「金星の太陽面通過」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
謗法 (会話 | 投稿記録)
m -error
編集の要約なし
(9人の利用者による、間の45版が非表示)
1行目: 1行目:
{{改名提案|太陽面通過|t=ノート:日面通過|date=2016年5月}}
{{再選考S}}
{{Otheruses|地球における金星の日面通過|その他の天体における金星の日面通過|金星の日面通過 (曖昧さ回避)}}
{{Otheruses|地球における金星の日面通過|その他の天体における金星の日面通過|金星の日面通過 (曖昧さ回避)}}
[[ファイル:Venustransit 2004-06-08 07-49.jpg|thumb|200px|right|[[2004年]][[6月8日]]の金星の日面通過。[[ドイツ]]の[[イェーナ]]にて。]]
[[ファイル:Venustransit 2004-06-08 07-49.jpg|thumb|[[2004年]][[6月8日]]の金星の日面通過。[[ドイツ]]の[[イェーナ]]にて。]]
'''金星の日面通過'''(きんせいのにちめんつうか)とは、[[金星]]が[[太陽]]面を黒い円形の[[シルエット]]として通過していくように地球から見える[[天文現象]]である。金星が地球と太陽のちょうど間に入ることで起こる。
[[地球]]における'''金星の日面通過'''(きんせいのにちめんつうか)とは、[[金星]]が[[太陽]]面を黒い円形の[[シルエット]]として通過していくように見える[[天文現象]]である。金星が地球と太陽のちょうど間に入ることで起こる。'''日面経過'''や'''太陽面通過'''とも呼ばれる<ref name="astrparts"/>。記録に残る初の観測は、[[1639年]]に[[エレミア・ホロックス]]によってなされた


金星の日面通過は直近では[[協定世界時]][[2012年]][[6月5日]]から[[6月6日|6日]]にかけて起こった。次回は[[2117年]][[12月10日]]から[[12月11日|11日]]に起こる<ref name="astrparts">{{Cite web|url=http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20120606-venus-tr/ |title=2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜(国立天文台) |author=国立天文台 |accessdate=2012-06-06}}</ref>。
金星の日面通過は非常に稀な現象で、近年では、8年、105.5年、8年、121.5年の間隔で発生する。直近では[[協定世界時]][[2012年]][[6月5日]]から[[6月6日|6日]]にかけて起こった。次回は[[2117年]][[12月10日]]から[[12月11日|11日]]にかけて起こる<ref name="astrparts">{{Cite web|url=http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20120606-venus-tr/ |title=2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜(国立天文台) |author=国立天文台 |accessdate=2012-06-06}}</ref>。

金星の日面通過を観察することで、地球と太陽の間の距離が算出可能となる。[[1761年]]と[[1769年]]の日面通過では、この距離を得ることを目標して欧州を中心として国を超えた国際的な観測事業が行われ、世界各地に天文学者が派遣された。この観測プロジェクトは科学における初の国際共同プロジェクトとも評される{{Sfn|ウルフ|2012|p=18}}。


== 日面通過の経過 ==
== 日面通過の経過 ==
<gallery caption="2012年の金星日面通過" mode="packed">
{{出典の明記|date=2013年6月|section=1}}
File:2012 Transit of Venus from SF.jpg|6月5日15時27分、[[サンフランシスコ]]にて
<gallery>
ファイル:Venus transit 2012-06-06.JPG|2012年6月61210分、[[新潟市]]にて
File:VenusTransit20120605Toronto.JPG|6月5196分、[[リッチモンドヒル (オンタリオ州)|リッチモンドヒル]]にて
ファイル:金星日面通過.JPG|[[2004年]][[6月8]]1728分、[[長崎市]]にて
File:Transit of Venus 2012 Ragusa.jpg|6月6611分、[[ラグーザ]]にて
ファイル:Transit of Venus at Takamatsu Japan June 6 2012.jpg|[[2012年]][[6月6日]]7時29分、[[高松市]]にて
File:Venus Kuwait 2012.jpg|6月6日7時33分、[[クウェート市]]にて
ファイル:金星日面通過2012.jpg|2012年6月6日1040分、[[宮城県]]にて
File:Transit of Venus 2012 from Moscow.jpg|6月6日747分、[[モスクワ]]にて
ファイル:Transit of Venus Handa Aichi 2012.JPG|活発な[[太陽黒点|黒点]]と金星日面通過。2012年6月6日1020分、[[半田市]]にて
File:The 2012 transit of Venus in Guangzhou.jpg|6月6日841分、[[広州市]]にて
ファイル:Transit of venus 2012 Handa Aichi movie.gif|金星日面通過の動画<br>2012年6月6日、半田にて
ファイル:Venus transit 2012-06-06.JPG|6月6日12時10分[[新潟]]にて
ファイル:Venus transit 6 June 2012.jpg|金星、モスクワから眺め
ファイル:Transit of venus 2012 Handa Aichi movie.gif|金星日面通過動画、[[半田市]]内にて
</gallery>
</gallery>
[[日面通過]]の間、金星は太陽の表面を東から西へ動いていく小さな黒い円盤のように見える。天体が太陽の手前を通過し、それによって太陽の一部が隠されるという点で[[日食]]と似ている。しかし、日食において太陽を隠す[[月]]の[[視直径]](地球から見た見かけの直径)が約30[[分 (角度)|分]]とほぼ太陽と等しいのに対し日面通過時の金星の視直径は約1分と太陽のおよそ30分の1しかない。金星は直径が[[月]]の約4倍もあるにもかかわらず、視直径がこのように小さいのは、日面通過時の金星は地球からの距離が約4,100万[[キロメートル]]であり、月(地球から約38万キロメートル)の100倍以上も遠くにあるためである。
[[日面通過]]の間、金星は太陽の表面を東から西へ動いていく小さな黒い円盤のように見える。天体が太陽の手前を通過し、それによって太陽の一部が隠されるという点で[[日食]]と似ている。しかし、日食において太陽を隠す[[月]]の[[視直径]](地球から見た見かけの直径)が約30[[分 (角度)|分]]とほぼ太陽と等しいのに対し日面通過時の金星の視直径は約1分と太陽のおよそ30分の1しかない<ref name="astroarts2012">{{cite web|url=http://www.astroarts.co.jp/special/20120606transit_venus/index-j.shtml |title=2012年6月6日 金星の太陽面通過 |publisher=[[アストロアーツ]] |accessdate=2016-02-11 }}</ref>。金星は直径が[[月]]の約4倍もあるにもかかわらず、視直径がこのように小さいのは、日面通過時の金星は地球からの距離が約4,100万[[キロメートル]]であり、月(地球から約38万キロメートル)の100倍以上も遠くにあるためである<ref>{{cite web|url=http://www.cfca.nao.ac.jp/~cfca/hpc/ADAC/cc/openhouse/hier/venus.html |title=金星 |publisher=[[国立天文台]] |accessdate=2016-02-11 }}</ref>


[[File:Contacts of venus transit (japanese diagram).svg|thumb|upright=1.2|金星の日面通過の概略図(2012年の通過をモデルにしたもの)]]
日面通過の開始前、金星は太陽の東側から太陽に徐々に接近してくる。しかしこの時には金星は夜側の面を地球に向けているため、見ることはできない。続いて金星が太陽面に接触する。この瞬間を「第1接触」という。さらに金星が太陽面の内側に入り込み、金星が完全に太陽面上にのった瞬間を「第2接触」という。第1接触から第2接触までは約20分かかる。その後金星は太陽面上を西へ移動していく。金星が太陽面の中心に最も近づいたときを「食の最大」という。さらに金星は太陽面上を西に進み、太陽の反対側の縁に到達する。この瞬間を「第3接触」という。第2接触から第3接触までにかかる時間は、金星が太陽面の中心にどれだけ近い部分を通過するかで大きく変わるが、[[2004年]]と[[2012年]]の金星の日面通過では約6時間である。さらに金星が西へ進み、完全に太陽面から離れた瞬間を「第4接触」という。第3接触から第4接触までは約20分である。このように長い時間がかかる現象であるため日の出前にすでに日面通過が始まっていたり、日没時にまだ日面通過の途中である場合があり、全過程を観測できる観測地は限られる。2004年の日面通過においては中央アジアからヨーロッパで全過程の観測が可能であった。2012年の日面通過ではハワイから東アジアで全過程の観測が可能である。
日面通過の開始前、金星は太陽の東側から太陽に徐々に接近してくる。しかしこの時には金星は夜側の面を地球に向けているため、見ることはできない。続いて金星が太陽面に接触する。この瞬間を'''第1接触'''という<ref name="nao">{{cite web|url=http://www.nao.ac.jp/phenomena/20061109/ |title=2006年11月9日 水星太陽面通過 |publisher=[[国立天文台]] |accessdate=2016-02-11 }}</ref>。さらに金星が太陽面の内側に入り込み、金星が完全に太陽面上にのった瞬間を'''第2接触'''という<ref name="nao"/>。第1接触から第2接触までは約20分かかる。その後金星は太陽面上を西へ移動していく。金星が太陽面の中心に最も近づいたときを'''食の最大'''という<ref name="天文年鑑">{{Cite book |和書 |author = 相馬 充 |editor = 天文年鑑編集委員会 |year = 2011 |chapter = 金星の日面経過 |pages=54 |title = 天文年鑑2012年版 |url = https://www.seibundo-shinkosha.net/products/detail.php?product_id=3244 |edition = 初版 |publisher = 誠文堂新光社 |isbn =978-4-416-21130-4}}</ref>。さらに金星は太陽面上を西に進み、太陽の反対側の縁に到達する。この瞬間を'''第3接触'''という<ref name="nao"/>。第2接触から第3接触までにかかる時間は、金星が太陽面の中心にどれだけ近い部分を通過するかで大きく変わるが、[[2004年]]と[[2012年]]の金星の日面通過では約6時間である<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2004/ |title=2004 June 8<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-03-19}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2012/ |title=2012 June 5<sup>th</sup>-6<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-03-19}}</ref>。さらに金星が西へ進み、完全に太陽面から離れた瞬間を'''第4接触'''という<ref name="nao"/>。第3接触から第4接触までは約20分である。このように長い時間がかかる現象であるため日の出前にすでに日面通過が始まっていたり、日没時にまだ日面通過の途中である場合があり、全過程を観測できる観測地は限られる。2004年の日面通過においては中央アジアからヨーロッパで全過程の観測が可能であった<ref>{{cite web|url=http://eclipse.gsfc.nasa.gov/OH/transit04.html |title=The 2004 Transit of Venus |publisher=[[NASA]] |date= |accessdate=2016-02-11 }} </ref>。2012年の日面通過ではハワイから東アジアで全過程の観測が可能であった<ref>{{cite web|url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6161/?ST=m_news |title=金星の日面通過、21世紀最後 |publisher=[[ナショナルジオグラフィック]] |date=2012-06-06 |accessdate=2016-02-11 }}</ref>。


第2接触の直後と第3接触の直前に金星の形が円形からずれて太陽の縁から滴り落ちる水滴のような形となり、しばらく太陽の縁にくっついた状態が数十秒間続く現象が知られている。これは'''[[ブラック・ドロップ効果]]'''と呼ばれる。この現象のため、第2接触と第3接触の正確な時刻を測定するのは困難であると考えられていた。しかし、近年の観測ではブラック・ドロップ効果は観測されず、これは望遠鏡のよう光学機器精度の問題であ可能性が最も高い。
第2接触の直後と第3接触の直前に金星の形が円形からずれて太陽の縁から滴り落ちる水滴のような形となり、しばらく太陽の縁にくっついた状態が数十秒間続く現象が知られている。これは'''[[ブラック・ドロップ効果]]'''と呼ばれる。この現象のため、第2接触と第3接触の正確な時刻を測定するのは困難であると考えられていた。しかし、近年の観測ではブラック・ドロップ効果は観測されず、これは望遠鏡のピントが合っていなど理由によ見かけの現象だとされてる<ref name="astroarts2012"/>


==発生の仕組み==
== 観測方法 ==
=== 金星の内合 ===
{{main|太陽#太陽観察}}
[[ファイル:Transit_diagram_angles.png|thumb|upright=1.3|金星の日面通過と、地球と金星の軌道平面の傾きの説明図]]
日面通過中の金星の影は、肉眼でも確認可能な角度を持っており、金属を[[蒸着]]させた太陽観測用フィルターを使用して減光することで、肉眼でも安全に観測可能となる<ref>[http://www.annulareclipse2012.com/caution.html 安全な観測のための三箇条]</ref><ref name="UCLsafety">{{Cite web|url=http://www.transit-of-venus.org.uk/safety.htm|title=Transit of Venus - Safety|publisher=University of Central Lancashire|accessdate=21 September 2006}}</ref><ref name="nasa-safety">{{Cite web|url=http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/SEhelp/safety.html | title=Eye Safety During Solar Eclipses(Adapted from NASA RP 1383 Total Solar Eclipse of 1998 February 26, April 1996, p. 17.)| author=Fred Espenak|accessdate= 21 September 2006}}</ref>。
日面通過が起こるには、金星が地球と太陽の間に入る必要がある。このような状態を'''[[合 (天文)|内合]]'''と呼ぶ。しかし、金星が内合になっても、地球-金星-太陽は一直線上に通常は並ばない。金星の軌道は地球の軌道に対して3.4[[度 (角度)|度]]傾いており、[[天球]]上では金星は内合時に太陽の北か南を通過していくように見える<ref name="ESA">{{Cite web|url=http://www.esa.int/SPECIALS/Venus_Express/SEM9C3808BE_0.html |title=Venus compared to Earth|publisher=European Space Agency|year=2000|accessdate=25 September 2006}}</ref>。


3.4度というとそう大きい角度ではないように思うかもしれないが、地球から見ると内合時に金星が最大で9.6度も太陽から離れて見えることもある<ref name="DE">{{Cite web|url=http://www.venus-transit.de/TransitMotion/index.htm|title=Transit Motion Applet|year=2003|author=Juergen Giesen|accessdate=26 September 2006}}</ref>。これに対して太陽の視直径は約0.5度であるから、金星は日面を通過しない内合の際に太陽の北または南を太陽の直径の18倍以上離れて通過することもある<ref name="ESA" />。
太陽の観測に望遠鏡や双眼鏡を用いる場合は、失明を含む視覚<!--障害ではなく-->傷害のリスクを避けるために十分に減光するか、投影法を用いるように勧告されている<ref>[http://www.annulareclipse2012.com/caution.html 安全な観測のための三箇条]</ref>。


したがって、日面通過が起こるのは、地球の[[軌道平面]]と金星の軌道平面が交わるところで(または極めて近くで)、金星が内合になるときである。地球の公転軌道(1年)の中で、この軌道平面の交線を通過するのは太陽を挟んで対称となる2点だけである。これらの2点を'''[[交点 (天文)|交点]]'''と呼ぶ。交点を通過する時期は、現在では[[6月7日]]頃と[[12月9日]]頃であり、日面通過が起こりうるのはこの前後数日に限られる<ref>[http://www.city.himeji.lg.jp/hoshinoko/kansoku/info/solar/transit.html 太陽面通過]、星の子館。</ref>。
== 金星の内合と日面通過 ==
[[ファイル:Transit_diagram_angles.png|thumb|294px|right|金星の日面通過と、地球と金星の軌道平面の傾きの説明図]]
金星が[[合 (天文)|内合]]になっても、通常は地球-金星-太陽は一直線上に並ばない。金星の軌道は地球の軌道に対して3.4°傾いており、[[天球]]上では金星は内合時に太陽の北か南を通過していくように見える<ref name="ESA">{{Cite web|url=http://www.esa.int/SPECIALS/Venus_Express/SEM9C3808BE_0.html|title=Venus compared to Earth|publisher=European Space Agency|year=2000|accessdate=25 September 2006}}</ref>。日面通過が起こるのは、2つの惑星の軌道平面が交わるところで(または極めて近くで)偶然金星が内合になる場合である。地球がこの軌道平面の交線を通過するのは[[6月7日]]頃と[[12月9日]]頃であるため、日面通過が起こるのはこの前後数日に限られる<ref>[http://www.city.himeji.lg.jp/hoshinoko/kansoku/info/solar/transit.html 太陽面通過]、星の子館。</ref>。


=== 起こる間隔 ===
3.4°というとそう大きい角度ではないように思うかもしれないが、地球から見ると内合時に金星が9.6°も太陽から離れて見えることもある<ref name="DE">{{Cite web|url=http://www.venus-transit.de/TransitMotion/index.htm|title=Transit Motion Applet|year=2003|author=Juergen Giesen|accessdate=26 September 2006}}</ref>。これに対して太陽の視直径は約0.5°であるから、金星は日面を通過しない内合の際に太陽の北または南を太陽の直径の18倍以上離れて通過することもある<ref name="ESA" />。
[[File:Transit of Venus, 2012 Orbital Paths.ogv|thumb|日面通過時における、金星公転軌道と地球公転軌道の重なりの様子を描いた動画]]
金星の日面通過は非常に稀な現象である。近年では、8年、105.5年、8年、121.5年の間隔で発生する。


ある時点に日面通過が起きたとする。地球の1[[恒星年]]は365.256日で、金星の1恒星年は224.701日なので、金星の方が太陽の周りを早く回る<ref name="HMNAO_Cyclical">{{Cite web| url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/periodicity/index.html | title=Cyclical Nature of the Transits of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>。日面通過から過ぎ去った金星が再び地球と太陽の間に達して次の内合が起こるには、前回の内合から583.924日が必要となる<ref name="HMNAO_Cyclical"/>。この583.924日という期間を'''[[会合周期]]'''と呼び、583.924日おきに内合が発生する<ref name="NAOJ_周期的">{{Cite web|url=http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20120606-venus-tr/location/period.html |title=周期的に起こる? |work=2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜(国立天文台) |author=国立天文台 |accessdate=2012-06-06}}</ref>。しかし前述のとおり、再び内合になっただけでは、日面通過は起きない。軌道平面の交点上で内合が起きる必要がある。
== 起こる間隔 ==
金星の日面通過は非常に稀な現象である。近年では、日面通過が起きる間隔には243年の周期がある。8年をおいて2回対になって起きた後、121.5年と105.5年の長い空白期間がある。[[2004年]]以前は、最後に起きた金星の日面通過の対は[[1874年]]12月と[[1882年]]12月のものであった。[[21世紀]]初頭に起きる金星の日面通過では対の1回目は2004年[[6月8日]]に起き、2回目は2012年[[6月6日]]に起こる。2012年以降は、金星の日面通過の対は[[2110年代|2117年]]12月と[[22世紀|2125年]]12月のものまで無い<ref name="westfall">{{Cite web|url = http://www.lpl.arizona.edu/~rhill/alpo/transitstuff/transit2004.html|title=June 8, 2004: The Transit of Venus|date = 2003-11|author=John E. Westfall|accessdate=25 September 2006 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20070808030058/http://www.lpl.arizona.edu/~rhill/alpo/transitstuff/transit2004.html|archivedate=August 8, 2007}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.alpo-astronomy.org/transit/transit2004.html|accessdate=December 8, 2009|title=June 8, 2004: The Transit of Venus|first=John E.|last=Westfall|publisher=alpo-astronomy.org}}</ref>


地球が軌道平面の交点を通過するのは、半年(0.5年)おきである。よって、ある時点に日面通過が起きたとすると、次に日面通過が起きる可能性がある時期は、0.5年の整数倍経過後に限られる<ref name="HMNAO_Cyclical"/>。前回の日面通過から8年経過したとき、これは0.5年の整数倍であり、なおかつ会合周期のちょうど5回分である。よって、内合になる・交点上にあるという2つの条件を満たすことができる。近年、2回の日面通過が8年の間隔で起きているのはこの理由による<ref name="NAOJ_周期的"/>。しかし、8年経過後に全く同じ位置に金星が戻るわけでなく、前回の位置からわずかなズレが起きる。正確には8年よりも2.45日早く、内合が訪れる<ref name="VenusCatalog"/>。8年間隔の日面通過が2回しか起きないのは、このズレが蓄積することによる。16年後にはズレは大きくなり、内合する金星は太陽面を通らず、日面通過は発生しなくなる<ref name="VenusCatalog"/>。
243年の周期性があるのは、地球の243[[恒星年]](1恒星年は365.25636日で、[[太陽年]]とは僅かに違う)が88757.3日、金星の395恒星年(224.701日)が88756.9日でほとんど同じだからである。このため、この時間の後には金星と地球がともにそれぞれの軌道上のほとんど同じ点に戻ってくる。この期間は金星と地球の[[公転周期|会合周期]](583.92日)の152倍ともほとんど一致する<ref name="FENASA">{{Cite web| url=http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/transit/catalog/VenusCatalog.html| title=Transits of Venus, Six Millennium Catalog: 2000 BCE to 4000 CE|publisher=NASA|author=Fred Espenak|date=2004-02-11|accessdate=21 September 2006}}</ref>。


一方で、会合周期を66回繰り返すとほぼ105.5年経過となる<ref name="NAOJ_周期的"/>。これも0.5年の整数倍となっている。近年の発生間隔に105.5年があるのは、この周期によるものである<ref name="NAOJ_周期的"/>。また、会合周期を76回繰り返すとほぼ112.5年となる。近年の発生間隔112.5年はこの周期によるものである<ref name="NAOJ_周期的"/>。
金星の日面通過は243年周期の中で必ず105.5年、8年、121.5年、8年という間隔をおいて起こるわけではない。[[546年]]から[[1518年]]までは日面通過は8年、113.5年、121.5年という間隔をおいて起こっており、[[紀元前6世紀|紀元前539年]]から546年までは日面通過は常に121.5年おきに起きていた{{要出典|date=2013年6月}}。21世紀現在と同じ間隔をおいて起こるのは2846年までであり、それ以降は105.5年、129.5年、そして8年の間隔をおいて起こるようになる{{要出典|date=2013年6月}}。すなわち243年という周期は比較的安定だが、その周期の中で起きる日面通過の回数と時期は年代によって様々である。


