイープトウショウの母母、祖母)は、栗東の[[渡辺栄]]厩舎のもと、1990年の[[エプソムカップ]]({{JRAGIII}})を優勝、[[マイルチャンピオンシップ]]({{JRAGI}})3着など27戦7勝だった<ref>{{Cite web |title=サマンサトウショウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000176310/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-23}}</ref>。繁殖牝馬となって1986年[[凱旋門賞]]優勝馬の[[ダンシングブレーヴ]]と交配、1993年に牝馬タバサトウショウ(スイープトウショウの母)が誕生する<ref name="JBIS-タバサトウショウ">{{Cite web |title=タバサトウショウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000266567/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-23}}</ref>。サマンサトウショウ、タバサトウショウ母娘は、いずれも『[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]]』の登場人物「サマンサ」「タバサ」母娘からの引用だった<ref name="優駿-2005-3-70" />。
{| style="float: right; font-size: 55%; text-align: left; margin:10px"
|+セヴァイン系<ref>{{Cite web |title=繁殖牝馬情報:牝系情報|セヴアイン(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000375760/broodmare/info/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-25}}</ref><ref>{{Cite web |title=繁殖牝馬情報:牝系情報|トミユキ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000376965/broodmare/info/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-25}}</ref><ref name="優駿-2006-1-85" />、チャイナトウショウ系<ref name="JBIS-牝系-チャイナトウショウ" /><ref name="JBIS-牝系-タバサトウショウ">{{Cite web |title=繁殖牝馬情報:牝系情報|タバサトウショウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000266567/broodmare/info/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-23}}</ref>
!{{tree list}}1928年アメリカから輸入<br/>セヴァイン 1921→青東 1933<br/>→トミユキ 1948→キラクハート 1967↓<br/>(以下トウショウ牧場所有)
*チャイナトウショウ 1972(父:[[チャイナロック]])
**マーブルトウショウ 1978(父:[[ダンディルート]])
***サマンサトウショウ 1985(父:[[トウショウボーイ]])
****タバサトウショウ 1993 (父:[[ダンシングブレーヴ]])
*****'''スイープトウショウ''' 2001(父:[[エンドスウィープ]])
{{Tree list/end}}
|}
タバサトウショウは、同じく渡辺厩舎からデビューし6戦1勝<ref name="JBIS-タバサトウショウ" />。引退し、牧場で繁殖牝馬となった。初年度は[[フジキセキ]]、2年目は[[ハウスバスター]]と交配し、2頭を生産する<ref name="JBIS-牝系-タバサトウショウ" />。それから2000年の交配相手には、既に産駒[[サウスヴィグラス]]などの[[外国産馬]]として活躍していた種牡馬、日本に輸入されて供用初年度の[[エンドスウィープ]](父:[[フォーティナイナー]])が選ばれた<ref name="優駿-2005-3-69" /><ref name="優駿-2005-9-54" />。エンドスウィープは、二代目の衛成が選んだ。理由は、産駒の勝ち上がる確率{{Efn|一般に勝ち上がり率と呼ばれる。}}が高いことや「フォーティナイナーの子供たちは柔軟性があって、父親のいいところも持っているし、かなり広がりを見せてくる<ref name="優駿-2005-9-54" />」と考えたためだった<ref name="優駿-2005-9-54" />。

2001年5月9日、トウショウ牧場にて3番仔となる[[鹿毛]]の牝馬(後のスイープトウショウ)が生産される<ref name="jbis" />。これまでチャイナトウショウ系の出世頭は、トミユキの玄孫トウショウバルカンやサマンサトウショウで{{JRAGIII}}止まり。セヴァイン系まで広げても、トミユキの[[曾孫]][[ドウカンヤシマ]]で{{JRAGIII}}止まり、だった<ref name="優駿-2006-1-85" />。しかしそんな牝系に、トウショウ牧場がダンディルートやトウショウボーイ、ダンシングブレーヴ、エンドスウィープと重ねたトミユキの[[昆孫]]が3番仔である<ref name="優駿-2006-1-85" />。中でも3番仔の目は、末脚の鋭さで鳴らした母父ダンシングブレーヴと同じ[[三白眼]]だった<ref name="優駿-2006-12-85">『優駿』2006年12月号 85頁</ref>。


=== 幼駒時代 ===
'''スイープトウショウ'''は、[[日本]]の[[競走馬]]である。2005年の[[JRA賞最優秀4歳以上牝馬]]。
3番仔は、父エンドスウィープの一部「'''スイープ'''」と冠名の「'''トウショウ'''」を組み合わせた「'''スイープトウショウ'''」という競走馬名が与えられる<ref name="JAIRS" />。


スイープトウショウは、スタッフからの評価は高く走ると期待された<ref name="優駿-2008-2-174">『優駿』2008年2月号 174頁 </ref>。ただし走ることも馬房から出ることも嫌うなど、人間を拒否し続けていた<ref name="優駿-2008-2-174" />。放牧に出されても「いつも親分……自分が女王でないと気がすまない<ref name="優駿-2005-9-54" />」性格だったという。この性格は、競走馬になっても解消せず、後々様々な不都合に見舞われることになる(詳細は[[スイープトウショウ#気性難]]を参照。)。2003年に2歳となったスイープトウショウは、サマンサ、タバサと同様に、渡辺厩舎に入厩する。渡辺調教師は、翌2004年2月末に定年、厩舎解散を控えていた<ref name="優駿-2010-7-155" />。
馬名は父名の一部「スイープ」と[[冠名]]の「トウショウ」(馬主のトウショウ産業から)との組み合わせである。また、祖母のサマンサトウショウ、母のタバサトウショウとの連想にもなっている(''sweep''の本来の意味は「(箒で)掃く」、サマンサとタバサは『[[奥さまは魔女_(テレビドラマ)|奥さまは魔女]]』の主人公とその娘)。


== 競走馬時代 ==
== 競走馬時代 ==
=== 2歳時 ===
[[2003年]][[10月18日]]のデビュー戦であった2歳新馬戦を単勝1.8倍の圧倒的な1番人気に応えて1着、続く牝馬限定[[グレード制|GIII]]の[[ファンタジーステークス]]も勝利した。しかし、2歳牝馬のチャンピオンを決める[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]では1番人気に支持されながら、直線で行き場がなくなるという不利も重なり差し切れず[[ヤマニンシュクル]]の5着に敗れた<ref>{{cite news|url=http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-121728.html|title=【阪神JF】(阪神)〜大外一気でヤマニンシュクルG1V|publisher=ラジオNIKKEI|date=2003-12-07|accessdate=2015-09-03}}</ref>。


=== 3 ===
=== 2(2003年) ===
10月18日、[[京都競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝1400メートル)に、渡辺厩舎所属の[[角田晃一]]{{Efn|母タバサトウショウに騎乗し勝利、母母サマンサタバサにも騎乗し重賞利を挙げている。}}が騎乗してデビューする。単勝オッズ1.8倍の1番人気に推された<ref name="優駿-2010-7-155" />。スタートで出遅れて後方待機となり、第3コーナーで進出。追われることがないまま先頭に立ち、スパートして突き放した。後方に3馬身差をつけて入線、初勝利を挙げる<ref name="優駿-2010-7-155" />。角田は「ここではモノが違った。大きいところをねらえる馬だと思う<ref name="優駿-2010-7-155" />」と評している。続いて11月9日、[[阪神競馬場]]の[[ファンタジーステークス]]({{JRAGIII}})に臨む。[[ツルマルボーイ]]の全妹ツルマルシスターが2.7倍の1番人気に推され、スイープトウショウはそれに次ぐ3.5倍の2番人気だった<ref name="優駿-2003-12-49">『優駿』2003年12月号 49頁</ref><ref name="優駿-2004-1-139">『優駿』2004年1月号 139頁</ref>。最内枠からスタートしたが、新馬戦同様に出遅れて後方待機、折り合いを欠きながらの追走となった<ref name="優駿-2003-12-77">『優駿』2003年12月号 77頁</ref>。第3コーナーから大外に持ち出して進出し、直線でスパートを開始<ref name="優駿-2003-12-77" />。中団から馬場の最も内側を突いて抜け出していた3番人気ロイヤルセランガーを差し切った<ref name="優駿-2003-12-49" />。ロイヤルセランガーに1馬身4分の1差をつけて入線、重賞初勝利となった<ref name="優駿-2004-1-139" />。デビュー2戦目での優勝は、1998年[[プリモディーネ]]以来だった<ref>{{Cite web |title=ファンタジーSアラカルト {{!}} 競馬実況web {{!}} ラジオNIKKEI |url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-121225.html |website=keiba.radionikkei.jp |accessdate=2022-03-25}}</ref>。
[[2004年]]、牝馬限定オープン特別の[[紅梅ステークス]]を勝った後、調教師の[[渡辺栄]]の定年引退、[[鶴留明雄]]厩舎への所属変更<ref>{{cite news|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/sp/entry-122474.html|title=スイープトウショウなど鶴留厩舎へ転厩|publisher=ラジオNIKKEI|date=2004-01-23|accessdate=2015-09-03}}</ref>に伴い[[主戦騎手]]も[[角田晃一]]から[[池添謙一]]に替わり、[[桜花賞]][[トライアル競走|トライアル]]の[[チューリップ賞]]を差し切り勝ちした。しかし桜花賞は5着、[[優駿牝馬]]は2着となり、春のGIは勝利できなかった。秋になり[[ローズステークス]]3着を経て秋華賞に出走し、これを勝利、[[競馬の競走格付け|GI]]初制覇となった<ref>{{cite news|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/sp/entry-126705.html|title=【秋華賞】(京都)〜大外一気でスイープトウショウV|publisher=ラジオNIKKEI|date=2004-10-17|accessdate=2015-09-03}}</ref>。
しかし次走のエリザベス女王杯は一番人気に支持されながら[[アドマイヤグルーヴ]]の5着に敗れ、3歳シーズンを終えた。


12月7日、[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]({{JRAGI}})で{{JRAGI}}初出走、単勝オッズ2.1倍の1番人気となる<ref>{{Cite web |title=阪神ジュベナイルF|2003年12月7日 {{!}} 競馬データベース - netkeiba.com |url=https://db.netkeiba.com/race/200309050211/ |website=db.netkeiba.com |accessdate=2022-03-24}}</ref>。対抗馬には、前走で下した2着ロイヤルセランガー、5着フィーユドゥレーヴが推されており、ファンタジーステークス出走経験馬が上位人気を占めていた<ref name="優駿-2004-1-54">『優駿』2004年1月号 54頁</ref>。スタートは五分に出ることに成功したが、後方内側待機を選択する<ref>『優駿』2010年7月号 156頁</ref>。1000メートル地点を60.7秒で通過するスローペースを追走<ref name="優駿-2004-1-54" />。最終コーナーで外に持ち出して追い上げにかかったが、進路を塞がれてしまった<ref name="優駿-2010-7-156">『優駿』2010年7月号 156頁</ref>。スムーズに抜け出した6番人気[[ヤマニンシュクル]]、馬場の内側で逃げ粘る10番人気ヤマニンアルシオンなどを遅れて追いかけた<ref name="優駿-2010-7-156" />。前方有利なスローペースに加えて、短い直線、さらに前が塞がれるという不利が積み重なっては敵わず、5着に敗退する<ref name="優駿-2004-1-54" /><ref name="優駿-2010-7-156" />。この年のJRA賞では、全287票中6票を集めて[[JRA賞最優秀2歳牝馬|最優秀2歳牝馬]]の次点{{Efn|277票を集めた[[ヤマニンシュクル]]が受賞。該当馬なしが2票、[[ダンスインザムード]]が1票、[[マルターズヒート]]が1票。}}となった<ref>『優駿』2004年2月号 21頁</ref>。
=== 4歳時 ===
古馬となった2005年はオープン特別の都大路ステークスから始動した。実績上位とあって1番人気に支持され、56 kgという[[ハンディキャップ|ハンデ]]を背負いながら出走メンバー最速タイの[[上がり (競馬)|上がり]]3ハロンタイム、33秒1を叩き出すも5着に敗れた。この競走でマイル適性に疑問符がついてしまったのか、続いて出走した[[安田記念]]では10番人気の低評価だった。しかし[[アサクサデンエン]]の2着に善戦した。同月に開かれた[[宝塚記念]]では、前走がフロック視され11番人気と更に評価を落としていた。しかし前年の[[JRA賞#歴代年度代表馬|JRA賞年度代表馬]]・[[ゼンノロブロイ]]や[[ハーツクライ]]などを相手に勝利、[[1966年]]の[[エイトクラウン]]以来39年ぶり史上2頭目となる牝馬による宝塚記念制覇となった<ref>{{cite news|url=http://jra.jp/topics/column/meibamen/2007/tme07_0625.html|title=スイープトウショウ VS ハーツクライ 紅白末脚対決|publisher=JRA|date=2007-06-23|accessdate=2015-09-03}}</ref>。また、馬主のトウショウ産業も[[1977年]]の[[トウショウボーイ]]以来の宝塚記念制覇であった。


=== 3歳(2004年) ===
[[毎日王冠]]をステップに臨んだ天皇賞(秋)は[[ヘヴンリーロマンス]]の5着に敗れたが、牝馬限定のエリザベス女王杯では逃げる[[オースミハルカ]]を上がり3ハロン33秒2の末脚で並ぶ間もなく交わし、GI3勝目を挙げた<ref>{{cite news|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/eliza/result/eliza2005.html|title=第30回 エリザベス女王杯|publisher=JRA|date=2005-11-13|accessdate=2015-09-03}}</ref>。また、GI2勝2着1回の活躍が評価され、この年の[[JRA賞]]で最優秀4歳以上牝馬に選出された<ref>{{cite news|url=http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-134161.html|title=★☆ JRA賞決定 ☆★ 年度代表馬にディープインパクト|publisher=ラジオNIKKEI|date=2006-01-10|accessdate=2015-09-03}}</ref>。


=== 5歳時 ===
==== 桜花賞5着、優駿牝馬2着 ====
1月18日、京都の[[紅梅ステークス]](OP)で始動。阪神ジュベナイルフィリーズ2着のヤマニンアルシオンや新馬戦勝利から臨む[[ダイワエルシエーロ]]との対決となったが、単勝オッズ1.3倍に推される<ref>{{Cite web |title=紅梅ステークス|2004年1月18日 {{!}} 競馬データベース - netkeiba.com |url=https://db.netkeiba.com/race/200408010610/ |website=db.netkeiba.com |accessdate=2022-03-24}}</ref>。再び出遅れ最後方追走、直線で追い上げて逃げるヤマニンアルシオンを吸収した<ref name="netkeiba-紅梅S">{{Cite web |title=紅梅S、スイープトウショウが貫禄勝ち {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=5139 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-24 |language=ja}}</ref>。ダイワエルシエーロの抵抗を受けたが、半馬身差をつけて入線し3勝目<ref name="netkeiba-紅梅S" />。走破タイム1分21秒9は、1999年エイシンルーデンスに並ぶレースレコードタイだった<ref name="netkeiba-紅梅S" />。2月末、渡辺の定年、厩舎解散が間近に迫り、1月23日付で栗東の鶴留明雄厩舎に転厩する<ref>{{Cite web |title=スイープトウショウなど鶴留厩舎へ転厩 {{!}} 競馬実況web {{!}} ラジオNIKKEI |url=http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-122474.html |website=www.radionikkei.jp |accessdate=2022-03-24}}</ref>。渡辺と鶴留は、共に[[シンザン]]、[[ミスオンワード]]、[[コダマ (競走馬)|コダマ]]の管理調教師として知られる[[武田文吾]]の兄弟弟子だった<ref>{{Cite web |title=府中の鬼 ジャングルポケットが晴らしたフジキセキの無念(花岡貴子) - 個人 |url=https://news.yahoo.co.jp/byline/takakohanaoka/20210919-00259069 |website=Yahoo!ニュース |accessdate=2022-03-24 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=鶴留師最終週14頭 愛弟子池添で有終の美 |url=https://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120224-908144.html |website=nikkansports.com |accessdate=2022-03-24 |language=ja}}</ref>。
[[2006年]]4月、調教中に骨折を起こし春シーズンを休養に当てた。復帰戦は11カ月ぶりとなった[[京都大賞典]]で、逃げ馬不在で超スローペースとなったが、最後の直線では内の開いたところを抜け出し、メンバー最速タイとなる上がり3ハロン32秒8の末脚で勝利した。しかし牝馬ながら1番人気で迎えた続いての天皇賞(秋)では、前を行く[[ダイワメジャー]]などを捕らえられず2年連続の5着となった。


3月6日には、桜花賞のトライアル競走である[[チューリップ賞]]({{JRAGIII}})に臨む。これまで4戦は、渡辺厩舎所属の角田が騎乗していたが、転厩により降板。代わりに鶴留厩舎の主戦騎手、かつて厩舎に所属していた[[池添謙一]]が起用された<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/02/04/114960.shtml |title=スイープトウショウは池添で桜へ |accessdate=2022-3-26 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040206014804/https://www.daily.co.jp/horse/2004/02/04/114960.shtml |archivedate=2006-2-6}}</ref>。有力馬にクラシック直前で乗り替わることになり、池添はこの時の心境を「正直、僕もビックリした<ref name="優駿-2005-8-46">『優駿』2005年8月号 46頁</ref>」と回顧している。単勝オッズ1.8倍の1番人気の支持<ref name="優駿-2004-5-134">『優駿』2004年5月号 134頁</ref>。阪神ジュベナイルフィリーズ1着のヤマニンシュクル、6着のアズマサンダースとの再対決だったが、2頭を4倍台に押しのけていた<ref name="優駿-2004-5-134" />。ゲート入りに時間がかかり、スタートでも出遅れて後方を追走<ref name="優駿-2004-4-25">『優駿』2004年4月号 25頁</ref>。直線で大外から追い込んで全てを差し切った<ref name="優駿-2004-4-25" />。アズマサンダースに半馬身、ヤマニンシュクルに1馬身半差をつけて優勝<ref name="優駿-2004-5-134" />。重賞2勝目を挙げるとともに、優先出走権を獲得した<ref name="優駿-2004-5-134" />。
そして連覇を狙って挑戦した[[エリザベス女王杯]]では、最後はいつものように後ろから追い込んで来たものの前を行く[[カワカミプリンセス]]と[[フサイチパンドラ]]を捉えることができず3位に入線(カワカミプリンセスの降着により繰り上がりで2着となった)した。続いての[[有馬記念]]では、ゲート入りを嫌い、スタートで出遅れ10着と大敗した。


続いて4月11日、桜花賞({{JRAGI}})に臨む。[[フラワーカップ]]など3戦3勝、[[武豊]]騎乗の[[ダンスインザムード]]と初対決だった。ダンスインザムードが2.9倍、スイープトウショウはそれに次ぐ3.8倍。[[フィリーズレビュー]]など3戦3勝のムーヴオブサンデーが5.3倍で続いていた<ref>{{Cite web |title=桜花賞|2004年4月11日 {{!}} 競馬データベース - netkeiba.com |url=https://db.netkeiba.com/race/200409020611/ |website=db.netkeiba.com |accessdate=2022-03-24}}</ref>。再びゲート入りに時間がかかったが、スタートは五分に出ることができた<ref name="優駿-2010-7-157">『優駿』2010年7月号 157頁</ref>。スローペースの後方追走から、直線では馬群を縫って追い上げたが、早めに抜け出したダンスインザムードには敵わなかった<ref name="優駿-2010-7-157" /><ref>『優駿』2004年5月号 41頁</ref>。他4頭にも先着を許す5着に敗退する<ref>『優駿』2004年5月号 40頁</ref>。
=== 6歳時 ===
6歳となった[[2007年]]も現役を続行し、前年出走できなかった[[ヴィクトリアマイル]]の前哨戦として久々のマイル戦となる[[マイラーズカップ]]に出走した。ゲートもすんなり入り、直線では上がり3ハロン32秒7の末脚で追い込むも大逃げをうちレコードタイムで勝利した[[コンゴウリキシオー]]の2着に敗れたが、改めてマイル適性を示した。


それから5月23日の[[優駿牝馬]](オークス)({{JRAGI}})に出走。ダンスインザムードが1.4倍の1番人気に支持される一方、スイープトウショウは13.8倍の4番人気だった<ref>{{Cite web |title=優駿牝馬|2004年5月23日 {{!}} 競馬データベース - netkeiba.com |url=https://db.netkeiba.com/race/200405030211/ |website=db.netkeiba.com |accessdate=2022-03-24}}</ref>。スタートは五分に出て、今までより少し前の中団後方を追走した<ref name="優駿-2010-7-157" />。スローペースの中、ダイワエルシエーロが早めに抜け出して、好位の大本命ダンスインザムードに対抗。スイープトウショウはダンスインザムードの直後に位置した<ref name="優駿-2004-7-38">『優駿』2004年7月号 38頁</ref>。直線では、ダンスインザムードが伸びなかった<ref name="優駿-2004-7-38" />。スイープトウショウは末脚を見せて、ダンスインザムードを外からをかわすことができたが、粘るダイワエルシエーロには届かなかった<ref name="優駿-2004-7-38" />。4分の3馬身差の2着に敗退する<ref name="優駿-2004-7-38" />。この後は、トウショウ牧場で休養、牧場ではまず笹針治療が施された<ref name="優駿-2004-9-105">『優駿』2004年9月号 105頁</ref>。スイープトウショウは春のレースで消耗しており、その具合は、笹針を担当した獣医師が「普通の馬はここまでならない<ref name="優駿-2004-9-105" />」と指摘されるほどだった。
その後ヴィクトリアマイルへ出走、カワカミプリンセスに次ぐ単勝4.0倍の2番人気に支持されたが、末脚を生かすことが出来ず9着に敗れた。


