「六島 (岡山県)」の版間の差分

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|画像説明=岡山県最古の六島灯台
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'''六島'''(むしま)は、[[日本]]の[[瀬戸内海]]にある有人島のひとつで、[[岡山県]][[笠岡市]]属す[[笠]]の[[]]である
'''六島'''(むしま)は、[[日本]]の[[瀬戸内海]]にある[[笠岡諸島]]の有人島のひとつ[[岡山県]]の最南端なっている<ref name="PREF-山-六"/><ref name="岡山大百科-六"/>


[[横溝正史]]の『[[獄門島]]』([[金田一耕助|金田一耕助シリーズ]])の舞台として知られている<ref name="小学校-六島"/>。

同島を範囲とする笠岡市の大字については[[六島 (大字)]]を参照。
== 概要 ==
== 概要 ==
[[ファイル:笠岡諸島の六島.png|right|180px|thumb|[[笠岡諸島]]の全体図]]
岡山県および笠岡諸島の最南端に位置し、[[香川県]]と[[広島県]]の海域と接する。また、島の南側は潮流の速い海峡となっている。島の面積は 1.02 [[平方キロメートル|km²]] 、周囲は 4.3 [[キロメートル|km]] 、標高は 185 [[メートル|m]] 、人口は 85 人([[2010年|平成22年]]国税調査結果)である<ref name="2013-06-11">{{Cite web |date=2013-06-11 |url=http://www.pref.okayama.jp/kikaku/chishin/ritou/20mushima/index.html |title=岡山県の離島 六島 |publisher=[[岡山県庁]]県民生活部中山間•地域振興課 |accessdate=2015-04-05}}</ref>。
[[ファイル:笠岡諸島六島全景.jpg|thumb|right|300px|北東側から望む六島の全景。向かって右側が湛江港、左側が前浦港。正面には笠松の砂浜が見えている。正面の森の右上に見えている屋根は[[天理教]]の寺院。]]


瀬戸内海の中央部に位置する[[笠岡諸島]]の島の一つで、本州本土の[[笠岡港]]からは直線距離で南へ約22km、航路で約33kmの沖合にある。笠岡諸島の最寄りの[[真鍋島]]からは南西に約7.5km。[[四国]]の[[荘内半島]]先端からは約4.5kmの位置にあたる。六島は岡山県の最南端であり、[[笠岡諸島]]にとっても最南端に位置している<ref name="PREF-岡山-六島"/><ref name="岡山大百科-六島"/><ref name="離島振興4253"/><ref name="角川地名-六島"/><ref name="平凡地名-六島"/>。
== 島内 ==
[[笠岡十名山]]のひとつ大石山があり、その山肌一帯に自生する[[水仙]]と、航路の安全を守るために岡山県で最初に設置された[[灯台]]がある。


六島と荘内半島の間の海域は潮の流れが速い難所として知られ、岡山県内では最初に灯台が設置された<ref name="PREF-岡山-六島"/><ref name="AIR"/><ref name="岡山大百科-六島"/>。
=== 見どころ ===
* 六島灯台 …… [[1922年]]([[大正]]11年)[[12月1日]]に初点灯され、[[1985年]]([[昭和]]60年)に自動化されるまでは灯台職員が常駐していたという歴史を持つ<ref name="2013-06-11"/>。
* 大石山展望台<ref name="2013-06-11"/>
* 水仙<ref name="2013-06-11"/> …… 島東部の斜面や南部の六島灯台周辺を中心に約10万本が群生する<ref>{{Cite news |title=笠岡諸島•六島でスイセン見頃 18、25日にはツアー実施 |newspaper=[[山陽新聞]] |publisher=[[山陽新聞社]] |date=2015-01-13 |url=http://www.sanyonews.jp/article/119965/1/ |accessdate=2015-04-05}}</ref>。


===島の大きさについて===
[[離島振興法]]での指定(平成27年7月現在)をはじめ、多くの資料では六島の面積を1.02km<sup>2</sup>としている<ref name="離島振興法-一覧"/><ref name="シマダス-六島"/>。

[[国土地理院]]では毎年「全国都道府県市区町村別面積調」を公表しており、その付録として面積1km<sup>2</sup>以上の島の一覧と面積を発表しているが、少なくとも2013年以降、六島はここに含まれていない<ref name="GSI-2015TOP20"/><ref name="GSI-2013"/><ref name="GSI-2014"/><ref name="GSI-2015"/>。

島の周囲長についても資料により多少の誤差があり、4.3km<ref name="シマダス-六島"/>、4.58km<ref name="岡山大百科-六島"/><ref name="角川地名-六島"/>、4.6km<ref name="CDM-六島"/>などの数値があげられている。

===人口===
1875(明治8)年の記録では島民550人を数えたが、1977(昭和52)年には半数以下の209人(105戸)、2000年にはさらに半分の117人、2015(平成27)年には77人となっている<ref name="CDM-六島"/><ref name="PREF-岡山-六島"/>。高齢化率は57%(2010年)で、これは笠岡諸島の中では最も低い<ref name="離島振興4253"/>。