発生の日付は現在では[[6月7日]]頃と[[12月9日]]頃だが、この日付は年代と共にゆっくりと遅い時期になっていく。年代を遡るともっと早い時期に起きており、1631年以前は、この日付は5月か11月であった<ref name="VenusCatalog"/>。これは、[[太陽暦]]の1年は地球が太陽を正確に1周するのに少し足らないためである<ref name="NAOJ_周期的"/>。
一方、もう一つの[[内惑星]]である[[水星]]は金星よりも太陽に近いところをより速く公転している。そのため[[水星の日面通過]]はあまり珍しい現象ではなく、[[20世紀]]と[[21世紀]]にはそれぞれ14回ずつ起こる{{要出典|date=2013年6月}}。

8年、105.5年、121.5年以外の間隔でも、日面通過は発生する。例えば、113.5年、129.5年、137.5年といった間隔でも起きる。これらの年数は、会合周期71回、81回、86回に相当する<ref name="NAOJ_周期的"/>。現在の「8年、105.5年、8年、121.5年」という間隔も、全体で見れば 8 + 105.5 + 8 + 121.5 = 243年 (5 + 66 + 5 + 76 = 152回)という1つの周期に相当する<ref name="NAOJ_周期的"/>。[[546年]]から[[1518年]]までは日面通過は8年、113.5年、121.5年という間隔をおいて起こっており、[[紀元前5世紀|紀元前425年]]から546年までは日面通過は常に121.5年おきに起きていた<ref name="VenusCatalog">{{cite web|url=http://eclipse.gsfc.nasa.gov/transit/catalog/VenusCatalog.html |title=Six Millennium Catalog of Venus Transits: 2000 BCE to 4000 CE |author=Fred Espenak |publisher=[[NASA]] |accessdate=2016-02-11 }}</ref>。現在の「8年、105.5年、8年、121.5年」間隔は、1396年から始まり、3089年まで続く。3089年の後は、129.5年後という周期で次の日面通過が訪れる<ref name="VenusCatalog"/>。1396年の1つ前は、113.5年前に発生している<ref name="VenusCatalog"/>。

一方、もう一つの[[内惑星]]である[[水星]]は金星よりも太陽に近いところをより速く公転している。そのため[[水星の日面通過]]はあまり珍しい現象ではなく、[[20世紀]]と[[21世紀]]にはそれぞれ14回ずつ起こる<ref>{{cite web|url=http://eclipse.gsfc.nasa.gov/transit/catalog/MercuryCatalog.html |title=Seven Century Catalog of Mercury Transits: 1601 CE to 2300 CE |publisher=[[NASA]] |accessdate=2016-02-11 }}</ref>。

== 一般的な観察方法 ==
[[ファイル:Transit of Venus observations in TL.jpg|thumb|フィルターを通して金星の日面通過を観察する人々。[[東ティモール]]での観察イベント。]]
{{main|太陽#太陽観察}}
日面通過中の金星の影は、肉眼でも確認可能な角度を持っており、金属を[[蒸着]]させた太陽観測用フィルター(観察用グラス)を使用して減光することで、肉眼でも安全に観察可能となる<ref name="安全な観測のための三箇条">{{Cite web |author=松下健次郎 |url=http://www.annulareclipse2012.com/caution.html |title=安全な観測のための三箇条 |work=2012年5月21日は金環食をみよう! 全国市区町村別 金環日食・部分日食観測ガイド |accessdate=2016-03-20}}</ref><ref name="UCLsafety">{{Cite web|url=http://www.transit-of-venus.org.uk/safety.htm|title=Transit of Venus - Safety|publisher=University of Central Lancashire|accessdate=21 September 2006}}</ref><ref name="nasa-safety">{{Cite web|url=http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/SEhelp/safety.html | title=Eye Safety During Solar Eclipses(Adapted from NASA RP 1383 Total Solar Eclipse of 1998 February 26, April 1996, p. 17.)| author=Fred Espenak|accessdate= 21 September 2006}}</ref>。ただし、フィルターを使用しても有害な光を完全に防ぐことはできないので、長時間観察を続けずに、こまめに目を休憩させることが推奨されている<ref name="安全な観測のための三箇条"/><ref>{{Cite web |author=日本天文協議会、財団法人日本眼科学会、社団法人日本眼科医会 |url=http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2012/03/27/1319109_1_1.pdf |title=2012年5月21日(月曜日) 日食を安全に観察するために |page=5 |accessdate=2016-03-20}}</ref>。

太陽の観測に望遠鏡や双眼鏡を用いる場合は、失明を含む視覚<!--障害ではなく-->傷害のリスクを避けるために十分に減光するか、投影法を用いるように勧告されている<ref name="安全な観測のための三箇条"/>。


== 観測の歴史 ==
== 観測の歴史 ==
===背景===
{{Wakumigi|
[[ファイル:VenusTransitVermeer.png|thumb|360px|none|太陽との視差を決定するために、金星の日面通過の継続時間が測定された。]]
[[ファイル:VenusTransitVermeer.png|thumb|upright=1.5|太陽との視差を決定するために、金星の日面通過の継続時間が測定された。]]
金星の日面通過の観測に対して(非常に珍しい現象であることとは別に)科学的な興味が持たれていた元々の理由は、[[太陽系]]の大きさを測定することができる可能性があるからであった{{Sfn|ウルフ|2012|pp=10, 13&ndash;14}}。[[17世紀]]までには天文学者はそれぞれの惑星間の距離の関係を地球と太陽の間の距離を単位(1[[天文単位]])として計算できていたが、1天文単位の絶対的な距離([[マイル]]や[[キロメートル]]単位)はあまり正確に分かっていなかった{{Sfn|ウルフ|2012|pp=13&ndash;14}}。
}}
金星の日面通過の観測に対して(非常に珍しい現象であることとは別に)科学的な興味が持たれていた元々の理由は、[[太陽系]]の大きさを測定することができる可能性があるからであった。


日面通過の精密な観測は、この1天文単位、すなわち太陽と地球の間の絶対的な距離を測定する方法となる。その方法は、地球の広範囲に離れた観測点で日面通過が始まる時間か終わる時間の僅かな違いを厳密に測定するというものである。すると地球のある2点間の距離が、[[三角測量]]の原理で金星と太陽の間の距離を測る物差しのように使える<ref>{{cite web|url=http://serviastro.am.ub.edu/twiki/bin/view/ServiAstro/CalculTerrasolapartirDeVenus |title=Calculation of the distance between the earth and the Sun from measurements taken in occasion of a transit of Venus |publisher=serviastro.am.ub.edu |author=Dr. Carme Jordi |date=2004-06-02 |accessdate=2016-02-11 }}</ref>。
[[17世紀]]までには天文学者はそれぞれの惑星間の距離の関係を地球と太陽の間の距離を単位(1[[天文単位]])として計算できていたが、1天文単位の絶対的な距離([[マイル]]や[[キロメートル]]単位)はあまり正確に分かっていなかった。


また、太陽との距離は角度である[[視差|地心視差]]から間接的に定めることもできる<ref name="天文月報"/>。地心視差とは地球の中心(地心)から天体を見るときと地表上から天体をみるときの方向差のことで、特に天体が地平線上に存在するときの地心視差を地平視差と呼ぶ<ref>{{Cite book|和書 |author=矢野 太平 |title=拡がる宇宙地図―宇宙の構造はどう解明されてきたか |page=88 |date=2008-07-25 |publisher=技術評論社 |series=知りたい!サイエンス |isbn=978-4-7741-3516-8}}</ref>。さらに、観測者が赤道上にいるときに観測される太陽の地平視差を'''太陽視差'''と呼ぶ<ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E8%A6%96%E5%B7%AE-318321 |title=たいようしさ【太陽視差】―大辞林 第三版の解説 |work=コトバンク |publisher=三省堂 |accessdate=2016-05-11}}</ref>。太陽視差の値から天文単位を間接的に求めることができるため、天文単位距離の値そのものよりも、金星の日面通過を利用して太陽視差の値を求めることが行われてきた<ref name="天文月報"/>。
日面通過の精密な観測は、この1天文単位の絶対的な距離を測定する方法となる。その方法は、地球の広範囲に離れた観測点で日面通過が始まる時間か終わる時間の僅かな違いを厳密に測定するというものである。すると地球のある2点間の距離が、[[三角測量]]の原理で金星と太陽の間の距離を測る物差しのように使える(「[[視差]]」も参照)。[[19世紀]]まではこれが太陽系の大きさを測定するためのほぼ唯一の手段であり、そのため国際的なプロジェクトとして金星の日面通過の観測が行なわれた{{要出典|date=2013年6月}}。

現在の1天文単位の距離は、149 597 870.700 [[キロメートル|km]] で定義されており<ref>{{Cite web|url=http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2016_1.html |title=暦の改訂について(2016) |work=暦計算室 |publisher=国立天文台天文情報天文情報センター |accessdate=2016-04-14}}</ref>、また、広く受け入れられている太陽視差の値の一つは、8.794 143[[秒 (角度)|秒]]である<ref>{{Cite web|url=http://asa.usno.navy.mil/static/files/2015/Astronomical_Constants_2015.pdf |title=2015 Selected Astronomical Constants |work=The Astronomical Almanac |publisher=the U.S. Naval Observatory |accessdate=2016-04-23}}</ref>。


=== 17世紀 ===
=== 17世紀 ===
====1631年====
[[ヨハネス・ケプラー]]は[[1631年]]の金星の日面通過を初めて予測した。これに基づいて[[ピエール・ガッサンディ]]は[[パリ]]から観測を行おうとした。しかしケプラーの予測は十分に正確ではなかったため、実際に現象が起こったのは予測より数時間遅かった。このため[[ヨーロッパ]]西部、特にパリでは太陽が既に沈んでいる時間帯の現象となり結局誰も観測できなかった<ref>{{Cite web|url=http://www.nao.rl.ac.uk/nao/transit/V_1631/ |title=1631 TRANSIT of VENUS |author=HM Nautical Almanac Office |date=2007-11-05 |accessdate=2010-01-16}}</ref><ref>{{Cite web | url=http://www.phys.uu.nl/~vgent/venus/venustransitbib.htm| title=Transit of Venus Bibliography| author=Robert H. van Gent| accessdate=11 September 2009}}</ref>。
ドイツの天文学者[[ヨハネス・ケプラー]]は金星の日面通過の詳細に予測した最初の人物と考えられている<ref name="Gent">{{Cite web | url=http://www.staff.science.uu.nl/~gent0113/venus/venustransitbib.htm |title=The Transits of Venus of 1631 and 1639 |work=Transit of Venus Bibliography| author=Robert H. van Gent| accessdate=2016-03-22}}</ref>。1629年、ケプラーは、彼の[[ルドルフ表]]をもとにして、金星の日面通過が1631年12月6日に起こると予測した<ref name="Gent"/>。ケプラーは1630年に死去し、自身の予測を確かめることはなかった{{Sfn|Simaan|2004|p=247}}。ケプラーの予測にもとづいて、フランスの[[ピエール・ガッサンディ]]は[[パリ]]から観測を行おうとした<ref>{{Cite web|url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1631/ |title=1631 Transit of Venus |author=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-03-22}}</ref>。しかしケプラーの予測は十分に正確ではなく、ガッサンディは結局観測することはできなかった{{Sfn|Simaan|2004|p=247}}。現在の計算によれば、パリでは[[1631年]][[12月7日]]の日の出の約50分前、太陽が観測できる前に日面通過は終了していた<ref name="Gent"/>。


====1639年 ====
金星の日面通過の最初の観測は、[[1639年]][[12月4日]](当時イギリスで使われていた[[ユリウス暦]]では[[11月24日]])に[[エレミア・ホロックス]]によって彼の居住地であったMuch Hooleという[[イングランド]]の[[プレストン (イングランド)|プレストン]]の近くにある町で行われた。彼の友人であった[[ウィリアム・クラブトリー]]も、[[マンチェスター]]の近くの[[サルフォード]]([[:en:Salford|Salford]])から観測を行った。ケプラーは1631年と[[1761年]]の日面通過を予測していた。ホロックスは金星の軌道に関するケプラーの計算を修正し金星の日面通過は8年おきに対で起こることに気づき[[1639年]]の日面通過を予測したが、はっきりとした時間までは確信が無かった。しかし彼は一日中観測していた結果、幸運にも太陽を覆っていた雲が日没の僅か1時間半前に晴れたため観測に成功した。しかしホロックスの観測結果は、彼が亡くなったずっと後の[[1661年]]まで出版されなかった<ref name="UCL-book">{{Cite book|title=Jeremiah Horrocks - young genius and first Venus transit observer|author= Paul Marston|year=2004|publisher=University of Central Lancashire|pages=14–37}}</ref>。いずれにしろ、彼が見積もった太陽系の大きさは実際の大きさの半分程度だった。
[[ファイル:JeremiahHorrocks.jpg|thumb|[[エレミア・ホロックス]]。観測の様子を描いた想像図。]]
[[File:BrownManchesterMuralCrabtree-cut.jpg|thumb|[[ウィリアム・クラブトリー]]。同じく観測の様子を描いたもの]]
金星の日面通過の最初の観測は、イギリスの[[エレミア・ホロックス]]によって[[1639年]][[12月4日]](当時イギリスで使われていた[[ユリウス暦]]では[[11月24日]])に行われた{{Sfn|Chapman|2004|p=26}}<ref name="HM1639">{{Cite web|url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1639/index.html |title=1639 Transit of Venus |author=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-03-27}}</ref>。ホロックスは、当時の[[フィリッペ・ファン・ランスベルゲ]]の金星の軌道表に誤りがあることを発見し、1639年に金星の日面通過が起こることを独自に見出した<ref>{{Cite book|和書|author=トム・ジャクソン |translator=平松 正顕 |editor= |others= |title=歴史を変えた100の大発見 宇宙―果てのない探索の歴史 |page=30 |date=2014-10-30 |publisher=丸善出版 |isbn=978-4-621-08857}}</ref>。ケプラーも次の日面通過は1761年に起こると考えており、1639年の日面通過は予測できていなかった<ref name="Gent"/>。


ホロックスの観測は、彼の居住地であったマッチフール (Much Hoole) という[[イングランド]]の[[プレストン (イングランド)|プレストン]]の近くにある村で行われた<ref name="HM1639"/>。彼の友人であった[[ウィリアム・クラブトリー]]も、[[マンチェスター]]の近くの[[サルフォード]]から観測を行った{{Sfn|Chapman|2004|p=26}}。15時までは日面通過は起きないとホロックスは予測していたが、万全を期すためにその日は夜明けから一日中、断続的に観測を続けた{{Sfn|Chapman|1994|p=337}}。13時から15時までのどうしても外せない用事を済ませて観測に戻ると、日面通過が始まっていた{{Sfn|Chapman|1994|p=337}}。日の入り前、ホロックスは15時15分、15時35分、15時45分の金星の日面上の位置を記録することに成功した{{Sfn|Chapman|2004|p=30}}。クラブトリーも同じく日の入りの直前に観測に成功する<ref name="Gent"/>。観測記録をもとにしてホロックスは、地球・太陽間距離を地球の半径の約15,000倍、太陽視差で14[[秒 (角度)|秒]]と算出した{{Sfn|Simaan|2004|pp=247&ndash;248}}。この距離は現在受け入れられている値のおよそ2/3倍程度だったが、それまで考えられていた値よりも現在の値に近いものであった{{Sfn|Simaan|2004|p=248}}{{Sfn|Chapman|1994|p=348}}。
=== 18世紀 ===

[[エドモンド・ハレー]]の提案により、1761年と[[1769年]]の日面通過が[[視差]]を使った厳密な1[[天文単位]]の値の決定に挑戦するため使われることとなった。多数の探検隊が世界の様々な場所へ日面通過を観測するため派遣された<ref name="RP">{{Cite web|url=http://www.astronomy.ohio-state.edu/~pogge/Ast161/Unit4/venussun.html|title=Lecture 26:How far to the sun? The Venus Transits of 1761 & 1769|author= Prof. Richard Pogge|accessdate=25 September 2006}}</ref>。事実上これが初めての国際的な科学共同研究であった。ある探検隊は最も不運だった[[ギヨーム・ル・ジャンティ]]によって引き受けられていた。彼はこの失敗に終わった旅の帰途で行方不明となり生還の際には既に法的に死んだと宣告されてしまっており、地位と妻を失ってしまった<ref name="RP"/>。また他のある探検隊は[[ジェームズ・クック]](キャプテン・クック)の最初の航海であり、1769年の日面通過を[[タヒチ島|タヒチ]]から観測した<ref name="cook-book">{{Cite book|title=The Voyages of Captain Cook|editor= Ernest Rhys|year=1999|publisher=Wordsworth Editions Ltd|pages=29–30|isbn = 1-84022-100-3}}</ref>。彼が[[ニュージーランド]]へ航海する前のことである。1761年の金星の日面通過の際に[[サンクトペテルブルク]]で行った観察に基づいて、[[ミハイル・ロモノーソフ]]は金星に[[大気圏|大気]]があることを予測した<ref name="ML">{{Cite journal|journal=Proceedings of the International Astronomical Union|title=Mikhail Lomonosov and the discovery of the atmosphere of Venus during the 1761 transit|author = Mikhail Ya. Marov |year=2004|pages=209–219|publisher= Cambridge University Press}}</ref>。
ホロックスは1641年に、クラブトリーは1644年に死去する<ref name="Gent"/>。ホロックスは自身とクラブトリーの観測記録を論文にまとめたが存命中に出版されることはなかった<ref>{{Cite web |url=http://www.lindahall.org/william-crabtree-jeremiah-horrocks/ |title=Scientist of the Day - William Crabtree and Jeremiah Horrocks |date=December 4, 2014 |author=William B. Ashworth, Jr. |publisher=Linda Hall Library |accessdate=2016-03-27}}</ref>。この原稿は[[1662年]]に[[ヨハネス・ヘヴェリウス]]によって出版され、彼の業績が日の目を見ることになる{{Sfn|Chapman|2004|p=31}}。

=== 18世紀===
==== 1761年====
[[ファイル:Halley 1716 proposal of determining the parallax of the sun.jpg|thumb|left|[[エドモンド・ハレー]]が1678年に発表した論文。図は金星の日面通過を利用して太陽と地球の間の距離を計算する方法を示している。]]
1716年、イギリスの天文学者[[エドモンド・ハレー]]が1761年に起こる金星の日面通過を世界各地から観測して1[[天文単位]]の正確な値を得るための、国際的な共同研究プロジェクトを提案した{{Sfn|Pogge|loc=&sect; Edmund Halley Plans Ahead}}。この提言を受けて、1761年と続いて日面通過が起きる1769年に、各国の科学アカデミーや学会から多数の探検隊が世界の様々な場所へ日面通過を観測するため派遣された{{Sfn|ウルフ|2012}}。国を超えて行われたこれらの観測を、{{仮リンク|アンドレア・ウルフ|en|Andrea Wulf}}は「史上初の世界的な科学プロジェクト」と評している{{Sfn|ウルフ|2012|p=18}}。ハレーは1742年に死去し、自身がこの研究プロジェクトを直接指揮することはできなかった。ハレー自身も自分の高齢のために1761年の日面通過に間に合わないことを理解していたため、どこでどんな観測をすべきかという詳しい説明を残し、好機を逃さないことを多くの天文学者たちに伝えた{{Sfn|ウルフ|2012|pp=11, 15&ndash;16}}。

[[File:Joseph Nicolas Delisle AGE V11 1803.jpg|thumb|upright=0.7|[[ジョゼフ=ニコラ・ドリル]]]]
1761年の日面通過は、フランスの[[ジョゼフ=ニコラ・ドリル]]が中心となって、ヨーロッパ各地の天文学者に観測を呼びかけられた{{Sfn|ウルフ|2012|pp=24, 28}}。ハレーの方法は日面通過の始まりから終わりまでの経過時間の記録を必要とするものだったが、ドリルはこれを改良して、2つの観測地点から通過開始(第2接触)、または通過終了(第3接触)の時刻を記録するだけで事足りる方法を提案した{{Sfn|Simaan|2004|pp=248&ndash;249}}。日面通過の全過程を観測できる地域は限られているため、ドリルの方法であれば、さらに多くの地点を観測地にすることができる{{Sfn|ウルフ|2012|p=31}}。一方で、ドリルの方法は観測地点の正確な[[経度]]を把握する必要がある<ref name="astrparts_2">{{Cite web|url=http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20120606-venus-tr/history/au.html |title=地球-太陽間距離を求める |work=2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜 |author=国立天文台 |accessdate=2016-04-02}}</ref>。しかし、経度の情報は当時はまだ不十分だった{{Sfn|Simaan|2004|p=249}}。

フランス、イギリス、ロシア、スウェーデン、建国前のアメリカの天文学者たちが[[1761年]][[6月6日]]の日面通過観測に乗り出した{{Sfn|ウルフ|2012|pp=6&ndash;7}}。特にフランスとイギリスは、最も理想的な観測地点となる[[インド]]と[[東インド諸島]]、その対となる[[シベリア]]まで観測隊を派遣し<ref>{{Cite web |url=http://www.sil.si.edu/Exhibitions/chasing-venus/measuring.htm |title=MEASURING THE UNIVERSE: THE 1761 AND 1769 TRANSITS |work=Chasing Venus: Observing the Transits of Venus 1631-2004 |publisher=Smithsonian Libraries |accessdate=2016-04-02}}</ref>、最も多くの派遣を行った{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The First Transit: 1761 June 6}}。当時の航海の手段は木製の[[帆船]]であり、難破や病気などの危険と隣り合わせの長く険しい旅が余儀なくされた{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The Venus Transit Expeditions of 1761 and 1769}}。天文学者たちの冒険の様子を「望遠鏡付きの象牙の塔の住人というより、聖杯を探し求める冒険家[[インディアナ・ジョーンズ|インディー・ジョーンズ]]」と{{仮リンク|キティ・ファーガソン|en|Kitty Ferguson}}は記している<ref>{{Cite book |和書 |author=キティー・ファーガソン |translator=加藤賢一 |date=2002-02-20 |title=宇宙を測る―宇宙の果てに挑んだ天才たち |series=ブルーバックス |publisher=講談社 |page=129 |isbn=4-06-257361-X }}</ref>。基本的には、植民地などで自国の支配地としていた地域をそれぞれの観測地とした{{Sfn|ウルフ|2012|pp=30, 36}}。フランスは[[ギヨーム・ル・ジャンティ]]をインドの[[ポンディシェリ]]へ、[[アレクサンドル・パングレ]]をインド洋の[[ロドリゲス島]]へ派遣し、イギリスは[[ネヴィル・マスケリン]]を南大西洋の[[セントヘレナ]]へ、[[ジェレマイア・ディクソン]]と{{仮リンク|チャールズ・メイソン|en|Charles Mason}}を[[スマトラ島]]の[[ブンクル|ベンクーレン]]へ派遣した{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The First Transit: 1761 June 6}}。