==== 秋華賞優勝 ====
次走は宝塚記念を予定していたが厩舎で暴れ右脚を怪我し、出走を回避した。その後は厩舎に滞在して治療に専念し秋は連覇を目指す京都大賞典から始動をする予定であったが、調教を嫌がり本格的な調教が出来ずこのような状態では競馬に出せないとして出走を回避した。このままの状況が続けば引退の可能性もあると調教師の鶴留が言及していたが、続いての[[スワンステークス]]では大きなトラブルもなく無事に出走することができた。馬体重が前走と比べて18キロも増えていたことや久々の 1400 m戦であることなども影響したか4着どまりであったが、ここまでの出走経緯を考えればまずまずの結果となった。その後は4年連続出走となる[[第32回エリザベス女王杯]]に出走、前走に続いて後方待機ではなく先行策をとり直線に向くと内から伸びてきたものの、3着に敗れた<ref>{{cite news|url=http://jra.jp/topics/column/g_files2009/09_1115.html|title=完璧(パーフェクト)な彼女 ダイワスカーレット|publisher=JRA|date=2009-11-14|accessdate=2015-09-03}}</ref>。エリザベス女王杯後には現役を引退することが発表され[[11月23日]]に競走馬登録を抹消された<ref>{{cite news|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=24297|title=スイープトウショウが引退、繁殖入り|publisher=netkeiba.com|date=2007-11-22|accessdate=2015-09-03}}</ref>。
7月末から運動を再開し、秋は9月19日の[[ローズステークス]]({{JRAGII}})で始動<ref name="優駿-2004-9-105" />。オークス優勝馬ダイワエルシエーロの再戦となり、ダイワエルシエーロ2.5倍、スイープトウショウ2.7倍の支持だった<ref name="優駿-2004-11-142">『優駿』2004年11月号 142頁</ref>。再び出遅れて、後方を追走<ref name="優駿-2010-7-157" />。第3コーナー外から追い上げ、直線ではダイワエルシエーロこそかわして先頭に立った<ref name="優駿-2004-11-74">『優駿』2004年11月号 74頁</ref>。しかしその後、内外から[[レクレドール]]、グローリアスデイズにかわされた<ref name="優駿-2004-11-74" />。1994年[[ヒシアマゾン]]のレースレコードを上回るタイムで走破したものの3着<ref name="優駿-2004-11-142" />。[[秋華賞]]の優先出走権を獲得している<ref name="優駿-2004-11-142" />。
続いて10月17日の秋華賞({{JRAGI}})に臨む。単勝オッズ5.0倍の2番人気の支持。1番人気は、優駿牝馬4着からアメリカ遠征を行って現地{{G1}}で2着、帰国後初戦となるダンスインザムードが1.7倍。3番人気は9.3倍のレクレドールだった<ref name="優駿-2004-12-129">『優駿』2004年12月号 129頁</ref>。ゲート入りには時間がかかった。目隠しをされて誘導されて収まりスタートし出遅れている。平均ペースの後方を追走し、18頭中16番手で最終コーナーを通過。大外に持ち出して追い上げを開始した<ref name="優駿-2004-12-43">『優駿』2004年12月号 43頁</ref><ref name="優駿-2004-12-42">『優駿』2004年12月号 42頁</ref>。前方では、ダンスインザムードが好位の内側2番手から早めに抜け出していた<ref name="優駿-2004-12-42" />。直線では、内のダンスインザムードを、真ん中ヤマニンシュクル、大外スイープトウショウが追いかける展開となった<ref name="優駿-2004-12-43" />。しばらくしてダンスインザムードが失速し、代わりにヤマニンシュクルが一時先頭に。しかしその間に仕掛けられあスイープトウショウが末脚を発揮し、先頭となってすぐのヤマニンシュクルを差し切った<ref name="優駿-2004-12-43" />。ヤマニンシュクルに抵抗されたが先頭を守って入線、半馬身差をつけて{{JRAGI}}初勝利を挙げる<ref name="優駿-2004-12-129" /><ref name="優駿-2004-12-43" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=1dsLKvzDGw4&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2004年 秋華賞({{JpnI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}トウショウ産業株式会社は、シスタートウショウで制した1991年桜花賞以来13年ぶりとなる{{JRAGI}}優勝を果たした<ref name="優駿-2004-12-129" />。また鶴留は、桜花賞を1991年のシスタートウショウ、優駿牝馬を1994年の[[チョウカイキャロル]]、[[エリザベス女王杯]]を1985年の[[リワードウイング]]で勝利しており、秋華賞の勝利で以て[[伊藤雄二]]に次いで史上2人目となる、管理馬の「牝馬四冠」を達成している<ref name="優駿-2004-12-129" />。池添は、師匠鶴留の管理馬を初めて{{JRAGI}}タイトルに導き<ref name="優駿-2004-12-129" />、直後に涙を流していた<ref name="優駿-2004-12-43" />{{Efn|池添が競馬場で涙を流したのは、これが3回目だった。1回目は2002年桜花賞を[[アローキャリー]]で制し、{{JRAGI}}初勝利を挙げたとき。2回目は、2000年秋華賞で[[ヤマカツスズラン]]に騎乗し、[[ティコティコタック]]に敗れた2着だったとき。2回は、うれし泣きと悔し泣きだった。}}<ref>『優駿』2005年8月号 47頁</ref>。池添は「先生の馬で{{JRAGI}}を勝つことが僕の夢のひとつでした。それが叶って今は最高の気分<ref name="優駿-2004-12-129" />」だと述べている。加えて亡きエンドスウィープの産駒で初めてとなるJRA-{{JRAGI}}勝利だった<ref name="優駿-2004-12-129" />。
それから11月14日、エリザベス女王杯({{JRAGI}})に臨む。前年のエリザベス女王杯優勝馬[[アドマイヤグルーヴ]]、前年の[[中央競馬クラシック三冠#牝馬三冠|牝馬三冠]]馬[[スティルインラブ]]など古馬と初対決<ref name="優駿-2005-1-52">『優駿』2005年1月号 52頁</ref>。アドマイヤグルーヴと並んでオッズ3.3倍となったが僅差で1番人気となった<ref name="優駿-2005-1-52" />。再び出遅れて後方、不利なスローペースを追走<ref name="優駿-2005-1-53">『優駿』2005年1月号 53頁</ref>。第4コーナーでは、大外に持ち出した<ref name="優駿-2005-1-53" />。直線では追い上げたものの、内側からスムーズに抜け出したアドマイヤグルーヴには敵わなかった。アドマイヤグルーヴには2馬身以上離された5着に敗れている<ref name="優駿-2005-1-53" />。この年のJRA賞では、全285票中23票を集めて[[JRA賞最優秀3歳牝馬|最優秀3歳牝馬]]の次点{{Efn|248票を集めた[[ダンスインザムード]]が受賞。スイープトウショウを挟んで、[[ダイワエルシエーロ]]10票、該当馬なし4票と続いた。}}<ref name="優駿-2005-2-31">『優駿』2005年2月号 31頁</ref>となった<ref name="優駿-2005-2-31" />。

=== 4歳(2005年) ===

==== 安田記念2着 - 宝塚記念優勝 ====
エリザベス女王杯の後は、トウショウ牧場で放牧<ref name="優駿-2010-7-159">『優駿』2010年7月号 159頁</ref>。年をまたいで[[古馬]]となった。この年は、距離の適性から[[天皇賞(春)]]は見送り、[[安田記念]]や[[宝塚記念]]への出走を目指した<ref name="優駿-2010-7-159" />。6月まで適鞍がなかったことから、長期休養となった<ref name="優駿-2010-7-159" />。3月中旬に帰厩する<ref name="サンスポ-2回目ゲート試験合格">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200504/ke2005040606.html |title=スイープトウショウ、ゲート試験合格 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050408062206/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200504/ke2005040606.html |archivedate=2005-4-8}}</ref>。それからは5月8日の都大路ステークス(OP)で始動し、格下相手に1番人気に推された。ゲートに正しく入ったが出遅れて後方追走、スローペースから追い上げたが届かず5着だった<ref name="優駿-2010-7-159" />。

6月5日、目標の一つだった安田記念({{JRAGI}})に臨む。香港から遠征する3頭を含めた18頭立て、牝馬は2頭のみで、もう1頭は、同期のダンスインザムードだった。5.8倍の[[テレグノシス]]が1番人気、6.8倍[[ダイワメジャー]]、7.5倍ダンスインザムード、8.6倍香港の[[サイレントウィットネス]]、10.3倍香港の[[ブリッシュラック]]などと続いていた。そんな中、スイープトウショウは17.6倍の10番人気だった。人気は割れて、12番人気までが20倍を切る混戦状態だった<ref>『優駿』2005年8月号 89頁</ref>。スイープトウショウは、スタートで再び出遅れて後方を追走する<ref name="優駿-2010-7-159" />。最終コーナーでは、外に持ち出しながら通過した<ref name="優駿-2005-8-90">『優駿』2005年8月号 90頁</ref>。直線では大外から追い上げを開始。内から抜け出したサイレントウィットネスに並びかけたが、その二頭の間、真ん中から盛り返した7番人気[[アサクサデンエン]]に並ばれた<ref name="優駿-2005-8-90" />。三頭横一線となっての叩き合いを演じたが、アサクサデンエンが一歩抜け出して優勝する<ref name="優駿-2005-8-90" />。スイープトウショウとサイレントウィットネスは、2着争いを演じながら決勝戦を通過。スイープトウショウは、アサクサデンエンにはクビ差後れを取ったが、サイレントウィットネスにアタマ差先着する2着となる<ref name="優駿-2005-8-90" />。池添はこのレースの後「牡馬相手でも通用することもわかりました<ref name="優駿-2010-7-159" />」と述べている。

続いて中2週で6月26日の宝塚記念({{JRAGI}})に臨む。古馬中長距離の一線級と初対決となった。前年の宝塚記念優勝馬で、[[金鯱賞]]3連覇達成から参戦する[[タップダンスシチー]]が1.9倍の1番人気。前年の[[天皇賞(秋)]]、[[ジャパンカップ]]、[[有馬記念]]3連勝から半年ぶりに復帰する[[ゼンノロブロイ]]が3.0倍の2番人気。[[産経大阪杯]]2着や前年のダービー2着の4歳馬[[ハーツクライ]]が続く3番人気だったが、18.3倍だった。以降、[[リンカーン (競走馬)|リンカーン]]、[[道営競馬|道営]]の[[コスモバルク]]、トウショウナイトと続いていた。牝馬は、アドマイヤグルーヴ、スティルインラブの牝馬限定{{JRAGI}}優勝馬3騎で臨んだが、最高人気はアドマイヤグルーヴの8番人気31.2倍だった。そしてスイープトウショウは、38.5倍の11番人気の支持だった。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=HOZSLSWNIP8&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2005年 宝塚記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=nMnrtzI4am0&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2005年 宝塚記念({{JRAGI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}問題なくゲートに収まり、これまた問題なくスタートを切った<ref>『優駿』2005年8月号 154頁</ref>。これまでよりも前目、15頭中8番手という好位、中団を追走した<ref name="優駿-2010-7-159" /><ref name="優駿-2010-7-160">『優駿』2010年7月号 160頁</ref>。前半の1000メートルは、59.9秒で通過するスロー寄りのペースだったが、その後のペースが緩まず、先行勢がスタミナを消費しながら先導する展開となった<ref name="優駿-2005-8-94">『優駿』2005年8月号 94頁</ref>。第3コーナーから余力がなくなる馬も出始め、タップダンスシチーもその1頭だった。スイープトウショウは、第3コーナーから外に持ち出して進出を開始して進路を確保<ref name="優駿-2005-8-94" />。仕掛けられないまま、余力を残したままに最終コーナーを通過。ゼンノロブロイと横並び、失速するタップダンスシチーを射程圏内に入れながらの通過だった<ref name="優駿-2005-8-94" />。直線では、失速するタップダンスシチーをまずリンカーンが捉えていたが、スイープトウショウが仕掛けられて末脚を発揮すると、リンカーンを外から差し切り、ゼンノロブロイも封じて先頭となった<ref name="優駿-2005-8-94" />。大外から追い込むハーツクライが接近してくるも先頭は守って入線。ハーツクライにクビ差をつけて優勝する<ref name="優駿-2005-8-94" />。

{{JRAGI}}2勝目。'''1966年[[エイトクラウン]]以来39年ぶり史上2頭目となる牝馬による宝塚記念優勝'''<ref name="優駿-2005-8-95">『優駿』2005年8月号 95頁</ref>。また、日本調教牝馬として初めて{{Efn|[[グレード制]]導入されて以降。}}、牝馬限定戦以外の2100メートル以上の{{GI}}を優勝した{{Efn|簡単に言えば、1994年から1995年にかけてジャパンカップや有馬記念で2着となった[[ヒシアマゾン]]、1997年から1998年にかけて宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念で2着3着となっていた[[エアグルーヴ]]を超える成績を挙げた。}}<ref name="優駿-2010-7-160" />。さらに1999年[[グラスワンダー]]、2002年[[ダンツフレーム]]以来3例目{{Efn|[[グレード制]]が導入された1984年以降。}}となる安田記念2着からの宝塚記念優勝だった<ref name="優駿-2005-8-95" />。加えてトウショウ産業株式会社は、トウショウボーイで制した1977年以来28年ぶりとなる宝塚記念優勝だった<ref>『優駿』2005年9月号 52頁</ref>。宝塚記念後は、[[石川県]]の小松温泉牧場に放牧に出された<ref name="優駿-2005‐9-37">『優駿』2005年9月号 37頁</ref>。

==== エリザベス女王杯優勝 ====
秋の始動戦となった10月9日の毎日王冠({{GII}})では、5番手で直線に向いたが伸びず6着止まり<ref>『優駿』2005年12月号 88-89頁</ref>。続く10月30日、エンペラーズカップ100周年記念という副題が附されて[[天覧試合|天覧競馬]]となった[[天皇賞(秋)]]({{GI}})に出走<ref>『優駿』2005年12月号 81頁</ref>。ゼンノロブロイ、ハーツクライ、リンカーンに続く、参戦牝馬4頭のうち最上位となる4番人気に推された<ref name="優駿-2005-12-82">『優駿』2005年12月号 82頁</ref>。18頭中10番手で直線に向いたが伸びず5着止まり<ref name="優駿-2005-12-82" />。牝馬の14番人気[[ヘヴンリーロマンス]]が優勝し、13番人気ダンスインザムードが3着となっていた<ref name="優駿-2005-12-82" />。

11月13日、前年5着のエリザベス女王杯に臨む。1年ぶりとなる牝馬同士の戦いとなり、2.8倍の2番人気に推される<ref name="優駿-2006-1-84">『優駿』2006年1月号 84頁</ref>。1番人気は、優駿牝馬2着、秋華賞優勝の[[エアメサイア]]で2.5倍、武の騎乗だった<ref name="優駿-2006-1-84" />。3番人気は、夏の新潟1000万円以下から[[新潟記念]]({{GIII}})、[[府中牝馬ステークス]]({{GIII}})と3連勝中、[[江田照男]]騎乗の[[ヤマニンアラバスタ]]で7.4倍。以降、2連覇中のアドマイヤグルーヴ、[[オースミハルカ]]、レクレドール、イギリスのサミットヴィルと続いていた<ref name="優駿-2006-1-84" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=Oc4mk5ilEZA&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2005年 エリザベス女王杯({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=bagHtR-wRL0&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2005年 エリザベス女王杯({{GI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}再びスタートで出遅れ、中団の後方を追走する。前方ではオースミハルカがハナを奪い、後続を突き放す大逃げを展開した。オースミハルカは、ペースを落とすことに成功し、平均ペースで逃げていた<ref name="優駿-2006-1-84" />。オースミハルカ独走状態のまま、最終コーナーを通過。後方集団は追い上げにかかり、馬群の中にいたスイープトウショウも同様だった<ref name="日刊-エリザベス女王杯">{{Cite web |title=究極末脚33秒2!スイープトウショウV/G1復刻|極ウマ・プレミアム |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1735362&year=2016&month=11&day=08 |website=p.nikkansports.com |accessdate=2022-03-25 |language=ja}}</ref>。しかしオースミハルカは失速せず、後方集団も伸びあぐねた<ref name="優駿-2006-1-84" />。独走を許したまま直線の半分を消化していた。その後になってようやく後方集団から、馬場の真ん中アドマイヤグルーヴと外スイープトウショウの2頭が台頭する<ref name="優駿-2006-1-84" />。スイープトウショウは、仕掛けられて末脚を発揮し、まずアドマイヤグルーヴを突き放した<ref name="優駿-2006-1-84" />。1頭でオースミハルカに迫り、ゴール手前で差し切った。半馬身差をつけて先頭で入線する<ref name="日刊-エリザベス女王杯" />。{{GI}}3勝目、2着オースミハルカに半馬身、3着アドマイヤグルーヴには3馬身差をつける優勝だった<ref name="優駿-2006-1-84" />。鶴留は、1985年リワードウイング以来となるエリザベス女王杯優勝<ref name="優駿-2006-1-85">『優駿』2006年1月号 85頁</ref>。1996年に3歳以上となり、レースの毛色が替わってからは初勝利であり、改めて史上2人目となる管理馬の「牝馬四冠」となった<ref name="優駿-2006-1-85" />。

この年のJRA賞では、291票中255票を集めて[[JRA賞最優秀4歳以上牝馬|最優秀4歳以上牝馬]]を受賞{{Efn|次点は、[[ヘヴンリーロマンス]]の36票。全ての票はこの2頭に集中した。}}している<ref>『優駿』2006年2月号 10頁</ref>。

=== 5-6歳(2006-07年) ===
エリザベス女王杯以後は放牧に出され、年をまたいだ<ref name="優駿-2006-5-59">『優駿』2006年5月号 59頁</ref>。5歳となった2006年は、春に新設された東京マイルの牝馬限定{{GI}}級競走・[[ヴィクトリアマイル]]({{JpnI}})を目指した<ref>『優駿』2006年4月号 33頁</ref>。3月上旬に帰厩して調整が進んでいたが、4月4日の調教中に故障する<ref name="優駿-2006-5-59" /><ref>{{Cite web |title=スイープトウショウ調教中に骨折、全治3ヶ月の見込み {{!}} 競馬実況web {{!}} ラジオNIKKEI |url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-135389.html |website=keiba.radionikkei.jp |accessdate=2022-03-25}}</ref>。全治3か月となる左第2中手骨骨折となり、春は全休となった<ref name="優駿-2006-5-59" /><ref>{{Cite web |title=スイープトウショウ調教中に骨折 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=12893 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-25 |language=ja}}</ref>。その後はトレーニングセンターに厩舎に残ったまま治療が施された<ref name="優駿-2006-9-43">『優駿』2006年9月号 43頁</ref>。7月初旬から運動を再開する<ref name="優駿-2006-9-43" />。

10月8日の[[京都大賞典]]({{GII}})で復帰する<ref>{{Cite web |title=スイープトウショウ、京都大賞典で復帰 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/39901 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref><ref>{{Cite web |title=スイープトウショウが京都大賞典で復帰 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/39949 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref>。ダービー2着の4歳馬[[インティライミ]]が2.1倍の1番人気、スイープトウショウはそれに次ぐ5.1倍の2番人気だった。正しくスタートして中団に位置する<ref name="優駿-2006-12-84">『優駿』2006年12月号 84頁</ref>。逃げ馬がおらず、これまで好位差しの[[ローゼンクロイツ (競走馬)|ローゼンクロイツ]]が逃げることになり、前半の1000メートルを64.1秒で通過するスローペースとなった<ref name="優駿-2006-12-84" />。馬群の中の7番手で直線に向いたスイープトウショウは、末脚を発揮し、前を行く2頭の間から抜け出した。5番人気トウショウナイト、7番人気[[ファストタテヤマ]]が追い込んで来たが、それらに4分の3馬身差をつけて先頭で入線する<ref name="優駿-2006-12-84" />。重賞6勝目、1995年ヒシアマゾン以来となる牝馬の京都大賞典優勝<ref name="優駿-2006-12-85" />。また、中328日の長期休養明けで重賞勝利は、史上第5位の記録となった<ref>{{Cite web |title=京都大賞典アラカルト(8日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/39984 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref>。

その後は天皇賞(秋)を3.9倍の1番人気で臨み、中団後方から追い込み5着まで<ref>『優駿』2006年12月号 80-81頁</ref>。続くエリザベス女王杯では、3歳牝馬[[カワカミプリンセス]]に1番人気を譲る2番人気の支持<ref name="優駿-2007-1-8081">『優駿』2007年1月号 80-81頁</ref>。後方待機から大外に持ち出して追い上げたが、内を突いたカワカミプリンセス、中団差しのフサイチパンドラを捉えることができず3位で入線<ref name="優駿-2007-1-8081" />。1位入線のカワカミプリンセスがヤマニンシュクルの走行を妨害したため[[降着制度|降着]]処分となり繰り上がり、フサイチパンドラにクビ差の2着となった<ref>『優駿』2007年1月号 48頁</ref><ref name="優駿-2007-1-8081" />。その後有馬記念は、後方追走のまま力尽き10着敗退となる<ref>『優駿』2007年2月号 84-85頁</ref>。

6歳となった2007年も現役を続行し、[[マイラーズカップ]]({{GII}})で始動し2着<ref>{{Cite web |title=スイープトウショウ、マイラーズCから始動 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/41562 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref><ref>{{Cite web |title=マイラーズCアラカルト(14日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/41655 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref>。ヴィクトリアマイルは9着。続く宝塚記念は、厩舎で暴れて右後脚を打撲して回避した<ref>{{Cite web |title=スイープトウショウ、宝塚記念を回避(20日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/42154 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref>。夏を越して、秋は京都大賞典で復帰する予定だったが、調教を嫌がって仕上がらず回避<ref>{{Cite web |title=スイープトウショウ、京都大賞典回避(5日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/42912 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref>。[[スワンステークス]]({{GII}})で復帰し[[スーパーホーネット]]に敗れて4着<ref>{{Cite web |title=牝馬のG1ホースがスワンSに登録 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/43058 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref>。続くエリザベス女王杯は、3歳牝馬[[ダイワスカーレット]]に敗れて3着となる<ref>{{Cite web |title=エリザベス女王杯アラカルト(11日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/43218 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref>。エリザベス女王杯を最後に引退が決定、11月23日付でJRAの競走馬登録を抹消する<ref>{{Cite web |title=スイープトウショウ引退、繁殖馬に(22日) |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/43317 |website=競馬ブック |accessdate=2022-03-25}}</ref>。