==地勢==
[[ファイル:六島の航空写真.jpg|300px|thumb|right|六島の全容]]
[[ファイル:笠岡諸島六島前浦.jpg|300px|thumb|right|前浦港]]
[[ファイル:六島の打越の浜と大鳥鼻.jpg|right|thumb|300px|打越の浜と大鳥鼻]]
島全体は花崗岩でできていて、風化が進んでいる<ref name="離島振興4253"/>。島の中央には'''大石山'''と呼ばれる標高185メートルの山があり、三等三角点「武島」(標高184.95m)が設置されている<ref name="GSI-武島"/>。島のほぼ全周は大石山の斜面が岩崖としてそのまま海に没しているため、平地は乏しい<ref name="角川地名-六島"/><ref name="AIR"/>。大石山は「[[笠岡十名山]]」の一つになっており、山頂付近には展望台が設けられている<ref name="CDM-六島"/><ref name="シマダス-六島"/>。

大石山の南西側の緩斜面に「前浦」地区がひらけている。前浦地区には小学校、仏教寺院、診療所や島内で唯一の商店がある。前浦地区の海岸には[[地方港湾]]の指定を受けている前浦港がある。2000(平成12)年には浮桟橋が新設され、診療船やデイサービス船の寄港が可能になった<ref name="シマダス-六島"/><ref name="CDM-六島"/><ref name="角川地名-六島"/>。

島の東端には標高30メートルほどの丘があり、その北の突端を「角鼻」、南の突端を「大鳥鼻」と呼んでいる。この丘の東側の海岸崖下には「笠松」と呼ばれる小さな砂浜がある。大鳥鼻の西部には「打越」という小さな入り江に面した砂浜があり、大島神社への鳥居と参道が通じている。大石山と、この丘の鞍部から北の湾に面して「湛江」(たたえ)地区があり、北岸に[[第1種漁港]]の指定を受けている湛江港がある<ref name="シマダス-六島"/><ref name="角川地名-六島"/>。

島の南西部には岡山県最古の六島灯台がある。前浦地区から六島灯台へ向かう山道の途中には10万本からなるスイセンの自生地があり、「スイセンロード」という遊歩道として整備されている<ref name="シマダス-六島"/>。1月中旬から下旬にかけて満開となるスイセンは六島の早春の風物詩となっており、その時期には笠岡港からの定期航路に臨時便が出たり、観光ツアーが組まれている<ref name="AIR"/><ref name="山陽新聞20150113"/>。
==公共インフラ==
かつて六島では飲料水は共同の井戸水に依存しており、水の乏しい島だった<ref name="岡山大百科-六島"/>。

1953(昭和28)年に[[離島振興法]]が制定されると、1957(昭和32)年に六島と[[大飛島]]・[[小飛島]]が離島振興法の指定を受けた。これは岡山県内の島では最初のものだった。これにより道路や電気、水道の整備が行われるようになった。上水道は笠岡諸島の神島から整備が始まり、海底敷設管によって各島への飲料水の供給が行われるようになった。六島へは1970年代にこの上水道が開通し、水不足は解消された。しかし近年はこの海底感の老朽化の影響が懸念されている<ref name="シマダス-六島"/><ref name="離島振興4253"/>。汚水処理は整備が遅れている<ref name="離島振興4253"/>。

電気は[[中国電力]]より供給。インターネットは無線によって提供されている<ref name="離島振興4253"/>。

===教育===
[[ファイル:六島中学校.jpg|thumb|right|300px|六島中学校跡]]
*笠岡市立六島小学校 - 前浦地区にある。1885(明治18)年に[[真鍋島|真鍋小学校]]の分教場として開設<ref name="シマダス-六島"/>。1999(平成11)年には作文コンクール最優秀学校賞を受賞した<ref name="シマダス-六島"/>。2003(平成15)年に島で小学生児童のいる唯一の世帯が島外へ転出して児童がゼロになり、休校となった<ref name="小学校-紹介"/><ref name="シマダス-六島"/>。その後2007(平成19)年に新入学児童があり学校が再開<ref name="小学校-紹介"/>、2014(平成26)年5月時点の児童数4<ref name="PREF-岡山_小学校"/>。

*笠岡市立六島中学校 - 生徒減少のため1981(昭和56)年に笠岡東中学校へ統合となった。2003年に中学生がいなくなったため閉所となった<ref name="シマダス-六島"/>。2013(平成25)年3月時点で、六島には中学生が1人おり、本土へのスクールボートが運航されている<ref name="離島振興4253"/>。

===医療・福祉===
大浦地区に診療所があり、[[真鍋島]]から医師が来て2週間に1度診療を行っている<ref name="シマダス-六島"/><ref name="離島振興4253"/>。このほか[[済生丸]]という診療船が巡回している<ref name="離島振興4253"/>。

