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{{権利}}
{{権利}}
'''人権'''(じんけん、human rights)とは、[[個人の尊厳|人間ゆえに]]享有する権利である。[[人権思想]]においてすべての[[人間]]が生まれながらに持っていると考えられている社会的権利である<ref name="kj5">広辞苑 第五版</ref>。
'''人権'''(じんけん、human rights)とは、[[個人の尊厳|人間ゆえに]]享有する権利である。[[人権思想]]においてすべての[[人間]]が生まれながらに持っていると考えられている社会的権利である<ref name="kj5">広辞苑 第五版</ref>。


== 概説 ==
== 概説 ==
「人権」には「基本的人権」や「基本権」のように関連する概念があり、これらが相互に区別して論じられることもあれば、同義的に使用されることもある<ref name="chz176">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 176 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
広辞苑では、実定法上の権利のように剥奪されたり制限されたりしない<ref name="kj5" />、と記述されている。これはごく一般的な説明である。かつて[[国連憲章]]体制のもとでは、各国が人権普遍性を[[アプリオリ]]に考えていなかったので、人権保障は原則として各国の政治に委ねられた。国連機関による内政干渉は禁止された。国連による国際的保障活動が本格的に展開するのは1980年代以降のことである。


法的には([[実定法]]を越えた)[[自然権]]としての性格が強調されて用いられている場合と、憲法が保証する[[権利]]の同義語として理解される場合がある<ref name="I_ts">『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p.813 [[樋口陽一]] 執筆「人権」</ref>。また、もっぱら <国家権力からの自由> について言う場合と、[[参政権]]や[[社会権]]やさまざまな新しい人権を含めて用いられることもある<ref name="I_ts" /><ref>「かように <人権> の理解は一様ではないが、西洋近代の個人主義思想を多かれ少なかれ基本に置いている点では共通性がある」と樋口陽一は説明した。人権を尊重しない政権や、アラブやアフリカ、アジアなどでは、[[文化]]の相違などとして反発することがある。だが、一般的に言えば文化の多元性を尊重しつつも、人権価値の普遍性を擁護するという立場が欧米ではコンセンサスを得つつある。(『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p.813 [[樋口陽一]] 執筆「人権」)</ref>。
国によっては人権を保障する成文規定があり、その多くはその国の[[憲法]]の一部を構成している。[[日本国憲法]]にも人権についての記述・規定が存在する([[#日本における人権]])。


人権保障には2つの考え方があるとされる<ref name="yus69">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 69 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。その第一は、いわゆる自然権思想に立つもので、個人には国家から与えられたのではない、およそ人として生得する権利があるのであり、憲法典における個人権の保障はそのような自然的権利を確認するものとの考え方である<ref name="yus69"/>。広辞苑では、実定法上の権利のように剥奪されたり制限されたりしない<ref name="kj5" />、と記述されている。その第二は、自然的権利の確認という考え方を排し、個人の権利を憲法典が創設的に保障しているとの考え方である<ref name="yus69"/>。18世紀の自然権思想は19世紀に入ると後退し法実証主義的ないし功利主義的な思考態度が支配的となったとされ<ref name="chz176"/>、1814年のフランス憲法などがその例となっている<ref name="yus69"/>。
法的には([[実定法]]を越えた)[[自然権]]としての性格が強調されて用いられている場合と、憲法が保証する[[権利]]の同義語として理解される場合がある、ということである<ref name="I_ts">『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p.813 [[樋口陽一]] 執筆「人権」</ref>。また、もっぱら <国家権力からの自由> について言う場合と、[[参政権]]や[[社会権]]やさまざまな新しい人権を含めて用いられることもある<ref name="I_ts" /><ref>「かように <人権> の理解は一様ではないが、西洋近代の個人主義思想を多かれ少なかれ基本に置いている点では共通性がある」と樋口陽一は説明した。人権を尊重しない政権や、アラブやアフリカ、アジアなどでは、[[文化]]の相違などとして反発することがある。だが、一般的に言えば文化の多元性を尊重しつつも、人権価値の普遍性を擁護するという立場が欧米ではコンセンサスを得つつある。(『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p.813 [[樋口陽一]] 執筆「人権」)</ref>。


歴史的には「基本的人権」の概念は、[[18世紀]]の人権宣言にある前国家的な自然権という点を厳密に解すればそれは「自由権」を意味する(最狭義の「基本的人権」観念)<ref name="chz176"/>。また「自由権」をいかにして現実に保障するかという点に立ち至ると「参政権」も「基本的人権」に観念されることとなる(狭義の「基本的人権」観念)<ref name="chz176"/>。上記のような狭義の「基本的人権」観念が18世紀から[[19世紀]]にかけての支配的な人権観念であった<ref name="chz176"/>。18世紀の人権宣言は合理的に行為する「完全な個人」を措定するものであったが、19世紀末から[[20世紀]]にかけての困難な社会経済状態の中でそのような措定を裏切るような事態が次第に明らかとなり、具体的な人間の状況に即して権利を考える傾向を生じ、いわゆる「社会権」も「基本的人権」に観念されるようになった(広義の「基本的人権」観念)<ref name="chz176"/>。
人権に関わる要求や宣言の歴史を見てみると、イギリスでは、1215年に[[マグナ・カルタ]]、1628年に[[権利請願]]、1679年に[[人身保護法]]、1689年に[[権利章典]]があり、これらは封建領主が自分たちの要求を国王に対して認めさせたものであったり、イギリス人の伝統的な権利や自由の尊重を求めたものである。[[絶対主義]]的で[[暴力]]的な[[権力]]から自分たちを護るため、個人の権利を護るためにこれらの要求が行われたわけである。これが近代的な人権思想誕生へとつながり、18世紀に[[市民革命]]が起き、[[1776年]]に米国で[[バージニア権利章典]]、[[1789年]]には([[フランス革命]]でフランスの暴力的な絶対王政を倒しつつ)『[[人間と市民の権利の宣言]]』が成立した。
<!--
人権を尊重すべきである、という理念はおおむね共有されてはいるが{{要出典|date=2013年12月}}、現実の世界で実際にその理念どおりの状態を実現するということは、決してたやすいことではない。歴史を見ても分かるように、人権を侵害しようとする暴力的な者たちは絶えず現れ、そうした者たちと絶えず闘うことによって、ようやく実現するものなのである{{要出典|date=2013年12月}}。また、いかなるものが人権を意味するかについて多様な考えがあり、その実現を難しくしている。そのため、現代でも人権が護られず悲惨な目にあっている人々が多数いる。今でも世界には、人々に暴力を振るったり虐殺してしまうなど、人々を苦しめるような政権・政府が多数存在しているのである。また細やかに見れば、先進諸国においても人権が守られず苦しんでいる人々はまだまだ多数存在する。より現代的に人権を考えるには、社会的かつ人的関係における実体的自己実現性の平等への視点が重要であり、形式的かつ数量的な平準化では人権は実現できないという事実を歴史的にも理解することである。近時は、国内において参政権に関して議論されることは多いが、これは、人権に胚胎する平準化を社会性においてどのように考えるべきかの契機ともなっている。例えば、産業や社会的分業は平準化は不可能であり、これらが地域特性の基盤となって現実的社会を構成している場合に、単なる数量的な平準化による形式的人権観が本来的な基本的人権を確保し得るかという疑問である。-->


なお、最広義には憲法が掲げる権利はすべて「基本的人権」と観念されることもある(最広義の「基本的人権」観念)<ref name="chz177">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 177 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。しかし、自然権的発想を重視する立場からは国家によってのみ創設することができるような権利はこれに含ませることができないと解されている<ref name="yus71">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 71 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。日本の憲法学説でも、自然権的発想を重視する限り「基本的人権」([[日本国憲法第11条]])と「この憲法が国民に保障する自由及び権利」([[日本国憲法第12条]])が同じ内容を持つものではありえないと解されており<ref name="yus71"/>、従来、一般には[[国家賠償請求権]]([[日本国憲法第17条]])や[[刑事補償請求権]]([[日本国憲法第40条]])については「この憲法が国民に保障する自由及び権利」(日本国憲法第12条)に含まれることはもちろんであるが基本的人権を具体化または補充する権利として「基本的人権」そのものとは区別されてきた<ref name="chz177"/>。「この憲法が国民に保障する自由及び権利」(日本国憲法第12条)には広く憲法改正の承認権や最高裁判所裁判官の国民審査権まで含まれるとする学説もある<ref>{{Cite book |和書 |author1= 宮沢俊義 |author2= 芦部信喜 |year= 1978 |title= 全訂日本国憲法 |publisher= 日本評論社 |pages= 195-196 }}</ref>。国によっては憲法が国民に保障する自由及び権利については「基本権」(Grundrechte)と呼んで区別されることがある<ref name="yus71"/>。
近年では、国際連合の主催により[[ウィーン]]で1993年6月に[[世界人権会議]]が開かれ、その成果は「[[ウィーン宣言及び行動計画]]」としてまとめられた。<!--{{要出典|date=2012年4月}}通常は基本権や基本的人権(fundamental human rights) と同義のものとしてとらえられる。--><!--{{要出典基本権という場合とは違い、他人から与えられたのではなく生来的に有するものであるという意味合いで語られることが日本では多い。-->


== 人権思想の歴史 ==
== 人権思想の歴史 ==
=== 前史 ===
[[トマス・ホッブズ|ホッブズ]]の最初に唱えた[[社会契約|社会契約説]]によれば、[[聖書]]に記述されている楽園(原始社会)においても(自然に)存在した権利である生命権と自由権が自然権とされる。このような平和な無国家状態も人口の拡大とともに紛争が必然となる。この混乱を避けるために、個人は国家主権(国王)に対して自然権を完全に放棄し、絶対王政の国家を確立すべきであると主張された。これに反発した[[ジョン・ロック|ロック]]の社会契約説によれば、個人は人権を守るために人権を国家に委託するのであって、[[国家]]が人権を侵害する正当性は、それに属する個人の人権や[[私権]]を保護するために存在するとされた。よって、人権を不必要に侵害する暴政に対して人民は革命の権利を有すると主張された。ちなみに、ロックは原始社会にも個人所有が存在したと主張し、財産権を生命権と自由権に次ぐ自然権とした。これが、彼が[[経済自由主義]]の始祖とされる理由である。ホッブズが最初に提起した自然権と社会契約説がその後の欧米政治思想の基本となったため、人権は現時点での[[法哲学]]の論争の淵源であるといえる。
近代的な人権保障の歴史は[[1215年]]のイギリスの[[マグナ・カルタ]](大憲章)にまで遡る<ref name="kokusai3">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 3 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。マグナ・カルタはもともと封建貴族たちの要求に屈して国王[[ジョン (イングランド王)|ジョン]]がなした譲歩の約束文書にすぎず、それ自体は近代的な意味での人権宣言ではない<ref name="kokusai3"/>。しかし、[[エドワード・コーク|エドワード・コーク卿]]がこれに近代的な解釈を施して「既得権の尊重」「代表なければ課税なし」「抵抗権」といった原理の根拠として援用したことから、マグナ・カルタは近代的人権宣言の古典としての意味を持つようになった<ref name="kokusai3"/>。マグナ・カルタは、1628年の[[権利請願]]、1679年の[[人身保護法]]、1689年の[[権利章典]]などとともに人権保障の象徴として広く思想的な影響を有し続けている<ref name="kokusai3-4">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |pages= 3-4 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。


また、16世紀の宗教改革を経て徐々に達成された[[信教の自由]]の確立はやがて近世における人間精神の解放への一里塚となった<ref name="kokusai4">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 4 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。中世ヨーロッパでは、人々は国家の公認した宗教以外のいかなる宗教の信仰も許されず、公認宗教を信仰しない者は異端者として処罰されたり、差別的な扱いを受けることが普通であった<ref name="kokusai4"/>。このような恣意的な制度に対して立ち上がった人々の戦いは、単に信教の自由の確立にとどまらず、近代における人間の精神の自由への自覚を生みだす役割を果たすこととなった<ref name="kokusai4"/>。
人権の観念の成立後も国家によって人権が侵害されたことは[[歴史]]的事実であるが、国家による人権の侵害がどの程度において許容されるかはいまだ解決されていない論争である。多くの人権侵害、場合によっては大量虐殺が国家の維持あるいは全国民の名のもとに行われたのは事実である。[[日本国憲法]]においては人権の維持に不断の努力を要するとする。しかし、人権は法律上「生来」のものとされているが、「絶対」のものとはされていない。ロックなどの自由主義が最初に主張されたときから、権利を守るための権利の侵害は正当化されており、ロックや[[ジョン・スチュアート・ミル|ミル]]あるいは[[イマヌエル・カント|カント]]などの代表的な自由主義者・人権論者が、[[死刑]]あるいは戦争を条件付で肯定した理由がそれである。日本国憲法においても人権侵害は[[公共の福祉]]の元に正当化されており、この場合の境界は司法の判断に任されている。