== 繁殖牝馬時代 ==
引退翌年の2008年から、生まれ故郷のトウショウ牧場で繁殖牝馬となった<ref name="ふるさと-初仔" />。初年度は[[アグネスタキオン]]と交配、2009年2月25日に初仔の牝馬を出産した<ref name="ふるさと-初仔">{{Cite web |title=スイープトウショウに待望の初仔誕生 {{!}} 馬産地ニュース {{!}} 競走馬のふるさと案内所 |url=https://uma-furusato.com/news/50729.html |website=uma-furusato.com |accessdate=2022-03-25}}</ref>。2年目、2010年の不受胎を挟んで以降は、6年連続で生産した。その後は、1年空けて2018年からは3年連続で生産した。2020年12月5日、[[スワーヴリチャード]]受胎中に[[腸捻転]]を発症し、19歳で死亡する<ref name="デイリー-死亡">{{Cite web |title=鬼脚スイープトウショウ死す/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2020/12/06/0013918270.shtml |website=デイリースポーツ online |accessdate=2022-03-25 |language=ja}}</ref>。5頭の牡馬、5頭の牝馬を遺した<ref>{{Cite web |title=繁殖牝馬情報:牝系情報|スイープトウショウ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000726199/broodmare/info/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-25}}</ref>。

2015年10月末には故郷で繋養先のトウショウ牧場が閉鎖している<ref>{{Cite web |title=名門トウショウ牧場が閉鎖 10月いっぱいをめどに {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=101594 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-26 |language=ja}}</ref>。スイープトウショウは[[安平町]]の[[ノーザンファーム]]に売却され<ref>{{Cite web |title=トウショウ牧場、29頭をノーザンファームに売却|極ウマ・プレミアム |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1542529&year=2015&month=09&day=23 |website=p.nikkansports.com |accessdate=2022-03-25 |language=ja}}</ref>、翌2016年以降のスイープトウショウは、ノーザンファームで繋養されて生産を続けていた<ref name="デイリー-死亡" />。スイープトウショウが現役競走馬だった時期は、シラオキ系[[シーイズトウショウ]]、輸入繁殖牝馬から産まれたトウショウナイトなどが重賞を制するなど活躍<ref name="優駿-2015-11-67" />。生産者成績で3年連続十傑入りを果たしていたが、それ以降は、重賞を勝利することができず、賞金も右肩下がりだった<ref name="日刊-牧場閉鎖">{{Cite web |title=トウショウ牧場閉鎖 設立50年10月いっぱいめど|極ウマ・プレミアム |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1531994&year=2015&month=09&day=02 |website=p.nikkansports.com |accessdate=2022-03-26 |language=ja}}</ref>。資金が底ついて立ち行かなくなったわけではなく、ある程度の余裕を残しての撤退だったという<ref name="日刊-牧場閉鎖" />。


== 競走成績 ==
== 競走成績 ==
以下の内容は、netkeiba.com<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/2001104313/ |title= スイープトウショウの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2020-12-10}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000726199/record/ |title= スイープトウショウ 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2020-12-10}}</ref>に基づく。
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/2001104313/ |title= スイープトウショウの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2020-12-10}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000726199/record/ |title= スイープトウショウ 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2020-12-10}}</ref>に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
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! 競走日 !! nowrap| 競馬場 !! 競走名 !! 格 !! 距離<br />(馬場) !! 頭<br />数 !! 枠<br />番 !! 馬<br />番 !! オッズ<br />(人気) !! 着順 !! タイム<br />(上り3F) !! 着差 !! 騎手 !! 斤量<br />[kg] !! 1着馬(2着馬)!!馬体重<br />[kg] !! 備考
! 競走日 !! nowrap| 競馬場 !! 競走名 !! 格 !! 距離<br />(馬場) !! 頭<br />数 !! 枠<br />番 !! 馬<br />番 !! オッズ<br />(人気) !! 着順 !! タイム<br />(上り3F) !! 着差 !! 騎手 !! 斤量<br />[kg] !! 1着馬(2着馬)!!馬体重<br />[kg]
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| [[2003年|2003.]][[10月18日|10.18]]
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| 阪神
| [[宝塚記念]]
| [[宝塚記念]]
| {{GI}}
| {{JRAGI}}
| 芝2200m(良)
| 芝2200m(良)
| 15
| 15
306行目: 378行目:
| 東京
| 東京
| [[天皇賞(秋)]]
| [[天皇賞(秋)]]
| {{GI}}
| {{JRAGI}}
| 芝2000m(良)
| 芝2000m(良)
| 18
| 18
323行目: 395行目:
| 京都
| 京都
| エリザベス女王杯
| エリザベス女王杯
| {{GI}}
| {{JRAGI}}
| 芝2200m(良)
| 芝2200m(良)
| 18
| 18
387行目: 459行目:
| [[フサイチパンドラ]]
| [[フサイチパンドラ]]
| 464
| 464
| {{efn|3位入線繰り上がり2着(1位入線[[カワカミプリンセス]]が12位降着)}}
|-
|-
| {{0|0000.}}[[12月24日|12.24]]
| {{0|0000.}}[[12月24日|12.24]]
475行目: 546行目:
|}
|}


* [[2006年エリザベス女王杯|2006年のエリザベス女王杯]]は、3位入線。1位入線の[[カワカミプリンセス]]が12着降着したため繰り上がって2着。
== 繁殖牝馬時代 ==
[[2008年]]からは[[繁殖牝馬]]となり、[[トウショウ牧場]]で繋養。初年度は[[アグネスタキオン]]が種付けされた。その後、[[2009年]]はダイワメジャー、[[2010年]]は[[ディープスカイ]]、[[2011年]]の[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]など大物G1馬を中心に種付け。

[[2015年]]10月にトウショウ牧場が閉鎖されることに伴い、[[ノーザンファーム]]に売却されることになった<ref>[http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&year=2015&month=09&day=23&id=1542529 トウショウ牧場、29頭をノーザンファームに売却]日刊スポーツ、2015年9月30日閲覧</ref>。[[2020年]]には、国内では最も遅く生まれたディープインパクトのラストクロップが誕生している<ref>{{Cite web |url=https://biz-journal.jp/gj/2020/02/post_144144.html |title=JRAディープインパクト国内「最後の産駒」誕生!母親はあの「おてんば娘」 |publisher=Business Journal |date=2020.02.28 |accessdate=2020.05.31 }}</ref>。

2020年12月5日午後、[[腸捻転]]のため死亡した<ref>[https://www.daily.co.jp/horse/2020/12/06/0013918270.shtml 鬼脚スイープトウショウ死す]デイリースポーツ、2020年12月6日閲覧</ref>。同年は[[スワーヴリチャード]]の仔を受胎しており、翌年の出産に向けて亡くなる前日まで変わりなく過ごしていた矢先の出来事であった<ref>[https://www.jra.go.jp/news/202012/120607.html スイープトウショウが死亡] - 日本中央競馬会(JRAニュース)2020年12月6日</ref>。これにより、前述のディープインパクト産駒が両馬にとってのラストクロップとなっている。


=== 産駒一覧 ===
== 繁殖成績 ==
{| class=wikitable border="1" style="font-size: 90%"
{| class="wikitable" style="font-size: 90%"
!
!馬名
|+2021年12月時点
! style="white-space: nowrap;" |誕生年
!性
! style="white-space: nowrap;" |毛色
!父
!厩舎
!馬主
!戦績
!供用
!出典
|-
|-
|初仔
!生年||馬名||性||毛色||父||厩舎||馬主||戦績・用途||出典
|ジュエルトウショウ
| style="white-space: nowrap;" |2009年
|[[牝馬|牝]]
|[[鹿毛]]
| nowrap="" |[[アグネスタキオン]]
| nowrap="" |[[鶴留明雄]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]])<br>→[[今野貞一]](栗東)<br />→佐藤茂([[金沢競馬場|金沢]])
| nowrap="" |トウショウ産業
|14戦3勝
|繁殖牝馬
|<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001107819/|title=ジュエルトウショウ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|-
|-
|
|2009||ジュエルトウショウ||牝||鹿毛||[[アグネスタキオン]]||栗東・[[鶴留明雄]]<br/ >→栗東・[[今野貞一]]<br/>→[[金沢競馬場|金沢]]・佐藤茂||トウショウ産業(株)||14戦3勝(引退・繁殖)||<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001107819/|title=ジュエルトウショウ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|-
|2010
|(不受胎)
|(不受胎)
| style="white-space: nowrap;" |2010年
|
|
|
|
|[[ダイワメジャー]]
|[[ダイワメジャー]]
|
|
|
|
|
500行目: 586行目:
|
|
|-
|-
|2番仔
|2011||ビジュートウショウ||牝||栗毛||[[ディープスカイ]]||栗東・今野貞一
|ビジュートウショウ
|トウショウ産業(株)||11戦1勝(引退・繁殖)||<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001137939/|title=ビジュートウショウ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
| style="white-space: nowrap;" |2011年
|牝
|[[栗毛]]
|[[ディープスカイ]]
|今野貞一(栗東)
|トウショウ産業
|11戦1勝
|繁殖牝馬
|<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001137939/|title=ビジュートウショウ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|-
|-
|3番仔
|2012||レガッタ||牡||鹿毛||[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]||栗東・[[昆貢]]||[[寺田千代乃]]||3戦1勝(引退)||<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001152322/|title=レガッタ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|レガッタ
|2012年
| rowspan="4" |[[牡馬|牡]]
| rowspan="3" |鹿毛
|[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]
|[[昆貢]](栗東)
|[[寺田千代乃]]
|3戦1勝
|抹消
|<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001152322/|title=レガッタ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|-
|-
|4番仔
|2013||トウショウビクター||牡||鹿毛||[[ステイゴールド]]||栗東・今野貞一<br/ >→美浦・[[杉浦宏昭]]||藤田衛成||11戦1勝(引退)||<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001169167/|title=トウショウビクター|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|トウショウビクター
|2013年
|[[ステイゴールド]]
|今野貞一(栗東)<br>→[[杉浦宏昭]]([[美浦トレーニングセンター|美浦]])
|藤田衛成
|11戦1勝
|抹消
|<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001169167/|title=トウショウビクター|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|-
|-
|5番仔
|2014||スイーズドリームス||牡||鹿毛||ディープインパクト||栗東・[[須貝尚介]]||大塚亮一||24戦4勝(中央現役)||<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001185994/|title=スイーズドリームス|publisher=JBISサーチ|accessdate=2020-04-16}}</ref>
|スイーズドリームス
|2014年
|ディープインパクト
|[[須貝尚介]](栗東)
|大塚亮一
|24戦4勝
|現役競走馬
|<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001185994/|title=スイーズドリームス|publisher=JBISサーチ|accessdate=2020-04-16}}</ref>
|-
|-
|6番仔
|2015||スイープトウショウの2015||牡||栗毛||[[オルフェーヴル]]||||[[吉田和美]]||(未出走)||<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001202136/|title=スイープトウショウの2015|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|スイープトウショウの2015
|2015年
|栗毛
|[[オルフェーヴル]]
|
|[[吉田和美]]
|(未出走)
|
|<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001202136/|title=スイープトウショウの2015|publisher=JBISサーチ|accessdate=2015-09-03}}</ref>
|-
|-
|7番仔
|2016||スイープセレリタス||牝||鹿毛||[[ハーツクライ]]||美浦・[[藤沢和雄]]||(有)[[シルクレーシング]]||16戦4勝 (中央抹消) ||<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001215111/|title=スイープセレリタス|publisher=JBISサーチ|accessdate=2020-04-161}}</ref>
|スイープセレリタス
|2016年
| rowspan="3" |牝
| rowspan="4" |鹿毛
|[[ハーツクライ]]
|[[藤沢和雄]](美浦)
| rowspan="3" |[[シルクレーシング|シルクR]]
|16戦4勝
|抹消
|<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001215111/|title=スイープセレリタス|publisher=JBISサーチ|accessdate=2020-04-161}}</ref>
|-
|-
|8番仔
|2018||クリーンスイープ||牝||鹿毛||[[ドゥラメンテ]]||美浦・[[国枝栄]]||(有)シルクレーシング||6戦3勝 (中央現役)||<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001270463/|title=クリーンスイープ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2018-06-29}}</ref>
|クリーンスイープ
|2018年
|[[ドゥラメンテ]]
|[[国枝栄]](美浦)
|6戦3勝
|現役競走馬
|<ref>{{cite news|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001270463/|title=クリーンスイープ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2018-06-29}}</ref>
|-
|-
|9番仔
|2019||ピエドラデルーナ||牝||鹿毛||[[キタサンブラック]]||栗東・[[清水久詞]]||(有)シルクレーシング||デビュー前||<ref>{{cite news|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001304139/|title=ピエドラデルーナ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2019-12-06}}</ref>
|ピエドラデルーナ
|2019年
|[[キタサンブラック]]
|[[清水久詞]](栗東)
|デビュー前
|
|<ref>{{cite news|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001304139/|title=ピエドラデルーナ|publisher=JBISサーチ|accessdate=2019-12-06}}</ref>
|-
|-
|10番仔
|2020||スイープアワーズ||牡||鹿毛||ディープインパクト||-||池田豊治||デビュー前||<ref>{{cite news|url=https://db.netkeiba.com/horse/2020103428/|title=スイープアワーズ|work=netkeiba.com|publisher=ネットドリーマーズ|accessdate=2022-3-15}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001318235/|title=(馬名未定)|publisher=JBISサーチ|accessdate=2021-5-31}}</ref>
|スイープアワーズ
|2020年
|牡
|ディープインパクト
| -
|池田豊治
|デビュー前
|
|<ref>{{cite news|url=https://db.netkeiba.com/horse/2020103428/|title=スイープアワーズ|work=netkeiba.com|publisher=ネットドリーマーズ|accessdate=2022-3-15}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001318235/|title=(馬名未定)|publisher=JBISサーチ|accessdate=2021-5-31}}</ref>
|-
|-
|
|2021||(受胎中に母体が死亡)||||||[[スワーヴリチャード]]||||||||
|母体死亡
|
|
|
|[[スワーヴリチャード]]
|
|
|
|
|
|}

* 情報は、2022年3月26日時点。

== 気性難 ==
難しい性格は幼駒の頃だけでなく、競走馬となっても変わらず、引退までも変わらなかった。馬場に入ることや、ゲート入りを嫌がり続けていた。池添によれば「この馬が現役を続ける限りついて回る問題<ref>{{Cite web |url=http://keiba.radionikkei.jp/news/20070509K13.html |title=【ヴィクトリアマイル】栗東レポート~スイープトウショウ |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[ラジオNIKKEI]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070914195618/http://keiba.radionikkei.jp/news/20070509K13.html |archivedate=2007-9-14}}</ref>」だという。
=== ゲートに入らない ===
その気性からゲートの入りが悪かった。出走24戦中4戦で枠入り不良を犯している{{Efn|20戦は枠入り不良と判断されなかった<ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2003/4-kyo.pdf#page=34 |title=2003年第3回京都競馬 第3日 第3競走 サラブレッド系2歳 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2003/5-kyo.pdf#page=30 |title=2003年京都競馬 第5回第2日 第11競走ファンタジーステークス |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2003/5-han.pdf#page=32 |title=2003年阪神競馬 第5回第2日 第11競走 第55回農林水産省賞典阪神ジュベナイルフィリーズ |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2004/1-kyo.pdf#page=81 |title=2004年 京都競馬第1回 第6日 第10競走 紅梅ステークス |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2004/2-han.pdf#page=80 |title=2004年阪神競馬 第2回 第6日 第11競走 第64回桜花賞 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2004/3-tok.pdf#page=32 |title=2004年東京競馬 第3回 第2日 第11競走 優駿牝馬(第65回オークス) |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2004/4-han.pdf#page=42 |title=2004年阪神競馬 第4回 第3日 第11競走 第22回関西テレビ放送賞ローズステークス(秋華賞トライアル) |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2005/3kyo.pdf#page=82 |title=2005年京都競馬 第3回第6日 第11競走 都大路ステークス |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2005/3tokyo.pdf#page=82 |title=2005年東京競馬 第3回 第6日 第11競走 第55回農林水産省賞典 安田記念 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2005/3han.pdf#page=54 |title=2005年阪神競馬 第3回 第4日 第11競走 第46回宝塚記念 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2005/4tokyo.pdf#page=29 |title=2005年東京競馬 第4回 第2日 第11競走 第56回毎日王冠 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2005/4tokyo.pdf#page=106 |title=2005年東京競馬 第4回 第8日 第10競走 エンペラーズカップ100年記念 第132回天皇賞(秋) |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2005/5kyo.pdf#page=55 |title=2005年京都競馬 第5回 第4日 第11競走 第30回エリザベス女王杯 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2006/2006-5kyoto2.pdf#page=11 |title=2006年京都競馬 第5回 第2日 第11競走 第41回農林水産省賞典 京都大賞典 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2006/2006-4tokyo8.pdf#page=11 |title=2006年東京競馬 第4回 第8日 第11競走 悠仁親王殿下御誕生慶祝 第134回天皇賞(秋) |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2007/2007-2hanshin7.pdf#page=11 |title=2007年阪神競馬 第2回 第7日 第11競走 第38回読売マイラーズカップ |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2007/2007-2tokyo8.pdf#page=11 |title=2007年東京競馬 第2回 第8日 第11競走 第2回ヴィクトリアマイル |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2006/2006-6kyoto4.pdf#page=11 |title=2006年京都競馬 第6回 第4日 第11競走 第31回エリザベス女王杯 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2007/2007-4kyoto8.pdf#page=11 |title=2007年京都競馬 第4回 第8日 第11競走 第50回毎日放送賞スワンステークス |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2007/2007-5kyoto4.pdf#page=11 |title=2007年京都競馬 第5回 第4日 第11競走 第32回エリザベス女王杯 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>}}。初犯、3歳春のチューリップ賞は、発走時刻を'''3分'''遅延<ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2004/1-han.pdf#page=44 |title=2004年阪神競馬 第1回 第3回 第11競走 第11回チューリップ賞(桜花賞トライアル) |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>。2回目、3歳秋の秋華賞は、グローリアスデイズとともに不良で、発走時刻を'''3分'''遅延<ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2004/4-kyo.pdf#page=55 |title=2004年京都競馬 第4回 第4日 第11競走 第9回秋華賞 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>。3回目、秋華賞に続くエリザベス女王杯は、発走時刻を'''2分'''遅延<ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2004/5-kyo.pdf#page=56 |title=2004年京都競馬 第5回 第4日 第11競走 第29回エリザベス女王杯 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>。4回目、5歳末の有馬記念は、発走時刻を'''4分'''遅延させている<ref name="JRA-有馬記念成績表" />。

==== 初犯 - 3回目 ====
まず3歳春、チューリップ賞にて「枠入り不良」とされ、トレーニングセンターで行われる発走調教再審査いわゆる「ゲート試験」が義務付けられた<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/data/2004g/0306tulip.html |title=【チューリップ賞】スイープトウショウ、豪脚を繰り出し快勝 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archivedate=2005-2-7 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050207143940/https://www.sanspo.com/keiba/data/2004g/0306tulip.html}}</ref>。この頃はまだレースに向かうための本格的な調教をしていなかったため大人しく、すんなりこなして合格<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/03/29/121518.shtml |title=スイープ ゲート再試験に合格 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040401093226/https://www.daily.co.jp/horse/2004/03/29/121518.shtml |archivedate=2004-4-1}}</ref>。桜花賞に臨むことはできたが、ゲート試験が足かせになって既にストレスフル、完調とは言えない状態で臨み敗れていた<ref name="サンスポ-2005エリ女展望">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200411/ke2004110901.html |title=【エリザベス女王杯】スイープ、4戦4勝・京都は庭 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050208080407/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200411/ke2004110901.html |archivedate=2005-2-8 |author=黒田栄一郎}}</ref>。それから夏を越して秋、精神面での成長があったとされていた<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/09/14/143071.shtml |title=スイープトウショウ“変身” |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050317163052/https://www.daily.co.jp/horse/2004/09/14/143071.shtml |archivedate=2005-3-17 |author=橋本進}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/09/17/143325.shtml |title=スイープトウショウ たくましく |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040917074129/https://www.daily.co.jp/horse/2004/09/17/143325.shtml |archivedate=2004-9-17 |author=竹下かおり}}</ref>。しかし臨んだ'''秋華賞'''、勝利こそ挙げたものの再び枠入り不良、ゲート試験が義務付けられてしまう<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/data/2004g/1017shukasho.html |title=【秋華賞】スイープトウショウ、春2冠の無念晴らす |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050404192935/https://www.sanspo.com/keiba/data/2004g/1017shukasho.html |archivedate=2005-4-4}}</ref>。エリザベス女王杯を出走目指して、再びゲートに向き合い、試験1回目は淡々とこなしたが、2回目は拒否<ref name="デイリー-2回目ゲート試験">{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/11/11/150022.shtml |title=スイープ まず第1関門突破 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050502005014/https://www.daily.co.jp/horse/2004/11/11/150022.shtml |archivedate=2005-5-2}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200411/ke2004111103.html |title=【エ女王杯】その他の有力馬の動向 |accessdate=2022-3-29 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050213164354/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200411/ke2004111103.html |archivedate=2005-2-13}}</ref>。目隠しをされてようやく合格を勝ち取っていた<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-041111-0009.html |title=スイープ、ゲート再審査合格/エ女王杯 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050127061110/https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-041111-0009.html |archivedate=2005-1-27}}</ref><ref name="デイリー-2回目ゲート試験" />。ただやはりゲート試験で既にストレスフル<ref name="日刊-2005エリ女出遅れ">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-041115-0006.html |title=スイープ、ゲート嫌い出遅れ/エ女王杯 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050106112924/https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-041115-0006.html |archivedate=2005‐1-6}}</ref>、エリザベス女王杯は待機場所からゲートへの移動すら拒み、敵のはずの他の1頭に寄り添われながらゲートへ<ref name="サンスポ-2005エリ女5着">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200411/ke2004111502.html |title=【エリザベス女王杯】秋華賞とは別馬、スイープ5着 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050308084136/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200411/ke2004111502.html |archivedate=2005-3-8 |author=越智健一}}</ref>。目隠しされては、ファンファーレ前にゲートに入る待遇で「3回目の枠入り不良」、肝心のレースも出遅れ、凡走してしまった<ref name="サンスポ-2005エリ女5着" /><ref name="日刊-2005エリ女出遅れ" />。3回目の処分は重くなり、30日間の出走停止と、30日満了後に開催競馬場でのゲート試験が課されている<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/11/15/150514.shtml |title=スイープ5着 響いたゲート再審査 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050508175018/https://www.daily.co.jp/horse/2004/11/15/150514.shtml |archivedate=2005-5-8}}</ref>。

