「ジェミニ8号」の版間の差分

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{{Infobox Space mission
{{Infobox spaceflight
| mission_name = ジェミニ8号
| name = ジェミニVIII
| image = Gemini 8 docking.jpg
| spacecraft_name = ジェミニ8号
| image_caption = [[アジェナ標的機|アジェナ標的衛星]]とドッキングする<br/>ジェミニVIII
| booster = [[タイタンII GLV]] #62-12563
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| insignia = Ge08Patch orig.png

| insignia_size = 162px
| mission_type = ドッキング試験
| sign = Gemini 8
| operator = [[NASA]]
| crew_members = 2名
| COSPAR_ID = 1966-020A
| launch_pad = [[ケープカナベラル空軍基地]]LC-19発射台
| SATCAT = 2105
| launch = [[1966年]]3月16日 16:41:02 [[協定世界時|UTC]]
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| distance_travelled = 293,206キロメートル
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| apogee = {{convert|271.9|km|nmi}}
| spacecraft = [[ジェミニ計画|ジェミニ]]SC8
| perigee = {{convert|159.9|km|nmi}}
| manufacturer = [[マクドネル・エアクラフト]]
| period = 88.83 分
| launch_mass = 3,789キログラム
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| distance = {{convert|293206|km|mi}}

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| launch_rocket = [[タイタンII GLV]]<br/>s/n 62-12563
| crew_caption = (L-R) Scott, Armstrong
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| landing_date = 1966年3月17日<br/>03:22:28 UTC
| landing_site = {{coord|25|13.8|N|136|0|E}}
| recovery_by = USS レオナルド・メイソン (DD-852)

| orbit_epoch = 1966年3月16日<ref name=satcat>{{cite web|last=McDowell|first=Jonathan|title=SATCAT|url=http://planet4589.org/space/log/satcat.txt|publisher=Jonathan's Space Pages|accessdate=March 23, 2014}}</ref>
| orbit_reference = [[地球周回軌道]]
| orbit_regime = [[低軌道|地球周回低軌道]]
| orbit_periapsis = 261キロメートル
| orbit_apoapsis = 270キロメートル
| orbit_inclination = 28.9度
| orbit_period = 89.81分
| apsis = gee

| docking =
{{Infobox spaceflight/Dock
| docking_target = [[アジェナ標的機|アジェナ標的衛星GATV-5003]]<br/>と
| docking_type = ドッキング
| docking_date = 1966年3月16日<br/>22:14 UTC
| undocking_date = 1966年3月16日<br/>~22:45 UTC
| time_docked = ~30分
}}

| crew_size = 2名
| crew_members = [[ニール・アームストロング]]<br/>[[デイヴィッド・スコット]]
| crew_photo = Portrait of the Gemini 8 prime crew.jpg
| crew_photo_caption = (左から右に) スコット、アームストロング

| previous_mission = [[ジェミニ6-A号]]
| next_mission = [[ジェミニ9-A号]]
| programme = [[ジェミニ計画]]
}}
}}


'''ジェミニ8号''' (公式には'''ジェミニVIII''')<ref name="titans">{{cite book
'''ジェミニ8号''' (Gemini 8) は[[アメリカ合衆国]]の[[有人宇宙飛行]]である[[ジェミニ計画]]で打ち上げられた[[宇宙船]]およびその宇宙飛行計画。[[ジェミニ宇宙船]]としては8番目のものであり、1966年3月16日に打ち上げられた。
| last = Hacker | first = Barton C.
| last2 = Grimwood| first2 = James M.
| authorlink =
| title = On the Shoulders of Titans: A History of Project Gemini
| chapter = Chapter 11 Pillars of Confidence
| chapterurl = http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4203/ch11-1.htm
| publisher = NASA
| series = NASA History Series
| volume = SP-4203
| edition =
| date = September 1974
| location =
| page = 239
| url = http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4203/toc.htm
| isbn = }} NASAはジェミニIVから、ジェミニの飛行番号をローマ数字に変更した。</ref>は、[[アメリカ合衆国]]の宇宙機関[[NASA]]が行った[[ジェミニ計画]]の6度目の有人宇宙飛行である。この飛行では史上初となる2機の宇宙機の軌道上での[[宇宙機のドッキングおよび係留|ドッキング]]が行われたが、同時にこれもアメリカ初となる、宇宙空間における乗員の生命を脅かすほどの深刻な機器の故障が発生し、飛行を緊急に中止する必要が迫られた。飛行士らは無事地球に帰還したが、このような緊急事態からの生還は他に[[アポロ13号]]の例があるのみである。

この飛行はアメリカの有人宇宙飛行としては12番目のもので、(高度100キロメートル以上を飛行した[[X-15 (航空機)|X-15]]実験機を含む) 当時の世界全体の記録としては22番目のものである。船長[[ニール・アームストロング]]は1960年に海軍[[予備役]]を退官していたため、アメリカの[[文官]]として二番目に宇宙に行った (最初に宇宙に行った米の文官は、X-15のフライト90で飛行した[[ジョセフ・ウォーカー]]である<ref name="Civilians in Space">{{cite web|url=http://www.fourmilab.ch/fourmilog/archives/2006-08/000736.html|title=Civilians in Space|accessdate=2016-06-30}}</ref><ref name="Space.com Joseph A Walker">{{cite web|url=http://www.space.com/adastra/adastra_joewalker_061127.html|title=Space.com Joseph A Walker|accessdate=2016-06-30}}</ref>)。史上初の文官による宇宙飛行を実現したのは[[ソビエト連邦]]で、1963年6月16日に[[ワレンチナ・テレシコワ]] (史上初の女性宇宙飛行士でもある) を[[ボストーク6号]]で飛行させた<ref name="Valentina Vladimirovna Tereshkova">{{cite web|url=http://www.adm.yar.ru/english/section.aspx?section_id=74|title=Valentina Vladimirovna Tereshkova|accessdate=2010-05-04}}</ref>。