=== 17世紀〜18世紀 ===
かつては、人権の根拠は[[自然法]]つまり神(宗教的権威性)に求められていた。しかし、[[世俗主義]]の民主主義国家において、特に、日本においては、人権そのものが、根拠・命題と自然法論で主張される([[恒真式|トートロジー]])。これが日本においては[[個人の尊厳]]に求められる。[[日本国憲法第13条]]の「個人の尊厳」はこの意味に解される。この場合、人権の観念は憲法も含めた法律の上に位置付けられるという法学者が多い。一方で、法実証論においては、人権の根拠は単純に法律(ほとんどの国では憲法)にあるとされる。
市民階級の台頭を背景に[[フーゴー・グローティウス|グローティウス]]、[[ジョン・ロック|ロック]]、[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]などにより生成発展された近代自然法論はのちの人権宣言の形成に重要な役割を果たすこととなった<ref name="kokusai4"/>。例えばロックは生命、自由及び財産に対する権利を天賦の人権として主張するとともに、信教の自由についても国家は寛容であるべきことを主張している<ref name="kokusai4-5">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |pages= 4-5 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。


「天賦の権利」について実定化した最初の人権宣言は[[1776年]]の[[バージニア権利章典]]である<ref name="kokusai5">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 5 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。アメリカ植民地の人々は[[印紙法]]に対する反対闘争以来、権利請願や権利章典などを援用することで自らの権利を主張しイギリス本国の圧制に抗していたが、[[アメリカ独立戦争]]に突入すると「イギリス人の権利」から進んで自然法思想に基づく天賦の人権を主張するに至った<ref name="kokusai5"/>。
また、自然法および社会契約説は虚構であるとして、人権概念を否定し、[[公民権]]概念をもってこれにおきかえる主張もある。
{{quotation|
; バージニア権利章典第1条
: 人は生まれながらにして自由かつ独立であり、一定の生来の権利を有する。これらの権利は、人民が社会状態に入るにあたり、いかなる契約によっても、人民の子孫から奪うことのできないものである。かかる権利とは、財産を取得・所有し、幸福と安全とを追求する手段を伴って生命と自由を享受する権利である。<ref name="kokusai5"/>
}}


アメリカで結実した自然法思想はフランスの[[人間と市民の権利の宣言]](フランス人権宣言、1789年)を生み出す原動力となった<ref name="kokusai6">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 6 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。フランス人権宣言では人は生まれながらにして自由かつ平等であることを前提に、人身の自由、言論・出版の自由、財産権、抵抗権などの権利を列挙するとともに、同時に国民主権や権力分立の原則を不可分の原理と定めている<ref name="kokusai6"/>。人権思想はフランス革命の進行とともにいっそう高まり、[[1793年憲法]]では抵抗権の規定が不可欠の義務にまで高められたが、財産権については公共の必要性と正当な事前補償があれば制限し得る相対的なものとなった<ref name="kokusai8">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 8 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>(ただし、1793年憲法は施行されることはなかった)。
サウジアラビアやイランなどイスラム教国ではキリスト教に根拠を置く人権思想を異教の思想として受け入れられないとする考えも根強いが、現代ではイスラム教国であっても人権思想を否定することは出来ないため血の神聖さなどの教義を中心としたイスラム法([[シャリーア]])における人権という考え方を持って欧米との整合性を取ろうとしている。しかし、イスラム法における人権は制限が厳しく、欧米からは人権侵害であると非難されている。
イスラム法における人権を明記した憲法にはサウジアラビアの実質的憲法である基本統治法などがある。


== 人権の性質 ==
=== 19世紀 ===
18世紀の自然権思想は19世紀に入ると後退し法実証主義的ないし功利主義的な思考態度が支配的となった<ref name="chz176"/>。
[[ウィーン宣言及び行動計画]]は第1部第5節において人権の性質について以下のように規定した。
*人権の固有性
*人権の不可侵性
*人権の普遍性
*人権の不可分性
*人権の相互依存性


フランスの[[1814年憲章|1814年欽定憲法]]では国民の権利は法の下の平等や人身の自由など数の上でも制限されたばかりでなく、質的にも天賦の権利から国王によって与えられた恩恵的な権利へと変化した<ref name="kokusai8"/>。
== 人権の国際化 ==
==== 世界人権宣言 ====
[[1948年]][[12月10日]]、[[国際連合]]は[[世界人権宣言]]を採択して宣言した。これは国際社会における人権の基本原則である。
外務省の「世界人権宣言」(仮訳文)より


ドイツの1850年のプロイセン憲法も多数の権利規定を置いてはいたが、保障されている権利や自由は天賦のものではなく「法律によるのでなければ侵されない」というものに過ぎなくなった<ref name="kokusai9">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 9 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。
==== 国際人権規約 ====

{{main|国際人権規約}}
個人権の考え方を支配していたのは国家の主たる任務は国民の自由の確保にあり、国家は社会に干渉しないことが望ましいという「自由国家」の思想である<ref name="yus72">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 72 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。憲法による権利保障では法の適用の平等と各種の自由権の保障が中心的な位置を占めていた<ref name="yus72"/>。自由権は1850年のプロイセン憲法に至って飽和状態となり、以後の諸憲法はほぼこれを踏襲して第一次世界大戦に至ることとなった<ref name="yus72"/>。
[[1966年]][[12月16日]]に、前項の'''世界人権宣言'''に法的拘束力を与えるため、国際連合は[[国際人権規約]]([[経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約]]及び[[市民的及び政治的権利に関する国際規約]]、[[市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書]])を採択した。批准国に対し、「勧告」を発する形で強制ができる。

=== 20世紀以降 ===
==== 自由主義諸国の憲法と社会主義諸国の憲法 ====
18世紀から19世紀にかけて[[資本主義]]は急速に発展したが、それとともに諸々の社会的矛盾が現れ始めた<ref name="kokusai11">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 9 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。自由競争は社会の進歩をもたらすが、それが正義感覚で是認されるためには競争の出発点は平等でなければならない<ref name="yus73">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 73 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。[[産業革命]]の進展に伴って大量生産時代が普及するとともに生産手段を持たない労働者の数が増大したが、このような無産階級の人々にとって憲法の保障する財産権や自由権の多くは空しいものに過ぎなくなり、自由主義理念に基づく自由放任経済は著しい富の偏在と無産階級の困窮化をもたらした<ref name="kokusai11"/>。国家は社会的な権利を保障するため積極的に関与することを求められるようになった<ref name="kokusai11"/>。

そこで20世紀の憲法には[[ヴァイマル憲法]]の流れをくむ自由主義諸国の憲法と[[ソビエト連邦の憲法]]などの社会主義諸国の憲法の2つの流れを生じた<ref name="kokusai14">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 14 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。

[[1919年]]のヴァイマル憲法は「社会国家」思想または「福祉国家」思想に基づき生存権や労働者の権利といった社会的人権を保障した最初の憲法である<ref name="kokusai11"/><ref name="yus73"/>。ふつう自由主義諸国においては「自由国家」と「社会国家」の共存が理想とされている<ref name="yus74">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 74 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。

一方、社会主義諸国の憲法は本質的に自由主義諸国の憲法とは異なっていた<ref name="kokusai15">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 15 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。自由権の権利保障の場合、単に抽象的な自由を保障するのではなく、自由権の行使に必要な物質的条件の保障もあわせて定められているという特色がある<ref name="kokusai15"/>。また、1936年の[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1936年)|ソビエト社会主義共和国連邦憲法]]は、市民の消費の対象となる物の所有及び相続は認めていたが、土地や生産手段などの私的所有は禁じていた<ref name="kokusai16">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 16 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。

しかし、ブルジョア民主主義を経験しなかったロシアや東欧諸国などの社会主義諸国においては憲法そのものが十分に機能せず、そこで保障されていた権利や自由も画餅に帰していた<ref name="kokusai17">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 17 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。結局、一党独裁や硬直した官僚主義などの要因によって旧ソ連や東欧の社会主義国家は行き詰まり、これらの国々の憲法も効力を失うこととなった<ref name="kokusai16"/>。ただそこでの権利保障の発想は自由主義諸国の憲法にも影響を与えたとされている<ref name="kokusai16"/>。

==== 人権の国際化 ====
[[国連憲章]]体制のもとでは、人権の普遍的概念は[[アプリオリ]]には存在せず、また、人権保障は原則として国内管轄事項であって国連機関による干渉が禁止される領域のものであった。このため、人権の国際的実施は、条約の形で具体化された国家の合意の枠内でまず発展した。条約制度の枠組みを離れた、とくに国連による人権の国際的保護活動が本格的に展開するのは、1980年代以降のことである。

[[1948年]][[12月10日]]、[[国際連合]]は[[世界人権宣言]]を採択して宣言した。

[[1966年]][[12月16日]]には、世界人権宣言に法的拘束力を与えるため、国際連合は[[国際人権規約]]([[経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約]]及び[[市民的及び政治的権利に関する国際規約]]、[[市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書]])を採択した。

自由権規約第40条には報告制度、自由権規約第41条には国家間通報制度、選択議定書には個人通報制度が定められている<ref>アムネスティ・インターナショナル[http://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/ihrl/report_system.html 『国連の人権条約が持っている個人通報制度一覧』]。</ref>。


==== 国際人権法 ====
{{main|国際人権法}}
世界人権宣言の具体的な実現のため、国際連合は国際人権規約以外に[[国際人権法|人権に関する諸条約]]を制定している。また[[欧州評議会]]は「[[人権と基本的自由の保護のための条約]]」を、[[米州機構]]は「[[米州人権条約]]」を、[[アフリカ連合]]は「[[人及び人民の権利に関するアフリカ憲章]]」を制定し、人権の国際法上の保障のためそれぞれ人権裁判所を設置している。
世界人権宣言の具体的な実現のため、国際連合は国際人権規約以外に[[国際人権法|人権に関する諸条約]]を制定している。また[[欧州評議会]]は「[[人権と基本的自由の保護のための条約]]」を、[[米州機構]]は「[[米州人権条約]]」を、[[アフリカ連合]]は「[[人及び人民の権利に関するアフリカ憲章]]」を制定し、人権の国際法上の保障のためそれぞれ人権裁判所を設置している。
== 日本における人権 ==
日本国憲法は、[[国民主権]](主権在民)、[[平和主義]]とならび、基本的人権の尊重を三大原則としている。


== 人権の類型化 ==
基本的人権とは、[[人間]]が、一人の人間として人生をおくり、他者とのかかわりをとりむすぶにあたって、決して侵してはならないとされる人権のことである。すべての人間が生まれながらにして持つ。
[[ゲオルグ・イェリネック]]の公権論からは国家に対する国民の地位によって「積極的地位」(受益権)や「消極的地位」(自由権)といった分類が行われた<ref>{{Cite journal |和書|author = 奥平康弘 |title = 人権体系及び内容の変容 |year = 1977 |publisher = 有斐閣 |journal = ジュリスト |volume = 638 |pages = 243-244 }}</ref>。

[[宮沢俊義]]は「消極的な受益関係」での国民の地位を「自由権」、「積極的な受益関係」での国民の地位を「[[社会権]]」とし、請願権や裁判を受ける権利などは「能動的関係における権利」に分類した<ref>{{Cite book |和書 |author= 宮沢俊義 |year= 1958 |title= 法律学全集(4)憲法II新版 |publisher= 有斐閣 |pages= 90-94 }}</ref>。