==== ゲート難解消? - 4回目 ====
出走停止期間は、その後の予定がなく放牧に出されたため、処分に実効性はなかった<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-041117-0001.html |title=スイープトウショウは放牧で再起図る |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050111033013/https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-041117-0001.html |archivedate=2005-1-11}}</ref>。放牧の間に4歳となり、4月2日の阪神競馬場最終競走後にゲート試験を受検<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20050406192722/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/04/03/05.html |title=スイープ発走再審査合格 安田へ |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050406192722/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/04/03/05.html |archivedate=2005-4-6}}</ref>。強い調教をして気が荒くなる前の状態でゲートに向き合い、すんなり合格していた<ref name="サンスポ-2回目ゲート試験合格" />。始動戦となった都大路ステークスは敗れたが、ゲートを正しくこなしていた<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2005/06/01/174815.shtml |title=スイープトウショウ 脅威の末脚 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051214192337/https://www.daily.co.jp/horse/2005/06/01/174815.shtml |archivedate=2005-12-14}}</ref>。続く安田記念は、鶴留が「今までで一番よかった<ref name="サンスポ-安田記念2着">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200506/ke2005060602.html |title=【安田記念】GI馬の意地見せた!スイープ惜しい2着 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050608012007/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200506/ke2005060602.html |archivedate=2005‐7-8 |author=和田稔夫}}</ref>」と称えるほどのゲートで牡馬相手に2着<ref name="サンスポ-安田記念2着" />。ゲートが安定した状態で迎えた'''宝塚記念'''は、正しくスタートし、いつもより前の中団につけて優勝を果たしている<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200506/ke2005062501.html |title=【宝塚記念】半年ぶりも不安なし!ゼンノロブロイ万全 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050627020325/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200506/ke2005062501.html |archivedate=2005-6-27}}</ref><ref name="スポニチ-宝塚記念優勝">{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/06/27/01.html |title=スイープ39年ぶりに牝馬で宝塚記念制覇 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050629021425/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/06/27/01.html |archivedate=2005-1-29}}</ref>。

夏休みを経て秋の毎日王冠は失敗したが<ref>{{Cite web |url=http://keiba.radionikkei.jp/news/20051009K41.html |title=【毎日王冠】(東京)~レース後のコメント |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[ラジオNIKKEI]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060213150319/http://keiba.radionikkei.jp:80/news/20051009K41.html |archivedate=2006-2-13}}</ref>、続く天皇賞(秋)と'''エリザベス女王杯'''はうまくこなして、エリザベス女王杯は優勝を果たしている<ref name="サンスポ-2005天皇賞5着">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200510/ke2005103103.html |title=【天皇賞・秋】わがままスイープ5着、女王杯で巻き返す! |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051101103249/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200510/ke2005103103.html |archivedate=2005-11-1}}</ref><ref name="日刊-2005エリ女優駿">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-051114-0007.html |title=スイープ届いた!33秒2強襲V/エ女王杯 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051125063347/https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-051114-0007.html |archivedate=2005-11-25 |author=鈴木良一}}</ref>。鶴留はエリザベス女王杯でゲートにすんなり収まった瞬間、思わず「ヨシッ」と漏らしている<ref name="スポニチ-2005年エリ女優勝">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/11/14/01.html |title=スイープ貫録!追い込みV~エ女王杯 |accessdate=2022‐3-22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051124023704/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/11/14/01.html |archivedate=2005‐11‐24}}</ref>。ゲートに収まっただけで喜ぶ姿をさらしてしまい、その様子を見た周りに嘲笑されたという<ref name="スポニチ-2005年エリ女優勝" />。その後5歳で骨折し、京都大賞典で復帰したがその年の暮れ、有馬記念では4回目の枠入り不良<ref name="JRA-有馬記念成績表">{{Cite web |url=https://jra.jp/datafile/seiseki/report/2006/2006-5nakayama8.pdf#page=9 |title=2006年中山競馬 5回8日目 第9競走有馬記念({{GI}}) |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>。4回目の発走調教再審査、ゲート試験が課されている<ref name="JRA-有馬記念成績表" />。再び4回目の試験を合格し、競走生活晩年の6歳を暮れまで走り切った<ref>{{Cite web |url=http://tosho.cocolog-nifty.com/news/2007/02/index.html |title=オープン馬の近況、出走予定 |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[トウショウ牧場]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070528062641/http://tosho.cocolog-nifty.com/news/2007/02/index.html |archivedate=2007-5-28}}</ref>。

=== 頑なに動かない ===

自身が納得しないと動かない性格だった。調教に向かうまで時間を要し、坂路を2回駆けるところ1本止まりになってしまうことが多々あった。何度か良化し、本番でも良績を残すことはできたが、その後が続かず「通例<ref name="日刊-京都大賞典直前" />」「風物詩<ref name="スポニチ-引退危機">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/10/05/01.html |title=わがまま女王スイープ引退危機!! |accessdate=2022-3-29 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080216154007/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/10/05/01.html |archivedate=2008-2-16}}</ref>」などともてはやされた。

4歳春の宝塚記念はそれが解消して勝利を挙げているが、夏を経た秋、天皇賞(秋)では逆戻り。遂には競馬場でそれを披露してしまった。馬場入場の際に動かなくなってしまい「調教注意」の制裁を受けている。池添は「調教で自分が納得しないと全然走ってくれない。厩舎の思い通りにメニューが消化できていたら、もっとすごい競走成績だったはずです<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20220321-OHT1T51201.html?page=1 |title=【高松宮記念】“癖馬名人”池添謙一騎手激白!メイケイエール「G1を勝たなきゃいけない馬」 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220321235110/https://hochi.news/articles/20220321-OHT1T51201.html?page=1 |archivedate=2022-3-21}}</ref>」と回顧している。

==== 一か八かの秋華賞直前調教とその代償 ====
クラシックに臨むにあたり、鶴留は「調教ではいつも苦労させられていますよ。坂路を上がる時もスタート地点に行くまで何度も立ち止まって、なかなか動こうとしないんです。時間がかかるし、1日に2本販路を上がるのは難しい。でも、走り出せばさすがにいい動きをする<ref>『優駿』2004年4月号 18頁</ref>」と述べていた<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/03/03/118366.shtml |title=スイープが桜へ末脚全開だ |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040324201450/https://www.daily.co.jp/horse/2004/03/03/118366.shtml |archivedate=2004-3-24 |author=岩下昌弘}}</ref>。実際、負荷をかけるとすぐに不機嫌になってしまうため、調教をいくらか加減させている<ref name="スポニチ-秋華賞直前追い">{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/osaka/hourse/200410/14/hourse171205.html |title=スイープトウショウ”ムチ一発” 秋華賞()水曜追い |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20041127151919/https://www.sponichi.co.jp/osaka/hourse/200410/14/hourse171205.html |archivedate=2004-11-27}}</ref>。例えば坂路2本を1本で終えていた<ref name="デイリー-秋華賞制覇">{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/05/24/129038.shtml |title=池添涙 スイープ悲願の一冠 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040526195635/https://www.daily.co.jp/horse/2004/05/24/129038.shtml |archivedate=2004-5-26}}</ref>。十分に調教されないままのクラシック参戦。大タイトル獲得に至らなかったものの、生まれ持った能力だけで上位に食い込んでいた<ref name="スポニチ-秋華賞直前追い" />。鶴留は「調教をあまり積めない馬がこれだけ走っている。順調にやれたらどれだけ強くなるのか<ref name="日刊-宝塚記念優勝">{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-050627-0007.html |title=スイープ39年ぶり牝馬V/宝塚記念 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050629013818/http://www.nikkansports.com:80/ns/horseracing/p-hr-tp0-050627-0007.html |archivedate=2005-7-29}}</ref>」と嘆いていた。

その後、夏を越えて秋、勝負の時期と考えた陣営は、'''秋華賞'''直前にして初めて、負荷をかける調教を敢行する<ref name="スポニチ-秋華賞直前追い" /><ref name="優駿-2004-12-129" />。そして臨んだ秋華賞は、ゲートこそうまくこなせなかったが、勝利を挙げ、最後の一冠獲得に成功していた<ref name="優駿-2004-12-129" />。ただその調教は、長く続かなかった。直後のエリザベス女王杯直前は、ゲート試験も重なって機嫌が悪くなり、坂路の前で'''30分'''<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200411/ke2004111201.html |title=【エリザベス女王杯】スイープ坂路立ち往生も走ればGI馬 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050501213500/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200411/ke2004111201.html |archivedate=2005-5-1}}</ref>もしくは'''40分'''立ち往生してしまっている<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2004/11/12/150150.shtml |title=スイープ視界良好 末脚健在 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050502005107/https://www.daily.co.jp/horse/2004/11/12/150150.shtml |archivedate=2005-5-2}}</ref>。

==== 春の好調 - 秋の好不調 ====
放牧を経て4歳春は、安田記念2着、'''宝塚記念'''優勝の好成績を残している。この頃は、坂路にスムーズに向かい、順調に調教を消化できていた<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2005/05/06/171577.shtml |title=スイープトウショウ ねじ伏せる |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050506085834/https://www.daily.co.jp/horse/2005/05/06/171577.shtml |archivedate=2005-5-6}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-050606-0004.html |title=2着スイープ秋華賞馬の意地/安田記念 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050608022550/https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-050606-0004.html |archivedate=2005-7-8}}</ref>。例えば恒例だった坂路前の立ち往生は、安田記念直前は'''1分'''<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/06/02/07.html |title=スイープ動きスムーズ~安田記念 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050604024639/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/06/02/07.html |archivedate=2005‐7-4}}</ref>。宝塚記念直前は'''2分'''で済んでいた<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200506/ke2005062304.html |title=【宝塚記念】リンカーン“想定内”の終い重点54秒4 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050625010452/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200506/ke2005062304.html |archivedate=2005-7-25}}</ref>。宝塚記念を終えて、秋を意気込む池添は「宝塚記念は普通にスタートが切れました。……秋もうまくスタートを切れるか分からないけど、今のスイープトウショウなら大丈夫<ref>『優駿』2005年8月号 154頁</ref>」と述べていた。そして秋、毎日王冠直前はスムーズに調教できていたが<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/10/04/03.html |title=現役最強牝馬スイープ成長~毎日王冠 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051230003307/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/10/04/03.html |archivedate=2005-12-30}}</ref>、続く天皇賞(秋)直前は、坂路で'''30分'''立ち往生<ref name="スポニチ-2006年天皇賞秋-馬場入り">{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/10/26/04.html |title=スイープ気掛かり…馬場入り拒否~天皇賞 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060110182500/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/10/26/04.html |archivedate=2006-1-10}}</ref>。1年ぶりに悪癖がぶり返してしまう<ref name="スポニチ-2006年天皇賞秋-馬場入り" />。そして迎えたレース本番、それを競馬場でも披露してしまう。

当日は、第125代天皇[[上皇明仁|明仁]]・[[上皇后美智子|皇后美智子]]が東京競馬場に来場し観戦していた<ref name="優駿-2012-9-77">『優駿』2012年9月号 77頁</ref>。天皇が天皇賞を観戦するという史上初めての出来事であり、1899年、明治以来106年ぶりとなる[[天覧試合#競馬|天覧競馬]]だった<ref name="優駿-2012-9-77" />。そんな中、スイープトウショウは一足先に馬場入場を行ったが、スタンド前の入場口の近くで立ち往生してしまう<ref name="サンスポ-2005天皇賞5着" />。池添が促しても歯向かうばかりで前進することができなかった。天皇、皇后の御前ということもあり、JRA職員に発走時刻を遅らせることはできないと注意されたが、どうしても動かなかった<ref>{{Cite web |title=2006年10月08日 京都大賞典 G2 {{!}} 重賞ウイナーレポート {{!}} 競走馬のふるさと案内所 |url=https://uma-furusato.com/winner_info/36551.html |website=uma-furusato.com |accessdate=2022-03-27}}</ref>。池添は、スイープトウショウを諦めて、馬から降りている<ref name="サンスポ-2005天皇賞5着" />。通常の馬なら騎手を乗せた状態で、スタンド前の芝コースにて厩務員の手から放たれ、発走地点、ゲートに向かって馬が走るが、スイープトウショウは、厩務員に引かれたまま歩いて向かい、反対に騎手池添が走る始末だった<ref name="スポニチ-2005年天皇賞(秋)5着">{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/10/31/04.html |title=スイープ5着 スローに泣く~天皇賞 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051102070753/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/10/31/04.html |archivedate=2005-11-2}}</ref>。その後発走地点に到着したスイープトウショウは、ゲートは問題なく入り、5着に敗退している<ref name="サンスポ-2005天皇賞5着" />。池添は敗因をスローペースと捉えており、直前のアクシデントはレースに影響していないという<ref name="サンスポ-2005天皇賞5着" /><ref name="スポニチ-2005年天皇賞(秋)5着" />。この件はJRAから「調教注意」の制裁を受けた。

中1週で臨んだ'''エリザベス女王杯'''直前は、坂路前の立ち往生は'''8分'''で済んでいた<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-051110-0003.html |title=スイープ8分止まっても伸びた/エ女王杯 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051124222222/http://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-051110-0003.html |archivedate=2005-11-24}}</ref>。スイープトウショウを甘やかさず、負荷のかかる調教を実施<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/11/13/02.html |title=スイープゆったり最終仕上げ~エ女王杯 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051124023334/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2005/11/13/02.html |archivedate=2005-11-24}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200511/ke2005111002.html |title=【エリザベス女王杯】スイープ好馬体、中1週に不安なし! |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051126125348/http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200511/ke2005111002.html |archivedate=2005-11-26}}</ref>。順調に進み、かつ当日も機嫌良く優勝している<ref name="日刊-2005エリ女優駿" />。エリザベス女王杯後は、骨折して約1年戦線を離れて5歳秋、復帰戦となる京都大賞典直前は、悪癖も全くなくスムーズに登坂し優勝<ref name="日刊-京都大賞典直前">{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20061006-99925.html |title=スイープがダダッ子返上/京都大賞典 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061130190730/http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20061006-99925.html |archivedate=2006-11-30}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2006/10/06/04.html |title=スイープ追い切りスムーズ~京都大賞典 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061203044057/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2006/10/06/04.html |archivedate=2006‐12‐3}}</ref>。続く天皇賞(秋)直前は、立ち往生'''3分'''のみだった<ref>{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2006/10/27/01.html |title=スムーズ好時計スイープ~天皇賞 |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061125224322/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2006/10/27/01.html |archivedate=2006-11-25}}</ref>。スムーズに坂路に向かい、予定通り調教できる様子に鶴留は「大人になったかな<ref name="日刊-京都大賞典直前" />」と捉えていた。

==== 蘇る悪癖、異例のEコース ====
しかし天皇賞(秋)直後のエリザベス女王杯、直前は坂路に向かう地下馬道で'''15分'''立ち往生してしまう<ref name="日刊-2006年エリ女直前">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20061110-114948.html |title=おてんば戻ったスイープ/エ女王杯 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061118073739/https://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20061110-114948.html |archivedate=2006-11-18}}</ref>。立ち往生している間に、調教場の閉鎖時間が迫ってしまっていた<ref name="日刊-2006年エリ女直前" />。そもそもその癖が出ないように、あるいは出ても他の馬に迷惑をかけないように、他がいない閉鎖間際の時間を狙って坂路に赴いていた。長く立ち往生してしまったことで、もう登坂する時間が無かった<ref name="報知-2006年エリ女直前" />。急遽山田の判断で、Eコース、ダートコースでの調教を敢行<ref name="日刊-2006年エリ女直前" />。閉鎖時間の10分前に調教場を離脱している<ref name="報知-2006年エリ女直前">{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20061110-OHT1T00001.htm |title=スイープ、坂路イヤイヤ…エリザベス女王杯追い切り |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツ報知]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061114135322/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20061110-OHT1T00001.htm |archivedate=2006-11-14}}</ref>。レース直前の調教・最終追い切りは、新馬戦以外すべて坂路で行っていた。報道陣や池添もこれまで通り、坂路やモニターの前でスイープトウショウを待っていた<ref name="日刊-2006年エリ女直前" /><ref name="報知-2006年エリ女直前" />。ところがダートコースに現れて現場は大混乱、池添でさえも様子を確認することができなかったという<ref name="日刊-2006年エリ女直前" /><ref>{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20061110-OHT1T00002.htm |title=コース変更まさか!?でも順調みたい…池添に聞く |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[スポーツ報知]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061114135334/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20061110-OHT1T00002.htm |archivedate=2006-11-14}}</ref>。

==== E→D→C→B→拒絶×2 ====
続いて有馬記念に臨む。その1週間前には、[[遠藤保仁]]や[[明神智和]]など[[ガンバ大阪]]の選手がスイープトウショウを訪れている<ref name="報知-ガンバ大阪">{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20061215-OHT1T00004.htm |title=スイープ池添ガンバれ!サッカー日本代表の遠藤ら訪問 |accessdate=2022‐3‐28 |publisher=[[スポーツ報知]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070126044042/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20061215-OHT1T00004.htm |archivedate=2007-1-26}}</ref>。この時はDコース、ウッドチップコースでスムーズに調教することができていた<ref name="報知-ガンバ大阪" />。そして直前の調教は、週末のレースを前に水曜日に行っている。通常は木曜日に行っていたが、万一に備えて1日早めていた<ref name="日刊-有馬記念水曜追い">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/race/horseracing/deepimpact/p-rc-tp0-20061221-133074.html |title=スイープ水曜追い成功/有馬記念 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090719153609/https://www.nikkansports.com/race/horseracing/deepimpact/p-rc-tp0-20061221-133074.html |archivedate=2009-7-19}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2006/12/21/0000197405.shtml |title=スイープ良好!“第1関門”突破 |accessdate=2022‐3‐22 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070124095632/http://www.daily.co.jp/horse/2006/12/21/0000197405.shtml |archivedate=2007-1-24}}</ref>。1週間前と同様にDコースに向かったが、地下馬道では'''5分'''の立ち往生で済んでいる<ref name="日刊-有馬記念水曜追い" />。この頃は、2歳牝馬スリジェ{{Efn|スリジェ(欧字名:{{lang|en|Cerisier}})は父[[フサイチコンコルド]]、2歳の未勝利。この後、3歳まで走り9戦未勝利に終わる。馬名の由来は、フランス語で「桜の木」を意味する。}}<ref>{{Cite web |title=スリジェ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000804853/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-03-28}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=762067246 |title=スリジェ(JPN) |accessdate=2022-3-28 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッド・インターナショナル |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220328072345/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=762067246 |archivedate=2022-3-28}}</ref>と調教を共にしていたことで、スムーズに調教をこなすことができていた<ref name="報知-ガンバ大阪" />。スイープトウショウにとってスリジェは「お気に入り<ref name="報知-ガンバ大阪" />」だったという。そして迎えた有馬記念、初の中山競馬場参戦は、枠入り不良、おまけに出遅れて敗退している。

有馬記念の後、放牧に出されて年をまたいでいる。続いて6歳のシーズンは、マイラーズカップでの始動を目指していた。しかしその頃は、坂路をこなすことができなくなっていた<ref name="サンスポ-マイラーズC">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200704/ke2007040604.html |title=【マイラーズC】表情曇るスイープ陣営…1週前追い |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070508212141/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200704/ke2007040604.html |archivedate=2007-5-8}}</ref>。1週間前はCコース、ウッドチップコースにて<ref name="サンスポ-マイラーズC" />。直前は、同じくCコースを目指したが、地下馬道で'''30分'''立ち往生している<ref>{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/04/13/06.html |title=スイープ暴れた走った/マイラーズC |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070717092743/http://www.sponichi.co.jp:80/gamble/news/2007/04/13/06.html |archivedate=2007-7-17}}</ref>。続くヴィクトリアマイル直前は、Cコースを目指したが、またも立ち往生<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200705/ke2007051001.html |title=【ヴィクトリアM】ひと叩きで変身!気まぐれ女王スイープ11秒9 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070612204324/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200705/ke2007051001.html |archivedate=2007-7-12}}</ref>。山田が促しても進もうとはしなかった。そこでCを諦めてBコース・ダートコースへ向かい、調教をこなしている<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20070510-196446.html |title=だだっ子スイープ52秒9/ヴィクトリアM |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070512070206/https://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20070510-196446.html |archivedate=2007-5-12}}</ref>。坂路断念して以降は、このように平地のコースで調教を行っていた。スイープトウショウは頭が良く、1度走ったコースを嫌がる傾向にあった<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20070413-183826.html |title=スイープ軽快に12秒4/マイラーズC |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070718032501/http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20070413-183826.html |archivedate=2007-7-18}}</ref>。翻って、初めて、久しぶりのコースならばスムーズに調教を開始することが可能だった。それ以降、嫌がるたびにコースを変えて「E→D→C→B」などと巡る<ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2007/05/10/0000329733.shtml |title=ワガママ娘スイープ走ると…速い! |accessdate=2022-3-28 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070612094155/http://www.daily.co.jp/horse/2007/05/10/0000329733.shtml |archivedate=2007-6-12}}</ref>。この頃は、鶴留に「どのコースで追うかが悩みの種<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20070607-209702.html |title=スイープトウショウが宝塚記念参戦 |accessdate=2022‐3‐28 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071028030028/http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20070607-209702.html |archivedate=2007-10-28}}</ref>」「来週の追い切りが無事にやれるか分からない<ref name="サンスポ-マイラーズC" />」などと言わしめていた。