当時は[[七年戦争]]の最中でもあり、政治情勢としても航海には危険な状態であった{{Sfn|Simaan|2004|p=249}}。ベンクーレンを目指していたイギリスのディクソンとメイソンは、出帆から2日後にフランス軍艦に遭遇し、死者も出た激しい戦闘に巻き込まれた<ref name="Mason&Dixon">{{Cite web |url=http://www.anb.org/articles/13/13-02640.html |author=Edwin Danson |title="Mason, Charles, and Jeremiah Dixon" |date=2002-01 |work=American National Biography Online |publisher=Oxford University Press |accessdate=2016-04-03}}</ref>。南アフリカの[[喜望峰]]までディクソンとメイソンは辿りついたものの、日面通過までの時間が残っておらず、なおかつベンクーレンがフランスに奪われた報せを聞いたディクソンとメイソンは、ベンクーレンでの観測を諦めて喜望峰で観測を行った{{Sfn|ウルフ|2012|pp=91, 112&ndash;113}}。ポンディシェリを目指したフランスのル・ジャンティも、航海中に敵艦に遭遇することがあったが、霧に助けられるなどして上手く逃走することができた{{Sfn|ウルフ|2012|pp=40&ndash;41}}。しかし、目的地のポンディシェリは航海途中でイギリス軍によって包囲されてしまい、上陸できなかったル・ジャンティは、インド洋上に浮かぶ不安定で地理的位置も不明瞭な船上から観測を行うこととなった{{Sfn|ウルフ|2012|pp=42&ndash;43, 51&ndash;53, 101&ndash;103}}。

[[File:Jean Chappé d'Auteroche. Line engraving by J. B. Tilliard, 1 Wellcome V0001066 (cropped).jpg|thumb|left|upright=0.7|[[ジャン・シャップ・ドートロシュ]]]]
ロシアのアカデミーは、天文学の素養を持つ人材の不足から、当初は自国から派遣は出さずにフランスに派遣を打診した{{Sfn|ウルフ|2012|p=67}}。フランスはこの打診を受けて[[ジャン・シャップ・ドートロシュ]]をシベリアの[[トボリスク]]に派遣することを決めたが、この連絡はロシアに届いておらず、ロシアは自国の観測者を訓練して[[イルクーツク]]と[[ネルチンスク]]へ派遣を行った{{Sfn|ウルフ|2012|pp=73&ndash;74}}。行き違いがあったが、シャップはトボリスクでの観測をロシアに認めてもらい、旅を継続した{{Sfn|ウルフ|2012|pp=74}}。結氷した[[ヴォルガ川]]を超え、日面通過の6日前にシャップはなんとかトボリスクに到着し、良好な観測を成し遂げている{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The First Transit: 1761 June 6}}。シャップは、この旅の記録を後に『[[17・18世紀大旅行記叢書|シベリア旅行記]]』として出版した{{Sfn|ウルフ|2012|p=148}}。

建国前のアメリカでは、北アメリカ大陸で数少ない観測可能な地域である[[ニューファンドランド島]]の[[セントジョンズ (ニューファンドランド・ラブラドール州)|セントジョンズ]]にて[[ジョン・ウィンスロップ (天文学者)|ジョン・ウィンスロップ]]が観測を行った<ref>{{cite web |url=http://news.harvard.edu/gazette/story/2012/05/the-last-dance-between-venus-and-the-sun/ |title=The last dance between Venus and the sun |date=May 29, 2012 |author=Alvin Powell |work=Harvard Gazette |publisher=The President and Fellows of Harvard College |accessdate=2016-04-09}}</ref>。スウェーデンでは{{仮リンク|ペール・ヴィルヘレム・ワルゲンティン|en|Pehr Wilhelm Wargentin}}を中心に観測計画が進められ、当時はスウェーデンの支配下にあったフィンランド東部の[[カヤーニ]]へアンダーシュ・プランマンを派遣した{{Sfn|ウルフ|2012|pp=80&ndash;83}}。本国でも多くの天文学者が観測を行い、ドリルはパリで、ワルゲンティンはストックホルムで観測を行った{{Sfn|ウルフ|2012|pp=110&ndash;111, 116&ndash;118}}。ロシア首都[[サンクトペテルブルク]]で観測を行った[[ミハイル・ロモノーソフ]]は、金星が太陽面から出ていくときの様子から金星に[[大気圏|大気]]があることを予測した<ref name="ML">{{Cite journal |journal=Proceedings of the International Astronomical Union|title=Mikhail Lomonosov and the discovery of the atmosphere of Venus during the 1761 transit|author = Mikhail Ya. Marov |year=2004|pages=209&ndash;219|publisher= Cambridge University Press |url=http://adsabs.harvard.edu/full/2005tvnv.conf..209M}}</ref>。

[[File:Venus Black Drop effect.png|thumb|upright=0.8|スウェーデンの[[トルビョルン・ベリマン]]により描かれた1761年の[[ブラック・ドロップ効果]]の様子<ref>{{Cite journal |journal=Proceedings of the International Astronomical Union |title=The black-drop effect explained |author = Jay M. Pasachoff, Glenn Schneider, and Leon Golub |month=June |year=2004 |pages=243&ndash;244 |issue=196 |publisher= International Astronomical Union |doi=10.1017/S1743921305001420}}</ref>。]]
1761年の日面通過では、最終的には、60以上の場所で120以上の観測が行われた{{Sfn|Simaan|2004|p=249}}。しかし、後に[[ブラック・ドロップ効果]]と呼ばれる太陽面の縁に金星がくっついた状態が続く現象が観測時に起こり、接触の正確な時間を特定できなかった{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The Venus Transit Data (remember that?)}}。さらには観測地点の経度が正確に把握できていなかったことなども悪影響した{{Sfn|Simaan|2004|p=249}}。観測結果にもとづき各国の天文学者たちは太陽視差の計算を行ったが、報告された値は8.28秒から10.6秒まで様々で、当初に期待していたほどの正確な測定はできなかった{{Sfn|Cottam et al.|2012|p=184}}。しかし、前の日面通過からホロックスによって測定された値よりも、現在の値である8.79秒に大きく近づいた{{Sfn|ウルフ|2012|p=134}}。

====1769年 ====
次の日面通過は[[1769年]][[6月3日]]に発生した。それまでの間に七年戦争は終結して、航海時の安全は向上した{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The Second Transit: 1769 June 3-4}}。また、[[啓蒙思想]]がヨーロッパ各国の権力層にも広がったおかげで科学事業への協力を得やすくなり、各国の国王も観測事業の全面的な支援を行う者が増え、観測に向けた状況は改善していた{{Sfn|ウルフ|2012|pp=140&ndash;141}}。これを逃すと次の日面通過は1874年まで起こらないため、今回の観測成功は必須となっていた{{Sfn|Simaan|2004|p=249}}。ブラック・ドロップ現象克服のために、より性能の高い{{仮リンク|アクロマート望遠鏡|en|Achromatic telescope}}も普及した{{Sfn|ウルフ|2012|pp=160}}。

[[File:Rittenhouse 1769 observation of Venus transit.jpg|thumb|left|[[デイビット・リッテンハウス]]による日面通過の記録]]
1769年の観測には、前回の国々にデンマークも新たに加わり、{{仮リンク|マキシミリアン・ヘル|en|Maximilian Hell}}とその助手の{{仮リンク|ヤーノシュ・シャイノヴィチ|en|János Sajnovics}}を当時デンマークの支配下にあったノルウェーの[[ヴァードー|バルデ]]に派遣した{{Sfn|ウルフ|2012|pp=183&ndash;184}}。アメリカでは、前回に観測を行った天文学者はウィンスロップだけだったが、1769年には[[フィラデルフィア]]の{{仮リンク|アメリカ哲学協会|en|American Philosophical Society}}もアメリカの地位向上を目指して観測に参加した{{Sfn|ウルフ|2012|pp=115, 188&ndash;191}}。{{仮リンク|デイビット・リッテンハウス|en|David Rittenhouse}}が計算を行い、それをもとに3箇所でアメリカ哲学協会の会員たちが観測を行った<ref>Silvio A. Bedini. "Rittenhouse, David"; http://www.anb.org/articles/13/13-01396.html; American National Biography Online Feb. 2000. Access Date: Mon Apr 11 2016 21:24:10 GMT+0900</ref>。ロシアも、[[エカチェリーナ2世]]がロシアの地位・名声の向上のために、前回よりも大がかりな観測隊を準備させた{{Sfn|ウルフ|2012|pp=152&ndash;158}}。エカチェリーナは、東の最果ての[[ヤクーツク]]までも含めて、8つの遠征隊を広い帝国の各地域へ派遣した<ref>{{Cite web|url=http://www.theatlantic.com/science/archive/2016/02/but-what-about-venus/459939/ |title=Venus, the Best and Brightest |author=Andrea Wulf |publisher=The Atlantic Monthly Group |date=February 12, 2016 |accessdate=April 11, 2016}}</ref>。

[[File:Ruines de pondichery.jpg|thumb|[[ギヨーム・ル・ジャンティ]]が観測基地とした[[ポンディシェリ]]の廃墟。旗の右側にある中央の建物。]]
フランスでは、ドリルに代わり[[ジェローム・ラランド]]が計画の指揮を執っていた{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}。1761年に遠征したパングレとシャップとル・ジャンティは、1769年の日面通過でも再び遠征地にて観測を行った。パングレは中央アメリカの[[ハイチ]]へ派遣され、観測を行った<ref>{{Cite journal |journal=The Journal of Astronomical Data |title=The Important Role of the Two French Astronomers J.-N. Delisle and J.-J. Lalande in the Choice of Observing Places during the Transits of Venus in 1761 and 1769 |author = Simone Dumont |coauthor= Monique Gros |year=2013 |pages=209&ndash;219 |volume=19 |publisher= Sliedrecht, the Netherlands : Twin Press |url=http://www.vub.ac.be/STER/JAD/JAD19/jad19_1/jad19_1n.pdf |issn=1385-3945}}</ref>。シャップはメキシコの[[バハ・カリフォルニア半島|バハ・カリフォルニア]]へ遠征し、良好な観測を達成した{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}。しかし、当時のメキシコでは[[チフス]]が流行しており、観測隊も次々に感染して亡くなっていった{{Sfn|ウルフ|2012|pp=244&ndash;245}}。観測後に看病しながら仕事を続けていたシャップも感染し、観測地にて没した{{Sfn|ウルフ|2012|pp=244&ndash;245}}。シャップの観測記録は、観測隊の生存者によって1年後にパリへ届けられた{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The Second Transit: 1769 June 3-4}}。1761年にはインド洋上で観測を強いられたル・ジャンティは、観測後はフランス本国には戻らずにインド洋周辺に滞在し、次の日面通過に向けて準備を行った{{Sfn|ウルフ|2012|pp=145&ndash;146}}。ル・ジャンティはフィリピンの[[マニラ]]で観測を行うことにしたが、フランス本国からはインドの[[ポンディシェリ]]で観測がより良いと連絡が届けられた{{Sfn|Hudon|2004|p=11}}。1769年、ル・ジャンティは予定を変更してポンディシェリで観測を行ったが、当日の天候は曇りで、日面通過を観測することはできなかった{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}。さらには、観測の帰途で船が難破し、11年を経てパリへ帰還した際にはル・ジャンティは死んだことになっており、財産とアカデミーでの地位を失っていた{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The Second Transit: 1769 June 3-4}}。

[[File:Venus Drawing.jpg|thumb|left|upright=0.9|[[ジェームズ・クック]]と[[チャールズ・グリーン (天文学者)|チャールズ・グリーン]]が記録した[[ブラック・ドロップ効果|ブラック・ドロップ現象]]の様子。]]
イギリスでは、マスケリンが1765年に[[グリニッジ天文台]]の天文台長となり、1769年の観測を統率した{{Sfn|ウルフ|2012|pp=166}}。前回遠征したディクソンとメイソンは再度観測のために遠征し、ディクソンはノルウェーへ、メイソンはアイルランドへ派遣された<ref name="Mason&Dixon"/>。さらに、{{仮リンク|ウィリアム・ウェールズ|en|William Wales (astronomer)}}を北アメリカの[[ハドソン湾]]へ、[[ジェームズ・クック]]を南太平洋の[[タヒチ島]]へ派遣した{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The Second Transit: 1769 June 3-4}}。ハドソン湾への航路は初夏まで凍り付くため、ウェールズは1768年の春の暮れに出航し、観測地で冬を越し、日面通過が起こる1769年6月まで待つ必要があった{{Sfn|Hudon|2004|p=12}}。[[ジェームズ・クック]]は、天文学者の{{仮リンク|チャールズ・グリーン (天文学者)|label=チャールズ・グリーン|en|Charles Green (astronomer)}}と共に[[エンデバー (帆船)|エンデバー号]]で出航し、未開だったタヒチへの航海を成し遂げ、観測に成功した{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}。この航海は、後にキャプテン・クックと呼ばれるクックの第1回航海に当たる<ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%83%83%E3%82%AF-55529 |title=クック【James Cook】―世界大百科事典 第2版の解説 |work=コトバンク |publisher=日立ソリューションズ・クリエイト |accessdate=2016-04-13}}</ref>。天候に恵まれて日面通過の様子を十分観測することはできたが、ブラック・ドロップ現象が現れ、接触の時刻を精密に記録することはできなかった{{Sfn|Hudon|2004|pp=14&ndash;15}}。

最終的には、1769年の日面通過では、77つの場所で150以上の観測が行われた{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}。観測結果にもとづく太陽視差の計算結果は、8.43秒から8.80秒までの値が報告された{{Sfn|Hudon|2004|p=15}}。1716年に観測を呼びかけたハレーの見込みでは日面通過の観測から1/500の精度で測定可能とされており、今回もブラック・ドロップ効果の邪魔が入る結果となった{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The Venus Transit Data (remember that?)}}。しかし、もっと良い精度の結果が期待されてはいたものの、1761年に得られた値からさらに現代の値に近いより正確な値を得ることができた{{Sfn|ウルフ|2012|pp=258}}。後の1824年に[[ヨハン・フランツ・エンケ]]が経度の最新値と[[最小二乗法]]を使い、1761年と1769年の観測記録から太陽視差8.5776秒という値を算出した{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}{{Sfn|Hudon|2004|pp=15&ndash;16}}。この値は、その後四半世紀ほど太陽視差の代表的値として扱われた{{Sfn|Hudon|2004|p=16}}。


=== 19世紀 ===
=== 19世紀 ===
==== 1874年====
{{右|
[[File:Tupman 1874 Honolulu Hawaii Transit of Venus.jpg|thumb|upright|イギリスからの観測隊長タップマンと設置された望遠鏡、[[ホノルル]]での様子]]
[[ファイル:1882 transit of venus.jpg|thumb|240px|right|[[1882年]]の金星の日面通過]]
[[ファイル:El-Transito-De-Venus.jpg|thumb|240px|right|金星太陽面経過観測記念碑<br /><small>[[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]の[[横浜紅葉坂|紅葉坂]]脇にある。<br />[[1874年]]の観測から100年を記念して、[[1974年]]に建てられた。</small>]]
}}
[[1874年]]の金星の日面通過では、欧米各国が世界70か所以上に観測隊を派遣した。この時は日本も日面通過の全過程が観測可能な地域だったため[[フランス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[メキシコ]]がそれぞれ観測隊を派遣した。当時の日本はまだ[[明治維新]]、開国後間もない時期であり、{{要出典範囲|1=明治新政府も当初は観測隊の目的がよく理解できずに困惑したようであるが目的が純粋に科学的なものだと知ると欧米の進んだ科学技術を吸収できる絶好の機会だと考え|date=2013年6月}}、観測隊に便宜を図るとともに観測技術を学ぶことを[[水路部 (日本海軍)|水路寮]](現在の[[海上保安庁]][[海洋情報部]]の前身)に命じた。フランス隊とアメリカ隊は長崎<ref>{{Cite web|url=http://fas.kaicho.net/others/venus/venus.htm |title=長崎金星観測碑 |accessdate=2010-01-16}}</ref>、メキシコ隊は横浜を拠点に<ref>{{Cite web|url=http://homepage1.nifty.com/tukahara/venus/kinenhi.htm |title=1874年金星太陽面経過観測記念碑(横浜) |accessdate=2010-01-16}}</ref>それぞれ観測を行った。フランス隊は長崎の天候に不安を感じたため神戸に別働隊を派遣し、これに日本人留学生の[[清水誠 (実業家)|清水誠]]も同行した<ref>{{Cite web|url=http://homepage1.nifty.com/tukahara/venus/kobe.htm |title=明治7年神戸における金星日面通過観測 |accessdate=2010-01-16}}</ref>。彼は日本人で初めて、金星の日面通過の写真を15枚撮影することに成功した。なお、この時アメリカ隊は[[ウラジオストク]]隊とも協力しながら長崎とワシントン間、長崎と東京間それぞれの経度差観測も行い、これによって日本の正確な経度が初めて決定された<ref>[http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3820/hanasi/nichimen/nichimen.html 金星の日面通過]</ref>。{{see also|経度の歴史#通信網の発展と経度}}


次の金星の日面通過は105年後の[[1874年]][[12月9日]]に起こった。このときも欧米各国が世界中に観測隊を派遣した。アメリカ、イギリス、イタリア、オランダ、ドイツ、フランス、メキシコ、ロシアが派遣隊を出している{{Sfn|Dick et al.|1998|p=226}}<ref name="Christine2004">{{Cite journal |author =Christine Allen |year = 2004 |title = The Mexican expedition to observe the 8 December 1874 transit of Venus in Japan |publisher = International Astronomical Union |journal=Proceedings of the International Astronomical Union |issue=196 |pages=111&ndash;123 |doi=10.1017/S1743921305001316}}</ref>。観測地は
=== 距離測定の限界 ===
*北半球:[[ウラジオストック]]、[[長崎]]、[[北京]]、[[カイロ]]、[[ロシア]]全域、[[ホノルル]]、[[サイゴン]]
[[ファイル:Venus sun disk progress observation monument. It is in Yamate, Naka-ku, Yokohama-shi, Kanagawa. It was built on December 9, 1974 in commemoration of 100 years by observation of December 9, 1874..JPG|thumb|240px|right|金星太陽面経過観測地点記念碑。神奈川県横浜市中区山手にある。1874年12月9日の観測から100年を記念して、1974年12月9日に建てられた。]]
*南半球:[[ケルゲレン諸島]]、[[ホバート]]、{{仮リンク|キャンベル・タウン|en|Campbell Town, Tasmania}}、[[クイーンズタウン (ニュージーランド)|クイーンズランド]]、[[チャタム諸島]]、[[ロドリゲス島]]、[[モーリシャス]]、[[ヌメア]]、[[サンポール島]]
日面通過の開始と終了の正確な時間を測定することは、ブラック・ドロップ効果のために失敗した。ブラック・ドロップ効果は数十秒間続いたため、日面通過の継続時間の精度に大きな悪影響を与えたのである。ブラック・ドロップ効果は長い間金星の濃密な大気に原因があると考えられ、初期には金星が大気を持つという最初の現実的な証拠と考えられた。また、地球の大気の揺らぎによるなどの説も唱えられた。しかし最近の研究では、これは当時の望遠鏡の精度が悪くピントが上手く合っていなかったための光学的な現象だったことが実証されている<ref>{{Cite web| url=http://www.aas.org/publications/baas/v35n5/aas203/26.htm |title=Explanation of the Black-Drop Effect at Transits of Mercury and the Forthcoming Transit of Venus |date=2004-01-04 |accessdate=2010-01-16}}</ref>。
の地域に及んだ<ref name="HM1874">{{Cite web|url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1874/index.html |title=1874 December 9th Transit of Venus |author=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-04-23}}</ref>。


1862年に[[アサフ・ホール]]が火星を利用して太陽視差を測定したものの、結果は8.841秒とエンケの値とも離れた値が得られたことから、1874年の金星の日面通過は依然として天文単位を決定する貴重な機会だった{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}。[[ジョージ・ビドル・エアリー]]は、1857年に天文単位の決定を "the noblest problem in astronomy"(天文学上の最も崇高な問題)と述べている{{Sfn|Cottam et al.|2012|p=183}}。前の観測以降に[[写真機]]が発明され、この新たな技術が観測に使われた{{Sfn|Hudon|2004|p=16}}。フランスでは、日面通過観測のために[[ピエール・ジャンサン]]が連続撮影可能な回転式の写真機 "revolver photographique"(写真のリボルバー)を発明した{{Sfn|Canales|2002|p=588}}<ref name="economist"/>。{{仮リンク|シャルル・ウォルフ|fr|Charles Wolf}}と協力者のシャルル・アンドレは日面通過を再現する機械を製作し、ブラック・ドロップ現象の解明を行った{{Sfn|Canales|2002|p=594}}。
いずれにしろ、現代では1天文単位の厳密な値は[[宇宙船]]の[[遠隔測定法]]や[[太陽系]]内の天体の[[レーダー]]観測で分かっている。その結果、[[18世紀]]の日面通過時間の実験は今日では重要な天文学的研究というよりも「科学プロジェクト」として繰り返されるようになっている。