高齢者介護サービス施設が整備されていなかった[[笠岡諸島]]では、1993(平成5)年に「夢ウエル丸」というデイサービス船が就航した。これは国の地域福祉対策として1億9260万円あまりを投じて建造されたもので、日本初のものだった。就役当初、六島の港には入港不可能だったが、2000(平成12)年に前浦港に浮桟橋を建設して夢ウエル丸の寄港が可能となり、毎月2回運航されていた。しかし船の老朽化と笠岡市の財政悪化によって、2013(平成25)年度いっぱいで退役となり、2014(平成26)年3月末日に前浦港で引退のセレモニーが行なわれた<ref name="夢ウエル丸"/><ref name="シマダス-六島"/>。

幼稚園・保育所は設置されていない<ref name="離島振興4253"/>。

===産業・経済===
[[ファイル:六島の湛江港.jpg|thumb|right|300px|北岸の湛江漁港]]
島は古くから海辺での手繰網などの小規模な漁と、畜産・畑作によって支えられてきた<ref name="平凡地名-六島"/><ref name="岡山大百科-六島"/>。

農耕は主に山の斜面を開墾して段々畑が築かれており、「耕して天にのぼる<ref name="岡山大百科-六島"/>」と称されるほどだった。この段々畑はいまでも六島の特徴的な景観とされている<ref name="岡山大百科-六島"/>。とはいえ、狭く急峻な島では、強風によって吹き上げられた塩の害によって作物が枯死することも多かった。延享元(1744)年には[[ワタ属|木綿]]栽培を試したがやはり立ち枯れたという記録が残っている<ref name="平凡地名-六島"/>。まもなく島の人口が増えすぎて、[[宝暦]]年間(1751-1764)には新たな開墾を行う余地も尽き、ウシを飼う土地も不足するようになった。この結果として海の仕事に従事して出稼ぎを行う島民が増えた<ref name="岡山大百科-六島"/><ref name="平凡地名-六島"/>。

江戸時代の六島は真鍋島の属島の扱いだったので、六島の島民はもっぱら真鍋島の網元に従って漁師として雇われていた。江戸後期には、上方の資本家が進出して六島での漁業経営を試み、真鍋島の網元と縄張り争いに発展した。このほか六島で盛んになったのが「活舟」という活魚輸送の職で、[[淡路島]]を上回って日本一の活舟の島となった<ref name="岡山大百科-六島"/><ref name="平凡地名-六島"/>。

太平洋戦争後は船舶の動力化が進んだため、活舟が廃れるとともに、沿岸漁業も低調となった。近年はノリやフグの養殖などにシフトしたが、土地不足のために養殖用の漁具の保管用地や水産物の荷揚げ用地の不足が課題となっており、港周辺の埋め立てが行われている。そのほか定置網漁や底曳網漁を行っている。<ref name="角川地名-六島"/><ref name="湛江漁港"/>。

==交通==
* 前浦港([[地方港湾|地方港]])
* 湛江(たたえ)漁港([[第1種漁港]])

===六島への定期便===
本州本土の[[笠岡港]]と六島を結ぶ定期航路として、六島航路有限会社による「六島航路」、三洋汽船による航路がある<ref name="航路"/>。三洋汽船は六島の2つの港(湛江港・前浦港)と[[飛島 (岡山県)|飛島]]・[[真鍋島]]・[[高島 (岡山県笠岡市)|高島]]・[[神島 (笠岡市)|神島]]・[[笠岡港]]を結んでおり、六島へは往復各4便が運行されている<ref name="三洋航路"/>。六島航路は曜日や学校の休校日によって運行本数が異なっており、1-3便が運行されている<ref name="六島航路"/>。笠岡までの所要時間は40分から85分<ref name="離島振興4253"/>。

===六島灯台===
海峡を望む南の丘の上に設置されている'''六島灯台'''は岡山県で最古の灯台である。六島と荘内半島の間の海峡は古くから瀬戸内海を東西に走る航路の幹線ルートが通っており、大型船舶が頻繁に航行する。しかしこの海峡は非常に潮の流れが速く、海難事故の多い海域だった。そのため1922(大正11)年に岡山県では初となる灯台が設置され、さらに霧信号所と無線方位信号所も併設された<ref name="PREF-岡山-六島"/><ref name="AIR"/><ref name="岡山大百科-六島"/>。

この海峡では、1867(慶応3)年に[[海援隊]]の[[いろは丸]]と[[紀州藩]]の軍艦との衝突沈没事故が起きており、乗り合わせていた[[坂本龍馬]]らが巨額の賠償を求めて係争となった<ref name="産経WEST_20130818"/>。これは日本で最初の[[海難審判]]事故とされており、[[近江屋事件]]の遠因になったとする者もいる<ref name="産経WEST_20130901"/>。