それから宝塚記念直前では、とうとう人間を拒否してしまう。調教前に暴れて、調教に欠かせない鞍を着用できなかった<ref name="スポニチ-宝塚回避">{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/06/20/11.html |title=スイープ宝塚回避…装鞍時に暴れ負傷 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071006110315/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/06/20/11.html |archivedate=2007-10-6}}</ref>。暴れた挙句に転倒し、右後脚を打撲。調教以前の問題で宝塚記念を回避した<ref name="スポニチ-宝塚回避" />。夏休みを経て秋は、京都大賞典を目指した。しばらくBコースを使って順調に調整されていた<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20071005-265716.html |title=スイープ追い切り拒否、京都大賞典回避 |accessdate=2022-3-20 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080619005627/http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20071005-265716.html |archivedate=2008-7-19}}</ref>。迎えたレース当週、直前の調教は万一に備えて水曜日に敢行。Cコース入場には成功した。だがしかし、肝心の調教でまったく走らなかった<ref name="日刊-京都大賞典回避">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/race/f-rc-tp0-20071004-265478.html |title=スイープトウショウが京都大賞典を回避 |accessdate=2022-3-20 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080104035220/https://www.nikkansports.com/race/f-rc-tp0-20071004-265478.html |archivedate=2008-1-4}}</ref><ref name="スポニチ-引退危機" />。ただそんな時のための翌木曜日、鶴留はとっておいた最終手段、緊急用のEコースを使用させた<ref name="日刊-京都大賞典回避" /><ref name="スポニチ-引退危機" />。しかしそれでも駄目。負けじと超最終手段、開き直って坂路に行かせたが、もれなく駄目だった<ref>{{Cite web |url=http://npn.co.jp/article/no/31781050/ |title=京都大賞典 ??エリカ様?≠?凌ぐ(?)競馬界の??女王様?? |accessdate=2022-3-29 |publisher=[[内外タイムス]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071010221842/http://npn.co.jp/article/no/31781050/ |archivedate=2007-10-10}}</ref>。鶴留は、直前の調教、いわゆる最終追い切りなしにレースに臨むことはできないと考え、スイープトウショウに屈して京都大賞典の回避を決断している<ref name="日刊-京都大賞典回避" />。走る気がまるで見られないことから引退の危機とも報じられた<ref name="スポニチ-引退危機" />。

==== 坂路に向き合う ====
京都大賞典断念後、前年の12月16日から1年近く、どうにかして搔い潜って来た坂路と戦うことになる<ref name="サンスポ-スワンS参戦">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200710/ke2007101808.html |title=【次走報】スワンSに関西GI牝馬2頭が参戦の可能性 |accessdate=2022-3-29 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071019015146/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200710/ke2007101808.html |archivedate=2007-10-19}}</ref>。山田ではなく、久々に池添とともに坂路に向かい、'''30分'''近く坂路と向き合いようやく決心、登坂を開始する<ref name="サンスポ-スワンS参戦" />。頻繁に走る気を失っては、池添にムチで促されて何とか完走<ref name="スポニチ-坂路成功">{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/10/18/09.html |title=やっと、やっとスイープ追い切り成功 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080226004630/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/10/18/09.html |archivedate=2008-2-26}}</ref>。引き上げる際には池添が汗でまみれるくらいになっていた<ref name="サンスポ-スワンS参戦" />。坂路での運動ができ、レースが使える見込みが立ったため、スワンステークスに臨むことが決定した<ref name="スポニチ-坂路成功" />。直前も坂路と対峙<ref>{{Cite web |url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/10/25/06.html |title=スイープやる気見せた/スワン |accessdate=2022‐3-29 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080222191536/http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/10/25/06.html |archivedate=2008-2-22}}</ref>。池添が最初から目一杯追ってムチを入れて甘えを失わせ、最後バタバタになりながら完走している<ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200710/ke2007102507.html |title=【スワンS】スイープトウショウ坂路で単走51秒2 |accessdate=2022-3-29 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071026083255/http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200710/ke2007102507.html |archivedate=2007-10-27}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20071024-OHT1T00216.htm |title=スイープトウショウ調教“成功”…スワンS追い切り |accessdate=2022‐3-29 |publisher=[[スポーツ報知]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071026124618/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20071024-OHT1T00216.htm |archivedate=2007-10-26}}</ref>。

前哨戦を無事消化して本番のエリザベス女王杯に出走登録、ただ1週間後のマイルチャンピオンシップにも一応登録<ref>{{Cite web |title=エリザベス女王杯、ウオッカなど17頭が登録 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=23959 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-28 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=マイルCS、ダイワメジャーなど32頭が登録 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=24115 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-28 |language=ja}}</ref>。万一エリザベス女王杯直前の調教できず、出走を断念した際の保険を確保していた<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/11/07/05.html |title=スイープ強いんだけどね…/エ女王杯 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080224032711/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/11/07/05.html |archivedate=2008-2-24}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2007/11/07/0000731897.shtml |title=スイープトウショウ 女王奪い返す! |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071109103658/http://www.daily.co.jp/horse/2007/11/07/0000731897.shtml |archivedate=2007-11-9}}</ref>。そして迎えた直前の調教、池添とともに坂路と対峙する<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200711/ke2007110806.html |title=【エリザベス女王杯】スイープトウショウ追い切れた! |accessdate=2022-3-29 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071209170702/https://www.sanspo.com/keiba/top/ke200711/ke2007110806.html |archivedate=2007-12-9}}</ref>。いつも通り動かず、30分を過ぎても向かわなかった<ref name="スポニチ-坂路成功エリ女直前">{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/11/08/01.html |title=スイープ追えた!しかも好走/エ女王杯 |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[スポーツニッポン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080216154017/https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2007/11/08/01.html |archivedate=2008-2-16}}</ref>。鎌田、それに調教スタンドにいた鶴留がスイープトウショウの傍らに駆け寄り、二人で引っ張ってスイープトウショウに挑戦を促す<ref name="スポニチ-坂路成功エリ女直前" />。そして対峙して'''50分'''、馬場閉鎖時間まで15分というところで、鎌田、鶴留の作った勢いに乗ってようやく始動する<ref name="スポニチ-坂路成功エリ女直前" /><ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2007/11/07/0000732985.shtml |title=“女王様”健在!スイープ追い切れた |accessdate=2022-3-23 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071109215757/https://www.daily.co.jp/horse/2007/11/07/0000732985.shtml |archivedate=2007-11-9}}</ref>。動いたと同時に池添がムチを連打し完走した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20071108-280213.html |title=スイープ50分かけて51秒5/エ女王杯 |accessdate=2022-3-23 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080110163310/https://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20071108-280213.html |archivedate=2008-1-10}}</ref>。調教をこなしたことでエリザベス女王杯が叶い、エリザベス女王杯4年連続出走を果たし、これを以て競走馬を引退している。引退に際して、鶴留は「調教も出来ないし、かつての切れもないし、馬が可愛そうです。寂しい気持ちもありますが、ホッとしたところもあります<ref>{{Cite web |url=http://keiba.radionikkei.jp/news/20071111K21.html |title=【エリザベス女王杯】~レース後のコメント(+回避したウオッカ関係者のコメント) |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[ラジオNIKKEI]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071113094531/http://keiba.radionikkei.jp/news/20071111K21.html |archivedate=2007-11-13}}</ref>」と寄せている。

=== 対抗策、改善策 ===
スイープトウショウの気性難は、厩舎を、池添を手こずらせていた。厩舎の人間は、レース前日になると心配で眠れなかったという<ref name="ふるさと-エリ女">{{Cite web |title=2005年11月13日 エリザベス女王杯 G1 {{!}} 重賞ウイナーレポート {{!}} 競走馬のふるさと案内所 |url=https://uma-furusato.com/winner_info/36731.html |website=uma-furusato.com |accessdate=2022-03-29}}</ref>。鶴留は、普通にゲートに入り、スタートしただけで万歳をしていた<ref name="ふるさと-エリ女" />。厩舎は、様々な工夫を凝らしている。厩舎を挙げてとしては、スイープトウショウにレースの時期を悟られないように、レース直前にマスコミに取材規制を行っていた<ref name="優駿-2008-2-174" />。

スイープトウショウは、人を乗せて馬場に行っても動かず、予定通りの調教を消化できなかった<ref name="デイリー-秋華賞制覇" />。担当厩務員の鎌田修一は、不足する運動量を補うため、鎌田が曳いて歩かせて鍛えさせていた<ref name="デイリー-秋華賞制覇" />。平地コースのみならず、坂路でも共に登っていたという<ref name="優駿-2008-2-174" />。鎌田によれば、気性難は「きょうが良くても明日は<ref name="サンスポ-2005エリ女展望" />」分からないものであり、一番注意を払っていることは「機嫌を損ねないように<ref name="優駿-2005‐9-37" />」すること、厩舎では「スイープ<ref name="優駿-2005‐9-37" />」と呼んでいた。またスイープの嫌いなことは「知らない人間が近づく<ref name="優駿-2005‐9-37" />」こと、好きな食べ物は「バナナよりニンジン<ref name="優駿-2005‐9-37" />」だという。

担当調教助手[[山田和広]]は、騎手を引退して間もなかった。2004年2月末に引退した山田は、師匠の坪正直厩舎で調教助手に転身。2005年2月末に坪が定年になるのに合わせて、鶴留厩舎に移籍していた<ref>『優駿』2005年9月号 37頁</ref>。山田は移籍した2005年3月、4歳のスイープトウショウと出会っていた<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-050601-0002.html |title=スイープ切れ味なら負けない/安田記念 |accessdate=2022‐3-29 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050602232425/https://www.nikkansports.com/ns/horseracing/p-hr-tp0-050601-0002.html |archivedate=2005-7-2}}</ref>。初めは全く敵わなかったが、時間をかけて粘り強くぶつかって、何とか打ち解けていった<ref name="優駿-2007-1-152" />。山田が来る前は、池添がレースに出向く土曜日、日曜日は調教できなかったが、山田が担当となってからは、毎日調教することができるようになり、成長が加速していた<ref name="日刊-宝塚記念優勝" />。

山田は、スイープトウショウと戦うにあたり、騎手時代に、同様に馬場入りを嫌がったブリリアントロードの経験を応用したという<ref name="優駿-2007-1-152">『優駿』2007年1月号 152頁</ref>。ブリリアントロードは、所属していた[[坪正直]]厩舎の馬で、自身が主戦騎手を務め、調教も担当。コンビで1999年の[[新潟大賞典]]({{GIII}})、[[新潟記念]]({{GIII}})優勝に導いていた<ref name="優駿-2007-1-152" />。池添は、山田の働きに対して「一時間くらい止まっちゃってもじっくりと相手をしてくれた。……山田さんが辛抱して乗ってくれるお陰で、以前は出来なかった坂路の角馬場でダクを踏んだりということも出来るようになりました。順調に調教ができるようになったのが宝塚記念制覇に結びついたといっても、大袈裟ではない<ref name="優駿-2005-8-46" />」と回顧しておる。

現役期間のほとんどを管理した調教師鶴留明雄は、競馬場での、天覧競馬での膠着を、ダートコースを横切ったためであると推理している<ref name="デイリー-骨折明け">{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2006/10/03/0000127708.shtml |title=最強女王スイープ 復活のとき |accessdate=2022-3-22 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061118030429/http://www.daily.co.jp:80/horse/2006/10/03/0000127708.shtml |archivedate=2006-11-18}}</ref>。東京競馬場は、ダートコースの内側にある入場口からダートコースを横切り、芝コースに至るが、どうやらこれが難しかったと見極めている<ref name="デイリー-骨折明け" />。その後、骨折休養を経た約1年ぶりの復帰戦には、京都大賞典が選ばれたが、これは東京競馬場の毎日王冠を避けた意味合いもあった。京都は、馬場入場後すぐに芝に至る設計だった<ref name="デイリー-骨折明け" />。

== 評価 ==

=== 定量的評価 ===

==== ファン投票による評価 ====
{| class="wikitable"
!年
!競走名
!順位
!票数
!成績
!出典
|-
| rowspan="2" |3歳
|宝塚記念
|33位
|{{0|000}}6696票
|回避
|
|-
|有馬記念
|16位
|{{0}}2万7619票
|回避
|<ref>{{Cite web |title=ロブロイ、有馬ファン投票で大差1位 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=7810 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-26 |language=ja}}</ref>
|-
| rowspan="2" |4歳
|宝塚記念
|21位
|{{0}}1万3709票
|'''{{Color|darkred|{{0}}1着}}'''
|<ref name="スポニチ-宝塚記念優勝" />
|-
|有馬記念
|{{0}}4位
|{{0}}7万8859票
|回避
|<ref>『優駿』2006年1月号 12頁</ref>
|-
| rowspan="2" |5歳
|宝塚記念
|
|
|回避
|
|-
|有馬記念
|{{0}}6位
|{{0}}6万4727票
|10着
|<ref>{{Cite web |url=https://jra.jp/news/200612/120703.html |title=第51回有馬記念競走ファン投票の集計について(最終発表) |accessdate=2022-3-27 |publisher=[[日本中央競馬会]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070124074456/https://jra.jp/news/200612/120703.html |archivedate=2007-1-24}}</ref>
|-
|6歳
|宝塚記念
|{{0}}4位
|{{0}}5万8131票
|回避
|<ref>{{Cite web |title=宝塚記念ファン投票最終結果、メイショウサムソンが1位 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=20921 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-03-26 |language=ja}}</ref>
|}

==== レーティングによる評価 ====
{| class="wikitable"
| colspan="13" |[[JPNクラシフィケーション]](2003年)
[[JPNサラブレッドランキング]](2004-07年)
|-
| rowspan="2" |年度
| colspan="2" |部門
| rowspan="2" |順位
| rowspan="2" |レート
ポンド (lb)
| rowspan="2" |キログラム
換算 (kg)
| colspan="5" |コラム別
| rowspan="2" |出典
| rowspan="2" |備考
|-
|齢
|場
|S
|M
|I
|L
|E
|-
|2003
|2歳
|
|9位
|105
|47.5
|
|
|
|
|
|<ref>{{Cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/jpn/2003/2.pdf |title=JPNクラシフィケーション発表2003年(2歳) |accessdate=2022-3-23 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>『優駿』2004年2月号 28頁</ref>
|
|-
|2004
|3歳
|芝
|9位
|110
|50.0
|
|
|110
|
|
|<ref>{{Cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/jpn/2004/3-turf.pdf |title=JPNサラブレッドランキング(2004年3歳芝) |accessdate=2022-3-23 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref><ref>『優駿』2005年2月号 101-102頁</ref>
|{{Efn|「112」のダンスインザムードに次ぐ牝馬2位。1つ下の「110」には、ダイワエルシエーロとヤマニンシュクルが続いた。}}
|-
|2005
| rowspan="3" |4歳上
|芝
|9位
|117
|53.0
|
|
|
|117
|
|<ref>{{Cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/jpn/2005/4-turf.pdf |title=JPNサラブレッド・ランキング2005年(4歳以上芝) |accessdate=2022-3-23 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>
|{{Efn|日本調教馬1位は「122」の[[ハーツクライ]]。牝馬のセックスアローワンス4キログラムを加味すると、「121」のスイープトウショウは2位。「120」の[[ゼンノロブロイ]]を上回る<ref>『優駿』2006年2月号 34頁</ref>。}}
|-
|2006
|芝
|20位
|112
|50.5
|
|
|112
|112
|
|<ref>{{Cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/jpn/2006/4-turf.pdf |title=JPNサラブレッドランキング(2006年4歳以上芝) |accessdate=2022-3-23 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>
|
|-
|2007
|芝
|34位
|110
|50.0
|
|
|
|110
|
|<ref>{{Cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/jpn/2007/4-turf.pdf |title=JPNサラブレッドランキング(2007年4歳以上芝) |accessdate=2022‐3-22 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>
|
|}
|}


564行目: 949行目:
|ref4 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000726199/pedigree/ JBISサーチ スイープトウショウ 5代血統表]2016年7月19日閲覧。
|ref4 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000726199/pedigree/ JBISサーチ スイープトウショウ 5代血統表]2016年7月19日閲覧。
}}
}}
* 祖母サマンサトウショウは[[1989年]]の[[エプソムカップ]] (GIII) ち。本馬のデビュー当時の主戦騎手・角田晃一にとって重賞初制覇となった
* 祖母サマンサトウショウは[[1989年]]の[[エプソムカップ]] (GIII)優勝。
* 近親にトウショウバルカン(祖母の半弟、[[新潟大賞典]]GIII勝ち)。
* 近親にトウショウバルカン(祖母の半弟、[[新潟大賞典]]GIII勝ち)。
* 半弟のトウショウフリーク(2007年生、父・[[キングカメハメハ]])はオープン特別競走を2勝(2012年の関越ステークスと2013年の[[新潟放送|BSN]]賞)挙げ、重賞では2011年の[[みやこステークス]]、2013年の[[名古屋グランプリ]]で2着、2014年の[[川崎記念]]で3着の実績を挙げている。
* 半弟のトウショウフリーク(2007年生、父・[[キングカメハメハ]])はオープン特別競走を2勝(2012年の関越ステークスと2013年の[[新潟放送|BSN]]賞)挙げ、重賞では2011年の[[みやこステークス]]、2013年の[[名古屋グランプリ]]で2着、2014年の[[川崎記念]]で3着の実績を挙げている。
* 半弟の[[ピンクカメハメハ]](2018年生、父・[[リオンディーズ]])は[[2021年]][[サウジダービー]]を勝利している。
* 半弟の[[ピンクカメハメハ]](2018年生、父・[[リオンディーズ]])は[[2021年]]サウジダービーを勝利している。
* 血統をさかのぼると7代目に初代[[三冠馬]][[セントライト]]がいる。
* 血統をさかのぼると7代目に初代[[三冠馬]][[セントライト]]がいる。


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=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==

* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1990年8月号
*** A・Y「【今月の記録室】第7回エプソムカップ({{JRAGIII}}) サマンサトウショウ」
**1991年8月号
***吉沢譲治「【'91春の{{JRAGI}}競走勝ち馬たちの故郷】藤正牧場 故郷に初めて生きた トウショウボーイの血」
** 2003年12月号
*** 「【2歳馬情報】ファンタジーステークス({{GIII}})スイープトウショウ」
*** 「【Play-back the Grade-races 2003】第8回ファンタジーステークス({{JRAGIII}})スイープトウショウ」
** 2004年1月号
*** 「【重賞データファイル】第8回KBS京都賞フェブラリーステークス({{JRAGIII}}) スイープトウショウ」
*** 優駿編集部「【Play-back the Grade-races 2003】」第55回阪神ジュベナイルフィリーズ({{JRAGI}}) ヤマニンシュクル」
**2004年2月号
***「【2003年度 JRA賞決定!】年度代表馬は2年連続でシンボリクリスエス」
***「【2003年JPNクラシフィケーション発表!】シンボリクリスエスが2年連続で日本調教馬の最高評価」
**2004年4月号
***サラブレッド血統センター・岡本光男「【クラシック2004 有力馬の実像に迫る】牝馬編 スイープトウショウ」
***「【クラシック2004 トライアルレース・リポート】第11回チューリップ賞({{JRAGIII}}) スイープトウショウ」
**2004年5月号
***「【重賞データファイル】第11回チューリップ賞({{JRAGIII}})(桜花賞トライアル)スイープトウショウ」
** 2004年7月号
*** 優駿編集部「【Play-back the Grade-races 2004】第65回オークス({{JRAGI}}) ダイワエルシエーロ」
** 2004年9月号
*** 篠原美穂子「【秋競馬開幕! 路線別オープン馬近況報告】古馬・3歳牝馬 スイープトウショウ」
** 2004年11月号
*** 「【Play-back the Grade-races 2004】第22回ローズステークス({{JRAGII}}) レクレドール」
*** 「【重賞データファイル】第22回関西テレビ放送賞ローズステークス({{JRAGII}}) レクレドール」
** 2004年12月号
*** 優駿編集部「【Play-back the Grade-races 2004】第9回秋華賞({{JRAGI}}) スイープトウショウ」
*** 「【重賞データファイル】第9回秋華賞({{JRAGI}}) スイープトウショウ」
** 2005年1月号
*** 優駿編集部「【Play-back the Grade-races 2004】第29回エリザベス女王杯({{JRAGI}}) アドマイヤグルーヴ」
** 2005年2月号
*** 「【2004年度 JRA賞決定!】年度代表馬にゼンノロブロイ」
*** 「【2004年JPNサラブレッド・ランキング発表!】ゼンノロブロイが日本調教馬の頂点に!!」
** 2005年3月号
*** 阿部珠樹「【優駿たちの故郷を訪ねて】トウショウ牧場 13年の沈黙を破る "未来"への回り道」
** 2005年8月号
*** 平松さとし「【優駿ロングインタビュー】飽くなき探求心を糧に 池添謙一」
*** 「【重賞プレイバック】第46回宝塚記念({{JRAGI}}) スイープトウショウ」
*** 池添謙一「【J&Tトーク】この秋、楽しみにしている馬は?」
** 2005年9月号
*** 岡本光男(日刊スポーツ)「【{{JRAGI}}ホース、それぞれの青写真】牝馬のグランプリホース スイープトウショウ」
*** 優駿編集部「【杉本清の競馬談義 244】ゲスト藤田衛成さん」
** 2005年12月号
*** 「【重賞プレイバック】エンペラーズカップ100年記念 第132回天皇賞(秋)({{JRAGI}}) ヘヴンリーロマンス」
*** 「【重賞プレイバック】第56回毎日王冠({{JRAGII}}) サンライズペガサス」
** 2006年1月号
*** 「【重賞プレイバック】第30回エリザベス女王杯({{JRAGI}}) スイープトウショウ」
*** 吉沢譲治「【吉沢譲治の血統解説】80年もの時を刻んで」
**2006年2月号
***「【2005年度JRA賞決定!】年度代表馬にディープインパクト」
***「2005年度JPNサラブレッド・ランキング発表!」
**2006年4月号
***平松さとし「【第1回ヴィクトリアマイル目前に迫る!】気になる出走予定馬は?」
**2006年5月号
***「【ニュース&トピックス】スイープトウショウが調教中に骨折――全治3か月の診断で春は絶望」
**2006年9月号
***及川博嗣([[週刊ギャロップ]])「【秋競馬開幕目前! 気になる有力馬の動向チェック】スイープトウショウ 骨折から立ち直り 状態を見ながら復帰が待たれる」
**2006年12月号
***「【重賞プレイバック】悠仁親王殿下御誕生慶祝 第134回天皇賞(秋) ダイワメジャー」
***「【重賞プレイバック】第41回京都大賞典({{GII}}) スイープトウショウ」
** 2007年1月号
*** 優駿編集部「【第31回エリザベス女王杯】カワカミプリンセスは12着に降着 フサイチパンドラが繰り上がりで{{JRAGI}}初戴冠」
*** 「【重賞プレイバック】第31回エリザベス女王杯({{JRAGI}}) フサイチパンドラ」
*** 平松さとし「【鞭は置かない!】第10回 山田和広の巻」
** 2007年2月号
*** 「【2006年度JRA賞決定!】年度代表馬に2年連続でディープインパクト」
*** 「2006年 JPNサラブレッド・ランキング発表!」
*** 「【重賞プレイバック】第51回有馬記念({{JRAGI}}) ディープインパクト」
** 2008年2月号
*** 山田康文「【故郷に帰った名馬たちの"その後"を追う】スイープトウショウ 今も変わらない頑固な性格」
** 2010年7月号
*** 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒロイン列伝】新世紀における"強い牝馬"の先駆け スイープトウショウ」
**2012年9月号
***河村清明「【優駿激闘譜】ヘヴンリーロマンス 歴史的名シーンの主演女優」
**2015年11月号
***江面弘也「【特別読物】トウショウ牧場が紡いだ血はいつの日か」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=2001104313|yahoo=2001104313|jbis=0000726199|racingpost=588738}}
{{競走馬成績|netkeiba=2001104313|yahoo=2001104313|jbis=0000726199|racingpost=588738}}
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* {{Wayback|url=http://homepage1.nifty.com/TOSHO/ |title=トウショウ牧場ホームページ |date=20000603050000}}
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2022年3月29日 (火) 10:09時点における版