[[佐藤幸治]]は「包括的基本権」、「消極的権利」(自由権)、「積極的権利」(受益権・社会国家的基本権)、「能動的権利」(参政権・請願権)に分類する<ref name="chz178-179">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |pages= 178-179 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
* 包括的権利(包括的基本権)
*: [[幸福追求権|生命・自由・幸福追求権]]や[[法の下の平等]]は、それ自体が権利としての性質を有するとともに他の個別的諸権利の保障の基礎的条件をなす権利であり「包括的権利」などとして位置づけられる<ref name="chz178">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 178 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
* 消極的権利(自由権)
** 精神活動の自由としては、[[思想・良心の自由]]、[[信教の自由]]、[[学問の自由]]、[[表現の自由]]、集会・結社の自由([[集会の自由]]及び[[結社の自由]])、[[居住移転の自由|居住・移転の自由]]、外国移住・国籍離脱の自由がある<ref name="chz178"/>。
** 経済活動の自由としては、[[職業選択の自由]]や[[財産権]]の保障がある<ref name="chz178"/>。
** 私的生活の不可侵としては、住居等の不可侵や[[通信の秘密]]がある<ref name="chz178"/>。
** 人身の自由及び刑事裁判手続上の保障としては、奴隷的拘束・苦役からの自由、適正手続の保障、不法な逮捕からの自由、不法な抑留や拘禁からの自由、拷問及び残虐刑の禁止、刑事裁判手続上の保障がある<ref name="chz178"/>。
* 積極的権利
** [[受益権]]として、[[裁判を受ける権利]]、[[国家賠償請求権]]、[[刑事補償請求権]]がある<ref name="chz178"/>。
** 社会国家的基本権として、生存権、[[教育を受ける権利]]、[[勤労権]]、[[労働基本権]]がある<ref name="chz178-179"/>。
* 能動的権利
*: 能動的権利として、公務員選定罷免権([[参政権]])と[[請願権]]がある<ref name="chz179">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 179 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。

人権の分類は法学者によっても異なるほか、多面的な権利と考えられているものもある。
* 従来、請願権は請願の受理を求める権利であるとの理解から[[国務請求権]](受益権)に分類されてきたが、現代の請願は民意を直接に議会や政府に伝えるという意味が重要視されており参政権的機能をも有するものと理解されている<ref name="chz353">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一|author2= 佐藤幸治|author3= 中村睦男|author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 353 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。請願権を参政権に分類する学説もあるが、請願権は国家意思の決定に参与する権利ではないから典型的参政権とは異なる補充的参政権として捉えられることがある<ref name="chz354">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一|author2= 佐藤幸治|author3= 中村睦男|author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 354 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
* 日本国憲法に定められる権利の場合、学説は一般には[[日本国憲法第25条]](生存権)、[[日本国憲法第26条]](教育権)、[[日本国憲法第27条]](労働権)、[[日本国憲法第28条]](労働基本権)に定められる権利を「社会権」として一括して分類している<ref name="chzII140">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |page= 140 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref>。ただし生存権などについて「社会国家的国務請求権」として分類されることもある<ref name="yus151">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 151 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。

[[我妻栄]]は『新憲法と基本的人権』(1948年)などで、基本的人権を「自由権的基本権」と「生存権的基本権」に大別し、人権の内容について前者は「自由」という色調を持つのに対して後者は「生存」という色調をもつものであること、また保障の方法も前者は「国家権力の消極的な規整・制限」であるのに対して後者は「国家権力の積極的な関与・配慮」にあるとして特徴づけ通説的見解の基礎となった<ref name="chzII141">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |page= 141 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref>。

しかし、社会権と自由権は截然と二分される異質な権利なのかといった問題や社会権において国家の積極的な関与が当然の前提となるのかといった問題も指摘されている<ref name="chzII141"/>。教育を受ける権利と教育の自由や労働基本権と団結の自由など自由権的側面の問題が認識されるようになり、時代の要請から強く主張される新しい人権(学習権、環境権等)も自由権と社会権の双方にまたがった特色を持っていることが背景にある<ref name="chzII141"/>。

現代では「積極的権利」や「福祉的権利」の比重が著しく増大し、[[国際人権規約]]でもまず社会権的なA規約があり、然る後に自由権的なB規約があるなど、具体的人間に即して人権の問題を考えようとする傾向がみられ、「自由権」と「社会権」あるいは「消極的権利」と「積極的権利」という区別はあまり意識されなくなっている<ref name="chz177"/>([[市民的及び政治的権利に関する国際規約]](自由権規約)には[[法の下の平等]]や[[生存権]]なども保障されている)。社会権と自由権の区別そのものを放棄する学説もあるが、社会権と自由権の区別の有用性を認めた上で両者の区別は相対的であり相互関連性を有するとする学説が一般的となっている<ref name="chzII141-142">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |pages= 141-142 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref>。

== 人権の権利性 ==
=== プログラム規定 ===
1919年のドイツのヴァイマル憲法は社会国家思想を強く打ち出したものであったが、憲法起草時までドイツでは憲法典は政治上の宣言にすぎないと考えられ、憲法典では社会体制や経済的基盤から遊離した政治理想が奔放に述べられた<ref name="yus151"/>。そのため、憲法典の実施に当たっては裁判所が直接有効な法としての効果を与えるために、「法たる規定」と「[[プログラム規定]]」に区分する以外になかった<ref name="yus151-152">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |pages= 151-152 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。

第二次世界大戦後の各国の憲法典では次のような3つの類型が出現することとなった<ref name="yus152">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 152 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。
* 法としての効果を有する規定のみを掲げているもの([[ドイツ連邦共和国基本法]])<ref name="yus152"/>
* 裁判所が強制しうる規定と立法に対する指導原則を指示するにとどまる規定を区分して規定するもの([[スペイン1978年憲法|スペイン憲法]])<ref name="yus152"/>
* 直接に法的効果をもつ規定とそうでない規定が混在しているもの([[イタリア共和国憲法]])<ref name="yus152"/>


日本国憲法では[[日本国憲法第25条|憲法第25条]]、[[日本国憲法第26条|憲法第26条]]、[[日本国憲法第27条|憲法第27条]]などについてプログラム規定と解する説(プログラム規定説)があるが、安易にプログラム規定と性格づけることは疑問とされている<ref name="chz180">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 180 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
基本的人権は、[[生命]]、[[財産]]、[[名誉]]の尊重といったような個別的具体的な権利の保障へと展開することが多い。このため、体系化されているさまざまな権利を総称して「基本的人権」ということもある。
また、例えば日本の憲法25条におけるプログラム規定説は、自由権的側面については国に対してのみならず私人間においても裁判規範としての法的効力を認めており、請求権的側面についても憲法第25条が下位にある法律の解釈上の基準となることは認めている<ref name="chzII143">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |pages= 143 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref><ref name="chzII150">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |page= 150 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref>。したがって、文字通りのプログラム規定ではないことから、このような用語を使用することは議論を混乱させ問題点を不明瞭にさせるもので適当でないという指摘がある<ref name="chzII150-151">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |pages= 150-151 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref>。


=== 具体的権利と抽象的権利 ===
人権に関する法律の整備の基本的な部分は、主に[[内閣府]]と[[法務省]]が担当しており、法務省の[[人権擁護局]]がその中心となっているほか、必要に応じて担当する省庁が法律を整備している。
請求権的性格を有する基本的人権をめぐっては抽象的権利と具体的権利の区別の問題を生じる<ref name="chz179">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 179 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。


例えば、日本国憲法第25条の権利を、抽象的権利と解する説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しているときにはその法律に基づく訴訟において憲法第25条違反を主張することができるとしつつ、立法または行政権の不作為の違憲性を憲法第25条を根拠に争うことまでは認められないとする<ref name="chzII144">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |pages= 144 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref>。一方、具体的権利と解する説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しない場合でも、国の不作為に対しては違憲確認訴訟を提起できるとする<ref name="chzII144"/><ref>{{Cite journal |和書|author = 大須賀明 |title = 社会権の法理 |year = 1972 |publisher = 有斐閣 |journal = 公法研究 |volume = 34 |page = 119 }}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author= 大須賀明 |year= 1984 |title= 生存権論 |publisher= 日本評論社 |pages= 71}}</ref>。
=== 基本的人権の内容 ===
分類方法は法学者により異なる。括弧内の(第〇条)とは、[[s:ja:日本國憲法|日本国憲法]]による。その他は条約。
*包括的基本権
**[[幸福追求権]]
**[[法の下の平等]]([[日本国憲法第14条|第14条]])
***一切の[[差別]]行為の禁止、[[貴族]]制度の廃止、栄典への特権の否定([[日本国憲法第14条|第14条]]、[[国際人権法]]、[[世界人権宣言]])
***家族生活における両性の平等―[[家制度]]と[[家父長制]]の否定([[日本国憲法第24条|第24条]])
***選挙権の平等
*[[自由権]](国家からの自由、恐怖から免れる権利([[日本国憲法前文|前文]]))
**精神的自由権(精神の自由)
***[[内面の自由|内面的精神の自由]]
****[[信教の自由]](政府による[[国教]]指定の禁止、[[政教分離原則|政教分離]] ([[日本国憲法第20条|第20条]]第3項))
****[[思想・良心の自由]](特定の信仰・思想を強要されない、また思想調査をされない権利 ([[日本国憲法第19条|第19条]]、[[日本国憲法第20条|第20条]]、[[日本国憲法第21条|第21条]]))
****[[学問の自由]](第23条)―研究の自由、[[大学]]の自治保障
***外面的精神の自由
****[[表現の自由]](第21条)
****[[集会の自由|集会]]・[[結社の自由]](第21条)
****[[通信の秘密]](第21条)
****[[学問の自由]](第23条)―研究発表の自由、教授の自由
****[[アクセス権 (知る権利)|(発表手段への)アクセス権]]([[日本国憲法第21条|第21条]])
****通報の自由([[国際人権法]])<ref>アムネスティ・インターナショナル[http://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/ihrl/report_system.html 『国連の人権条約が持っている個人通報制度一覧』]。</ref>
**経済的自由権(経済の自由、経済活動の自由)
***居住・移転の自由(第22条)
***移動・国籍離脱の自由―外国移住の自由([[日本国憲法第22条|第22条]]第2項)
***[[職業選択の自由]]―営業の自由([[日本国憲法第22条|第22条]]第1項)
***財産権の保障―[[財産権]](第29条)
**身体的自由権(人身の自由)
***[[奴隷]]的拘束及び苦役からの自由、刑罰執行以外の意に反する使役禁止([[徴兵]]の否定)([[日本国憲法第18条|第18条]])
***法定手続の保障([[日本国憲法第31条|第31条]])
****[[現行犯逮捕]]以外での、[[令状]]なき拘束・逮捕の否定([[日本国憲法第33条|第33条]])
****令状なき捜索・押収の否定([[日本国憲法第35条|第35条]]第2項)
****住居の不可侵([[日本国憲法第35条|第35条]])
***公務員による[[拷問]]・残虐な刑罰の絶対禁止([[日本国憲法第36条|第36条]])
****[[黙秘権]]の保障
****自白の強要禁止とその証拠能力否定([[日本国憲法第38条|第38条]])
***刑事裁判の公開原則と刑事[[被告]]人の権利([[日本国憲法第37条|第37条]])
****[[弁護人依頼権]]
****証人審問権
****[[法の不遡及]]と[[一事不再理]]保証([[日本国憲法第39条|第39条]])
* [[社会権]](国家により欠乏や抑圧から免れる権利([[日本国憲法前文|前文]]))
**[[表現の自由#知る権利|知る権利(アクセス権)]]([[日本国憲法第14条|第14条]]、[[日本国憲法第21条|第21条]])
**[[社会保障]]を受ける権利([[日本国憲法第25条|第25条]])
**[[生存権]]([[日本国憲法第25条|第25条]])
**[[教育を受ける権利]]([[日本国憲法第26条|第26条]])
**勤労の権利([[日本国憲法第27条|第27条]]第1項)
**[[労働基本権]](団結権・団体交渉権・団体行動権)([[日本国憲法第28条|第28条]]、[[結社の自由及び団結権の保護に関する条約]])
**[[居住の権利]]
*[[参政権]]
**[[選挙権]]
**[[被選挙権]]
**公務員の選定・罷免の権利
**[[国民投票]]
***憲法改正権
***地方自治特別法制定同意権
**[[国民審査]]
*国務請求権・受益権<!-- ここにあるものを「請求権」と呼ぶのは、高校の政治経済独自の用語であり、学術的には採用されていない。 -->
**[[請願権]]・陳情
**[[裁判を受ける権利]]([[日本国憲法第32条|第32条]])
**刑事補償請求権([[日本国憲法第40条|第40条]])
**[[国家賠償]]・補償請求権(損害賠償請求権・[[日本国憲法第17条|第17条]])
**[[直接請求]]権
***条例の改廃・新規制定
***解職請求([[リコール (地方公共団体)|リコール]])
***監査請求
**不当な収用・強制拠出の否定([[日本国憲法第29条|第29条]])
*[[平和的生存権]]([[日本国憲法前文|前文]]第二段落及び[[日本国憲法第9条|第9条]]を根拠に主張する説がある)