周辺海域は[[第六管区海上保安本部]][[水島海上保安部]]が受け持っている<ref name="水島海上保安部"/>。
==歴史==
[[ファイル:Alley of Island Musima.jpg|thumb|150px|right|前浦地区の路地]]
===年表===
*1867(慶応{{0}}3) - いろは丸事件
*1885(明治18) - 小学校分教場(六島小学校)設置
*1922(大正11) - 六島灯台設置<ref name="角川地名-六島"/>
*1957(昭和32) - [[離島振興法]]の指定を受ける(8月14日)<ref name="離島振興4253"/>
*1981(昭和56) - 中学校が統合
*1982(昭和57) - 笠岡市「大字六島」となる(それまでは大字真鍋島)<ref name="角川地名-六島"/>
*1985(昭和60) - 六島灯台が無人化される
*2000(平成12) - 前浦港に浮桟橋が新設され、診療船[[済生丸]]やデイサービス船「夢ウエル丸」の寄港が可能になる
*2003(平成15) - 小学校・中学校が休校
*2007(平成19) - 小学校が再開
*2014(平成26) - 夢ウエル丸引退式が行われる
==文化==
=== 島を舞台にした作品 ===
=== 島を舞台にした作品 ===
* 『[[獄門島]]』 [[横溝正史]] 原作の長編[[推理小説]]) …… [[1977年]](昭和52年)版の[[獄門島 (1977年の映画)|映画]]では、[[ロケーション撮影|ロケ]]行われている<ref>{{Cite book |和書 |author=[[岡山商工会議所]] |editor=吉備人出版編集部 |year=2005 |title=岡山文化観光検定試験 公式参考書要点整理 |publisher=吉備人出版 |page=32 |isbn=4-86069-108-3 }}</ref>。
* 『[[獄門島]]』 - [[金田一耕助]]が登場する[[横溝正史]]の長編[[推理小説]]。事件の舞台として、「笠岡の島々の南端」「笠岡港から南方へ7[[]](約27km)」「岡山県・広島県・香川県県境」という描写で登場する<ref name="博物事典-六島"/>。作者の横溝正史が実際に六島を訪れたという記録はなく、伝聞や想像に基づいて書かれたと考えられている<ref name="博物事典-六島"/>。[[市川崑]]による[[獄門島 (1977年の映画)|1977年の映画化作品]]では、六島の港で[[ロケーション撮影|撮影]]行われ<ref>{{Cite book |和書 |author=[[岡山商工会議所]] |editor=吉備人出版編集部 |year=2005 |title=岡山文化観光検定試験 公式参考書要点整理 |publisher=吉備人出版 |page=32 |isbn=4-86069-108-3 }}</ref><ref name="博物事典-六島"/>。


== 交通 ==
==島の風景==
<gallery>
* 湛江港
ファイル:六島の湛江の路地.jpg|六島・湛江の路地
* 前浦港
ファイル:六島灯台.jpg|岡山県最古の六島灯台
</gallery>
=== アクセス ===
* 六島航路 ([[笠岡港]]〈住吉港〉から定期船が毎日3便あり<ref name="2013-06-11"/>)


== 脚注 ==
==脚注==
===注釈===
{{脚注ヘルプ}}
<references group="注"/>
<!-- === 注釈 ===
===出典===
{{Reflist|group="注"}} -->
{{Reflist|colwidth=30em
|refs=
<!--★国土地理院★ -->
*<ref name="GSI-2015">[[国土地理院]] 平成27年全国都道府県市区町村別面積調 {{PDFlink|[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201510/shima.pdf 付3 島面積(平成27年10月1日版)]}} 2016年6月3日閲覧。</ref>
*<ref name="GSI-2014">[[国土地理院]] 平成26年全国都道府県市区町村別面積調 {{PDFlink|[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201410/shima.pdf 島面積(平成26年10月1日版)]}} 2016年6月3日閲覧。</ref>
*<ref name="GSI-2013">[[国土地理院]] 平成25年全国都道府県市区町村別面積調 {{PDFlink|[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201310/shima.pdf 島面積(平成25年10月1日版)]}} 2016年6月3日閲覧。</ref>
*<ref name="GSI-2015TOP20">[[国土地理院]] 平成27年全国都道府県市区町村別面積調 {{PDFlink|[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201510/large_shima.pdf 付4 島面積20傑(平成27年10月1日版)]}} 2016年6月3日閲覧。</ref>
*<ref name="GSI-武島">[[国土地理院]] 基準点成果等閲覧サービス 三等三角点「武島」(基準点コードTR35133346201)</ref>

<!--★官公庁★-->
*<ref name="水島海上保安部">[[第六管区海上保安本部]] [[水島海上保安部]] [http://www.kaiho.mlit.go.jp/06kanku/mizushima/gyoumu/gyoumu_1.htm 水島海上保安部 の紹介] 2016年7月10日閲覧。</ref>

<!--★岡山県★-->
*<ref name="PREF-岡山-六島">{{Cite web |date=2016-03-11 |url=http://www.pref.okayama.jp/site/271/456770.html |title=岡山県の離島 六島(笠岡市・笠岡諸島地域) |publisher=[[岡山県庁]]県民生活部中山間•地域振興課 |accessdate=2016-07-10}}</ref>
*<ref name="AIR">岡山県庁 {{PDFlink|[http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/437849_2902255_misc.pdf 笠岡諸島AIR] 2016年7月10日閲覧。}}</ref>
*<ref name="離島振興4253">岡山県庁 {{PDFlink|[http://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/206101.pdf 岡山県離島振興計画] 2016年7月10日閲覧。}},p42-53</ref>
*<ref name="湛江漁港">岡山県庁 笠岡市{{PDFlink|[http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/60180_249120_misc.pdf 湛江漁港(笠岡市六島)公有水面埋立出願について] 2016年7月10日閲覧。}},p42-53</ref>