==飛行士==
{| class="wikitable"
! 地位 !! 飛行士
|-
! 船長
| [[ニール・アームストロング]] (Neil Armstrong)<br/>初の飛行
|-
! 飛行士
| [[デイヴィッド・スコット]] (David Scott)<br/>初の飛行
|}

===予備搭乗員===
{| class="wikitable"
! 地位 !! 飛行士
|-
! 船長
| [[ピート・コンラッド]] (Pete Conrad)
|-
! 飛行士
| リチャード・ゴードン (Richard F. Gordon Jr.)
|} 彼らが[[ジェミニ11号]]の搭乗員になることが予定されていた。

===支援飛行士===
* [[ウォルター・カニンガム]] (ケネディ宇宙センターの通信担当官)
* [[ジム・ラヴェル]] (ヒューストンの通信担当官)

==諸元==
* '''[[質量]] :''' 3,789キログラム
* '''[[近点・遠点]] (最少) :''' 159.8キロメートル
* '''近点・遠点 (最大) :''' 298.7キロメートル
* '''[[軌道傾斜角]] :''' 28.91度
* '''[[公転周期|地球周回時間]] :''' 88.83分

===アジェナとのドッキング===
1966年3月16日
* '''ドッキング開始 :''' 22:14 UTC
* '''ドッキング解除 :''' ~22:45 UTC

==目的==
ジェミニVIIIは3日間の飛行を予定しており、近地点161キロメートル、遠地点270キロメートルの軌道に打ち上げられたあと、4周目に[[アジェナ標的機|アジェナ標的衛星]]と[[ランデブー (宇宙開発)|ランデブー]]し、史上初の[[宇宙機のドッキングおよび係留|ドッキング]]を行うことになっていた。アジェナとのドッキングは当初は[[ジェミニ6号]]で予定されていたもので、標的衛星はこれ以前に高度298キロメートルの軌道にすでに打ち上げられていた。予定では4回に分けてドッキングが行われることになっていた{{sfn|NASA|1966|p=2}}。

最初のドッキングでは、デヴィッド・スコット飛行士は2時間10分にわたる意欲的な[[宇宙遊泳|船外活動]] (Extra-Vehicular Activity, EVA) を行うことになっており、実現すれば1965年6月に[[ジェミニ4号]]で[[エドワード・ホワイト]]が宇宙遊泳を達成して以来のことになるはずであった。スコットは長さ7.6メートルの命綱に身を預け、地球を1周半する間にジェミニ宇宙船の前部接続部から原子核乳剤放射線実験装置を回収し、その後アジェナで[[流星塵]]の実験を行うはずだった。作業を終えるとジェミニに戻り、姿勢制御の微調整用の機器を、作業板のボルトを緩めたり締めたりして検査する予定になっていた{{sfn|NASA|1966|p=2}}。

スコットはEVAの間、アームストロングがアジェナからジェミニを切り離した後、宇宙船の後部接続部に収納されている船外活動支援機器 (Extravehicular Support Pack, ESP) を身につけテストすることになっていた。これは独自の酸素ボンベを搭載した背負い袋のような機材で、[[フロン類|フロン]]ガスを推進剤とする携帯式の特殊な姿勢制御装置と、長さ23メートルの延長の命綱が付属していた。彼はジェミニおよびアジェナと (18メートルまで離れて) 編隊を組み、ジェミニに搭乗しているアームストロングと共同していくつかの操作を行うはずだったが{{sfn|NASA|1966|p=3,18-19,40-43}}、ドッキング直後に発生した重大な飛行中の緊急事態で計画が中止されたため、このEVAを行うことはなかった。

この飛行ではまた、追加で三つの科学的実験と四つの技術的実験、および一つの医学的な実験が行われる予定だった{{sfn|NASA|1966|p=3}}。

==飛行==
===アジェナ標的衛星===
この5ヶ月前、NASAは[[ジェミニ6号]]のために[[アジェナ標的機|アジェナ標的衛星]]を打ち上げていたが、軌道投入の際にアジェナのエンジンが爆発したことにより[[アトラス・アジェナ]]ロケットの発射が失敗したため、計画は予定を組み直さなければならなくなった。この時点では、すべては完璧に進行していた。アジェナは高度298キロメートルの円[[軌道 (力学)|軌道]]に乗り、自動制御でドッキングのための正確な高度に軌道修正していた。ジェミニ宇宙船自体も、1966年3月16日 (奇しくもこの日は40年前に[[ロバート・ゴダード]]博士が世界初の液体燃料ロケットを発射したのと同じ日であった) 午前10時41分02秒 (東部標準時間) に、改良型の[[タイタンII GLV|タイタンII]]型ロケットで近地点160キロメートル遠地点272キロメートルの軌道に打ち上げられていた。8号の発射は正常に行われ、タイタンIIと宇宙船双方に目立った異常は発生しなかった。[[File:Gemini 8 Atlas-Agena launch.jpg|thumb|left|ジェミニ8号とのドッキングの準備のため、アトラスロケットで宇宙に打ち上げられるアジェナ標的衛星]]
[[File:Gemini 8 launch.jpg|thumb|「ジェミニ8号」を打ち上げる[[タイタンII GLV|ジェミニ – タイタン]]ロケット。1966年3月16日]]
{| class="wikitable plainrowheaders"
! scope="col" |
! scope="col" | ジェミニ8号用アジェナ標的衛星諸元
|-
! scope="row" | 標的衛星
| GATV-5003
|-
! scope="row" | [[NSSDC]] ID:
| 1966-019A
|-
! scope="row" | 質量
| 3,175キログラム
|-
! scope="row" | 発射場
| LC-14
|-
! scope="row" | 発射日
| 1966年3月16日
|-
! scope="row" | 発射時間
| 15:00:03 UTC
|-
! scope="row" | 第一近地点
| 299.1キロメートル
|-
! scope="row" | 第一遠地点
| 299.7キロメートル
|-
! scope="row" | 軌道周回時間
| 90.47分
|-
! scope="row" | 軌道傾斜角
| 28.86
|-
! scope="row" | 大気圏再突入
| 1967年9月15日
|}
<br style="clear: left"/>