ただ、立法不作為の確認訴訟にとどまるものに「具体的」、憲法第25条違反として裁判で争う可能性まで残されているものに「抽象的」といった名称を用いることには疑問の余地があるとする指摘もある<ref name="chz231">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 231 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
註:ここにある人権は単一のカテゴリに入れる事は不適当であり、自由権の中でも社会権的なもの、またその逆もある。また時代によって人権の意味が変わってくるため、その権利を固定的な意味で捉えるのは適当ではない(人権の相対性)。


==== 新しい人権 ====
=== 制度的保障 ===
制度的保障とは、一般には、議会が憲法の定める制度を創設し維持することを義務づけられ、その制度の本質的内容を侵害することが禁じられているものをいう<ref name="chz181">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 181 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。制度的保障では直接の保障対象は制度それ自体であるから個人の基本的人権そのものではないが、制度的保障は基本的人権の保障を強化する意味を有する<ref name="chz181"/>。
{{main|新しい人権}}
[[包括的基本権|包括的基本権(日本国憲法第13条)]]より導き出されるとされる。
*[[人格権]]
**[[プライバシー]]の権利
***[[肖像権]]
*[[環境権]]
*[[日照権]]
*[[交通権]]
*[[自己決定権]]
*[[被害者]]の権利


制度的保障として捉えられることがある制度には次のようなものがある。
==== 人権の権利性 ====
* [[大学の自治]]
* 具体的権利
*: 大学の自治の法的性格については学問の自由を保障するための客観的な制度的保障とする制度的保障論が有力である<ref name="chzII126">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |pages= 126 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref>。
* 抽象的権利
* 私有財産制度
* [[プログラム規定]]
*: 私有財産制度は財産権の保障との関連で制度的保障として捉えられることがある。
*: ただし、日本国憲法第29条第1項(財産権の保障)については、客観的法秩序としての私有財産制の制度的保障のみを認める趣旨であるとする説<ref>{{Cite book |和書 |author= 柳瀬良幹 |year= 1949 |title= 人権の歴史 |publisher= 明治書院 |page= 60-61 }}</ref>もあるが、多数説は私有財産制の制度的保障とともに個人が現に有する財産権をも個別的に保障していると解している<ref name="chzII237">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1997 |title= 注解法律学全集(2)憲法II |publisher= 青林書院 |pages= 237 |isbn= 4-417-01040-4 }}</ref>。
* [[政教分離原則]]
*: 政教分離原則は信教の自由との関連で制度的保障として捉えられる<ref>{{Cite book |和書 |author= 橋本公亘 |year= 1988 |title= 日本国憲法改訂版 |publisher= 有斐閣 |page= 233 }}</ref>。ただし、政教分離原則を制度的保障として捉えることは微妙であるとする消極的な見解もある<ref name="chz181"/>。


==== 制度的保障 ====
{{see|制度的保障}}
{{see|制度的保障}}


=== 人権享有主体性 ===
== 人権享有主体性 ==
=== 国民 ===
;外国人の人権
国民が人権の享有主体であることは説明を必要としない<ref name="chz182">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 182 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。国籍の要件は憲法や法律で定められる。国民の要件は憲法で定めている場合もあれば法律に委ねている場合もある。
:原則として、日本国憲法の人権規定は外国人に対しても適用される。ただし、[[参政権]]、公務就任権、[[社会権]]、入国の自由などに対しては制限があると考えられている。
:外国人の人権に制限を認めた判例として、[[マクリーン事件]]、[[森川キャサリーン事件]]などがある。
;皇族の人権
:[[皇族]]に[[自由権]]・[[平等権]]・[[社会権]]・[[参政権]]・[[請求権]]が制限されている可能性が指摘されている。皇族が[[日本国憲法第10条]]で言う「日本[[国民]]」に該当するかは学説上争いがある。判例によると[[皇室典範]]21条の類推により訴追を受けないと解されている。ただしこれによっては天皇の側から訴追する権利は失われない。また、皇族は上記の特別な法律関係における人権に該当するという説もある([[天皇制廃止論]]を参照)。


日本の場合、[[日本国憲法第10条]]が「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と定めており、国籍の取得と喪失について[[国籍法 (日本)|国籍法]](昭和25年法律第147号)が定めている<ref name="yus75">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 75 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。
=== 基本的人権の限界 ===
==== 公共の福祉 ====
{{see also|公共の福祉}}
憲法で現在及び将来の世代に永久に保障([[日本国憲法第11条]]、[[日本国憲法第97条]])されてはいても「濫用してはならず、常に[[公共の福祉]]のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定されており、実定法によって制限され得るので維持し続ける必要がある([[日本国憲法第12条]])。


日本では、天皇及び皇族について、ともに憲法10条の「国民」に含まれるが世襲制や天皇の象徴たる地位から一定の異なる扱いを受けるとする説(宮沢俊義)、天皇については象徴たる地位から憲法10条の「国民」には含まれないが、皇族は憲法10条の「国民」に含まれ皇位継承に関係のある限りで一定の変容を受けるとする説(伊藤正己)、皇位の世襲制を重視し天皇・皇族ともに憲法10条の「国民」には含まれないとする説(佐藤幸治)など、学説は分かれていて一様ではない<ref>{{Cite book |和書|author1=野中俊彦|author2=高橋和之|author3=中村睦男|author4=高見勝利|edition=第3版|year=2001|title=憲法|volume=I|page=216-217|publisher=有斐閣|location= |isbn=4641128936|quote= }}</ref>。
==== 特別な法律関係 ====
法人・[[公務員]]・在監者・国立大学学生・[[皇族]]に対しては一部の人権が制限されるとの見解もあった([[特別権力関係論]])。


[[2004年]]、[[皇太子徳仁親王]]が記者会見で[[皇太子徳仁親王妃雅子|皇太子妃雅子]]に関して述べたいわゆる[[人格否定発言]]に関して議論が起きた際、評論家の[[西尾幹二]]らは[[皇族]]に一般に言われる[[人権]]はないとする論陣をはった。その論旨は [[天皇]]および皇族は「一般国民」ではなく<ref>[[神道]]信者である事が義務付けられ、[[皇室典範]]により結婚・独立には[[皇室会議]]の同意が必要で[[家制度]]と[[家長]]制度が存在する。[[選挙権]]ももちろんない</ref>、その日常生活にはすべて公的な意味があり、[[プライバシー]]や自由が制限されるのは当然とするものである。また、「人権」という言葉は「抑圧されている側が求める概念の革命用語」であり、天皇や皇族が「抑圧」されているのはあってはならない(ありえない)とする<ref name="will">西尾『皇太子さまへのご忠言』ワック 2008年(ISBN 4898311245)、「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2008年5月-8月号</ref>。これについて[[自然権]]としての人権ということが理解されていないという批判があるが、西尾は人権そのものを否定したのではなく、その適用の対象または範囲に限定して論じたと応答している<ref name="will"/>。この論については[[竹田恒泰]]が「人格否定発言について、『皇太子殿下の強い抗議は、ヨーロッパの王族の自由度の広い生活を比較、視野に入れてのことであろう』というが、これも一体どのような取材をした結果だというのか」などと反論し、雑誌記事にコメントする立場にない皇族に対して妄想のいりまじった、無根拠な非難は「卑怯」とした<ref>『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2008年7月号</ref>。
==== 私人間効力 ====

人権規定の[[私人間効力|私人間効力・第三者効力]]については争いがある。
=== 外国人 ===
*直接適用(効力)説
人権の前国家性からは外国人にも人権の保障は及ぶと解されている<ref name="chz185">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 185 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
:[[憲法]]に定める人権の効力は公私の別を問わず該当するから、私人間にも憲法の適用を直接できるという説。

*間接適用(効力)説
日本では、法理的には日本国憲法第三章の規定はその表題にあるように「国民の権利及び義務」であるとした上で憲法前文の政治道徳の尊重から外国人にも基本的人権の保障が及ぶものと解する学説<ref name="yus77">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 77 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>と、人権の前国家性や憲法の国際協調主義及び日本国憲法第13条前段の趣旨の帰結として外国人にも基本的人権の保障が及ぶものと解する学説<ref name="chz185"/>がある。
:憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて[[公権力]]と私人の関係であるが、私法上の解釈において憲法の人権保障の趣旨を汲むことにより私人間における人権保障を図ろうとする説。通説であり、判例もこの立場と解されてきた。

:問題となった事件として、[[三菱樹脂事件]]、[[昭和女子大事件]]などがある。
ただし、外国人の人権享有主体性を認める場合でも、その法的地位は国民と全く同一というわけではない<ref name="chz185"/>。たとえば、外交、国防、幣制などを担う国政選挙の参政権は伝統的な国民主権原理のもとでは自国民に限られると解されている<ref>{{Cite book |和書|author1=野中俊彦|author2=高橋和之|author3=中村睦男|author4=高見勝利|edition=第3版|year=2001|title=憲法|volume=I|page=211|publisher=有斐閣|location= |isbn=4641128936|quote= }}</ref>。
:具体例として、民間企業の男女別[[定年]]制は[[日本国憲法第14条]]違反ではなく、[[b:民法第90条]]違反として無効であるとされた([[日産自動車事件]])。

*無適用(効力)説
{{see|外国人}}
:憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて公権力と私人の関係であり,憲法の人権規定は私人間の関係に全く効力を及ぼさないとする説。もっとも、近時の見解は、私法もまた憲法と共通の価値秩序を前提とするはずであるから、私法の解釈においてもその価値は考慮されるはずであるとする。判例はこのような立場であるとも解することが可能である。

=== 法人 ===
法人についてはドイツ連邦共和国基本法のように憲法典で法人にも人権保障が及ぶことを明文で規定している場合がある<ref name="yus78-79">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |pages= 78-79 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。

日本国憲法には明文の規定がないが性質上可能な限り内国の法人にも権利の保障は及ぶとするのが確立された法理となっている(八幡製鉄事件判例最大判昭和45・6・24民集24巻6号625頁)<ref name="yus79">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 79 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。

なお、男女同権、良心の自由、婚姻に関する保障などは、その性質上法人には保障が及ばない<ref name="yus79"/>。

== 人権の適用領域 ==
=== 特別の法律関係 ===
国民は一般的には国(または地方自治体)の権力的支配に服しているが、これとは別に法律上の特別の原因に基づいて特別の権力的な支配関係に入ることがある<ref name="yus81">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 81 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref><ref name="chz193">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 193 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。このような特別の権力的な支配関係としては、公務員や国公立学校の学生や生徒のように本人の同意に基づく場合と、刑事収容施設の被勾留者や受刑者のような場合がある<ref name="yus81"/><ref name="chz193"/>。

かつての公法理論である「[[特別権力関係論]]」では、このような関係においては法治主義の原則が排除され、特別権力主体には包括的な支配権が認められ、それに服する者に対しては法律の根拠なく権利や自由を制限でき、特別権力関係の内部行為についても司法審査が及ばないとされていた<ref name="chz193-164">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |pages= 193-194
|isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。しかし、現代では、このような人権の制約も、その特殊な法律関係の設定や存続のために内在する必要最小限度で合理的なものでなければならず、権利や自由の侵害に対しては司法審査が及ばなければならないと解されている<ref name="chz194">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 194 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。