[[ファイル:Venus sun disk progress observation monument. It is in Yamate, Naka-ku, Yokohama-shi, Kanagawa. It was built on December 9, 1974 in commemoration of 100 years by observation of December 9, 1874..JPG|thumb|left|金星太陽面経過観測地点記念碑。メキシコが観測を行った横浜市中区山手町にて観測から100年を記念して建てられた<ref>{{Cite book |和書 |author= 松村 巧 |date = 1982-09-10 |pages=108-109 |title= 日本天文名所旧跡案内}}</ref>。]]
== 現代における興味 ==
1874年の日面通過では、日本も日面通過の全過程が観測可能な地域だったため[[フランス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[メキシコ]]がそれぞれ観測隊を派遣した<ref name="日本の天文学の百年">{{Cite book |和書 |editor=日本天文学会百年史編纂委員会 |date = 2008-03-25 |pages=6-7 |edition=初版 |title =日本の天文学の百年 |url=http://www.kouseisha.com/book/b212282.html |publisher = 丸善出版 |isbn =978-4-7699-1078-7}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.am12.jp/event/other/other_h24/taiyoumentuuka.html |title=金星の太陽面通過 |publisher=[[明石市立天文科学館]] |accessdate=2016-02-11 }}</ref>。フランス隊には "revolver photographique" を発明したジャンサンも参加していた<ref name="東洋天文学史">{{Cite book |和書 |author = 中村 士 |date = 2014-10-30 |pages=194-195 |series =サイエンス・パレット |title = 東洋天文学史 |publisher = 丸善出版 |isbn =978-4-621-08862-3}}</ref>。フランス隊は長崎と神戸に隊を分け、それぞれで観測を行った{{Sfn|Canales|2002|pp=603&ndash;304}}。フランスへ留学していた[[清水誠 (実業家)|清水誠]]も神戸のフランス隊に同行し、金星の日面通過の写真を15枚撮影することに成功した<ref name="米田1996">{{Cite journal ja-jp |author = 米田 昭二郎 |year = 1996 |title = 日本燐寸工業の父: 清水誠 (<特集>科学風土記 : 沖縄から北海道まで) |publisher = 日本化学会 |journal=化学と教育 |volume=44 |issue=1 |pages=28-29 |url=http://hdl.handle.net/2297/38233}}</ref>。アメリカ隊は長崎で<ref name="HM1874"/>、メキシコ隊は横浜で観測を行った<ref name="Christine2004"/>。長崎では[[上野彦馬]]がアメリカ隊に協力している<ref name="米田1996"/>。
2004年の日面通過の際には、金星が太陽の光の一部を遮る時の光のパターンを測定することで[[太陽系外惑星]]の捜索に使う技術を洗練させようという試みに多くの科学者たちが挑戦した<ref name="economist">{{Cite web|url=http://www.economist.com/science/displayStory.cfm?story_id=2705523| title= Transits of Venus - Kiss of the goddess|publisher= The Economist|date=2004-05-27|accessdate=25 September 2006}}</ref><ref name="NS">{{cite web|url=http://www.newscientist.com/article.ns?id=dn5074| title= Extrasolar planet hunters eye Venus transit|publisher= New Scientist|date=2004-06-06|author=Maggie McKee|accessdate=27 September 2006}}</ref>。他の[[恒星]]の周囲を廻っている惑星を探すための現在の方法は、我々が[[固有運動]]の変化や[[視線速度]]の変化による[[ドップラー効果]]を発見できるほどその[[重力]]が十分に恒星を揺さぶるほどの非常に大きな惑星([[木星]]サイズであり、地球サイズではない)にのみ有効である。惑星が一部の光を遮ることから、日面通過の進行中に光の強度を測定することで潜在的には遥かに高感度に小さな惑星を探索できる。しかし、極端に厳密な測定が必要である。例えば、金星の日面通過によって太陽の光度は0.001[[等級 (天文)|等級]]だけ暗くなる。小さな太陽系外惑星による減光の度合いは同じぐらい小さなものと考えられている<ref name="NASA">{{Cite web|url=http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/transit/venus0412.html| title= 2004 and 2012 Transits of Venus|publisher= NASA|date=2002-06-18|author=Fred Espenak|accessdate=25 September 2006}}</ref>。


また、アメリカ隊のジョージ・ダビットソンは金星観測後に日本側からの要望を受け、長崎・東京間の経度差を測量した<ref name="測量 "/>。東京には隊員のチットマンとエドワーズを派遣し、現在では「チットマン点」と呼ばれる日本最初の経度原点が決定された<ref name="測量 ">{{Cite journal ja-jp |author = 箱岩 英一 |year = 2004 |title =測量・地図歴史散歩 3 日本の経度は金星日面経過観測から |publisher = 日本測量協会 |journal=測量 |issue=4 |pages=28-29 |url=http://www.jsokuryou.jp/Corner/kikansi/special/sp_top.htm}}</ref>。諸外国の観測隊の受け入れによって、日本は観測点の経度決定法などの近代天文学上の重要な基礎技術を学んだ<ref name="東洋天文学史"/>。このような諸外国による金星日面通過の観測によってもたらされた日本への影響を、斉藤国治は「科学における黒船」と評している<ref name="日本の天文学の百年"/>。
また、ブラック・ドロップ効果が見られるかどうかも大きな関心の的となった。そのため、第2接触と第3接触の瞬間の見え方には特に注意が払われたが実際にはブラック・ドロップ効果はほとんど観測されず、また意図的に望遠鏡のピントを外すとブラック・ドロップ効果のような見え方をしたという報告などもあり、[[19世紀]]以前の望遠鏡の精度が悪かったことがブラック・ドロップ効果が観測された原因であるという見方が有力になった。


今回の日面通過では写真などによって接触の観測の精度が向上することが期待されたが、結果は18世紀の観測よりも少し向上した程度に留まった{{Sfn|Dick et al.|1998|p=240}}。イギリスは写真による方法が上手く行かなかったことを認めた{{Sfn|Hudon|2004|p=18}}。アメリカは太陽面上を金星が通過している様子については多くの良い写真が撮れたが、肝心の第1接触・第2接触間と第3接触・第4接触間についての写真はブラック・ドロップ効果によって無価値だったことを報告した{{Sfn|Dick et al.|1998|p=241}}。このときの日面通過から、アメリカでの観測結果から8.883&plusmn;0.034秒、フランスでの観測結果から8.81&plusmn;0.06秒という太陽視差の値が報告された{{Sfn|Dick et al.|1998|p=223}}。
== 過去と未来の日面通過 ==

日面通過は現在6月か12月にだけ起こる(表を参照)。この日付は年代と共にゆっくりと遅い時期になっていく。1631年以前は、この日付は5月か11月であった<ref name="FENASA" />。日面通過は普通対で、8年離れたほぼ同じ日に起きる。これは地球の8年の長さが金星の13年の長さとほとんど同じためであり、そのため8年ごとに金星と地球はおおよそ同じ位置関係になる。この近さは普通対で日面通過を起こすには十分であるが、3つ組みの日面通過を起こすには十分でない<ref name="FENASA" />。例えば、2004年6月8日と2012年6月6日には金星の日面通過が起きた。しかし、そのほぼ8年後の2020年6月3日には18時50分頃([[協定世界時|UTC]])に金星が太陽の中心まで約0.5度(太陽の視直径とほぼ同じ)まで近づくだけに終わり、日面通過は起こらない。対で起こらなかった直近の日面通過は[[1153年]]に起きた。かろうじて2846年と2854年は対で起こるが、3089年は対で起こらない。2854年には金星は地球の中心から見ると僅かに太陽を外れるが、一部だけの日面通過が南半球の一部から見られる<ref name="nao1">{{Cite web|url=http://www.hmnao.com/nao/transit/|title=Transits of Venus 1000 AD – 2700 AD|author=Steve Bell|publisher=HM Nautical Almanac Office|year=2004|accessdate=25 September 2006}}</ref>。
====1882年 ====
[[ファイル:1882 transit of venus.jpg|thumb|upright|[[アメリカ海軍天文台]]による1882年の金星日面通過の記録写真]]

次の金星の日面通過は[[1882年]][[12月6日]]に発生した。1874年の日面通過で期待の結果を得ることができなかったことは、次の日面通過の観測への意気を下げることとなった{{Sfn|Cottam et al.|2012|p=185}}。1875年には[[ヨハン・ゴットフリート・ガレ]]が小惑星[[フローラ (小惑星)|フローラ]]を利用して、太陽視差8.873秒という値を高い精度で得ていた{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}。[[アメリカ海軍天文台]]では、1874年の観測を率いた[[サイモン・ニューカム]]は金星日面通過の観測を天文単位を決める最適な方法と考えることを止め、[[ウィリアム・ハークネス]]が1882年の観測を率いることとなった{{Sfn|Dick et al.|1998|p=242}}。

このような観測の科学的価値への疑義は生じたが、結果的には欧米各国は[[ニュージランド]]から[[南アフリカ]]に至る世界各地に観測隊を派遣した{{Sfn|Simaan|2004|p=250}}。各国の観測計画を調整するための国際会議が1881年10月にパリで開かれ、14の国が参加した{{Sfn|Cottam et al.|2012|p=185}}。アメリカもパリの会議には出席しなかったが、観測隊の派遣は継続して行うこととした{{Sfn|Cottam et al.|2012|p=185}}。ニューカムも観測隊の1つを率いて南アフリカの[[ウェリントン (南アフリカ)|ウェリントン]]で観測を行っている{{Sfn|Simaan|2004|pp=250&ndash;251}}。

[[File:John George Brown the Transit of Venus.jpg|thumb|left|upright|スモークガラスの破片で日面通過を見ようとする子供たち([[ジョン・ジョージ・ブラウン]]の絵画)]]
1874年と異なり、この年の日面通過はヨーロッパとアメリカでも観察可能で、町の広場に望遠鏡が置かれ、多くの人たちが観察する盛り上がりを見せた<ref name="economist">{{Cite web |date=2004-05-27 |url=http://www.economist.com/node/2705523 |title=Kiss of the goddess |work=The Economist |publisher=The Economist Newspaper Limited |accessdate=2016-03-20}}</ref>。[[ニューヨークタイムズ]]は、1881年から83年にかけて継続的に金星日面通過の記事を出し続けた{{Sfn|Cottam et al.|2012|pp=192&ndash;196}}。記事では、日面通過の観測の歴史や観測方法の解説、1882年の各国の観測計画や結果が伝えられ、当時の日面通過への興味の高まりを示している{{Sfn|Cottam et al.|2012|pp=192&ndash;196}}。アメリカの作曲家[[ジョン・フィリップ・スーザ]]は、このときの日面通過に触発されて ''[[:en:Transit of Venus March|Transit of Venus March]]'' を作曲した<ref name="Sousa's March"/>。

アメリカ海軍天文台による1882年の観測結果は、1874年と比較すると良い観測結果であった{{Sfn|Hudon|2004|p=19}}。集められた観測写真の数も1380枚に上った{{Sfn|Hudon|2004|p=19}}。アメリカでの観測結果から、ハークネスが1889年に8.842&plusmn;0.0118秒という太陽視差の値を報告した{{Sfn|Dick et al.|1998|p=223}}。また、1895年にはニューカムが、18世紀と19世紀の4回の日面通過の記録から8.794&plusmn;0.0018秒という値を報告した{{Sfn|Dick et al.|1998|p=223}}。ただし、金星日面通過以外の方法も含めた様々な太陽視差決定結果の中では、[[プルコヴォ天文台]]による[[光行差]]を利用して得られた値を最も重要性が高いとし、金星日面通過によって得られた値の重要性は低いとニューカムはまとめている{{Sfn|Dick et al.|1998|pp=248&ndash;249}}。

===21世紀===
====2004年====
[[File:2004 Venus transit UV.ogg|thumb|NASAの太陽観測衛星[[TRACE]]が記録した2004年の日面通過の様子]]
次の金星の日面通過は、前回から1世紀の間を空け、[[2004年]][[6月8日]]に発生した。前回から科学技術が発展し、金星・地球間の距離が[[レーダー]]によって直接測定可能となり、日面通過によって天文単位を求める必要は無くなった{{Sfn|Pogge|loc=&sect; The Venus Transit Data (remember that?)}}。1961年と62年の金星に対するレーダー観測から、天文単位の値が 149 596 000 km から 149 601 000 kmの範囲と求められた<ref name="天文月報">{{Cite journal ja-jp | author =相馬 充 | year = 1872 | month = 2 | title = 天文学 定数最前線(2)-天文単位 | journal = 天文月報 | volume = 80 |issue=2 | page = 62 | url = http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1987/index.htm }}</ref>。2016年現在では、天文単位の値は実測値ではなく一定に固定された定義値となっており、その値は前述のとおり 149 597 870.700 km となっている。

日面通過の科学的重要性は小さくなったが、非常に稀な天文イベントは世界中の多くの人の興味を引き付けた<ref name="ESO">{{Cite web|url=http://www.eso.org/public/news/eso0433/ |title=Summing Up the Unique Venus Transit 2004 (VT-2004) Programme |date=2 November 2004 |author=ESO |accessdate=2016-05-02}}</ref>。[[ヨーロッパ南天天文台]]と[[:en:European Association for Astronomy Education|European Association for Astronomy Education]]が中心となって、金星の日面通過を題材として "VT-2004" というインターネットを通じた国際的な教育プログラムが行われた。日面通過観測に関連する企画を通じて科学への興味や知識の向上に役立てることを目的としたもので<ref>{{Cite web|url=https://www.eso.org/public/outreach/eduoff/vt-2004/vt-intro.html |title=ESO - Introduction |author=ESO |accessdate=2016-05-02}}</ref>、
参加者から日面通過における4つの接触の観測結果を集め、天文単位を古典的な方法で再計算することも1つの目標とした<ref name="ESO"/>。1,510人の登録参加者から4,550個の接触時刻の記録が送られ、149 608 708&plusmn;11 835 km という値が計算された<ref name="ESO"/>。

[[File:BlackDrop-Venus-Transit.jpg|thumb|left|upright|接触の様子を記録した2つの連続写真。左の"質の悪い"写真ではブラックドロップ現象がよく見て取れる。]]
ブラック・ドロップ効果が見られるかどうかも関心の的となった。18世紀・19世紀に報告されたブラック・ドロップ効果の主原因は、望遠鏡の性能によるものという見方が主流となっている<ref>{{cite web|url=http://www.skyandtelescope.com/astronomy-news/observing-news/the-disappearing-black-drop/ | title= The Disappearing Black Drop |author=David Shiga |date=May 25, 2012 |publisher= F+W Media, Inc. |accessdate=2016-05-03}}</ref>。VT-2004 へ参加した多くの観察者たちは接触の時刻を特定するのに支障は無かったと報告しており、提出された多くの写真でもブラック・ドロップ効果のような現象は起きていなかった<ref>{{cite web|url=https://www.eso.org/public/outreach/eduoff/vt-2004/photos/vt-photos-top05.html | title= The "Black Drop" Phenomenon |publisher= ESO |accessdate=2016-05-03}}</ref>。学術的な研究も行われ、{{仮リンク|ジェイ・パサチョフ|en|Jay Pasachoff}}らは、NASAの太陽観測衛星「[[TRACE]]」による2004年の金星日面通過の観測結果を、1999年の[[水星の日面通過]]の観測結果と合わせて分析し、望遠鏡の性能だけでなく太陽の[[周辺減光]]もブラック・ドロップ効果の原因の一つと結論付けた<ref>{{Cite journal |journal=Proceedings of the International Astronomical Union |title=The black-drop effect explained |author = Jay M. Pasachoff, Glenn Schneider, and Leon Golub |month=June |year=2004 |pages=243&ndash;244 |issue=196 |publisher= International Astronomical Union |doi=10.1017/S1743921305001420}}</ref>。

また、2004年の日面通過の際には、金星が太陽の光の一部を遮る時の光のパターンを測定することで[[太陽系外惑星]]の捜索に使う技術を洗練させようという試みに多くの科学者たちが挑戦した<ref name="economist"/><ref name="NS">{{cite web|url=http://www.newscientist.com/article.ns?id=dn5074| title= Extrasolar planet hunters eye Venus transit|publisher= New Scientist|date=2004-06-06|author=Maggie McKee|accessdate=27 September 2006}}</ref>。他の[[恒星]]の周囲を廻っている惑星を探すための現在の方法は、我々が[[固有運動]]の変化や[[視線速度]]の変化による[[ドップラー効果]]を発見できるほどその[[重力]]が十分に恒星を揺さぶるほどの非常に大きな惑星([[木星]]サイズであり、地球サイズではない)にのみ有効である。惑星が一部の光を遮ることから、日面通過の進行中に光の強度を測定することで潜在的には遥かに高感度に小さな惑星を探索できる。しかし、極端に厳密な測定が必要である。例えば、金星の日面通過によって太陽の光度は0.001[[等級 (天文)|等級]]だけ暗くなる。小さな太陽系外惑星による減光の度合いは同じぐらい小さなものと考えられている<ref name="NASA">{{Cite web|url=http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/transit/venus0412.html| title= 2004 and 2012 Transits of Venus|publisher= NASA|date=2002-06-18|author=Fred Espenak|accessdate=25 September 2006}}</ref>。

====2012年====
次の金星の日面通過は[[2012年]][[6月5日]]から[[6月6日]]にかけて発生した。前回に引き続いて世界中の人たちが、この天文イベントを観察した<ref>{{Cite web|url=https://www.theguardian.com/science/gallery/2012/jun/06/venus-astronomy | title=Venus transiting the sun – in pictures |date=6 June 2012 |publisher=The Guardian |accessdate=2016-05-03}}</ref>。

JAXAらの太陽観測衛星「[[ひので (人工衛星)|ひので]]」は日面通過の様子を超高解像度で撮影を行った<ref name="hinode"/>。得られた画像は、オレオール現象と呼ばれる黒い金星を包む細い光の環を捉えている<ref name="hinode"/>。この現象は、金星が太陽面上を通過するときに太陽光が[[金星の大気]]中で屈折することで発生する<ref name="Aureole">{{Cite web|url=https://www.eso.org/public/outreach/eduoff/vt-2004/photos/vt-photos-top06.html | title=Venus' Aureole |publisher=ESO |accessdate=2016-05-03}}</ref>。1761年に日面通過を観測して金星の大気を予測した[[ミハイル・ロモノーソフ]]は、この現象を観測して大気の存在を予測したと考えられている<ref name="Aureole"/>。

また、フランスの天文学者が中心となって "Venus Twilight Experiment" と呼ばれる研究プロジェクトが立ち上げられ、オレオール現象を利用して金星の大気への理解を深めることなどを目標とした観測・研究が行われた<ref>{{Cite web|url=https://venustex.oca.eu/foswiki | title=Refraction and scattering phenomena during the transit of Venus on June 5-6, 2012 |accessdate=2016-05-03}}</ref>。オレオール現象は2004年にも現れたが、現象を捉えて分析するための観測の最適化が整っていなかった<ref>{{Cite web|url=http://www.nasa.gov/mission_pages/sunearth/news/venus-arc.html | title=The Mysterious Arc of Venus |publisher=NASA |date=June 5, 2012 |author=Tony Phillips |accessdate=2016-05-03}}</ref>。世界の観測可能地域へメンバーが「現代的な」遠征をして観測を行った。成果としては、金星を周回する探査機[[ビーナス・エクスプレス]]による大気の鉛直温度分布の観測を補完するなどの結果が得られている<ref>{{Cite web|url=http://www.europlanet-eu.org/venus-twilight-experiment-tanga/ | title=The Venus Twilight Experiment – what we learned from the last transit of Venus |publisher=Europlanet |date=April 5, 2016 |author=Paolo Tanga |accessdate=2016-05-03}}</ref>。

次の金星の日面通過は、[[2117年]][[12月10日]]から[[12月11日|11日]]にかけて起こる。

<gallery caption="宇宙空間上から観測された2012年の金星日面通過" mode="packed">
File:SDO's Ultra-high Definition View of 2012 Venus Transit (171 Angstrom Full Disc).jpg|太陽観測衛星[[ソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリー|SDO]]によって171オングストローム波長で撮影
File:SDO's Ultra-high Definition View of 2012 Venus Transit (304 Angstrom Full Disc 02).jpg||太陽観測衛星[[ソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリー|SDO]]によって304オングストローム波長で撮影
File:Venus transit zero contact X-ray.jpg|気象衛星[[GOES 15]]によってX線波長帯で撮影
File:Hinode Views the 2012 Venus Transit.jpg|太陽観測衛星[[ひので (人工衛星)|ひので]]が撮影した接触の様子(黒い金星を包む細い光の環がオレオール現象<ref name="hinode">{{Cite web |url=http://www.nao.ac.jp/en/gallery/weekly/2014/20140606-venus-transit.html |publisher= NAOJ |title=A Black Shape Passing Across the Face of the Sun—The 2012 Transit of Venus |date=June 6, 2014 |accessdate=2016-05-03}}</ref>)
</gallery>

== 過去と未来の日面通過==
以下の表では例として、ケプラーが予測した1631年から25世紀最後までについて、金星の日面通過の発生日・時刻・主な観測可能地域を示している。