===ランデブーとドッキング===
[[File:The First Docking in Space - GPN-2000-001344.jpg|thumb|left|ランデブーの際、ジェミニ8号が撮影したアジェナ標的衛星]]
第一回の軌道修正は発射から1時間34分後に行われた。飛行士らは[[軌道姿勢制御システム]] (Orbit Attitude and Maneuvering System, OAMS) を5秒間噴射し、遠地点をわずかに下げた。第二回の修正は軌道の遠地点の近くで行われ、速度を毎秒15メートル増加させ遠地点と近地点双方を上昇させた。第三回の修正は太平洋上空で行われ、横方向への噴射で毎秒18メートル加速し、軌道平面を南側に傾けた。メキシコ上空にさしかかったとき、ヒューストンの通信担当官[[ジム・ラヴェル]]は、さらに毎秒0.79メートル加速する最後の軌道修正が必要であると伝えた。

ランデブー用レーダーは、距離322キロメートルの地点でアジェナの姿をとらえた。発射から3時間48分10秒後、飛行士らはさらにロケットを噴射し、アジェナよりも高度が28キロ低い円軌道に進入した。最初にアジェナを目視したのは距離141キロの地点で、102キロまで接近したときコンピューターによる自動操縦に移行した。

その後の数度にわたる微調整で距離46メートルまで接近し、相対速度はゼロになった。飛行士らは30分間にわたってアジェナを目視で点検し、発射の衝撃による損傷は何も見られないことが確認されたため、管制室はドッキングを遂行するよう指令を出した。アームストロングは毎秒8センチメートルでアジェナへの接近を開始した。数分間のうちにアジェナのドッキング装置の留め金がかかり、緑色のランプが点灯してドッキングが完了したことが示された。「管制室、ドッキングが完了した! 実にスムーズなものだったよ」と、スコットは無線で地上に報告した。

===緊急事態===
このとき地上の管制官の間には、アジェナの[[姿勢制御]]装置に不具合が発生しており、正しいプログラムが搭載されていないのではないかという疑念が生じていた。この疑念はその後間違いであることがわかったが、地上との通信圏外に入る直前、管制室はアジェナに何らかの異常が発生した場合はただちにドッキングを中止するよう飛行士に伝えた。

アジェナが内蔵プログラムにより、ジェミニと結合した船体を90度右に傾ける操作を開始した後、スコットは船体が右回転 (ローリング) していることに気づいた。アームストロングはジェミニのOAMSを使用して回転を止めたが、一旦停止した後、すぐにまたローリングが始まった。この時点で8号は地上との通信圏外にいた。

アームストロングはOAMSの燃料が30%にまで落ちていると報告した、これはすなわち、問題がジェミニのほうにあることを示していた。回転があまりに速くなりすぎると宇宙船の一方または双方が損傷し、さらには燃料を大量に積んだアジェナは分解あるいは爆発するおそれがあるため、飛行士らは状況を分析できるようアジェナを切り離すことを決断した。アームストロングが切り離しのため機体を安定させようと奮闘している一方で、スコットはアジェナの制御を地上からの指令に切り替えた。スコットが分離のボタンを押すと、アームストロングはロケットを長時間噴射してアジェナから遠ざかった。

アジェナの重量が無くなった瞬間、ジェミニの回転数は急激に上昇した。この直後、宇宙船は通信連絡船コースタル・セントリー・キューベック (Coastal Sentry Quebec) の通信圏内に入った。このとき宇宙船の回転数は1秒間に1回転にまで達しており、この状態では飛行士は視界がぼやけ、意識を失ったり[[回転性めまい]]に陥ってしまう危険があった。アームストロングは回転を止めるためにOAMSを停止し、大気圏再突入システム (Re-entry Control System, RCS) の推進装置を使用することを決断した。宇宙船の状態が安定すると飛行士らはOAMSを順番に点検し、その結果8番の推進器に異常があることを発見した。再突入用の燃料は回転停止に使用したためほぼ75%が失われており{{sfn|Gatland|1976|p=176}}、規定では何らかの理由でRCSを一度でも噴射した場合は飛行を中止しなければならないとされていたため、8号はただちに緊急着陸の準備を始めた。

===着水===
[[Image:Armstrong and Scott with Hatches Open - GPN-2000-001413.jpg|thumb|回収船USSレオナルド・F・メイソン (Leonard F. Mason) に回収されるのを待つアームストロング (右) とスコット (左)]]
宇宙船は第二回収部隊の活動範囲内に着水させるため、軌道を1周した後に大気圏に再突入することが決定された。当初は大西洋に着水することが予定されていたが、ここに到達するのは3日後のことだった。そのため回収船USSレオナルド・F・メイソン (USS Leonard F. Mason) は[[日本]]の[[沖縄]]東方800キロメートル、[[横須賀]]南方1,000キロメートルに新たに設定された着水点に向けて出発した。