{{see|特別権力関係論}}


== 人権にする諸問題==
==== 公務員係 ====
{{see|公務員|日本の公務員}}
=== 公権力による人権侵害 ===
[[冤罪]]、[[刑務所]]・[[拘置所]]などの職員による被収容者への虐待、劣悪な収容環境など。公権力による人権侵害は裁判所も公権力を構成するだけに公正な判決を期し難い場合もある。このため、[[欧州評議会]]加盟国では[[欧州人権裁判所]]を設置して[[市民]]が加盟国政府に対する訴訟を提起できる制度をとっているが、[[日本]]では[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]を超越する国際的司法機関への提訴の道は開かれていない。


==== 在監関係 ====
外部から隔離された刑務所などの刑事施設の処遇をみればその国の人権意識のレベルがわかるといわれている<ref>{{Cite book|和書
外部から隔離された刑務所などの刑事施設の処遇をみればその国の人権意識のレベルがわかるといわれている<ref>{{Cite book|和書
|author=荒井彰
|author=荒井彰
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日本においては、[[国際人権規約]]の下で設置された[[国連人権委員会]]において[[代用刑事施設|代用監獄]]の問題を指摘された。人権委員会は[[1998年]]の第4回日本政府報告の審査において代用監獄の廃止を勧告している。
日本においては、[[国際人権規約]]の下で設置された[[国連人権委員会]]において[[代用刑事施設|代用監獄]]の問題を指摘された。人権委員会は[[1998年]]の第4回日本政府報告の審査において代用監獄の廃止を勧告している。


=== 憲法の私人間効力 ===
===マスメディアにおける人権問題===
元来、憲法による基本的人権の保障は国家と国民との関係で国家による侵害から国民の自由を保全しようとするものである<ref name="chz191">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 191 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。私人相互間の問題は原則として私的自治の原則に委ねられ、問題があれば立法措置で対処すべきと考えられていた<ref name="chz191"/>。
*無罪を推定されている[[被疑者]]に対する犯人視[[報道]]([[メディア・パニッシュメント]])
*[[実名報道]]など罪のない一般市民に対する[[プライバシー]]侵害
*事件・事故が起きた地域での行き過ぎた取材による[[被害者]]ならびに近隣住民の生活の破壊([[メディアスクラム|集団的加熱取材]])
執拗な報道による業務妨害、精神的苦痛[[プライバシー]]問題の解決のひとつに法務局相談室がある


憲法には私人間の適用を明示しているものや明示がなくても性質上私人間での妥当性が措定されているものがある<ref name="chz191"/>。日本国憲法の場合、第15条第4項、第16条、第18条、第27条第3項、第28条などには私人間の適用があると解されている<ref name="chz191"/>。
===犯罪被害者の人権問題===
日本国憲法では加害者の人権が手厚く保護されており、被害者の人権保証に不備がある。基本的人権も公共の福祉の観点から制約されるのであり、加害者ばかりが守られている現状は不公平であり、不当である旨の批判がある<ref>板倉宏『「人権」を問う』音羽出版 1999年</ref>。


そのような規定でない場合の私人間効力については問題となる。
===皇族に関する人権問題===
* 直接適用(効力)説
[[2004年]]、[[皇太子徳仁親王]]が記者会見で[[皇太子徳仁親王妃雅子|皇太子妃雅子]]に関して述べたいわゆる[[人格否定発言]]に関して議論が起きた際、評論家の[[西尾幹二]]らは[[皇族]]に一般に言われる[[人権]]はないとする論陣をはった。その論旨は [[天皇]]および皇族は「一般国民」ではなく<ref>[[神道]]信者である事が義務付けられ、[[皇室典範]]により結婚・独立には[[皇室会議]]の同意が必要で[[家制度]]と[[家長]]制度が存在する。[[選挙権]]ももちろんない</ref>、その日常生活にはすべて公的な意味があり、[[プライバシー]]や自由が制限されるのは当然とするものである。また、「人権」という言葉は「抑圧されている側が求める概念の革命用語」であり、天皇や皇族が「抑圧」されているのはあってはならない(ありえない)とする<ref name="will">西尾『皇太子さまへのご忠言』ワック 2008年(ISBN 4898311245)、「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2008年5月-8月号</ref>。これについて[[自然権]]としての人権ということが理解されていないという批判があるが、西尾は人権そのものを否定したのではなく、その適用の対象または範囲に限定して論じたと応答している<ref name="will"/>。この論については[[竹田恒泰]]が「人格否定発言について、『皇太子殿下の強い抗議は、ヨーロッパの王族の自由度の広い生活を比較、視野に入れてのことであろう』というが、これも一体どのような取材をした結果だというのか」などと反論し、雑誌記事にコメントする立場にない皇族に対して妄想のいりまじった、無根拠な非難は「卑怯」とした<ref>『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2008年7月号</ref>。
*: [[憲法]]に定める人権の効力は公私の別を問わず該当するから、私人間にも憲法の適用を直接できるという説。
*: 直接適用説に対しては、私人間にこのような考え方を徹底すれば「基本的人権」はもはや権利というより道徳的ないし法的義務と化してしまうという批判がある<ref name="chz192">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 192 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
* 間接適用(効力)説
*: 憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて[[公権力]]と私人の関係であるが、私法上の解釈において憲法の人権保障の趣旨を汲むことにより私人間における人権保障を図ろうとする説。
* 無適用(効力)説
*: 憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて公権力と私人の関係であり,憲法の人権規定は私人間の関係に全く効力を及ぼさないとする説。
*: 無適用説に対しては、「基本的人権」は私人間に無関係と機械的に割り切るのは現代社会の実情を無視するものであるとの批判がある<ref name="chz192"/>。


日本では、[[三菱樹脂事件]]で最高裁が憲法第19条及び憲法第14条について「他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」としつつ「場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存する」と判示した(最大判昭和48・12・12民集27巻11号1536頁)。この判例は間接適用説とみられている。しかし実質的に無適用説的発想であるという見解もある<ref name="chz193"/>。
===企業の人権問題===
*[[セクシャルハラスメント]]
*[[パワーハラスメント]]
*[[ブラッドタイプ・ハラスメント]]
*[[アルコールハラスメント]]
*[[リストラ教育]]
*[[退職強要]]
*[[日勤教育]]([[2005年]][[4月25日]]に発生した[[西日本旅客鉄道]]の[[JR福知山線脱線事故]]でクローズアップされる。)
*[[サービス残業]]
*[[過労死]]
*[[過労自殺]]
*退職後の競合禁止(ただし、企業側が原告となって訴訟となった場合には国家機関である裁判所が介入し、司法的執行の理論により上記の「公権力による人権侵害」となる)
*企業ぐるみ選挙(特定候補への投票強要)
*思想選別
*[[言葉の暴力]]
*[[ブラック企業]]


{{see|私人間効力}}
===病院・施設の人権問題===
*[[入院]][[患者]]・入所者に対する[[虐待]](身体の束縛・[[監禁]]・[[暴力]]など)
*事務長による事務職員への[[いじめ]](罵声・暴言など)
*施設出身を理由にいかなる雇用形態でも[[雇用]]しない[[経済界]]の[[暗黙の了解]]([[就職]][[差別]])
**これは、身寄りがない場合、[[保護者]]や[[成年後見人]]が不在であると、いざ問題が起こったときに、責任の所在に困るリスクを敬遠する経営者・責任者の心理から来る差別である。


== 人権保障の限界 ==
===地域社会における人権侵害===
人権には不可侵性が認められるが、少なくとも人権相互の調整という観点から一定の規制は免れ難い<ref name="chz181">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 181 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。
*[[部落問題]]
*[[村八分]]
*[[逆差別]]


近代立憲主義では「法律」によって人権の限界が認定されるが、「法律」による人権侵害の可能性をどう考えるかが問題となる<ref name="chz181"/>。
=== 人間の義務と責任 ===

[[世界人権宣言]]の第29条は民主主義的社会での義務と道徳について、同30条は宣言に定められた権利を破壊する権利を禁じている。[[国際人権規約]]の自由権規約の第19条は表現の自由について『格別の義務と責任』を持って行使されることを明記し、同第20条は差別や暴力を唆す国民的、人種的、宗教的憎悪の提唱を法律で禁止することを規定している。このように権利には義務と責任が不可分であり、乱用は許されず、他人の人権の保護と促進が重要であるという観点から、[[国際連合教育科学文化機関]]は1998年に世界人権宣言採択50周年を記念して『人間の義務と責任に関する宣言[』([[:en:Declaration of Human Duties and Responsibilities]])を採択した。
かつては議会に最終判断権が委ねられ、憲法は「法律の範囲内において」権利を保障するという形式が一般的にとられていた<ref name="chz181-182">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 181-182 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。しかし、この方法では議会のあり方によっては人権保障は実のないものとなる<ref name="chz182">{{Cite book |和書 |author1= 樋口陽一 |author2= 佐藤幸治 |author3= 中村睦男 |author4= 浦部法穂 |year= 1994 |title= 注解法律学全集(1)憲法I |publisher= 青林書院 |page= 182 |isbn= 4-417-00936-8 }}</ref>。

一方、アメリカ合衆国憲法のほか、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法やドイツ連邦共和国基本法では、立法部といえども侵害できない部分をも含む形での保障を採用している<ref name="yus82">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 82 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。この場合でも私的権利の行使や私的活動が絶対的で無制約というわけではなく、立法による制約の対象となりうるが、ただそれが一定の限度を超える場合には違憲という判断を受けることとなる<ref name="yus83">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 83 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>

{{see|法律の留保|公共の福祉}}

== 日本 ==
=== 大日本帝国憲法(明治憲法) ===
[[大日本帝国憲法]](明治憲法)は日本で最初の立憲主義憲法である<ref name="kokusai9"/>。1850年のプロイセン憲法をモデルとしているが、その権利は恩恵的性格が強いもので、その保障も法律の範囲内で認められるものにすぎなかった<ref name="kokusai9-10">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |pages= 9-10 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。したがって、これらの権利は立法権によりほとんど自由に制限しうるものであった<ref name="kokusai10">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 10 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* [[大日本帝国憲法第19条]](公務就任権)
* [[大日本帝国憲法第22条]](居住移転の自由)
* [[大日本帝国憲法第23条]](人身の自由)
* [[大日本帝国憲法第24条]](裁判を受ける権利)
* [[大日本帝国憲法第25条]](住居の不可侵)
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* [[大日本帝国憲法第26条]](信書の秘密)
* [[大日本帝国憲法第27条]](所有権の不可侵)
* [[大日本帝国憲法第28条]](信教の自由)
* [[大日本帝国憲法第29条]](言論、著作、集会、結社等の自由)
* [[大日本帝国憲法第30条]](請願権)
</div>{{clear|left}}

=== 日本国憲法 ===
[[日本国憲法第11条]]は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」とし、また[[日本国憲法第97条]]は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と定めており、これらの規定は自然権の考え方に立脚したものと考えられている<ref name="yus70">{{Cite book |和書 |author1= 小嶋和司 |author2= 立石眞 |year= 2011 |title= 有斐閣双書(9)憲法概観 第7版 |publisher= 有斐閣 |page= 70 |isbn= 4-641-11278-0 }}</ref>。

<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* [[日本国憲法第13条]](生命、自由及び幸福追求権)
* [[日本国憲法第14条]](法の下の平等)
* [[日本国憲法第15条]](公務員選定罷免権)
* [[日本国憲法第16条]](請願権)
* [[日本国憲法第17条]](国家賠償請求権)
* [[日本国憲法第18条]](奴隷的拘束・苦役からの自由)
* [[日本国憲法第19条]](思想・良心の自由)
* [[日本国憲法第20条]](信教の自由)
* [[日本国憲法第21条]](表現の自由)
* [[日本国憲法第22条]](居住移転の自由・職業選択の自由・国籍離脱の自由)
* [[日本国憲法第23条]](学問の自由)
* [[日本国憲法第24条]](家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等)
* [[日本国憲法第25条]](生存権)
* [[日本国憲法第26条]](教育を受ける権利)
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* [[日本国憲法第27条]](勤労権)
* [[日本国憲法第28条]](団結権・団体交渉権・団体行動権)
* [[日本国憲法第29条]](財産権)
* [[日本国憲法第31条]](適正手続の保障)
* [[日本国憲法第32条]](裁判を受ける権利)
* [[日本国憲法第33条]](令状主義)
* [[日本国憲法第34条]](不当な抑留・拘禁からの自由)
* [[日本国憲法第35条]](住居の不可侵)
* [[日本国憲法第36条]](拷問・残虐刑の禁止)
* [[日本国憲法第37条]](刑事被告人の諸権利)
* [[日本国憲法第38条]](自己負罪拒否特権等)
* [[日本国憲法第39条]](事後法・遡及処罰の禁止・一事不再理)
* [[日本国憲法第40条]](刑事補償請求権)
</div>{{clear|left}}

