ファイル:伝阿弖流為母禮之塚の石碑の碑文(裏面).jpg

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元のファイル(2,440 × 3,253 ピクセル、ファイルサイズ: 2.55メガバイト、MIME タイプ: image/jpeg)

概要

解説
日本語: 古くから”戦いに負けた大物武将の首塚がある”との伝承があった首塚。隣村の宇山の古塚にて古くから伝わる「蝦夷の統領が処刑された場所」という伝承をきっかけに、おそらく戦後、実はアテルイの埋葬地ではないかと認識された塚である(出典:「蝦夷の統領ここに眠る? 阿弖流為処刑地と埋葬場所見つかる 地元の人々が保存 大阪枚方 古くから首塚の伝承」河北新報,1979-03-25,12版(18),河北新報社)。

2007年東北地方の市民の希望により伝阿弖流為母禮之塚の碑が建設され、その裏側に碑文が刻まれた。(大阪府枚方市牧野阪・牧野公園内)
碑文「延暦二十一年(八〇二年)秋八月十三日、蝦夷の首長アテルイとモレの二人は、征夷大将軍坂上田村麻呂らの助命嘆願もむなしく、「野生獣心反覆無定」として河内國で処刑された。肥沃な蝦夷地日高見國の征服は古くからの朝廷の悲願であったが、延暦八年には五万余の大軍が北上川河畔でアテルイの軍に大敗する有様であった。郷土史の先覚者たちにより両名最後の地と目され、また首塚の伝えをもつ当地に、千二百年の時を隔て多くの賛同者の浄財により塚を建立する。  記 関西外国語大学教授 瀬川芳則   塚の表記は京都・清水寺貫主 森清範による。

平成十九年三月四日建立 伝 阿弖流為 母禮之塚建立実行委員会」
日付
原典 投稿者自身による著作物
作者 Yoko Ai
カメラの位置34° 50′ 31.92″ 北, 135° 40′ 05.57″ 東  Heading=1° Kartographer map based on OpenStreetMap.以下のサービスでこの位置を確認する: オープンストリートマップinfo

『日本紀略』延暦二十一年八月丁酉〔十三日〕条

ライセンス

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キャプション

伝阿弖流為母禮之塚の碑の裏側の碑文(大阪府枚方市牧野阪・牧野公園内)

このファイルに描写されている項目

題材

34°50'31.924"N, 135°40'5.567"E

機首方位: 1.0

30 10 2020

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