再突入を開始したのは中国上空で、NASAの通信ステーションの範囲外だった。

航空機も派遣され、パイロットの一人アメリカ空軍レス・シュナイダー (Les Schneider) 機長は宇宙船が正確な時間と場所に降下したかを目をこらして観測した。ジェミニを発見すると、飛行機からアメリカ空軍パラレスキュー部隊 (United States Air Force Pararescue) のグレン・M・ムーア (Glenn M. Moore)、エルドリッジ・M・ニール (Eldridge M. Neal)、ラリー・D・ヒュエット (Larry D. Huyett)<ref name="Gemini 8 Crew and PJs">{{cite web|url=http://www.nasaimages.org/luna/servlet/detail/nasaNAS~7~7~32671~136538:Gemini-8-crew-stands-on-deck-of-rec|title=Gemini8 Crew and PJs|accessdate=2010-06-15}}</ref>の3名のレスキュー隊員が飛びおり、宇宙船に浮き輪を取りつけた。着水から3時間後、レオナルド・F・メイソンは宇宙船を艦上に引き上げた。飛行士らは疲労困憊していたが、無事に生還した。

事故調査の一環として、地上管制官はその後数日間にわたりアジェナに指令を送り、燃料と電源が尽きるまで様々な軌道操作を行い検査した。

この4ヶ月後、[[ジェミニ10号]]の飛行士らは廃機となったアジェナとランデブーし、[[マイケル・コリンズ (宇宙飛行士)|マイケル・コリンズ]]飛行士は流星塵収集機を回収することに成功した。

ジェミニ8号の飛行は国防総省の9,655名の人員と96機の航空機、16隻の艦船によって支援された{{Citation needed|date=August 2012}}。

==事故原因と結果==
姿勢制御ロケットの故障の原因については決定的なものは発見されなかったが、最も可能性がありそうなのは電気的なショートであると結論づけられ、中でも[[静電気]]の放電によるものが最有力であるとされた。推進器への電力は、スイッチが切られても流れ続けていたことが判明した。そのため同様の問題の再発を防止すべく、それぞれの推進器が独立した回路を持つよう宇宙船の設計が変更された。
[[File:Press conference - GT-VIII - prime and backup crew.jpg|thumb|管制室での記者会見で質問に答えるジェミニ8号の搭乗員たち]]

NASA副局長のロバート・シーマンズ (Robert Seamans) は事故発生当時、[[ゴダード宇宙飛行センター]]が主催する夕食会に出席していて、副長官の[[ヒューバート・H・ハンフリー]]も来賓の講演者として招かれていた<ref>{{Citation
| last = Seamans, Jr.
| first = Robert C.
| authorlink = Robert Seamans
| coauthors =
| title = Project Apollo: The Tough Decisions
| journal = Monographs in Aerospace History
| volume = 37
| publisher = NASA
| id = SP-2005-4537
| year = 2005
| location = Washington, D.C.
| pages =
| url = http://history.nasa.gov/monograph37.pdf
| doi =
| isbn = }}
</ref>。この事故を受け、シーマンズはNASAの問題調査の過程を軍の事故調査委員会に倣 (なら) って見直すことを決定し、1966年4月14日、新過程「'''業務管理指示書8621.1 飛行失敗の際の調査方針およびその過程'''」が成文化された。これは重大な飛行の失敗に対し、通常は計画のさまざまな部署の職員が責任を持っていた事故調査について、それらを超えて独自の調査を優先的に行う権限を副局長に与えた。文書では次のように言明されている:「これは宇宙空間および飛行上の活動で発生した、すべての重大な計画失敗についての原因の調査と記録を行い、その結果見出されたものあるいはその勧告を受けた結果として、適切で正しい行動を行うためのNASAの方針である」<ref>{{Cite web
| author = Dr. Robert C. Seamans, Jr.
| title = NASA Management Instruction 8621.1 April 14, 1966
| work = Apollo 204 Review Board Final Report
| publisher = NASA
| date = April 5, 1967
| url = http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/Apollo204/13.html
| doi =
| accessdate = March 7, 2011}}
</ref>。シーマンズが最初にこの新過程の作成を思い立ったのは1967年1月27日に[[アポロ1号]]が飛行士3名を死亡させる重大な火災事故を発生させた直後のことで、1970年4月に[[アポロ13号]]が月に向かう途中で重大な事故を発生させたことも要因となっていた。


ジェミニ宇宙船の元請である[[マクドネル・エアクラフト]]もまた、自身の諸過程を変更した。この事故以前は、マクドネル社の上級技術者らは発射の時は[[ケープカナベラル空軍基地]]にいて、その後飛行の残りの時間は[[テキサス州]][[ヒューストン]]の管制センターに飛行機で移動することになっていたが、今回の事故は彼らがヒューストンに移動する途中で発生した。そのためマクドネル社は技術者らを、飛行のすべての時間ヒューストンに常駐させることにした<ref>{{cite web|url=http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4203/ch13-6.htm|title=On The Shoulders of Titans - Ch13-6|accessdate=2011-05-04}}</ref>。
== 概要 ==
ジェミニ8号の目的は、月飛行計画に向けての技術開発の一環として、軌道上におけるランデブー及びドッキング、さらに船外活動([[宇宙遊泳]])にあった。