スイープトウショウ
2005年10月9日、東京競馬場にて
欧字表記 Sweep Tosho[1]
品種 サラブレッド[1][2]
性別 [1][2]
毛色 鹿毛[1][2]
生誕 (2001-05-09) 2001年5月9日[1][2]
死没 (2020-12-05) 2020年12月5日(19歳没)[3]
抹消日 2007年11月23日[4]
エンドスウィープ[1][2]
タバサトウショウ[1][2]
母の父 ダンシングブレーヴ[1][2]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[1][2]
生産者 トウショウ産業株式会社トウショウ牧場[1][2]
生産牧場 トウショウ産業株式会社トウショウ牧場[5]
育成 トウショウ産業株式会社トウショウ牧場[6]
馬主 トウショウ産業株式会社[1][2]
調教師 渡辺栄栗東[2]
鶴留明雄(栗東)[1][2]
調教助手 ?
山田和広(鶴留)[7]
厩務員 ?
→鎌田修一(鶴留)[7]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀4歳以上牝馬(2005年)[1][2]
生涯成績 24戦8勝[1][2]
獲得賞金 7億4482万4000円[2]
WTRR 117L(2005年)[8]
勝ち鞍
GI 秋華賞 2004年
GI 宝塚記念 2005年
GI エリザベス女王杯 2005年
GII 京都大賞典 2006年
GIII ファンタジーステークス 2003年
GIII チューリップ賞 2004年
テンプレートを表示

スイープトウショウ(欧字名:Sweep Tosho2001年5月9日 - 2020年12月5日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

2005年に、エイトクラウン以来39年ぶり史上2頭目となる牝馬宝塚記念優勝を成し遂げた。同年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬である。

2004年の秋華賞、2005年のエリザベス女王杯も制して、GI通算3勝を挙げた。その他の勝ち鞍に、2003年のファンタジーステークスGIII)、2004年のチューリップ賞GIII)、2006年の京都大賞典GII)がある。

デビュー前

誕生までの経緯

トウショウ牧場の低迷

トウショウ産業株式会社トウショウ牧場[注釈 1]は、フジタ工業の副社長や参議院議員を歴任した藤田正明が1965年に開いた、北海道日高地方静内町の競走馬生産牧場である[9][注釈 2]。藤田は1962年から馬主活動を行っていたが、トウショウ産業株式会社の名義でも馬主登録を行い、牧場生産馬を自ら所有して競馬場で走らせるオーナーブリーダーとなった[9]。トウショウ産業や藤田は「トウショウ」の冠名を用いていた。

1965年には、アメリカの繁殖牝馬ソシアルバターフライを牧場に導入する[9]。ソシアルバターフライは、1976年の皐月賞有馬記念を優勝した「TTG」の一角・トウショウボーイを始め、トウショウピット、ソシアルトウショウなど、活躍馬を多く輩出。加えて孫以降の世代にも活躍馬が続出し、ソシアルバターフライ系と呼ばれる大牝系を構築した[9]。牧場は、名声を高めるきっかけとなったトウショウボーイの種牡馬生活を後押しするために、交配相手の繁殖牝馬を外国から輸入[10]。調達した繁殖牝馬や、ソシアルバターフライ系以外の系統の繁殖牝馬に積極的にトウショウボーイをあてがっていた[10][11]。それと同時に牧場は、ソシアルバターフライ系の更なる発展を狙って、その牝系の繁殖牝馬を重用するようになる[10][12]。牧場繁殖牝馬の半数をソシアルバターフライ系にしては、好成績が期待できる大物種牡馬を優先的に割り当てていた[10]。当時の牧場には他に、シラオキ系、チャイナトウショウ系、ビバドンナ系などの牝系が揃っていた[12]。しかしそれらの多くは、トウショウボーイ産駒の後押し、ソシアルバターフライ系の発展のために切り捨てられ、他の牧場に放出されていた[11]

トウショウボーイとソシアルバターフライ系に重きを置く牧場だったが、そのどちらも奮わなかった[13]。ソシアルバターフライ系は次第に時代遅れの牝系となり、牧場はトウショウボーイの次になかなか出会えずに低迷していった[13][14]。トウショウボーイ産駒は、クラシック三冠馬ミスターシービーなどを出すも、活躍馬は他の牧場生産馬が中心だった。そんな中、1991年に、トウショウボーイ以来の大レース優勝を、シスタートウショウが成し遂げた。桜花賞を優勝したシスタートウショウは、牧場で唯一残されたシラオキ系繁殖牝馬コーニストウショウにトウショウボーイを配合し、産まれた牝馬だった[11]。同じ年、牧場としてはトウショウボーイ現役時を上回る最高成績を残していた[15]。その要因は、ソシアルバターフライ系以外の仔が活躍したためだった[15]。それでも牧場は、ソシアルバターフライ系の復興を願って止まずに執着し続け、併せてシラオキ系シスタートウショウからの大物誕生にもすがっていた[15]。しかし、ソシアルバターフライ系は衰退の一途を辿り、シスタートウショウの産駒も今一つ[15]。逆に放出したシラオキ系繁殖牝馬からGI優勝馬マチカネフクキタル[注釈 3][注釈 4]が誕生してしまっていた[15]。牧場は再び低迷期に突入、1980年代から1990年代前半にかけて、毎年のように重賞勝利を記録していたが、1994年からの4年間は重賞未勝利だった[14]

そんな状況下で代替わりが発生。藤田の三男衛成が二代目オーナー、志村吉男が三代目牧場長となった[12]。衛成は低迷からの脱却を目指した。牧場の土壌や水質など環境改善に取り組み[16]、併せて繁殖牝馬を整理して血統の更新に努めた[10]。時代遅れとなったソシアルバターフライ系への偏りを解消し、シラオキ系、チャイナトウショウ系、ビバドンナ系の軽視を見直した[16]。さらに外国から繁殖牝馬を輸入し、新しい牝系の構築を目指していた[17]。これまで好成績が期待できる大物種牡馬の相手は、おのずとソシアルバターフライ系だったが、他の牝系にもその機会が与えられるようになった[13]

セヴァイン、チャイナトウショウ系

トウショウ牧場における牝系の一つ、チャイナトウショウ系は、二代目牧場長の成田勝四郎が新冠町の中本隆太郎から購入した牝馬の仔、チャイナトウショウ(スイープトウショウの母母母母、高祖母)に始まった[16][18]。日本では、アメリカ産牝馬セヴァインを1928年に輸入したことに始まる牝系[19]であり[20]、かつては牧場でもセヴァイン系と認識されていた[11][18]。セヴァイン系は、有力馬が現れずに衰退し、数々の枝葉が断たれたが、セヴァインの孫トミユキ(父:セントライト、スイープトウショウの六代母)だけが生き永らえていた[19]

チャイナトウショウは、父がチャイナロックである[21]。チャイナロック産駒は、身体が大きくなり「ごつすぎる[16]」(三代目牧場長志村吉男)ことで有名だった。チャイナトウショウも例に洩れず「ひと目でチャイナロックの産駒とわかる大きな牝馬[16]」(志村)であり、牧場スタッフから導入を反対する声もあったが、藤田正明の一声で導入が決定する[16]

未出走のまま繁殖牝馬となったチャイナトウショウは、藤田正明がフランスから導入した種牡馬ダンディルートと交配した[12][22]。1978年に産んだ牝馬マーブルトウショウ(スイープトウショウの母母母、曾祖母)は、栗東トレーニングセンター戸山為夫厩舎のもと、1980年阪神3歳ステークス3着、1981年紅梅賞を優勝、桜花賞では3着[18]。牝馬ながら東京優駿(日本ダービー)に出走し25着[12]、16戦4勝で引退した[23]。増えるソシアルバターフライ系に負けず、牧場の繁殖牝馬となった。トウショウボーイ応援という牧場の方針に則り、トウショウボーイと交配[18]。1985年に産んだ牝馬サマンサトウショウ(スイープトウショウの母母、祖母)は、栗東の渡辺栄厩舎のもと、1990年のエプソムカップGIII)を優勝、マイルチャンピオンシップGI)3着など27戦7勝だった[24]。繁殖牝馬となって1986年凱旋門賞優勝馬のダンシングブレーヴと交配、1993年に牝馬タバサトウショウ(スイープトウショウの母)が誕生する[25]。サマンサトウショウ、タバサトウショウ母娘は、いずれも『奥さまは魔女』の登場人物「サマンサ」「タバサ」母娘からの引用だった[16]

セヴァイン系[26][27][19]、チャイナトウショウ系[22][28]
1928年アメリカから輸入
セヴァイン 1921→青東 1933
→トミユキ 1948→キラクハート 1967↓
(以下トウショウ牧場所有)

タバサトウショウは、同じく渡辺厩舎からデビューし6戦1勝[25]。引退し、牧場で繁殖牝馬となった。初年度はフジキセキ、2年目はハウスバスターと交配し、2頭を生産する[28]。それから2000年の交配相手には、既に産駒サウスヴィグラスなどの外国産馬として活躍していた種牡馬、日本に輸入されて供用初年度のエンドスウィープ(父:フォーティナイナー)が選ばれた[10][17]。エンドスウィープは、二代目の衛成が選んだ。理由は、産駒の勝ち上がる確率[注釈 5]が高いことや「フォーティナイナーの子供たちは柔軟性があって、父親のいいところも持っているし、かなり広がりを見せてくる[17]」と考えたためだった[17]

2001年5月9日、トウショウ牧場にて3番仔となる鹿毛の牝馬(後のスイープトウショウ)が生産される[1]。これまでチャイナトウショウ系の出世頭は、トミユキの玄孫トウショウバルカンやサマンサトウショウでGIII止まり。セヴァイン系まで広げても、トミユキの曾孫ドウカンヤシマGIII止まり、だった[19]。しかしそんな牝系に、トウショウ牧場がダンディルートやトウショウボーイ、ダンシングブレーヴ、エンドスウィープと重ねたトミユキの昆孫が3番仔である[19]。中でも3番仔の目は、末脚の鋭さで鳴らした母父ダンシングブレーヴと同じ三白眼だった[29]

幼駒時代

3番仔は、父エンドスウィープの一部「スイープ」と冠名の「トウショウ」を組み合わせた「スイープトウショウ」という競走馬名が与えられる[5]

スイープトウショウは、スタッフからの評価は高く走ると期待された[30]。ただし走ることも馬房から出ることも嫌うなど、人間を拒否し続けていた[30]。放牧に出されても「いつも親分……自分が女王でないと気がすまない[17]」性格だったという。この性格は、競走馬になっても解消せず、後々様々な不都合に見舞われることになる(詳細はスイープトウショウ#気性難を参照。)。2003年に2歳となったスイープトウショウは、サマンサ、タバサと同様に、渡辺厩舎に入厩する。渡辺調教師は、翌2004年2月末に定年、厩舎解散を控えていた[13]

競走馬時代

2歳(2003年)

10月18日、京都競馬場新馬戦(芝1400メートル)に、渡辺厩舎所属の角田晃一[注釈 6]が騎乗してデビューする。単勝オッズ1.8倍の1番人気に推された[13]。スタートで出遅れて後方待機となり、第3コーナーで進出。追われることがないまま先頭に立ち、スパートして突き放した。後方に3馬身差をつけて入線、初勝利を挙げる[13]。角田は「ここではモノが違った。大きいところをねらえる馬だと思う[13]」と評している。続いて11月9日、阪神競馬場ファンタジーステークスGIII)に臨む。ツルマルボーイの全妹ツルマルシスターが2.7倍の1番人気に推され、スイープトウショウはそれに次ぐ3.5倍の2番人気だった[31][32]。最内枠からスタートしたが、新馬戦同様に出遅れて後方待機、折り合いを欠きながらの追走となった[33]。第3コーナーから大外に持ち出して進出し、直線でスパートを開始[33]。中団から馬場の最も内側を突いて抜け出していた3番人気ロイヤルセランガーを差し切った[31]。ロイヤルセランガーに1馬身4分の1差をつけて入線、重賞初勝利となった[32]。デビュー2戦目での優勝は、1998年プリモディーネ以来だった[34]

12月7日、阪神ジュベナイルフィリーズGI)でGI初出走、単勝オッズ2.1倍の1番人気となる[35]。対抗馬には、前走で下した2着ロイヤルセランガー、5着フィーユドゥレーヴが推されており、ファンタジーステークス出走経験馬が上位人気を占めていた[36]。スタートは五分に出ることに成功したが、後方内側待機を選択する[37]。1000メートル地点を60.7秒で通過するスローペースを追走[36]。最終コーナーで外に持ち出して追い上げにかかったが、進路を塞がれてしまった[38]。スムーズに抜け出した6番人気ヤマニンシュクル、馬場の内側で逃げ粘る10番人気ヤマニンアルシオンなどを遅れて追いかけた[38]。前方有利なスローペースに加えて、短い直線、さらに前が塞がれるという不利が積み重なっては敵わず、5着に敗退する[36][38]。この年のJRA賞では、全287票中6票を集めて最優秀2歳牝馬の次点[注釈 7]となった[39]

3歳(2004年)

桜花賞5着、優駿牝馬2着

1月18日、京都の紅梅ステークス(OP)で始動。阪神ジュベナイルフィリーズ2着のヤマニンアルシオンや新馬戦勝利から臨むダイワエルシエーロとの対決となったが、単勝オッズ1.3倍に推される[40]。再び出遅れ最後方追走、直線で追い上げて逃げるヤマニンアルシオンを吸収した[41]。ダイワエルシエーロの抵抗を受けたが、半馬身差をつけて入線し3勝目[41]。走破タイム1分21秒9は、1999年エイシンルーデンスに並ぶレースレコードタイだった[41]。2月末、渡辺の定年、厩舎解散が間近に迫り、1月23日付で栗東の鶴留明雄厩舎に転厩する[42]。渡辺と鶴留は、共にシンザンミスオンワードコダマの管理調教師として知られる武田文吾の兄弟弟子だった[43][44]

3月6日には、桜花賞のトライアル競走であるチューリップ賞GIII)に臨む。これまで4戦は、渡辺厩舎所属の角田が騎乗していたが、転厩により降板。代わりに鶴留厩舎の主戦騎手、かつて厩舎に所属していた池添謙一が起用された[45]。有力馬にクラシック直前で乗り替わることになり、池添はこの時の心境を「正直、僕もビックリした[46]」と回顧している。単勝オッズ1.8倍の1番人気の支持[47]。阪神ジュベナイルフィリーズ1着のヤマニンシュクル、6着のアズマサンダースとの再対決だったが、2頭を4倍台に押しのけていた[47]。ゲート入りに時間がかかり、スタートでも出遅れて後方を追走[48]。直線で大外から追い込んで全てを差し切った[48]。アズマサンダースに半馬身、ヤマニンシュクルに1馬身半差をつけて優勝[47]。重賞2勝目を挙げるとともに、優先出走権を獲得した[47]

続いて4月11日、桜花賞(GI)に臨む。フラワーカップなど3戦3勝、武豊騎乗のダンスインザムードと初対決だった。ダンスインザムードが2.9倍、スイープトウショウはそれに次ぐ3.8倍。フィリーズレビューなど3戦3勝のムーヴオブサンデーが5.3倍で続いていた[49]。再びゲート入りに時間がかかったが、スタートは五分に出ることができた[50]。スローペースの後方追走から、直線では馬群を縫って追い上げたが、早めに抜け出したダンスインザムードには敵わなかった[50][51]。他4頭にも先着を許す5着に敗退する[52]

それから5月23日の優駿牝馬(オークス)(GI)に出走。ダンスインザムードが1.4倍の1番人気に支持される一方、スイープトウショウは13.8倍の4番人気だった[53]。スタートは五分に出て、今までより少し前の中団後方を追走した[50]。スローペースの中、ダイワエルシエーロが早めに抜け出して、好位の大本命ダンスインザムードに対抗。スイープトウショウはダンスインザムードの直後に位置した[54]。直線では、ダンスインザムードが伸びなかった[54]。スイープトウショウは末脚を見せて、ダンスインザムードを外からをかわすことができたが、粘るダイワエルシエーロには届かなかった[54]。4分の3馬身差の2着に敗退する[54]。この後は、トウショウ牧場で休養、牧場ではまず笹針治療が施された[55]。スイープトウショウは春のレースで消耗しており、その具合は、笹針を担当した獣医師が「普通の馬はここまでならない[55]」と指摘されるほどだった。

秋華賞優勝

7月末から運動を再開し、秋は9月19日のローズステークスGII)で始動[55]。オークス優勝馬ダイワエルシエーロの再戦となり、ダイワエルシエーロ2.5倍、スイープトウショウ2.7倍の支持だった[56]。再び出遅れて、後方を追走[50]。第3コーナー外から追い上げ、直線ではダイワエルシエーロこそかわして先頭に立った[57]。しかしその後、内外からレクレドール、グローリアスデイズにかわされた[57]。1994年ヒシアマゾンのレースレコードを上回るタイムで走破したものの3着[56]秋華賞の優先出走権を獲得している[56]

続いて10月17日の秋華賞(GI)に臨む。単勝オッズ5.0倍の2番人気の支持。1番人気は、優駿牝馬4着からアメリカ遠征を行って現地G1で2着、帰国後初戦となるダンスインザムードが1.7倍。3番人気は9.3倍のレクレドールだった[58]。ゲート入りには時間がかかった。目隠しをされて誘導されて収まりスタートし出遅れている。平均ペースの後方を追走し、18頭中16番手で最終コーナーを通過。大外に持ち出して追い上げを開始した[59][60]。前方では、ダンスインザムードが好位の内側2番手から早めに抜け出していた[60]。直線では、内のダンスインザムードを、真ん中ヤマニンシュクル、大外スイープトウショウが追いかける展開となった[59]。しばらくしてダンスインザムードが失速し、代わりにヤマニンシュクルが一時先頭に。しかしその間に仕掛けられあスイープトウショウが末脚を発揮し、先頭となってすぐのヤマニンシュクルを差し切った[59]。ヤマニンシュクルに抵抗されたが先頭を守って入線、半馬身差をつけてGI初勝利を挙げる[58][59]

映像外部リンク
2004年 秋華賞(JpnI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

トウショウ産業株式会社は、シスタートウショウで制した1991年桜花賞以来13年ぶりとなるGI優勝を果たした[58]。また鶴留は、桜花賞を1991年のシスタートウショウ、優駿牝馬を1994年のチョウカイキャロルエリザベス女王杯を1985年のリワードウイングで勝利しており、秋華賞の勝利で以て伊藤雄二に次いで史上2人目となる、管理馬の「牝馬四冠」を達成している[58]。池添は、師匠鶴留の管理馬を初めてGIタイトルに導き[58]、直後に涙を流していた[59][注釈 8][61]。池添は「先生の馬でGIを勝つことが僕の夢のひとつでした。それが叶って今は最高の気分[58]」だと述べている。加えて亡きエンドスウィープの産駒で初めてとなるJRA-GI勝利だった[58]

それから11月14日、エリザベス女王杯(GI)に臨む。前年のエリザベス女王杯優勝馬アドマイヤグルーヴ、前年の牝馬三冠スティルインラブなど古馬と初対決[62]。アドマイヤグルーヴと並んでオッズ3.3倍となったが僅差で1番人気となった[62]。再び出遅れて後方、不利なスローペースを追走[63]。第4コーナーでは、大外に持ち出した[63]。直線では追い上げたものの、内側からスムーズに抜け出したアドマイヤグルーヴには敵わなかった。アドマイヤグルーヴには2馬身以上離された5着に敗れている[63]。この年のJRA賞では、全285票中23票を集めて最優秀3歳牝馬の次点[注釈 9][64]となった[64]