*<ref name="シマダス-六島">『日本の島ガイド SHIMADAS』p310-312「六島」</ref>

*<ref name="離島振興法-一覧">[[国土交通省]] 離島振興 {{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/common/001098365.pdf 離島振興対策実施地域一覧] 2016年7月10日閲覧。}}</ref>

*<ref name="CDM-六島">NPO法人 CDM JAPAN 笠岡諸島物語 [http://okayama.terra-aqua.jp/mushima_detail.html 六島編] 2016年7月10日閲覧。</ref>

*<ref name="岡山大百科-六島">『岡山県大百科事典』下巻p958「六島」</ref>
*<ref name="角川地名-六島">『角川日本地名大辞典33 岡山県』p1112「六島」</ref>
*<ref name="平凡地名-六島">『岡山県の地名 (日本歴史地名大系)』p828「六島」</ref>
*<ref name="博物事典-六島">『島の博物事典』p598「六島」</ref>
*<ref name="山陽新聞20150113">{{Cite news |title=笠岡諸島•六島でスイセン見頃 18、25日にはツアー実施 |newspaper=[[山陽新聞]] |publisher=[[山陽新聞社]] |date=2015-01-13 |url=http://www.sanyonews.jp/article/119965/1/ |accessdate=2016-07-10}}</ref>

<!--★航路★-->
*<ref name="航路">一般社団法人 日本旅客船協会 瀬戸内海 [http://www.jships.or.jp/route_detail.php?lang=ja&mapID=setonaikai04&routeID=r00459#r00459 笠岡周辺 詳細図] 2016年7月10日閲覧。</ref>
*<ref name="六島航路">NPO法人 CDM JAPAN 笠岡諸島物語 [http://okayama.terra-aqua.jp/japanese/mushima.html 六島航路] 2016年7月10日閲覧。</ref>
*<ref name="三洋航路">三洋汽船株式会社 [http://www.sanyo-kisen.com/company11.html 笠岡 ~ 飛島 ~ 六島航路] 2016年7月10日閲覧。</ref>

*<ref name="産経WEST_20130818">産経WEST 2013年8月18日付 [http://www.sankei.com/west/news/130818/wst1308180062-n1.html 坂本龍馬・いろは丸事件(上) 怒りの龍馬、本邦初の「損害賠償」請求提訴へ…海難事故で大量の武器が海の藻くずに(1)] 2016年7月10日閲覧。</ref>
*<ref name="産経WEST_20130901">産経WEST 2013年9月1日付 [http://www.sankei.com/west/news/130901/wst1309010068-n3.html 坂本龍馬・いろは丸事件(下) 龍馬暗殺真相〝異説〟=身内の裏切り?「賠償金7万両」支払い直前に急襲、その金は…(3)] 2016年7月10日閲覧。</ref>

<!--★インフラ★-->
*<ref name="PREF-岡山_小学校">[[岡山県]]生涯学習センター [http://www.pal.pref.okayama.jp/open/center/Detail.php?seirino=2050000066 笠岡市立六島小学校] 2016年7月10日閲覧。</ref>
*<ref name="小学校-紹介">笠岡市立六島小学校 [http://mushima-es.kasaoka-ed.jp/gakoshukai/ 学校紹介] 2016年7月10日閲覧。</ref>
*<ref name="小学校-六島">笠岡市立六島小学校 [http://mushima-es.kasaoka-ed.jp/gakoshukai/mushima/ 六島の紹介] 2016年7月10日閲覧。</ref>
*<ref name="夢ウエル丸">けあとも けあNews 2014年4月4日付 [http://www.caretomo.com/carenews/529 笠岡市 福祉船ありがとう「夢ウエル丸」] 2016年7月10日閲覧。</ref>

}}


=== 出典 ===
===参考文献===
*『日本の島ガイド SHIMADAS』,財団法人日本離島センター,1998,2005(第2版第3刷),ISBN 4931230229
{{Reflist}}
*『[[角川日本地名大辞典]]33 岡山県』,角川日本地名大辞典編纂委員会・編,[[角川書店]],1989,ISBN 9784040013305
*『岡山県の地名 ([[日本歴史地名大系]])』,[[平凡社]],1988,ISBN 9784582490343
*『日本の島事典』,菅田正昭,財団法人日本離島センター,1995,ISBN 9784879195548
*『島の博物事典』,加藤庸二,成山堂書店,2015,ISBN 9784425911516
*『[[都道府県別百科事典|岡山県大百科事典]]』上巻・下巻,[[山陽新聞|山陽新聞社]],1980
*『日本の地形6 近畿・中国・四国』,太田陽子・成瀬敏郎・田中眞吾・岡田篤正/編,[[東京大学出版会]],2004,2009(第3刷),ISBN 9784130647168