==記章==
ジェミニ8号の打上げに先立ち1966年3月16日15:00:03 UTCに[[ケープカナベラル空軍基地]]LC-14発射台より[[アトラス (ロケット)|アトラス・ロケット]]を用いて[[アジェナ標的機]](GATV-5003)が打ち上げられている。ランデブー及びドッキングの対象は、このアジェナ標的機であり、ほぼ高度300km軌道周期90分の円軌道に打ち上げられた。
[[File:Profile of Agena Docking Target - GPN-2000-001345.jpg|thumb|250px|left|アジェナ標的機]]
[[File:Gemini 8 Flown Fliteline Sterling Silver Medallion.jpg|thumb|ジェミニ8号の飛行記念メダル]]
8号の計画の記章は、飛行で達成されることが期待されていたすべての目的をスペクトル線で表わしている。底部にある図柄は、十二宮の[[ふたご座|ジェミニ (ふたご座)]] の記号 [[Image:Gemini.svg|12px]] と[[ローマ数字]]のVIIIを組み合わせたものである。二つの星はふたご座を構成する[[カストル (恒星)|カストル]]と[[ポルックス (恒星)|ポルックス]]で、その光線はプリズムでスペクトル線に分解されている。記章のデザインをしたのはアームストロングとスコットの両名であった。
ジェミニ8号はLC-19発射台より16日16:41:02UTCに[[タイタンII GLV]]によって打ち上げられた。当初軌道は近地点159.9km遠地点271.9km軌道周期88.83分の楕円軌道である。打上げ後1時間34分後から軌道修正を開始し、約6時間でジェミニ8号はGATV-5003に接近した。GATV-5003に打上げ後の損傷が無いか確認した後、秒速8cmの低速でドッキング接近を開始した。打上げ後6時間33分後にジェミニ8号はGATV-5003とのドッキングに成功している。しかし、ドッキング27分後にジェミニ8号とGATV-5003は予期せぬ[[スピン]]が発生し、制御が困難となった。このため、ドッキングを解除したが、ジェミニ8号の姿勢制御は異常で、スピンの回復はなされなかった。これは[[軌道姿勢制御システム]](OAMS)の不調によるものであり、船長のアームストロングは、OAMSの使用を停止し、逆噴射エンジンを緊急操作することにより、スピンを制御することに成功した。


==宇宙船の現在の状態==
逆噴射エンジンの使用により、ジェミニ8号は地球へ緊急再突入をすることとなってしまった。宇宙遊泳や再ドッキング試験は中止された。71時間の飛行の後、[[大西洋]]への着水する予定(航空母艦[[ボクサー (空母)|ボクサー]]が待機)であったが、大西洋ではなく、沖縄東方の[[太平洋]]上を目標に着水することとなった。ジェミニ8号は3月17日03:22:28UTCに沖縄東方800kmの地点に着水している。着水3時間後に待機していた[[駆逐艦]][[レオナード・F・メイソン (駆逐艦)|レオナード・F・メイソン]] (USS Leonard F. Mason,DD-852)によって回収された。アメリカ国防総省もジェミニ8号の支援についており、人員9,655名と航空機96機、艦艇16隻が投入された。
8号の機体は、現在は[[オハイオ州]]ワパコネタ (Wapakoneta) の[[ニール・アームストロング航空宇宙博物館]]に展示されている。


==参照==
[[File:Gemini VIII Capsule.jpg|right|thumb|235px|ニール・アームストロング航空宇宙博物館に展示されているジェミニ8号]]
* [[アジェナ標的機|アジェナ標的衛星]]
ジェミニ8号は[[オハイオ州]][[ワパコネタ]]の[[ニール・アームストロング航空宇宙博物館]]に保管展示されている。
* {{仮リンク|着水|en|Splashdown}}


== 搭乗員 ==
==脚注==
===引用===
* 船長:[[ニール・アームストロング]]
{{Reflist}}
* パイロット:[[デヴィッド・スコット]]
===参考書目===
* {{cite book
| last = Gatland
| first = Kenneth
| title = Manned Spacecraft
| edition = Second
| publisher = Macmillan
| location = New York
| isbn =
| year = 1976
| ref = harv
}}
* {{cite book
| last1 = Hacker
| first1 = Barton C.
| last2 = Grimwood
| first2 = James M.
| year = 1977
| title = On the Shoulders of Titans: A History of Project Gemini
| series = NASA SP-4203
| publisher = National Aeronautics and Space Administration
| location = Washington, D.C.
| url = http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4203/toc.htm
| accessdate = 2015-01-02
| format =
| ref = harv
}}
* {{cite press release
| author = NASA
| title = Gemini 8 press kit
| publisher = NASA
| date = March 11, 1966
| url = https://mira.hq.nasa.gov/history/ws/hdmshrc/all/main/DDD/25015.PDF
| accessdate = February 27, 2015
| ref = harv}}


{{Include-NASA}}
=== 予備搭乗員 ===
* 船長:[[ピート・コンラッド]]
* パイロット:[[リチャード・ゴードン]]


== 外部リンク ==
==外部リンク==
{{Portal|宇宙開発}}
{{Commonscat|Gemini 8}}
{{commons category|Gemini 8}}
* A site about the U.S.S. Leonard F. Mason (DD-852) http://www.west.net/~ke6jqp/dd852.htm
* U.S. Space Objects Registry https://usspaceobjectsregistry.state.gov/Pages/Home.aspx
* [http://www.maniacworld.com/Gemini-VIII-Docks.htm Gemini 8 Docks with Agena] Video
*{{YouTube| pmaKXA5oDQ8 | "Gemini 8, This is Houston Flight" }}
* [http://science.ksc.nasa.gov/history/gemini/gemini.html NASAによるジェミニ計画概説]
* [http://science.ksc.nasa.gov/history/gemini/gemini.html NASAによるジェミニ計画概説]
* [https://mira.hq.nasa.gov/history/ws/hdmshrc/all/main/DDD/25015.PDF NASA Gemini 8 press kit - Mar 11, 1966]
* [https://mira.hq.nasa.gov/history/ws/hdmshrc/all/main/DDD/25015.PDF NASA Gemini 8 press kit - Mar 11, 1966]