4歳(2005年)

安田記念2着 - 宝塚記念優勝

エリザベス女王杯の後は、トウショウ牧場で放牧[65]。年をまたいで古馬となった。この年は、距離の適性から天皇賞(春)は見送り、安田記念宝塚記念への出走を目指した[65]。6月まで適鞍がなかったことから、長期休養となった[65]。3月中旬に帰厩する[66]。それからは5月8日の都大路ステークス(OP)で始動し、格下相手に1番人気に推された。ゲートに正しく入ったが出遅れて後方追走、スローペースから追い上げたが届かず5着だった[65]

6月5日、目標の一つだった安田記念(GI)に臨む。香港から遠征する3頭を含めた18頭立て、牝馬は2頭のみで、もう1頭は、同期のダンスインザムードだった。5.8倍のテレグノシスが1番人気、6.8倍ダイワメジャー、7.5倍ダンスインザムード、8.6倍香港のサイレントウィットネス、10.3倍香港のブリッシュラックなどと続いていた。そんな中、スイープトウショウは17.6倍の10番人気だった。人気は割れて、12番人気までが20倍を切る混戦状態だった[67]。スイープトウショウは、スタートで再び出遅れて後方を追走する[65]。最終コーナーでは、外に持ち出しながら通過した[68]。直線では大外から追い上げを開始。内から抜け出したサイレントウィットネスに並びかけたが、その二頭の間、真ん中から盛り返した7番人気アサクサデンエンに並ばれた[68]。三頭横一線となっての叩き合いを演じたが、アサクサデンエンが一歩抜け出して優勝する[68]。スイープトウショウとサイレントウィットネスは、2着争いを演じながら決勝戦を通過。スイープトウショウは、アサクサデンエンにはクビ差後れを取ったが、サイレントウィットネスにアタマ差先着する2着となる[68]。池添はこのレースの後「牡馬相手でも通用することもわかりました[65]」と述べている。

続いて中2週で6月26日の宝塚記念(GI)に臨む。古馬中長距離の一線級と初対決となった。前年の宝塚記念優勝馬で、金鯱賞3連覇達成から参戦するタップダンスシチーが1.9倍の1番人気。前年の天皇賞(秋)ジャパンカップ有馬記念3連勝から半年ぶりに復帰するゼンノロブロイが3.0倍の2番人気。産経大阪杯2着や前年のダービー2着の4歳馬ハーツクライが続く3番人気だったが、18.3倍だった。以降、リンカーン道営コスモバルク、トウショウナイトと続いていた。牝馬は、アドマイヤグルーヴ、スティルインラブの牝馬限定GI優勝馬3騎で臨んだが、最高人気はアドマイヤグルーヴの8番人気31.2倍だった。そしてスイープトウショウは、38.5倍の11番人気の支持だった。

映像外部リンク
2005年 宝塚記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2005年 宝塚記念(GI
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

問題なくゲートに収まり、これまた問題なくスタートを切った[69]。これまでよりも前目、15頭中8番手という好位、中団を追走した[65][70]。前半の1000メートルは、59.9秒で通過するスロー寄りのペースだったが、その後のペースが緩まず、先行勢がスタミナを消費しながら先導する展開となった[71]。第3コーナーから余力がなくなる馬も出始め、タップダンスシチーもその1頭だった。スイープトウショウは、第3コーナーから外に持ち出して進出を開始して進路を確保[71]。仕掛けられないまま、余力を残したままに最終コーナーを通過。ゼンノロブロイと横並び、失速するタップダンスシチーを射程圏内に入れながらの通過だった[71]。直線では、失速するタップダンスシチーをまずリンカーンが捉えていたが、スイープトウショウが仕掛けられて末脚を発揮すると、リンカーンを外から差し切り、ゼンノロブロイも封じて先頭となった[71]。大外から追い込むハーツクライが接近してくるも先頭は守って入線。ハーツクライにクビ差をつけて優勝する[71]

GI2勝目。1966年エイトクラウン以来39年ぶり史上2頭目となる牝馬による宝塚記念優勝[72]。また、日本調教牝馬として初めて[注釈 10]、牝馬限定戦以外の2100メートル以上のGIを優勝した[注釈 11][70]。さらに1999年グラスワンダー、2002年ダンツフレーム以来3例目[注釈 12]となる安田記念2着からの宝塚記念優勝だった[72]。加えてトウショウ産業株式会社は、トウショウボーイで制した1977年以来28年ぶりとなる宝塚記念優勝だった[73]。宝塚記念後は、石川県の小松温泉牧場に放牧に出された[74]

エリザベス女王杯優勝

秋の始動戦となった10月9日の毎日王冠(GII)では、5番手で直線に向いたが伸びず6着止まり[75]。続く10月30日、エンペラーズカップ100周年記念という副題が附されて天覧競馬となった天皇賞(秋)GI)に出走[76]。ゼンノロブロイ、ハーツクライ、リンカーンに続く、参戦牝馬4頭のうち最上位となる4番人気に推された[77]。18頭中10番手で直線に向いたが伸びず5着止まり[77]。牝馬の14番人気ヘヴンリーロマンスが優勝し、13番人気ダンスインザムードが3着となっていた[77]

11月13日、前年5着のエリザベス女王杯に臨む。1年ぶりとなる牝馬同士の戦いとなり、2.8倍の2番人気に推される[78]。1番人気は、優駿牝馬2着、秋華賞優勝のエアメサイアで2.5倍、武の騎乗だった[78]。3番人気は、夏の新潟1000万円以下から新潟記念GIII)、府中牝馬ステークスGIII)と3連勝中、江田照男騎乗のヤマニンアラバスタで7.4倍。以降、2連覇中のアドマイヤグルーヴ、オースミハルカ、レクレドール、イギリスのサミットヴィルと続いていた[78]

映像外部リンク
2005年 エリザベス女王杯(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2005年 エリザベス女王杯(GI
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

再びスタートで出遅れ、中団の後方を追走する。前方ではオースミハルカがハナを奪い、後続を突き放す大逃げを展開した。オースミハルカは、ペースを落とすことに成功し、平均ペースで逃げていた[78]。オースミハルカ独走状態のまま、最終コーナーを通過。後方集団は追い上げにかかり、馬群の中にいたスイープトウショウも同様だった[79]。しかしオースミハルカは失速せず、後方集団も伸びあぐねた[78]。独走を許したまま直線の半分を消化していた。その後になってようやく後方集団から、馬場の真ん中アドマイヤグルーヴと外スイープトウショウの2頭が台頭する[78]。スイープトウショウは、仕掛けられて末脚を発揮し、まずアドマイヤグルーヴを突き放した[78]。1頭でオースミハルカに迫り、ゴール手前で差し切った。半馬身差をつけて先頭で入線する[79]GI3勝目、2着オースミハルカに半馬身、3着アドマイヤグルーヴには3馬身差をつける優勝だった[78]。鶴留は、1985年リワードウイング以来となるエリザベス女王杯優勝[19]。1996年に3歳以上となり、レースの毛色が替わってからは初勝利であり、改めて史上2人目となる管理馬の「牝馬四冠」となった[19]

この年のJRA賞では、291票中255票を集めて最優秀4歳以上牝馬を受賞[注釈 13]している[80]

5-6歳(2006-07年)

エリザベス女王杯以後は放牧に出され、年をまたいだ[81]。5歳となった2006年は、春に新設された東京マイルの牝馬限定GI級競走・ヴィクトリアマイルJpnI)を目指した[82]。3月上旬に帰厩して調整が進んでいたが、4月4日の調教中に故障する[81][83]。全治3か月となる左第2中手骨骨折となり、春は全休となった[81][84]。その後はトレーニングセンターに厩舎に残ったまま治療が施された[85]。7月初旬から運動を再開する[85]

10月8日の京都大賞典GII)で復帰する[86][87]。ダービー2着の4歳馬インティライミが2.1倍の1番人気、スイープトウショウはそれに次ぐ5.1倍の2番人気だった。正しくスタートして中団に位置する[88]。逃げ馬がおらず、これまで好位差しのローゼンクロイツが逃げることになり、前半の1000メートルを64.1秒で通過するスローペースとなった[88]。馬群の中の7番手で直線に向いたスイープトウショウは、末脚を発揮し、前を行く2頭の間から抜け出した。5番人気トウショウナイト、7番人気ファストタテヤマが追い込んで来たが、それらに4分の3馬身差をつけて先頭で入線する[88]。重賞6勝目、1995年ヒシアマゾン以来となる牝馬の京都大賞典優勝[29]。また、中328日の長期休養明けで重賞勝利は、史上第5位の記録となった[89]

その後は天皇賞(秋)を3.9倍の1番人気で臨み、中団後方から追い込み5着まで[90]。続くエリザベス女王杯では、3歳牝馬カワカミプリンセスに1番人気を譲る2番人気の支持[91]。後方待機から大外に持ち出して追い上げたが、内を突いたカワカミプリンセス、中団差しのフサイチパンドラを捉えることができず3位で入線[91]。1位入線のカワカミプリンセスがヤマニンシュクルの走行を妨害したため降着処分となり繰り上がり、フサイチパンドラにクビ差の2着となった[92][91]。その後有馬記念は、後方追走のまま力尽き10着敗退となる[93]

6歳となった2007年も現役を続行し、マイラーズカップGII)で始動し2着[94][95]。ヴィクトリアマイルは9着。続く宝塚記念は、厩舎で暴れて右後脚を打撲して回避した[96]。夏を越して、秋は京都大賞典で復帰する予定だったが、調教を嫌がって仕上がらず回避[97]スワンステークスGII)で復帰しスーパーホーネットに敗れて4着[98]。続くエリザベス女王杯は、3歳牝馬ダイワスカーレットに敗れて3着となる[99]。エリザベス女王杯を最後に引退が決定、11月23日付でJRAの競走馬登録を抹消する[100]

繁殖牝馬時代

引退翌年の2008年から、生まれ故郷のトウショウ牧場で繁殖牝馬となった[101]。初年度はアグネスタキオンと交配、2009年2月25日に初仔の牝馬を出産した[101]。2年目、2010年の不受胎を挟んで以降は、6年連続で生産した。その後は、1年空けて2018年からは3年連続で生産した。2020年12月5日、スワーヴリチャード受胎中に腸捻転を発症し、19歳で死亡する[102]。5頭の牡馬、5頭の牝馬を遺した[103]

2015年10月末には故郷で繋養先のトウショウ牧場が閉鎖している[104]。スイープトウショウは安平町ノーザンファームに売却され[105]、翌2016年以降のスイープトウショウは、ノーザンファームで繋養されて生産を続けていた[102]。スイープトウショウが現役競走馬だった時期は、シラオキ系シーイズトウショウ、輸入繁殖牝馬から産まれたトウショウナイトなどが重賞を制するなど活躍[15]。生産者成績で3年連続十傑入りを果たしていたが、それ以降は、重賞を勝利することができず、賞金も右肩下がりだった[106]。資金が底ついて立ち行かなくなったわけではなく、ある程度の余裕を残しての撤退だったという[106]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[107]およびJBISサーチ[108]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
2003.10.18 京都 2歳新馬 芝1400m(良) 18 4 7 001.80(1人) 01着 R1:22.9(34.2) -0.5 0角田晃一 54 アグネスラズベリ 458
0000.11.09 京都 ファンタジーS GIII 芝1400m(良) 12 1 1 003.50(2人) 01着 R1:22.6(34.0) -0.2 0角田晃一 54 (ロイヤルセランガー) 458
0000.12.07 阪神 阪神ジュベナイルF GI 芝1600m(良) 18 2 4 002.10(1人) 05着 R1:36.1(34.3) -0.2 0角田晃一 54 ヤマニンシュクル 456
2004.01.18 京都 紅梅S OP 芝1400m(良) 11 6 6 001.30(1人) 01着 R1:21.9(34.3) -0.1 0角田晃一 55 ダイワエルシエーロ 460
0000.03.06 阪神 チューリップ賞 GIII 芝1600m(良) 15 7 13 001.80(1人) 01着 R1:35.5(34.3) -0.1 0池添謙一 54 (アズマサンダース) 446
0000.04.11 阪神 桜花賞 GI 芝1600m(良) 18 2 4 003.80(2人) 05着 R1:34.5(34.4) -0.9 0池添謙一 55 ダンスインザムード 448
0000.05.23 東京 優駿牝馬 GI 芝2400m(稍) 18 1 1 013.80(4人) 02着 R2:27.3(34.2) -0.1 0池添謙一 55 ダイワエルシエーロ 446
0000.09.19 阪神 ローズS GII 芝2000m(良) 12 4 4 002.70(2人) 03着 R1:59.1(35.5) -0.1 0池添謙一 54 レクレドール 452
0000.10.17 京都 秋華賞 GI 芝2000m(良) 18 6 11 005.00(2人) 01着 R1:58.4(33.9) -0.1 0池添謙一 55 (ヤマニンシュクル) 450
0000.11.14 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 18 4 7 003.30(1人) 05着 R2:13.9(33.2) -0.3 0池添謙一 54 アドマイヤグルーヴ 454
2005.05.08 京都 都大路S OP 芝1600m(良) 14 4 7 002.70(1人) 05着 R1:34.6(33.1) -0.3 0池添謙一 56 ケイアイガード 454
0000.06.05 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 18 6 11 017.6(10人) 02着 R1:32.3(34.0) -0.0 0池添謙一 56 アサクサデンエン 454
0000.06.26 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 15 6 11 038.5(11人) 01着 R2:11.5(35.7) -0.0 0池添謙一 56 ハーツクライ 460
0000.10.09 東京 毎日王冠 GII 芝1800m(稍) 17 7 13 005.50(2人) 06着 R1:47.1(33.7) -0.6 0池添謙一 57 サンライズペガサス 466
0000.10.30 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 18 7 14 009.00(4人) 05着 R2:00.4(32.8) -0.3 0池添謙一 56 ヘヴンリーロマンス 464
0000.11.13 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 18 4 8 002.80(2人) 01着 R2:12.5(33.2) -0.1 0池添謙一 56 オースミハルカ 464
2006.10.08 京都 京都大賞典 GII 芝2400m(良) 11 7 9 005.10(2人) 01着 R2:31.5(32.8) -0.1 0池添謙一 56 ファストタテヤマ 470
0000.10.29 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 16 4 7 003.90(1人) 05着 R1:59.2(34.6) -0.4 0池添謙一 56 ダイワメジャー 458
0000.11.12 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 18 4 8 002.80(2人) 02着 R2:11.6(34.4) -0.0 0池添謙一 56 フサイチパンドラ 464
0000.12.24 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 14 4 6 029.60(5人) 10着 R2:32.9(34.5) -1.0 0池添謙一 55 ディープインパクト 456
2007.04.14 阪神 マイラーズC GII 芝1600m(良) 15 4 6 006.10(2人) 02着 R1:32.4(32.7) -0.2 0池添謙一 56 コンゴウリキシオー 462
0000.05.13 東京 ヴィクトリアマイル JpnI 芝1600m(良) 18 4 7 004.00(2人) 09着 R1:33.2(33.6) -0.7 0池添謙一 55 コイウタ 462
0000.10.27 京都 スワンS GII 芝1400m(稍) 18 1 2 009.40(4人) 04着 R1:21.1(35.0) -0.4 0池添謙一 56 スーパーホーネット 480
0000.11.11 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 13 3 4 006.60(2人) 03着 R2:12.2(33.9) -0.3 0池添謙一 56 ダイワスカーレット 480

繁殖成績

馬名 誕生年 毛色 厩舎 馬主 戦績 供用 出典
初仔 ジュエルトウショウ 2009年 鹿毛 アグネスタキオン 鶴留明雄栗東
今野貞一(栗東)
→佐藤茂(金沢
トウショウ産業 14戦3勝 繁殖牝馬 [109]
(不受胎) 2010年 ダイワメジャー
2番仔 ビジュートウショウ 2011年 栗毛 ディープスカイ 今野貞一(栗東) トウショウ産業 11戦1勝 繁殖牝馬 [110]
3番仔 レガッタ 2012年 鹿毛 ディープインパクト 昆貢(栗東) 寺田千代乃 3戦1勝 抹消 [111]
4番仔 トウショウビクター 2013年 ステイゴールド 今野貞一(栗東)
杉浦宏昭美浦
藤田衛成 11戦1勝 抹消 [112]
5番仔 スイーズドリームス 2014年 ディープインパクト 須貝尚介(栗東) 大塚亮一 24戦4勝 現役競走馬 [113]
6番仔 スイープトウショウの2015 2015年 栗毛 オルフェーヴル 吉田和美 (未出走) [114]
7番仔 スイープセレリタス 2016年 鹿毛 ハーツクライ 藤沢和雄(美浦) シルクR 16戦4勝 抹消 [115]
8番仔 クリーンスイープ 2018年 ドゥラメンテ 国枝栄(美浦) 6戦3勝 現役競走馬 [116]
9番仔 ピエドラデルーナ 2019年 キタサンブラック 清水久詞(栗東) デビュー前 [117]
10番仔 スイープアワーズ 2020年 ディープインパクト - 池田豊治 デビュー前 [118][119]
母体死亡 スワーヴリチャード
  • 情報は、2022年3月26日時点。

気性難

難しい性格は幼駒の頃だけでなく、競走馬となっても変わらず、引退までも変わらなかった。馬場に入ることや、ゲート入りを嫌がり続けていた。池添によれば「この馬が現役を続ける限りついて回る問題[120]」だという。

ゲートに入らない

その気性からゲートの入りが悪かった。出走24戦中4戦で枠入り不良を犯している[注釈 14]。初犯、3歳春のチューリップ賞は、発走時刻を3分遅延[141]。2回目、3歳秋の秋華賞は、グローリアスデイズとともに不良で、発走時刻を3分遅延[142]。3回目、秋華賞に続くエリザベス女王杯は、発走時刻を2分遅延[143]。4回目、5歳末の有馬記念は、発走時刻を4分遅延させている[144]

初犯 - 3回目

まず3歳春、チューリップ賞にて「枠入り不良」とされ、トレーニングセンターで行われる発走調教再審査いわゆる「ゲート試験」が義務付けられた[145]。この頃はまだレースに向かうための本格的な調教をしていなかったため大人しく、すんなりこなして合格[146]。桜花賞に臨むことはできたが、ゲート試験が足かせになって既にストレスフル、完調とは言えない状態で臨み敗れていた[147]。それから夏を越して秋、精神面での成長があったとされていた[148][149]。しかし臨んだ秋華賞、勝利こそ挙げたものの再び枠入り不良、ゲート試験が義務付けられてしまう[150]。エリザベス女王杯を出走目指して、再びゲートに向き合い、試験1回目は淡々とこなしたが、2回目は拒否[151][152]。目隠しをされてようやく合格を勝ち取っていた[153][151]。ただやはりゲート試験で既にストレスフル[154]、エリザベス女王杯は待機場所からゲートへの移動すら拒み、敵のはずの他の1頭に寄り添われながらゲートへ[155]。目隠しされては、ファンファーレ前にゲートに入る待遇で「3回目の枠入り不良」、肝心のレースも出遅れ、凡走してしまった[155][154]。3回目の処分は重くなり、30日間の出走停止と、30日満了後に開催競馬場でのゲート試験が課されている[156]

ゲート難解消? - 4回目

出走停止期間は、その後の予定がなく放牧に出されたため、処分に実効性はなかった[157]。放牧の間に4歳となり、4月2日の阪神競馬場最終競走後にゲート試験を受検[158]。強い調教をして気が荒くなる前の状態でゲートに向き合い、すんなり合格していた[66]。始動戦となった都大路ステークスは敗れたが、ゲートを正しくこなしていた[159]。続く安田記念は、鶴留が「今までで一番よかった[160]」と称えるほどのゲートで牡馬相手に2着[160]。ゲートが安定した状態で迎えた宝塚記念は、正しくスタートし、いつもより前の中団につけて優勝を果たしている[161][162]

夏休みを経て秋の毎日王冠は失敗したが[163]、続く天皇賞(秋)とエリザベス女王杯はうまくこなして、エリザベス女王杯は優勝を果たしている[164][165]。鶴留はエリザベス女王杯でゲートにすんなり収まった瞬間、思わず「ヨシッ」と漏らしている[166]。ゲートに収まっただけで喜ぶ姿をさらしてしまい、その様子を見た周りに嘲笑されたという[166]。その後5歳で骨折し、京都大賞典で復帰したがその年の暮れ、有馬記念では4回目の枠入り不良[144]。4回目の発走調教再審査、ゲート試験が課されている[144]。再び4回目の試験を合格し、競走生活晩年の6歳を暮れまで走り切った[167]

頑なに動かない

自身が納得しないと動かない性格だった。調教に向かうまで時間を要し、坂路を2回駆けるところ1本止まりになってしまうことが多々あった。何度か良化し、本番でも良績を残すことはできたが、その後が続かず「通例[168]」「風物詩[169]」などともてはやされた。

4歳春の宝塚記念はそれが解消して勝利を挙げているが、夏を経た秋、天皇賞(秋)では逆戻り。遂には競馬場でそれを披露してしまった。馬場入場の際に動かなくなってしまい「調教注意」の制裁を受けている。池添は「調教で自分が納得しないと全然走ってくれない。厩舎の思い通りにメニューが消化できていたら、もっとすごい競走成績だったはずです[170]」と回顧している。

一か八かの秋華賞直前調教とその代償

クラシックに臨むにあたり、鶴留は「調教ではいつも苦労させられていますよ。坂路を上がる時もスタート地点に行くまで何度も立ち止まって、なかなか動こうとしないんです。時間がかかるし、1日に2本販路を上がるのは難しい。でも、走り出せばさすがにいい動きをする[171]」と述べていた[172]。実際、負荷をかけるとすぐに不機嫌になってしまうため、調教をいくらか加減させている[173]。例えば坂路2本を1本で終えていた[174]。十分に調教されないままのクラシック参戦。大タイトル獲得に至らなかったものの、生まれ持った能力だけで上位に食い込んでいた[173]。鶴留は「調教をあまり積めない馬がこれだけ走っている。順調にやれたらどれだけ強くなるのか[175]」と嘆いていた。