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
53行目: 186行目:
== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.mushima.com 六島情報サイト<nowiki>[六島.com]</nowiki>]
* [http://www.mushima.com 六島情報サイト<nowiki>[六島.com]</nowiki>]
* [http://www.pref.okayama.jp/kikaku/chishin/ritou/20mushima/index.html 岡山県の離島 - 六島]
* [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/06kanku/mizushima/mushima_lt/kisyou/index.html 六島灯台 海上保安庁・沿岸域情報提供システム]
* [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/06kanku/mizushima/mushima_lt/kisyou/index.html 六島灯台 海上保安庁・沿岸域情報提供システム]


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2016年7月20日 (水) 06:47時点における版

六島
岡山県最古の六島灯台
所在地 日本岡山県
所在海域 水島灘備後灘瀬戸内海
所属諸島 笠岡諸島
座標 北緯34度18分13.2秒 東経133度31分55.6秒 / 北緯34.303667度 東経133.532111度 / 34.303667; 133.532111
面積 1.02[1][注 1] km²
海岸線長 4.6[1] km
最高標高 185 m
最高峰 大石山
プロジェクト 地形
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六島(むしま)は、日本瀬戸内海にある笠岡諸島の有人島のひとつ。岡山県の最南端になっている[2][3]

横溝正史の『獄門島』(金田一耕助シリーズ)の舞台として知られている[4]

同島を範囲とする笠岡市の大字については六島 (大字)を参照。

概要

笠岡諸島の全体図
北東側から望む六島の全景。向かって右側が湛江港、左側が前浦港。正面には笠松の砂浜が見えている。正面の森の右上に見えている屋根は天理教の寺院。

瀬戸内海の中央部に位置する笠岡諸島の島の一つで、本州本土の笠岡港からは直線距離で南へ約22km、航路で約33kmの沖合にある。笠岡諸島の最寄りの真鍋島からは南西に約7.5km。四国荘内半島先端からは約4.5kmの位置にあたる。六島は岡山県の最南端であり、笠岡諸島にとっても最南端に位置している[2][3][5][6][7]

六島と荘内半島の間の海域は潮の流れが速い難所として知られ、岡山県内では最初に灯台が設置された[2][8][3]

島の大きさについて

離島振興法での指定(平成27年7月現在)をはじめ、多くの資料では六島の面積を1.02km2としている[9][1]

国土地理院では毎年「全国都道府県市区町村別面積調」を公表しており、その付録として面積1km2以上の島の一覧と面積を発表しているが、少なくとも2013年以降、六島はここに含まれていない[10][11][12][13]

島の周囲長についても資料により多少の誤差があり、4.3km[1]、4.58km[3][6]、4.6km[14]などの数値があげられている。

人口

1875(明治8)年の記録では島民550人を数えたが、1977(昭和52)年には半数以下の209人(105戸)、2000年にはさらに半分の117人、2015(平成27)年には77人となっている[14][2]。高齢化率は57%(2010年)で、これは笠岡諸島の中では最も低い[5]

地勢

六島の全容
前浦港
打越の浜と大鳥鼻

島全体は花崗岩でできていて、風化が進んでいる[5]。島の中央には大石山と呼ばれる標高185メートルの山があり、三等三角点「武島」(標高184.95m)が設置されている[15]。島のほぼ全周は大石山の斜面が岩崖としてそのまま海に没しているため、平地は乏しい[6][8]。大石山は「笠岡十名山」の一つになっており、山頂付近には展望台が設けられている[14][1]

大石山の南西側の緩斜面に「前浦」地区がひらけている。前浦地区には小学校、仏教寺院、診療所や島内で唯一の商店がある。前浦地区の海岸には地方港湾の指定を受けている前浦港がある。2000(平成12)年には浮桟橋が新設され、診療船やデイサービス船の寄港が可能になった[1][14][6]

島の東端には標高30メートルほどの丘があり、その北の突端を「角鼻」、南の突端を「大鳥鼻」と呼んでいる。この丘の東側の海岸崖下には「笠松」と呼ばれる小さな砂浜がある。大鳥鼻の西部には「打越」という小さな入り江に面した砂浜があり、大島神社への鳥居と参道が通じている。大石山と、この丘の鞍部から北の湾に面して「湛江」(たたえ)地区があり、北岸に第1種漁港の指定を受けている湛江港がある[1][6]

島の南西部には岡山県最古の六島灯台がある。前浦地区から六島灯台へ向かう山道の途中には10万本からなるスイセンの自生地があり、「スイセンロード」という遊歩道として整備されている[1]。1月中旬から下旬にかけて満開となるスイセンは六島の早春の風物詩となっており、その時期には笠岡港からの定期航路に臨時便が出たり、観光ツアーが組まれている[8][16]

公共インフラ

かつて六島では飲料水は共同の井戸水に依存しており、水の乏しい島だった[3]