{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+発生の一覧(1631年から2498年まで)
|+金星の日面通過
!rowspan="2"|発生日
!rowspan="2"|日面通過の<br/>中央時間の日付!!colspan="3"|時間([[協定世界時|UTC]])!!rowspan="2"|備考!!rowspan="2" style="white-space:nowrap"|日面通過の進路<br/>(HM航海暦局)
!colspan="3"|時刻([[協定世界時|UTC]])<sup>注1</sup>
!rowspan="2"|主な観測可能地域 <sup>注2</sup>
!rowspan="2"|出典
|-
|-
!開始!!中央!!終了
!開始
!中央
!終了
|-
|-
| style="white-space:nowrap" |[[1631年]][[12月7日]]
|[[1631年]][[12月7日]]||03:51||05:19||06:47||[[ヨハネス・ケプラー]]が予測。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_1631/ 1631 December 7th Transit of Venus]</ref>
||03:51
||05:19
||06:47
||
途中から:アフリカ中央部<br />全過程:アジアの大部分、オセアニアの大部分<br />途中まで:オセアニア西部
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1631/index.html |title=1631 December 7<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[1639年]][[12月4日]]
|[[1639年]][[12月4日]]||style="white-space:nowrap"|14:57||style="white-space:nowrap"|18:25||style="white-space:nowrap"|21:54||[[エレミア・ホロックス]]と[[ウィリアム・クラブトリー]]が観測した最初の日面通過。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_1639/ 1639 December 4th Transit of Venus]</ref>
||14:57
||18:25
||21:54
||
途中から:オセアニア、北アメリカ北西部<br />全過程:北アメリカ中央部、南アメリカ東部<br />途中まで:南アメリカ西部、アフリカ、ヨーロッパ西部
||<ref name="HM1639"/>
|-
|-
|[[1761年]][[6月6日]]
|[[1761年]][[6月6日]]||02:02||05:19||08:37||[[ミハイル・ロモノーソフ]]が金星の大気を観測。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_1761/ 1761 June 6th Transit of Venus]</ref>
||02:02
||05:19
||08:37
||
途中から:アフリカ、ヨーロッパの大部分<br />全過程:アジア、オセアニア西部<br />途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西部
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1761/index.html |title=1761 June 6<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[1769年]][[6月3日]]<br /> - [[6月4日]]
|[[1769年]][[6月3日]]||19:15||22:25||01:35||[[ジェームズ・クック]]がタヒチへ航海。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_1769/ 1769 June 3rd-4th Transit of Venus]</ref>
||19:15
||22:25
||01:35
||
途中から:アジアの大部分、オセアニア東部<br />全過程:オセアニア西部、北アメリカ西部<br />途中まで:北アメリカ東部、南アメリカ
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1769/index.html |title=1769 June 3<sup>rd</sup>-4<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[1874年]][[12月9日]]
|[[1874年]][[12月9日]]||01:49||04:07||06:26||欧米観測隊が来日。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_1874/ 1874 December 9th Transit of Venus]</ref>
||01:49
||04:07
||06:26
||
途中から:アフリカの大部分、アジア西部<br />全過程:アジア東部、オセアニア西部<br />途中まで:オセアニア東部
||<ref name="HM1874"/>
|-
|-
|[[1882年]][[12月6日]]
|[[1882年]][[12月6日]]||13:57||17:06||20:15||[[ジョン・フィリップ・スーザ]]が、行進曲『''金星の日面通過''』を作曲。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_1882/ 1882 December 6th Transit of Venus]</ref>
||13:57
||17:06
||20:15
||
途中から:オセアニア西部、北アメリカ西部<br />全過程:北アメリカ東部、南アメリカ<br />途中まで:アフリカ、ヨーロッパ
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1882/index.html |title=1882 December 6<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[2004年]][[6月8日]]
|[[2004年]][[6月8日]]||05:13||08:20||11:26||世界中の様々なメディアが全世界に金星の日面通過のライブ映像を放送。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2004/ 2004 June 8th Transit of Venus]</ref>
||05:13
||08:20
||11:26
||
途中から:北アメリカ東部、南アメリカの大部分、アフリカ東部<br />全過程:アフリカの大部分、ヨーロッパ、アジアの大部分<br />途中まで:アジア東南部、オセアニア
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2004/index.html |title=2004 June 8<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[2012年]][[6月5日]]<br /> - [[6月6日]]
|[[2012年]][[6月6日]]||22:09||01:29||04:49||ハワイ、オーストラリア、太平洋、東アジアで全過程が、北アメリカで始まりが見られた。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2012/ 2012 June 5th-6th Transit of Venus]</ref>
||22:09
||01:29
||04:49
||
途中から:アフリカ東部、ヨーロッパ、アジア西部<br />全過程:アジア東部、オセアニアの大部分<br />途中まで:北アメリカの大部分、南アメリカ東部
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2012/index.html |title=2012 June 5<sup>th</sup>-6<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[2117年]][[12月10日]]<br /> - [[12月11日]]
|style="white-space:nowrap"|[[2110年代|2117年]][[12月11日]]||23:58||02:48||05:38||中国東部、日本、インドネシア、オーストラリアで全過程が、米国西海岸西端、インド、アフリカの大部分、中東で一部が見られる。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2117/ 2117 December 11th Transit of Venus 2117 December 11th Transit of Venus]</ref>
||23:58
||02:48
||05:38
||
途中から:アフリカ東部、アジア西部<br />全過程:アジア東部、オセアニアの大部分<br />途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西端、南アメリカ南端
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2117/index.html |title=2117 December 11<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[2125年]][[12月8日]]
|[[22世紀|2125年]][[12月8日]]||13:15||16:01||18:48||南アメリカ、米国東部で全過程が、米国西部、ヨーロッパ、アフリカで一部が見られる。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2125/ 2125 December 8th Transit of Venus]</ref>
||13:15
||16:01
||18:48
||
途中から:オセアニア東部、北アメリカ西部<br />全過程:北アメリカ東部、南アメリカ<br />途中まで:アフリカ、ヨーロッパ
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2125/index.html |title=2125 December 8<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[2247年]][[6月11日]]
|[[23世紀|2247年]][[6月11日]]||08:42||11:33||14:25||アフリカ、ヨーロッパ、中東で全過程が、東アジア、インドネシア、南北アメリカで一部が見られる。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2247/ 2247 June 11th Transit of Venus]</ref>
||08:42
||11:33
||14:25
||
途中から:北アメリカの大部分、南アメリカの大部分<br />全過程:アフリカ、ヨーロッパ、アジア西部<br />途中まで:アジア東部、オセアニア西部
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2247/index.html |title=2247 June 11<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[2255年]][[6月9日]]
|2255年[[6月9日]]||01:08||04:38||08:08||ロシア、インド、中国、オーストラリア西部で全過程が、アフリカ、ヨーロッパ、米国西部で一部が見られる。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2255/ 2255 June 9th Transit of Venus]</ref>
||01:08
||04:38
||08:08
||
途中から:アフリカ、ヨーロッパ、アジア西部<br />全過程:アジアの大部分、オセアニア西部<br />途中まで:オセアニア東部、北アメリカの大部分
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2368/index.html |title=2368 December 10<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[2360年]][[12月12日]]<br /> - [[12月13日]]
|[[24世紀|2360年]][[12月13日]]||22:32||01:44||04:56||オーストラリア、インドネシアの大部分で全過程が、アジア、アフリカ、南北アメリカ西半分で一部が見られる。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2360/ 2360 December 12th-13th Transit of Venus]</ref>
||22:32
||01:44
||04:56
||
途中から:アフリカ東部、アジアの大部分<br />全過程:アジア東南部、オセアニアの大部分<br />途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西部、南アメリカ南西部
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2368/index.html |title=2368 December 10<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|style="white-space:nowrap"|[[2368年]][[12月10日]]
|2368年[[12月10日]]||12:29||14:45||17:01||南アメリカ、アフリカ西部、米国東海岸で全過程が、ヨーロッパ、米国西海岸、中東で一部が見られる。||<ref>[http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2368/ 2368 December 10th Transit of Venus]</ref>
||12:29
||14:45
||17:01
||
途中から:オセアニア東部、北アメリカ西部<br />全過程:北アメリカ東部、南アメリカ、アフリカ西部<br />途中まで:ヨーロッパ西部、アフリカ東部、アジア西部
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2368/index.html |title=2368 December 10<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
|[[2490年]][[6月12日]]
|[[25世紀|2490年]][[6月12日]]||11:39||14:17||16:55||南北アメリカの大部分、アフリカ西部、ヨーロッパで全過程が、アフリカ東部、中東、アジアで一部が見られる。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2490/ 2490 June 12th Transit of Venus]</ref>
||11:39
||14:17
||16:55
||
途中から:オセアニア東部、北アメリカ西端、南アメリカ南端<br />全過程:北アメリカの大部分、南アメリカの大部分、アフリカ西部、ヨーロッパ<br />途中まで:アフリカ東部、アジア
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2490/index.html |title=2490 June 12<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
|-
||[[2498年]][[6月10日]]
|2498年[[6月10日]]||03:48||07:25||11:02||ヨーロッパの大部分、アジア、中東、アフリカ東部で全過程が、南北アメリカ東部、インドネシア、オーストラリアで一部が見られる。||<ref>[http://www.hmnao.com/nao/transit/V_2498/ 2498 June 10th Transit of Venus]</ref>
||03:48
||07:25
||11:02
||
途中から:北アメリカ東部、南アメリカ東部、アフリカ西部<br />全過程:ヨーロッパの大部分、アジアの大部分、アフリカ東部<br />途中まで:アジア東南部、オセアニア
||<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2498/index.html |title=2498 June 10<sup>th</sup> Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>
|-
| colspan=6 style="text-align:left; font-size:90%;" |
*出典:日付と時刻はNASA<ref name="VenusCatalog"/>による。観測可能地域はHMNAO(表内の各出典)による。
*注1:「開始」は第1接触を、「中央」は食の最大を、「終了」は第4接触を意味する。
*注2:「途中から」は日面通過の途中から観測可能になることを、「途中まで」は日面通過の途中まで観測可能であることを意味する。
|}
|}


== 特殊な日面通過 ==
== 特殊な日面通過 ==
=== 太陽をかすめる場合 ===
=== 太陽をかすめる日面通過 ===
時々、金星日面通過で太陽をかすめていくだけの場合がある。この場合、地球上のある地域では完全な日面通過を見ることができる一方、他の地域では部分的な日面通過で終わる(第2接触や第3接触が無い)ことが有り得る。また別の場合、ある地域では部分的な日面通過を見ることができのの地域では日面通過がいこも有り得る。
時々、天体が太陽をかすめていくだけの日面通過がある。この通過では、地球上のある地域では完全な日面通過を見ることができる一方、他の地域では第2接触や第3接触が無い部分的な日面通過を見ることにな<ref name="1999Mercury">{{Cite web| url=http://eclipse.gsfc.nasa.gov/OH/transit99.html | title=1999 Transit of Mercury |publisher=NASA |author=Fred Espenak |date=2003-05-05 |accessdate=2016-05-18}}</ref>。1999年[[水星日面通過]]は、こような太陽面をかすめる日面通過(英語ではgrazing transit)であった<ref name="1999Mercury"/>。金星の日面通過では、[[2854年]][[12月14日]]の通過がこの種類のものに予測され<ref name="VenusCatalog"/>

金星が地球上の一部の地域でだけ部分的に太陽の前を横切るのが観測できた最後の日面通過は[[1631年]][[12月6日]]に起こった。世界の一部の地域で部分的な日面通過が見られるだけの日面通過が次に見られるのは2611年[[12月13日]]である<ref name="FENASA" />。


=== 同時日面通過 ===
=== 同時日面通過 ===
21世紀現在、金星の日面通過が起こる時期は6月上旬と12月上旬、[[水星の日面通過]]が起こる時期は5月上旬と11月中旬にとなっており、それらが同時に起こることは無い{{Sfn|Meeus et al.|2004|p=132}}。しかし、地球と水星の[[交点 (天文)|交点]]位置と地球と金星の交点位置は変化しており、ごく僅かずつであるが互いに近づいている。そのため、非常に遠い未来であれば、金星と水星の同時日面通過が起こることが予測される{{Sfn|Meeus et al.|2004|p=132}}。[[ジャン・メーウス]]とアルド・ビタグリアーノの計算によれば、[[力学時]]で69163年[[7月26日]]および224508年[[3月27日]]に、このような極めて稀な同時日面通過が発生する{{Sfn|Meeus et al.|2004|p=133}}。この頃には力学時と[[協定世界時]]の差は大きくなっており、協定世界時では69163年3月頃と224504年4月頃にそれらが発生することになる{{Sfn|Meeus et al.|2004|p=133}}。
[[水星の日面通過]]と金星の日面通過が同時に起こることも有り得るが、遠い未来のことである。そのような現象が次に起こるのは69163年[[7月26日]]と224508年[[3月27日]]である<ref name="S&TAug2004">"Hobby Q&A", ''Sky&Telescope'', August 2004, p. 138.</ref><ref name="FENASAM">{{Cite web| url=http://sunearth.gsfc.nasa.gov/eclipse/transit/catalog/MercuryCatalog.html| title=Transits of Mercury, Seven Century Catalog: 1601 CE to 2300 CE|publisher=NASA|author=Fred Espenak|date=2005-04-21|accessdate=27 September 2006}}</ref>。21世紀現在は金星の日面通過が起こる時期が6月上旬と12月上旬、水星の日面通過が起こる時期が5月上旬と11月中旬にそれぞれ限られているため、それらが同時に起こることは無い。


[[日食]]と金星の日面通過が同時に起こることも、非常に稀であるが存在する。同じくメーウスとビタグリアーノによれば、これも非常に遠い未来に発生する見込みで、力学時で15232年[[4月5日]]に皆既日食と金星の日面通過の同時発生が起きる{{Sfn|Meeus et al.|2004|p=134}}。同時発生ではないが、過去には[[1769年]][[6月4日]]の金星日面通過で、日面通過に引き続いて皆既日食が起きたことが報告されている<ref name="Messieretal1769">{{Cite journal | author = de La Lande, M.; Charles Messier, M. | year = 1769 | title = Observations of the Transit of Venus on 3 June 1769, and the Eclipse of the Sun on the Following Day, Made at Paris, and Other Places. Extracted from Letters Addressed from M. De la Lande, of the Royal Academy of Sciences at Paris, and F. R. S. to the Astronomer Royal; And from a Letter Addressed from M. Messier to Mr. Magalhaens | journal = Philosophical Transactions(1683–1775) | volume = 59 | pages = 374&ndash;377 | url =http://www.jstor.org/stable/105848 }}</ref>。このときの日食は、金星日面通過の終了から約7時間後に発生していた<ref name="VenusCatalog"/><ref>{{Cite web| url=http://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEcat5/SE1701-1800.html | title=Catalog of Solar Eclipses: 1701 to 1800 |publisher=NASA |author=Fred Espenak |accessdate=2016-05-18}}</ref>。
[[日食]]と金星の日面通過が同時に起こることも一般に有り得るが、非常に稀である。次に日食と金星の日面通過が同時に起こるのは15232年[[4月5日]]である<ref name="S&TAug2004" />。

[[1769年]][[6月4日]]の日面通過の僅か5時間後に、皆既日食が起きていた<ref name="Messieretal1769">{{Cite journal
| author = de La Lande, M.; [[Charles Messier|Messier]], M.
| year = 1769
| month =
| title = Observations of the Transit of Venus on 3 June 1769, and the Eclipse of the Sun on the Following Day, Made at Paris, and Other Places. Extracted from Letters Addressed from M. De la Lande, of the Royal Academy of Sciences at Paris, and F. R. S. to the Astronomer Royal; And from a Letter Addressed from M. Messier to Mr. Magalhaens
| journal = Philosophical Transactions(1683–1775)
| volume = 59
| pages = 374–377
| url = http://adsabs.harvard.edu/cgi-bin/nph-bib_query?bibcode=1769RSPT...59..374D
}}</ref>。これは北アメリカ、ヨーロッパ、アジア北部の大部分で部分日食として見られた。この金星の日面通過と日食の間隔は有史以来最も短いものであった。


=== その他 ===
=== その他 ===
紀元前90353年[[2月7日]]4時34分から始まる金星の日面通過は、前後1週間の間に8回も天体の日面通過がある特殊な1週間である。1日に月と地球で[[水星の日面通過]]<ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Mercury_from_Moon.html.gz Transits of Mercury from Moon ''Fourmilab'']</ref><ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Mercury_from_Earth.html.gz Transits of Mercury from Earth ''Fourmilab'']</ref>、3日に[[土星]]で[[水星の日面通過 (土星)|水星の日面通過]]<ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Mercury_from_Saturn.html.gz Transits of Mercury from Saturn ''Fourmilab'']</ref>、7日に地球と月と土星で金星の日面通過<ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Venus_from_Earth.html.gz Transits of Venus from Earth ''Fourmilab'']</ref><ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Venus_from_Moon.html.gz Transits of Venus from Moon ''Fourmilab'']</ref><ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Venus_from_Saturn.html.gz Transits of Venus from Saturn ''Fourmilab'']</ref>、8日に[[土星]]で[[地球の日面通過 (土星)|月と地球の同時日面通過]]が発生している<ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Earth_from_Saturn.html.gz Transits of Earth from Saturn ''Fourmilab'']</ref><ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Moon_from_Saturn.html.gz Transits of Moon from Saturn ''Fourmilab'']</ref>。
紀元前90353年[[2月7日]]4時34分から始まる金星の日面通過は、前後1週間の間に8回も天体の日面通過がある特殊な1週間である。1日に月と地球で[[水星の日面通過]]<ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Mercury_from_Moon.html.gz Transits of Mercury from Moon ''Fourmilab'']</ref><ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Mercury_from_Earth.html.gz Transits of Mercury from Earth ''Fourmilab'']</ref>、3日に[[土星]]で[[水星の日面通過 (土星)|水星の日面通過]]<ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Mercury_from_Saturn.html.gz Transits of Mercury from Saturn ''Fourmilab'']</ref>、7日に地球と月と土星で金星の日面通過<ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Venus_from_Earth.html.gz Transits of Venus from Earth ''Fourmilab'']</ref><ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Venus_from_Moon.html.gz Transits of Venus from Moon ''Fourmilab'']</ref><ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Venus_from_Saturn.html.gz Transits of Venus from Saturn ''Fourmilab'']</ref>、8日に[[土星]]で[[地球の日面通過 (土星)|月と地球の同時日面通過]]が発生していたと計算されている<ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Earth_from_Saturn.html.gz Transits of Earth from Saturn ''Fourmilab'']</ref><ref>[http://www.fourmilab.ch/documents/canon_transits/tr_Moon_from_Saturn.html.gz Transits of Moon from Saturn ''Fourmilab'']</ref>。


== 文化的な意味 ==
== 題材とする文化芸術 ==
[[File:Transit of Venus 1.jpg|thumb|[[ジョン・フィリップ・スーザ]]の行進曲 ''Transit of Venus March'']]
金星の日面通過は稀な現象であることから、人間の歴史の大きな転換を表す重要な現象だと世界の様々な文化で考えられてきた{{要出典|date=2013年6月}}。これは[[マヤ文明]]やその他の[[古代]][[アメリカ合衆国|アメリカ]][[文明]]について、また[[インド]]の[[ヴェーダ]][[伝承]]や[[メソポタミア]]の[[西洋占星学]]の起源についての事実である{{要出典|date=2013年6月}}。
;『塔上の二人』(原題:''[[:en:Two on a Tower|Two on a Tower]]'' )

:1882年の[[トーマス・ハーディ]]による小説。金星の日面通過観測に関わるアマチュアの天文学者を主役の一人とした恋愛小説で、当時の金星日面通過への関心の高まりの例として挙げられる<ref>{{Cite book |title=The Transit of Venus Enterprise in Victorian Britain |author=Jessica Ratcliff |url= https://books.google.co.jp/books?id=LWhECgAAQBAJ&pg=PA165&lpg=165#v=onepage&q&f=false |page=165 |year=2008 |publisher=Routledge |isbn=978-1851965410}}</ref>。
『[[金星の日面通過 (演劇)|金星の日面通過]]』([[:en:Transit of Venus (play)|Transit of Venus]])は[[モーリン・ハンター]]([[:en:Maureen Hunter|Maureen Hunter]])による演劇の題名でもあり、地球上の様々な場所で金星の日面通過を観察するための[[ギヨーム・ル・ジャンティ]]の努力を脚色したものである。
;''[[:en:Transit of Venus March|Transit of Venus March]]''
:1882年から1883年に発表された[[ジョン・フィリップ・スーザ]]の行進曲。スーザが1882年の日面通過に興味を持ったことから作曲されたものだが、日面通過自体を祝うものではなく、スーザは1878年に死去した物理学者の[[ジョセフ・ヘンリー]]を称えるために作曲した<ref name="Sousa's March">{{cite web|url=http://sunearthday.nasa.gov/2012/transit/sousa.php |title=John Philip Sousa's March |work=Transit of Venus, Sun-Earth Day 2012 |author= Alex Young; Bryan Stephenson |publisher=NASA |accessdate=2016-04-03 }}</ref>。
;''[[:en:Transit of Venus (play)|Transit of Venus]]''
:1992年のモーリン・ハンター ([[:en:Maureen Hunter|Maureen Hunter]]) による演劇。1761年と1769年の日面通過観測に派遣された[[ギヨーム・ル・ジャンティ]]の地球上の様々な場所での努力を脚色したものである。2007年には同名でオペラ化された<ref name="ManitobaOpera">{{cite web|url=http://www.manitobaopera.mb.ca/transitofvenus/transitofvenus.html |title=Transit of Venus |publisher=Manitoba Opera |accessdate=2016-04-03 }}</ref>。
;''[[:en:The Transit of Venus (Doctor Who audio)|The Transit of Venus]]''
:2009年に発売されたイギリスのTVドラマ『[[ドクター・フー]]』の[[オーディオブック]]。日面通過観測のために[[ジェームズ・クック]]が航海していた1770年を舞台にする<ref>{{cite web|url=https://www.bigfinish.com/releases/v/the-transit-of-venus-631 |title=3.7. The Transit of Venus |work=Doctor Who - The Companion Chronicles |publisher=Big Finish Productions |accessdate=2016-04-03}}</ref>。
;''[[:en:Transit of Venus (album)|Transit of Venus]]''
:2012年に発売されたカナダのロックバンド[[スリー・デイズ・グレイス]]の音楽アルバム。日面通過が起きた当日の2012年6月5日にタイトルと発売日が発表された<ref>{{cite web|url=http://loudwire.com/three-days-grace-announce-new-album-title-and-release-date/ |title=Three Days Grace Announce New Album Title and Release Date |author=Mary Ouellette |date=2012-06-05 |work=LOUDWIRE.COM |publisher=Townsquare Media |accessdate=2016-04-03}}</ref>。2014年の[[ジュノー賞]]で Rock Album of the Year にノミネートされた<ref>{{cite web|url=http://junoawards.ca/nomination/2014-rock-album-of-the-year-sponsored-by-siriusxm-canada-three-days-grace/ |title=Rock Album of the Year 2014 |publisher=The Canadian Academy of Recording Arts and Sciences |accessdate=2016-04-03 }}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
{{Reflist|2}}