2016年7月2日 (土) 02:43時点における版

ジェミニVIII
アジェナ標的衛星とドッキングする
ジェミニVIII
任務種別ドッキング試験
運用者NASA
COSPAR ID1966-020A
SATCAT №2105
任務期間10時間41分26秒
飛行距離293,206キロメートル
周回数6周
特性
宇宙機ジェミニSC8
製造者マクドネル・エアクラフト
打ち上げ時重量3,789キログラム
乗員
乗員数2名
乗員ニール・アームストロング
デイヴィッド・スコット
任務開始
打ち上げ日1966年3月16日
16:41:02 UTC
ロケットタイタンII GLV
s/n 62-12563
打上げ場所ケープカナベラル空軍基地19番複合発射施設
任務終了
回収担当USS レオナルド・メイソン (DD-852)
着陸日1966年3月17日
03:22:28 UTC
着陸地点北緯25度13.8分 東経136度0分 / 北緯25.2300度 東経136.000度 / 25.2300; 136.000
軌道特性
参照座標地球周回軌道
体制地球周回低軌道
近点高度261キロメートル
遠点高度270キロメートル
傾斜角28.9度
軌道周期89.81分
元期1966年3月16日[1]
アジェナ標的衛星GATV-5003
とのドッキング(捕捉)
ドッキング(捕捉)日 1966年3月16日
22:14 UTC
分離日 1966年3月16日
~22:45 UTC
ドッキング時間 ~30分

(左から右に) スコット、アームストロング

ジェミニ8号 (公式にはジェミニVIII)[2]は、アメリカ合衆国の宇宙機関NASAが行ったジェミニ計画の6度目の有人宇宙飛行である。この飛行では史上初となる2機の宇宙機の軌道上でのドッキングが行われたが、同時にこれもアメリカ初となる、宇宙空間における乗員の生命を脅かすほどの深刻な機器の故障が発生し、飛行を緊急に中止する必要が迫られた。飛行士らは無事地球に帰還したが、このような緊急事態からの生還は他にアポロ13号の例があるのみである。

この飛行はアメリカの有人宇宙飛行としては12番目のもので、(高度100キロメートル以上を飛行したX-15実験機を含む) 当時の世界全体の記録としては22番目のものである。船長ニール・アームストロングは1960年に海軍予備役を退官していたため、アメリカの文官として二番目に宇宙に行った (最初に宇宙に行った米の文官は、X-15のフライト90で飛行したジョセフ・ウォーカーである[3][4])。史上初の文官による宇宙飛行を実現したのはソビエト連邦で、1963年6月16日にワレンチナ・テレシコワ (史上初の女性宇宙飛行士でもある) をボストーク6号で飛行させた[5]

飛行士

地位 飛行士
船長 ニール・アームストロング (Neil Armstrong)
初の飛行
飛行士 デイヴィッド・スコット (David Scott)
初の飛行

予備搭乗員

地位 飛行士
船長 ピート・コンラッド (Pete Conrad)
飛行士 リチャード・ゴードン (Richard F. Gordon Jr.)

彼らがジェミニ11号の搭乗員になることが予定されていた。

支援飛行士

諸元

アジェナとのドッキング

1966年3月16日

  • ドッキング開始 : 22:14 UTC
  • ドッキング解除 : ~22:45 UTC

目的

ジェミニVIIIは3日間の飛行を予定しており、近地点161キロメートル、遠地点270キロメートルの軌道に打ち上げられたあと、4周目にアジェナ標的衛星ランデブーし、史上初のドッキングを行うことになっていた。アジェナとのドッキングは当初はジェミニ6号で予定されていたもので、標的衛星はこれ以前に高度298キロメートルの軌道にすでに打ち上げられていた。予定では4回に分けてドッキングが行われることになっていた[6]

最初のドッキングでは、デヴィッド・スコット飛行士は2時間10分にわたる意欲的な船外活動 (Extra-Vehicular Activity, EVA) を行うことになっており、実現すれば1965年6月にジェミニ4号エドワード・ホワイトが宇宙遊泳を達成して以来のことになるはずであった。スコットは長さ7.6メートルの命綱に身を預け、地球を1周半する間にジェミニ宇宙船の前部接続部から原子核乳剤放射線実験装置を回収し、その後アジェナで流星塵の実験を行うはずだった。作業を終えるとジェミニに戻り、姿勢制御の微調整用の機器を、作業板のボルトを緩めたり締めたりして検査する予定になっていた[6]

スコットはEVAの間、アームストロングがアジェナからジェミニを切り離した後、宇宙船の後部接続部に収納されている船外活動支援機器 (Extravehicular Support Pack, ESP) を身につけテストすることになっていた。これは独自の酸素ボンベを搭載した背負い袋のような機材で、フロンガスを推進剤とする携帯式の特殊な姿勢制御装置と、長さ23メートルの延長の命綱が付属していた。彼はジェミニおよびアジェナと (18メートルまで離れて) 編隊を組み、ジェミニに搭乗しているアームストロングと共同していくつかの操作を行うはずだったが[7]、ドッキング直後に発生した重大な飛行中の緊急事態で計画が中止されたため、このEVAを行うことはなかった。

この飛行ではまた、追加で三つの科学的実験と四つの技術的実験、および一つの医学的な実験が行われる予定だった[8]

飛行

アジェナ標的衛星

この5ヶ月前、NASAはジェミニ6号のためにアジェナ標的衛星を打ち上げていたが、軌道投入の際にアジェナのエンジンが爆発したことによりアトラス・アジェナロケットの発射が失敗したため、計画は予定を組み直さなければならなくなった。この時点では、すべては完璧に進行していた。アジェナは高度298キロメートルの円軌道に乗り、自動制御でドッキングのための正確な高度に軌道修正していた。ジェミニ宇宙船自体も、1966年3月16日 (奇しくもこの日は40年前にロバート・ゴダード博士が世界初の液体燃料ロケットを発射したのと同じ日であった) 午前10時41分02秒 (東部標準時間) に、改良型のタイタンII型ロケットで近地点160キロメートル遠地点272キロメートルの軌道に打ち上げられていた。8号の発射は正常に行われ、タイタンIIと宇宙船双方に目立った異常は発生しなかった。