== アメリカ合衆国 ==
当初、[[アメリカ合衆国憲法]]は権利章典の規定を欠いていた<ref name="kokusai7">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |page= 7 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。それは合衆国政府は列挙された権限のみを有する「制限された政府」であり、権利章典を付する必要がないだけでなく、それを付することは「制限された政府」の理念に反すると考えられたためであった<ref name="kokusai7"/>。人権保障は各州の憲法や権利章典によって確保すればよいという基本的な考え方がとられていた<ref name="kokusai7"/>。しかし、急進派から連邦憲法にも権利章典を追加すべきとの主張が出され、各州の批准手続を経て1791年に修正10カ条が付け加えられることとなった<ref name="kokusai7"/>。

== フランス ==
アメリカで結実した自然法思想はフランスの[[人間と市民の権利の宣言]](フランス人権宣言、1789年)を生み出す原動力となった<ref name="kokusai6"/>。人権思想は一層の高まりをみせ[[1793年憲法]]に至った<ref name="kokusai8"/>。しかし、[[共和暦3年憲法|1795年憲法]]では権利規定が減少するとともに義務規定が増加して人権思想は顕著に後退し始めることとなる<ref name="kokusai8"/>。[[共和暦8年憲法|1799年憲法]]では人権宣言そのものが憲法に置かれなかった<ref name="kokusai8"/>。[[1814年憲章|1814年欽定憲法]]では国民の権利は法の下の平等や人身の自由などに限られ、質的にも天賦のものから国王によって与えられた恩恵的な権利へと変化した<ref name="kokusai8"/>。[[1830年憲章|1830年憲法]]でも天賦人権思想が復活することはなかった<ref name="kokusai8-9">{{Cite book |和書 |author1= 畑博行 |author2= 水上千之 |year= 2006 |title= 国際人権法概論第4版 |publisher= 有信堂高文社 |pages= 8-9 |isbn= 4-842-04047-5 }}</ref>。

フランスでこのような思想が復活するのは第二次世界大戦後の[[1946年10月27日憲法|第四共和国憲法]](1946年)であり、前文で1789年の人権宣言にある権利や自由の保障を再確認している<ref name="kokusai9"/>。[[フランス共和国憲法|第五共和国憲法]](1958年)も前文で1789年の人権宣言によって保障された諸権利の尊重を宣言している<ref name="kokusai9"/>。

== ドイツ ==
フランスの[[1848年のフランス革命|二月革命]]はドイツにも波及し、[[パウロ教会憲法|フランクフルト憲法]]は多くの権利や自由を「ドイツ人の基本権」として保障した画期的な憲法であったが、18世紀にみられたような前国家的人権という性質はみられない<ref name="kokusai9"/>(フランクフルト憲法は未発効に終わった)。1850年のプロイセン憲法も多数の権利規定を盛り込んでいたが、それらの権利や自由は天賦のものではなく法律の範囲内で認められるものにすぎず、それはヴァイマル憲法でも変わることはなかった<ref name="kokusai9"/>。ドイツで法律によっても制限することのできない保障として天賦人権思想が登場するのは1949年の[[ドイツ連邦共和国基本法]](ボン基本法)においてである<ref name="kokusai9"/>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Reflist}}

{{参照方法|date=2009年8月}}
== 参考文献 ==
*「アムネスティ・レポート 世界の人権」編集部編『世界の人権2010 アムネスティ・レポート』現代人文社、2010年
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**ロナルド・ドウォーキン著、木下毅、小林公、野坂泰司訳『権利論 1-2』木鐸社、1986年-2001年・増補版2003年
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**ジョン・ロールズ著、矢島鈞次訳『正義論』紀伊國屋書店、1979年
*Shue, H. 1980. Basic right: Subsistence, affluence and US foreign policy. Princeton: Princeton Univ. Press.

== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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2016年9月17日 (土) 19:46時点における版

人権(じんけん、human rights)とは、人間ゆえに享有する権利である。人権思想においてすべての人間が生まれながらに持っていると考えられている社会的権利である[1]

概説

「人権」には「基本的人権」や「基本権」のように関連する概念があり、これらが相互に区別して論じられることもあれば、同義的に使用されることもある[2]

法的には(実定法を越えた)自然権としての性格が強調されて用いられている場合と、憲法が保証する権利の同義語として理解される場合がある[3]。また、もっぱら <国家権力からの自由> について言う場合と、参政権社会権やさまざまな新しい人権を含めて用いられることもある[3][4]

人権保障には2つの考え方があるとされる[5]。その第一は、いわゆる自然権思想に立つもので、個人には国家から与えられたのではない、およそ人として生得する権利があるのであり、憲法典における個人権の保障はそのような自然的権利を確認するものとの考え方である[5]。広辞苑では、実定法上の権利のように剥奪されたり制限されたりしない[1]、と記述されている。その第二は、自然的権利の確認という考え方を排し、個人の権利を憲法典が創設的に保障しているとの考え方である[5]。18世紀の自然権思想は19世紀に入ると後退し法実証主義的ないし功利主義的な思考態度が支配的となったとされ[2]、1814年のフランス憲法などがその例となっている[5]

歴史的には「基本的人権」の概念は、18世紀の人権宣言にある前国家的な自然権という点を厳密に解すればそれは「自由権」を意味する(最狭義の「基本的人権」観念)[2]。また「自由権」をいかにして現実に保障するかという点に立ち至ると「参政権」も「基本的人権」に観念されることとなる(狭義の「基本的人権」観念)[2]。上記のような狭義の「基本的人権」観念が18世紀から19世紀にかけての支配的な人権観念であった[2]。18世紀の人権宣言は合理的に行為する「完全な個人」を措定するものであったが、19世紀末から20世紀にかけての困難な社会経済状態の中でそのような措定を裏切るような事態が次第に明らかとなり、具体的な人間の状況に即して権利を考える傾向を生じ、いわゆる「社会権」も「基本的人権」に観念されるようになった(広義の「基本的人権」観念)[2]

なお、最広義には憲法が掲げる権利はすべて「基本的人権」と観念されることもある(最広義の「基本的人権」観念)[6]。しかし、自然権的発想を重視する立場からは国家によってのみ創設することができるような権利はこれに含ませることができないと解されている[7]。日本の憲法学説でも、自然権的発想を重視する限り「基本的人権」(日本国憲法第11条)と「この憲法が国民に保障する自由及び権利」(日本国憲法第12条)が同じ内容を持つものではありえないと解されており[7]、従来、一般には国家賠償請求権日本国憲法第17条)や刑事補償請求権日本国憲法第40条)については「この憲法が国民に保障する自由及び権利」(日本国憲法第12条)に含まれることはもちろんであるが基本的人権を具体化または補充する権利として「基本的人権」そのものとは区別されてきた[6]。「この憲法が国民に保障する自由及び権利」(日本国憲法第12条)には広く憲法改正の承認権や最高裁判所裁判官の国民審査権まで含まれるとする学説もある[8]。国によっては憲法が国民に保障する自由及び権利については「基本権」(Grundrechte)と呼んで区別されることがある[7]

人権思想の歴史

前史

近代的な人権保障の歴史は1215年のイギリスのマグナ・カルタ(大憲章)にまで遡る[9]。マグナ・カルタはもともと封建貴族たちの要求に屈して国王ジョンがなした譲歩の約束文書にすぎず、それ自体は近代的な意味での人権宣言ではない[9]。しかし、エドワード・コーク卿がこれに近代的な解釈を施して「既得権の尊重」「代表なければ課税なし」「抵抗権」といった原理の根拠として援用したことから、マグナ・カルタは近代的人権宣言の古典としての意味を持つようになった[9]。マグナ・カルタは、1628年の権利請願、1679年の人身保護法、1689年の権利章典などとともに人権保障の象徴として広く思想的な影響を有し続けている[10]

また、16世紀の宗教改革を経て徐々に達成された信教の自由の確立はやがて近世における人間精神の解放への一里塚となった[11]。中世ヨーロッパでは、人々は国家の公認した宗教以外のいかなる宗教の信仰も許されず、公認宗教を信仰しない者は異端者として処罰されたり、差別的な扱いを受けることが普通であった[11]。このような恣意的な制度に対して立ち上がった人々の戦いは、単に信教の自由の確立にとどまらず、近代における人間の精神の自由への自覚を生みだす役割を果たすこととなった[11]

17世紀〜18世紀

市民階級の台頭を背景にグローティウスロックルソーなどにより生成発展された近代自然法論はのちの人権宣言の形成に重要な役割を果たすこととなった[11]。例えばロックは生命、自由及び財産に対する権利を天賦の人権として主張するとともに、信教の自由についても国家は寛容であるべきことを主張している[12]

「天賦の権利」について実定化した最初の人権宣言は1776年バージニア権利章典である[13]。アメリカ植民地の人々は印紙法に対する反対闘争以来、権利請願や権利章典などを援用することで自らの権利を主張しイギリス本国の圧制に抗していたが、アメリカ独立戦争に突入すると「イギリス人の権利」から進んで自然法思想に基づく天賦の人権を主張するに至った[13]

バージニア権利章典第1条
人は生まれながらにして自由かつ独立であり、一定の生来の権利を有する。これらの権利は、人民が社会状態に入るにあたり、いかなる契約によっても、人民の子孫から奪うことのできないものである。かかる権利とは、財産を取得・所有し、幸福と安全とを追求する手段を伴って生命と自由を享受する権利である。[13]

アメリカで結実した自然法思想はフランスの人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言、1789年)を生み出す原動力となった[14]。フランス人権宣言では人は生まれながらにして自由かつ平等であることを前提に、人身の自由、言論・出版の自由、財産権、抵抗権などの権利を列挙するとともに、同時に国民主権や権力分立の原則を不可分の原理と定めている[14]。人権思想はフランス革命の進行とともにいっそう高まり、1793年憲法では抵抗権の規定が不可欠の義務にまで高められたが、財産権については公共の必要性と正当な事前補償があれば制限し得る相対的なものとなった[15](ただし、1793年憲法は施行されることはなかった)。

19世紀

18世紀の自然権思想は19世紀に入ると後退し法実証主義的ないし功利主義的な思考態度が支配的となった[2]

フランスの1814年欽定憲法では国民の権利は法の下の平等や人身の自由など数の上でも制限されたばかりでなく、質的にも天賦の権利から国王によって与えられた恩恵的な権利へと変化した[15]

ドイツの1850年のプロイセン憲法も多数の権利規定を置いてはいたが、保障されている権利や自由は天賦のものではなく「法律によるのでなければ侵されない」というものに過ぎなくなった[16]

個人権の考え方を支配していたのは国家の主たる任務は国民の自由の確保にあり、国家は社会に干渉しないことが望ましいという「自由国家」の思想である[17]。憲法による権利保障では法の適用の平等と各種の自由権の保障が中心的な位置を占めていた[17]。自由権は1850年のプロイセン憲法に至って飽和状態となり、以後の諸憲法はほぼこれを踏襲して第一次世界大戦に至ることとなった[17]

20世紀以降

自由主義諸国の憲法と社会主義諸国の憲法

18世紀から19世紀にかけて資本主義は急速に発展したが、それとともに諸々の社会的矛盾が現れ始めた[18]。自由競争は社会の進歩をもたらすが、それが正義感覚で是認されるためには競争の出発点は平等でなければならない[19]産業革命の進展に伴って大量生産時代が普及するとともに生産手段を持たない労働者の数が増大したが、このような無産階級の人々にとって憲法の保障する財産権や自由権の多くは空しいものに過ぎなくなり、自由主義理念に基づく自由放任経済は著しい富の偏在と無産階級の困窮化をもたらした[18]。国家は社会的な権利を保障するため積極的に関与することを求められるようになった[18]

そこで20世紀の憲法にはヴァイマル憲法の流れをくむ自由主義諸国の憲法とソビエト連邦の憲法などの社会主義諸国の憲法の2つの流れを生じた[20]