1953(昭和28)年に離島振興法が制定されると、1957(昭和32)年に六島と大飛島小飛島が離島振興法の指定を受けた。これは岡山県内の島では最初のものだった。これにより道路や電気、水道の整備が行われるようになった。上水道は笠岡諸島の神島から整備が始まり、海底敷設管によって各島への飲料水の供給が行われるようになった。六島へは1970年代にこの上水道が開通し、水不足は解消された。しかし近年はこの海底感の老朽化の影響が懸念されている[1][5]。汚水処理は整備が遅れている[5]

電気は中国電力より供給。インターネットは無線によって提供されている[5]

教育

六島中学校跡
  • 笠岡市立六島小学校 - 前浦地区にある。1885(明治18)年に真鍋小学校の分教場として開設[1]。1999(平成11)年には作文コンクール最優秀学校賞を受賞した[1]。2003(平成15)年に島で小学生児童のいる唯一の世帯が島外へ転出して児童がゼロになり、休校となった[17][1]。その後2007(平成19)年に新入学児童があり学校が再開[17]、2014(平成26)年5月時点の児童数4[18]
  • 笠岡市立六島中学校 - 生徒減少のため1981(昭和56)年に笠岡東中学校へ統合となった。2003年に中学生がいなくなったため閉所となった[1]。2013(平成25)年3月時点で、六島には中学生が1人おり、本土へのスクールボートが運航されている[5]

医療・福祉

大浦地区に診療所があり、真鍋島から医師が来て2週間に1度診療を行っている[1][5]。このほか済生丸という診療船が巡回している[5]

高齢者介護サービス施設が整備されていなかった笠岡諸島では、1993(平成5)年に「夢ウエル丸」というデイサービス船が就航した。これは国の地域福祉対策として1億9260万円あまりを投じて建造されたもので、日本初のものだった。就役当初、六島の港には入港不可能だったが、2000(平成12)年に前浦港に浮桟橋を建設して夢ウエル丸の寄港が可能となり、毎月2回運航されていた。しかし船の老朽化と笠岡市の財政悪化によって、2013(平成25)年度いっぱいで退役となり、2014(平成26)年3月末日に前浦港で引退のセレモニーが行なわれた[19][1]

幼稚園・保育所は設置されていない[5]

産業・経済

北岸の湛江漁港

島は古くから海辺での手繰網などの小規模な漁と、畜産・畑作によって支えられてきた[7][3]

農耕は主に山の斜面を開墾して段々畑が築かれており、「耕して天にのぼる[3]」と称されるほどだった。この段々畑はいまでも六島の特徴的な景観とされている[3]。とはいえ、狭く急峻な島では、強風によって吹き上げられた塩の害によって作物が枯死することも多かった。延享元(1744)年には木綿栽培を試したがやはり立ち枯れたという記録が残っている[7]。まもなく島の人口が増えすぎて、宝暦年間(1751-1764)には新たな開墾を行う余地も尽き、ウシを飼う土地も不足するようになった。この結果として海の仕事に従事して出稼ぎを行う島民が増えた[3][7]

江戸時代の六島は真鍋島の属島の扱いだったので、六島の島民はもっぱら真鍋島の網元に従って漁師として雇われていた。江戸後期には、上方の資本家が進出して六島での漁業経営を試み、真鍋島の網元と縄張り争いに発展した。このほか六島で盛んになったのが「活舟」という活魚輸送の職で、淡路島を上回って日本一の活舟の島となった[3][7]

太平洋戦争後は船舶の動力化が進んだため、活舟が廃れるとともに、沿岸漁業も低調となった。近年はノリやフグの養殖などにシフトしたが、土地不足のために養殖用の漁具の保管用地や水産物の荷揚げ用地の不足が課題となっており、港周辺の埋め立てが行われている。そのほか定置網漁や底曳網漁を行っている。[6][20]

交通

六島への定期便

本州本土の笠岡港と六島を結ぶ定期航路として、六島航路有限会社による「六島航路」、三洋汽船による航路がある[21]。三洋汽船は六島の2つの港(湛江港・前浦港)と飛島真鍋島高島神島笠岡港を結んでおり、六島へは往復各4便が運行されている[22]。六島航路は曜日や学校の休校日によって運行本数が異なっており、1-3便が運行されている[23]。笠岡までの所要時間は40分から85分[5]

六島灯台

海峡を望む南の丘の上に設置されている六島灯台は岡山県で最古の灯台である。六島と荘内半島の間の海峡は古くから瀬戸内海を東西に走る航路の幹線ルートが通っており、大型船舶が頻繁に航行する。しかしこの海峡は非常に潮の流れが速く、海難事故の多い海域だった。そのため1922(大正11)年に岡山県では初となる灯台が設置され、さらに霧信号所と無線方位信号所も併設された[2][8][3]

この海峡では、1867(慶応3)年に海援隊いろは丸紀州藩の軍艦との衝突沈没事故が起きており、乗り合わせていた坂本龍馬らが巨額の賠償を求めて係争となった[24]。これは日本で最初の海難審判事故とされており、近江屋事件の遠因になったとする者もいる[25]