ジェミニ8号とのドッキングの準備のため、アトラスロケットで宇宙に打ち上げられるアジェナ標的衛星
「ジェミニ8号」を打ち上げるジェミニ – タイタンロケット。1966年3月16日
ジェミニ8号用アジェナ標的衛星諸元
標的衛星 GATV-5003
NSSDC ID: 1966-019A
質量 3,175キログラム
発射場 LC-14
発射日 1966年3月16日
発射時間 15:00:03 UTC
第一近地点 299.1キロメートル
第一遠地点 299.7キロメートル
軌道周回時間 90.47分
軌道傾斜角 28.86
大気圏再突入 1967年9月15日


ランデブーとドッキング

ランデブーの際、ジェミニ8号が撮影したアジェナ標的衛星

第一回の軌道修正は発射から1時間34分後に行われた。飛行士らは軌道姿勢制御システム (Orbit Attitude and Maneuvering System, OAMS) を5秒間噴射し、遠地点をわずかに下げた。第二回の修正は軌道の遠地点の近くで行われ、速度を毎秒15メートル増加させ遠地点と近地点双方を上昇させた。第三回の修正は太平洋上空で行われ、横方向への噴射で毎秒18メートル加速し、軌道平面を南側に傾けた。メキシコ上空にさしかかったとき、ヒューストンの通信担当官ジム・ラヴェルは、さらに毎秒0.79メートル加速する最後の軌道修正が必要であると伝えた。

ランデブー用レーダーは、距離322キロメートルの地点でアジェナの姿をとらえた。発射から3時間48分10秒後、飛行士らはさらにロケットを噴射し、アジェナよりも高度が28キロ低い円軌道に進入した。最初にアジェナを目視したのは距離141キロの地点で、102キロまで接近したときコンピューターによる自動操縦に移行した。

その後の数度にわたる微調整で距離46メートルまで接近し、相対速度はゼロになった。飛行士らは30分間にわたってアジェナを目視で点検し、発射の衝撃による損傷は何も見られないことが確認されたため、管制室はドッキングを遂行するよう指令を出した。アームストロングは毎秒8センチメートルでアジェナへの接近を開始した。数分間のうちにアジェナのドッキング装置の留め金がかかり、緑色のランプが点灯してドッキングが完了したことが示された。「管制室、ドッキングが完了した! 実にスムーズなものだったよ」と、スコットは無線で地上に報告した。

緊急事態

このとき地上の管制官の間には、アジェナの姿勢制御装置に不具合が発生しており、正しいプログラムが搭載されていないのではないかという疑念が生じていた。この疑念はその後間違いであることがわかったが、地上との通信圏外に入る直前、管制室はアジェナに何らかの異常が発生した場合はただちにドッキングを中止するよう飛行士に伝えた。

アジェナが内蔵プログラムにより、ジェミニと結合した船体を90度右に傾ける操作を開始した後、スコットは船体が右回転 (ローリング) していることに気づいた。アームストロングはジェミニのOAMSを使用して回転を止めたが、一旦停止した後、すぐにまたローリングが始まった。この時点で8号は地上との通信圏外にいた。

アームストロングはOAMSの燃料が30%にまで落ちていると報告した、これはすなわち、問題がジェミニのほうにあることを示していた。回転があまりに速くなりすぎると宇宙船の一方または双方が損傷し、さらには燃料を大量に積んだアジェナは分解あるいは爆発するおそれがあるため、飛行士らは状況を分析できるようアジェナを切り離すことを決断した。アームストロングが切り離しのため機体を安定させようと奮闘している一方で、スコットはアジェナの制御を地上からの指令に切り替えた。スコットが分離のボタンを押すと、アームストロングはロケットを長時間噴射してアジェナから遠ざかった。

アジェナの重量が無くなった瞬間、ジェミニの回転数は急激に上昇した。この直後、宇宙船は通信連絡船コースタル・セントリー・キューベック (Coastal Sentry Quebec) の通信圏内に入った。このとき宇宙船の回転数は1秒間に1回転にまで達しており、この状態では飛行士は視界がぼやけ、意識を失ったり回転性めまいに陥ってしまう危険があった。アームストロングは回転を止めるためにOAMSを停止し、大気圏再突入システム (Re-entry Control System, RCS) の推進装置を使用することを決断した。宇宙船の状態が安定すると飛行士らはOAMSを順番に点検し、その結果8番の推進器に異常があることを発見した。再突入用の燃料は回転停止に使用したためほぼ75%が失われており[9]、規定では何らかの理由でRCSを一度でも噴射した場合は飛行を中止しなければならないとされていたため、8号はただちに緊急着陸の準備を始めた。

着水

回収船USSレオナルド・F・メイソン (Leonard F. Mason) に回収されるのを待つアームストロング (右) とスコット (左)

宇宙船は第二回収部隊の活動範囲内に着水させるため、軌道を1周した後に大気圏に再突入することが決定された。当初は大西洋に着水することが予定されていたが、ここに到達するのは3日後のことだった。そのため回収船USSレオナルド・F・メイソン (USS Leonard F. Mason) は日本沖縄東方800キロメートル、横須賀南方1,000キロメートルに新たに設定された着水点に向けて出発した。

再突入を開始したのは中国上空で、NASAの通信ステーションの範囲外だった。

航空機も派遣され、パイロットの一人アメリカ空軍レス・シュナイダー (Les Schneider) 機長は宇宙船が正確な時間と場所に降下したかを目をこらして観測した。ジェミニを発見すると、飛行機からアメリカ空軍パラレスキュー部隊 (United States Air Force Pararescue) のグレン・M・ムーア (Glenn M. Moore)、エルドリッジ・M・ニール (Eldridge M. Neal)、ラリー・D・ヒュエット (Larry D. Huyett)[10]の3名のレスキュー隊員が飛びおり、宇宙船に浮き輪を取りつけた。着水から3時間後、レオナルド・F・メイソンは宇宙船を艦上に引き上げた。飛行士らは疲労困憊していたが、無事に生還した。