1919年のヴァイマル憲法は「社会国家」思想または「福祉国家」思想に基づき生存権や労働者の権利といった社会的人権を保障した最初の憲法である[18][19]。ふつう自由主義諸国においては「自由国家」と「社会国家」の共存が理想とされている[21]

一方、社会主義諸国の憲法は本質的に自由主義諸国の憲法とは異なっていた[22]。自由権の権利保障の場合、単に抽象的な自由を保障するのではなく、自由権の行使に必要な物質的条件の保障もあわせて定められているという特色がある[22]。また、1936年のソビエト社会主義共和国連邦憲法は、市民の消費の対象となる物の所有及び相続は認めていたが、土地や生産手段などの私的所有は禁じていた[23]

しかし、ブルジョア民主主義を経験しなかったロシアや東欧諸国などの社会主義諸国においては憲法そのものが十分に機能せず、そこで保障されていた権利や自由も画餅に帰していた[24]。結局、一党独裁や硬直した官僚主義などの要因によって旧ソ連や東欧の社会主義国家は行き詰まり、これらの国々の憲法も効力を失うこととなった[23]。ただそこでの権利保障の発想は自由主義諸国の憲法にも影響を与えたとされている[23]

人権の国際化

国連憲章体制のもとでは、人権の普遍的概念はアプリオリには存在せず、また、人権保障は原則として国内管轄事項であって国連機関による干渉が禁止される領域のものであった。このため、人権の国際的実施は、条約の形で具体化された国家の合意の枠内でまず発展した。条約制度の枠組みを離れた、とくに国連による人権の国際的保護活動が本格的に展開するのは、1980年代以降のことである。

1948年12月10日国際連合世界人権宣言を採択して宣言した。

1966年12月16日には、世界人権宣言に法的拘束力を与えるため、国際連合は国際人権規約経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約及び市民的及び政治的権利に関する国際規約市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書)を採択した。

自由権規約第40条には報告制度、自由権規約第41条には国家間通報制度、選択議定書には個人通報制度が定められている[25]

世界人権宣言の具体的な実現のため、国際連合は国際人権規約以外に人権に関する諸条約を制定している。また欧州評議会は「人権と基本的自由の保護のための条約」を、米州機構は「米州人権条約」を、アフリカ連合は「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」を制定し、人権の国際法上の保障のためそれぞれ人権裁判所を設置している。

人権の類型化

ゲオルグ・イェリネックの公権論からは国家に対する国民の地位によって「積極的地位」(受益権)や「消極的地位」(自由権)といった分類が行われた[26]

宮沢俊義は「消極的な受益関係」での国民の地位を「自由権」、「積極的な受益関係」での国民の地位を「社会権」とし、請願権や裁判を受ける権利などは「能動的関係における権利」に分類した[27]

佐藤幸治は「包括的基本権」、「消極的権利」(自由権)、「積極的権利」(受益権・社会国家的基本権)、「能動的権利」(参政権・請願権)に分類する[28]

人権の分類は法学者によっても異なるほか、多面的な権利と考えられているものもある。

  • 従来、請願権は請願の受理を求める権利であるとの理解から国務請求権(受益権)に分類されてきたが、現代の請願は民意を直接に議会や政府に伝えるという意味が重要視されており参政権的機能をも有するものと理解されている[31]。請願権を参政権に分類する学説もあるが、請願権は国家意思の決定に参与する権利ではないから典型的参政権とは異なる補充的参政権として捉えられることがある[32]
  • 日本国憲法に定められる権利の場合、学説は一般には日本国憲法第25条(生存権)、日本国憲法第26条(教育権)、日本国憲法第27条(労働権)、日本国憲法第28条(労働基本権)に定められる権利を「社会権」として一括して分類している[33]。ただし生存権などについて「社会国家的国務請求権」として分類されることもある[34]

我妻栄は『新憲法と基本的人権』(1948年)などで、基本的人権を「自由権的基本権」と「生存権的基本権」に大別し、人権の内容について前者は「自由」という色調を持つのに対して後者は「生存」という色調をもつものであること、また保障の方法も前者は「国家権力の消極的な規整・制限」であるのに対して後者は「国家権力の積極的な関与・配慮」にあるとして特徴づけ通説的見解の基礎となった[35]

しかし、社会権と自由権は截然と二分される異質な権利なのかといった問題や社会権において国家の積極的な関与が当然の前提となるのかといった問題も指摘されている[35]。教育を受ける権利と教育の自由や労働基本権と団結の自由など自由権的側面の問題が認識されるようになり、時代の要請から強く主張される新しい人権(学習権、環境権等)も自由権と社会権の双方にまたがった特色を持っていることが背景にある[35]

現代では「積極的権利」や「福祉的権利」の比重が著しく増大し、国際人権規約でもまず社会権的なA規約があり、然る後に自由権的なB規約があるなど、具体的人間に即して人権の問題を考えようとする傾向がみられ、「自由権」と「社会権」あるいは「消極的権利」と「積極的権利」という区別はあまり意識されなくなっている[6]市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)には法の下の平等生存権なども保障されている)。社会権と自由権の区別そのものを放棄する学説もあるが、社会権と自由権の区別の有用性を認めた上で両者の区別は相対的であり相互関連性を有するとする学説が一般的となっている[36]

人権の権利性

プログラム規定

1919年のドイツのヴァイマル憲法は社会国家思想を強く打ち出したものであったが、憲法起草時までドイツでは憲法典は政治上の宣言にすぎないと考えられ、憲法典では社会体制や経済的基盤から遊離した政治理想が奔放に述べられた[34]。そのため、憲法典の実施に当たっては裁判所が直接有効な法としての効果を与えるために、「法たる規定」と「プログラム規定」に区分する以外になかった[37]

第二次世界大戦後の各国の憲法典では次のような3つの類型が出現することとなった[38]

日本国憲法では憲法第25条憲法第26条憲法第27条などについてプログラム規定と解する説(プログラム規定説)があるが、安易にプログラム規定と性格づけることは疑問とされている[39]。 また、例えば日本の憲法25条におけるプログラム規定説は、自由権的側面については国に対してのみならず私人間においても裁判規範としての法的効力を認めており、請求権的側面についても憲法第25条が下位にある法律の解釈上の基準となることは認めている[40][41]。したがって、文字通りのプログラム規定ではないことから、このような用語を使用することは議論を混乱させ問題点を不明瞭にさせるもので適当でないという指摘がある[42]

具体的権利と抽象的権利

請求権的性格を有する基本的人権をめぐっては抽象的権利と具体的権利の区別の問題を生じる[30]

例えば、日本国憲法第25条の権利を、抽象的権利と解する説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しているときにはその法律に基づく訴訟において憲法第25条違反を主張することができるとしつつ、立法または行政権の不作為の違憲性を憲法第25条を根拠に争うことまでは認められないとする[43]。一方、具体的権利と解する説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しない場合でも、国の不作為に対しては違憲確認訴訟を提起できるとする[43][44][45]

ただ、立法不作為の確認訴訟にとどまるものに「具体的」、憲法第25条違反として裁判で争う可能性まで残されているものに「抽象的」といった名称を用いることには疑問の余地があるとする指摘もある[46]

制度的保障

制度的保障とは、一般には、議会が憲法の定める制度を創設し維持することを義務づけられ、その制度の本質的内容を侵害することが禁じられているものをいう[47]。制度的保障では直接の保障対象は制度それ自体であるから個人の基本的人権そのものではないが、制度的保障は基本的人権の保障を強化する意味を有する[47]

制度的保障として捉えられることがある制度には次のようなものがある。

  • 大学の自治
    大学の自治の法的性格については学問の自由を保障するための客観的な制度的保障とする制度的保障論が有力である[48]
  • 私有財産制度
    私有財産制度は財産権の保障との関連で制度的保障として捉えられることがある。
    ただし、日本国憲法第29条第1項(財産権の保障)については、客観的法秩序としての私有財産制の制度的保障のみを認める趣旨であるとする説[49]もあるが、多数説は私有財産制の制度的保障とともに個人が現に有する財産権をも個別的に保障していると解している[50]
  • 政教分離原則
    政教分離原則は信教の自由との関連で制度的保障として捉えられる[51]。ただし、政教分離原則を制度的保障として捉えることは微妙であるとする消極的な見解もある[47]

人権の享有主体性

国民

国民が人権の享有主体であることは説明を必要としない[52]。国籍の要件は憲法や法律で定められる。国民の要件は憲法で定めている場合もあれば法律に委ねている場合もある。

日本の場合、日本国憲法第10条が「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と定めており、国籍の取得と喪失について国籍法(昭和25年法律第147号)が定めている[53]

日本では、天皇及び皇族について、ともに憲法10条の「国民」に含まれるが世襲制や天皇の象徴たる地位から一定の異なる扱いを受けるとする説(宮沢俊義)、天皇については象徴たる地位から憲法10条の「国民」には含まれないが、皇族は憲法10条の「国民」に含まれ皇位継承に関係のある限りで一定の変容を受けるとする説(伊藤正己)、皇位の世襲制を重視し天皇・皇族ともに憲法10条の「国民」には含まれないとする説(佐藤幸治)など、学説は分かれていて一様ではない[54]

2004年皇太子徳仁親王が記者会見で皇太子妃雅子に関して述べたいわゆる人格否定発言に関して議論が起きた際、評論家の西尾幹二らは皇族に一般に言われる人権はないとする論陣をはった。その論旨は 天皇および皇族は「一般国民」ではなく[55]、その日常生活にはすべて公的な意味があり、プライバシーや自由が制限されるのは当然とするものである。また、「人権」という言葉は「抑圧されている側が求める概念の革命用語」であり、天皇や皇族が「抑圧」されているのはあってはならない(ありえない)とする[56]。これについて自然権としての人権ということが理解されていないという批判があるが、西尾は人権そのものを否定したのではなく、その適用の対象または範囲に限定して論じたと応答している[56]。この論については竹田恒泰が「人格否定発言について、『皇太子殿下の強い抗議は、ヨーロッパの王族の自由度の広い生活を比較、視野に入れてのことであろう』というが、これも一体どのような取材をした結果だというのか」などと反論し、雑誌記事にコメントする立場にない皇族に対して妄想のいりまじった、無根拠な非難は「卑怯」とした[57]

外国人

人権の前国家性からは外国人にも人権の保障は及ぶと解されている[58]

日本では、法理的には日本国憲法第三章の規定はその表題にあるように「国民の権利及び義務」であるとした上で憲法前文の政治道徳の尊重から外国人にも基本的人権の保障が及ぶものと解する学説[59]と、人権の前国家性や憲法の国際協調主義及び日本国憲法第13条前段の趣旨の帰結として外国人にも基本的人権の保障が及ぶものと解する学説[58]がある。

ただし、外国人の人権享有主体性を認める場合でも、その法的地位は国民と全く同一というわけではない[58]。たとえば、外交、国防、幣制などを担う国政選挙の参政権は伝統的な国民主権原理のもとでは自国民に限られると解されている[60]

法人

法人についてはドイツ連邦共和国基本法のように憲法典で法人にも人権保障が及ぶことを明文で規定している場合がある[61]

日本国憲法には明文の規定がないが性質上可能な限り内国の法人にも権利の保障は及ぶとするのが確立された法理となっている(八幡製鉄事件判例最大判昭和45・6・24民集24巻6号625頁)[62]

なお、男女同権、良心の自由、婚姻に関する保障などは、その性質上法人には保障が及ばない[62]

人権の適用領域

特別の法律関係

国民は一般的には国(または地方自治体)の権力的支配に服しているが、これとは別に法律上の特別の原因に基づいて特別の権力的な支配関係に入ることがある[63][64]。このような特別の権力的な支配関係としては、公務員や国公立学校の学生や生徒のように本人の同意に基づく場合と、刑事収容施設の被勾留者や受刑者のような場合がある[63][64]

かつての公法理論である「特別権力関係論」では、このような関係においては法治主義の原則が排除され、特別権力主体には包括的な支配権が認められ、それに服する者に対しては法律の根拠なく権利や自由を制限でき、特別権力関係の内部行為についても司法審査が及ばないとされていた[65]。しかし、現代では、このような人権の制約も、その特殊な法律関係の設定や存続のために内在する必要最小限度で合理的なものでなければならず、権利や自由の侵害に対しては司法審査が及ばなければならないと解されている[66]