==参考文献==
※文献内の複数個所に亘って参照したものを示す。
*{{Cite book ja-jp
|author = アンドレア・ウルフ
|translator = 矢羽野 薫
|year = 2012
|title = 金星を追いかけて
|edition = 初版
|publisher = 角川書店
|isbn =978-4-04-110204-6
|ref = {{Sfnref|ウルフ|2012}}
}}
*{{cite journal
|title=Photogenic Venus: The "Cinematographic Turn" and Its Alternatives in Nineteenth-Century France
|author=Canales, Jimena
|year=2002
|month=December
|issue=4
|volume=93
|journal=Isis
|publisher=Astral Press
|pages=585&ndash;613
|doi=10.1086/375953
|ref= {{Sfnref|Canales|2002}}
}}
*{{cite journal
|title=Horrocks, Crabtree and the 1639 transit of Venus
|author=Chapman, Allan
|year=2004
|month=October
|journal= Astronomy & Geophysics |publisher=The Royal Astronomical Society |volume=45
|issue=5
|doi=10.1046/j.1468-4004.2003.45526.x
|pages=26&ndash;31
|ref= {{Sfnref|Chapman|2004}}
}}
*{{cite journal
|title=Jeremiah Horrocks, The Transit of Venus, and the 'New Astronomy' in Early Seventeenth-Century England
|url=http://adsabs.harvard.edu/abs/1990QJRAS..31..333C
|author=Chapman, Allan
|year=1994
|month=September
|journal=Quarterly Journal of the Royal Astronomical Society
|volume=31
|pages=333&ndash;357
|ref= {{Sfnref|Chapman|1994}}
}}
*{{cite journal
|title= The 1882 Transit of Venus and the Popularization of Astronomy in the USA as Reflected in The New York Times
|url=http://adsabs.harvard.edu/abs/2012JAHH...15..183C
|author=Cottam, Stella; Orchiston, Wayne; Stephenson, F. Richard
|year=2012
|month=November
|issue=3
|volume=15
|journal=Journal of Astronomical History and Heritage
|publisher=Astral Press
|pages=183&ndash;199
|ref= {{Sfnref|Cottam et al.|2012}}
}}
*{{cite journal
|title= Simon Newcomb, William Harkness and the Nineteenth-century American Transit of Venus Expeditions
|url=http://adsabs.harvard.edu/abs/1998JHA....29..221D
|author=Dick, Steven J.; Orchinson, Wayne; Love, Tom
|year=1998
|month=August
|issue=3
|volume=29
|journal=Journal for the History of Astronomy
|publisher=Science History Publications
|pages=221&ndash;225
|doi=10.1177/002182869802900302
|ref= {{Sfnref|Dick et al.|1998}}
}}
*{{cite journal
|title=A (Not So) Brief History of the Transits of Venus
|url=http://people.bu.edu/hudon/transit_jrasc_final.pdf
|author=Hudon, Daniel
|year=2004
|month=February
|journal=Journal of the Royal Astronomical Society of Canada
|publisher=Royal Astronomical Society of Canada
|pages=6&ndash;20
|ref= {{Sfnref|Hudon|2004}}
}}
*{{Cite journal
| author = Meeus, J.; Vitagliano, A.
| year = 2004
| month = 6
| title = Simultaneous transits
|journal=Journal of the British Astronomical Association
| volume = 114
| issue=3
| pages = 132&ndash;135
| url = http://adsabs.harvard.edu/abs/2004JBAA..114..132M
|ref= {{Sfnref|Meeus et al.|2004}}
}}
*{{cite journal
|author=Simaan, Arkan
|date=16 March 2004
|title=The transit of Venus across the Sun
|journal=Physics Education
|publisher= IOP Publishing |volume=39 |issue=3
|pages=247&ndash;251
|doi=10.1088/0031-9120/39/3/001
|ref= {{Sfnref|Simaan|2004}}
}}
*{{Cite web
|url=http://www.astronomy.ohio-state.edu/~pogge/Ast161/Unit4/venussun.html
|title=Lecture 26:How far to the sun? The Venus Transits of 1761 & 1769
|author= Pogge, Richard W.
|work=Astronomy 161: An Introduction to Solar System Astronomy
|date=2011-05-09
|accessdate=2016-04-06
|ref= {{Sfnref|Pogge}}
}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Portal|天文学}}
* [[通過 (天文)]]
* [[通過 (天文)]]
* [[日面通過]]
* [[日面通過]]
* [[金星台]]
* [[金星台]]
* [[上野彦馬]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{commonscat}}
* [http://www.astroarts.co.jp/special/20040608transit_venus/index-j.shtml AstroArts【特集】金星の日面通過]
* [http://www.astroarts.co.jp/special/20040608transit_venus/index-j.shtml 【特集】2004年6月8日 金星の日面通過] - AstroArts
* [http://www.astroarts.co.jp/special/20120606transit_venus/index-j.shtml 【特集】2012年6月6日 金星の太陽面通過] - AstroArts
* [http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3820/hanasi/nichimen/nichimen.html 金星の日面通過]
* [http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3820/hanasi/nichimen/nichimen.html 金星の日面通過]
* [http://www.city.atsugi.kanagawa.jp/acsc/planet/Venus/20040608/index.html 金星の日面通過2004年6月8日厚木市子ども科学館)]
* [http://www.city.atsugi.kanagawa.jp/acsc/planet/Venus/20040608/index.html 金星の日面通過2004年6月8日] - 厚木市子ども科学館
* [http://www.f3.dion.ne.jp/~p2k/flash/flash005.html#01 プレ天文 - 金星面通過]
* [https://web.archive.org/web/20091114115830/http://www.sci-museum.jp/news/text/a040516.html 2004年6月8日の金星太陽面通過] - 大阪市立科学館
* [http://astro.ysc.go.jp/VT.html 金星の太陽面通過」情報とリンク集]
* [https://web.archive.org/web/20050210024213/http://www.sci-museum.jp/news/text/a040521.html 金星の太陽面通過・小ネタ編] - 大阪市立科学館
* [http://www.nict.go.jp/video/space-weather-topics07.html ビデオライブラリ 宇宙天気トピックス 金星日面通過] - 国立研究開発法人情報通信研究機構
* [http://www.sci-museum.jp/news/text/a040516.html 2004年6月8日の金星太陽面通過(大阪市立科学館)]
* [http://www.sci-museum.jp/news/text/a040521.html 金星の太陽面通過・小ネタ編(大阪市立科学館)]
* [http://www.astron.pref.gunma.jp/flash/transit_venus.html 天文FLASH解説 金星の太陽面通過] - ぐんま天文台


{{日面通過}}
{{日面通過}}

2016年5月22日 (日) 14:02時点における版

2004年6月8日の金星の日面通過。ドイツイェーナにて。

地球における金星の日面通過(きんせいのにちめんつうか)とは、金星太陽面を黒い円形のシルエットとして通過していくように見える天文現象である。金星が地球と太陽のちょうど間に入ることで起こる。日面経過太陽面通過とも呼ばれる[1]。記録に残る初の観測は、1639年エレミア・ホロックスによってなされた。

金星の日面通過は非常に稀な現象で、近年では、8年、105.5年、8年、121.5年の間隔で発生する。直近では協定世界時2012年6月5日から6日にかけて起こった。次回は2117年12月10日から11日にかけて起こる[1]

金星の日面通過を観察することで、地球と太陽の間の距離が算出可能となる。1761年1769年の日面通過では、この距離を得ることを目標して欧州を中心として国を超えた国際的な観測事業が行われ、世界各地に天文学者が派遣された。この観測プロジェクトは科学における初の国際共同プロジェクトとも評される[2]

日面通過の経過

日面通過の間、金星は太陽の表面を東から西へ動いていく小さな黒い円盤のように見える。天体が太陽の手前を通過し、それによって太陽の一部が隠されるという点で日食と似ている。しかし、日食において太陽を隠す視直径(地球から見た見かけの直径)が約30とほぼ太陽と等しいのに対し日面通過時の金星の視直径は約1分と太陽のおよそ30分の1しかない[3]。金星は直径がの約4倍もあるにもかかわらず、視直径がこのように小さいのは、日面通過時の金星は地球からの距離が約4,100万キロメートルであり、月(地球から約38万キロメートル)の100倍以上も遠くにあるためである[4]

金星の日面通過の概略図(2012年の通過をモデルにしたもの)

日面通過の開始前、金星は太陽の東側から太陽に徐々に接近してくる。しかしこの時には金星は夜側の面を地球に向けているため、見ることはできない。続いて金星が太陽面に接触する。この瞬間を第1接触という[5]。さらに金星が太陽面の内側に入り込み、金星が完全に太陽面上にのった瞬間を第2接触という[5]。第1接触から第2接触までは約20分かかる。その後金星は太陽面上を西へ移動していく。金星が太陽面の中心に最も近づいたときを食の最大という[6]。さらに金星は太陽面上を西に進み、太陽の反対側の縁に到達する。この瞬間を第3接触という[5]。第2接触から第3接触までにかかる時間は、金星が太陽面の中心にどれだけ近い部分を通過するかで大きく変わるが、2004年2012年の金星の日面通過では約6時間である[7][8]。さらに金星が西へ進み、完全に太陽面から離れた瞬間を第4接触という[5]。第3接触から第4接触までは約20分である。このように長い時間がかかる現象であるため日の出前にすでに日面通過が始まっていたり、日没時にまだ日面通過の途中である場合があり、全過程を観測できる観測地は限られる。2004年の日面通過においては中央アジアからヨーロッパで全過程の観測が可能であった[9]。2012年の日面通過ではハワイから東アジアで全過程の観測が可能であった[10]

第2接触の直後と第3接触の直前に金星の形が円形からずれて太陽の縁から滴り落ちる水滴のような形となり、しばらく太陽の縁にくっついた状態が数十秒間続く現象が知られている。これはブラック・ドロップ効果と呼ばれる。この現象のため、第2接触と第3接触の正確な時刻を測定するのは困難であると考えられていた。しかし、近年の観測ではブラック・ドロップ効果は観測されず、これは望遠鏡のピントが合ってないなどの理由による見かけの現象だとされている[3]

発生の仕組み

金星の内合

金星の日面通過と、地球と金星の軌道平面の傾きの説明図

日面通過が起こるには、金星が地球と太陽の間に入る必要がある。このような状態を内合と呼ぶ。しかし、金星が内合になっても、地球-金星-太陽は一直線上に通常は並ばない。金星の軌道は地球の軌道に対して3.4傾いており、天球上では金星は内合時に太陽の北か南を通過していくように見える[11]

3.4度というとそう大きい角度ではないように思うかもしれないが、地球から見ると内合時に金星が最大で9.6度も太陽から離れて見えることもある[12]。これに対して太陽の視直径は約0.5度であるから、金星は日面を通過しない内合の際に太陽の北または南を太陽の直径の18倍以上離れて通過することもある[11]

したがって、日面通過が起こるのは、地球の軌道平面と金星の軌道平面が交わるところで(または極めて近くで)、金星が内合になるときである。地球の公転軌道(1年)の中で、この軌道平面の交線を通過するのは太陽を挟んで対称となる2点だけである。これらの2点を交点と呼ぶ。交点を通過する時期は、現在では6月7日頃と12月9日頃であり、日面通過が起こりうるのはこの前後数日に限られる[13]

起こる間隔

日面通過時における、金星公転軌道と地球公転軌道の重なりの様子を描いた動画

金星の日面通過は非常に稀な現象である。近年では、8年、105.5年、8年、121.5年の間隔で発生する。

ある時点に日面通過が起きたとする。地球の1恒星年は365.256日で、金星の1恒星年は224.701日なので、金星の方が太陽の周りを早く回る[14]。日面通過から過ぎ去った金星が再び地球と太陽の間に達して次の内合が起こるには、前回の内合から583.924日が必要となる[14]。この583.924日という期間を会合周期と呼び、583.924日おきに内合が発生する[15]。しかし前述のとおり、再び内合になっただけでは、日面通過は起きない。軌道平面の交点上で内合が起きる必要がある。

地球が軌道平面の交点を通過するのは、半年(0.5年)おきである。よって、ある時点に日面通過が起きたとすると、次に日面通過が起きる可能性がある時期は、0.5年の整数倍経過後に限られる[14]。前回の日面通過から8年経過したとき、これは0.5年の整数倍であり、なおかつ会合周期のちょうど5回分である。よって、内合になる・交点上にあるという2つの条件を満たすことができる。近年、2回の日面通過が8年の間隔で起きているのはこの理由による[15]。しかし、8年経過後に全く同じ位置に金星が戻るわけでなく、前回の位置からわずかなズレが起きる。正確には8年よりも2.45日早く、内合が訪れる[16]。8年間隔の日面通過が2回しか起きないのは、このズレが蓄積することによる。16年後にはズレは大きくなり、内合する金星は太陽面を通らず、日面通過は発生しなくなる[16]

一方で、会合周期を66回繰り返すとほぼ105.5年経過となる[15]。これも0.5年の整数倍となっている。近年の発生間隔に105.5年があるのは、この周期によるものである[15]。また、会合周期を76回繰り返すとほぼ112.5年となる。近年の発生間隔112.5年はこの周期によるものである[15]

発生の日付は現在では6月7日頃と12月9日頃だが、この日付は年代と共にゆっくりと遅い時期になっていく。年代を遡るともっと早い時期に起きており、1631年以前は、この日付は5月か11月であった[16]。これは、太陽暦の1年は地球が太陽を正確に1周するのに少し足らないためである[15]

8年、105.5年、121.5年以外の間隔でも、日面通過は発生する。例えば、113.5年、129.5年、137.5年といった間隔でも起きる。これらの年数は、会合周期71回、81回、86回に相当する[15]。現在の「8年、105.5年、8年、121.5年」という間隔も、全体で見れば 8 + 105.5 + 8 + 121.5 = 243年 (5 + 66 + 5 + 76 = 152回)という1つの周期に相当する[15]546年から1518年までは日面通過は8年、113.5年、121.5年という間隔をおいて起こっており、紀元前425年から546年までは日面通過は常に121.5年おきに起きていた[16]。現在の「8年、105.5年、8年、121.5年」間隔は、1396年から始まり、3089年まで続く。3089年の後は、129.5年後という周期で次の日面通過が訪れる[16]。1396年の1つ前は、113.5年前に発生している[16]

一方、もう一つの内惑星である水星は金星よりも太陽に近いところをより速く公転している。そのため水星の日面通過はあまり珍しい現象ではなく、20世紀21世紀にはそれぞれ14回ずつ起こる[17]

一般的な観察方法

フィルターを通して金星の日面通過を観察する人々。東ティモールでの観察イベント。

日面通過中の金星の影は、肉眼でも確認可能な角度を持っており、金属を蒸着させた太陽観測用フィルター(観察用グラス)を使用して減光することで、肉眼でも安全に観察可能となる[18][19][20]。ただし、フィルターを使用しても有害な光を完全に防ぐことはできないので、長時間観察を続けずに、こまめに目を休憩させることが推奨されている[18][21]

太陽の観測に望遠鏡や双眼鏡を用いる場合は、失明を含む視覚傷害のリスクを避けるために十分に減光するか、投影法を用いるように勧告されている[18]

観測の歴史

背景

太陽との視差を決定するために、金星の日面通過の継続時間が測定された。

金星の日面通過の観測に対して(非常に珍しい現象であることとは別に)科学的な興味が持たれていた元々の理由は、太陽系の大きさを測定することができる可能性があるからであった[22]17世紀までには天文学者はそれぞれの惑星間の距離の関係を地球と太陽の間の距離を単位(1天文単位)として計算できていたが、1天文単位の絶対的な距離(マイルキロメートル単位)はあまり正確に分かっていなかった[23]

日面通過の精密な観測は、この1天文単位、すなわち太陽と地球の間の絶対的な距離を測定する方法となる。その方法は、地球の広範囲に離れた観測点で日面通過が始まる時間か終わる時間の僅かな違いを厳密に測定するというものである。すると地球のある2点間の距離が、三角測量の原理で金星と太陽の間の距離を測る物差しのように使える[24]

また、太陽との距離は角度である地心視差から間接的に定めることもできる[25]。地心視差とは地球の中心(地心)から天体を見るときと地表上から天体をみるときの方向差のことで、特に天体が地平線上に存在するときの地心視差を地平視差と呼ぶ[26]。さらに、観測者が赤道上にいるときに観測される太陽の地平視差を太陽視差と呼ぶ[27]。太陽視差の値から天文単位を間接的に求めることができるため、天文単位距離の値そのものよりも、金星の日面通過を利用して太陽視差の値を求めることが行われてきた[25]

現在の1天文単位の距離は、149 597 870.700 km で定義されており[28]、また、広く受け入れられている太陽視差の値の一つは、8.794 143である[29]

17世紀

1631年

ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは金星の日面通過の詳細に予測した最初の人物と考えられている[30]。1629年、ケプラーは、彼のルドルフ表をもとにして、金星の日面通過が1631年12月6日に起こると予測した[30]。ケプラーは1630年に死去し、自身の予測を確かめることはなかった[31]。ケプラーの予測にもとづいて、フランスのピエール・ガッサンディパリから観測を行おうとした[32]。しかしケプラーの予測は十分に正確ではなく、ガッサンディは結局観測することはできなかった[31]。現在の計算によれば、パリでは1631年12月7日の日の出の約50分前、太陽が観測できる前に日面通過は終了していた[30]

1639年

エレミア・ホロックス。観測の様子を描いた想像図。
ウィリアム・クラブトリー。同じく観測の様子を描いたもの

金星の日面通過の最初の観測は、イギリスのエレミア・ホロックスによって1639年12月4日(当時イギリスで使われていたユリウス暦では11月24日)に行われた[33][34]。ホロックスは、当時のフィリッペ・ファン・ランスベルゲの金星の軌道表に誤りがあることを発見し、1639年に金星の日面通過が起こることを独自に見出した[35]。ケプラーも次の日面通過は1761年に起こると考えており、1639年の日面通過は予測できていなかった[30]

ホロックスの観測は、彼の居住地であったマッチフール (Much Hoole) というイングランドプレストンの近くにある村で行われた[34]。彼の友人であったウィリアム・クラブトリーも、マンチェスターの近くのサルフォードから観測を行った[33]。15時までは日面通過は起きないとホロックスは予測していたが、万全を期すためにその日は夜明けから一日中、断続的に観測を続けた[36]。13時から15時までのどうしても外せない用事を済ませて観測に戻ると、日面通過が始まっていた[36]。日の入り前、ホロックスは15時15分、15時35分、15時45分の金星の日面上の位置を記録することに成功した[37]。クラブトリーも同じく日の入りの直前に観測に成功する[30]。観測記録をもとにしてホロックスは、地球・太陽間距離を地球の半径の約15,000倍、太陽視差で14と算出した[38]。この距離は現在受け入れられている値のおよそ2/3倍程度だったが、それまで考えられていた値よりも現在の値に近いものであった[39][40]

ホロックスは1641年に、クラブトリーは1644年に死去する[30]。ホロックスは自身とクラブトリーの観測記録を論文にまとめたが存命中に出版されることはなかった[41]。この原稿は1662年ヨハネス・ヘヴェリウスによって出版され、彼の業績が日の目を見ることになる[42]

18世紀

1761年

エドモンド・ハレーが1678年に発表した論文。図は金星の日面通過を利用して太陽と地球の間の距離を計算する方法を示している。

1716年、イギリスの天文学者エドモンド・ハレーが1761年に起こる金星の日面通過を世界各地から観測して1天文単位の正確な値を得るための、国際的な共同研究プロジェクトを提案した[43]。この提言を受けて、1761年と続いて日面通過が起きる1769年に、各国の科学アカデミーや学会から多数の探検隊が世界の様々な場所へ日面通過を観測するため派遣された[44]。国を超えて行われたこれらの観測を、アンドレア・ウルフ英語版は「史上初の世界的な科学プロジェクト」と評している[2]。ハレーは1742年に死去し、自身がこの研究プロジェクトを直接指揮することはできなかった。ハレー自身も自分の高齢のために1761年の日面通過に間に合わないことを理解していたため、どこでどんな観測をすべきかという詳しい説明を残し、好機を逃さないことを多くの天文学者たちに伝えた[45]

ジョゼフ=ニコラ・ドリル

1761年の日面通過は、フランスのジョゼフ=ニコラ・ドリルが中心となって、ヨーロッパ各地の天文学者に観測を呼びかけられた[46]。ハレーの方法は日面通過の始まりから終わりまでの経過時間の記録を必要とするものだったが、ドリルはこれを改良して、2つの観測地点から通過開始(第2接触)、または通過終了(第3接触)の時刻を記録するだけで事足りる方法を提案した[47]。日面通過の全過程を観測できる地域は限られているため、ドリルの方法であれば、さらに多くの地点を観測地にすることができる[48]。一方で、ドリルの方法は観測地点の正確な経度を把握する必要がある[49]。しかし、経度の情報は当時はまだ不十分だった[50]