その後、夏を越えて秋、勝負の時期と考えた陣営は、秋華賞直前にして初めて、負荷をかける調教を敢行する[173][58]。そして臨んだ秋華賞は、ゲートこそうまくこなせなかったが、勝利を挙げ、最後の一冠獲得に成功していた[58]。ただその調教は、長く続かなかった。直後のエリザベス女王杯直前は、ゲート試験も重なって機嫌が悪くなり、坂路の前で30分[176]もしくは40分立ち往生してしまっている[177]

春の好調 - 秋の好不調

放牧を経て4歳春は、安田記念2着、宝塚記念優勝の好成績を残している。この頃は、坂路にスムーズに向かい、順調に調教を消化できていた[178][179]。例えば恒例だった坂路前の立ち往生は、安田記念直前は1分[180]。宝塚記念直前は2分で済んでいた[181]。宝塚記念を終えて、秋を意気込む池添は「宝塚記念は普通にスタートが切れました。……秋もうまくスタートを切れるか分からないけど、今のスイープトウショウなら大丈夫[182]」と述べていた。そして秋、毎日王冠直前はスムーズに調教できていたが[183]、続く天皇賞(秋)直前は、坂路で30分立ち往生[184]。1年ぶりに悪癖がぶり返してしまう[184]。そして迎えたレース本番、それを競馬場でも披露してしまう。

当日は、第125代天皇明仁皇后美智子が東京競馬場に来場し観戦していた[185]。天皇が天皇賞を観戦するという史上初めての出来事であり、1899年、明治以来106年ぶりとなる天覧競馬だった[185]。そんな中、スイープトウショウは一足先に馬場入場を行ったが、スタンド前の入場口の近くで立ち往生してしまう[164]。池添が促しても歯向かうばかりで前進することができなかった。天皇、皇后の御前ということもあり、JRA職員に発走時刻を遅らせることはできないと注意されたが、どうしても動かなかった[186]。池添は、スイープトウショウを諦めて、馬から降りている[164]。通常の馬なら騎手を乗せた状態で、スタンド前の芝コースにて厩務員の手から放たれ、発走地点、ゲートに向かって馬が走るが、スイープトウショウは、厩務員に引かれたまま歩いて向かい、反対に騎手池添が走る始末だった[187]。その後発走地点に到着したスイープトウショウは、ゲートは問題なく入り、5着に敗退している[164]。池添は敗因をスローペースと捉えており、直前のアクシデントはレースに影響していないという[164][187]。この件はJRAから「調教注意」の制裁を受けた。

中1週で臨んだエリザベス女王杯直前は、坂路前の立ち往生は8分で済んでいた[188]。スイープトウショウを甘やかさず、負荷のかかる調教を実施[189][190]。順調に進み、かつ当日も機嫌良く優勝している[165]。エリザベス女王杯後は、骨折して約1年戦線を離れて5歳秋、復帰戦となる京都大賞典直前は、悪癖も全くなくスムーズに登坂し優勝[168][191]。続く天皇賞(秋)直前は、立ち往生3分のみだった[192]。スムーズに坂路に向かい、予定通り調教できる様子に鶴留は「大人になったかな[168]」と捉えていた。

蘇る悪癖、異例のEコース

しかし天皇賞(秋)直後のエリザベス女王杯、直前は坂路に向かう地下馬道で15分立ち往生してしまう[193]。立ち往生している間に、調教場の閉鎖時間が迫ってしまっていた[193]。そもそもその癖が出ないように、あるいは出ても他の馬に迷惑をかけないように、他がいない閉鎖間際の時間を狙って坂路に赴いていた。長く立ち往生してしまったことで、もう登坂する時間が無かった[194]。急遽山田の判断で、Eコース、ダートコースでの調教を敢行[193]。閉鎖時間の10分前に調教場を離脱している[194]。レース直前の調教・最終追い切りは、新馬戦以外すべて坂路で行っていた。報道陣や池添もこれまで通り、坂路やモニターの前でスイープトウショウを待っていた[193][194]。ところがダートコースに現れて現場は大混乱、池添でさえも様子を確認することができなかったという[193][195]

E→D→C→B→拒絶×2

続いて有馬記念に臨む。その1週間前には、遠藤保仁明神智和などガンバ大阪の選手がスイープトウショウを訪れている[196]。この時はDコース、ウッドチップコースでスムーズに調教することができていた[196]。そして直前の調教は、週末のレースを前に水曜日に行っている。通常は木曜日に行っていたが、万一に備えて1日早めていた[197][198]。1週間前と同様にDコースに向かったが、地下馬道では5分の立ち往生で済んでいる[197]。この頃は、2歳牝馬スリジェ[注釈 15][199][200]と調教を共にしていたことで、スムーズに調教をこなすことができていた[196]。スイープトウショウにとってスリジェは「お気に入り[196]」だったという。そして迎えた有馬記念、初の中山競馬場参戦は、枠入り不良、おまけに出遅れて敗退している。

有馬記念の後、放牧に出されて年をまたいでいる。続いて6歳のシーズンは、マイラーズカップでの始動を目指していた。しかしその頃は、坂路をこなすことができなくなっていた[201]。1週間前はCコース、ウッドチップコースにて[201]。直前は、同じくCコースを目指したが、地下馬道で30分立ち往生している[202]。続くヴィクトリアマイル直前は、Cコースを目指したが、またも立ち往生[203]。山田が促しても進もうとはしなかった。そこでCを諦めてBコース・ダートコースへ向かい、調教をこなしている[204]。坂路断念して以降は、このように平地のコースで調教を行っていた。スイープトウショウは頭が良く、1度走ったコースを嫌がる傾向にあった[205]。翻って、初めて、久しぶりのコースならばスムーズに調教を開始することが可能だった。それ以降、嫌がるたびにコースを変えて「E→D→C→B」などと巡る[206]。この頃は、鶴留に「どのコースで追うかが悩みの種[207]」「来週の追い切りが無事にやれるか分からない[201]」などと言わしめていた。

それから宝塚記念直前では、とうとう人間を拒否してしまう。調教前に暴れて、調教に欠かせない鞍を着用できなかった[208]。暴れた挙句に転倒し、右後脚を打撲。調教以前の問題で宝塚記念を回避した[208]。夏休みを経て秋は、京都大賞典を目指した。しばらくBコースを使って順調に調整されていた[209]。迎えたレース当週、直前の調教は万一に備えて水曜日に敢行。Cコース入場には成功した。だがしかし、肝心の調教でまったく走らなかった[210][169]。ただそんな時のための翌木曜日、鶴留はとっておいた最終手段、緊急用のEコースを使用させた[210][169]。しかしそれでも駄目。負けじと超最終手段、開き直って坂路に行かせたが、もれなく駄目だった[211]。鶴留は、直前の調教、いわゆる最終追い切りなしにレースに臨むことはできないと考え、スイープトウショウに屈して京都大賞典の回避を決断している[210]。走る気がまるで見られないことから引退の危機とも報じられた[169]

坂路に向き合う

京都大賞典断念後、前年の12月16日から1年近く、どうにかして搔い潜って来た坂路と戦うことになる[212]。山田ではなく、久々に池添とともに坂路に向かい、30分近く坂路と向き合いようやく決心、登坂を開始する[212]。頻繁に走る気を失っては、池添にムチで促されて何とか完走[213]。引き上げる際には池添が汗でまみれるくらいになっていた[212]。坂路での運動ができ、レースが使える見込みが立ったため、スワンステークスに臨むことが決定した[213]。直前も坂路と対峙[214]。池添が最初から目一杯追ってムチを入れて甘えを失わせ、最後バタバタになりながら完走している[215][216]

前哨戦を無事消化して本番のエリザベス女王杯に出走登録、ただ1週間後のマイルチャンピオンシップにも一応登録[217][218]。万一エリザベス女王杯直前の調教できず、出走を断念した際の保険を確保していた[219][220]。そして迎えた直前の調教、池添とともに坂路と対峙する[221]。いつも通り動かず、30分を過ぎても向かわなかった[222]。鎌田、それに調教スタンドにいた鶴留がスイープトウショウの傍らに駆け寄り、二人で引っ張ってスイープトウショウに挑戦を促す[222]。そして対峙して50分、馬場閉鎖時間まで15分というところで、鎌田、鶴留の作った勢いに乗ってようやく始動する[222][223]。動いたと同時に池添がムチを連打し完走した[224]。調教をこなしたことでエリザベス女王杯が叶い、エリザベス女王杯4年連続出走を果たし、これを以て競走馬を引退している。引退に際して、鶴留は「調教も出来ないし、かつての切れもないし、馬が可愛そうです。寂しい気持ちもありますが、ホッとしたところもあります[225]」と寄せている。

対抗策、改善策

スイープトウショウの気性難は、厩舎を、池添を手こずらせていた。厩舎の人間は、レース前日になると心配で眠れなかったという[226]。鶴留は、普通にゲートに入り、スタートしただけで万歳をしていた[226]。厩舎は、様々な工夫を凝らしている。厩舎を挙げてとしては、スイープトウショウにレースの時期を悟られないように、レース直前にマスコミに取材規制を行っていた[30]

スイープトウショウは、人を乗せて馬場に行っても動かず、予定通りの調教を消化できなかった[174]。担当厩務員の鎌田修一は、不足する運動量を補うため、鎌田が曳いて歩かせて鍛えさせていた[174]。平地コースのみならず、坂路でも共に登っていたという[30]。鎌田によれば、気性難は「きょうが良くても明日は[147]」分からないものであり、一番注意を払っていることは「機嫌を損ねないように[74]」すること、厩舎では「スイープ[74]」と呼んでいた。またスイープの嫌いなことは「知らない人間が近づく[74]」こと、好きな食べ物は「バナナよりニンジン[74]」だという。

担当調教助手山田和広は、騎手を引退して間もなかった。2004年2月末に引退した山田は、師匠の坪正直厩舎で調教助手に転身。2005年2月末に坪が定年になるのに合わせて、鶴留厩舎に移籍していた[227]。山田は移籍した2005年3月、4歳のスイープトウショウと出会っていた[228]。初めは全く敵わなかったが、時間をかけて粘り強くぶつかって、何とか打ち解けていった[229]。山田が来る前は、池添がレースに出向く土曜日、日曜日は調教できなかったが、山田が担当となってからは、毎日調教することができるようになり、成長が加速していた[175]

山田は、スイープトウショウと戦うにあたり、騎手時代に、同様に馬場入りを嫌がったブリリアントロードの経験を応用したという[229]。ブリリアントロードは、所属していた坪正直厩舎の馬で、自身が主戦騎手を務め、調教も担当。コンビで1999年の新潟大賞典GIII)、新潟記念GIII)優勝に導いていた[229]。池添は、山田の働きに対して「一時間くらい止まっちゃってもじっくりと相手をしてくれた。……山田さんが辛抱して乗ってくれるお陰で、以前は出来なかった坂路の角馬場でダクを踏んだりということも出来るようになりました。順調に調教ができるようになったのが宝塚記念制覇に結びついたといっても、大袈裟ではない[46]」と回顧しておる。

現役期間のほとんどを管理した調教師鶴留明雄は、競馬場での、天覧競馬での膠着を、ダートコースを横切ったためであると推理している[230]。東京競馬場は、ダートコースの内側にある入場口からダートコースを横切り、芝コースに至るが、どうやらこれが難しかったと見極めている[230]。その後、骨折休養を経た約1年ぶりの復帰戦には、京都大賞典が選ばれたが、これは東京競馬場の毎日王冠を避けた意味合いもあった。京都は、馬場入場後すぐに芝に至る設計だった[230]

評価

定量的評価

ファン投票による評価

競走名 順位 票数 成績 出典
3歳 宝塚記念 33位 0006696票 回避
有馬記念 16位 02万7619票 回避 [231]
4歳 宝塚記念 21位 01万3709票 01着 [162]
有馬記念 04位 07万8859票 回避 [232]
5歳 宝塚記念 回避
有馬記念 06位 06万4727票 10着 [233]
6歳 宝塚記念 04位 05万8131票 回避 [234]

レーティングによる評価

JPNクラシフィケーション(2003年)

JPNサラブレッドランキング(2004-07年)

年度 部門 順位 レート

ポンド (lb)

キログラム

換算 (kg)

コラム別 出典 備考
S M I L E
2003 2歳 9位 105 47.5 [235][236]
2004 3歳 9位 110 50.0 110 [237][238] [注釈 16]
2005 4歳上 9位 117 53.0 117 [239] [注釈 17]
2006 20位 112 50.5 112 112 [241]
2007 34位 110 50.0 110 [242]

血統表

スイープトウショウ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミスタープロスペクター系
[§ 2]

*エンドスウィープ
End Sweep 1991
鹿毛 アメリカ
父の父
*フォーティナイナー
Forty Niner 1985
栗毛 アメリカ
Mr.Prospector Raise a Native
Gold Digger
File Tom Rolfe
Continue
父の母
Broom Dance 1979
鹿毛 アメリカ
Dance Spell Northern Dancer
Obeah
Witching Hour Thinking Cap
Enchanted Eye

タバサトウショウ 1993
鹿毛 北海道静内町
*ダンシングブレーヴ
Dancing Brave 1983
鹿毛 アメリカ
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmec
母の母
サマンサトウショウ 1985
黒鹿毛 北海道静内町
トウショウボーイ *テスコボーイ
*ソシアルバターフライ
マーブルトウショウ *ダンディルート
チャイナトウショウ F-No.5-j
母系(F-No.) 5号族(FN:5-j) [§ 3]
5代内の近親交配 Northern Dancer4×4 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ スイープトウショウ 5代血統表2016年7月19日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com スイープトウショウ 5代血統表2016年7月19日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ スイープトウショウ 5代血統表2016年7月19日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ スイープトウショウ 5代血統表2016年7月19日閲覧。

脚注

注釈

  1. ^ 旧称・藤正牧場(トウショウ)。
  2. ^ 1968年とも。
  3. ^ 母アテナトウショウ、母父トウショウボーイ。北海道浦河町の信成牧場の生産。1997年の菊花賞Template:JRA)を勝利した。
  4. ^ 後にウオッカも誕生する。ウオッカの母母は、エナジートウショウ。母母父はトウショウボーイ、母母母はコーニストウショウ。
  5. ^ 一般に勝ち上がり率と呼ばれる。
  6. ^ 母タバサトウショウに騎乗し勝利、母母サマンサタバサにも騎乗し重賞利を挙げている。
  7. ^ 277票を集めたヤマニンシュクルが受賞。該当馬なしが2票、ダンスインザムードが1票、マルターズヒートが1票。
  8. ^ 池添が競馬場で涙を流したのは、これが3回目だった。1回目は2002年桜花賞をアローキャリーで制し、GI初勝利を挙げたとき。2回目は、2000年秋華賞でヤマカツスズランに騎乗し、ティコティコタックに敗れた2着だったとき。2回は、うれし泣きと悔し泣きだった。
  9. ^ 248票を集めたダンスインザムードが受賞。スイープトウショウを挟んで、ダイワエルシエーロ10票、該当馬なし4票と続いた。
  10. ^ グレード制導入されて以降。
  11. ^ 簡単に言えば、1994年から1995年にかけてジャパンカップや有馬記念で2着となったヒシアマゾン、1997年から1998年にかけて宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念で2着3着となっていたエアグルーヴを超える成績を挙げた。
  12. ^ グレード制が導入された1984年以降。
  13. ^ 次点は、ヘヴンリーロマンスの36票。全ての票はこの2頭に集中した。
  14. ^ 20戦は枠入り不良と判断されなかった[121][122][123][124][125][126][127][128][129][130][131][132][133][134][135][136][137][138][139][140]
  15. ^ スリジェ(欧字名:Cerisier)は父フサイチコンコルド、2歳の未勝利。この後、3歳まで走り9戦未勝利に終わる。馬名の由来は、フランス語で「桜の木」を意味する。
  16. ^ 「112」のダンスインザムードに次ぐ牝馬2位。1つ下の「110」には、ダイワエルシエーロとヤマニンシュクルが続いた。
  17. ^ 日本調教馬1位は「122」のハーツクライ。牝馬のセックスアローワンス4キログラムを加味すると、「121」のスイープトウショウは2位。「120」のゼンノロブロイを上回る[240]

出典

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参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1990年8月号
      • A・Y「【今月の記録室】第7回エプソムカップ(GIII) サマンサトウショウ」
    • 1991年8月号
      • 吉沢譲治「【'91春のGI競走勝ち馬たちの故郷】藤正牧場 故郷に初めて生きた トウショウボーイの血」
    • 2003年12月号
      • 「【2歳馬情報】ファンタジーステークス(GIII)スイープトウショウ」
      • 「【Play-back the Grade-races 2003】第8回ファンタジーステークス(GIII)スイープトウショウ」
    • 2004年1月号
      • 「【重賞データファイル】第8回KBS京都賞フェブラリーステークス(GIII) スイープトウショウ」
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-races 2003】」第55回阪神ジュベナイルフィリーズ(GI) ヤマニンシュクル」
    • 2004年2月号
      • 「【2003年度 JRA賞決定!】年度代表馬は2年連続でシンボリクリスエス」
      • 「【2003年JPNクラシフィケーション発表!】シンボリクリスエスが2年連続で日本調教馬の最高評価」
    • 2004年4月号
      • サラブレッド血統センター・岡本光男「【クラシック2004 有力馬の実像に迫る】牝馬編 スイープトウショウ」
      • 「【クラシック2004 トライアルレース・リポート】第11回チューリップ賞(GIII) スイープトウショウ」
    • 2004年5月号
      • 「【重賞データファイル】第11回チューリップ賞(GIII)(桜花賞トライアル)スイープトウショウ」
    • 2004年7月号
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-races 2004】第65回オークス(GI) ダイワエルシエーロ」
    • 2004年9月号
      • 篠原美穂子「【秋競馬開幕! 路線別オープン馬近況報告】古馬・3歳牝馬 スイープトウショウ」
    • 2004年11月号
      • 「【Play-back the Grade-races 2004】第22回ローズステークス(GII) レクレドール」
      • 「【重賞データファイル】第22回関西テレビ放送賞ローズステークス(GII) レクレドール」
    • 2004年12月号
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-races 2004】第9回秋華賞(GI) スイープトウショウ」
      • 「【重賞データファイル】第9回秋華賞(GI) スイープトウショウ」
    • 2005年1月号
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-races 2004】第29回エリザベス女王杯(GI) アドマイヤグルーヴ」
    • 2005年2月号
      • 「【2004年度 JRA賞決定!】年度代表馬にゼンノロブロイ」
      • 「【2004年JPNサラブレッド・ランキング発表!】ゼンノロブロイが日本調教馬の頂点に!!」
    • 2005年3月号
      • 阿部珠樹「【優駿たちの故郷を訪ねて】トウショウ牧場 13年の沈黙を破る "未来"への回り道」
    • 2005年8月号
      • 平松さとし「【優駿ロングインタビュー】飽くなき探求心を糧に 池添謙一」
      • 「【重賞プレイバック】第46回宝塚記念(GI) スイープトウショウ」
      • 池添謙一「【J&Tトーク】この秋、楽しみにしている馬は?」
    • 2005年9月号
      • 岡本光男(日刊スポーツ)「【GIホース、それぞれの青写真】牝馬のグランプリホース スイープトウショウ」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義 244】ゲスト藤田衛成さん」
    • 2005年12月号
      • 「【重賞プレイバック】エンペラーズカップ100年記念 第132回天皇賞(秋)(GI) ヘヴンリーロマンス」
      • 「【重賞プレイバック】第56回毎日王冠(GII) サンライズペガサス」
    • 2006年1月号
      • 「【重賞プレイバック】第30回エリザベス女王杯(GI) スイープトウショウ」
      • 吉沢譲治「【吉沢譲治の血統解説】80年もの時を刻んで」
    • 2006年2月号
      • 「【2005年度JRA賞決定!】年度代表馬にディープインパクト」
      • 「2005年度JPNサラブレッド・ランキング発表!」
    • 2006年4月号
      • 平松さとし「【第1回ヴィクトリアマイル目前に迫る!】気になる出走予定馬は?」
    • 2006年5月号
      • 「【ニュース&トピックス】スイープトウショウが調教中に骨折――全治3か月の診断で春は絶望」
    • 2006年9月号
      • 及川博嗣(週刊ギャロップ)「【秋競馬開幕目前! 気になる有力馬の動向チェック】スイープトウショウ 骨折から立ち直り 状態を見ながら復帰が待たれる」
    • 2006年12月号
      • 「【重賞プレイバック】悠仁親王殿下御誕生慶祝 第134回天皇賞(秋) ダイワメジャー」
      • 「【重賞プレイバック】第41回京都大賞典(GII) スイープトウショウ」
    • 2007年1月号
      • 優駿編集部「【第31回エリザベス女王杯】カワカミプリンセスは12着に降着 フサイチパンドラが繰り上がりでGI初戴冠」
      • 「【重賞プレイバック】第31回エリザベス女王杯(GI) フサイチパンドラ」
      • 平松さとし「【鞭は置かない!】第10回 山田和広の巻」
    • 2007年2月号
      • 「【2006年度JRA賞決定!】年度代表馬に2年連続でディープインパクト」
      • 「2006年 JPNサラブレッド・ランキング発表!」
      • 「【重賞プレイバック】第51回有馬記念(GI) ディープインパクト」
    • 2008年2月号
      • 山田康文「【故郷に帰った名馬たちの"その後"を追う】スイープトウショウ 今も変わらない頑固な性格」
    • 2010年7月号
      • 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒロイン列伝】新世紀における"強い牝馬"の先駆け スイープトウショウ」
    • 2012年9月号
      • 河村清明「【優駿激闘譜】ヘヴンリーロマンス 歴史的名シーンの主演女優」
    • 2015年11月号
      • 江面弘也「【特別読物】トウショウ牧場が紡いだ血はいつの日か」

外部リンク