周辺海域は第六管区海上保安本部水島海上保安部が受け持っている[26]

歴史

前浦地区の路地

年表

  • 1867(慶応03) - いろは丸事件
  • 1885(明治18) - 小学校分教場(六島小学校)設置
  • 1922(大正11) - 六島灯台設置[6]
  • 1957(昭和32) - 離島振興法の指定を受ける(8月14日)[5]
  • 1981(昭和56) - 中学校が統合
  • 1982(昭和57) - 笠岡市「大字六島」となる(それまでは大字真鍋島)[6]
  • 1985(昭和60) - 六島灯台が無人化される
  • 2000(平成12) - 前浦港に浮桟橋が新設され、診療船済生丸やデイサービス船「夢ウエル丸」の寄港が可能になる
  • 2003(平成15) - 小学校・中学校が休校
  • 2007(平成19) - 小学校が再開
  • 2014(平成26) - 夢ウエル丸引退式が行われる

文化

島を舞台にした作品

島の風景

脚注

注釈

  1. ^ 国土地理院などでは、少なくとも2012年以降は六島の面積を1km2より小さいものとして扱っている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本の島ガイド SHIMADAS』p310-312「六島」
  2. ^ a b c d e 岡山県の離島 六島(笠岡市・笠岡諸島地域)”. 岡山県庁県民生活部中山間•地域振興課 (2016年3月11日). 2016年7月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『岡山県大百科事典』下巻p958「六島」
  4. ^ 笠岡市立六島小学校 六島の紹介 2016年7月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 岡山県庁 岡山県離島振興計画 2016年7月10日閲覧。 (PDF) ,p42-53
  6. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典33 岡山県』p1112「六島」
  7. ^ a b c d e 『岡山県の地名 (日本歴史地名大系)』p828「六島」
  8. ^ a b c d 岡山県庁 笠岡諸島AIR 2016年7月10日閲覧。 (PDF)
  9. ^ 国土交通省 離島振興 離島振興対策実施地域一覧 2016年7月10日閲覧。 (PDF)
  10. ^ 国土地理院 平成27年全国都道府県市区町村別面積調 付4 島面積20傑(平成27年10月1日版) (PDF) 2016年6月3日閲覧。
  11. ^ 国土地理院 平成25年全国都道府県市区町村別面積調 島面積(平成25年10月1日版) (PDF) 2016年6月3日閲覧。
  12. ^ 国土地理院 平成26年全国都道府県市区町村別面積調 島面積(平成26年10月1日版) (PDF) 2016年6月3日閲覧。
  13. ^ 国土地理院 平成27年全国都道府県市区町村別面積調 付3 島面積(平成27年10月1日版) (PDF) 2016年6月3日閲覧。
  14. ^ a b c d NPO法人 CDM JAPAN 笠岡諸島物語 六島編 2016年7月10日閲覧。
  15. ^ 国土地理院 基準点成果等閲覧サービス 三等三角点「武島」(基準点コードTR35133346201)
  16. ^ “笠岡諸島•六島でスイセン見頃 18、25日にはツアー実施”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2015年1月13日). http://www.sanyonews.jp/article/119965/1/ 2016年7月10日閲覧。 
  17. ^ a b 笠岡市立六島小学校 学校紹介 2016年7月10日閲覧。
  18. ^ 岡山県生涯学習センター 笠岡市立六島小学校 2016年7月10日閲覧。
  19. ^ けあとも けあNews 2014年4月4日付 笠岡市 福祉船ありがとう「夢ウエル丸」 2016年7月10日閲覧。
  20. ^ 岡山県庁 笠岡市湛江漁港(笠岡市六島)公有水面埋立出願について 2016年7月10日閲覧。 (PDF) ,p42-53
  21. ^ 一般社団法人 日本旅客船協会 瀬戸内海 笠岡周辺 詳細図 2016年7月10日閲覧。
  22. ^ 三洋汽船株式会社 笠岡 ~ 飛島 ~ 六島航路 2016年7月10日閲覧。
  23. ^ NPO法人 CDM JAPAN 笠岡諸島物語 六島航路 2016年7月10日閲覧。
  24. ^ 産経WEST 2013年8月18日付 坂本龍馬・いろは丸事件(上) 怒りの龍馬、本邦初の「損害賠償」請求提訴へ…海難事故で大量の武器が海の藻くずに(1) 2016年7月10日閲覧。
  25. ^ 産経WEST 2013年9月1日付 坂本龍馬・いろは丸事件(下) 龍馬暗殺真相〝異説〟=身内の裏切り?「賠償金7万両」支払い直前に急襲、その金は…(3) 2016年7月10日閲覧。
  26. ^ 第六管区海上保安本部 水島海上保安部 水島海上保安部 の紹介 2016年7月10日閲覧。
  27. ^ a b c 『島の博物事典』p598「六島」
  28. ^ 岡山商工会議所 著、吉備人出版編集部 編『岡山文化観光検定試験 公式参考書要点整理』吉備人出版、2005年、32頁。ISBN 4-86069-108-3 

参考文献

関連項目

外部リンク