フランス、イギリス、ロシア、スウェーデン、建国前のアメリカの天文学者たちが1761年6月6日の日面通過観測に乗り出した[51]。特にフランスとイギリスは、最も理想的な観測地点となるインド東インド諸島、その対となるシベリアまで観測隊を派遣し[52]、最も多くの派遣を行った[53]。当時の航海の手段は木製の帆船であり、難破や病気などの危険と隣り合わせの長く険しい旅が余儀なくされた[54]。天文学者たちの冒険の様子を「望遠鏡付きの象牙の塔の住人というより、聖杯を探し求める冒険家インディー・ジョーンズ」とキティ・ファーガソン英語版は記している[55]。基本的には、植民地などで自国の支配地としていた地域をそれぞれの観測地とした[56]。フランスはギヨーム・ル・ジャンティをインドのポンディシェリへ、アレクサンドル・パングレをインド洋のロドリゲス島へ派遣し、イギリスはネヴィル・マスケリンを南大西洋のセントヘレナへ、ジェレマイア・ディクソンチャールズ・メイソン英語版スマトラ島ベンクーレンへ派遣した[53]

当時は七年戦争の最中でもあり、政治情勢としても航海には危険な状態であった[50]。ベンクーレンを目指していたイギリスのディクソンとメイソンは、出帆から2日後にフランス軍艦に遭遇し、死者も出た激しい戦闘に巻き込まれた[57]。南アフリカの喜望峰までディクソンとメイソンは辿りついたものの、日面通過までの時間が残っておらず、なおかつベンクーレンがフランスに奪われた報せを聞いたディクソンとメイソンは、ベンクーレンでの観測を諦めて喜望峰で観測を行った[58]。ポンディシェリを目指したフランスのル・ジャンティも、航海中に敵艦に遭遇することがあったが、霧に助けられるなどして上手く逃走することができた[59]。しかし、目的地のポンディシェリは航海途中でイギリス軍によって包囲されてしまい、上陸できなかったル・ジャンティは、インド洋上に浮かぶ不安定で地理的位置も不明瞭な船上から観測を行うこととなった[60]

ジャン・シャップ・ドートロシュ

ロシアのアカデミーは、天文学の素養を持つ人材の不足から、当初は自国から派遣は出さずにフランスに派遣を打診した[61]。フランスはこの打診を受けてジャン・シャップ・ドートロシュをシベリアのトボリスクに派遣することを決めたが、この連絡はロシアに届いておらず、ロシアは自国の観測者を訓練してイルクーツクネルチンスクへ派遣を行った[62]。行き違いがあったが、シャップはトボリスクでの観測をロシアに認めてもらい、旅を継続した[63]。結氷したヴォルガ川を超え、日面通過の6日前にシャップはなんとかトボリスクに到着し、良好な観測を成し遂げている[53]。シャップは、この旅の記録を後に『シベリア旅行記』として出版した[64]

建国前のアメリカでは、北アメリカ大陸で数少ない観測可能な地域であるニューファンドランド島セントジョンズにてジョン・ウィンスロップが観測を行った[65]。スウェーデンではペール・ヴィルヘレム・ワルゲンティン英語版を中心に観測計画が進められ、当時はスウェーデンの支配下にあったフィンランド東部のカヤーニへアンダーシュ・プランマンを派遣した[66]。本国でも多くの天文学者が観測を行い、ドリルはパリで、ワルゲンティンはストックホルムで観測を行った[67]。ロシア首都サンクトペテルブルクで観測を行ったミハイル・ロモノーソフは、金星が太陽面から出ていくときの様子から金星に大気があることを予測した[68]

スウェーデンのトルビョルン・ベリマンにより描かれた1761年のブラック・ドロップ効果の様子[69]

1761年の日面通過では、最終的には、60以上の場所で120以上の観測が行われた[50]。しかし、後にブラック・ドロップ効果と呼ばれる太陽面の縁に金星がくっついた状態が続く現象が観測時に起こり、接触の正確な時間を特定できなかった[70]。さらには観測地点の経度が正確に把握できていなかったことなども悪影響した[50]。観測結果にもとづき各国の天文学者たちは太陽視差の計算を行ったが、報告された値は8.28秒から10.6秒まで様々で、当初に期待していたほどの正確な測定はできなかった[71]。しかし、前の日面通過からホロックスによって測定された値よりも、現在の値である8.79秒に大きく近づいた[72]

1769年

次の日面通過は1769年6月3日に発生した。それまでの間に七年戦争は終結して、航海時の安全は向上した[73]。また、啓蒙思想がヨーロッパ各国の権力層にも広がったおかげで科学事業への協力を得やすくなり、各国の国王も観測事業の全面的な支援を行う者が増え、観測に向けた状況は改善していた[74]。これを逃すと次の日面通過は1874年まで起こらないため、今回の観測成功は必須となっていた[50]。ブラック・ドロップ現象克服のために、より性能の高いアクロマート望遠鏡英語版も普及した[75]

デイビット・リッテンハウスによる日面通過の記録

1769年の観測には、前回の国々にデンマークも新たに加わり、マキシミリアン・ヘル英語版とその助手のヤーノシュ・シャイノヴィチ英語版を当時デンマークの支配下にあったノルウェーのバルデに派遣した[76]。アメリカでは、前回に観測を行った天文学者はウィンスロップだけだったが、1769年にはフィラデルフィアアメリカ哲学協会もアメリカの地位向上を目指して観測に参加した[77]デイビット・リッテンハウス英語版が計算を行い、それをもとに3箇所でアメリカ哲学協会の会員たちが観測を行った[78]。ロシアも、エカチェリーナ2世がロシアの地位・名声の向上のために、前回よりも大がかりな観測隊を準備させた[79]。エカチェリーナは、東の最果てのヤクーツクまでも含めて、8つの遠征隊を広い帝国の各地域へ派遣した[80]

ギヨーム・ル・ジャンティが観測基地としたポンディシェリの廃墟。旗の右側にある中央の建物。

フランスでは、ドリルに代わりジェローム・ラランドが計画の指揮を執っていた[81]。1761年に遠征したパングレとシャップとル・ジャンティは、1769年の日面通過でも再び遠征地にて観測を行った。パングレは中央アメリカのハイチへ派遣され、観測を行った[82]。シャップはメキシコのバハ・カリフォルニアへ遠征し、良好な観測を達成した[81]。しかし、当時のメキシコではチフスが流行しており、観測隊も次々に感染して亡くなっていった[83]。観測後に看病しながら仕事を続けていたシャップも感染し、観測地にて没した[83]。シャップの観測記録は、観測隊の生存者によって1年後にパリへ届けられた[73]。1761年にはインド洋上で観測を強いられたル・ジャンティは、観測後はフランス本国には戻らずにインド洋周辺に滞在し、次の日面通過に向けて準備を行った[84]。ル・ジャンティはフィリピンのマニラで観測を行うことにしたが、フランス本国からはインドのポンディシェリで観測がより良いと連絡が届けられた[85]。1769年、ル・ジャンティは予定を変更してポンディシェリで観測を行ったが、当日の天候は曇りで、日面通過を観測することはできなかった[81]。さらには、観測の帰途で船が難破し、11年を経てパリへ帰還した際にはル・ジャンティは死んだことになっており、財産とアカデミーでの地位を失っていた[73]

ジェームズ・クックチャールズ・グリーンが記録したブラック・ドロップ現象の様子。

イギリスでは、マスケリンが1765年にグリニッジ天文台の天文台長となり、1769年の観測を統率した[86]。前回遠征したディクソンとメイソンは再度観測のために遠征し、ディクソンはノルウェーへ、メイソンはアイルランドへ派遣された[57]。さらに、ウィリアム・ウェールズ英語版を北アメリカのハドソン湾へ、ジェームズ・クックを南太平洋のタヒチ島へ派遣した[73]。ハドソン湾への航路は初夏まで凍り付くため、ウェールズは1768年の春の暮れに出航し、観測地で冬を越し、日面通過が起こる1769年6月まで待つ必要があった[87]ジェームズ・クックは、天文学者のチャールズ・グリーン英語版と共にエンデバー号で出航し、未開だったタヒチへの航海を成し遂げ、観測に成功した[81]。この航海は、後にキャプテン・クックと呼ばれるクックの第1回航海に当たる[88]。天候に恵まれて日面通過の様子を十分観測することはできたが、ブラック・ドロップ現象が現れ、接触の時刻を精密に記録することはできなかった[89]

最終的には、1769年の日面通過では、77つの場所で150以上の観測が行われた[81]。観測結果にもとづく太陽視差の計算結果は、8.43秒から8.80秒までの値が報告された[90]。1716年に観測を呼びかけたハレーの見込みでは日面通過の観測から1/500の精度で測定可能とされており、今回もブラック・ドロップ効果の邪魔が入る結果となった[70]。しかし、もっと良い精度の結果が期待されてはいたものの、1761年に得られた値からさらに現代の値に近いより正確な値を得ることができた[91]。後の1824年にヨハン・フランツ・エンケが経度の最新値と最小二乗法を使い、1761年と1769年の観測記録から太陽視差8.5776秒という値を算出した[81][92]。この値は、その後四半世紀ほど太陽視差の代表的値として扱われた[93]

19世紀

1874年

イギリスからの観測隊長タップマンと設置された望遠鏡、ホノルルでの様子

次の金星の日面通過は105年後の1874年12月9日に起こった。このときも欧米各国が世界中に観測隊を派遣した。アメリカ、イギリス、イタリア、オランダ、ドイツ、フランス、メキシコ、ロシアが派遣隊を出している[94][95]。観測地は

の地域に及んだ[96]

1862年にアサフ・ホールが火星を利用して太陽視差を測定したものの、結果は8.841秒とエンケの値とも離れた値が得られたことから、1874年の金星の日面通過は依然として天文単位を決定する貴重な機会だった[81]ジョージ・ビドル・エアリーは、1857年に天文単位の決定を "the noblest problem in astronomy"(天文学上の最も崇高な問題)と述べている[97]。前の観測以降に写真機が発明され、この新たな技術が観測に使われた[93]。フランスでは、日面通過観測のためにピエール・ジャンサンが連続撮影可能な回転式の写真機 "revolver photographique"(写真のリボルバー)を発明した[98][99]シャルル・ウォルフと協力者のシャルル・アンドレは日面通過を再現する機械を製作し、ブラック・ドロップ現象の解明を行った[100]

金星太陽面経過観測地点記念碑。メキシコが観測を行った横浜市中区山手町にて観測から100年を記念して建てられた[101]

1874年の日面通過では、日本も日面通過の全過程が観測可能な地域だったためフランスアメリカメキシコがそれぞれ観測隊を派遣した[102][103]。フランス隊には "revolver photographique" を発明したジャンサンも参加していた[104]。フランス隊は長崎と神戸に隊を分け、それぞれで観測を行った[105]。フランスへ留学していた清水誠も神戸のフランス隊に同行し、金星の日面通過の写真を15枚撮影することに成功した[106]。アメリカ隊は長崎で[96]、メキシコ隊は横浜で観測を行った[95]。長崎では上野彦馬がアメリカ隊に協力している[106]

また、アメリカ隊のジョージ・ダビットソンは金星観測後に日本側からの要望を受け、長崎・東京間の経度差を測量した[107]。東京には隊員のチットマンとエドワーズを派遣し、現在では「チットマン点」と呼ばれる日本最初の経度原点が決定された[107]。諸外国の観測隊の受け入れによって、日本は観測点の経度決定法などの近代天文学上の重要な基礎技術を学んだ[104]。このような諸外国による金星日面通過の観測によってもたらされた日本への影響を、斉藤国治は「科学における黒船」と評している[102]

今回の日面通過では写真などによって接触の観測の精度が向上することが期待されたが、結果は18世紀の観測よりも少し向上した程度に留まった[108]。イギリスは写真による方法が上手く行かなかったことを認めた[109]。アメリカは太陽面上を金星が通過している様子については多くの良い写真が撮れたが、肝心の第1接触・第2接触間と第3接触・第4接触間についての写真はブラック・ドロップ効果によって無価値だったことを報告した[110]。このときの日面通過から、アメリカでの観測結果から8.883±0.034秒、フランスでの観測結果から8.81±0.06秒という太陽視差の値が報告された[111]

1882年

アメリカ海軍天文台による1882年の金星日面通過の記録写真

次の金星の日面通過は1882年12月6日に発生した。1874年の日面通過で期待の結果を得ることができなかったことは、次の日面通過の観測への意気を下げることとなった[112]。1875年にはヨハン・ゴットフリート・ガレが小惑星フローラを利用して、太陽視差8.873秒という値を高い精度で得ていた[81]アメリカ海軍天文台では、1874年の観測を率いたサイモン・ニューカムは金星日面通過の観測を天文単位を決める最適な方法と考えることを止め、ウィリアム・ハークネスが1882年の観測を率いることとなった[113]

このような観測の科学的価値への疑義は生じたが、結果的には欧米各国はニュージランドから南アフリカに至る世界各地に観測隊を派遣した[81]。各国の観測計画を調整するための国際会議が1881年10月にパリで開かれ、14の国が参加した[112]。アメリカもパリの会議には出席しなかったが、観測隊の派遣は継続して行うこととした[112]。ニューカムも観測隊の1つを率いて南アフリカのウェリントンで観測を行っている[114]

スモークガラスの破片で日面通過を見ようとする子供たち(ジョン・ジョージ・ブラウンの絵画)

1874年と異なり、この年の日面通過はヨーロッパとアメリカでも観察可能で、町の広場に望遠鏡が置かれ、多くの人たちが観察する盛り上がりを見せた[99]ニューヨークタイムズは、1881年から83年にかけて継続的に金星日面通過の記事を出し続けた[115]。記事では、日面通過の観測の歴史や観測方法の解説、1882年の各国の観測計画や結果が伝えられ、当時の日面通過への興味の高まりを示している[115]。アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザは、このときの日面通過に触発されて Transit of Venus March を作曲した[116]

アメリカ海軍天文台による1882年の観測結果は、1874年と比較すると良い観測結果であった[117]。集められた観測写真の数も1380枚に上った[117]。アメリカでの観測結果から、ハークネスが1889年に8.842±0.0118秒という太陽視差の値を報告した[111]。また、1895年にはニューカムが、18世紀と19世紀の4回の日面通過の記録から8.794±0.0018秒という値を報告した[111]。ただし、金星日面通過以外の方法も含めた様々な太陽視差決定結果の中では、プルコヴォ天文台による光行差を利用して得られた値を最も重要性が高いとし、金星日面通過によって得られた値の重要性は低いとニューカムはまとめている[118]

21世紀

2004年

NASAの太陽観測衛星TRACEが記録した2004年の日面通過の様子

次の金星の日面通過は、前回から1世紀の間を空け、2004年6月8日に発生した。前回から科学技術が発展し、金星・地球間の距離がレーダーによって直接測定可能となり、日面通過によって天文単位を求める必要は無くなった[70]。1961年と62年の金星に対するレーダー観測から、天文単位の値が 149 596 000 km から 149 601 000 kmの範囲と求められた[25]。2016年現在では、天文単位の値は実測値ではなく一定に固定された定義値となっており、その値は前述のとおり 149 597 870.700 km となっている。

日面通過の科学的重要性は小さくなったが、非常に稀な天文イベントは世界中の多くの人の興味を引き付けた[119]ヨーロッパ南天天文台European Association for Astronomy Educationが中心となって、金星の日面通過を題材として "VT-2004" というインターネットを通じた国際的な教育プログラムが行われた。日面通過観測に関連する企画を通じて科学への興味や知識の向上に役立てることを目的としたもので[120]、 参加者から日面通過における4つの接触の観測結果を集め、天文単位を古典的な方法で再計算することも1つの目標とした[119]。1,510人の登録参加者から4,550個の接触時刻の記録が送られ、149 608 708±11 835 km という値が計算された[119]

接触の様子を記録した2つの連続写真。左の"質の悪い"写真ではブラックドロップ現象がよく見て取れる。

ブラック・ドロップ効果が見られるかどうかも関心の的となった。18世紀・19世紀に報告されたブラック・ドロップ効果の主原因は、望遠鏡の性能によるものという見方が主流となっている[121]。VT-2004 へ参加した多くの観察者たちは接触の時刻を特定するのに支障は無かったと報告しており、提出された多くの写真でもブラック・ドロップ効果のような現象は起きていなかった[122]。学術的な研究も行われ、ジェイ・パサチョフ英語版らは、NASAの太陽観測衛星「TRACE」による2004年の金星日面通過の観測結果を、1999年の水星の日面通過の観測結果と合わせて分析し、望遠鏡の性能だけでなく太陽の周辺減光もブラック・ドロップ効果の原因の一つと結論付けた[123]

また、2004年の日面通過の際には、金星が太陽の光の一部を遮る時の光のパターンを測定することで太陽系外惑星の捜索に使う技術を洗練させようという試みに多くの科学者たちが挑戦した[99][124]。他の恒星の周囲を廻っている惑星を探すための現在の方法は、我々が固有運動の変化や視線速度の変化によるドップラー効果を発見できるほどその重力が十分に恒星を揺さぶるほどの非常に大きな惑星(木星サイズであり、地球サイズではない)にのみ有効である。惑星が一部の光を遮ることから、日面通過の進行中に光の強度を測定することで潜在的には遥かに高感度に小さな惑星を探索できる。しかし、極端に厳密な測定が必要である。例えば、金星の日面通過によって太陽の光度は0.001等級だけ暗くなる。小さな太陽系外惑星による減光の度合いは同じぐらい小さなものと考えられている[125]

2012年

次の金星の日面通過は2012年6月5日から6月6日にかけて発生した。前回に引き続いて世界中の人たちが、この天文イベントを観察した[126]

JAXAらの太陽観測衛星「ひので」は日面通過の様子を超高解像度で撮影を行った[127]。得られた画像は、オレオール現象と呼ばれる黒い金星を包む細い光の環を捉えている[127]。この現象は、金星が太陽面上を通過するときに太陽光が金星の大気中で屈折することで発生する[128]。1761年に日面通過を観測して金星の大気を予測したミハイル・ロモノーソフは、この現象を観測して大気の存在を予測したと考えられている[128]

また、フランスの天文学者が中心となって "Venus Twilight Experiment" と呼ばれる研究プロジェクトが立ち上げられ、オレオール現象を利用して金星の大気への理解を深めることなどを目標とした観測・研究が行われた[129]。オレオール現象は2004年にも現れたが、現象を捉えて分析するための観測の最適化が整っていなかった[130]。世界の観測可能地域へメンバーが「現代的な」遠征をして観測を行った。成果としては、金星を周回する探査機ビーナス・エクスプレスによる大気の鉛直温度分布の観測を補完するなどの結果が得られている[131]

次の金星の日面通過は、2117年12月10日から11日にかけて起こる。

過去と未来の日面通過

以下の表では例として、ケプラーが予測した1631年から25世紀最後までについて、金星の日面通過の発生日・時刻・主な観測可能地域を示している。

発生の一覧(1631年から2498年まで)
発生日 時刻(UTC注1 主な観測可能地域 注2 出典
開始 中央 終了
1631年12月7日 03:51 05:19 06:47

途中から:アフリカ中央部
全過程:アジアの大部分、オセアニアの大部分
途中まで:オセアニア西部

[132]
1639年12月4日 14:57 18:25 21:54

途中から:オセアニア、北アメリカ北西部
全過程:北アメリカ中央部、南アメリカ東部
途中まで:南アメリカ西部、アフリカ、ヨーロッパ西部

[34]
1761年6月6日 02:02 05:19 08:37

途中から:アフリカ、ヨーロッパの大部分
全過程:アジア、オセアニア西部
途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西部

[133]
1769年6月3日
- 6月4日
19:15 22:25 01:35

途中から:アジアの大部分、オセアニア東部
全過程:オセアニア西部、北アメリカ西部
途中まで:北アメリカ東部、南アメリカ

[134]
1874年12月9日 01:49 04:07 06:26

途中から:アフリカの大部分、アジア西部
全過程:アジア東部、オセアニア西部
途中まで:オセアニア東部

[96]
1882年12月6日 13:57 17:06 20:15

途中から:オセアニア西部、北アメリカ西部
全過程:北アメリカ東部、南アメリカ
途中まで:アフリカ、ヨーロッパ

[135]
2004年6月8日 05:13 08:20 11:26

途中から:北アメリカ東部、南アメリカの大部分、アフリカ東部
全過程:アフリカの大部分、ヨーロッパ、アジアの大部分
途中まで:アジア東南部、オセアニア

[136]
2012年6月5日
- 6月6日
22:09 01:29 04:49

途中から:アフリカ東部、ヨーロッパ、アジア西部
全過程:アジア東部、オセアニアの大部分
途中まで:北アメリカの大部分、南アメリカ東部

[137]
2117年12月10日
- 12月11日
23:58 02:48 05:38

途中から:アフリカ東部、アジア西部
全過程:アジア東部、オセアニアの大部分
途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西端、南アメリカ南端

[138]
2125年12月8日 13:15 16:01 18:48

途中から:オセアニア東部、北アメリカ西部
全過程:北アメリカ東部、南アメリカ
途中まで:アフリカ、ヨーロッパ

[139]
2247年6月11日 08:42 11:33 14:25

途中から:北アメリカの大部分、南アメリカの大部分
全過程:アフリカ、ヨーロッパ、アジア西部
途中まで:アジア東部、オセアニア西部

[140]
2255年6月9日 01:08 04:38 08:08

途中から:アフリカ、ヨーロッパ、アジア西部
全過程:アジアの大部分、オセアニア西部
途中まで:オセアニア東部、北アメリカの大部分

[141]
2360年12月12日
- 12月13日
22:32 01:44 04:56

途中から:アフリカ東部、アジアの大部分
全過程:アジア東南部、オセアニアの大部分
途中まで:オセアニア東部、北アメリカ西部、南アメリカ南西部

[142]
2368年12月10日 12:29 14:45 17:01

途中から:オセアニア東部、北アメリカ西部
全過程:北アメリカ東部、南アメリカ、アフリカ西部
途中まで:ヨーロッパ西部、アフリカ東部、アジア西部

[143]
2490年6月12日 11:39 14:17 16:55

途中から:オセアニア東部、北アメリカ西端、南アメリカ南端
全過程:北アメリカの大部分、南アメリカの大部分、アフリカ西部、ヨーロッパ
途中まで:アフリカ東部、アジア