事故調査の一環として、地上管制官はその後数日間にわたりアジェナに指令を送り、燃料と電源が尽きるまで様々な軌道操作を行い検査した。

この4ヶ月後、ジェミニ10号の飛行士らは廃機となったアジェナとランデブーし、マイケル・コリンズ飛行士は流星塵収集機を回収することに成功した。

ジェミニ8号の飛行は国防総省の9,655名の人員と96機の航空機、16隻の艦船によって支援された[要出典]

事故原因と結果

姿勢制御ロケットの故障の原因については決定的なものは発見されなかったが、最も可能性がありそうなのは電気的なショートであると結論づけられ、中でも静電気の放電によるものが最有力であるとされた。推進器への電力は、スイッチが切られても流れ続けていたことが判明した。そのため同様の問題の再発を防止すべく、それぞれの推進器が独立した回路を持つよう宇宙船の設計が変更された。

管制室での記者会見で質問に答えるジェミニ8号の搭乗員たち

NASA副局長のロバート・シーマンズ (Robert Seamans) は事故発生当時、ゴダード宇宙飛行センターが主催する夕食会に出席していて、副長官のヒューバート・H・ハンフリーも来賓の講演者として招かれていた[11]。この事故を受け、シーマンズはNASAの問題調査の過程を軍の事故調査委員会に倣 (なら) って見直すことを決定し、1966年4月14日、新過程「業務管理指示書8621.1 飛行失敗の際の調査方針およびその過程」が成文化された。これは重大な飛行の失敗に対し、通常は計画のさまざまな部署の職員が責任を持っていた事故調査について、それらを超えて独自の調査を優先的に行う権限を副局長に与えた。文書では次のように言明されている:「これは宇宙空間および飛行上の活動で発生した、すべての重大な計画失敗についての原因の調査と記録を行い、その結果見出されたものあるいはその勧告を受けた結果として、適切で正しい行動を行うためのNASAの方針である」[12]。シーマンズが最初にこの新過程の作成を思い立ったのは1967年1月27日にアポロ1号が飛行士3名を死亡させる重大な火災事故を発生させた直後のことで、1970年4月にアポロ13号が月に向かう途中で重大な事故を発生させたことも要因となっていた。

ジェミニ宇宙船の元請であるマクドネル・エアクラフトもまた、自身の諸過程を変更した。この事故以前は、マクドネル社の上級技術者らは発射の時はケープカナベラル空軍基地にいて、その後飛行の残りの時間はテキサス州ヒューストンの管制センターに飛行機で移動することになっていたが、今回の事故は彼らがヒューストンに移動する途中で発生した。そのためマクドネル社は技術者らを、飛行のすべての時間ヒューストンに常駐させることにした[13]

記章

ジェミニ8号の飛行記念メダル

8号の計画の記章は、飛行で達成されることが期待されていたすべての目的をスペクトル線で表わしている。底部にある図柄は、十二宮のジェミニ (ふたご座) の記号 ローマ数字のVIIIを組み合わせたものである。二つの星はふたご座を構成するカストルポルックスで、その光線はプリズムでスペクトル線に分解されている。記章のデザインをしたのはアームストロングとスコットの両名であった。

宇宙船の現在の状態

8号の機体は、現在はオハイオ州ワパコネタ (Wapakoneta) のニール・アームストロング航空宇宙博物館に展示されている。

参照

脚注

引用

  1. ^ McDowell, Jonathan. “SATCAT”. Jonathan's Space Pages. 2014年3月23日閲覧。
  2. ^ Hacker, Barton C.; Grimwood, James M. (September 1974). “Chapter 11 Pillars of Confidence”. On the Shoulders of Titans: A History of Project Gemini. NASA History Series. SP-4203. NASA. p. 239. http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4203/ch11-1.htm  NASAはジェミニIVから、ジェミニの飛行番号をローマ数字に変更した。
  3. ^ Civilians in Space”. 2016年6月30日閲覧。
  4. ^ Space.com Joseph A Walker”. 2016年6月30日閲覧。
  5. ^ Valentina Vladimirovna Tereshkova”. 2010年5月4日閲覧。
  6. ^ a b NASA 1966, p. 2.
  7. ^ NASA 1966, p. 3,18-19,40-43.
  8. ^ NASA 1966, p. 3.
  9. ^ Gatland 1976, p. 176.
  10. ^ Gemini8 Crew and PJs”. 2010年6月15日閲覧。
  11. ^ Seamans, Jr., Robert C. (2005), “Project Apollo: The Tough Decisions”, Monographs in Aerospace History (Washington, D.C.: NASA) 37, SP-2005-4537, http://history.nasa.gov/monograph37.pdf 
  12. ^ Dr. Robert C. Seamans, Jr. (1967年4月5日). “NASA Management Instruction 8621.1 April 14, 1966”. Apollo 204 Review Board Final Report. NASA. 2011年3月7日閲覧。
  13. ^ On The Shoulders of Titans - Ch13-6”. 2011年5月4日閲覧。

参考書目

  • Gatland, Kenneth (1976). Manned Spacecraft (Second ed.). New York: Macmillan 
  • Hacker, Barton C.; Grimwood, James M. (1977). On the Shoulders of Titans: A History of Project Gemini. NASA SP-4203. Washington, D.C.: National Aeronautics and Space Administration. http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4203/toc.htm 2015年1月2日閲覧。 
  • NASA (11 March 1966). "Gemini 8 press kit" (PDF) (Press release). NASA. 2015年2月27日閲覧 {{cite press release2}}: 引数|ref=harvは不正です。 (説明)

パブリックドメイン この記事にはパブリックドメインである、アメリカ合衆国連邦政府のウェブサイトもしくは文書本文を含む。

外部リンク