公務員関係

在監関係

外部から隔離された刑務所などの刑事施設の処遇をみればその国の人権意識のレベルがわかるといわれている[67]

日本においては、国際人権規約の下で設置された国連人権委員会において代用監獄の問題を指摘された。人権委員会は1998年の第4回日本政府報告の審査において代用監獄の廃止を勧告している。

憲法の私人間効力

元来、憲法による基本的人権の保障は国家と国民との関係で国家による侵害から国民の自由を保全しようとするものである[68]。私人相互間の問題は原則として私的自治の原則に委ねられ、問題があれば立法措置で対処すべきと考えられていた[68]

憲法には私人間の適用を明示しているものや明示がなくても性質上私人間での妥当性が措定されているものがある[68]。日本国憲法の場合、第15条第4項、第16条、第18条、第27条第3項、第28条などには私人間の適用があると解されている[68]

そのような規定でない場合の私人間効力については問題となる。

  • 直接適用(効力)説
    憲法に定める人権の効力は公私の別を問わず該当するから、私人間にも憲法の適用を直接できるという説。
    直接適用説に対しては、私人間にこのような考え方を徹底すれば「基本的人権」はもはや権利というより道徳的ないし法的義務と化してしまうという批判がある[69]
  • 間接適用(効力)説
    憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて公権力と私人の関係であるが、私法上の解釈において憲法の人権保障の趣旨を汲むことにより私人間における人権保障を図ろうとする説。
  • 無適用(効力)説
    憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて公権力と私人の関係であり,憲法の人権規定は私人間の関係に全く効力を及ぼさないとする説。
    無適用説に対しては、「基本的人権」は私人間に無関係と機械的に割り切るのは現代社会の実情を無視するものであるとの批判がある[69]

日本では、三菱樹脂事件で最高裁が憲法第19条及び憲法第14条について「他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」としつつ「場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存する」と判示した(最大判昭和48・12・12民集27巻11号1536頁)。この判例は間接適用説とみられている。しかし実質的に無適用説的発想であるという見解もある[64]

人権保障の限界

人権には不可侵性が認められるが、少なくとも人権相互の調整という観点から一定の規制は免れ難い[47]

近代立憲主義では「法律」によって人権の限界が認定されるが、「法律」による人権侵害の可能性をどう考えるかが問題となる[47]

かつては議会に最終判断権が委ねられ、憲法は「法律の範囲内において」権利を保障するという形式が一般的にとられていた[70]。しかし、この方法では議会のあり方によっては人権保障は実のないものとなる[52]

一方、アメリカ合衆国憲法のほか、第二次世界大戦後に制定された日本国憲法やドイツ連邦共和国基本法では、立法部といえども侵害できない部分をも含む形での保障を採用している[71]。この場合でも私的権利の行使や私的活動が絶対的で無制約というわけではなく、立法による制約の対象となりうるが、ただそれが一定の限度を超える場合には違憲という判断を受けることとなる[72]

日本

大日本帝国憲法(明治憲法)

大日本帝国憲法(明治憲法)は日本で最初の立憲主義憲法である[16]。1850年のプロイセン憲法をモデルとしているが、その権利は恩恵的性格が強いもので、その保障も法律の範囲内で認められるものにすぎなかった[73]。したがって、これらの権利は立法権によりほとんど自由に制限しうるものであった[74]

日本国憲法

日本国憲法第11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」とし、また日本国憲法第97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と定めており、これらの規定は自然権の考え方に立脚したものと考えられている[75]

アメリカ合衆国

当初、アメリカ合衆国憲法は権利章典の規定を欠いていた[76]。それは合衆国政府は列挙された権限のみを有する「制限された政府」であり、権利章典を付する必要がないだけでなく、それを付することは「制限された政府」の理念に反すると考えられたためであった[76]。人権保障は各州の憲法や権利章典によって確保すればよいという基本的な考え方がとられていた[76]。しかし、急進派から連邦憲法にも権利章典を追加すべきとの主張が出され、各州の批准手続を経て1791年に修正10カ条が付け加えられることとなった[76]

フランス

アメリカで結実した自然法思想はフランスの人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言、1789年)を生み出す原動力となった[14]。人権思想は一層の高まりをみせ1793年憲法に至った[15]。しかし、1795年憲法では権利規定が減少するとともに義務規定が増加して人権思想は顕著に後退し始めることとなる[15]1799年憲法では人権宣言そのものが憲法に置かれなかった[15]1814年欽定憲法では国民の権利は法の下の平等や人身の自由などに限られ、質的にも天賦のものから国王によって与えられた恩恵的な権利へと変化した[15]1830年憲法でも天賦人権思想が復活することはなかった[77]

フランスでこのような思想が復活するのは第二次世界大戦後の第四共和国憲法(1946年)であり、前文で1789年の人権宣言にある権利や自由の保障を再確認している[16]第五共和国憲法(1958年)も前文で1789年の人権宣言によって保障された諸権利の尊重を宣言している[16]

ドイツ

フランスの二月革命はドイツにも波及し、フランクフルト憲法は多くの権利や自由を「ドイツ人の基本権」として保障した画期的な憲法であったが、18世紀にみられたような前国家的人権という性質はみられない[16](フランクフルト憲法は未発効に終わった)。1850年のプロイセン憲法も多数の権利規定を盛り込んでいたが、それらの権利や自由は天賦のものではなく法律の範囲内で認められるものにすぎず、それはヴァイマル憲法でも変わることはなかった[16]。ドイツで法律によっても制限することのできない保障として天賦人権思想が登場するのは1949年のドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)においてである[16]

脚注

  1. ^ a b 広辞苑 第五版
  2. ^ a b c d e f g 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、176頁。ISBN 4-417-00936-8 
  3. ^ a b 『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p.813 樋口陽一 執筆「人権」
  4. ^ 「かように <人権> の理解は一様ではないが、西洋近代の個人主義思想を多かれ少なかれ基本に置いている点では共通性がある」と樋口陽一は説明した。人権を尊重しない政権や、アラブやアフリカ、アジアなどでは、文化の相違などとして反発することがある。だが、一般的に言えば文化の多元性を尊重しつつも、人権価値の普遍性を擁護するという立場が欧米ではコンセンサスを得つつある。(『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p.813 樋口陽一 執筆「人権」)
  5. ^ a b c d 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、69頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  6. ^ a b c 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、177頁。ISBN 4-417-00936-8 
  7. ^ a b c 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、71頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  8. ^ 宮沢俊義、芦部信喜『全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、195-196頁。 
  9. ^ a b c 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、3頁。ISBN 4-842-04047-5 
  10. ^ 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、3-4頁。ISBN 4-842-04047-5 
  11. ^ a b c d 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、4頁。ISBN 4-842-04047-5 
  12. ^ 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、4-5頁。ISBN 4-842-04047-5 
  13. ^ a b c 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、5頁。ISBN 4-842-04047-5 
  14. ^ a b c 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、6頁。ISBN 4-842-04047-5 
  15. ^ a b c d e f 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、8頁。ISBN 4-842-04047-5 
  16. ^ a b c d e f g 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、9頁。ISBN 4-842-04047-5 
  17. ^ a b c 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、72頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  18. ^ a b c d 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、9頁。ISBN 4-842-04047-5 
  19. ^ a b 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、73頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  20. ^ 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、14頁。ISBN 4-842-04047-5 
  21. ^ 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、74頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  22. ^ a b 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、15頁。ISBN 4-842-04047-5 
  23. ^ a b c 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、16頁。ISBN 4-842-04047-5 
  24. ^ 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、17頁。ISBN 4-842-04047-5 
  25. ^ アムネスティ・インターナショナル『国連の人権条約が持っている個人通報制度一覧』
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  27. ^ 宮沢俊義『法律学全集(4)憲法II新版』有斐閣、1958年、90-94頁。 
  28. ^ a b 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、178-179頁。ISBN 4-417-00936-8 
  29. ^ a b c d e f 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、178頁。ISBN 4-417-00936-8 
  30. ^ a b 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、179頁。ISBN 4-417-00936-8 
  31. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1997年、353頁。ISBN 4-417-00936-8 
  32. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1997年、354頁。ISBN 4-417-00936-8 
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  34. ^ a b 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、151頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  35. ^ a b c 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(2)憲法II』青林書院、1997年、141頁。ISBN 4-417-01040-4 
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  37. ^ 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、151-152頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  38. ^ a b c d 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、152頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  39. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、180頁。ISBN 4-417-00936-8 
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  41. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(2)憲法II』青林書院、1997年、150頁。ISBN 4-417-01040-4 
  42. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(2)憲法II』青林書院、1997年、150-151頁。ISBN 4-417-01040-4 
  43. ^ a b 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(2)憲法II』青林書院、1997年、144頁。ISBN 4-417-01040-4 
  44. ^ 大須賀明「社会権の法理」『公法研究』第34巻、有斐閣、1972年、119頁。 
  45. ^ 大須賀明『生存権論』日本評論社、1984年、71頁。 
  46. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、231頁。ISBN 4-417-00936-8 
  47. ^ a b c d e 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、181頁。ISBN 4-417-00936-8 
  48. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(2)憲法II』青林書院、1997年、126頁。ISBN 4-417-01040-4 
  49. ^ 柳瀬良幹『人権の歴史』明治書院、1949年、60-61頁。 
  50. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(2)憲法II』青林書院、1997年、237頁。ISBN 4-417-01040-4 
  51. ^ 橋本公亘『日本国憲法改訂版』有斐閣、1988年、233頁。 
  52. ^ a b 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、182頁。ISBN 4-417-00936-8 
  53. ^ 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、75頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  54. ^ 野中俊彦、高橋和之、中村睦男、高見勝利『憲法』 I(第3版)、有斐閣、2001年、216-217頁。ISBN 4641128936 
  55. ^ 神道信者である事が義務付けられ、皇室典範により結婚・独立には皇室会議の同意が必要で家制度家長制度が存在する。選挙権ももちろんない
  56. ^ a b 西尾『皇太子さまへのご忠言』ワック 2008年(ISBN 4898311245)、「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」『WiLL』2008年5月-8月号
  57. ^ WiLL』2008年7月号
  58. ^ a b c 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、185頁。ISBN 4-417-00936-8 
  59. ^ 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、77頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  60. ^ 野中俊彦、高橋和之、中村睦男、高見勝利『憲法』 I(第3版)、有斐閣、2001年、211頁。ISBN 4641128936 
  61. ^ 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、78-79頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  62. ^ a b 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、79頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  63. ^ a b 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、81頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  64. ^ a b c 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、193頁。ISBN 4-417-00936-8 
  65. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、193-194頁。ISBN 4-417-00936-8 
  66. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、194頁。ISBN 4-417-00936-8 
  67. ^ 荒井彰「僕の学校は監獄だった!」『実録!ムショの本…パクられた私たちの刑務所体験』(初版)宝島社別冊宝島〉(原著1992年8月24日)、p. 66頁。ISBN 9784796691611 
  68. ^ a b c d 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、191頁。ISBN 4-417-00936-8 
  69. ^ a b 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、192頁。ISBN 4-417-00936-8 
  70. ^ 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(1)憲法I』青林書院、1994年、181-182頁。ISBN 4-417-00936-8 
  71. ^ 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、82頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  72. ^ 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、83頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  73. ^ 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、9-10頁。ISBN 4-842-04047-5 
  74. ^ 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、10頁。ISBN 4-842-04047-5 
  75. ^ 小嶋和司、立石眞『有斐閣双書(9)憲法概観 第7版』有斐閣、2011年、70頁。ISBN 4-641-11278-0{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  76. ^ a b c d 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、7頁。ISBN 4-842-04047-5 
  77. ^ 畑博行、水上千之『国際人権法概論第4版』有信堂高文社、2006年、8-9頁。ISBN 4-842-04047-5 

参考文献

  • 「アムネスティ・レポート 世界の人権」編集部編『世界の人権2010 アムネスティ・レポート』現代人文社、2010年
  • 高木八尺、末延三次、宮沢俊義編『人権宣言集』岩波書店、1957年
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関連項目

 

外部リンク

参考サイト