[144]
2498年6月10日 03:48 07:25 11:02

途中から:北アメリカ東部、南アメリカ東部、アフリカ西部
全過程:ヨーロッパの大部分、アジアの大部分、アフリカ東部
途中まで:アジア東南部、オセアニア

[145]
  • 出典:日付と時刻はNASA[16]による。観測可能地域はHMNAO(表内の各出典)による。
  • 注1:「開始」は第1接触を、「中央」は食の最大を、「終了」は第4接触を意味する。
  • 注2:「途中から」は日面通過の途中から観測可能になることを、「途中まで」は日面通過の途中まで観測可能であることを意味する。

特殊な日面通過

太陽面をかすめる日面通過

時々、天体が太陽をかすめていくだけの日面通過がある。この通過では、地球上のある地域では完全な日面通過を見ることができる一方、他の地域では第2接触や第3接触が無い部分的な日面通過でを見ることになる[146]。1999年の水星の日面通過は、このような太陽面をかすめる日面通過(英語ではgrazing transit)であった[146]。金星の日面通過では、2854年12月14日の通過がこの種類のものになると予測される[16]

同時日面通過

21世紀現在、金星の日面通過が起こる時期は6月上旬と12月上旬、水星の日面通過が起こる時期は5月上旬と11月中旬にとなっており、それらが同時に起こることは無い[147]。しかし、地球と水星の交点位置と地球と金星の交点位置は変化しており、ごく僅かずつであるが互いに近づいている。そのため、非常に遠い未来であれば、金星と水星の同時日面通過が起こることが予測される[147]ジャン・メーウスとアルド・ビタグリアーノの計算によれば、力学時で69163年7月26日および224508年3月27日に、このような極めて稀な同時日面通過が発生する[148]。この頃には力学時と協定世界時の差は大きくなっており、協定世界時では69163年3月頃と224504年4月頃にそれらが発生することになる[148]

日食と金星の日面通過が同時に起こることも、非常に稀であるが存在する。同じくメーウスとビタグリアーノによれば、これも非常に遠い未来に発生する見込みで、力学時で15232年4月5日に皆既日食と金星の日面通過の同時発生が起きる[149]。同時発生ではないが、過去には1769年6月4日の金星日面通過で、日面通過に引き続いて皆既日食が起きたことが報告されている[150]。このときの日食は、金星日面通過の終了から約7時間後に発生していた[16][151]

その他

紀元前90353年2月7日4時34分から始まる金星の日面通過は、前後1週間の間に8回も天体の日面通過がある特殊な1週間である。1日に月と地球で水星の日面通過[152][153]、3日に土星水星の日面通過[154]、7日に地球と月と土星で金星の日面通過[155][156][157]、8日に土星月と地球の同時日面通過が発生していたと計算されている[158][159]

題材とする文化芸術

ジョン・フィリップ・スーザの行進曲 Transit of Venus March
『塔上の二人』(原題:Two on a Tower
1882年のトーマス・ハーディによる小説。金星の日面通過観測に関わるアマチュアの天文学者を主役の一人とした恋愛小説で、当時の金星日面通過への関心の高まりの例として挙げられる[160]
Transit of Venus March
1882年から1883年に発表されたジョン・フィリップ・スーザの行進曲。スーザが1882年の日面通過に興味を持ったことから作曲されたものだが、日面通過自体を祝うものではなく、スーザは1878年に死去した物理学者のジョセフ・ヘンリーを称えるために作曲した[116]
Transit of Venus
1992年のモーリン・ハンター (Maureen Hunter) による演劇。1761年と1769年の日面通過観測に派遣されたギヨーム・ル・ジャンティの地球上の様々な場所での努力を脚色したものである。2007年には同名でオペラ化された[161]
The Transit of Venus
2009年に発売されたイギリスのTVドラマ『ドクター・フー』のオーディオブック。日面通過観測のためにジェームズ・クックが航海していた1770年を舞台にする[162]
Transit of Venus
2012年に発売されたカナダのロックバンドスリー・デイズ・グレイスの音楽アルバム。日面通過が起きた当日の2012年6月5日にタイトルと発売日が発表された[163]。2014年のジュノー賞で Rock Album of the Year にノミネートされた[164]

脚注

  1. ^ a b 国立天文台. “2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜(国立天文台)”. 2012年6月6日閲覧。
  2. ^ a b ウルフ 2012, p. 18.
  3. ^ a b 2012年6月6日 金星の太陽面通過”. アストロアーツ. 2016年2月11日閲覧。
  4. ^ 金星”. 国立天文台. 2016年2月11日閲覧。
  5. ^ a b c d 2006年11月9日 水星太陽面通過”. 国立天文台. 2016年2月11日閲覧。
  6. ^ 相馬 充 著「金星の日面経過」、天文年鑑編集委員会 編『天文年鑑2012年版』(初版)誠文堂新光社、2011年、54頁。ISBN 978-4-416-21130-4https://www.seibundo-shinkosha.net/products/detail.php?product_id=3244 
  7. ^ 2004 June 8th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年3月19日閲覧。
  8. ^ 2012 June 5th-6th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年3月19日閲覧。
  9. ^ The 2004 Transit of Venus”. NASA. 2016年2月11日閲覧。
  10. ^ 金星の日面通過、21世紀最後”. ナショナルジオグラフィック (2012年6月6日). 2016年2月11日閲覧。
  11. ^ a b Venus compared to Earth”. European Space Agency (2000年). 2006年9月25日閲覧。
  12. ^ Juergen Giesen (2003年). “Transit Motion Applet”. 2006年9月26日閲覧。
  13. ^ 太陽面通過、星の子館。
  14. ^ a b c Cyclical Nature of the Transits of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g h 国立天文台. “周期的に起こる?”. 2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜(国立天文台). 2012年6月6日閲覧。
  16. ^ a b c d e f g h i Fred Espenak. “Six Millennium Catalog of Venus Transits: 2000 BCE to 4000 CE”. NASA. 2016年2月11日閲覧。
  17. ^ Seven Century Catalog of Mercury Transits: 1601 CE to 2300 CE”. NASA. 2016年2月11日閲覧。
  18. ^ a b c 松下健次郎. “安全な観測のための三箇条”. 2012年5月21日は金環食をみよう! 全国市区町村別 金環日食・部分日食観測ガイド. 2016年3月20日閲覧。
  19. ^ Transit of Venus - Safety”. University of Central Lancashire. 2006年9月21日閲覧。
  20. ^ Fred Espenak. “Eye Safety During Solar Eclipses(Adapted from NASA RP 1383 Total Solar Eclipse of 1998 February 26, April 1996, p. 17.)”. 2006年9月21日閲覧。
  21. ^ 日本天文協議会、財団法人日本眼科学会、社団法人日本眼科医会. “2012年5月21日(月曜日) 日食を安全に観察するために”. p. 5. 2016年3月20日閲覧。
  22. ^ ウルフ 2012, pp. 10, 13–14.
  23. ^ ウルフ 2012, pp. 13–14.
  24. ^ Dr. Carme Jordi (2004年6月2日). “Calculation of the distance between the earth and the Sun from measurements taken in occasion of a transit of Venus”. serviastro.am.ub.edu. 2016年2月11日閲覧。
  25. ^ a b c 相馬 充、1872、「天文学 定数最前線(2)-天文単位」、『天文月報』80巻2号、1872年2月 p. 62
  26. ^ 矢野 太平『拡がる宇宙地図―宇宙の構造はどう解明されてきたか』技術評論社〈知りたい!サイエンス〉、2008年7月25日、88頁。ISBN 978-4-7741-3516-8 
  27. ^ たいようしさ【太陽視差】―大辞林 第三版の解説”. コトバンク. 三省堂. 2016年5月11日閲覧。
  28. ^ 暦の改訂について(2016)”. 暦計算室. 国立天文台天文情報天文情報センター. 2016年4月14日閲覧。
  29. ^ 2015 Selected Astronomical Constants”. The Astronomical Almanac. the U.S. Naval Observatory. 2016年4月23日閲覧。
  30. ^ a b c d e f Robert H. van Gent. “The Transits of Venus of 1631 and 1639”. Transit of Venus Bibliography. 2016年3月22日閲覧。
  31. ^ a b Simaan 2004, p. 247.
  32. ^ HM Nautical Almanac Office. “1631 Transit of Venus”. 2016年3月22日閲覧。
  33. ^ a b Chapman 2004, p. 26.
  34. ^ a b c HM Nautical Almanac Office. “1639 Transit of Venus”. 2016年3月27日閲覧。
  35. ^ トム・ジャクソン 著、平松 正顕 訳『歴史を変えた100の大発見 宇宙―果てのない探索の歴史』丸善出版、2014年10月30日、30頁。ISBN 978-4-621-08857{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  36. ^ a b Chapman 1994, p. 337.
  37. ^ Chapman 2004, p. 30.
  38. ^ Simaan 2004, pp. 247–248.
  39. ^ Simaan 2004, p. 248.
  40. ^ Chapman 1994, p. 348.
  41. ^ William B. Ashworth, Jr. (2014年12月4日). “Scientist of the Day - William Crabtree and Jeremiah Horrocks”. Linda Hall Library. 2016年3月27日閲覧。
  42. ^ Chapman 2004, p. 31.
  43. ^ Pogge, § Edmund Halley Plans Ahead.
  44. ^ ウルフ 2012.
  45. ^ ウルフ 2012, pp. 11, 15–16.
  46. ^ ウルフ 2012, pp. 24, 28.
  47. ^ Simaan 2004, pp. 248–249.
  48. ^ ウルフ 2012, p. 31.
  49. ^ 国立天文台. “地球-太陽間距離を求める”. 2012年6月6日 〜21世紀最後の「金星の太陽面通過」〜. 2016年4月2日閲覧。
  50. ^ a b c d e Simaan 2004, p. 249.
  51. ^ ウルフ 2012, pp. 6–7.
  52. ^ MEASURING THE UNIVERSE: THE 1761 AND 1769 TRANSITS”. Chasing Venus: Observing the Transits of Venus 1631-2004. Smithsonian Libraries. 2016年4月2日閲覧。
  53. ^ a b c Pogge, § The First Transit: 1761 June 6.
  54. ^ Pogge, § The Venus Transit Expeditions of 1761 and 1769.
  55. ^ キティー・ファーガソン 著、加藤賢一 訳『宇宙を測る―宇宙の果てに挑んだ天才たち』講談社〈ブルーバックス〉、2002年2月20日、129頁。ISBN 4-06-257361-X 
  56. ^ ウルフ 2012, pp. 30, 36.
  57. ^ a b Edwin Danson (2002年1月). “"Mason, Charles, and Jeremiah Dixon"”. American National Biography Online. Oxford University Press. 2016年4月3日閲覧。
  58. ^ ウルフ 2012, pp. 91, 112–113.
  59. ^ ウルフ 2012, pp. 40–41.
  60. ^ ウルフ 2012, pp. 42–43, 51–53, 101–103.
  61. ^ ウルフ 2012, p. 67.
  62. ^ ウルフ 2012, pp. 73–74.
  63. ^ ウルフ 2012, pp. 74.
  64. ^ ウルフ 2012, p. 148.
  65. ^ Alvin Powell (2012年5月29日). “The last dance between Venus and the sun”. Harvard Gazette. The President and Fellows of Harvard College. 2016年4月9日閲覧。
  66. ^ ウルフ 2012, pp. 80–83.
  67. ^ ウルフ 2012, pp. 110–111, 116–118.
  68. ^ Mikhail Ya. Marov (2004). “Mikhail Lomonosov and the discovery of the atmosphere of Venus during the 1761 transit”. Proceedings of the International Astronomical Union (Cambridge University Press): 209–219. http://adsabs.harvard.edu/full/2005tvnv.conf..209M. 
  69. ^ Jay M. Pasachoff, Glenn Schneider, and Leon Golub (June 2004). “The black-drop effect explained”. Proceedings of the International Astronomical Union (International Astronomical Union) (196): 243–244. doi:10.1017/S1743921305001420. 
  70. ^ a b c Pogge, § The Venus Transit Data (remember that?).
  71. ^ Cottam et al. 2012, p. 184.
  72. ^ ウルフ 2012, p. 134.
  73. ^ a b c d Pogge, § The Second Transit: 1769 June 3-4.
  74. ^ ウルフ 2012, pp. 140–141.
  75. ^ ウルフ 2012, pp. 160.
  76. ^ ウルフ 2012, pp. 183–184.
  77. ^ ウルフ 2012, pp. 115, 188–191.
  78. ^ Silvio A. Bedini. "Rittenhouse, David"; http://www.anb.org/articles/13/13-01396.html; American National Biography Online Feb. 2000. Access Date: Mon Apr 11 2016 21:24:10 GMT+0900
  79. ^ ウルフ 2012, pp. 152–158.
  80. ^ Andrea Wulf (2016年2月12日). “Venus, the Best and Brightest”. The Atlantic Monthly Group. 2016年4月11日閲覧。
  81. ^ a b c d e f g h i Simaan 2004, p. 250.
  82. ^ Simone Dumont; Monique Gros (2013). “The Important Role of the Two French Astronomers J.-N. Delisle and J.-J. Lalande in the Choice of Observing Places during the Transits of Venus in 1761 and 1769”. The Journal of Astronomical Data (Sliedrecht, the Netherlands : Twin Press) 19: 209–219. ISSN 1385-3945. http://www.vub.ac.be/STER/JAD/JAD19/jad19_1/jad19_1n.pdf. 
  83. ^ a b ウルフ 2012, pp. 244–245.
  84. ^ ウルフ 2012, pp. 145–146.
  85. ^ Hudon 2004, p. 11.
  86. ^ ウルフ 2012, pp. 166.
  87. ^ Hudon 2004, p. 12.
  88. ^ クック【James Cook】―世界大百科事典 第2版の解説”. コトバンク. 日立ソリューションズ・クリエイト. 2016年4月13日閲覧。
  89. ^ Hudon 2004, pp. 14–15.
  90. ^ Hudon 2004, p. 15.
  91. ^ ウルフ 2012, pp. 258.
  92. ^ Hudon 2004, pp. 15–16.
  93. ^ a b Hudon 2004, p. 16.
  94. ^ Dick et al. 1998, p. 226.
  95. ^ a b Christine Allen (2004). “The Mexican expedition to observe the 8 December 1874 transit of Venus in Japan”. Proceedings of the International Astronomical Union (International Astronomical Union) (196): 111–123. doi:10.1017/S1743921305001316. 
  96. ^ a b c HM Nautical Almanac Office. “1874 December 9th Transit of Venus”. 2016年4月23日閲覧。
  97. ^ Cottam et al. 2012, p. 183.
  98. ^ Canales 2002, p. 588.
  99. ^ a b c Kiss of the goddess”. The Economist. The Economist Newspaper Limited (2004年5月27日). 2016年3月20日閲覧。
  100. ^ Canales 2002, p. 594.
  101. ^ 松村 巧『日本天文名所旧跡案内』1982年9月10日、108-109頁。 
  102. ^ a b 日本天文学会百年史編纂委員会 編『日本の天文学の百年』(初版)丸善出版、2008年3月25日、6-7頁。ISBN 978-4-7699-1078-7http://www.kouseisha.com/book/b212282.html 
  103. ^ 金星の太陽面通過”. 明石市立天文科学館. 2016年2月11日閲覧。
  104. ^ a b 中村 士『東洋天文学史』丸善出版〈サイエンス・パレット〉、2014年10月30日、194-195頁。ISBN 978-4-621-08862-3 
  105. ^ Canales 2002, pp. 603–304.
  106. ^ a b 米田 昭二郎、1996、「日本燐寸工業の父: 清水誠 (<特集>科学風土記 : 沖縄から北海道まで)」、『化学と教育』44巻1号、日本化学会 pp. 28-29
  107. ^ a b 箱岩 英一、2004、「測量・地図歴史散歩 3 日本の経度は金星日面経過観測から」、『測量』4号、日本測量協会 pp. 28-29
  108. ^ Dick et al. 1998, p. 240.
  109. ^ Hudon 2004, p. 18.
  110. ^ Dick et al. 1998, p. 241.
  111. ^ a b c Dick et al. 1998, p. 223.
  112. ^ a b c Cottam et al. 2012, p. 185.
  113. ^ Dick et al. 1998, p. 242.
  114. ^ Simaan 2004, pp. 250–251.
  115. ^ a b Cottam et al. 2012, pp. 192–196.
  116. ^ a b Alex Young; Bryan Stephenson. “John Philip Sousa's March”. Transit of Venus, Sun-Earth Day 2012. NASA. 2016年4月3日閲覧。
  117. ^ a b Hudon 2004, p. 19.
  118. ^ Dick et al. 1998, pp. 248–249.
  119. ^ a b c ESO (2004年11月2日). “Summing Up the Unique Venus Transit 2004 (VT-2004) Programme”. 2016年5月2日閲覧。
  120. ^ ESO. “ESO - Introduction”. 2016年5月2日閲覧。
  121. ^ David Shiga (2012年5月25日). “The Disappearing Black Drop”. F+W Media, Inc.. 2016年5月3日閲覧。
  122. ^ The "Black Drop" Phenomenon”. ESO. 2016年5月3日閲覧。
  123. ^ Jay M. Pasachoff, Glenn Schneider, and Leon Golub (June 2004). “The black-drop effect explained”. Proceedings of the International Astronomical Union (International Astronomical Union) (196): 243–244. doi:10.1017/S1743921305001420. 
  124. ^ Maggie McKee (2004年6月6日). “Extrasolar planet hunters eye Venus transit”. New Scientist. 2006年9月27日閲覧。
  125. ^ Fred Espenak (2002年6月18日). “2004 and 2012 Transits of Venus”. NASA. 2006年9月25日閲覧。
  126. ^ Venus transiting the sun – in pictures”. The Guardian (2012年6月6日). 2016年5月3日閲覧。
  127. ^ a b c A Black Shape Passing Across the Face of the Sun—The 2012 Transit of Venus”. NAOJ (2014年6月6日). 2016年5月3日閲覧。
  128. ^ a b Venus' Aureole”. ESO. 2016年5月3日閲覧。
  129. ^ Refraction and scattering phenomena during the transit of Venus on June 5-6, 2012”. 2016年5月3日閲覧。
  130. ^ Tony Phillips (2012年6月5日). “The Mysterious Arc of Venus”. NASA. 2016年5月3日閲覧。
  131. ^ Paolo Tanga (2016年4月5日). “The Venus Twilight Experiment – what we learned from the last transit of Venus”. Europlanet. 2016年5月3日閲覧。
  132. ^ 1631 December 7th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  133. ^ 1761 June 6th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  134. ^ 1769 June 3rd-4th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  135. ^ 1882 December 6th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  136. ^ 2004 June 8th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  137. ^ 2012 June 5th-6th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  138. ^ 2117 December 11th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  139. ^ 2125 December 8th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  140. ^ 2247 June 11th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  141. ^ 2368 December 10th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  142. ^ 2368 December 10th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  143. ^ 2368 December 10th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  144. ^ 2490 June 12th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  145. ^ 2498 June 10th Transit of Venus”. HM Nautical Almanac Office. 2016年5月6日閲覧。
  146. ^ a b Fred Espenak (2003年5月5日). “1999 Transit of Mercury”. NASA. 2016年5月18日閲覧。
  147. ^ a b Meeus et al. 2004, p. 132.
  148. ^ a b Meeus et al. 2004, p. 133.
  149. ^ Meeus et al. 2004, p. 134.
  150. ^ de La Lande, M.; Charles Messier, M. (1769). “Observations of the Transit of Venus on 3 June 1769, and the Eclipse of the Sun on the Following Day, Made at Paris, and Other Places. Extracted from Letters Addressed from M. De la Lande, of the Royal Academy of Sciences at Paris, and F. R. S. to the Astronomer Royal; And from a Letter Addressed from M. Messier to Mr. Magalhaens”. Philosophical Transactions(1683–1775) 59: 374–377. http://www.jstor.org/stable/105848. 
  151. ^ Fred Espenak. “Catalog of Solar Eclipses: 1701 to 1800”. NASA. 2016年5月18日閲覧。
  152. ^ Transits of Mercury from Moon Fourmilab
  153. ^ Transits of Mercury from Earth Fourmilab
  154. ^ Transits of Mercury from Saturn Fourmilab
  155. ^ Transits of Venus from Earth Fourmilab
  156. ^ Transits of Venus from Moon Fourmilab
  157. ^ Transits of Venus from Saturn Fourmilab
  158. ^ Transits of Earth from Saturn Fourmilab
  159. ^ Transits of Moon from Saturn Fourmilab
  160. ^ Jessica Ratcliff (2008). The Transit of Venus Enterprise in Victorian Britain. Routledge. p. 165. ISBN 978-1851965410. https://books.google.co.jp/books?id=LWhECgAAQBAJ&pg=PA165&lpg=165#v=onepage&q&f=false 
  161. ^ Transit of Venus”. Manitoba Opera. 2016年4月3日閲覧。
  162. ^ 3.7. The Transit of Venus”. Doctor Who - The Companion Chronicles. Big Finish Productions. 2016年4月3日閲覧。
  163. ^ Mary Ouellette (2012年6月5日). “Three Days Grace Announce New Album Title and Release Date”. LOUDWIRE.COM. Townsquare Media. 2016年4月3日閲覧。
  164. ^ Rock Album of the Year 2014”. The Canadian Academy of Recording Arts and Sciences. 2016年4月3日閲覧。

参考文献

※文献内の複数個所に亘って参照したものを示す。

関連項目

外部リンク